浅い夜 蝶編

善奈美

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Ⅶ 月響蝶

十章

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「ヴィー……」
 
 セレジェイラにそう呼ばれ、ヴィオーラはビクついた。確かに、事実は口にしたし、今の吸血族、ましてや黄薔薇の部族では眠りにつく選択は潰され、婚姻をする方に向かうだろう。
 
 問題はお互いの気持ちであり、認めるだけの心の余裕があるかだ。ヴィオーラは隣に腰を下ろしたセレジェイラを盗み見る。とは言っても、セレジェイラの視線はヴィオーラに向いているので、必然的に視線が合うことになる。今までとは違ういたたまれなさに、ヴィオーラは体を強張らせた。

「あのな。何で緊張してるんだ」
 
 セレジェイラが呆れたように息を吐き出す。緊張するなという方がおかしいのだ。今までとは立場も関係も変わったのだから。
 
「嫌じゃないの」
「嫌だったら追い掛けて来てないだろう」
 
 その通りなのだが、それでも不思議なのだ。
 
「傷つけたし……」
「まあな。でもな、考え方を変えれば、俺もヴィーを傷付けていた事になるだろう」
 
 セレジェイラの意外な言葉に、ヴィオーラは驚きでか思わず隠していた顔を向けてしまった。

「それに、ほら、黒薔薇の……」
「アレンさんの事」
 
 セレジェイラは頷いた。背後から現れた存在。部族長とは違う違和感があった。どうしてそう思うのか、そう問われれば答えられない類のものだ。
 
「あの人は主治医だろう」
「そうだけど。多分、各部族長様達よりタチ悪いよ」
 
 ヴィオーラが何気なく言った言葉は、セレジェイラにしてみればとんでもないことだ。つまり、ヴィオーラと関係を結ぶことは、薔薇の一族と繋がりを持つことになる。

 いろんな意味で灰汁が強い、それが《薔薇の血族》だ。その中で薔薇の夫と呼ばれる吸血族は、才能があることでも知られている。
 
 突然響いた扉をノックする音に、ヴィオーラだけではなく、流石のセレジェイラも驚いた。更に驚いたのは現れた人物だ。流れる銀髪。金緑の瞳。知らない者などいない。黒薔薇の部族長の後継者。
 
「その様子だと、問題なく収まったようですね」
 
 浮かんだ笑みは確実に黒かった。そのカルヴァスの表情に強張ったのはセレジェイラだ。

「カルヴァスさん」
 
 判らないのはヴィオーラだ。空に浮かぶ月はどう考えても傾き、今から黒薔薇の部族に帰るのは困難な時間だ。
 
「結論から言いましょうか。セレジェイラ、で間違えないですね」
 
 カルヴァスの問いに、セレジェイラは頷いた。
 
「《婚約の儀》を無事済ませた後、黒薔薇の主治医の館に滞在願いますよ」
 
 セレジェイラは驚いたように腰を上げた。
 
「異議は受け付けません。貴方は薔薇を知らない。関係者になるのなら、詳しく知っておいてもらわなくてはいけないんですよ」
 
 カルヴァスの言葉は最もだった。

「それと、これから言うことが一番重要なのですが。私の弟が苦労して薔薇から薔薇は生まれないのだと、公然と言い放ち、愚かしい考えを変えさせるよう促しました。今回が特殊だとは言え、奇しくも薔薇から薔薇が生まれたことになります。アレンさんが随分前から動いていて、私もその関係でこの場所にいるのですが。セレジェイラのご両親にはアレンさんとファジュラさんで説明に行っています」
 
 セレジェイラは浮かせた腰を長椅子に落ち着かせる。話を聞く限り、前々からこうなると確信していたのだ。

「念には念を、ですよ。もう少し、男女比のバランスが取れるようになれば、少しずつ、吸血族内に蔓延しているおかしな考えは消えていくでしょう。その為に、セレジェイラには吸血族内で《薔薇の血族》がどういった立場にいるのかを認識してもらわなければいけません。これだけ言えば判りますね」
 
 セレジェイラはしっかり頷いた。
 
「とは言え、貴方は今の黄薔薇の吸血族の中では変わった部類に入るのだと私は思っていますよ」
 
 カルヴァスは柔らかい口調でそう言った。

「貴方はヴィーラの幼馴染みとして育ちました。《薔薇の血族》の関係者の中で、全く関係のない血筋が関わり合うことは今までありませんでした。今回のことにしても、必ずではなく、偶然であると判っている筈です。違いますか」
 
 カルヴァスの問いに、セレジェイラはスッと目を細めた。その通りだったからだ。
 
「ヴィーと関わらなければ、そんな考えを持つことはなかった、そう思う。何度かヴェルディラさんが変化するのを見ているが、あれは普通の現象じゃない」
 
 セレジェイラの応えにカルヴァスは微笑んだ。

「そうです。ある方達の言葉を借りるなら、過去を贖う為。その為だけに苦痛を強いているのです。そして、ヴィーラ。貴方はある方が関わった為に生まれた歪みを正す為の存在。そう聞いています」
「歪み……」
 
 ヴィオーラは思いもよらなかった言葉に驚きを隠せなかった。
 
「ご両親から話は聞きましたか」
 
 ヴィオーラは頷く。変化をした後、アレンが事前に今回のことを視ていたと聞いた。しかも見たのはヴィオーラが誕生した時だと言うのだ。

「戸惑うのは仕方のない事なんですよ」
 
 カルヴァスはヴィオーラの様子にそう言った。
 
「ヴィーラの存在が黄薔薇を導いていきます。私の祖が歪ませたモノを修復する為に」
 
 黒薔薇の部族長の一族が銀狼の族長一族と祖を同じにしている事実を、ヴィオーラは教えられていた。過去の《薔薇の血族》だ。
 
「……レイさん、ですか」
 
 ヴィオーラは銀狼の始祖に会ったことはない。だが、その姿を写真とヴェルディラが描いた肖像画で目にしている。

「そうです」
 
 カルヴァスは一度瞳を閉じ、再び瞼を開くと二人を見据えた。
 
「それと、アレンさんからの伝言ですよ。ヴィーラ、貴方は楽師では無く絵師として生きていきなさい。それが自然な流れなのだそうです」
「……絵師」
「貴方の性格では楽師として生きていくのは感性が鋭すぎる故、難しいそうです。貴方はこれから《薔薇の絵師》を名乗りなさい。判りましたね」
 
 カルヴァスはそう言うが、ヴィオーラには兄弟がいない。

 表情を曇らせたヴィオーラに、カルヴァスは嘆息した。如何してこうも、後継者に拘るのか。そう言うカルヴァスも黒薔薇の部族長の後継者として生きているのは確かだ。
 
「如何した」
 
 セレジェイラはヴィオーラが元気をなくした事に気が付いた。
 
「……俺に兄弟が居るなら、こんな心配は……」
「いるだろう」
 
 セレジェイラの言葉にヴィオーラだけではなく、カルヴァスも目を見開いた。何故、そんなことが言えるのか。

 セレジェイラは此処に来るまでの経緯を話した。現れたアレンが有り得ないことを言ったのだ。
 
「妊婦が空を飛ぶのはごめんだと言っていた」
 
 そう言えば、ヴィオーラが最初の変化をした後、両親が部屋に篭ったことを思い出した。あの時は気にもしなかったが、そう言う行為をしたという事になる。
 
「それはアレンさんの指示でしょうね」
「如何いう事」
 
 カルヴァスの呟きに、ヴィオーラは首を捻った。
 
「後継者の事を気にしないのはアレンさんとファジュラさんだけですからね」
 
 まるで当たり前だと言わんばかりにカルヴァスは表情を緩めた。

 だが、二人は薔薇の称号を持つ。脈々と受け継がれたものではないが、重要なモノの筈だ。アレンに関しては子沢山であり、女児しか授かっていないので、如何する事も出来ないだろう。
 
「薔薇の称号は薔薇を守るために必要なものなんですよ。だから、絶対ではない。ヴィーラの母親である蒼薔薇は元々は絵師です。継ぐという意味において必要なんですよ。セレジェイラが言っていた事が真実なら、薔薇の楽師の称号はその子が継ぐでしょう」
 
 しかし、女児であった場合は如何なるのか。

「性別を問うなら、ヴィーラ。貴方は変化しました。それは元々、女児であった証です。何らかの理由で男児として誕生したんですよ」
「え……」
「アレンさんが言うには、薔薇となる者には特徴があるそうです。華奢であり吸血族の男性の平均身長より低い者。ヴィーラは私達の母達よりも身長はありますが、大騒ぎになった私の弟のヒューラより確実に低いんです。何より、その性格。シンシーに異性として見られた事はなかったでしょう」
 
 確かにその通りだ。

「事実は事実です。それと、《婚約の儀》は明日行いますが、ヴィーラに血を与えるように。限界でしょうしね」
 
 セレジェイラは頷いたが、ヴィオーラは違った。まだ、血液が怖いのだ。
 
「何時までも怖がっていてはいけませんよ。ご両親はそんなつもりで貴方に血液について詳しく教えたのではないのですから」
 
 それは判っている。ヴィオーラの両親は血液について知識を持たぬまま、互いの命を交換したのだ。そうならないように、息子にありとあらゆる知識を与えたのだろう。

「私も今日は此方で休ませてもらいます。《婚約の儀》は立ち会いますから。その後、一緒に黒薔薇に来てもらいます」
 
 カルヴァスはそう言うと、静かに部屋を後にした。
 
 ヴィオーラは《永遠の眠り》の覚悟を持って黄薔薇の部族長の館を訪れたのだ。蓋を開ければセレジェイラと結婚する方向へと進み、着実に動き出そうとしている。
 
「まだ、納得出来ないのか」
 
 セレジェイラは呆れたように言葉を紡ぐ。
 
「そうじゃないんだ。ただ、薔薇の関係者を甘く見ていたなって思って……」
 
 アレンが動いていた時点で、《永遠の眠り》は阻止されていたのだ。

 セレジェイラがスルリとヴィオーラの頬を撫でる。その感触にヴィオーラの体がひくりと強張った。
 
「本当に体温が低いな」
「……飢餓、だから」
「だろうな」
 
 ヴィオーラはスッとセレジェイラから距離をとろうとした。このままでは本能のままに行動してしまいそうだ。
 
「如何して離れるんだ」
「明日まで我慢するからっ」
 
 ヴィオーラは血に触れているのだから、今更な話だ。それも、全部族長だけではなく、全主治医までもが知っている。

 そして、セレジェイラの中に込み上げてきたのは変な可笑しさだった。ヴィオーラは何処まで行っても彼であり、変わりようがないのだ。
 
「無理矢理飲まされたいのか」
 
 セレジェイラの一言にヴィオーラは驚愕に目を見開く。
 
「それが嫌なら素直に飲め。黒薔薇の部族長の後継者の許可が出てるんだ。問題ないだろう」
 
 ヴィオーラは躊躇い、少し間をおいて頷いた。ゆっくりと触れ合う体温。触れた場所が発熱する。ヴィオーラの耳元でセレジェイラは囁く。ヴィオーラはその言葉にセレジェイラに縋り付いた。
 
 
 
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