浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅵ 月影

03 葬送

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「何故、歴史から抹消されたのか、考えたことがありましたか」

 カイファスとシオンは息をのんだ。確かにおかしい。吸血族を救ったのなら、きちんと伝えられ書物に記載されるのが普通だ。

 だが、女性化した事実も、その後どうなったのかも、全くと言っていいほど伝えられてはいない。本人達が拒絶したのか。それとも、全く別の理由があるのか。

「歴史の闇に葬られ、正確に記載されていた書物は一つだけでしたよ」

 ファジールが必死で調べなければ、表に出ることはなかっただろう。

 書庫の奥に追いやられ、埋もれるように存在していた。背表紙も、表紙も失われ何について書かれているのか開くまで判らなかった。

 それほどの厚みはなく、文字も書き殴ったような走り書きだ。元々はメモとして使われていたのか、扱いがぞんざいだった。

 簡潔に書かれてはいたが、内容を知るには下手に文章になっていないだけに逆に判りやすかったのだ。その内容に、ファジールと一緒に探していたジゼルは絶句した。あまりに酷い内容だったからだ。

「女性化したのは五人でした。彼等は吸血族が存続するための犠牲になったのですよ」

 黒の長は淡々と事実を語る。

 伝えられていたのは吸血族の女性に蔓延した病のことだけで、どう回避したのかは伝わっていなかった。子孫達に伝えなかったのは、過去に犯した過ちを知られたくなかったからだろう。

 その当時、眠りに着くことが出来た吸血族はいなかった。当事者達は、五人の犠牲で種を残したのだ。

 だが、忘れてはいけないことがある。女性化には相手が必要なのだ。

 吸血族は妊娠すると毎日食事をとる必要があった。だが、女性化した者達は愛した者の血しか受け付けなかったのだ。

「陵辱され、体内に宿るのは愛した者の子ではない。しかも、食事は愛した者の血でした」

 長い時を監禁と陵辱に奪われ、女性化した者達の精神は崩壊寸前だった。辛うじて保てていたのは、愛した者の存在だけだったのだ。

「考えられますか。狭い部屋に監禁され、暴力に近い扱いを受けたのですよ。お前達はそれをシオンに強いるつもりですか」

 黒の長は冷たく言い放った。

 あからさまに怯えたのは、カイファスとシオンだった。

 そんな事実は知らない。

 カイファスは一人立ち尽くし、体が崩れていきそうだった。つまり、過去の惨劇は吸血族の体内に脈々と流れていることになる。

 ゼロスはそんなカイファスに近付き抱き締めた。アレンも強くシオンを抱き寄せる。

「お前達は血の契約者を略奪しただけではなく、吸血族が過去犯した過ちを繰り返そうとした。それは大罪ですよ」

 ルビィが実際、どの程度判っていたのかは判らない。

 ルビィは何も言わなかった。ただ、黒の長から向けられた言葉を無言で受け取った。

 一方、エンヴィは鋭く睨みつけていた。長達であろうと、過去がどうであろうと、彼には関係なかった。

「アレン」

 黒の長はアレンに視線を向け、ついでゼロスを見た。

「そして、ゼロス。二人を連れて準備をなさい。時間がありませんから」

 二人は頷いた。だが、シオンは小さく首を振った。アレンは訝しみシオンを見下ろした。

「衣装が……」

 泣きそうな表情でアレンに縋るように、その胸に顔を伏せた。

 引き裂かれた衣装は、修理するには時間がかかりすぎる。アレンは少し考え、長達の後ろにいるジゼルに視線を向けた。

「お袋」

 アレンに呼ばれジゼルは首を傾げた。

「お袋の婚礼衣装を貸してくれ」

 ジゼルは目を見開き、シオンは驚いたように顔を上げた。

 シオンの婚礼衣装は元のデザインがジゼルの婚礼衣装を参考にしていた。使うことに異論はなかったが、問題があったのだ。

 ジゼルは紅薔薇の部族の出身で、当然、衣装の色は真紅だ。二部族の長の許可がなければ、使用出来ない。

 黒の長は小さく息を吐き出し、苦笑した。アレンが言いたいことは判る。振り返り、紅の長を見た。

「構いませんか」

 紅の長はちらりとシオンに視線を向け、頷いた。

「状況が状況だ。ジゼルの息子の花嫁なら、我が部族にとってもそうだということだ」

 黒の長は頷くとジゼルを見た。

「許可しますよ。用意しなさい」

 黒の長は再度、促した。ぐずぐすしていては夜が終わってしまう。今回を逃せば、次は一ヶ月後だ。

 ゼロスはカイファスを伴い、アレンはシオンを抱き上げ小屋の外に出た。

 そして、入れ替わるように一人の女性が小屋の中に入って行った。

 アレンとゼロスは顔を見合わせる。その女性を見たことがなかったからだ。不思議な雰囲気を持った女性を二人は見送った。

「急ぎましょう」

 ジゼルに促されゼロスはカイファスを抱き上げた。そして、走り出す。空を見上げると、月は沖天に達していた。確かに時間がなかった。

「ルビィはどうなるの」

 シオンは不安な表情でアレンに問い掛けた。だが、アレンには判らない。決めるのは長達だからだ。

 シオンも吸血族だ。血の契約者の略奪は極刑だと判っている。だが、何をされたとしてもルビィは友人なのだ。

「まだ、大丈夫よ。《太陽の審判》と決まってないわ」

 ジゼルはシオンにそう言った。その言葉に四人は目を見開いた。

「でも、《太陽の審判》の方がましかもしれなくってよ」

 一緒に走っていたレイチェルの言葉に更に驚いた。

「どう言うことだ」

 ゼロスは困惑した。ゼロスだけじゃない。三人も同じだった。《太陽の審判》の方がましだと思うこととは何なのか。

「私達の口からは言えない。後で詳しく教えてくれる筈よ」
「今は自分達のことを考えなさい」

 母親二人に言われ、四人は口を噤んだ。

 館に到着すると、着替えるために用意された部屋に飛び込む。すると、ゼロスとアレンは待ち構えていた者達に連れ去られた。

 カイファスも強引にレイチェルに連行された。シオンは不安な面持ちで一人、部屋に取り残されてしまった。ジゼルは部屋に入って来ることなく、そのまま二階に走って行ってしまった。

 シオンは改めて衣装に視線を落とした。

 女性の婚礼衣装は両親が用意するのが普通だった。だが、シオンは両親と絶縁状態で用意したのはファジールとジゼルだった。

 ジュディが用意すると言ったのだが、姉弟が用意するものではないとジゼルに言われ、渋々、従った。

 シオンにしてみれば、衣装を用意してくれただけでも申し訳ないと思っていた。その衣装は役目すら果たせずに破られてしまった。

「その衣装は後で修理しましょう」

 お針子と共に現れたジゼルはシオンの様子に気が付き、慰めるように優しく言った。

「お母さん……」

 情け無いくらい憔悴しているシオンを、ジゼルは優しく抱き締めた。

「貴女のせいじゃないわよ。気にするのはやめなさい」

 シオンは小さく頷いた。

「さあ、着替えましょう」

 そう言うなり、シオンは着ていた衣装を脱がされてしまった。着るのも脱ぐのも大変な筈なのに、あまりの手際の良さにシオンは硬直してしまった。

「さあ、時間がないわよ」

 アンダードレス姿のシオンを急がせ、ジゼルはお針子と共に手際よく真紅の婚礼衣装をシオンに着せた。

「やっぱり、少し大きいわね」

 ジゼルはお針子に指示を出し、あっという間にサイズを直してしまう。

 そして、シオンは少し顔を上げた。目の前に先まで身に着けていた衣装がマネキンに着せられていた。胸元が裂けたその姿に泣きたくなった。

「シオン」

 ジゼルに優しく名を呼ばれ、シオンは声のする方に顔を向けた。

「このドレスは真紅だけじゃないのよ」

 そう言われ、シオンは首を傾げた。ジゼルは言った後、少しだけ裾を持ち上げる。そこにあった色にシオンは少し息をのんだ。

 そこに見えたのは真紅の下に隠れていた漆黒の色だった。赤から黒へ、綺麗に色が変化するように布が使われていた。

「私の父が注文した物なんだけど、初めて見たときは驚いたのよ」

 ジゼルの父親の職業は彫金師だった。美しい物を見る目は誰にも負けない。その父親が考えた衣装は、娘の今後のことを考えた作りをしていたのだ。

 紅薔薇の部族から黒薔薇の部族に嫁ぐ。それは、今の吸血族の中では異例なことだった。それ故、ジゼルの父親は考えに考え、この衣装を注文したのだ。

「二つの部族の色よ。貴女は私の娘になるの。遠慮するのはやめなさい。こんな苦労は苦労の内には入らないのよ」

 ジゼルは立ち上がると、お針子に漆黒の衣装の修理をするように指示を出した。お針子は小さく頷くと、衣装と共に部屋を出て行った。

「さあ、よく見せて頂戴」

 ジゼルの言葉にシオンは改めて恥ずかしくなった。今まで着たことがない華やかな色の衣装。慣れないせいか、酷く落ち着かなかった。

「やっぱり、可愛いわ」

 ジゼルは両手を組み、うっとりと呟いた。

「お人形みたいね」

 扉の開く音がした後、そんな言葉が飛び込んできた。ジゼルは声の主が誰であるのかすぐに判り、体ごと振り返る。

「そうでしょう」

 そこにいたのはレイチェルだった。

「アレンには勿体無いと思わない」

 一緒に入ってきたカイファスは苦笑した。本人が聞いたら、目を剥く筈だ。

「カイファス」

 シオンは不安気にカイファスを見た。

「大丈夫だ。アレンがいるだろ」

 シオンは小さく頷く。だが、不安が完全に消える訳ではない。

 本来は男の身で、身に着けている衣装は真紅だ。ただでさえ普通ではないのに、他の人に変に思われてしまうのではないか。

 自分だけなら我慢も出来る。だが、アレンだけではなく、ファジールやジゼルにも迷惑がかかるのではないか。

「何を躊躇ってるんだ」

 カイファスの一言に、ジゼルとレイチェルが口を噤み、二人を見た。

「だって、僕は両親に疎まれて、こんな騒ぎにもなって、みんなに迷惑をかけたんだ」
「シオンのせいじゃないだろ」

 カイファスに諭すように言われ、シオンは唇を噛み締めた。

「お母さんも言ってくれたよ。でも、そう思わない者も居るじゃない」
「言いたい者には言わせておけばいいのよ」

 シオンの言葉が終わらないうちに、言い切ったのはレイチェルだった。

「今回の騒動だって、シオンのせいではないでしょう。とやかく言いたい者には言わせておけばいいの」

 念を押すようにレイチェルは繰り返した。

「この婚姻は全部族長様が認めたものよ。異議があるなら、長様達に言えばいい」

 ジゼルもきっぱり言い切った。カイファスはシオンを見詰め、小さく頷いた。

 カイファスはシオンに近付いた。そして、優しく抱き締める。

「昔とは違うんだ。気兼ねする必要も、我慢する必要もないんだよ」

 耳元で囁かれた言葉にシオンは縋った。

「素直になればいい。ジゼルさんはそれを望んでる筈だ」

 カイファスはシオンを離すと、顔を覗き込んだ。

「さあ、髪をセットしなくてはいけなくってよ」
「そうよ。時間がないのよ」

 レイチェルとジゼルは慌てたように二人を鏡の前に立たせた。

「ありがとう」

 隣にいるカイファスに、シオンは小さく感謝の言葉を口にした。
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