浅い夜 蝶編

善奈美

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Ⅶ 月響蝶

八章

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「そうですか」
 
 ファジュラはヴィオーラが告げた言に仕方ないと息を吐き出す。想像通りの結果に、苦笑いすら浮かばない。ヴェルディラと言えば、ただ、沈黙するばかりだ。
 
「訊くまでもなかった」
「どうしてです」
「自分の身勝手さに気が付いたから」
 
 散々、セレジェイラに本来の流れに戻るように促しながら、心の奥底では別の感情を抱いていた。その身勝手さに、真実を告げる事が出来なかったのだ。もし、ある程度鈍感ならば、素直に真実を語っただろう。

「感受性が強いのも考えものですね」
 
 ファジュラは息子の感受性の強さが、このような結果になるなど、考えた事もなかったのだ。楽師や絵師は感覚を重要とする。見た目や間違えのない音を奏でるだけではやっていけないのだ。極端な話、見た目や音は滅茶苦茶でも、心を打つモノはあるのだ。
 
「……心は最初から決まってたんだろう。本人に告げる告げないに関わらず」
「母さん……」
「セレから逃げていて、直ぐに考えが変わらない事は判ってたし。ヴィーラは何処まで行ってもヴィーラだろう」
 
 その言葉にヴィオーラは項垂れた。

「直ぐですか」
 
 ファジュラの言葉にヴィオーラは顔を上げ彼を凝視する。
 
「変化は痛みを伴います。それに耐えられるのは、相手を思っているからだそうです。それを得られない変化は苦痛でしかない。そう聞きました」
 
 ヴィオーラはギュッと両手を握り締めた。最初の変化が一番、痛みが強い事は聞いている。次の変化からは痛みは痛みとしてあるが、一瞬なのだという。当然、痛みを伴い変化するなら、元の性別に戻るときにも同じ苦痛を味わう。体を貫く痛み。薔薇達はそう表現する。

 ヴィオーラとしては、もう二度と変化をしたくない。何度となく変化をしようと、それは意味をなさないからだ。今は擬似血液剤で喉の渇きを誤魔化しているが、その誤魔化しすら限界を迎えるだろう。ヴィオーラはその前に誰にも迷惑をかけない方法、《永遠の眠り》に就くつもりでいた。
 
「……明日、長様に会いに行く」
「そうですか」
「ごめんなさい」
 
 沢山の愛情を注いでもらった。多くの知識と、楽師と絵師の知識も与えてもらった。その全てが無駄になるのだ。それを考えると、ヴィオーラは居た堪れなかった。

「どうして謝るんです」
 
 ファジュラは穏やかに問い掛ける。
 
「大切にしてくれたのに、 沢山教えて貰ったのに、何一つ返せてないっ」
「それは違いますよ。ヴィーラが居たからこそ、得られたものもあります。自分を責めるのは止めなさい」
 
 ヴィオーラは唇を噛み締めた。このままでは嗚咽してしまいそうだったからだ。
 
「……それに、俺は継ぐ者だったんでしょう」
「大丈夫ですよ。気にする必要はありません。まずは自分です」
 
 父親の優しい言葉に俯き、ポツリと床に一粒の涙が零れ落ちた。

 
      †††
 
 セレジェイラは次の日の日没を待ってヴィオーラの元へ向かった。彼の両親は息子が何かに迷いがある内は、仕事をさせる気がなかったので、不都合がなかったという事もある。その迷いは、ヴィオーラに関わりがあったのだから、尚更、出掛けて行く事に反対はしなかったのである。
 
 ヴィオーラの館前ではなく、少し離れた場所に着地する。何となくだが、飛んでいる姿を見付けられると、都合が悪いのではないか、と感じたからだ。そして、それは的中する。

 身を隠すように館に近付いたセレジェイラは、ヴィオーラとそれを見送るファジュラとヴェルディラの姿を目撃したのだ。普段は閉じている聴覚の魔力を解放する。本来なら盗み聞くような事はしない。だが、何故かそれが必要であると感じたのだ。
 
「本当に一人で大丈夫ですか」
 
 ファジュラの心配気な声が耳に届く。
 
「……大丈夫。それに、見送ってもらう資格はないし」
「そんな事はない。ヴィーが自分で決めたことを否定する気はないし」
 
 ヴェルディラの言葉にセレジェイラは引っかかるものを感じた。

 玄関先で語られる内容。それに引っかかりを感じたセレジェイラは更に、息を潜めた。
 
「……みんなは」
「誰一人ヴィーラを否定しません。自分が選び取ったものに責任が持てるなら、それが真実なんですよ」
「本当なら一人一人に謝らなきゃいけないんだ。でも、時間をかけたくないし、限界が近いと思うから」
 
 ヴィオーラが使う限界の言葉に、セレジェイラは更に引っかかるものを感じる。吸血族が感じる限界など、数える程しかない。最も限界だと感じるのは、吸血族が依存する飢えだ。

 あの日、言い合った日から、何となく、お互いを避けていた。ヴィオーラはどちらかと言えば、一人でいることを好む性格をしている。セレジェイラにしても、仕事で没頭すると周りが見えなくなる。今は仕事に身が入っていないことを父親に見破られ、強制的に休み言い渡されている。
 
「直ぐに望みは叶えられないかもしれませんよ」
「判ってる。それでも、俺の望みは変わらないから」
「そうですね。一つだけ忠告しますよ」
 
 ファジュラの言葉にヴィオーラは首を傾げた。

「アレンはヴィーラのことを良く知っています。おそらく、どのような行動をとるのかも理解していますよ。全てを視ていなくても、アレンは何もかも見透かしています。そのことを、忘れてはいけませんよ」
 
 ヴィオーラの顔色が変わったことがはっきりと判った。アレンの名に、セレジェイラは一人の人物を思い浮かべる。黒薔薇の主治医の一族で、黄薔薇の夫だ。五部族長に一目置かれており、部族長達が珍しく恐れをなしている存在だ。そして、薔薇の主治医の称号を戴いている。

「アレンさんは……」
「アレンはおそらく、私達、薔薇の夫達と何かが違うんですよ。確かに黄薔薇の夫ですけどね」
「どう言うこと」
「私にもはっきりとは。ただ、何かが根本的に違うと思います」
 
 ファジュラはそう言うと、ヴェルディラに視線を向ける。ヴェルディラは小さく頷いた。
 
「俺達は感覚的にアレンは違う存在だと感じてる。だからこそ、今回のことも、ただ、傍観しているわけではないだろう」
 
 ヴィオーラはコクリと小さく息を呑む。

「ですが、ヴィーラは自分自身で決めました。それを否定はしません。納得したからこそ出した答えでしょう。それに、心情も判りますし」
「そうだな。あの痛みに耐え続けるには、どうやっても相手が必要だから」
 
 両親の言葉にヴィオーラは頷いた。それを聞いたセレジェイラは肌を粟立たせた。この会話は何かがおかしい。ヴィオーラは二度と会えない遠い場所に行くと言っていた。だが、この会話は遠くに行くと言う次元ではない。今生の別れのような挨拶。

「行きなさい。苦しみが軽くなるように」
 
 ファジュラの言葉にヴィオーラは頷いた。
 
「あの薬。残りはアレンさんに返して。代金請求されなかったんでしょう」
「そうですね。この後、黒薔薇の主治医の館に行く予定です。確かめたいことがありすから」
 
 ヴィオーラは両親に深々と頭を下げた。
 
「今まで育ててくれて、大切にしてくれてありがとう。そして、ごめんなさい」
「謝る必要はないんですよ」
 
 ヴィオーラは小さく微笑み、何かを振り切るように大地を蹴った。

 ファジュラは小さく息を吐き出し、ある一点を見詰める。
 
「出て来なさい。ヴィーラは気が付かなかったようですが、判っていますよ」
 
 ファジュラがそう言ってもヴェルディラは驚かなかった。つまり、ヴェルディラもセレジェイラの存在に気が付いていたのだ。セレジェイラはバツが悪そうに、姿を現し、二人の前に歩み寄る。
 
「ヴィーラから、何か聞いていますか」
 
 ファジュラの問いに、小さく首を横に振る。ヴィオーラは何かを言いかけ、実際は何一つ本音を語らなかったのだ。

「鋭いのも考えものですね」
「全くだ」
 
 セレジェイラは背後からかかった声に驚き振り返る。そこに居たのは、茶の髪と赤茶の瞳の男性。
 
「今日だと分かったんですか」
「目覚めと同時にな。不意に視えた」
 
 何度となく遠目から見たことのある姿。黒薔薇の主治医の一族で薔薇の主治医。黄薔薇を妻に持つ者。名前をアレン。
 
「次いでに伝えようとしていたこともあったからな」
「なんです」
「ヴェルが飛んだり跳ねたりするのを禁止することだよ」
 
 セレジェイラでは会話の内容は理解出来なかったが、ファジュラとヴェルディラは目を見開く。

「妊婦が飛んで移動するなんて願い下げだ」
 
 妊婦、の言葉にセレジェイラは驚きを隠せなかった。何故、そんなことが判るのか。
 
「その前に……」
 
 アレンの目がスッと細められる。視線の先はセレジェイラだ。
 
「間違いなく此奴だな」
 
 アレンは何が間違いでないと言うのだろうか。
 
「お前に問う。もし、手が届かないと思っていた者が手に入るとしたら、どう行動する」
 
 その問い掛けに疑問が浮かび上がる。アレンは謎掛けをしているのだろうか。

「もしも……、の話か」
「如何だろうな。ただ、お前の言葉で全てが変わる。本当の意味での全てだ」
「……全力で手に入れる」
 
 セレジェイラは何を言われているのか判らなかったが、もし手に入るのなら、どんな努力も惜しむつもりはない。吸血族の時は長いのだ。諦めなければ、何時かは報われる。
 
「いい答えだ。じゃあ、ヴィーラが言った遠い所へ行く、は何を意味していると思う」
 
 さっきの会話で今生の別れのようなやり取りをしていた。如何考えてもおかしいのだ。

 急に浮かび上がった有り得ない答えに、セレジェイラは固まる。まるで、もう二度と会えないような会話だった。それはある意味の死を意味しているのではないか。吸血族にある死は二種類だけだ。
 
 太陽に身を晒し、灰になる死か。
 《永遠の眠り》を選択し、命を眠りの薔薇に移すかだ。
 
 如何考えても《太陽の審判》が許されるとは考え難い。かと言って、部族長が簡単に《永遠の眠り》を許すとも思えない。
 
 沈黙したセレジェイラにアレンはほくそ笑む。どうやら、莫迦ではないらしい。

 薔薇の夫となるのだ。莫迦であってもらっては困る。これから起こることは、今までの安穏とした生活ではない。多くの干渉と、望んでいない現実が突きつけられる。
 
「もしかして《永遠の眠り》か」
 
 二度と会えなくなるとヴィオーラは言ったのだ。最初は遠い場所に居を移すのかと思っていた。だが、それは本人から否定されている。両親に謝りの言葉を贈っていた。そして、何より目の前の存在の意味。全てを照らし合わせれば、自ずと真実は見えてくる。

「その結論に達したのはどうしてだ」
 
 更にアレンは問い掛ける。まるで押し問答のようなやり取りに、セレジェイラは考える。ただ、訊いている訳ではない。おそらく、セレジェイラを試しているのだ。
 
「昨日、ヴィーが言っていた言葉と、いけないとは思うが、三人が話していた内容で」
「いい判断だ。では問う。ヴィーラがその選択をしたのは何故だと思う」
 
 ヴィオーラはセレジェイラに告げたい事があったと考え、何らかの理由で躊躇った。躊躇った結果、《永遠の眠り》を選択したのだ。

 吸血族は元々、血色が良い種族ではない。遠目からだがヴィオーラの顔色は吸血族であることを考えても青白かった。有り得ないことだが、血液が足りていなかったのではないだろうか。
 
「ヴィーラにはある物を渡していた。擬似血液剤だ。それだけ言えば判るんじゃないのか」
 
 擬似血液剤、そんな物が存在していたことを、セレジェイラは知らなかった。だが、そうなると、数ヶ月前の出来事が不意に思い出された。セレジェイラが怪我をした時だ。

 それは些細な変化だ。あの時、ヴィオーラは何かに動揺したのだ。
 
「吸血族の世界では、薔薇の血族を未だに捻じ曲げた見方をする者がいる。それは、真実に口を噤んでいるからだ。では、その全てを満たした時、どうなるのか。言わなくても判るだろう」
 
 アレンの言葉にセレジェイラは勝手に体が動いた。今の言葉は本来なら有り得ない事が起こったのだと言っている。暇の言葉も告げずにセレジェイラは大地を蹴った。
 
「視えたような未来が待っていれば良いが」
 
 アレンは小さく嘆息する。

「アレン……」
 
 ファジュラは不安気な声音で名を呼んだ。
 
「薔薇の周りには愚か者は寄ってこない。彼奴はそれなりに頭が良いんだろう」
「それは否定しません。調律師の中でも一流の腕と知識を持っています」
「今のやり取りだけで、何が起こったのか察したみたいだしな。かなり、遠回しに言ったつもりだが」
 
 事情を知っているアレンやファジュラとヴェルディラならば、今のやり取りで理解は可能だろう。だが、セレジェイラは何も知らないのだ。

「このまま、うちに来る予定か」
 
 アレンは改めて二人に向き直る。
 
「そのつもりですが、両親に話をしていませんから。あの、さっきの言葉は本当ですか」
「妊娠のことか」
「そうです」
「ヴィーラ関係で視えたからな。間違いない」
 
 ファジュラは少しばかり浮かない顔をした。ヴィオーラ関係で視えたと言うことは、彼がそれを望んでいたからに他ならない。
 
「変なことは考えないことだ」
「流れのままに……。そう言いたいんですね」
「そうだ」
「少し待っていてください。擬似血液剤を持ってきます」
 
 ファジュラはそう言うと、館の中に姿を消した。
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