浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅰ 憂いの月

01

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 薄闇が支配を始める頃、空を支配するのは赤みがかった月だった。

 気だるげに体を起こし、その影は立ち上がった。大きすぎる窓に歩み寄り、勢い良くカーテンを開く。通常、夜にカーテンを開ける者は少ないと思うが、彼にとっては日常だった。

 赤い月明かりに浮かび上がる姿は、普通の者と明らかに違う特徴を持っていた。まず、耳が尖っている。白すぎる肌は張りがあるが青みがかっており、その瞳は金色がかった緑で光彩が猫のそれに酷似していた。

 紅すぎる唇から覗くのは牙だ。黒い髪は癖一つなく、短く切りそろえられていたが、前髪は長めだった。容姿は誰が見ても完璧であり、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 だが、彼が起き上がった寝台にもう一つの影が蠢いている。今更だが、彼は何も身に纏ってはいない。生まれたままの姿で立っていた。

「まだ、早い時間だろ」

 寝台の上から聞こえてくる声は、低く響きの良い声だった。

「お前に付き合っていられるか」

 窓を背に振り返り、彼は悪態を吐く。肌をよく見れば、赤い花弁が散っていた。

「散々、悶えた後でいう言葉じゃないな」
「なっ」

 白い頬を朱に染め、睨み付ける。

「そんな顔をしても意味はないぞ」

 含み笑いをしつつ、寝台から立ち上がる。

「逃げても無駄だ。カイファス」

 カイファスと呼ばれた彼は、力無く窓に寄りかかった。
 
「お前達一族は気位が高いからな。認めたくないんだろうが」

 大股で近付き、赤い月の光がその姿を明らかにした。一糸纏わぬ姿でその体つきはカイファスと正反対だった。鍛え抜かれた恵まれた体躯。カイファスの肌は青白かったが、よく日に焼けた肌をしていた。瞳は深い碧、波打つ銀の髪は肩よりも長めだった。

「ゼロス」

 唸るようにカイファスは言葉を発した。

「負けは負けだ」

 カイファスは唇を噛み締めた。何故、こんな事になったのか、彼には判らなかった。

 ゼロスはカイファスの細い顎をとらえると、上向かせる。近くで見るとその身長差は歴然としていた。ゼロスはカイファスより、頭一つ分大きい。

「伯爵殿は俺に負けたんだ」

 カイファスは眉を潜めた。確かに、ゼロスの言葉は正しかった。

「一回の約束だった筈だ」

 力無くカイファスは非難を口にした。何を言ったところで変わらないことは判っていたが、言わずにはいられなかった。

「口約束ほど、あてにならないものはない。証拠はないからな」

 ゼロスは悪魔のように囁いた。その顔は勝者がもつ、勝ち誇った表情だ。

 カイファスの表情が苦痛に歪む。一族の者が彼を見たら、軽蔑するかもしれない。体に刻まれた印が、何があったのかを雄弁に語っていた。

「狼の一族も地に落ちたな」

 苦し紛れの言葉にゼロスは侮蔑の笑みで返す。

「俺は銀狼だ。奴らとは違う」

 確かにそうだった。銀狼の一族は狼の一族とは違う。狼の一族は満月で獣化するが、銀狼の一族は月に左右されない。

「吸血族はすぐ、自身が上だと間違った認識をする。今は確実に俺がお前の上にいるんだ。素直に認めるんだな」

 ゼロスは容赦なく、カイファスの唇を奪った。それは、深くカイファスを蹂躙する。二人の唾液が混じり合い、卑猥な音が響き渡る。

 カイファスは力の限り抵抗した。口の中に鉄の味が広がる。顔を離したゼロスは唇を噛みきられていた。赤い血が一筋流れている。

「抵抗は許さない」
「私は玩具じゃない」

 吐かさず反論するも、それは無駄なあがきだった。無理矢理、体を反転させられ、窓に両手を付く形になった。

「もう、やめてくれ」

 声は震え、哀願に近い言葉が口を付いた。

「聞けない相談だ」

 ゼロスの指が容赦なくカイファスの肌を這う。普段は触れられることのない場所が開かれたことを感じた。目を見開き、首を振る。

 ゼロスはカイファスの耳朶に噛みついた。カイファスは体を震わせ、抵抗が無意味であることを悟った。ゼロスの唇が耳朶から首に移り、次第に背中へと下りていく。指は既に柔らかくなっている場所を攻め、カイファスは抵抗なく指を飲み込んでいる自分に嫌気がさしていた。生理的に涙を流し、それでも尚、抵抗を試みる。瞬間、ゼロスは笑みを見せカイファスの立ち上がり始めた場所を別の手でいたぶり始めた。

 カイファスは小さく悲鳴を上げる。頬は快楽に紅潮し、息が荒くなる。理性が吹き飛び、足から力が抜けていく。窓に体を預け、何とか立っている感じだった。頭では抵抗したいと思ってはいても、体はそうではなかった。一端、植え付けられた快楽は体を蝕み、本人の意思などお構いなしに暴走する。

 尚も執拗に愛撫を続ける指に、カイファスは泣きたくなった。頬を伝う生理的な涙すら拭えず、ただ、与えられる快楽に溺れる。自身が崩壊していく様を認めないわけにはいかなかった。

「かなり馴れたみたいだな」

 ゼロスはわざと耳元で囁いた。確かに言葉は耳に入っているのに、思考が働かない。体の芯が痺れたように疼き、身悶えるだけで精一杯だった。

 ゼロスはカイファスの反応を楽しみ、自分の欲望を満たす選択をした。カイファスの蕾に猛った自身を押し当て、一気に突き上げた。カイファスはその衝撃に目を見開き、悲鳴に近い嬌声を上げた。

「あっ」

 喘ぎ背中を反らせる。ゼロスはそんなのカイファスの反応を楽しみ、更に容赦なく突き上げる。

「もう、止め……て……っ」

 体が壊れると抗議する。ゼロスはその言葉で動きを止め、カイファスは息を吐いた。

「これで終わりだと思ってるのか」

 悪魔の囁きがまだ、終わっていないことを告げていた。繋がったまま体を反転させ、そのままの態勢で抱え上げる。あまりのことにカイファスは恐怖を感じた。まるで、カイファスを抱えているように思わせぬ歩みで寝台に近付き、そのまま、倒れ込む。

 そうなると、ゼロスの体重が繋がったままの場所にまともに衝撃を与える形になった。今までにない再奥を穿たれ、カイファスは仰け反った。

「もう、やめ……っ」

 プライドなどもう、どうでも良かった。ただ、解放されたかった。だが、ゼロスはそんなカイファスの願いなど聞こえないとばかりに、欲望を満たす。両足を抱え上げ、尚も深く入り込もうとしている。

 最初は持ち合わせていた羞恥心など、木っ端微塵に粉砕していた。ただ、か弱い女性のように助けを求めるだけだ。カイファスに残された道は意識を手放すことだけだった。

 ゼロスは完全に意識を手放したカイファスを無視した。そして、全てが終わった後、体を離した。力なく横たわったカイファスの髪を撫で、先までとは違う表情を見せる。こうなった経緯を改めて考えていた。

 最初は些細なことだった。吸血族であるカイファスは一族の中では異端だった。容姿端麗は吸血族にとっては武器だ。勿論、カイファスとて例外ではない。彼の場合は、あまりに華奢で小柄だった。女性と見間違えるほどだ。

 ゼロスはどうしてもカイファスが欲しかった。どんなことをしても、手に入れたかった。だから、彼が劣等感を抱いている女性的美を利用することを思い付いた。

 提案したのだ。

 もし、女装し男が言い寄ってきたらゼロスの勝ち。

 もし、女装を見破る者がいたらカイファスの勝ち。

 結果、勝ったのはゼロスだった。口約束で一回だけと約束したものの、手に入れてから生まれた独占欲が一度の行為では満足しなかった。後悔していないかと問われ、強く、していないとは言えなかった。それまでの二人の関係は良好だったのだ。賭けの後、カイファスは明らかにゼロスを憎んでいるように感じられた。

 今更、何を言ったところで事実は変えられない。小さく溜め息を吐き、ゼロスは衣擦れの音に視線を向ける。意識を取り戻したカイファスがゼロスを見据えていた。

「気は済んだのか」

 刺々しい言葉が投げつけられる。ゼロスは視線を逸らし、頷いた。満足した訳ではなかった。だが、これ以上の我が儘を通すことは許されていないことも理解していた。

「完了だ」

 小さく呟き、ゼロスは脱ぎ捨てられた自身の衣服を拾い上げ、身に着けた。

「約束通り、近付かないと約束する」
「口約束が信じられると思っているのか」

 カイファスの言葉にゼロスは小さく笑った。疑わせたのは彼自身であり、誰のせいでもない。

「信じる信じないはお前に任せる」

 ゼロスは一言告げ、部屋を出るため扉へと向かった。

「待て」

 扉のノブに手をのばしていたゼロスの動きが止まる。

「一つ、聞かせてくれないか」

 カイファスは疑問を解消したかった。このままでは、気持ちの整理がつかない。

「何故、あんな賭を思い付いた。理由がある筈だ」

 ゼロスは息を飲んだ。素直に言うべきなのか、躊躇われた。カイファスは言うことをきかない体を無理矢理動かし、おぼつかない動きで衣服を身に付けた。

「理由が必要か」

 ゼロスは逆に問い掛けた。

「必要だ」

 カイファスは短く答えた。ゼロスに近付き、カイファスは自身を抱き締めた。未だ、体にゼロスの感覚が残っている。

「私は男だ」

 カイファスの言葉はもっともだった。たとえ、女性的容姿をしていようと男性であることには間違えない。

「普通、あの行為は男女間で成立すると認識している、違うか」

 ゼロスは言われずとも理解していた。しかし、一度持ってしまった欲望はくすぶり続け、出口のない迷宮に入り込んでいた。あの賭は、ゼロスにとってカイファス以上の賭だったのだ。今までと同じ関係が続かないことは判っていた。それでも、一度だけでも手に入れたかった。

 そう、彼の我が儘だ。

 ゼロスは考えた。

 もう、修復出来ないほどに関係は壊れている。軽蔑されようと、これ以上、悪くなることは有り得なかった。

「正直に」
「手に入れたかったからだ」

 二人は同時に口を開き、カイファスが直ぐに口を閉ざした。告白された内容に目を見開く。

「何」

 そう、疑問を口にするのが精一杯だった。

「手に入れたかった。一瞬でも、幻でも全てを得たかった」

 確かに得られるのは肉体だけだ。心までは手に入れることは出来ない。判っていた。

「軽蔑されようと構わない。カイファス」

 ゼロスは振り返り、カイファスを見詰めた。金色に光る緑の瞳が彼を見上げていた。

「俺はお前が欲しかった」

 カイファスは息を飲んだ。ただ見詰め、立ち尽くした。

「もう、会わない。会わない方がいい」

 最後の言葉は自身に向けたものだった。その姿を見れば、今回のことを嫌でも思い出す。ゼロスにとっては良い思い出であっても、カイファスにとっては苦痛に違いない。

「済まなかった」
「謝るな……」

 カイファスは呆然と呟いた。この気持ちをどう表現して良いか判らなかった。今回を最後に、ゼロスが目の前から消える。ある意味、望んでいた筈だった。賭けに負けた時から、離れたかった。その理由を知りたくなかった。知ってしまえば、元には戻れなくなる。

「謝らなくて良い」

 カイファスは何故、畏れていたのかやっと判った。認めたくなかっただけだ。拒否しようと思えば出来た。敢えてしなかったのは、彼も望んでいたからだ。認めるわけにはいかなかった感情。だが、ここで認めなければ、ゼロスは目の前から消える。

「私は」
「無理はしなくていい」

 ゼロスはカイファスの言葉を遮った。寂しげに微笑み踵を返す。再びノブに手をのばした。カイファスはゼロスの行動に驚き、目にも留まらぬ速さで扉の前に回り込む。ゼロスは驚き、手を引いた。

「自分だけなのか。私の気持ちは考えなかったのか」

 睨みつけてくる金緑の瞳に、ゼロスは視線をそらせた。カイファスはゼロスの顎を捉え、無理矢理顔を向けさせた。そして、次の行動にゼロスは体を強ばらせた。唇と唇が触れ合う。最初は軽く、そして、深くなっていく。

「止めてくれ」

 ゼロスはカイファスが憐れんでしているのだと勘違いをした。軽い音が室内に響く。カイファスは悔しかった。やっと認めた気持ちを否定されたのだ。ゼロスは左頬の衝撃に驚きを隠せなかった。まさか、平手がくるとは考えていなかったからだ。予想外の行動だった。

「自分だけなのか。私の気持ちは考えもしなかったのか」

 両の目に涙を浮かべ、睨み付けた。にべもなく否定されたように感じた。

「何故、拒絶しなかったのか、考えもしないのか」
「それは賭け……」

 カイファスは唇を噛み締めた。何一つ気がつかない。あまりの朴念仁ぶりに、呆れかえった。

「嫌ならいくら賭でも抵抗する」
「抵抗なら」
「本気でしていたわけじゃない」

 カイファスは確かに抵抗した。しかし、力の限りではない。普通なら嫌悪感が先に来る。だが、嫌悪感は一つもなかった。

「勝手に消えるなど許さない」

 普段、赤みのない顔が怒りの為なのか紅潮していた。ゼロスは何かが音を立て崩れていく音を聞いた。目の前にいるカイファスは幻ではない。

「嘘……」
「嘘な訳があるか」

 カイファスは怒鳴った。あまりの分からず屋加減に、苛立つ。

「ゼロス、一方的に思いを遂げたことは許さない。だが、勝手に居なくなるのはそれ以上だ」

 カイファスはきっぱりと言い切った。ゼロスはいきなりカイファスに抱き付いた。

「ちょっ」

 抱き付き、唇を奪う。

「展開が早すぎる」

 何とか抵抗し、叫んだ。

「続きを」

 抱き締めたまま、寝台に戻ろうとしていることが判った。カイファスは焦りを覚えた。流石に今日はもう無理だ。

「満足したんじゃなかったのか」

 悲鳴に近い声で叫ぶ。だが、幸せ絶頂のゼロスの耳には届いていない。

「話を聞けっ」

 その声は室内に響き渡り、虚しく消えていった。
 
 
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