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Ⅲ 薔薇の呪縛
03 審判
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シオンは弾かれたように顔を上げ、外にいた人物を見るなり白い顔が青味を帯びた。
「お前はどうする」
ゼロスの問いにアレンは戸惑っていた。カイファスの隣りで大きな瞳を見開いている美少女がシオンであると、目にしても信じられなかった。
女性化する為に必要な条件は知っている。頭が混乱したまま、アレンは前髪を握り締めた。
「冗談じゃない……」
自然に口から漏れた出た言葉にシオンの顔から完全に表情が消えた。
「命乞いか」
次の言葉にシオンは眉間に深い皺を刻む。
三人は二人をただ見守る。これは本人達でなければ解決しないからだ。
シオンは一度、目を閉じた。結果は判っていたとはいえ、本人の口から漏れ出た言葉は心を深く抉った。
女性化しているせいなのか、シオンは思いも寄らぬ行動をとる。いきなり立ち上がり、足をアレンに向け目の前まで歩いていく。そして、その動きのまま平手をアレンの頬にお見舞した。
軽い音が室内に響き渡る。
「馬鹿にしないでっ」
シオンはアレンを睨み付け叫んだ。
「こんな姿だけど、僕だって吸血族だよっ。プライドがない訳じゃないっ」
怒りに体を震わせた。
「アレン」
長は椅子に座ったままアレンの名を口にする。アレンは視線をシオンから長に向けた。
「シオンはただ、私に説明するために来ただけですよ。許可を貰うためにね」
長は冷静な口調で事実を口にする。
「安心して。もう二度とアレンの前に現れないから」
シオンはアレンを睨み付けたまま、唸るように言った。
「僕は《太陽の審判》の許可を取りに来ただけだよ。命乞いなんかしない」
アレンは《太陽の審判》の言葉に息をのんだ。
吸血族の最高刑。
それはこの世からの完全な消滅を意味した。
「長様」
シオンは振り返った。
「これで理解してもらえましたか」
シオンの言葉に長は頷いた。
「仕方ないですね」
諦めたような溜め息が漏れる。
「シン」
長は音もなく現れた執事に声をかけた。
「シオンをあの部屋に」
短い命令に執事は頷いた。
「シオン。判りました。ですが、立会人が必要であることは判っていますね」
立会人の言葉にシオンは軽く目を見開いた。
「僕は罪人です。立会人は必要ないでしょう」
長は軽く首を振る。長にとってシオンは罪人ではない。本来なら、絶対に守らなくてはならない命だ。しかし、本人の意志、相手であるアレンの気持ちが最悪な選択をする結果になった。
「罪人ではないでしょう。本当の罪人はアレンですよ」
長は目を細め射るようにアレンを睨み付けた。
アレンは今、口走った言葉がシオンの今後を決めたことに衝撃を受けていた。何より長は自分が罪人であると断言していた。
記憶が残っておらず、度を越したお酒が何をもたらしたのか、考えたことすらなかった。
「さよなら、アレン」
シオンの有り得ないくらい落ち着いた声に我にかえる。シオンは振り返ることなく執事の元に歩を進めていた。
凍り付いたように動かない体に、アレンは強く拳を握る。
「お祖父様、私も付いていっていいですか」
「構いませんよ」
カイファスは許可を得るとシオンの後を追っていった。
ゼロスは視線で二人を見送った後、再びアレンに視線を戻す。
「立会人とは」
ゼロスは長に問い掛けた。長はゼロスを一瞥し、前方を見据える。
「罪人は縛り付けられた状態で刑を執行しますから立会人は必要ありません。ですが、自分の意志で審判を受ける場合、自身の足で太陽の元に行くのです」
長は一端言葉を切り、続けた。
「大抵は逃げ出すことはありませんが、稀に逃げてしまう者もいるのですよ。そうすると、その者は別の苦痛を更に味わうことになります」
長はゼロスを二度見ると悲しげに眉を顰めた。
「つまり、逃げ出さないように監視すると言うことです。審判が滞りなく実行されるために」
ゼロスは目を細めた。
「つまり、立会人は吸血族ではない別の種族の者が行うのか」
「そうです。我々は太陽の光に晒されれば灰になる運命。本来なら私が立ち会うのが筋でしょうが無理ですからね」
だが、刑が執行されるとき長は扉の前で立ち合うのが慣わしだった。
「俺じゃあ、駄目なのか」
ゼロスの意外な言葉に長は目を見開いた。
「立会人は親しい者がなるものではないのですよ。太陽に晒されれば苦痛にのた打つ姿を見ることになります。親しければ、親しいほど立ち会った者も苦しむのです」
長は諭すようにゼロスに言った。だが、ゼロスは涼しい顔を長に向ける。
「全くの他人に見守られて嬉しい奴がいるかよ」
ゼロスはぽつりと呟いた。
ゼロスの意外な言葉に長は一瞬、沈黙した。
正論から言えば確かにゼロスの言っていることは正しい。だが、正しいからと簡単に認めるわけにはいかなかった。
通常の覚悟では生温いのだ。
「立ち会った後、苦しむかもしれませんよ」
「それがどうした。シオンは誰かに命令されたわけではなく、自分自身で決めたんだ。最後まで見てやるのが友人ってもんだろうが」
アレンは弾かれたように顔を上げた。
「狂気が始まっても自分の意志で抑えつけてな」
ゼロスは腕を組み、仁王立ちだ。そのゼロスが言った言葉がアレンを抉った。
キョウキガハジマッテイル
それは聞き逃していた言葉だ。シオンが語っていたのが真実なら、血を摂取したのは半年以上も前だ。
そこで改めて凍り付いた。自分はシオンを酷く傷付けたんじゃないか。
「あんたはカイファスとの仲を認めてくれた。俺は銀狼なのにな」
長は小さく息を吐き出す。好き好んで認めたわけではない。端から見れば孫に甘い祖父に見えるのかもしれない。
「本意ではないのですよ」
苦笑混じりに長は答える。
「それに、回避出来る可能性が零ではないだろ」
ゼロスはそう言うなりアレンを見た。アレンは射竦められ息をするのも苦しく感じた。
二人に見詰められ、アレンは改めて考えた。
シオンとの友人関係は実はカイファスより古い。アレンとカイファスの母親は親友であったのだが、レイチェルはカイファスを産んだ際に体調を崩し長く静養していた。
そのせいかカイファスに会ったのは成人してからだった。
一方、シオンと面識を持ったのは偶然に近かった。医師であるアレンの父の元にシオンは患者として現れたのだ。
その姿に誰もが息を飲んだ。体中にある無数の痣。一緒に来たのは親ではなく、姉のジュディだった。
木から落ちたのだと言っていたが、明らかに間違いであることは誰が見ても判る程だった。
自宅に帰すのは危険だと感じたアレンの父は、シオンを預かった。その際、親しくなり今でも交流が続いている。
しかし、その関係も自身が吐いた言葉で終わりを迎えようとしてた。前髪を掻き揚げ、強く握りしめた。最近、失態ばかりを繰り返していることに嫌気がさした。
「アレン、ひと月です」
長は一言告げた。
アレンは何を言われたのか判らず混乱する。
「シオンが正気を保てる期間ですよ」
長は永い時を生き、シオンの状態で正気でいられるのは一ヶ月が限界であると判断していた。
「考える猶予期間です」
鋭い視線を投げかけ、アレンに突き付けた。
「ひと月……」
「それ以上はシオンを苦しめ、狂っていく自分を苛みながら自我が無くなっていき、狂気が蝕んでいくのを受け入れていくしかありません」
長はその後の言葉を目を細めて噤んだ。瞳は語っている。全てはアレンの気持ち一つであると。
「お前は判っている筈ですよ。吸血族の現状を。失ってよい命はないことを」
長は立ち上がり、アレンに向き直る。
「お前は医者なのですよ」
アレンは唇を噛み締め、俯いた。
「よく考えなさい。刑の執行はひと月後、満月の次の日です」
それ以上はシオンの負担でしかない。いくら意志が強くとも、血の渇きは異常な強さで襲いかかってくる。
†††
「ジュディに知らせても構わない」
カイファスはある一室の前まで来たとき、シオンに問い掛けた。
「親は受け入れないのは判ってる。でも、ジュディはどんなシオンでも受け止めてくれる筈だ」
シオンはゆっくりとした動作でカイファスを見た。その瞳に覇気はない。
「姉さん」
やっと言葉を理解したのか、少しの反応を見せる。
「絶対に会いたがる」
カイファスは念を押すように言い切った。
シオンは霞のかかっていく意識の中でカイファスの言葉使いと、見た目の違いに苦笑した。完全な女性の姿で、話す言葉は前のままだ。
「シオン」
いきなり笑ったシオンにカイファスは怪訝な表情をした。
「姉さんに知らせてくれるの」
執事が扉の鍵を開けるのを見詰め、呟くように言った。ジュディとも久しく会ってはいない。自分自身のことに精一杯で、周りに気を使う余裕はなかった。
カイファスは頷くとシオンは破顔した。彼にとっての家族は姉だけだ。両親はただ、シオンという存在を生み出したと言うだけだった。
彼等から与えられたのは苦痛と孤独。愛情など向けられたことはなかった。
「シオン様」
執事は扉を開くとシオンを促した。シオンは小さく頷き躊躇わずに歩を進める。
シオンは背中で扉が閉められたのを感じた。微かに聞こえてきた扉の閉まる音を聞きながら、室内を見渡す。
夜目がきくので明かりがなくとも確認は容易に出来た。
その部屋には時間を認識するものは何もなかった。窓があると思いカーテンに手をかけ引いたが、そこにあったのは壁だけだった。
完全に外界から隔絶するように部屋は設えられていた。
「凄い部屋」
シオンは誰に言うでもなく呟いた。
外の情報が無いということは、時間を知ることが出来ず、結果、ただでさえ狂っている体内時計が時間そのものを認識しない。
この部屋は精神を護るため、時間感覚を無くすのを目的としていることが判る。
ただ、それは精神的に異常をきたしているからこそ効果がある。通常の精神状態でこの部屋にいれられたら、気が狂うのではないだろうか。
シオンは俯き、先のアレンを思い出していた。拒絶されるのは判っていた。だからこそ、本人に告げずに長に会いに来た。
だが、全ては知られ、あからさまな拒絶を受けてしまった。これがカイファスなら、アレンは受け入れた筈だ。シオンはつくづく自分という存在に嫌気がさしていた。
「後、何日苦しむんだろう」
小さく呟く。立会人が必要だと言われたからには、他の種族の者に依頼しなければならない。
それにかかる時間がどれほどなのか判らないが、決まるまで自我を保ち続けなければいけない。
幸い、カイファスとゼロスが生気をくれたので、何とかなるかもしれないが長くは保たないだろう。
「早く楽になりたい」
シオンは両手で顔を覆いうずくまった。
カイファスがジュディに連絡してくれると約束してくれたため、少なくとも血族に知られず消えるのだけは避けられる。シオンは闇に沈む部屋の中で一人、打ちひしがれていた。
†††
シオンの中であの日から時間が止まってしまった感覚があった。長に面会した次の日、ジュディがシオンの元に来た。次の日と判った理由は、女性から男性へと変化したからだ。
そうでなければ、時間感覚のないシオンに判る筈はない。
ジュディは毎日シオンに会いに来ると言っていたが、シオンにとって毎日の時間が判らなくなっていた。確かに何回もジュディはシオンの元に来た。そのたびに、生気を分けてくれた。
狂気を抑えるのに協力してくれたことに感謝はするが、毎回分けてくれる生気はジュディの命だ。毎回断るが、強引に与えられてしまう。
いきなり扉がノックされ、鍵が開けられた。また、ジュディが来たのかと思ったがそうではなかった。
現れたのは執事のシンだった。
「シオン様。長様がお呼びです」
仕草で部屋を出るように促され、自由がきかなくなり始めた体に鞭打ち従った。
部屋の外の空気は新鮮で爽やかなものだった。籠もりきった空気と違い、たえず流れている空気では香りも違う。
シオンは目を閉じ、空気を思い切り吸い込んだ。執事はその様子をしばらく見ていたが、直ぐに付いてくるように促す。
シオンは頷き後について歩きだした。窓には全てカーテンが引かれていた。
何故、カーテンが引かれているのか。訝しみながらも後を付いて行く。
ある部屋につくと確認もとらずに執事はシオンを中へ導き、すぐに退出した。
「シオン」
その声と共にフワリと何かに包まれた。誰かに抱き締められたと認識するのに数秒を要し、ようやく理解する。
「姉さん」
シオンは久々に光の下でジュディを見た。
「シオン、意識はしっかりとしていますか」
おっとりと問われ、視線を向けた。視線の先には長がいた。カーテンを引いた窓辺に立ち、シオンをしっかりと見据えている。
ジュディに抱き締められながら、改めて周りに視線を向けた。
ジュディの側には夫のルディがおり、痛まし気にシオンを見ていた。
更に注意を向ければゼロスの姿を確認出来、ついで目に入った人物に目を見開いた。ゼロスの隣にはカイファスがいた。そのことに驚いたのではない。最近、二人は一緒にいる場合が多く、シオンも既に二人一組の認識が強くなりつつあった。
驚いたのはカイファスの姿だ。彼は女性化していた。つまり、今日は満月なのだ。長に面会してから一ヶ月の時間が流れていたことに驚いたのだ。
ジュディは毎日会いに来ると言っていたが、毎日にしては来た回数が少なすぎる。慌ててジュディに視線を向けた。
「ジュディに非はありませんよ」
長はシオンの表情を読み取り、そう告げた。
「お前のため、私が命令しました。三日に一度来るようにと」
シオンは驚きに息が詰まった。あの部屋に入ってから体も心も不思議と落ち着いた。ジュディに生気を貰っていたこともあるだろうが、それだけではなかった事実にきつく目を瞑った。
「シオン、お前の思っている通り今日は満月です」
長は淡々と告げる。
「最後にもう一度、あの姿を見せて下さい」
シオンは小さく頷き、ジュディを体から離した。
ジュディは苦痛に顔を歪ませ、それでもシオンの意志に従った。
ゆっくりと歩を進め長の前に来た。長は柔らかい表情で微笑み、カーテンに視線を向けた。
太陽光を遮断する目的のカーテンはかなりの厚みがあり、一面に刺繍が施されている手の込んだ作りの物だ。そのカーテンにシオンは手を伸ばした。しっかりと握り締め、左右にカーテンを開ける。
カーテンの外には満月があった。この部屋は、満月を正面に見据える位置にあったのか、月の光が容赦なくシオンに降り注いだ。
体がざわめく。
月の魔力が光となりシオンの中の何かを変化させようと蠢き始めた。
一瞬の痛み。
その痛みがもたらすものが何であるのか理解していた。
自身を抱き締め、変化の苦痛に耐える。
カイファスはゼロスの服の裾を握り締める。今、この場所で変化の際に与えられる苦痛を知っているのは彼だけだった。
眉を顰め痛まし気にシオンを見詰めた。カイファスは変化の苦痛に耐えるべき理由がきちんとある。ゼロスを思っての変化であり、ゼロス本人が受け入れてくれているからこそ意味がある。
だが、シオンは違う。アレンに拒絶されその変化は全く意味をなさないものになってしまった。
では、他の人ではとの考えが出るのではないか。しかし、変化には心が伴う。想った者でなければ変化の苦痛に耐え続けるのは単なる苦痛でしかない。
月の魔力は確実にシオンの中に染み渡り、震える背中が、体が一回り小さくなる。
そして、目の前で劇的な変化が起こったとき、ジュディは両手で口を塞ぎ目を見開いた。ルディも息を飲んだ。
独特の色合いの金の巻き髪が一気に背を流れた。ふわりと舞い上がり、シオンは深い息を吐き出し長を見た。
長は目を細め、シオンの頬に触れる。皆を振り返ったシオンは憂いを帯びた澄んだ瞳でジュディを見詰めた。
ジュディはその姿に、驚き息をすることさえ忘れたように見入った。そして、震えるように声を吐き出した。
「許さない」
皆が一斉にジュディに視線を向けた。
「アレンは何故、見捨てることが出来るのっ」
ジュディは両目に涙を浮かべ叫んだ。
「何故、思いを無視出来るのっ」
シオンは小さく首を横に振った。アレンを責めるのはお門違いだ。
「悪いのはアレンじゃないよ。全ては僕が不注意だったから」
シオンは自虐的に呟いた。
「誰かを責めても現実は変わらないよ。僕は望まれていなかっただけ。アレンだけじゃない」
シオンは溜め息のように息を吐き出した。
「父さんも母さんも僕を必要としていなかった。僕に存在意味は存在しない。ただ、現実を知っただけだよ」
長は痛まし気にシオンの両肩に手を乗せた。
「そんなことはありませんよ」
長は穏やかに言った。
「シオン」
長は改まったように口調を変える。その場にいたシオン以外の人達は一様に表情を曇らせた。
「今日、夜明けに執行します。気持ちは変わらないですね」
念を押すように告げた。シオンは小さく頷く。
誤魔化され騙されていたから正気でいられた。だが、それは一時的に効果があるだけで長くは続かない。何時、人を襲うか判らない状態のまま生き続けるのは困難だ。
長は長い溜め息を吐いた。とうとう、アレンから返事はなかった。確かに一ヶ月という時間は短いのかもしれない。
しかし、シオンには永遠に近い時間だ。少しずつ何かが狂い意識が消えていく。そこに残るのは血に飢えた狂人でしかない。
「立会人ですが……」
長は言葉を切り、ゼロスに視線を向けた。ゼロスは目を細め先を促す。長は更に溜め息を吐いた。
「ゼロスが立会人です」
シオンは弾かれたように振り返った。大きく目を見開き、長を凝視する。それは、有り得ないことだった。親しい者がなるには酷な役目だ。
「それはっ」
シオンは長の服にしがみついた。
「絶対に駄目です。ゼロスに苦痛を与えるなんて出来な……」
シオンは両目から涙が溢れ出た。
「シオン、本人の意思です。私も諭したのですよ」
長は困ったように肩を竦めた。
「俺が最期まで見ていてやる」
ゼロスは何時もと変わらぬ態度で言い切った。
ジュディも驚いたようにゼロスを見詰めていた。
「いいか。結局は皆が苦しむんだよ。見ていようが見ていなかろうが、そんなものは変わらない。感じるか視界にはいるかの違いだ。違うか」
ゼロスの言葉にシオンは脅えに似た感情で彼を見た。ゼロスの瞳は何時になく凪いでおり、シオンは泣き崩れた。
「……有り難う……」
シオンはただ、感謝の言葉を口にした。
「お前はどうする」
ゼロスの問いにアレンは戸惑っていた。カイファスの隣りで大きな瞳を見開いている美少女がシオンであると、目にしても信じられなかった。
女性化する為に必要な条件は知っている。頭が混乱したまま、アレンは前髪を握り締めた。
「冗談じゃない……」
自然に口から漏れた出た言葉にシオンの顔から完全に表情が消えた。
「命乞いか」
次の言葉にシオンは眉間に深い皺を刻む。
三人は二人をただ見守る。これは本人達でなければ解決しないからだ。
シオンは一度、目を閉じた。結果は判っていたとはいえ、本人の口から漏れ出た言葉は心を深く抉った。
女性化しているせいなのか、シオンは思いも寄らぬ行動をとる。いきなり立ち上がり、足をアレンに向け目の前まで歩いていく。そして、その動きのまま平手をアレンの頬にお見舞した。
軽い音が室内に響き渡る。
「馬鹿にしないでっ」
シオンはアレンを睨み付け叫んだ。
「こんな姿だけど、僕だって吸血族だよっ。プライドがない訳じゃないっ」
怒りに体を震わせた。
「アレン」
長は椅子に座ったままアレンの名を口にする。アレンは視線をシオンから長に向けた。
「シオンはただ、私に説明するために来ただけですよ。許可を貰うためにね」
長は冷静な口調で事実を口にする。
「安心して。もう二度とアレンの前に現れないから」
シオンはアレンを睨み付けたまま、唸るように言った。
「僕は《太陽の審判》の許可を取りに来ただけだよ。命乞いなんかしない」
アレンは《太陽の審判》の言葉に息をのんだ。
吸血族の最高刑。
それはこの世からの完全な消滅を意味した。
「長様」
シオンは振り返った。
「これで理解してもらえましたか」
シオンの言葉に長は頷いた。
「仕方ないですね」
諦めたような溜め息が漏れる。
「シン」
長は音もなく現れた執事に声をかけた。
「シオンをあの部屋に」
短い命令に執事は頷いた。
「シオン。判りました。ですが、立会人が必要であることは判っていますね」
立会人の言葉にシオンは軽く目を見開いた。
「僕は罪人です。立会人は必要ないでしょう」
長は軽く首を振る。長にとってシオンは罪人ではない。本来なら、絶対に守らなくてはならない命だ。しかし、本人の意志、相手であるアレンの気持ちが最悪な選択をする結果になった。
「罪人ではないでしょう。本当の罪人はアレンですよ」
長は目を細め射るようにアレンを睨み付けた。
アレンは今、口走った言葉がシオンの今後を決めたことに衝撃を受けていた。何より長は自分が罪人であると断言していた。
記憶が残っておらず、度を越したお酒が何をもたらしたのか、考えたことすらなかった。
「さよなら、アレン」
シオンの有り得ないくらい落ち着いた声に我にかえる。シオンは振り返ることなく執事の元に歩を進めていた。
凍り付いたように動かない体に、アレンは強く拳を握る。
「お祖父様、私も付いていっていいですか」
「構いませんよ」
カイファスは許可を得るとシオンの後を追っていった。
ゼロスは視線で二人を見送った後、再びアレンに視線を戻す。
「立会人とは」
ゼロスは長に問い掛けた。長はゼロスを一瞥し、前方を見据える。
「罪人は縛り付けられた状態で刑を執行しますから立会人は必要ありません。ですが、自分の意志で審判を受ける場合、自身の足で太陽の元に行くのです」
長は一端言葉を切り、続けた。
「大抵は逃げ出すことはありませんが、稀に逃げてしまう者もいるのですよ。そうすると、その者は別の苦痛を更に味わうことになります」
長はゼロスを二度見ると悲しげに眉を顰めた。
「つまり、逃げ出さないように監視すると言うことです。審判が滞りなく実行されるために」
ゼロスは目を細めた。
「つまり、立会人は吸血族ではない別の種族の者が行うのか」
「そうです。我々は太陽の光に晒されれば灰になる運命。本来なら私が立ち会うのが筋でしょうが無理ですからね」
だが、刑が執行されるとき長は扉の前で立ち合うのが慣わしだった。
「俺じゃあ、駄目なのか」
ゼロスの意外な言葉に長は目を見開いた。
「立会人は親しい者がなるものではないのですよ。太陽に晒されれば苦痛にのた打つ姿を見ることになります。親しければ、親しいほど立ち会った者も苦しむのです」
長は諭すようにゼロスに言った。だが、ゼロスは涼しい顔を長に向ける。
「全くの他人に見守られて嬉しい奴がいるかよ」
ゼロスはぽつりと呟いた。
ゼロスの意外な言葉に長は一瞬、沈黙した。
正論から言えば確かにゼロスの言っていることは正しい。だが、正しいからと簡単に認めるわけにはいかなかった。
通常の覚悟では生温いのだ。
「立ち会った後、苦しむかもしれませんよ」
「それがどうした。シオンは誰かに命令されたわけではなく、自分自身で決めたんだ。最後まで見てやるのが友人ってもんだろうが」
アレンは弾かれたように顔を上げた。
「狂気が始まっても自分の意志で抑えつけてな」
ゼロスは腕を組み、仁王立ちだ。そのゼロスが言った言葉がアレンを抉った。
キョウキガハジマッテイル
それは聞き逃していた言葉だ。シオンが語っていたのが真実なら、血を摂取したのは半年以上も前だ。
そこで改めて凍り付いた。自分はシオンを酷く傷付けたんじゃないか。
「あんたはカイファスとの仲を認めてくれた。俺は銀狼なのにな」
長は小さく息を吐き出す。好き好んで認めたわけではない。端から見れば孫に甘い祖父に見えるのかもしれない。
「本意ではないのですよ」
苦笑混じりに長は答える。
「それに、回避出来る可能性が零ではないだろ」
ゼロスはそう言うなりアレンを見た。アレンは射竦められ息をするのも苦しく感じた。
二人に見詰められ、アレンは改めて考えた。
シオンとの友人関係は実はカイファスより古い。アレンとカイファスの母親は親友であったのだが、レイチェルはカイファスを産んだ際に体調を崩し長く静養していた。
そのせいかカイファスに会ったのは成人してからだった。
一方、シオンと面識を持ったのは偶然に近かった。医師であるアレンの父の元にシオンは患者として現れたのだ。
その姿に誰もが息を飲んだ。体中にある無数の痣。一緒に来たのは親ではなく、姉のジュディだった。
木から落ちたのだと言っていたが、明らかに間違いであることは誰が見ても判る程だった。
自宅に帰すのは危険だと感じたアレンの父は、シオンを預かった。その際、親しくなり今でも交流が続いている。
しかし、その関係も自身が吐いた言葉で終わりを迎えようとしてた。前髪を掻き揚げ、強く握りしめた。最近、失態ばかりを繰り返していることに嫌気がさした。
「アレン、ひと月です」
長は一言告げた。
アレンは何を言われたのか判らず混乱する。
「シオンが正気を保てる期間ですよ」
長は永い時を生き、シオンの状態で正気でいられるのは一ヶ月が限界であると判断していた。
「考える猶予期間です」
鋭い視線を投げかけ、アレンに突き付けた。
「ひと月……」
「それ以上はシオンを苦しめ、狂っていく自分を苛みながら自我が無くなっていき、狂気が蝕んでいくのを受け入れていくしかありません」
長はその後の言葉を目を細めて噤んだ。瞳は語っている。全てはアレンの気持ち一つであると。
「お前は判っている筈ですよ。吸血族の現状を。失ってよい命はないことを」
長は立ち上がり、アレンに向き直る。
「お前は医者なのですよ」
アレンは唇を噛み締め、俯いた。
「よく考えなさい。刑の執行はひと月後、満月の次の日です」
それ以上はシオンの負担でしかない。いくら意志が強くとも、血の渇きは異常な強さで襲いかかってくる。
†††
「ジュディに知らせても構わない」
カイファスはある一室の前まで来たとき、シオンに問い掛けた。
「親は受け入れないのは判ってる。でも、ジュディはどんなシオンでも受け止めてくれる筈だ」
シオンはゆっくりとした動作でカイファスを見た。その瞳に覇気はない。
「姉さん」
やっと言葉を理解したのか、少しの反応を見せる。
「絶対に会いたがる」
カイファスは念を押すように言い切った。
シオンは霞のかかっていく意識の中でカイファスの言葉使いと、見た目の違いに苦笑した。完全な女性の姿で、話す言葉は前のままだ。
「シオン」
いきなり笑ったシオンにカイファスは怪訝な表情をした。
「姉さんに知らせてくれるの」
執事が扉の鍵を開けるのを見詰め、呟くように言った。ジュディとも久しく会ってはいない。自分自身のことに精一杯で、周りに気を使う余裕はなかった。
カイファスは頷くとシオンは破顔した。彼にとっての家族は姉だけだ。両親はただ、シオンという存在を生み出したと言うだけだった。
彼等から与えられたのは苦痛と孤独。愛情など向けられたことはなかった。
「シオン様」
執事は扉を開くとシオンを促した。シオンは小さく頷き躊躇わずに歩を進める。
シオンは背中で扉が閉められたのを感じた。微かに聞こえてきた扉の閉まる音を聞きながら、室内を見渡す。
夜目がきくので明かりがなくとも確認は容易に出来た。
その部屋には時間を認識するものは何もなかった。窓があると思いカーテンに手をかけ引いたが、そこにあったのは壁だけだった。
完全に外界から隔絶するように部屋は設えられていた。
「凄い部屋」
シオンは誰に言うでもなく呟いた。
外の情報が無いということは、時間を知ることが出来ず、結果、ただでさえ狂っている体内時計が時間そのものを認識しない。
この部屋は精神を護るため、時間感覚を無くすのを目的としていることが判る。
ただ、それは精神的に異常をきたしているからこそ効果がある。通常の精神状態でこの部屋にいれられたら、気が狂うのではないだろうか。
シオンは俯き、先のアレンを思い出していた。拒絶されるのは判っていた。だからこそ、本人に告げずに長に会いに来た。
だが、全ては知られ、あからさまな拒絶を受けてしまった。これがカイファスなら、アレンは受け入れた筈だ。シオンはつくづく自分という存在に嫌気がさしていた。
「後、何日苦しむんだろう」
小さく呟く。立会人が必要だと言われたからには、他の種族の者に依頼しなければならない。
それにかかる時間がどれほどなのか判らないが、決まるまで自我を保ち続けなければいけない。
幸い、カイファスとゼロスが生気をくれたので、何とかなるかもしれないが長くは保たないだろう。
「早く楽になりたい」
シオンは両手で顔を覆いうずくまった。
カイファスがジュディに連絡してくれると約束してくれたため、少なくとも血族に知られず消えるのだけは避けられる。シオンは闇に沈む部屋の中で一人、打ちひしがれていた。
†††
シオンの中であの日から時間が止まってしまった感覚があった。長に面会した次の日、ジュディがシオンの元に来た。次の日と判った理由は、女性から男性へと変化したからだ。
そうでなければ、時間感覚のないシオンに判る筈はない。
ジュディは毎日シオンに会いに来ると言っていたが、シオンにとって毎日の時間が判らなくなっていた。確かに何回もジュディはシオンの元に来た。そのたびに、生気を分けてくれた。
狂気を抑えるのに協力してくれたことに感謝はするが、毎回分けてくれる生気はジュディの命だ。毎回断るが、強引に与えられてしまう。
いきなり扉がノックされ、鍵が開けられた。また、ジュディが来たのかと思ったがそうではなかった。
現れたのは執事のシンだった。
「シオン様。長様がお呼びです」
仕草で部屋を出るように促され、自由がきかなくなり始めた体に鞭打ち従った。
部屋の外の空気は新鮮で爽やかなものだった。籠もりきった空気と違い、たえず流れている空気では香りも違う。
シオンは目を閉じ、空気を思い切り吸い込んだ。執事はその様子をしばらく見ていたが、直ぐに付いてくるように促す。
シオンは頷き後について歩きだした。窓には全てカーテンが引かれていた。
何故、カーテンが引かれているのか。訝しみながらも後を付いて行く。
ある部屋につくと確認もとらずに執事はシオンを中へ導き、すぐに退出した。
「シオン」
その声と共にフワリと何かに包まれた。誰かに抱き締められたと認識するのに数秒を要し、ようやく理解する。
「姉さん」
シオンは久々に光の下でジュディを見た。
「シオン、意識はしっかりとしていますか」
おっとりと問われ、視線を向けた。視線の先には長がいた。カーテンを引いた窓辺に立ち、シオンをしっかりと見据えている。
ジュディに抱き締められながら、改めて周りに視線を向けた。
ジュディの側には夫のルディがおり、痛まし気にシオンを見ていた。
更に注意を向ければゼロスの姿を確認出来、ついで目に入った人物に目を見開いた。ゼロスの隣にはカイファスがいた。そのことに驚いたのではない。最近、二人は一緒にいる場合が多く、シオンも既に二人一組の認識が強くなりつつあった。
驚いたのはカイファスの姿だ。彼は女性化していた。つまり、今日は満月なのだ。長に面会してから一ヶ月の時間が流れていたことに驚いたのだ。
ジュディは毎日会いに来ると言っていたが、毎日にしては来た回数が少なすぎる。慌ててジュディに視線を向けた。
「ジュディに非はありませんよ」
長はシオンの表情を読み取り、そう告げた。
「お前のため、私が命令しました。三日に一度来るようにと」
シオンは驚きに息が詰まった。あの部屋に入ってから体も心も不思議と落ち着いた。ジュディに生気を貰っていたこともあるだろうが、それだけではなかった事実にきつく目を瞑った。
「シオン、お前の思っている通り今日は満月です」
長は淡々と告げる。
「最後にもう一度、あの姿を見せて下さい」
シオンは小さく頷き、ジュディを体から離した。
ジュディは苦痛に顔を歪ませ、それでもシオンの意志に従った。
ゆっくりと歩を進め長の前に来た。長は柔らかい表情で微笑み、カーテンに視線を向けた。
太陽光を遮断する目的のカーテンはかなりの厚みがあり、一面に刺繍が施されている手の込んだ作りの物だ。そのカーテンにシオンは手を伸ばした。しっかりと握り締め、左右にカーテンを開ける。
カーテンの外には満月があった。この部屋は、満月を正面に見据える位置にあったのか、月の光が容赦なくシオンに降り注いだ。
体がざわめく。
月の魔力が光となりシオンの中の何かを変化させようと蠢き始めた。
一瞬の痛み。
その痛みがもたらすものが何であるのか理解していた。
自身を抱き締め、変化の苦痛に耐える。
カイファスはゼロスの服の裾を握り締める。今、この場所で変化の際に与えられる苦痛を知っているのは彼だけだった。
眉を顰め痛まし気にシオンを見詰めた。カイファスは変化の苦痛に耐えるべき理由がきちんとある。ゼロスを思っての変化であり、ゼロス本人が受け入れてくれているからこそ意味がある。
だが、シオンは違う。アレンに拒絶されその変化は全く意味をなさないものになってしまった。
では、他の人ではとの考えが出るのではないか。しかし、変化には心が伴う。想った者でなければ変化の苦痛に耐え続けるのは単なる苦痛でしかない。
月の魔力は確実にシオンの中に染み渡り、震える背中が、体が一回り小さくなる。
そして、目の前で劇的な変化が起こったとき、ジュディは両手で口を塞ぎ目を見開いた。ルディも息を飲んだ。
独特の色合いの金の巻き髪が一気に背を流れた。ふわりと舞い上がり、シオンは深い息を吐き出し長を見た。
長は目を細め、シオンの頬に触れる。皆を振り返ったシオンは憂いを帯びた澄んだ瞳でジュディを見詰めた。
ジュディはその姿に、驚き息をすることさえ忘れたように見入った。そして、震えるように声を吐き出した。
「許さない」
皆が一斉にジュディに視線を向けた。
「アレンは何故、見捨てることが出来るのっ」
ジュディは両目に涙を浮かべ叫んだ。
「何故、思いを無視出来るのっ」
シオンは小さく首を横に振った。アレンを責めるのはお門違いだ。
「悪いのはアレンじゃないよ。全ては僕が不注意だったから」
シオンは自虐的に呟いた。
「誰かを責めても現実は変わらないよ。僕は望まれていなかっただけ。アレンだけじゃない」
シオンは溜め息のように息を吐き出した。
「父さんも母さんも僕を必要としていなかった。僕に存在意味は存在しない。ただ、現実を知っただけだよ」
長は痛まし気にシオンの両肩に手を乗せた。
「そんなことはありませんよ」
長は穏やかに言った。
「シオン」
長は改まったように口調を変える。その場にいたシオン以外の人達は一様に表情を曇らせた。
「今日、夜明けに執行します。気持ちは変わらないですね」
念を押すように告げた。シオンは小さく頷く。
誤魔化され騙されていたから正気でいられた。だが、それは一時的に効果があるだけで長くは続かない。何時、人を襲うか判らない状態のまま生き続けるのは困難だ。
長は長い溜め息を吐いた。とうとう、アレンから返事はなかった。確かに一ヶ月という時間は短いのかもしれない。
しかし、シオンには永遠に近い時間だ。少しずつ何かが狂い意識が消えていく。そこに残るのは血に飢えた狂人でしかない。
「立会人ですが……」
長は言葉を切り、ゼロスに視線を向けた。ゼロスは目を細め先を促す。長は更に溜め息を吐いた。
「ゼロスが立会人です」
シオンは弾かれたように振り返った。大きく目を見開き、長を凝視する。それは、有り得ないことだった。親しい者がなるには酷な役目だ。
「それはっ」
シオンは長の服にしがみついた。
「絶対に駄目です。ゼロスに苦痛を与えるなんて出来な……」
シオンは両目から涙が溢れ出た。
「シオン、本人の意思です。私も諭したのですよ」
長は困ったように肩を竦めた。
「俺が最期まで見ていてやる」
ゼロスは何時もと変わらぬ態度で言い切った。
ジュディも驚いたようにゼロスを見詰めていた。
「いいか。結局は皆が苦しむんだよ。見ていようが見ていなかろうが、そんなものは変わらない。感じるか視界にはいるかの違いだ。違うか」
ゼロスの言葉にシオンは脅えに似た感情で彼を見た。ゼロスの瞳は何時になく凪いでおり、シオンは泣き崩れた。
「……有り難う……」
シオンはただ、感謝の言葉を口にした。
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