浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅶ 眠らない月

02 懺悔

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 目の前にいる長達にルビィは何も感じなかった。シオンを傷付け心を傷付け、どこに行きたいのかも判らなかった。

 四人と入れ違いで作業小屋に入ってきた女性は黒の長に何かを囁く。

「……離せっ」

 壁に縫いつけられたように動かなかったエンヴィが唸るように叫んだ。

 ルビィは表情を変えぬまま、エンヴィを見る。何も判っていない彼に同情すらわかなかった。

「それは出来ませんよ。お前は罪を犯したのです。自覚がなさすぎますね」

 黒の長は何時もの口調でエンヴィに釘を差す。

「過去していたことだろうがっ」
「おや、調べたのですか」

 黒の長は言うなりルビィを見た。目を細め、傍らの女性に何かを囁く。金の髪の女性に見覚えはない。

「本当にさせるつもりですか」
「あら、決定したのじゃなかったの」

 女性は満面の笑みを見せる。

「もし失敗したとしても、本来の刑罰が与えられるだけ。損失はないんじゃない」

 黒の長だけではない。四人の長達も小さく溜め息を吐いた。更に後ろに主治医と薬師の姿もあった。表情が硬い。

「ルビィ、此方にいらっしゃい」

 黒の長はルビィを呼んだ。彼は小さく頷き目の前まで行く。すると女性が頬に触れてきた。

「貴方は罪を犯した。それは、本来なら極刑を受けるもの。けれど、機会を与えましょう」

 女性は何処か現実味がなかった。おっとりと話すせいなのか、その雰囲気のせいなのか。

「リムリス」

 女性は黒の長を促した。

「私が言うのですか」
「部族長は私じゃないわ」

 黒の長は更に深い溜め息を吐く。目出たい日である筈なのにと全身で語っていた。

「今から言うことは全部族長の決定事項です。拒絶は認めません」

 ルビィは頷いた。最初から覚悟してエンヴィに従ったのだ。何を言われても受け入れる覚悟は出来ていた。

「エンヴィの血を飲みなさい」

 一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。目を見開き、小さく息をのんだ。

「聞こえなかったのですか」

 ルビィは首を横に振った。きちんと聞こえていた。意外な言葉だったからだ。

 少し躊躇い、ゆっくりとエンヴィに近付いた。床と壁に縫いつけられているエンヴィを見下ろす。

「何をする気だっ」

 エンヴィはルビィの様子に恐怖を覚えた。

 ルビィは跪くとエンヴィのシャツのボタンを二個外す。首筋を晒し、機械的に噛み付いた。

 エンヴィは鋭い痛みが何であるのか理解出来なかった。何よりルビィの行動は理解の域を越えていた。

 鼻をつくのは甘い香りだった。耳に入って来るのは何かを飲み下す音だった。首筋が熱を持ち、牙を抜き舐められると肌が粟立った。

「……」

 ルビィは小さく囁く。それは、感情を表さない硬い声だったが、言葉は悲しいくらいに絶望を宿していた。

「シン」

 黒の長は執事を呼んだ。後ろで影のように佇んでいたシンは音もなく主に近付く。

「エンヴィを館に連れて行きなさい」

 簡潔に言うだけでシンは理解したようだった。無表情で小屋に入り、放心しているエンヴィを連れ、そのまま連行した。エンヴィは抵抗をしたのだが、強い力に押し付けられ、意識が何処かに旅立ったようだった。

 女性は跪くルビィに近付く。ゆっくりと肩に触れた。ルビィは驚き振り返る。

「何故、と思っているのでしょう」

 のんびりと問われ、頷くことしか出来なかった。

「貴方は過去を知った。私達とは別のルートで。それは偶然で、でも偶然じゃない」

 ルビィは息をのむ。むせかえる甘い血の香りが纏わりついて離れない。

「私達が見たのは単なる記録。でも、貴方が知った物は違ったんじゃないかしら」

 女性は何もかも知っているような口振りだった。

「……」
「はっきり言った方が良いんじゃない」

 促されルビィは長達を見た。

「僕は知ってます。女性化した者達の辿った道を」

 ルビィは唇を噛み締め、絞り出すように告げた。

「何ですって」

 黒の長の表情が鋭くなった。

 ルビィは知っていた。だが、その部分をエンヴィに話してはいない。話せば、更によくないことを考えると判っていたからだ。

「日記には書かれていました」

 父と母を引き裂き、拘束し、日に日におかしくなっていく。月に一度の面会で判っていく両親の憔悴した姿。幼かった赤子は成長し、どうして両親と引き裂かれ生活しなくてはいけないのか、疑問を持つようになる。

 両親に会うのは必ず満月の前の日だった。

 小さく幼いときなら判らなかったことも、ある程度成長すれば見えてくる。母親は男であり、ある条件下で会うと女性の姿をしていた。

「《太陽の審判》で散っていったことは、日記に書いてありました」

 ルビィは耐えられなかった。耐えきれず、日記を燃やしてしまった。いけないことだとは判っていた。本来なら黒の長に手渡さなくてはいけない。

 おそらく、日記は大切な資料になる筈だ。憎しみと、苦しみを綴ってはいたが、事実も克明に記載されていた。

「判っていて……、止めなかったのですか。お前は本来、このようなことはしないでしょう」

 黒の長は呆れたように吐き出す。

「行動し結果、こうなってしまったのは自分の責任です。ですが、黒の預言者が言ったように機会を与えますよ」

 黒の長は振り返り、他の部族長を見詰めた。彼等は小さく頷く。視線をルビィに戻し、黒の長は重い口を開く。

「お前はエンヴィの血を口にしました。その牙で唇で、我々の前で摂取しました。何故だと思いますか」

 一端、言葉を切り目を閉じる。

「何故、血を飲めと命令したか判りますか」

 ルビィは首を捻った。判る筈がない。血の摂取は基本、長の許可が必要なほど重要だ。無闇に血に触れれば取り返しがつかないことを吸血族なら誰でも知っている。

「日記とやらには書かれていなかったのですか」

 そう問われ頷くことしか出来なかった。

 黒の長はアリスを見た。ルビィの傍らで静かに見守っていた。

「アリス。頼みます」

 黒の長は諦めたようにアリスに全てを託した。アリスは小さく微笑み、諦めたように息を吐き出す。

「貴方は薔薇だから」

 アリスは唐突にルビィに言った。何の前置きもなく、いきなり言われた単語をルビィは理解出来なかった。

「薔薇である貴方は女性となる運命だから。もし、女性となったなら、今回のことはなかったことになる」

 ルビィはアリスを見上げた。何を言われたのか、理解するにはあまりに突飛ない話しだった。

「……僕が……女性に……」

 呟き、声にしても自分の中に染み込んでいかない。

「そう。私はそのために出て来たの」

 アリスは目を細めた。

「本当は《太陽の審判》が下されたわ。でもね、それは薔薇を失うことになる。だから、護られた安全な場所から私は出てきた」
「……どうすれば女性なるって言うの」

 ルビィは震えた。判らないことばかりで、頭が混乱していた。

「血を飲んだじゃない。血は変化をもたらし、縛り付けるもの」

 そして、とアリスは続けたが、口を噤んだ。ルビィは判っているが、否定もしている。その事実をアリスは知っていたからだ。

 自身で認めなければ、想いはただの想いのまま終わる。

「貴方は判っていると言っていたわ。薔薇を攫えば極刑だと。まるで、それを望んでいるかのように」

 ルビィは息が止まりそうになった。目を見開き、瞳が潤みを帯び始める。

「私はずっと口を噤んでいたわ。孫が女性となっても、その友人が女性となっても。でもね、貴方は消えようとする。消えたいと願ってる」
「……孫」

 ルビィは困惑した。女性になったのは二人だけだ。

「カイファスは私の孫よ」

 歯が噛み合わない。寒くもないのに体が震え、冷たい汗が背を流れていった。

「薔薇はやり直すために生まれる。本人達でないことは判っているわね。吸血族は過ちを犯し、そのままでは正常な状態に戻らない」

 アリスはルビィを凝視する。不思議な銀の瞳がルビィを縛り付けているようだった。

「確かに少しずつ元に戻りつつあるわ。けれど、それだけじゃ足りない。吸血族の中に流れる血がそれを許さない」

 ルビィはただ震えた。震えることしか出来なかった。アリスは目を細める。

「貴方が変化すれば貴方と彼は無罪よ」

 アリスはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「その後どうするかは貴方次第。でも、考えて欲しいのは女性への変化はただの変化じゃない。準備が整ったから女性化が始まった」

 アリスは全てを見通すように語る。まるで、今まで見続けていたように、過去の全てを知っているかのように語る。

 ルビィは不意に黒の長の言葉を思い出した。黒の預言者だと言っていた。目の前の女性は普通の者ではない。

「過去を清算するために。過去を知るために。忘れ去られ、誰一人として事実を知らずに今まで来た」

 過去を知ることは必ずしも必要なことではない。

 だが、吸血族は過去を蔑ろにし過ぎたのだ。一族を救った筈の者達を省みず、ただ、事実を消し去ることに終始した。その結果が今の現状だ。

「貴方は直接過去に触れた。少なくとも、他の者達より鮮明な物を見た。例え文字だったとしても、文字が何かを語った筈よ。全ては抹消された筈だった。書庫に残る僅かな記録だけの筈だった。けれど、貴方はまるで導かれるようにそれに触れた」

 アリスは畳み掛けるように言葉を紡ぎ出す。ルビィはどうして良いか判らなくなった。何を考えればいいか判らなかった。
「頭で考える必要はないわ。ただ、想うだけ。二人はその想いに素直だった。だから、ほんの少しの切っ掛けで変化した。じゃあ、貴方は」

 アリスは問い掛ける。意味もなくエンヴィの血を取り込ませたのではない。理由があってしたのだ。無闇に血に触れさせはしない。

 アリスはルビィの耳元に唇を寄せた。

「貴方は彼を愛してる。否定したとしても、体は素直に反応を示すでしょう」

 他の者に聞こえないように囁く。

「否定は心を殺すことよ」

 アリスの言葉が胸に刺さった。

「さあ、立ちなさい」

 アリスはルビィを促した。ルビィはゆっくりと立ち上がり、導かれるまま長達の前まで来た。

「理解しましたか」

 黒の長は何時もの穏やかな口調で聞いてきた。ルビィは小さく頷く。だが、どうしても訊きたいことがあった。

「何故、僕を女性にしようとしたんですか」

 うっすらと涙を湛えた鴇色の瞳でルビィは呟くように訊いた。黒の長は目を細める。

「彼女の言葉を借りるなら、薔薇は護る者だからですよ」

 黒の長は小さく溜め息を吐く。

「彼女の言葉でなければ、こんなことはしませんでした。通常通り極刑ですよ」

 ルビィは両の手をきつく握り締める。

「我が部族の者だけではありませんが彼女のことを知る者は殆ど居ません」

 ルビィは目を見開く。

「彼女はアリスは私の妻ですよ。その特殊な力故に普段は出歩きません」

 黒の長の妻だと聞き、ルビィは驚愕した。何時も一人で居る黒の長に誰も疑問を抱いたことはなかった。

「普通なら聞く耳を持ちませんが、アリスの言葉は真実です」

 黒の長は諦めたよに小さく頭を振った 。

 ほぼ、百発百中のアリスの言葉はある意味恐怖に近い。本人はそのことをよく判っていた。そのため、よほどでなければ人前に現れず、夫にすら視たものを語らない。

 過去も未来もアリスは普通に視てしまう。黒の長はそれを防ぐために、アリスの部屋に特殊な結界を張っていた。

「お前のために安全な場所から出てきたのです。その意味が判りますね」

 ルビィはうなだれ頷くしかなかった。アリスは小首を傾げ、ルビィの右手を両手で包み込むように握り締めた。

「儀式には参加なさい。招待状を受け取ったでしょう」

 アリスの言葉にそこにいた者全てが驚いた。その中で最も驚いたのはルビィだった。

「貴方は見なければいけない。二人の姿は貴方よ」
「……どうして……」

 アリスは柔らかい笑みを見せる。

「まだ、信じていないようだから。女性になると。でも、私には視えているのよ」

 アリスの目にはルビィの姿は今の男性の姿ではなかった。満月の魔力がアリスに見せていたのは、ルビィの女性としての姿だった。

 ルビィは首を横に振った。行けるわけがなかった。大変なことを仕出かし、何もなかった振りで出席するなど出来る筈がない。

「後悔をすることは大切なことよ。でもね、後悔だけでは駄目なのよ」

 アリスは小さく息を吐き出し、黒の長を見た。黒の長はアリスから伝わる思いに更に溜め息を吐く。

 普段、アリスから感情が伝わってくることはない。それは二人の間の暗黙の決め事だからだ。

「ルビィ。自分の意志で行けないというのなら、私が決めましょう」

 黒の長は鋭い視線をルビィに向けた。

「命令です。儀式に出席なさい。全てを見、全てを感じ、そして、彼等の立場を認識なさい。どれだけ好奇の目に晒されているか判る筈ですよ」

 黒の長だけではない、ここに居る者は判っていた。二組の婚礼の儀はある意味見せ物だ。好奇の目に晒され、苦痛を強いられる。

 それでも行わなくてはならない。行わなければ二人を危険に晒す結果になる。全ての部族長が承認したとなれば誰も手出しはしてこない。

 手を出せば極刑だけでなく、血族全てに累が及ぶからだ。

 ルビィは両手で顔を覆った。涙を耐えることが出来なかった。

「行きましょうか。時間がありません」

 黒の長は皆を促した。どんなことがあっても、儀式を延期にするわけにはいかない。延ばせばそれだけ危険が増す。

 決定的な事実を突きつけておかなくてはならない。それは、これから変化する者達のためでもある。シオンのような者を出さないためでもあるのだ。

 変化し苦しむ者を無くすための象徴的な儀式でもある。部族長達は皆判っていた。これは始まりでしかないということを。

 たまたま黒薔薇の部族に変化する者が現れただけだ。おそらく、一番準備が整っていたのだろう。

 アリスという存在が大きいと言うことは判っている。過去を失っていた吸血族のそれを埋める者の存在は大きい。

 ルビィは観念するしかなかった。全てを受け入れるしかなかった。絶望的な思いのまま、重たい脚を踏み出す。それは、荊の道に踏み出す感覚に似ていた。
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