浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅶ 眠らない月

07 傷心

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 何時ものように一人、目を覚ます。数日前から体がだるかった。時々襲う激痛が耐え難かった。

「ルビィ」

 扉が開く音と共にシオンの声がした。億劫だったが、ルビィは首だけ動かし顔を其方に向けた。

「もしかして、怠くて痛いんじゃない」

 シオンの問い掛けに目を見開いた。

「……どういう……」

 言葉が続かなかった。

「やっぱり。ちょっと待っててね」

 シオンは言うなり踵を返し部屋を出て行った。シオンは何を言いたかったのだろうか。

 数分後、シオンはアレンとファジールを連れて戻ってきた。

「その痛みはね、変化の兆しだよ」

 ベッドに伏せた姿でシオンはルビィに言った。

「……意味が……」
「判らないよね。僕もそうだったから。でもね、満月の光を浴びたら治まるけど、浴びないと一ヶ月苦しむんだよ」

 アレンとファジールは顔を見合わせた。

「シオン」

 アレンは慌ててシオンの肩を掴んだ。

「今のはどういう意味だ」

 シオンは二人に教えていなかったと、今更気が付いた。

「言ってなかったっけ」
「聞いてない」

 アレンは青冷めた。

「変化するときに激痛があるんだけど、変化しないで放置すると、鈍い痛みが続いて、満月の前の日に凄い痛みが襲うの」

 アレンとファジールは呆然となった。つまり、痛みがあっても、変化した方がましだと言うことだ。

「ルビィ。今日は満月の三日前だよ。変化するなら、もうそろそろだと思ってたんだ」

 シオンは首を傾げた。

「痛いのか」

 ファジールはシオンとは逆のベッド際に移動し、ルビィを覗き込んだ。

 ルビィは頷くだけで精一杯だった。内臓がひっくり返るような感覚。気持ち悪いと言うのが正直な感想だった。

「アレン、僕は長の所に行ってくる。おそらく、ルビィを移動させることになる」
「この状態で動かすのかよ」

 ファジールもそれは判っている。だが、これは病気ではなく、ましてや、ルビィは命令で血を摂取したのだ。

「言いたいことは判るが、こればかりは長の命が下れば従わなくてはならない」

 普段のファジールなら、無理だと判ると長だろうが誰だろうが、決して患者に無理はさせない。

 つまり、ルビィは患者ではないと言うことだ。ファジールはアレンに近付くと耳元に口を寄せた。

「いいか。長の所にはエンヴィがいる。おそらくだが、長は見せようとするだろう」

 ファジールはベッドの上で苦し気に荒い息を吐き出すルビィに視線を向けた。

「この一ヶ月近い時間で判ったのは、二人の関係が普通じゃないということだ」
「否定はしない」

 アレンも二人に聞こえない声音で言った。

「ルビィを助けるにはエンヴィを何とかしなくてはならない」

 アレンはその言葉に息を吐き出した。

「エンヴィはあの薄暗い地下牢にいておかしくなっていない。つまり、精神状態が普通じゃない証拠だ」

 ファジールは眉を顰めた。エンヴィが居るのは窓の無い地下牢だ。血の狂気に捕らわれ始めていたシオンが居た部屋に近い。

 普通なら、数日と耐えられない筈なのだ。外界からの情報が遮断され、音も空気の流れも殆ど無い空間で正常でいられるのは、既に病んでいることを意味している。

「何回か会いに行ったが、黙り込んだままだぞ」

 アレンは腕を組み、ファジールに顔を向けた。

「どっちにしろ、このままだと、二人は同じ道を辿る」

 ファジールは確信に満ちたように言った。ルビィはエンヴィを助けようとしている。ジゼルが諭しはしたが、結局は本人次第だ。しかも、二人は引き離されたまま、顔すら合わせていない。

 ルビィの今の状態で会わせるのは危険だとは思うが、それでも何時かは決断しなくてはいけない。

「シオンは変化すると確信してる。行くなら早く行けよ」

 今ならまだ、動かそうと思えば動かせる。だが、明日はどうか判らない。

「いいか。長だろうが何だろうが、ルビィにこれ以上を強いるのは酷すぎる。血の摂取量の関係なのか、二人よりも酷いんじゃないかと思うんだよ」

 アレンは腕を組み、ファジールを睨み付けた。ファジールは溜め息を吐く。それは言われなくても判っていた。

「判っている。何かあったらレイスに言え。こっちに連絡がくる」
「判った」

 アレンは頷く。

 シオンは二人を見上げていた。何の話しをしているのかは判っている。ただ、静かに見守っていた。

 そして、不意に思い浮かんだ言葉は似付かわしくないものだった。

「やっぱり、親子なんだね」

 のほほんと呟いたシオンに二人は固まった。何を言われたのか理解するのに数秒要し、同時に溜め息を吐いた。

「じゃあ、行ってくるからな」

 ファジールはシオンの言葉を無視し、さっさと部屋を出て行った。アレンはシオンに歩み寄り屈んで目線を合わせた。

「今言うことかよ」
「だって、そう思ったんだもん」

 シオンは不貞腐れたように唇を尖らせる。

 二人の姿にルビィは少し声を出して笑った。それは、ルビィの中では有り得ない、けれど幸せな一コマだった。

「ルビィ」

 シオンは少し驚き、非難がましい視線を向けた。

 ルビィは幸せになって欲しいと心から願った。シオンが今までと違う理由がよく判った。それは、自由になったからだ。

 ずっと押し込められていた感情が表に表れるようになったからだ。つまり、シオンにとって最良であり、掛け替えのない場所なのだ。

「……自由になったんだ……」

 小さく呟かれた声にシオンは唇を噛み締めた。

「お前もならなきゃ駄目だろう」

 アレンはルビィに視線を向け、当たり前のように言った。しかし、ルビィは小さく首を振る。いくらジゼルに諭されても、考えは変わらなかった。

 何故なら、ルビィは疲れてしまったのだ。エンヴィをありとあらゆることから守り続けた。だが、エンヴィにとってルビィがしていたことが最良かと問われ、自信を持って答えられない。

 もしかしたら、他の友人のように離れた方が良かったのかもしれない。幾つもの疑問と後悔で押し潰されそうになる。

 アレンは溜め息を吐く。最近、溜め息ばかりだと、少々、うんざりしていた。

「聞いていたと思うが、場所を移動することになるかもしれない」

 ルビィは頷いた。

「……満月の光を浴びたら……痛みは無くなるんだよね……」

 痛みと怠さに耐えルビィは確認した。

「うん。でも、最初は本当に痛いよ。経験したことがない痛みだから」

 シオンはベッドに両手を付け、心配そうに呟いた。

 ルビィは掛布を強く握り締め、顔をしかめた。天井にぼんやりと視線を向けた。

      †††


 二人で部屋を出るとシオンは立ち止まり両手を強く握り締めた。

「どうした」
「あのさ」

 シオンは顔をアレンに向けた。ずっと思っていたことがあったのだ。

「僕が変化したときより、酷いと思うんだ」

 シオンが変化したとき、まだ、狂気は始まっていなかった。だからこそ、鮮明に覚えている。

「確かに怠かったし痛かったけど、あんなに苦しくなかった筈だよ」
「判ってるよ」

 その言葉にシオンは目を見開いた。

「お前とカイファスは変化するまでに時間がかかっただろう」

 二人は緩やかに変化したのだ。急激な体の変化が負担を大きくしたのだろう。

「ルビィは直ぐに変化が始まったんだ。体はなんの準備もしていない。いきなり与えられた、変化のために必要なものが大量に入り込んだ」

 つまり、少量なら緩やかに変化した。だが、必要以上の血を摂取したのかもしれない。

「どういうこと」
「訊くけどな。お前が気持ちに気が付いたのは何時だ」

 シオンは目を瞬いた。

 確かにアレンを好きだった。その気持ちをはっきり自覚したのは、会えないと思い込んだときだ。

 血を不注意で取り込んでしばらくしてからのことだった。アレンの気持ちが欲しいと切実に願ったのだ。

「……血を口にして少したってから……」
「カイファスもそうだろうな。自覚したのが血を取り込んだ後だったんじゃないかと思うんだ」

 ルビィの場合、既に気持ちがあったのだ。二人とは違い認識していたに違いない。それも、最近の話しではなく、長い間、想い続けていた。

「体が変化するために必要で重要なものが入り込めば急激に変化する。体そのものの準備は整っていなくても、与えられたものに素直に反応したんだろう」

 血の摂取を強要したとき、取り込む量を少量に抑えていれば負担が少なかったのかもしれない。

 今更言ったところで手遅れだ。痛みから解放されるには満月の魔力に縋るしかない。

「一つ気掛かりなのが、最初の変化時に与えられる痛みがお前より強いかもしれないってことだ」

 アレンは吐き捨てるように言った。

 最初の変化時に与えられる痛みを知っているのは本人だけだ。口で説明を受けたとしても、目の前で見たわけではない。

 アレンが見たシオンの変化は、本人がある程度痛みに慣れた後だ。

「……それってっ」

 シオンはアレンに縋りついた。涙目になり、唇を噛み締める。

「理由は簡単なんだよ。早すぎるんだ」

 ルビィの変化は早すぎる。シオンは二ヶ月後、カイファスに至っては四ヶ月変化するのに時間が掛かっている。

 二ヶ月のシオンで引き裂かれる痛みなら、ルビィの痛みは想像出来ない。

「最初に変化した者達はどうだったのか、おそらくルビィが見た日記にも書いてない筈だ。変化する条件が簡潔に記されていただけで、その際にどうなったかは書かれていない」

 婚礼の儀の後、アレンはファジールに記録を見せるように迫った。ファジールは渋い顔をしたが、アレンも書庫に入ることが可能であるので隠すことが出来ないと観念した。

 ファジールに案内され見ることの出来た記録はあまりに酷い物だったが、変化時のことまでは記録されていなかったのだ。

「お前とカイファスの話しを聞いたとき、若干の違いがあった。変化時の痛みの違いだ」

 シオンは引き裂かれるような激痛だと言ったが、カイファスは激痛ではあったが引き裂かれるほどの痛みではなかったのだと言っていた。

 変化に掛かった時間が、体に与える負担の度合いを決めるのなら、直ぐに変化を始めたルビィは無事では済まないかもしれない。

「どうなるのっ」
「判らない。もしかしたら、痛みに耐えられず気が触れるか、意識を手放すか」

 アレンにはそこまで断言出来る知識はない。

「こればかりは祈るしかない。今の時点で、かなりの痛みを感じてる。痛みが麻痺すればいいが、そのまま痛みを与え続け、更に痛みが加われば体がどうなるか……」

 シオンを脅す気はなかった。しかし、知っておかなくてはならない。おそらく、ルビィの側を離れようとしないだろう。そうなれば、間近で見ることになる。

 覚悟を決めておかなくては、シオンもおかしなことになりかねない。それだけは避けなくてはいけなかった。酷だとは思うが、真実を知って於いて貰う必要があったのだ。

「絶対、ルビィの前で泣くなよ」

 アレンはシオンに釘を差した。一番不安なのはルビィ本人だ。シオンが泣けば不安が増す結果になる。

「俺の前で泣くのは構わないが、ルビィの前ではどんなことがあっても耐えろ。大切な友達なんだろ」

 諭されるように言われ、シオンは頷いた。

「今は泣いてもいい」

 アレンの服の裾を握り締め、シオンは呟いた。

「ルビィの前以外なら、好きにしたらいい」

 アレンはシオンの頭に右手を乗せ、優しく撫でた。シオンはたまらず抱き付く。

「……どうして、こんなことになったの……」

 シオンは嗚咽した。アリスから話しを聞いてはいても、納得出来なかった。それは、アレンも同じ気持ちだった。

 もしかしたら、ルビィは告げるつもりが無かった気持ちだったのかもしれない。エンヴィが否定していた気持ちを知られたくなかった可能性はあった。

 知られ離れて行かれるより、押し殺すことで側にいようとした。それが如何に負担をかける結果になるのか知りもしなかったのだろう。

 無理をすれば、何時か全てが狂っていくとも知らずに。

      †††


 二人が去った後、ルビィはただ、天井を見据えていた。鈍い痛みに、体の怠さに挫けそうになる。だが、これが与えられた刑罰なら甘んじて受け入れるしかなかった。

 初めて喉を通っていった血に体が震えたのを覚えている。

 エンヴィに告げた言葉に偽りはなかった。少しずつ、側にいるのが辛くなっていたのは紛れもない事実だったからだ。

 ただ、消えるための理由が欲しかった。エンヴィに今回のことを持ち掛けられ、反対もしたが逆に別の思いが頭をもたげた。

 キエルタメノ、リユウガデキル

 それは甘美な誘惑だった。無理をすれば止められた筈なのだ。今までもそうしてきたのだから。

 しかし、敢えて全力で止めなかった。止めたところで、エンヴィは同じことを繰り返す。

 それを見せつけられる度、鋭く胸を抉った。心が悲鳴を上げるにも関わらず、必死で苦い物を飲み込んできた。

 側をこれほど長い時間、離れたのは出会ってから初めてだった。会わなくなると冷静に考えられるようになる。近くて見えていなかったものが見えてくる。

 互いに相手を見ていなかった。ジゼルに依存し合っていると言われ、否定出来なかった。

 一日会わなければ不安になった。エンヴィが何時、同族を襲うか判らなかった。

 暗い褐色の瞳が更に闇を纏うと、必ず行動を起こす。

 ルビィは其処まで考えると、何時も疑問に突き当たった。

 エンヴィは何時もルビィが側にいるときに行動を起こしていた。自惚れではなく、事実であることは間違えなかった。

 四六時中、一緒にいられるわけではない。数少ない友人に言われたことがあったのだ。

 一人で居ると襲うことはない。雰囲気の恐ろしさに近付く者は居なかったが、エンヴィにしてみれば気にする材料にすらならない。

 精神の安定を欠いてからのエンヴィは、何時も不安定だった。子供のときに受けた衝撃が大きすぎたからなのか、感情が乏しく、喜怒哀楽の中で怒の感情が一番表に表れていた。

 荒んでいく一方で、ワザと自分を痛めつけているようにも感じた。そう思えたのは、今の状況に身を置いてからだ。何もすることがなく、ただ、体の変化を感じる日々の中、幾つもの疑問が浮かび上がる。

 エンヴィの両親が《永遠の眠り》についたのは彼が幼いときではない。成人してから眠りについたのだ。その間、両親が努力していなかったのかと言われたら、それは明らかに違う。

 エンヴィが荒んだ理由をルビィは母親から聞いたのだ。

 後悔を滲ませた表情でルビィに何度も頭を下げた。説明を受けたとき、正直な感情は怒りだった。

 たとえ愛していなくとも、生み出したからには責任がある。だが、母親の憔悴しきったその様子に、ルビィは限界を見てしまった。

 自分が発端で荒んでいく息子に、必死で関わろうとした。しかし、エンヴィは体全体で拒絶し、顔すら合わせようとしない。

 吸血族は家族で食事をとる習慣がない。それは、基本的に見せるものではないとされているからだ。

 関わろうにも、エンヴィが館にいたのは眠りにつくときだけで、寄り付くことすらなかった。

 たまたま、ルビィは館を訪れその話しを聞き、側を離れないと誓った。

 今ならエンヴィの両親の気持ちが理解出来た。幾ら想い、幾ら見守ってもエンヴィは変わることがなかった。

 止めるためとはいえエンヴィに体を開き、体と心の痛みに悲鳴を上げても届くことはない。

 気を失い目覚めたときに姿がないことが当たり前だった。最初こそ抵抗があった行為も、慣れてしまえば平気になり、心を隠すために表情が乏しくなった自覚はあった。

「……今まで何をしてたんだろう……無駄なことだったのに……」

 目頭が熱くなる。両の手で覆い、ただ泣いた。この場所に来てから泣いてばかりだと、ルビィは思った。幾ら泣いても後悔は消えない。

 後、三日。ルビィは耐えるしかなかった。

      †††


 薄暗い地下牢の中でエンヴィは嫌でも考えなくてはいけなかった。今まで生きてきて、果たしてちゃんと生きていたのだろうか。

 母親の拒絶の言葉と、その後、取り繕おうとしていることは判ったが、嫌悪感しか抱かなかった。

 今思えば、あれは母親なりの精一杯の誠意だったのかもしれない。エンヴィが成人し、父親の仕事を引き継ぐと、二人は静かに眠りについた。

 だが、その眠りは本当に穏やかなものだったのだろうか。

 荒れていくエンヴィを必死で育て、ぼろぼろの精神状態で両親は眠りについたのかもしれない。

 母親が吐露した言葉は耐えきれなかった心の叫びだったのだろう。だから、父親は何も言わずに受け入れたのかもしれない。

 ただ、無言で投げつけられる言葉を受け止めていた。もし、言い合っていたら、泥沼状態だった筈だ。

 冷静になり、己を振り返り、エンヴィの中の時間がやっと動き出す。停止した時間の中には必ずルビィの姿があった。

 日を追う事に表情を無くすルビィしか居なかった。

 エンヴィは手を組み合わせ、溜め息を吐いた。

 何もかもがどうでも良くなり、暴れていた記憶しかない。停止した時間の中で有り得ない感情が芽生え、ルビィに逆の言葉を投げつけた。

 そのときのルビィの表情は今でも忘れられない。

 鴇色の瞳が見開かれ、一瞬のぞかせた感情は痛みを伴ったものだった。自分で投げつけたのにも関わらず、鋭い棘が突き刺さり疼きにどうにかなってしまいそうだった。

 ルビィを抱いたのは何時からだったか記憶は曖昧だった。

 誰かに襲いかかり、滅茶苦茶にしてやろうとしたのは覚えている。

 ルビィに止められ、代わりになるなら止めてやると言うと素直に従った。悲しみを湛えた瞳を見ることが出来ず、無理矢理体を開き欲望だけを満たした。

 その後に必ず襲いかかるのは虚しさだった。確かに欲望は満たされた。しかし、心を占めるのは空虚感だけだった。

 一度、同意の元、ルビィではない者を抱いたことがあったが、更に虚しさが込み上げた。欲望は満たされるが、心が満たされず、渇き切っていた。

 何かがしたかったわけではない。最初はささやかな反抗に過ぎなかった。否定されたのなら、求められていないのなら、その様に振る舞えばいい。

 極力、館に近寄らず、空が白み始め静まり返ったのを確認してから自室に帰る生活。何時の間にか、孤独になることに慣れてしまっていた。

 ルビィを抱くための理由を他者を襲うことで満した。

 いきなり手に落ちてきた雫に、エンヴィは不思議な思いで見詰めた。暗がりの中で見るそれは、存在が曖昧で、しかし、肌に触れるのは確かな感触だった。

 恐る恐る頬に触れる。両の目から流れているのは確かに忘れた筈の涙だった。

 ルビィが消えることを望んだ理由をエンヴィは理解していた。

 傷付け、迷惑をかけ、世話をやかせるだけやかせた。おそらく、ルビィは疲れてしまったのだろう。エンヴィに愛想を着いてしまったのかもしれない。

 そして、エンヴィは決意した。涙という感情を思い出させてくれた存在を、守りたいと思った。

 消えるのは、ルビィではない。ルビィならば、相手など直ぐに見付かる。

 エンヴィの血に触れてしまったが、相手が病む終えない理由で消えた場合、血の契約は破棄される。

 両手で顔を覆い、小さく呻いた。最後に少しくらい返しておきたい。それがたとえ消えることでしか補えないとしても、選べる道はそれしかなかった。

 ルビィが背負うと言った二人分の罪。だが、エンヴィは自分こそ相応しいと自覚した。

 ルビィだけでなく沢山の者を傷付けた償いはしなくてはいけない。小さく息を吐き出し、エンヴィは黒の長に語るべき言葉を考えた。
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