浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅶ 眠らない月

09 星霜

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 アレンはルビィを抱えたまま王城の敷地内に着地した。シオンも後に続く。そのまま、入り口まで走り抜けた。

 巨大な観音開きの扉をシオンが力任せに開く。

「やっと来ましたね」

 黒の長の何時もの口調が耳に入る。アレンは顔をしかめ、ルビィを床に立たせた。目の前には黒の長、ゼロスとカイファスが居た。

「どう言うことだ」

 アレンは明らかに機嫌が悪かった。

「お祖父様は知っていたんだ」

 カイファスは不機嫌を隠すこともせず、腕を組む。

「荒治療が必要でしょう」

 黒の長はルビィに視線を向けた。

「判りましたか。残される者の気持ちが」

 ルビィは息をのんだ。

「お前達が、変化を担った者以外の血を受け付けないことはアリスから聞いていますよ」

 黒の長は溜め息を吐く。

「アリスは薔薇を助けるために、お前に血の摂取を強要しました。女性化するという理由がなければ、全部族長一致で極刑でしたよ」

 ルビィは両手を握り締め俯いた。

「まあ、望んでいたこと何でしょうがね」

 黒の長は目を細めた。

「いいですか。私達は誰かを罰したいわけではありませんよ。ただ、秩序は必要です」

 黒の長は架空を見詰めた。

「しかし、エンヴィは被害者です。吸血族が犯した罪の」

 結局は心を無視した結果が今なのだ。それに目を瞑り、罰するのは間違っている。罰するなら、過去に眠りについた祖先達も罰を受けるべきなのだ。

「ルビィ、お前は此処に来ました。本当の願いは何ですか」

 ルビィは俯いたまま息をのみ、ずっと、仕舞い込んでいた本当の気持ちを伝えるために顔を上げた。

「エンヴィと一緒にいたい」

 黒の長は優しく微笑んだ。

「いいでしょう。けれど、彼を説得するのはお前がしなければいけないことですよ。判っていますね」

 ルビィは頷いた。

「ルビィ」

 アレンは名前を呼んだ。ルビィはその声に振り返る。

「最後に一つだけ言ってやることがある」

 少し不機嫌な表情のアレンに、ルビィは身を竦ませた。

「少し我が儘になるんだな。エンヴィを本当に捕まえたいならだが」

 アレンの言葉にルビィは目を見開いた。

「そうかも」

 シオンも頷く。

「今まで我慢しすぎだからな」

 カイファスも溜め息混じりに言った。

「効果はあるかもな」

 ゼロスも同意した。

「ここまでやってやったんだ。二人で仲良く《太陽の審判》なんてことになったら、許さないからな」

 アレンは口の端を上げ、いきなり笑う。

「行ってこい。祝福してやるから」

 四人の励ましにルビィは小さく頷いた。黒の長も嬉しそうな笑みを見せ、ある部屋を指差した。それだけで、ルビィは理解する。

 ルビィの姿が部屋に吸い込まれるのを見送ると、アレンはしゃがみ込み、盛大な溜め息を吐く。

「大丈夫」

 シオンが心配そうに訊いてきた。

「疲れた」

 アレンの呟きは、此処にいる全員の気持ちでもあった。

「面倒になりすぎだ」

 ゼロスは腕を組むと、うんざりしているようだった。黒の長は苦笑する。

「ご苦労様」

 黒の長の労いの言葉に四人は冷たい視線を向けた。何故なら、一番振り回される結果になったのは、黒の長達のせいだったからだ。

「そう思うんだったら、私達に何かしていただけるんですよね。お祖父様」

 カイファスは恐ろしい笑みを向けた。黒の長以外の三人は、その笑みに凍り付く。

「結婚を認めたじゃないですか」
「それとこれは別。大体、お祖母様から私達が振り回されることを聞いていたんじゃない」

 気配すら冷たくなっていくカイファスに、ゼロスは思わず離れていこうとした。あまりにも、怖すぎるのだ。しかし、カイファスはゼロスの腕を掴み、逃げられないように拘束した。

「おや」

 黒の長はカイファスに匹敵する、黒い笑みを見せた。

「笑って誤魔化しても無駄。一歩も引くつもりはないから」

 カイファスの言葉に黒の長は表情を崩し苦笑した。

「やはり、駄目ですか」
「当たり前」

 カイファスのきつい口調に、三人は更に固まる。

「何か考えておきますよ」

 カイファスは目を細め、黒の長を観察する。

「その言葉、忘れないから」

 ぴりっとした空気が肌を刺し、三人はただ、その光景を見ていることしか出来なかった。

      †††


 ルビィは静かに扉を開き、室内に滑り込んだ。皆に背中を押され此処まで来た以上、エンヴィと自分自身に向き合わなくてはならない。

 それは今まで避けていたことだ。

「時間か」

 カーテンを引かれた光一つ無い部屋から声が聞こえた。思わず、体が竦む。闇に目を凝らすと、カーテンを引いた窓際に影が見えた。

 ルビィに視線を向けていることは判るが、全くの闇のため夜目がきくと言っても、顔までは確認出来ないようだ。

 ルビィは息をのみ、意を決したように歩き出す。何時までも、立ち尽くしているわけにはいかない。

「長じゃねぇのか」

 エンヴィは困惑しているようだった。ルビィが目の前まで来ると、流石のエンヴィも動揺した。

「……何をしに来た……」

 声は上擦り、意外な存在の登場に狼狽えているようだった。

「エンヴィを手に入れるために」

 ルビィは絞り出すように言葉を紡いだ。心臓が破裂しそうなほど脈打っている。正直、とてつもなく恥ずかしかった。

「……何」
「僕にエンヴィを頂戴」

 ルビィは必死な思いで訴えた。しかし、エンヴィが軽く首を振ったのが判った。

「無理に決まってるだろう。俺は刑罰を受けに来たんだ」
「じゃあ、僕も一緒に逝く」

 ルビィはアレンの言葉を思い出した。我が儘になれと言っていた。

「莫迦なことを言うな」
「どうしてっ。僕はエンヴィがいないと生きていけないっ」

 ルビィはエンヴィに抱き付いた。こんな大胆な行動をしたのは初めてだった。羞恥を伴う行動だったが、ルビィは必死ですがりついた。

「……お前なら」
「判ってよ。どうしてずっと側にいたと思うの。ずっと、エンヴィが欲しかった。でも、言えなかった」

 エンヴィは驚き、抱きついているルビィを見下ろした。

「同性の恋愛を否定されたとき、どんな思いだったか判るっ」

 顔を上げ、ルビィは瞳に涙を溜めたまま叫んだ。

「どうして、身代わりとはいえ、抱かれたと思ってるのっ」

 エンヴィは息をのんだ。目の前に居るのはルビィの筈だ。だが、今までのルビィではなかった。必死ですがりつく姿に、エンヴィは戸惑いをみせる。

「お前は俺が嫌で消えようとしてただろうが」
「違うよっ」

 ルビィは睨み付けた。ジゼルの言葉が脳裏を掠めた。互いに相手を見ていない。見えていない。自分のことすら省みていなかったのに、相手のことが見えるわけがない。

「ずっと、ずっと、どれだけ辛かったか判るっ」

 感情を押し殺し、笑うことすら忘れていた。

「エンヴィが自分の中の時間を止めて、いきなり一変したとき、どれだけ戸惑ったと思ってるの」

 ルビィは唇を噛み締める。

「僕は全部知ってるんだよ」

 睨み付け、放たれた言葉にエンヴィは狼狽えた。

「どうして、そうなったのか、全部知ってるんだ」

 エンヴィは背を窓に預け、有り得ないことに驚愕した。誰にも言ったことはない。心を抉ったあの事実を口にするのは流石に辛かったからだ。

「僕はエンヴィのお母さんから聞いたんだよ」

 涙ながらに語られた真実を、ルビィは怒りとも悲しみともとれない複雑な気持ちで受け取ったのだ。

 エンヴィの母親はどんな思いでルビィにそれを告げたのか。

「お願いだから、僕を見てっ」

 それは心からの叫びだった。側に居られるだけでいいなど、結局は綺麗事でしかない。

「少しでも、必要だって……」

 ルビィはそこまでまくし立て、涙でエンヴィの顔が霞み始めた。言いたいことは沢山あるのに、言葉に詰まってしまう。

 エンヴィは大きく息を吐き出す。ルビィに母親が何故、犯した過ちを話したのかは謎だ。どのくらいの時期に話したのかは判らないが、おそらく、何時も側にいたからだろう。離れていく友人の中で独りだけ、エンヴィから離れていかなかった。

「……訊いていいか」

 エンヴィは溜め息のように訊いてきた。ルビィは少し躊躇い、小さく頷く。

「あれだけ酷いことをされて、どうして側に居たがるんだ」

 ルビィはエンヴィが何を言いたいのか判っていた。それは、先の言葉で判断出来た。

「確かにみんなが見たらそう言うと思う。でも、僕は知ってるから」
「何を知ってるって言うんだ」

 エンヴィは脱力したような、力の入らない声で嘆息する。ルビィは抱きついている腕に力を込めた。エンヴィは忘れてしまったのかもしれない。

 ルビィが幼い頃、少年と言うにはあまりに可愛すぎる顔立ちだった。髪の毛も赤く、瞳は鴇色と、その色合いのせいもあったのか、虐めのような扱いを受けていた。

 虐めと言ってもからかう程度だが、幼い心に少なからず傷を作った。

「助けてくれたのはエンヴィだけだった」

 ルビィはエンヴィの胸に顔をうずめ、囁くように言った。エンヴィは首を捻る。何時のことなのか、全く思い出せなかったのだ。

「姿をからかわれていた僕に手を差し伸べてくれたのは」

 それは二人の初めての出会いだったのだ。

 エンヴィは眉間に皺を寄せ、必死に思い出そうとした。だが、停止していた時間のせいなのか、それとも、記憶に留まらないくらい些細なものだったのか。全く記憶として浮上してはこなかった。

「全く、覚えてねぇし」

 エンヴィの呟きにルビィは微笑んだ。覚えていないのは、エンヴィにとってルビィの容姿に拘りがなかった証拠のように思えた。

「赤い髪に鴇色の瞳なんて、目立つだけで良いことなんてなかったんだ」

 母親の色をそのまま写し取ったルビィは、ある意味、少年達の中では浮いていた。

「変わった色ではあるけどな」

 エンヴィは深く息を吐き出す。望みを叶えてやりたいとは思う。だが、それは許されない。何より、自分自身が許せなかった。

「エンヴィ」

 ルビィは不安で体が震えた。エンヴィの様子がおかしい。

「黒の長は部族長の中でも恐ろしい存在だ。いくら、女性化したお前の言葉でも、俺の罪は覆らねぇ」

 ルビィはエンヴィがやはり、《太陽の審判》を受けるつもりであると確信した。消えることで、全てを終わらせようとしている。

 ルビィは体をエンヴィから離すと俯く。シオンは言っていた。変化を担った者以外の血は毒でしかない。ならば、ルビィはエンヴィが消えれば、同じ道を辿るしかないのだ。

「……エンヴィが《太陽の審判》を受けるなら、僕も後から必ず逝くから……」
「だからっ」

 エンヴィは苛立ったようにルビィの肩を掴んだ。初めて触れた女性の体のルビィの細さに驚く。

「僕達は血の契約を破棄出来ないんだって」

 ルビィはぽつりと呟いた。エンヴィは呟かれた事実に目を見開く。

「何だって……」
「シオンが凄く慌ててたから、本当だと思う。他の血は僕にとって毒なんだって」

 体は変化をするために、血の主を決めてしまう。それは守るためだ。吸血族が決まった者の血のみを摂取する切っ掛けが、女性化した者達も関わっているのかもしれない。

 ただ、彼等以外、血の主が変わっても問題はなかった。問題だったのは体を変化させた者だったのだ。

「残れって言うなら、エンヴィの命を僕に頂戴。それが駄目なら一緒に連れて行って」

 ルビィは顔を上げ、強い瞳をエンヴィに向けた。

「……長は知ってるのかよ」

 ルビィは頷いた。

「金の髪の女の人。覚えてる」

 ルビィの質問にエンヴィは一つの姿が脳裏に浮かんだ。吸血族と明らかに雰囲気が違う。不思議な空気を纏い、長達でさえ一目置いているように感じた。

「長様の奥さんだよ」

 エンヴィは息をのんだ。

「彼女が来なかったら、僕はこの姿にならなかった」

 エンヴィの首筋に牙を立て、血を飲むこともなかったのだ。沢山の言葉をルビィに投げつけ、遠回しに考えさせた。

「多分、アレンとゼロスが動いてくれたのも、彼女が関わってると思う」

 エンヴィは言いたい放題していった二人を思い出す。明らかに嫌がっているのに、それに逆らえない感じだった。

 単にお人好しなのかもしれないが、二人の言葉がなければ考えることすらしなかった。多分、不幸を呼び寄せるように、荒んだままだっただろう。

「沢山、迷惑をかけて、シオンを傷付けたのに、みんな、優しかったんだ」

 アレンは《太陽の審判》は許さないと、ルビィを送り出してくれた。

「仕組まれていたとしても、それとこれは別問題じゃねぇの。俺が《太陽の審判》を受けても不思議じゃねぇだろうし。問題はお前か」

 エンヴィは天を仰いだ。黒の長は一体、何をさせたいのだろうか。

 今回、起こした騒動は知れ渡っている筈だ。黒の長は秩序に五月蝿い。それは、一族を守るためだろう。

「行き詰まったみたいですね」

 扉が開く音と共に、のんびりとした声が聞こえてきた。ルビィは思わず振り返る。静かに歩を進めて来るのは、今、話題に上った者だ。

「私が何故、お前の願いを受け入れたか判りますか。それも、ルビィの前で」

 二人は同時に息をのんだ。

「最初に望んだのはルビィでしょう。ですが、性別が変われば考えも変わります。おそらく、四人はそれに賭けていた筈ですよ」

 黒の長が言う四人とは、アレンとゼロス、シオンとカイファスのことだ。

「エンヴィが望むことなど、露ほども考えていなかったでしょうね」

 私もそうだったからと、呟くように言った。

 ルビィが離れなかった時点で、その可能性を考えるべきだったのだ。

 どんなに酷い扱いを受けても、ルビィは側に居続けた。その理由を、考えるべきだったのだ。

「ですから、ルビィの前で、わざと許可したのですよ。残される者の気持ちを、ルビィは考えなくてはいけませんでしたからね」

 《太陽の審判》は基本的に、滅多に行われない刑罰だ。最近は、頻繁に話題に上ることに、黒の長は辟易していた。

 灰になり消えたところで、良いことは一つもないのだ。シオンの場合はアレンを試すために実施した。それは、大きな賭けで、リスクも大きかった。

「後悔し考えるだけなら誰でも出来ます。問題はその後ですよ。私は最初から、お前達に《太陽の審判》を許可するつもりはありませんでした」
「待ってくれ。それはっ」

 エンヴィは黒の長の言葉に動揺した。

「お前が気にしているのは、シオンを攫ったことですか」

 エンヴィは頷いた。

「あのことは、関わった者達しか知りません。皆で口を噤むことにしたのですよ。ルビィが本当に女性になるのなら、失うわけにはいかなかったからです」

 黒の長は淡々と語る。

「アリスにルビィが女性になると言われ、正直、戸惑いましたよ。彼女の言葉に間違いがないのは私が良く知っていますが、信じるには余りに突飛なかったので」

 黒の長は戸惑い、しかし、躊躇いながらも実行したのだ。ルビィにエンヴィの血を飲むことを強要し、変化すれば無罪だと言ったのだ。

 ただ、アリスはルビィが変化した後、《太陽の審判》を望むことが判っていた。そのため、四人に対応をある意味、強要した。ファジールの館にルビィを置くことで、ジゼルが関わることも判っていた。

「お前はジゼルに言われたのではないですか。互いを見ていないと」

 ルビィはジゼルを思い出す。幸せそうに微笑むジゼルが語った言葉が不思議と心に響いた。

「ジゼルはお前同様に苦しんだのですよ。理由は違いますがね。だから、誰よりもお前を理解した」

 黒の長は小さく溜め息を吐く。

「シオンは血の狂気を誰よりも理解していました。だからこそ、関わりを持ち、嫌がるアレンを導くと判っていました」

 二人は呆然となった。考えてみれば、恵まれていたのだ。

 最初から全て用意され、二人を導くようになっていた。

「ただ、お前達は少し特殊でした。特殊故、予想が出来なかった。アリスですら、エンヴィを読めなかった。暗く閉ざされた心を拓くのは容易ではありません。ルビィには酷な体験をさせてしまう結果になりましたけどね」

 ルビィはただ、立ち尽くした。これから、どうすればよいのだろうか。消えることばかり考え、その後、心を占めたのはエンヴィのことだけ。後のことなど、全く考えていなかったのだ。

「償いたいというのなら、別の方法をとって貰います」

 黒の長はきっぱりと言い切った。

「エンヴィ、お前は仕事をきちんとこなしなさい。父親から技術は学んでいる筈ですよ。館の手入れをし、ルビィを迎える準備をしなさい」

 黒の長はルビィに視線を向ける。

「お前は一度、両親の元に私と共に行くのです。その後、ファジールの元に身を置きなさい」
「どうしてっ」

 両親の元に帰るのは理解出来る。だが、ファジールの元に身を置く理由が判らなかった。

「ファジールとアレンはお前の変化が早すぎることを懸念していました。かなりの痛みがありましたね。本当に体に異常がないのか調べなくてはいけません」

 ルビィは唇を噛み締めた。

「二人にはきちんと罰を受けて貰いますよ」

 黒の長は笑みを貼り付ける。その表情に、二人は体が震えた。

「この罰は生きている限り有効です。眠りにつくその日まで、償いをして貰います」

 黒の長は黒い笑みを見せ、その罰を唇から放つ。その言葉に二人は驚き、言葉を失った。

      †††


「可愛い」

 ルビィは目の前の存在に胸の前で手を組み合わせ、うっとりと呟いた。

「ねぇ、ぷにぷにしてて、柔らかいし」

 シオンもうっとりとしている。少しあきれ気味なのがカイファスだ。

「あんまり見詰め過たら穴が開かないか」

 そんな筈は無いのだが、二人の見詰め方は尋常じゃない。

「そんなことはないから、安心して」

 背後からの声に、三人は振り返る。伸ばされた腕に、その存在は当たり前のようにおさまった。

 ジゼルは我が子を愛おしそうに抱き締める。

「後で母上が来るって言っていた」

 カイファスは頼まれた伝言を伝えた。

「レイチェルはがっかりするかもしれないわね」

 あのとき、ジゼルの中に宿った命は、無事に生まれてきた。髪色をジゼルから、瞳をファジールから受け継ぎ、今、目の前にいる。

「男の子だもんね」
「でも、この子、可愛過ぎるよ」

 黒髪と菫の瞳。見た目は完全に女の子だった。ジゼルは苦笑する。確かに可愛らしいが、アレンも同じくらい愛らしかったのだ。

「アレンとよく似てるのよ。何時かは、あんな風になっちゃうのよ。それより」

 ジゼルはシオンとカイファスのお腹に視線を向けた。今日は満月ではない。しかし、二人は女性の姿のままだった。

「二人ももう少しね」

 シオンとカイファスは顔を見合わせる。ルビィとエンヴィのことがあり、実質、結婚したのは婚礼の儀のあった日から三ヶ月後だった。

 女性化した者が妊娠しやすいことは判っていたが、まさか、直ぐに宿るなど予定外だったのだ。驚いたのはアレンとゼロスだった。

「僕も欲しいな」

 ルビィはうやらましそうに呟く。

「もう少しでしょう」
「うん。二ヶ月後。エンヴィは最近忙しくて、帰ってくるのが遅いみたい」

 カイファスは首を傾げた。今更だが、エンヴィの家業とは何なのか。

「エンヴィの仕事って何なんだ」

 疑問を口にした。

「カイファス、知らなかったの」

 シオンは驚いたように目を見開いた。

「調香師だよ。香水を作ってるんだ」

 ルビィは理解した。エンヴィは両親が眠りについてから、全く、仕事をしていなかったのだ。

「あら。私も知らなかったわ」

 ジゼルも驚いたようだった。

「エンヴィ、あんなんだったし、腕はお父さんより良かったみたいなんだけど、荒んでたから」

 黒の長の命令で仕事を再会させたのだが、最初は順調に仕事が来るなど考えていなかった。とりあえず、顧客リストを使い、仕事を再開させる旨を知らせたのだが、その後が大変だったのだ。

「どうなったの」
「一気に依頼が来たの。準備を始めたばかりで、材料もないし、大変だったみたい」

 エンヴィは材料集めに奔走しなくてはならなくなったのだ。

 ルビィはあの後、ファジールとアレンから検査を受け、体に異常がないことが判った。節々の痛みは残っていたが、それ以外は正常だったのだ。

 両親には黒の長が説明した。最後は明らかに脅しに近い状態だったが、黒の長に逆らうのはアリスとレイチェルとカイファスくらいだ。

 婚礼の儀当日まで両親の元に帰らなくてはならない約束をさせられたが、ルビィに不満はなかった。

「アレンも頼んでたよ」
「鬼だな」

 カイファスはそう呟いた。一気に依頼がきたところに、更に依頼する鬼畜っぷりに呆れかえる。

「交換条件だったみたいだよ」

 シオンはそう言った。三人は目を見開く。

 アレンの密かな趣味は薔薇の品種改良だった。庭に大量の薔薇があるのは昔からだが、更に増え続けているのはアレンのせいなのだ。

「香水用の薔薇を捜していたらしくて、うちの薔薇園に大量にあるじゃない。背に腹は代えられなかったんじゃないかなぁ」

 つまり、頼みにくかったが宛がなかったのだ。事を起こしたときに入り込んだ薔薇園が、エンヴィの記憶に強く残っていたようだった。

「そう言えば、ゼロスに会いにエンヴィが来ていたような」

 カイファスも思い出すように言った。微かな記憶だが、何かを頼んでいたようだった。その後、日中にゼロスが出掛けていったのを覚えている。

「何気に仲良くなってないか、あの三人」

 カイファスは不思議そうに呟いた。腕を組み、二人を見る。

「そうなのかなぁ」

 シオンとルビィは首を傾げた。そこで笑い出したのはジゼルだ。いきなりのことに三人はジゼルに視線を向けた。

 我が子を落とさないように抱きながら、涙を浮かべていた。

「お母さん」

 シオンは訝し気に問い掛ける。

「エンヴィって、あの二人に近いのよ。ほら、アレンとゼロスだって、最初は反発していたんじゃないの」

 シオンは思い出そうとした。気が付けばあんな感じだったので、気にもしていなかったのだが、確かに最初は睨み合っていたのかもしれない。

「反りが合わなかったんじゃないかしら。相手をきちんと知れば、似ているわけだし、話しは合うだろうし、大体、妻は男だし」

 何かあれば相談相手は三人だけになるのだ。

 ジゼルがあまりにもさらりと言ったので気にならなかったが、最後に凄いことを言ったなぁっと、カイファスは思った。

 シオンとルビィは何も思わなかったのか、聞こえていなかったのか、笑い合っていた。

「そう言えば、ルビィは長様に別の罰を与えられたのよね」

 ジゼルが不思議そうに呟くと、ルビィはあからさまに困った顔をした。シオンとカイファスも何度となく訊いたのだが、口を噤んでしまう。聞きたいし、知りたいのだが、どうやらエンヴィに口止めされているらしかった。

「それは、今は話せないんです」

 ルビィは申し訳無さそうに言った。

「エンヴィかしら」

 ルビィは両手を胸の前で組み合わせると、小さく頷いた。

「今は言ってはいけないことなのかしら」
「僕は構わないんだけど、エンヴィは今は駄目だって」
「どう言うこと」

 カイファスは首を捻った。

 ルビィは思い出すように架空を見詰めた。黒の長から聞いたとき、驚き以外の感情は浮かばなかった。確かに消えるより罰的には軽いように思えたが、エンヴィは違ったようなのだ。
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