浅い夜 蝶編

善奈美

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Ⅶ 月響蝶

四章

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 ファジュラは薔薇園を目指していた。其処には妻であるヴェルディラと、アレンの妻のシオン、アレンの母のジゼルが居る筈である。アレンが言っていたことが頭から離れず、かと言って、本人に言うのも躊躇われた。否、言ってはならないから一人呼ばれたこともファジュラは理解している。
 
 ヴィオーラは元来内気で、吸血族とは思えない性格だ。舞台に上がる前も、非常に緊張している。緊張自体は必要なことだが、ヴィオーラのそれはファジュラやヴェルディラとは全く種類が違う。一度、演奏という世界に入ってしまえば問題ないのだが、その前は体が強張ってる位だ。

 こればかりは、性格であるのだからどうしようもない。しかし、アレンから聞いたことがある種の問題を露呈していた。もし、女性化をしたとして、両親であるファジュラとヴェルディラには言ってくるだろう。問題は相手に告げずに答えを出してしまう可能性だった。薔薇は変化をになった者以外を受け付けない。もし、否定され受け入れてもらえない場合、待っているのは《永遠の眠り》か《太陽の審判》だけなのだ。
 
 難しい表情で現れたファジュラに、三人は首を傾げた。本来、穏やかなファジュラには珍しい表情だったからだ。
 
「どうかしたのか」
 
 ヴェルディラが疑問を口に出した。それは二人も同じで、視線で疑問を投げかけていた。

「ヴィーラは」
「シンシーの部屋に行ったけど」
 
 妻の言葉にファジュラは息を吐き出し、息子の気配を探った。確かに離れの一室に、良く知った二つの魔力を感じる。しばらく戻っては来ないだろう。
 
「問題が起こるようです」
 
 嘆息するように言葉を吐き出したファジュラに、シオンは眉間に皺を寄せた。ファジュラの言葉は起こったことを言っているのではなく、これから起こるだろうことを言っていたからだ。
 
「アレンが何か言ったの」
 
 シオンの声は通常よりも低かった。

「薔薇が現れると言われました」
 
 三人は目を見開く。
 
「アレンはヴィーラが誕生したときに知ったようなのですが、何かの間違いだと、口を噤んでいたらしいんです」
 
 しかし、ファジールの言葉でその考えは否定された。アレンがヴィオーラの未来を垣間見たとき、それは本人に触れた状態で視たものだったからだ。
 
「あの子に触れて薔薇になると知ったようなのです」
「待ってよ。薔薇が生まれる必要はもう、ないでしょうっ」
 
 シオンは納得出来ないように語尾を荒げて言い募った。

「私達の関係で薔薇になる、そう思ったようです」
 
 黄薔薇の部族は未だに女児の出生率が上がらない。
 
「でも、ベンジャミンが言った言に、私だけではなく二人も驚いていました」
「あの子が何を言ったのかしら」
 
 ジゼルは疑問を投げかける。
 
「薔薇の中で他部族間の婚姻をしたのは私達だけであると」
 
 三人は顔を見合わせる。そんな考えに至ることは今までなかったからだ。
 
「ヴィーラの髪色が紫であることで、薔薇として生まれる星の元に生まれるべき命だったと」
 
 ファジュラはヴェルディラの横のベンチに腰を下ろした。

「意味が判らないんだけど」
 
 シオンは更に首を傾げた。
 
「紫は単色ではありません。赤と青の混色です」
「待ってくれよっ。辻褄あわせにヴィーラが生まれたって言うのかっ」
 
 ヴェルディラは納得出来なかったのか、ファジュラに食って掛かった。
 
「辻褄合わせではなく、本来の流れ、そう判断しました」
 
 誰も望んではいないだろう。薔薇は本来、流れに逆らった存在なのだ。当然、存在そのものが不安定であり、爪弾きにされても文句は言えない。各部族長の庇護があるからこそ、普通の生活が送れるのだ。

「アレンは黒の長様に連絡すると言っていました。まだ、確実ではなりませんが、後手に回るのは痛手ですから」
「もし、読み間違えていたら」
 
 シオンはもしものことを口にした。薔薇を望む者は多くいる。不確定要素でしかない情報は不安ばかりを煽るのだ。
 
「それも想定して動くと言っていました」
「回避は出来ないのか」
 
 ヴェルディラはファジュラを凝視した。薔薇である本人自身が、歪んだ存在であると判っている。判っていて、息子がそうであるとは思いたくないのだ。だからこその問いだった。

「アレンも考えてくれたようです。ですが、見えるのはあくまで漠然としたものだけ。どの様な過程を経て薔薇となるのかは判らないそうです。ただ、視えた映像の姿が今のヴィーラであるのだと言っていました」
 
 ファジュラとて、信じたくはない。だが、月読みは特殊な魔族だ。アレンが吸血族でありながら、月読みの力を発揮する事実は知っている。それも、よほどでなければ違えることはない。ましてや、ヴィオーラに触れて見えたのだ。ほぼ、間違えのない情報だろう。

「僕達に求められているのは、ただ、見守るだけってことなの」
 
 シオンの言葉にファジュラは頷くしかなかった。おそらく、アレンが視たものの中に、ファジュラが三人に話していることも含まれている筈だ。ファジュラが一人で抱え込まないことも想定している筈である。それでも話したのは、覚悟を促すためだろう。だから、開口一発目の言葉が、早く次の子もうけるようにと言ったのだ。
 
 ヴィオーラがどのような運命を辿ったとしても、両親の元を離れることになる。薔薇となり、相手が受け入れてくれたとしても、逆に拒絶したとしても、結局は離れていくのだ。

「あの子がどのような道を選んだとしても、私達のもとから離れていきます。遅かれ早かれ。ですから……」
 
 ファジュラは一旦、口を噤んだ。アレンが言っていることも理解出来るが、だからと言って、素直に受け入れることもはばかられる。アレンとシオンの感覚で考えるのはある意味、危険なのだ。
 
「もう一人子供を作れとでも言われたの」
 
 ジゼルが揶揄るように言ってきた。それに脱力したファジュラである。黒薔薇の主治医の一族はやはり、鉄の心臓を持っている。
 
「そうなの」
 
 シオンは目を輝かせた。

「……言われました」
「確かに、ヴィーラが本当に変化するなら、必要よね」
 
 ジゼル頰に右手を添える。
 
「あの子を授かったのは間違いであるとは思いたくありません。それに……」
「ファジュラって、性欲なさそうだもんね」
 
 シオンが満面の笑みを浮かべて言い切った。
 
「……そういう訳では」
「もしかして、俺に魅力を感じないのか」
 
 ヴェルディラが不安そうにファジュラの顔を覗き込む。
 
「違いますっ。ただ、安直に子供、という思考にならないんです」
 
 ファジュラはなんとも言えない表情を見せた。

「その考えは判らなくないけど、ヴィーラを思うなら、考えるべきだと思うわよ」
 
 ジゼルは人差し指を口元に持っていく。その言葉に疑問顔を向けたのはファジュラとヴェルディラだ。
 
「あの子は吸血族とは思えない感覚の持ち主だし、楽師で感性が鋭いでしょう。考えなくても良いようなことまで考えて、グルグルしてしまうと思うわ」
 
 ジゼルの言葉に否定する言葉が出てこない。プライドの高い吸血族だが、ヴィオーラはその部分を生まれ落ちたときに何処かに置き去りにしたような感じなのだ。

「真剣に考えるべきだと思うわ。ご実家の後を継がないと言っても、貴方達には薔薇の楽師としての称号があるのよ」
 
 ジゼルは二人を見据えて言い切る。
 
「では、アレンには薔薇の主治医としての称号があるでしょう」
「何を言ってるの。アレンとシオンは子沢山よ。生まれてくるのが女の子なんですもの。こればかりは仕方ないでしょう」
 
 見事に女児のみのアレンとシオンの子達は、本人達がどう思おうと事実は変わらない。五人共そうなのだから、もし、更に授かったとしても、男児である可能性は低い。何より、アレン本人が女児しか授からないと言い切っている。

「今は僕達のことじゃないでしょ」
 
 シオンは架空を見詰め爪を噛んだ。アレンがファジュラに告げたということは、道筋はどうやっても変わらないのだ。もし変わるなら、とうの昔に変わっている。
 
「相手は判らないの」
 
 シオンはファジュラとヴェルティラを見据える。二人は顔を見合わせた。
 
「判ってる感じだよね」
 
 ファジュラは諦めたように息を吐き出す。アレン達に言ってあるので、口を噤んでも何時かは知れる。
 
「幼馴染みのセレジェイラです」
「あれ。シンシーが会ったことあるよね」
 
 シオンは軽く目を見開いた。

「会っていると思います。セレは私達の自宅にも遊びに来ていましたから」
 
 ヴィオーラがセレジェイラの館に預けられたように、その逆もあったからだ。シンシアはギアの関係で会いに行き、ついでにヴィオーラにも会っていた。
 
「今は調律師として、私達の館と実家の館に出入りしています」
「そう考えると、可能性としては仕事中に何かがあるって考えるのが自然だよね」
 
 ギアが生まれた時、ファジュラとヴェルディラはティファレトの実家に居を移した。その関係でセレジェイラはどちらの館にも顔を出している。

「実は既に問題が生じているようなんです」
 
 ファジュラは眉間に皺を寄せる。ヴィオーラのとった行動はよく知った者なら判ることだ。セレジェイラも理解してるだろう。しかし、理解出来るからと、逃げに転じているヴィオーラを責めるのは仕方のないことだ。
 
「詳しくは聞いてはいないんですが」
「それさ。教えてくれるんだよな」
「勿論ですよ。口を噤むつもりはないですから」
 
 ファジュラとて、最愛の息子の今後が掛かっているのだ。一人で抱え込むつもりなどないだろう。

「ヴィーラって保守的ですものね」
「それに関しては否定出来ません」
「他の薔薇の子達と全然違うものね。誰に似たのかしら」
 
 ジゼルは小さく息を吐き出す。
 
「仕方ないじゃないか。小さい時からだし」
「そうなんですよね。幼い時から一歩引いた場所にいて、欲しい物を欲しいと言えない子でしたから」
 
 それはつまり、諦めた方が楽だという思考に走りがちなのだ。
 
「持って生まれた性格では、どうしようもないものね」
「でも、今回ばかりはそうも言っていられないでしょ」
 
 シオンの言うことは尤もなことだ。

「もし、何かが起こって変化したとするでしょ。最大の問題が性格だよ。下手をしたら黙って《永遠の眠り》に就く可能性があるってことだし」
 
 シオンが言葉にしたことはファジュラも考えたことだ。
 
「シオンも人このとは言えないでしょう。アレンに黙って《太陽の審判》を決めてしまったじゃないの」
 
 ジゼルの指摘に、シオンはグッと言葉を詰まらせる。
 
「あの時はっ、アレンが好いていたのがカイファスだったからだよっ」
「そうは言うけど」
 
 二人の言い合いに、ファジュラとヴェルティラは軽く目を見開く。

「今は僕の話じゃないでしょっ」
 
 確かに今はヴィオーラの話だ。しかし、好奇心というものはどの種族でも当たり前のように存在する。ファジュラとヴェルティラは互いに頷きあう。今回のことが解決したら、改めて、詳しく他の薔薇達の話を聞こうと。
 
 あの当時は聞く必要がないと思い軽く流してしまった感じだった。今は訊いても答えてはくれないだろうと、二人同時に息を吐き出す。
 
「アレンは今は流れに任せるべきだと言っていました。対策はしておく必要はあるとその後、言っていましたが」
 
 結局、その時にならなければ判らないのだ。
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