37 / 40
Ⅶ 月響蝶
八章
しおりを挟む
「そうですか」
ファジュラはヴィオーラが告げた言に仕方ないと息を吐き出す。想像通りの結果に、苦笑いすら浮かばない。ヴェルディラと言えば、ただ、沈黙するばかりだ。
「訊くまでもなかった」
「どうしてです」
「自分の身勝手さに気が付いたから」
散々、セレジェイラに本来の流れに戻るように促しながら、心の奥底では別の感情を抱いていた。その身勝手さに、真実を告げる事が出来なかったのだ。もし、ある程度鈍感ならば、素直に真実を語っただろう。
「感受性が強いのも考えものですね」
ファジュラは息子の感受性の強さが、このような結果になるなど、考えた事もなかったのだ。楽師や絵師は感覚を重要とする。見た目や間違えのない音を奏でるだけではやっていけないのだ。極端な話、見た目や音は滅茶苦茶でも、心を打つモノはあるのだ。
「……心は最初から決まってたんだろう。本人に告げる告げないに関わらず」
「母さん……」
「セレから逃げていて、直ぐに考えが変わらない事は判ってたし。ヴィーラは何処まで行ってもヴィーラだろう」
その言葉にヴィオーラは項垂れた。
「直ぐですか」
ファジュラの言葉にヴィオーラは顔を上げ彼を凝視する。
「変化は痛みを伴います。それに耐えられるのは、相手を思っているからだそうです。それを得られない変化は苦痛でしかない。そう聞きました」
ヴィオーラはギュッと両手を握り締めた。最初の変化が一番、痛みが強い事は聞いている。次の変化からは痛みは痛みとしてあるが、一瞬なのだという。当然、痛みを伴い変化するなら、元の性別に戻るときにも同じ苦痛を味わう。体を貫く痛み。薔薇達はそう表現する。
ヴィオーラとしては、もう二度と変化をしたくない。何度となく変化をしようと、それは意味をなさないからだ。今は擬似血液剤で喉の渇きを誤魔化しているが、その誤魔化しすら限界を迎えるだろう。ヴィオーラはその前に誰にも迷惑をかけない方法、《永遠の眠り》に就くつもりでいた。
「……明日、長様に会いに行く」
「そうですか」
「ごめんなさい」
沢山の愛情を注いでもらった。多くの知識と、楽師と絵師の知識も与えてもらった。その全てが無駄になるのだ。それを考えると、ヴィオーラは居た堪れなかった。
「どうして謝るんです」
ファジュラは穏やかに問い掛ける。
「大切にしてくれたのに、 沢山教えて貰ったのに、何一つ返せてないっ」
「それは違いますよ。ヴィーラが居たからこそ、得られたものもあります。自分を責めるのは止めなさい」
ヴィオーラは唇を噛み締めた。このままでは嗚咽してしまいそうだったからだ。
「……それに、俺は継ぐ者だったんでしょう」
「大丈夫ですよ。気にする必要はありません。まずは自分です」
父親の優しい言葉に俯き、ポツリと床に一粒の涙が零れ落ちた。
†††
セレジェイラは次の日の日没を待ってヴィオーラの元へ向かった。彼の両親は息子が何かに迷いがある内は、仕事をさせる気がなかったので、不都合がなかったという事もある。その迷いは、ヴィオーラに関わりがあったのだから、尚更、出掛けて行く事に反対はしなかったのである。
ヴィオーラの館前ではなく、少し離れた場所に着地する。何となくだが、飛んでいる姿を見付けられると、都合が悪いのではないか、と感じたからだ。そして、それは的中する。
身を隠すように館に近付いたセレジェイラは、ヴィオーラとそれを見送るファジュラとヴェルディラの姿を目撃したのだ。普段は閉じている聴覚の魔力を解放する。本来なら盗み聞くような事はしない。だが、何故かそれが必要であると感じたのだ。
「本当に一人で大丈夫ですか」
ファジュラの心配気な声が耳に届く。
「……大丈夫。それに、見送ってもらう資格はないし」
「そんな事はない。ヴィーが自分で決めたことを否定する気はないし」
ヴェルディラの言葉にセレジェイラは引っかかるものを感じた。
玄関先で語られる内容。それに引っかかりを感じたセレジェイラは更に、息を潜めた。
「……みんなは」
「誰一人ヴィーラを否定しません。自分が選び取ったものに責任が持てるなら、それが真実なんですよ」
「本当なら一人一人に謝らなきゃいけないんだ。でも、時間をかけたくないし、限界が近いと思うから」
ヴィオーラが使う限界の言葉に、セレジェイラは更に引っかかるものを感じる。吸血族が感じる限界など、数える程しかない。最も限界だと感じるのは、吸血族が依存する飢えだ。
あの日、言い合った日から、何となく、お互いを避けていた。ヴィオーラはどちらかと言えば、一人でいることを好む性格をしている。セレジェイラにしても、仕事で没頭すると周りが見えなくなる。今は仕事に身が入っていないことを父親に見破られ、強制的に休み言い渡されている。
「直ぐに望みは叶えられないかもしれませんよ」
「判ってる。それでも、俺の望みは変わらないから」
「そうですね。一つだけ忠告しますよ」
ファジュラの言葉にヴィオーラは首を傾げた。
「アレンはヴィーラのことを良く知っています。おそらく、どのような行動をとるのかも理解していますよ。全てを視ていなくても、アレンは何もかも見透かしています。そのことを、忘れてはいけませんよ」
ヴィオーラの顔色が変わったことがはっきりと判った。アレンの名に、セレジェイラは一人の人物を思い浮かべる。黒薔薇の主治医の一族で、黄薔薇の夫だ。五部族長に一目置かれており、部族長達が珍しく恐れをなしている存在だ。そして、薔薇の主治医の称号を戴いている。
「アレンさんは……」
「アレンはおそらく、私達、薔薇の夫達と何かが違うんですよ。確かに黄薔薇の夫ですけどね」
「どう言うこと」
「私にもはっきりとは。ただ、何かが根本的に違うと思います」
ファジュラはそう言うと、ヴェルディラに視線を向ける。ヴェルディラは小さく頷いた。
「俺達は感覚的にアレンは違う存在だと感じてる。だからこそ、今回のことも、ただ、傍観しているわけではないだろう」
ヴィオーラはコクリと小さく息を呑む。
「ですが、ヴィーラは自分自身で決めました。それを否定はしません。納得したからこそ出した答えでしょう。それに、心情も判りますし」
「そうだな。あの痛みに耐え続けるには、どうやっても相手が必要だから」
両親の言葉にヴィオーラは頷いた。それを聞いたセレジェイラは肌を粟立たせた。この会話は何かがおかしい。ヴィオーラは二度と会えない遠い場所に行くと言っていた。だが、この会話は遠くに行くと言う次元ではない。今生の別れのような挨拶。
「行きなさい。苦しみが軽くなるように」
ファジュラの言葉にヴィオーラは頷いた。
「あの薬。残りはアレンさんに返して。代金請求されなかったんでしょう」
「そうですね。この後、黒薔薇の主治医の館に行く予定です。確かめたいことがありすから」
ヴィオーラは両親に深々と頭を下げた。
「今まで育ててくれて、大切にしてくれてありがとう。そして、ごめんなさい」
「謝る必要はないんですよ」
ヴィオーラは小さく微笑み、何かを振り切るように大地を蹴った。
ファジュラは小さく息を吐き出し、ある一点を見詰める。
「出て来なさい。ヴィーラは気が付かなかったようですが、判っていますよ」
ファジュラがそう言ってもヴェルディラは驚かなかった。つまり、ヴェルディラもセレジェイラの存在に気が付いていたのだ。セレジェイラはバツが悪そうに、姿を現し、二人の前に歩み寄る。
「ヴィーラから、何か聞いていますか」
ファジュラの問いに、小さく首を横に振る。ヴィオーラは何かを言いかけ、実際は何一つ本音を語らなかったのだ。
「鋭いのも考えものですね」
「全くだ」
セレジェイラは背後からかかった声に驚き振り返る。そこに居たのは、茶の髪と赤茶の瞳の男性。
「今日だと分かったんですか」
「目覚めと同時にな。不意に視えた」
何度となく遠目から見たことのある姿。黒薔薇の主治医の一族で薔薇の主治医。黄薔薇を妻に持つ者。名前をアレン。
「次いでに伝えようとしていたこともあったからな」
「なんです」
「ヴェルが飛んだり跳ねたりするのを禁止することだよ」
セレジェイラでは会話の内容は理解出来なかったが、ファジュラとヴェルディラは目を見開く。
「妊婦が飛んで移動するなんて願い下げだ」
妊婦、の言葉にセレジェイラは驚きを隠せなかった。何故、そんなことが判るのか。
「その前に……」
アレンの目がスッと細められる。視線の先はセレジェイラだ。
「間違いなく此奴だな」
アレンは何が間違いでないと言うのだろうか。
「お前に問う。もし、手が届かないと思っていた者が手に入るとしたら、どう行動する」
その問い掛けに疑問が浮かび上がる。アレンは謎掛けをしているのだろうか。
「もしも……、の話か」
「如何だろうな。ただ、お前の言葉で全てが変わる。本当の意味での全てだ」
「……全力で手に入れる」
セレジェイラは何を言われているのか判らなかったが、もし手に入るのなら、どんな努力も惜しむつもりはない。吸血族の時は長いのだ。諦めなければ、何時かは報われる。
「いい答えだ。じゃあ、ヴィーラが言った遠い所へ行く、は何を意味していると思う」
さっきの会話で今生の別れのようなやり取りをしていた。如何考えてもおかしいのだ。
急に浮かび上がった有り得ない答えに、セレジェイラは固まる。まるで、もう二度と会えないような会話だった。それはある意味の死を意味しているのではないか。吸血族にある死は二種類だけだ。
太陽に身を晒し、灰になる死か。
《永遠の眠り》を選択し、命を眠りの薔薇に移すかだ。
如何考えても《太陽の審判》が許されるとは考え難い。かと言って、部族長が簡単に《永遠の眠り》を許すとも思えない。
沈黙したセレジェイラにアレンはほくそ笑む。どうやら、莫迦ではないらしい。
薔薇の夫となるのだ。莫迦であってもらっては困る。これから起こることは、今までの安穏とした生活ではない。多くの干渉と、望んでいない現実が突きつけられる。
「もしかして《永遠の眠り》か」
二度と会えなくなるとヴィオーラは言ったのだ。最初は遠い場所に居を移すのかと思っていた。だが、それは本人から否定されている。両親に謝りの言葉を贈っていた。そして、何より目の前の存在の意味。全てを照らし合わせれば、自ずと真実は見えてくる。
「その結論に達したのはどうしてだ」
更にアレンは問い掛ける。まるで押し問答のようなやり取りに、セレジェイラは考える。ただ、訊いている訳ではない。おそらく、セレジェイラを試しているのだ。
「昨日、ヴィーが言っていた言葉と、いけないとは思うが、三人が話していた内容で」
「いい判断だ。では問う。ヴィーラがその選択をしたのは何故だと思う」
ヴィオーラはセレジェイラに告げたい事があったと考え、何らかの理由で躊躇った。躊躇った結果、《永遠の眠り》を選択したのだ。
吸血族は元々、血色が良い種族ではない。遠目からだがヴィオーラの顔色は吸血族であることを考えても青白かった。有り得ないことだが、血液が足りていなかったのではないだろうか。
「ヴィーラにはある物を渡していた。擬似血液剤だ。それだけ言えば判るんじゃないのか」
擬似血液剤、そんな物が存在していたことを、セレジェイラは知らなかった。だが、そうなると、数ヶ月前の出来事が不意に思い出された。セレジェイラが怪我をした時だ。
それは些細な変化だ。あの時、ヴィオーラは何かに動揺したのだ。
「吸血族の世界では、薔薇の血族を未だに捻じ曲げた見方をする者がいる。それは、真実に口を噤んでいるからだ。では、その全てを満たした時、どうなるのか。言わなくても判るだろう」
アレンの言葉にセレジェイラは勝手に体が動いた。今の言葉は本来なら有り得ない事が起こったのだと言っている。暇の言葉も告げずにセレジェイラは大地を蹴った。
「視えたような未来が待っていれば良いが」
アレンは小さく嘆息する。
「アレン……」
ファジュラは不安気な声音で名を呼んだ。
「薔薇の周りには愚か者は寄ってこない。彼奴はそれなりに頭が良いんだろう」
「それは否定しません。調律師の中でも一流の腕と知識を持っています」
「今のやり取りだけで、何が起こったのか察したみたいだしな。かなり、遠回しに言ったつもりだが」
事情を知っているアレンやファジュラとヴェルディラならば、今のやり取りで理解は可能だろう。だが、セレジェイラは何も知らないのだ。
「このまま、うちに来る予定か」
アレンは改めて二人に向き直る。
「そのつもりですが、両親に話をしていませんから。あの、さっきの言葉は本当ですか」
「妊娠のことか」
「そうです」
「ヴィーラ関係で視えたからな。間違いない」
ファジュラは少しばかり浮かない顔をした。ヴィオーラ関係で視えたと言うことは、彼がそれを望んでいたからに他ならない。
「変なことは考えないことだ」
「流れのままに……。そう言いたいんですね」
「そうだ」
「少し待っていてください。擬似血液剤を持ってきます」
ファジュラはそう言うと、館の中に姿を消した。
ファジュラはヴィオーラが告げた言に仕方ないと息を吐き出す。想像通りの結果に、苦笑いすら浮かばない。ヴェルディラと言えば、ただ、沈黙するばかりだ。
「訊くまでもなかった」
「どうしてです」
「自分の身勝手さに気が付いたから」
散々、セレジェイラに本来の流れに戻るように促しながら、心の奥底では別の感情を抱いていた。その身勝手さに、真実を告げる事が出来なかったのだ。もし、ある程度鈍感ならば、素直に真実を語っただろう。
「感受性が強いのも考えものですね」
ファジュラは息子の感受性の強さが、このような結果になるなど、考えた事もなかったのだ。楽師や絵師は感覚を重要とする。見た目や間違えのない音を奏でるだけではやっていけないのだ。極端な話、見た目や音は滅茶苦茶でも、心を打つモノはあるのだ。
「……心は最初から決まってたんだろう。本人に告げる告げないに関わらず」
「母さん……」
「セレから逃げていて、直ぐに考えが変わらない事は判ってたし。ヴィーラは何処まで行ってもヴィーラだろう」
その言葉にヴィオーラは項垂れた。
「直ぐですか」
ファジュラの言葉にヴィオーラは顔を上げ彼を凝視する。
「変化は痛みを伴います。それに耐えられるのは、相手を思っているからだそうです。それを得られない変化は苦痛でしかない。そう聞きました」
ヴィオーラはギュッと両手を握り締めた。最初の変化が一番、痛みが強い事は聞いている。次の変化からは痛みは痛みとしてあるが、一瞬なのだという。当然、痛みを伴い変化するなら、元の性別に戻るときにも同じ苦痛を味わう。体を貫く痛み。薔薇達はそう表現する。
ヴィオーラとしては、もう二度と変化をしたくない。何度となく変化をしようと、それは意味をなさないからだ。今は擬似血液剤で喉の渇きを誤魔化しているが、その誤魔化しすら限界を迎えるだろう。ヴィオーラはその前に誰にも迷惑をかけない方法、《永遠の眠り》に就くつもりでいた。
「……明日、長様に会いに行く」
「そうですか」
「ごめんなさい」
沢山の愛情を注いでもらった。多くの知識と、楽師と絵師の知識も与えてもらった。その全てが無駄になるのだ。それを考えると、ヴィオーラは居た堪れなかった。
「どうして謝るんです」
ファジュラは穏やかに問い掛ける。
「大切にしてくれたのに、 沢山教えて貰ったのに、何一つ返せてないっ」
「それは違いますよ。ヴィーラが居たからこそ、得られたものもあります。自分を責めるのは止めなさい」
ヴィオーラは唇を噛み締めた。このままでは嗚咽してしまいそうだったからだ。
「……それに、俺は継ぐ者だったんでしょう」
「大丈夫ですよ。気にする必要はありません。まずは自分です」
父親の優しい言葉に俯き、ポツリと床に一粒の涙が零れ落ちた。
†††
セレジェイラは次の日の日没を待ってヴィオーラの元へ向かった。彼の両親は息子が何かに迷いがある内は、仕事をさせる気がなかったので、不都合がなかったという事もある。その迷いは、ヴィオーラに関わりがあったのだから、尚更、出掛けて行く事に反対はしなかったのである。
ヴィオーラの館前ではなく、少し離れた場所に着地する。何となくだが、飛んでいる姿を見付けられると、都合が悪いのではないか、と感じたからだ。そして、それは的中する。
身を隠すように館に近付いたセレジェイラは、ヴィオーラとそれを見送るファジュラとヴェルディラの姿を目撃したのだ。普段は閉じている聴覚の魔力を解放する。本来なら盗み聞くような事はしない。だが、何故かそれが必要であると感じたのだ。
「本当に一人で大丈夫ですか」
ファジュラの心配気な声が耳に届く。
「……大丈夫。それに、見送ってもらう資格はないし」
「そんな事はない。ヴィーが自分で決めたことを否定する気はないし」
ヴェルディラの言葉にセレジェイラは引っかかるものを感じた。
玄関先で語られる内容。それに引っかかりを感じたセレジェイラは更に、息を潜めた。
「……みんなは」
「誰一人ヴィーラを否定しません。自分が選び取ったものに責任が持てるなら、それが真実なんですよ」
「本当なら一人一人に謝らなきゃいけないんだ。でも、時間をかけたくないし、限界が近いと思うから」
ヴィオーラが使う限界の言葉に、セレジェイラは更に引っかかるものを感じる。吸血族が感じる限界など、数える程しかない。最も限界だと感じるのは、吸血族が依存する飢えだ。
あの日、言い合った日から、何となく、お互いを避けていた。ヴィオーラはどちらかと言えば、一人でいることを好む性格をしている。セレジェイラにしても、仕事で没頭すると周りが見えなくなる。今は仕事に身が入っていないことを父親に見破られ、強制的に休み言い渡されている。
「直ぐに望みは叶えられないかもしれませんよ」
「判ってる。それでも、俺の望みは変わらないから」
「そうですね。一つだけ忠告しますよ」
ファジュラの言葉にヴィオーラは首を傾げた。
「アレンはヴィーラのことを良く知っています。おそらく、どのような行動をとるのかも理解していますよ。全てを視ていなくても、アレンは何もかも見透かしています。そのことを、忘れてはいけませんよ」
ヴィオーラの顔色が変わったことがはっきりと判った。アレンの名に、セレジェイラは一人の人物を思い浮かべる。黒薔薇の主治医の一族で、黄薔薇の夫だ。五部族長に一目置かれており、部族長達が珍しく恐れをなしている存在だ。そして、薔薇の主治医の称号を戴いている。
「アレンさんは……」
「アレンはおそらく、私達、薔薇の夫達と何かが違うんですよ。確かに黄薔薇の夫ですけどね」
「どう言うこと」
「私にもはっきりとは。ただ、何かが根本的に違うと思います」
ファジュラはそう言うと、ヴェルディラに視線を向ける。ヴェルディラは小さく頷いた。
「俺達は感覚的にアレンは違う存在だと感じてる。だからこそ、今回のことも、ただ、傍観しているわけではないだろう」
ヴィオーラはコクリと小さく息を呑む。
「ですが、ヴィーラは自分自身で決めました。それを否定はしません。納得したからこそ出した答えでしょう。それに、心情も判りますし」
「そうだな。あの痛みに耐え続けるには、どうやっても相手が必要だから」
両親の言葉にヴィオーラは頷いた。それを聞いたセレジェイラは肌を粟立たせた。この会話は何かがおかしい。ヴィオーラは二度と会えない遠い場所に行くと言っていた。だが、この会話は遠くに行くと言う次元ではない。今生の別れのような挨拶。
「行きなさい。苦しみが軽くなるように」
ファジュラの言葉にヴィオーラは頷いた。
「あの薬。残りはアレンさんに返して。代金請求されなかったんでしょう」
「そうですね。この後、黒薔薇の主治医の館に行く予定です。確かめたいことがありすから」
ヴィオーラは両親に深々と頭を下げた。
「今まで育ててくれて、大切にしてくれてありがとう。そして、ごめんなさい」
「謝る必要はないんですよ」
ヴィオーラは小さく微笑み、何かを振り切るように大地を蹴った。
ファジュラは小さく息を吐き出し、ある一点を見詰める。
「出て来なさい。ヴィーラは気が付かなかったようですが、判っていますよ」
ファジュラがそう言ってもヴェルディラは驚かなかった。つまり、ヴェルディラもセレジェイラの存在に気が付いていたのだ。セレジェイラはバツが悪そうに、姿を現し、二人の前に歩み寄る。
「ヴィーラから、何か聞いていますか」
ファジュラの問いに、小さく首を横に振る。ヴィオーラは何かを言いかけ、実際は何一つ本音を語らなかったのだ。
「鋭いのも考えものですね」
「全くだ」
セレジェイラは背後からかかった声に驚き振り返る。そこに居たのは、茶の髪と赤茶の瞳の男性。
「今日だと分かったんですか」
「目覚めと同時にな。不意に視えた」
何度となく遠目から見たことのある姿。黒薔薇の主治医の一族で薔薇の主治医。黄薔薇を妻に持つ者。名前をアレン。
「次いでに伝えようとしていたこともあったからな」
「なんです」
「ヴェルが飛んだり跳ねたりするのを禁止することだよ」
セレジェイラでは会話の内容は理解出来なかったが、ファジュラとヴェルディラは目を見開く。
「妊婦が飛んで移動するなんて願い下げだ」
妊婦、の言葉にセレジェイラは驚きを隠せなかった。何故、そんなことが判るのか。
「その前に……」
アレンの目がスッと細められる。視線の先はセレジェイラだ。
「間違いなく此奴だな」
アレンは何が間違いでないと言うのだろうか。
「お前に問う。もし、手が届かないと思っていた者が手に入るとしたら、どう行動する」
その問い掛けに疑問が浮かび上がる。アレンは謎掛けをしているのだろうか。
「もしも……、の話か」
「如何だろうな。ただ、お前の言葉で全てが変わる。本当の意味での全てだ」
「……全力で手に入れる」
セレジェイラは何を言われているのか判らなかったが、もし手に入るのなら、どんな努力も惜しむつもりはない。吸血族の時は長いのだ。諦めなければ、何時かは報われる。
「いい答えだ。じゃあ、ヴィーラが言った遠い所へ行く、は何を意味していると思う」
さっきの会話で今生の別れのようなやり取りをしていた。如何考えてもおかしいのだ。
急に浮かび上がった有り得ない答えに、セレジェイラは固まる。まるで、もう二度と会えないような会話だった。それはある意味の死を意味しているのではないか。吸血族にある死は二種類だけだ。
太陽に身を晒し、灰になる死か。
《永遠の眠り》を選択し、命を眠りの薔薇に移すかだ。
如何考えても《太陽の審判》が許されるとは考え難い。かと言って、部族長が簡単に《永遠の眠り》を許すとも思えない。
沈黙したセレジェイラにアレンはほくそ笑む。どうやら、莫迦ではないらしい。
薔薇の夫となるのだ。莫迦であってもらっては困る。これから起こることは、今までの安穏とした生活ではない。多くの干渉と、望んでいない現実が突きつけられる。
「もしかして《永遠の眠り》か」
二度と会えなくなるとヴィオーラは言ったのだ。最初は遠い場所に居を移すのかと思っていた。だが、それは本人から否定されている。両親に謝りの言葉を贈っていた。そして、何より目の前の存在の意味。全てを照らし合わせれば、自ずと真実は見えてくる。
「その結論に達したのはどうしてだ」
更にアレンは問い掛ける。まるで押し問答のようなやり取りに、セレジェイラは考える。ただ、訊いている訳ではない。おそらく、セレジェイラを試しているのだ。
「昨日、ヴィーが言っていた言葉と、いけないとは思うが、三人が話していた内容で」
「いい判断だ。では問う。ヴィーラがその選択をしたのは何故だと思う」
ヴィオーラはセレジェイラに告げたい事があったと考え、何らかの理由で躊躇った。躊躇った結果、《永遠の眠り》を選択したのだ。
吸血族は元々、血色が良い種族ではない。遠目からだがヴィオーラの顔色は吸血族であることを考えても青白かった。有り得ないことだが、血液が足りていなかったのではないだろうか。
「ヴィーラにはある物を渡していた。擬似血液剤だ。それだけ言えば判るんじゃないのか」
擬似血液剤、そんな物が存在していたことを、セレジェイラは知らなかった。だが、そうなると、数ヶ月前の出来事が不意に思い出された。セレジェイラが怪我をした時だ。
それは些細な変化だ。あの時、ヴィオーラは何かに動揺したのだ。
「吸血族の世界では、薔薇の血族を未だに捻じ曲げた見方をする者がいる。それは、真実に口を噤んでいるからだ。では、その全てを満たした時、どうなるのか。言わなくても判るだろう」
アレンの言葉にセレジェイラは勝手に体が動いた。今の言葉は本来なら有り得ない事が起こったのだと言っている。暇の言葉も告げずにセレジェイラは大地を蹴った。
「視えたような未来が待っていれば良いが」
アレンは小さく嘆息する。
「アレン……」
ファジュラは不安気な声音で名を呼んだ。
「薔薇の周りには愚か者は寄ってこない。彼奴はそれなりに頭が良いんだろう」
「それは否定しません。調律師の中でも一流の腕と知識を持っています」
「今のやり取りだけで、何が起こったのか察したみたいだしな。かなり、遠回しに言ったつもりだが」
事情を知っているアレンやファジュラとヴェルディラならば、今のやり取りで理解は可能だろう。だが、セレジェイラは何も知らないのだ。
「このまま、うちに来る予定か」
アレンは改めて二人に向き直る。
「そのつもりですが、両親に話をしていませんから。あの、さっきの言葉は本当ですか」
「妊娠のことか」
「そうです」
「ヴィーラ関係で視えたからな。間違いない」
ファジュラは少しばかり浮かない顔をした。ヴィオーラ関係で視えたと言うことは、彼がそれを望んでいたからに他ならない。
「変なことは考えないことだ」
「流れのままに……。そう言いたいんですね」
「そうだ」
「少し待っていてください。擬似血液剤を持ってきます」
ファジュラはそう言うと、館の中に姿を消した。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
連続寸止めで、イキたくて泣かされちゃう女の子のお話
まゆら
恋愛
投稿を閲覧いただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*)
「一日中、イかされちゃうのと、イケないままと、どっちが良い?」
久しぶりの恋人とのお休みに、食事中も映画を見ている時も、ずっと気持ち良くされちゃう女の子のお話です。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる