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Ⅴ 月虹蝶
四章
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ヒューラがセイラの元へ訪れたのは、あの日から丁度、一ヶ月後だった。応対に訪れたベンジャミンは、何も語ることなく、館の中へ招き入れ、そして、その姿を見送った。
「大丈夫なの」
一緒にいたルーチェンは疑問を口に出した。
「さあ。でも、兄さんの指示だから」
「そのことなんだけど、アレンさんの特技って、何でも知っていることなの」
ルーチェンの問いに、ベンジャミンは苦笑いを浮かべる。何かがあり、アレンがまるで何もかもを知っているようなことを言うと、疑問を持つのは当たり前のことだ。
何時までも、秘密にしてはおけないだろう。
「疑問に思ったことはない」
ベンジャミンの問い掛けに、ルーチェンは眉間に皺を寄せた。確かに、アレンはおかしなことを言っていたとは思う。だが、その、おかしなことは、ルーチェンが自分自身に一杯一杯で、流してしまっていたことは否定しない。
「……おかしいとは思っていたわ」
ベンジャミンは小さく呟くように言ったルーチェンに苦笑いを浮かべる。疑問に思っていても、当時は答えることはなかった。だが、ベンジャミンの妻となった以上、避けては通れない。
「兄さんはかなり特殊な存在なんだよ。そう、魔族全体、において」
ベンジャミンはそう、言葉を紡いだ。
†††
セイラの部屋を訪れたヒューラは、腕を組んだその本人と対峙していた。どう見ても、問い詰める気満々だ。
「それで、答えてくれるのかしら。今までと今の違いを」
セイラは単刀直入に訊いてきた。ヒューラとしては答える気ではいる。だが、セイラがどの程度二人から聞いてきたのかが気になった。
何故なら、ヒューラは二人とは会っていないからだ。そうなると、セイラの情報とヒューラの情報とでは食い違いが出てしまうかもしれない。
「二人から訊いてきたんだよね」
「それが何だって言うの」
セイラは間髪いれずに言い切った。
「確かに訊いてきたし、ある程度なら理解もしているとは思うわ。でも、二人の言葉が絶対だ何て思っていないのよ」
セイラは険しい表情を崩しはしなかった。二人から聞いた話で、ヒューラが取った行動は間違えていなかったと言えるだろう。それは、結果論に過ぎないのだ。セイラとしては、騙されたとの強い思いがある。
ヒューラの話によっては、考えを改めなくてはならない。セイラは何を信じてよいのか、判らなくなっていたのだ。だからこそ、本人の言葉が必要だった。嘘偽りのない、本当の真実をだ。
「やっぱり、セイラだな」
「どう言うこと」
ヒューラの言葉に、セイラは首を傾げた。
「セイラだから、この手を使ったんだ」
セイラは困惑する。確かに、二人からヒューラの思い通りにセイラが動いたことは判っている。そうなるように、ヒューラが誘導したことも聞いてはいた。
「アーダやアンになら別の手を考えたよ」
ヒューラは語る。好きで偽ったわけではない。このままでは吸血族全体がおかしな考えに囚われ、薔薇の血族は窮地に立つことになる。それだけは、どうしても回避しなくてはならなかった。
「その話は聞いたわ」
セイラは未だに信じられないのか、表情に表れていた。
吸血族に蔓延している、有り得ない考え。薔薇の娘だからこそ判る。薔薇になるのは簡単なことではない。それは、奇跡と、ほんの少しの切っ掛けが必要で、故意に発生させることが出来ない。だからこそ、部族長達は、ある特定の薔薇になる条件を伏せている。
絶対的に必要なのは、血液、そのものである事実をだ。
「私達は肌で感じて育っているけど、他の吸血族は違う。彼等は薔薇の血筋が欲しいんだ。より確実に血を残すために」
その心理が判らないわけではない。
問題は本人達を無視した状態で、話ばかりが先走ったことなのだ。
「薔薇の子供は、まるで集められるように育った。そう、ファーのために」
ファーダが孤立し、他との接触なく育つのを回避するために、事情を知っている薔薇の関係者の囲いの中で育てられた。
そうなると、その囲いの中から相手を選んでしまう。彼等にしたら、許せなかったのだろう。
数が少ない女児を、薔薇の血族の中で囲い込んでしまう。薔薇の関係者の中で婚姻相手を決定してしまう。面白くなくて当然だろう。
「……ファーは月華ですものね」
セイラは確認するように呟いた。
ファーダが月華であることは知っていても、真にどういった存在であるのか、二人は知らない。それはある意味、知る必要がないのだ。だから、当人のみが詳しく知っている。
ただ、存在そのものが危険であり、管理されなくてはいけないと言うことは、アレンから聞いている。
「私達はある意味、護られた中で育ったんだ。あの時に、そのことを痛感させられた」
祖父に連れられ、初めて薬師の会合に参加したとき、薔薇の息子であるという、奇異の目に晒される覚悟はしていた。まさか、同性から異性を見るような視線を向けられるなど、想像すらしていなかったのだ。
そのときに感じたのははっきりとした嫌悪感だった。
「セイラを奪われるつもりはなかった。だから、先手を打ったんだ」
吸血族の独身男性は何も、可能性の低い女性化だけを望んだのではない。薔薇の血族同士での婚姻を阻止したかったのだ。だが、一緒に育ち、物心つく頃には、セイラだけが欲しいとの欲求が芽生えていた。
アンジュとアーダも居たが、セイラに感じた感情を二人に感じたことはない。
それは当然、セルジュとファーダにも言えることだった。だから、ヒューラは敢えて自分を偽る選択をした。セイラに全てを託し、吸血族の、それも独身男性の前で啖呵を切らせるために。
大人しいといわれるセイラだが、そんなのは違うということを、外の世界に出て、はっきりと認識した。
結局は吸血族が変わっていかなくては解決しないのだ。だが、部族長の言葉では納得しない者の方が絶対的に多かった。だからこそ、ヒューラはセイラに託したのだ。
「ヒューは私が必要なの。それとも、利用しただけなの」
「聞いていなかったの。奪われるつもりはないと言っただろう」
セイラは目を細めた。本心であるのか、そうでないのか、判断出来かねた。何故なら、ヒューラを信用するには、決定的な何かが足りないのだ。それが何であるのはかは、セイラには判らない。
「……今回のことを謝るつもりはあるの」
「謝るつもりはないよ」
ヒューラは母親にもそう言い切ったと、淀みなく答えた。
「何を信じていいのか判らないわっ」
セイラは吐き捨てるように言った。ヒューラを信じるには、どうしても、引っかかる部分があるからだ。
「ヒューは外の世界を知って、今回のことを実行したのかもしれない。確かに、セルとファーは知っていたけど、私達には何一つ教えてくれなかったわ」
「言っただろ。必要があったから、セイラ達には敢えて、教えなかったんだ」
それに、とヒューラは続けた。
「そのとき話したとして、本当に信じただろか」
ヒューラは逆にセイラに問い掛けた。成人し、薬師の会合から帰って直ぐ、セイラに吸血族に蔓延し始めている愚かしい考えを教えたとしても、理解はしなかっただろう。
セイラはある意味、正常な環境で育ったのだ。そして、そんなセイラ達と育ったヒューラ達もそうであったため、気が付いたといっても過言ではない。
「女児が少ないことはアレンさんに、聞いて知っているとは思う。じゃあ、その事実が、吸血族そのものを決定付けていることは知らないだろう」
「どう言うこと」
ヒューラは小さく溜め息を吐いた。
「吸血族は同族と婚姻することは難しい。それは男女比率が著しく合わないからだ」
彼等は薔薇と呼ばれる存在を知って、当然、その存在を得たいと考えた筈だ。しかし、薔薇には枷が在る。それは、変化を担った者以外の血液を摂取出来ないという枷だ。
ならば、薔薇の血族を手中に収めたいが、薔薇の血族の女児は黄薔薇と紅薔薇の娘だけ。しかも、紅薔薇の娘は黒薔薇の主治医の後継者の元へと嫁いだ。
では、黄薔薇の娘達はどうか。
その、娘達も薔薇の血族の男児を選び、他の吸血族は歯牙にも掛けない。その先に導き出された答えは、薔薇から薔薇が生まれるという、愚かしい考えだったのだ。
「否定することは簡単だけど、果たして、そう言ったところで、何人の吸血族が信じると思う」
実際、黒の長は吸血族に蔓延し始めている考えが、間違いであると判っていても、どうすることも出来ずに頭を悩ませていたのだ。
「本当なら、こんなことはしたくなかった。する必要さえなかった筈なんだ。でも……」
「……誰も実行出来ないなら、自分で……、そう言うことなの」
セイラは慎重に言葉を選んだ。アレンはセイラに何かを見落としていると言っていた。もし、それが、今、言っていることだとするなら、見落としていたのではなく、セイラはその事実を知らなかったのだ。
知ろうと思えば出来ただろう。しかし、セイラの中で、ヒューラが言っていたことは知る必要を見出せなかった事柄なのだ。
何故なら、セイラは女性で、薔薇が母親でも、それ以上の事実はなかったからだ。
「じゃあ、約束して。もう、絶対偽らないって」
セイラは低い声で、そう、ヒューラに言葉を紡いだ。ヒューラはその言葉に逡巡する。絶対という言葉は、長い生を生きる吸血族では約束出来るものではない。
「偽らないで。騙そうとしないで。それでも、必要なときは、必ず、最後には教えて」
セイラは再度、同じ言葉を発した。それは、ヒューラが言い淀んだからだ。
「……絶対は約束出来ない」
セイラの顔が歪んだ。
「でも、そうなったとしても、最後には絶対に話すと約束は出来るよ」
ヒューラの精一杯の譲歩だった。
偽らないと約束出来ないのは、必要に応じてそうしなくてはならないときがあるからだ。心配を掛けたくなくて、嘘を吐くときもある。
「それは、約束出来る」
セイラは口を噤んだ。今の言葉はヒューラなりの誠意なのだろう。では、セイラはどうすればいいのか。
セイラは一度、瞳を閉じた。啖呵を切ったあの日から、心の整理がついていない。しかし、ヒューラに期限を突きつけたのは、なにも、ヒューラだけに向けたものではなかったからだ。
セイラ本人が答えを出すための時間でもあったのだ。だが、知った事実がセイラを混乱に落としいれ、どうしていいのか判らなくなってしまった。
では、どうやって答えを出すべきか。ゆっくりと瞳を開く。そこに映るのは、薄い色合いの癖のない金髪と、青い瞳。長い間、見続けた幼馴染みで、ずっと、気に掛けていた者の姿。
答えなど、最初から出ていた。騙されたとしても、どんなことをされても、ヒューラ以外はセイラには必要ない。
そう、生まれたときから、セイラはヒューラだけを見てきた。それは昔も今も、何より、これからも変わりはしない。
もし、離れたら、後悔することになる。今までの想いが、露と消えてしまう。
「……じゃあ、離れないと約束して」
セイラは小さく呟いた。
†††
「早いじゃないか」
アレンはある人物の訪問に、そう声を掛けた。
「今は演奏旅行中だろうが」
「両親が此方にご厄介になりなさいと、そう言ったので」
アレンはその言葉に首を傾げた。
「どう言う意味だ」
「実は本人を先にアレンに会わせるつもりだったのですが、どうしても、シオンとジゼルさんに挨拶したいと」
アレンは更に困惑を顕わにする。
「その前に、娘さん達が結婚するとか。おめでとうございます」
微笑を浮かべた人物。それは、黄薔薇の楽師。ファジュラ、その人だった。
「それを言うためだけに来たわけじゃないだろうが」
「はい。実は……」
そう言いかけたとき、廊下の向こう側から声が聞こえた。二人は声の主に顔を向ける。視界に入ったのは、青味の強い銀の髪。華奢な体付き。しかし、アレンはその姿に目を見開いた。
今日は満月ではないからだ。
長い波打つ銀髪を靡かせ、駆けて来る。しかし、アレンは何時もの癖で反射的に叫んでいた。
「妊婦が走るなっ」
その声に、駆けて来た者は足が止まった。ファジュラはアレンの叫び声に目を見開いた。
アレンは呆れたように溜め息を吐くと、ファジュラに視線を向けた。
「つまりだ。そう言うことか」
「はい。私達はどうしても、注目を集めてしまうので、此処ならば、安心して過ごせるだろうと」
大声で注意をされた妊婦。もとい、ヴェルディラは、ゆっくりと二人に近付いて来た。
「言ったでしょう。此処では走ったりしたら、注意を受けると」
「少しくらい、走ったって平気じゃないか」
ヴェルディラは不貞腐れたように、呟く。
確かに少し走ったくらいではどうということはないのだが、何せ、アレンはジゼルの息子で、妻はあのシオンだ。
大人しくしていることがない二人のせいか、はたまた一族の特性なのか、妊婦に対して過剰に反応してしまうのは仕方がないのだ。
「《婚礼の儀》は一ヶ月後なのに、どうしたのかと思っていたが、それなら納得だ」
アレンは腕を組み、息を吐き出した。
「三人も居なくなってしまうと、寂しくはないのですか」
ファジュラは疑問を口に出した。アレンはその言葉に、肩を竦める。確かに嫁に出すのだが、どうも、その感覚が薄いのだ。
アレンにしてみれば、三人娘の花婿達は自分の子供である感覚が強い。それは、幼い時をこの館で過ごしていたからだ。
「嫁に出すって言うより、収まるところに収まった感じだな。それに、娘ならもう一人居るしな」
アレンにしてみれば、行かず後家よりマシだと言うのだ。何故なら、上手くいかなければ、三人ともこの館で過ごし、最終的には《永遠の眠り》だったのだから。
「そんなに深刻なことになっていたのですか」
「深刻って言うか、必要なことだったんだよ。それより、家族はきてくれると言っていたか」
ファジュラは頷く。
《婚礼の儀》は約一ヵ月後の満月だ。アレンはどうしても、ファジュラの家族、特に弟のギアに来てもらいたかったのだ。その言葉に、二人は首を傾げた。
「どうして、ギィなんですか」
「どうしてだろうな」
アレンは曖昧に微笑んだ。その仕草にヴェルディラは眉を顰める。
「何か視えたみたいに感じるのは気のせいか」
ヴェルディラは腕を組み、アレンを睨み付けた。
「それはどうだろうな」
アレンは更に喰えない笑みを浮かべる。どうやら何かを企んでいそうだ。
†††
「やっぱり、女の子は良いわね」
うっとりと、そんなことを言ったのは、レイチェルだった。目の前に居るのは、腕にシンシアを抱いたジゼルだ。
ごたごたはあったが、何とか収まるところに収まった三組の《婚礼の儀》の当日である。
「そうでしょう。でも、男の子も可愛いと思うわ」
ジゼルは溜め息と共に、そんな言葉を吐き出した。確かに女の子は可愛いのだが、孫がほぼ女児であるジゼルにしてみれば、男の子の孫も欲しいと思うのだ。そんなジゼルの様子に、レイチェルは呆れたように息を吐き出した。
「贅沢ばかり言っていると、罰が当たりますわよ」
レイチェルにしてみれば、女の子の孫は羨ましいのだ。
「それにルーが男の子を生んでくれるんじゃないんですの」
レイチェルのその言葉に、ジゼルは満面の笑みを浮かべた。二人はまだ、赤ちゃんは授かっていないが、そのうち、玉のような子を授かるだろう。
「それに、三人の用意を手伝わなくって良いんですの」
「その言葉はそっくり返すわ」
「あら。だって、カイファスが手を出すなと言ったんですもの」
レイチェルは不貞腐れたように、唇を尖らせた。ジゼルはと言えば、三人のドレスを作ることを条件に、シンシアの面倒を見ることを約束したのだ。
「それに、アレンが面白いものが見れるから、シンシーの側に居た方がいいと言っていたわ」
ジゼルの言葉に、レイチェルは首を傾げた。
「面白いものって、何ですの」
レイチェルは首を傾げる。
「判る筈がないじゃない。アレンは本当のことを殆ど教えてはくれないのよ」
ジゼルはあからさまに溜め息を吐いて見せた。
「そんなところもお母様と同じなのね」
「アリス様は今は」
ジゼルの質問に、レイチェルは架空に視線を向けた。能力を封印してから、アリスは変わった。黒の長と、時間を見つけては出掛けているらしい。あくまでらしい、としか言えないのだが。
「まあ、アレンが面白がるんだから、本当に面白いのよ」
ジゼルは変に納得したように、頷いて見せた。
二人でそんな話に花を咲かせているときに、今日の主役である三人娘が入ってきた。華やかなドレスに身を包み、髪も綺麗に結い上げ、薔薇で飾られている。
本来なら、黄薔薇であるシオンの娘なのだから、髪を飾る薔薇は黄薔薇なのだが、今回は、それぞれの相手の色の薔薇を使っている。ドレスもそれに合うように作られていた。
一番幼い容姿のアンジュはふんわりとしたドレスなのだが、相手がセルジュで、母親は紅薔薇。そのため、アンジュのドレスは黄色と赤色で作られており、髪を飾る薔薇は赤い薔薇だ。
双子の姉であるアーダは、三人の中では一番落ち着いたデザインのドレスを身に纏っている。白薔薇を母親の持つファーダが花婿であるため、ドレスは黄色と白を基調としている。当然、髪を飾るのは白薔薇だ。
セイラは三人の中では比較的、シンプルなデザインのドレスだ。黄色と黒を基調とした色合いのドレスは、ある意味、かなり目立っていた。しかも、セイラの髪は金髪で、更に強い印象を与える。髪を飾る薔薇は当然、黒薔薇。
そんな三人は迷うことなく、シンシアを目指していた。
「お母さん達が、シンシーを祝福して来なさいって」
アンジュの言葉に、ジゼルとレイチェルは顔を見合わせた。確かに、花嫁の祝福は貴重なものだ。シンシアに三人は祝福のキスを贈り、室内に響いたのは幼い笑い声。シンシアは姉達の祝福に、笑い声で応えた。
そんな中、ゆっくり扉が開き、一人の女性と、男性が入って来た。その姿に、笑みを見せたのはジゼルとレイチェル。
「久しぶりね」
「本当に。ご無沙汰しています」
ジゼルの声に、そう返したのは、ティファレト。
「あら。アーネストはどうしたんですの」
レイチェルの言葉に、アーネストはファジールの元に残ったのだという。では、一緒に来た男性は誰なのか。
「ギィも大きくなったのね。最後に会ったのは成人前ですものね」
ジゼルはしみじみと言った。
ティファレトとアーネストの息子で、ファジュラの弟のギアは、軽く頭を下げた。
「ねえ。シンシーの様子がおかしいと思わない」
アーダが姉妹二人の耳元でそう囁いた。アンジュとセイラはその言葉に、妹であるシンシアに視線を向けた。
シンシアは沢山の大人達に囲まれて生活しているために、大人しい性格で、しかも、人見知りを全くしない。つまり、何時も注目を自然と集めるために、言い方は悪いが、誰かに固執する傾向は薄いのだ。
そのシンシアが、ある一点に視線を向けている。視線の先を三人が辿ると、行き着く先はティファレト……、の後ろだった。
「どう言うことかしら」
アンジュが首を捻る。そう言えば、アレンが楽しそうにしてはいなかっただろうか。普通なら、娘が誰かの元に行くのを父親なら、多かれ少なかれ、嫌がるものなのだが、アレンにその傾向はない。
理由は簡単で、娘ばかりが子供で、そんなことをしていては身が持たないのだと、肩を竦めて言っているのを聞いたことがある。
「あれよね。私達は覚えてないけど、幼い時に、相手を決めてたって、お母さんが言っていたから、もしかして……」
セイラの言葉に、二人は頷いた。ジゼルとレイチェルは、ティファレトと談笑していて、全く気が付いてはいない。ティファレトの後ろに居るギアは、居心地が悪そうだ。
「どうして、この場所に来たの」
アーダが何の前触れもなく、そう、ギアに話し掛けた。驚いたのは話していたジゼルとレイチェル、ティファレトだ。
腕を組んだ花嫁の姿は、かなり異様だ。
「アレンに行くように言われたのよ」
ティファレトが疑問を顔に貼り付けたまま、そう言った。三人は顔を見合わせる。アレンは、やたらとギアが来ることに拘っていた。ファジュラとヴェルディラに何度も訊いていたのは知っている。
つまり、アレンは何かを視たのだ。それも三人のことだけではなく、シンシアのことについても。面白がっていたのは、主にギアの反応なのだろう。
セイラがおもむろにシンシアを抱き上げた。驚いたのはジゼルだ。セイラに抱き上げられても、シンシアの視線は変わらない。
ゆっくりと歩いて行き、シンシアをギアの目の前に連れて行った。そして、固まったのはギアだ。どうして、固まったのか。その理由は至極簡単だった。
「やっぱり」
そう言いながら、セイラは手を離す。それでも、シンシアが床に落下しないのは、ギアの首にしがみ付いているからだ。
「ギィ、ちゃんと抱き上げなさいっ」
ティファレトは慌てて、ギアを窘めた。ギアは反射的にシンシアを抱き上げはしたが、表情は完全に固まったままだ。
「お父さんが面白がることなんて、決まってるわ」
セイラが呆れたように言った。しかも、アレンの性質の悪いところは、正確な情報を誰にも与えないということだ。
自分自身が判っていて、他の者達が首を捻るのを、面白おかしく眺めいている。しつこく訊いても、絶対に教えてはくれない。それは、口に出すことで、本来の流れが切断される恐れがあるとかないとか、都合のいいように言い包めてしまう。
「まあ、貴女達と一緒ね」
ジゼルはのほほんと、軽い口調で言葉を口にした。ティファレトはただただ、驚くばかりだ。レイチェルはといえば、ジゼルが言っていた、面白いことの答えを知り、微笑んでいる。
「もう、相手を決めてしまったのね。困ったわ。もう少し、楽しみたかったのに、楽師の元に嫁ぐのなら、それなりの教育をしなくてはいけないじゃない」
ジゼルは小さく溜め息を吐いた。確かに、早くに相手を決めるのは、教育上、都合がいいのだが、シンシアはまだ、生まれてそれほど経ってはいない。
「待ってくださいっ」
「何ですの」
レイチェルは慌てたように言葉を発したティファレトに、首を傾げる。
「本人が決めたと決め付けるのはっ」
「あら、此処に決定的な現実が居るじゃないの」
ジゼルはそう言うと、今回の主役達に視線を向けた。
「ティファも見ていて、知っているでしょう」
ティファレトは固まった。三人の花嫁に視線を走らせ、今から二百年程前の《婚礼の儀》を思い出していた。確かに、今回の《婚礼の儀》の相手は、あの時、互いに手を握り合っていた者同士だ。
否定したくとも、否定出来ない事実をティファレトは目撃している。
「シンシーが成人するまでに、長い時間が必要だよ。だから、その間に、ギィが相手を見付けたら、シンシーの思いは水の泡だね」
ギアの後ろから、そんな声が聞こえてきた。振り返った先にいたのは、独特の金の巻き髪。琥珀の瞳。
「お久しぶりです」
ティファレトの声に、視線を向ける。ギアの後ろにいたのは、今回の主役達と、シンシアの母親のシオン。
「久しぶりだね。一年位前だもんね」
シオンは微笑みながら、そう口を開いた。
「本当にアレンは、僕にも教えてくれなかったんだよ。大切なことなのに」
シオンは膨れっ面で、溜め息を吐いた。
「そんなことより、時間だよ。長様達を待たせるわけにもいかないし」
シオンはそこまで言うと、三人娘を急かした。
「ギィはシンシーをお願い。離したら絶対泣くから」
シオンはそう言うと、三人娘を引き連れて、さっさとその場を離れた。ギアは当然、固まった。シオンの言葉に我に返ったときには、その姿はなく、母親とジゼル、レイチェルに助けを求める視線を向けたが、ただ、微笑が返ってくるだけだった。
「今泣かれたら、大変なのよ」
ジゼルはあからさまに溜め息を吐く。
「そうですわね。泣いているところを、見たことはありませんけど、一度泣き出したら、泣きやまなそうですものね」
レイチェルの留めの言葉に、ギアは項垂れた。
「大丈夫なの」
一緒にいたルーチェンは疑問を口に出した。
「さあ。でも、兄さんの指示だから」
「そのことなんだけど、アレンさんの特技って、何でも知っていることなの」
ルーチェンの問いに、ベンジャミンは苦笑いを浮かべる。何かがあり、アレンがまるで何もかもを知っているようなことを言うと、疑問を持つのは当たり前のことだ。
何時までも、秘密にしてはおけないだろう。
「疑問に思ったことはない」
ベンジャミンの問い掛けに、ルーチェンは眉間に皺を寄せた。確かに、アレンはおかしなことを言っていたとは思う。だが、その、おかしなことは、ルーチェンが自分自身に一杯一杯で、流してしまっていたことは否定しない。
「……おかしいとは思っていたわ」
ベンジャミンは小さく呟くように言ったルーチェンに苦笑いを浮かべる。疑問に思っていても、当時は答えることはなかった。だが、ベンジャミンの妻となった以上、避けては通れない。
「兄さんはかなり特殊な存在なんだよ。そう、魔族全体、において」
ベンジャミンはそう、言葉を紡いだ。
†††
セイラの部屋を訪れたヒューラは、腕を組んだその本人と対峙していた。どう見ても、問い詰める気満々だ。
「それで、答えてくれるのかしら。今までと今の違いを」
セイラは単刀直入に訊いてきた。ヒューラとしては答える気ではいる。だが、セイラがどの程度二人から聞いてきたのかが気になった。
何故なら、ヒューラは二人とは会っていないからだ。そうなると、セイラの情報とヒューラの情報とでは食い違いが出てしまうかもしれない。
「二人から訊いてきたんだよね」
「それが何だって言うの」
セイラは間髪いれずに言い切った。
「確かに訊いてきたし、ある程度なら理解もしているとは思うわ。でも、二人の言葉が絶対だ何て思っていないのよ」
セイラは険しい表情を崩しはしなかった。二人から聞いた話で、ヒューラが取った行動は間違えていなかったと言えるだろう。それは、結果論に過ぎないのだ。セイラとしては、騙されたとの強い思いがある。
ヒューラの話によっては、考えを改めなくてはならない。セイラは何を信じてよいのか、判らなくなっていたのだ。だからこそ、本人の言葉が必要だった。嘘偽りのない、本当の真実をだ。
「やっぱり、セイラだな」
「どう言うこと」
ヒューラの言葉に、セイラは首を傾げた。
「セイラだから、この手を使ったんだ」
セイラは困惑する。確かに、二人からヒューラの思い通りにセイラが動いたことは判っている。そうなるように、ヒューラが誘導したことも聞いてはいた。
「アーダやアンになら別の手を考えたよ」
ヒューラは語る。好きで偽ったわけではない。このままでは吸血族全体がおかしな考えに囚われ、薔薇の血族は窮地に立つことになる。それだけは、どうしても回避しなくてはならなかった。
「その話は聞いたわ」
セイラは未だに信じられないのか、表情に表れていた。
吸血族に蔓延している、有り得ない考え。薔薇の娘だからこそ判る。薔薇になるのは簡単なことではない。それは、奇跡と、ほんの少しの切っ掛けが必要で、故意に発生させることが出来ない。だからこそ、部族長達は、ある特定の薔薇になる条件を伏せている。
絶対的に必要なのは、血液、そのものである事実をだ。
「私達は肌で感じて育っているけど、他の吸血族は違う。彼等は薔薇の血筋が欲しいんだ。より確実に血を残すために」
その心理が判らないわけではない。
問題は本人達を無視した状態で、話ばかりが先走ったことなのだ。
「薔薇の子供は、まるで集められるように育った。そう、ファーのために」
ファーダが孤立し、他との接触なく育つのを回避するために、事情を知っている薔薇の関係者の囲いの中で育てられた。
そうなると、その囲いの中から相手を選んでしまう。彼等にしたら、許せなかったのだろう。
数が少ない女児を、薔薇の血族の中で囲い込んでしまう。薔薇の関係者の中で婚姻相手を決定してしまう。面白くなくて当然だろう。
「……ファーは月華ですものね」
セイラは確認するように呟いた。
ファーダが月華であることは知っていても、真にどういった存在であるのか、二人は知らない。それはある意味、知る必要がないのだ。だから、当人のみが詳しく知っている。
ただ、存在そのものが危険であり、管理されなくてはいけないと言うことは、アレンから聞いている。
「私達はある意味、護られた中で育ったんだ。あの時に、そのことを痛感させられた」
祖父に連れられ、初めて薬師の会合に参加したとき、薔薇の息子であるという、奇異の目に晒される覚悟はしていた。まさか、同性から異性を見るような視線を向けられるなど、想像すらしていなかったのだ。
そのときに感じたのははっきりとした嫌悪感だった。
「セイラを奪われるつもりはなかった。だから、先手を打ったんだ」
吸血族の独身男性は何も、可能性の低い女性化だけを望んだのではない。薔薇の血族同士での婚姻を阻止したかったのだ。だが、一緒に育ち、物心つく頃には、セイラだけが欲しいとの欲求が芽生えていた。
アンジュとアーダも居たが、セイラに感じた感情を二人に感じたことはない。
それは当然、セルジュとファーダにも言えることだった。だから、ヒューラは敢えて自分を偽る選択をした。セイラに全てを託し、吸血族の、それも独身男性の前で啖呵を切らせるために。
大人しいといわれるセイラだが、そんなのは違うということを、外の世界に出て、はっきりと認識した。
結局は吸血族が変わっていかなくては解決しないのだ。だが、部族長の言葉では納得しない者の方が絶対的に多かった。だからこそ、ヒューラはセイラに託したのだ。
「ヒューは私が必要なの。それとも、利用しただけなの」
「聞いていなかったの。奪われるつもりはないと言っただろう」
セイラは目を細めた。本心であるのか、そうでないのか、判断出来かねた。何故なら、ヒューラを信用するには、決定的な何かが足りないのだ。それが何であるのはかは、セイラには判らない。
「……今回のことを謝るつもりはあるの」
「謝るつもりはないよ」
ヒューラは母親にもそう言い切ったと、淀みなく答えた。
「何を信じていいのか判らないわっ」
セイラは吐き捨てるように言った。ヒューラを信じるには、どうしても、引っかかる部分があるからだ。
「ヒューは外の世界を知って、今回のことを実行したのかもしれない。確かに、セルとファーは知っていたけど、私達には何一つ教えてくれなかったわ」
「言っただろ。必要があったから、セイラ達には敢えて、教えなかったんだ」
それに、とヒューラは続けた。
「そのとき話したとして、本当に信じただろか」
ヒューラは逆にセイラに問い掛けた。成人し、薬師の会合から帰って直ぐ、セイラに吸血族に蔓延し始めている愚かしい考えを教えたとしても、理解はしなかっただろう。
セイラはある意味、正常な環境で育ったのだ。そして、そんなセイラ達と育ったヒューラ達もそうであったため、気が付いたといっても過言ではない。
「女児が少ないことはアレンさんに、聞いて知っているとは思う。じゃあ、その事実が、吸血族そのものを決定付けていることは知らないだろう」
「どう言うこと」
ヒューラは小さく溜め息を吐いた。
「吸血族は同族と婚姻することは難しい。それは男女比率が著しく合わないからだ」
彼等は薔薇と呼ばれる存在を知って、当然、その存在を得たいと考えた筈だ。しかし、薔薇には枷が在る。それは、変化を担った者以外の血液を摂取出来ないという枷だ。
ならば、薔薇の血族を手中に収めたいが、薔薇の血族の女児は黄薔薇と紅薔薇の娘だけ。しかも、紅薔薇の娘は黒薔薇の主治医の後継者の元へと嫁いだ。
では、黄薔薇の娘達はどうか。
その、娘達も薔薇の血族の男児を選び、他の吸血族は歯牙にも掛けない。その先に導き出された答えは、薔薇から薔薇が生まれるという、愚かしい考えだったのだ。
「否定することは簡単だけど、果たして、そう言ったところで、何人の吸血族が信じると思う」
実際、黒の長は吸血族に蔓延し始めている考えが、間違いであると判っていても、どうすることも出来ずに頭を悩ませていたのだ。
「本当なら、こんなことはしたくなかった。する必要さえなかった筈なんだ。でも……」
「……誰も実行出来ないなら、自分で……、そう言うことなの」
セイラは慎重に言葉を選んだ。アレンはセイラに何かを見落としていると言っていた。もし、それが、今、言っていることだとするなら、見落としていたのではなく、セイラはその事実を知らなかったのだ。
知ろうと思えば出来ただろう。しかし、セイラの中で、ヒューラが言っていたことは知る必要を見出せなかった事柄なのだ。
何故なら、セイラは女性で、薔薇が母親でも、それ以上の事実はなかったからだ。
「じゃあ、約束して。もう、絶対偽らないって」
セイラは低い声で、そう、ヒューラに言葉を紡いだ。ヒューラはその言葉に逡巡する。絶対という言葉は、長い生を生きる吸血族では約束出来るものではない。
「偽らないで。騙そうとしないで。それでも、必要なときは、必ず、最後には教えて」
セイラは再度、同じ言葉を発した。それは、ヒューラが言い淀んだからだ。
「……絶対は約束出来ない」
セイラの顔が歪んだ。
「でも、そうなったとしても、最後には絶対に話すと約束は出来るよ」
ヒューラの精一杯の譲歩だった。
偽らないと約束出来ないのは、必要に応じてそうしなくてはならないときがあるからだ。心配を掛けたくなくて、嘘を吐くときもある。
「それは、約束出来る」
セイラは口を噤んだ。今の言葉はヒューラなりの誠意なのだろう。では、セイラはどうすればいいのか。
セイラは一度、瞳を閉じた。啖呵を切ったあの日から、心の整理がついていない。しかし、ヒューラに期限を突きつけたのは、なにも、ヒューラだけに向けたものではなかったからだ。
セイラ本人が答えを出すための時間でもあったのだ。だが、知った事実がセイラを混乱に落としいれ、どうしていいのか判らなくなってしまった。
では、どうやって答えを出すべきか。ゆっくりと瞳を開く。そこに映るのは、薄い色合いの癖のない金髪と、青い瞳。長い間、見続けた幼馴染みで、ずっと、気に掛けていた者の姿。
答えなど、最初から出ていた。騙されたとしても、どんなことをされても、ヒューラ以外はセイラには必要ない。
そう、生まれたときから、セイラはヒューラだけを見てきた。それは昔も今も、何より、これからも変わりはしない。
もし、離れたら、後悔することになる。今までの想いが、露と消えてしまう。
「……じゃあ、離れないと約束して」
セイラは小さく呟いた。
†††
「早いじゃないか」
アレンはある人物の訪問に、そう声を掛けた。
「今は演奏旅行中だろうが」
「両親が此方にご厄介になりなさいと、そう言ったので」
アレンはその言葉に首を傾げた。
「どう言う意味だ」
「実は本人を先にアレンに会わせるつもりだったのですが、どうしても、シオンとジゼルさんに挨拶したいと」
アレンは更に困惑を顕わにする。
「その前に、娘さん達が結婚するとか。おめでとうございます」
微笑を浮かべた人物。それは、黄薔薇の楽師。ファジュラ、その人だった。
「それを言うためだけに来たわけじゃないだろうが」
「はい。実は……」
そう言いかけたとき、廊下の向こう側から声が聞こえた。二人は声の主に顔を向ける。視界に入ったのは、青味の強い銀の髪。華奢な体付き。しかし、アレンはその姿に目を見開いた。
今日は満月ではないからだ。
長い波打つ銀髪を靡かせ、駆けて来る。しかし、アレンは何時もの癖で反射的に叫んでいた。
「妊婦が走るなっ」
その声に、駆けて来た者は足が止まった。ファジュラはアレンの叫び声に目を見開いた。
アレンは呆れたように溜め息を吐くと、ファジュラに視線を向けた。
「つまりだ。そう言うことか」
「はい。私達はどうしても、注目を集めてしまうので、此処ならば、安心して過ごせるだろうと」
大声で注意をされた妊婦。もとい、ヴェルディラは、ゆっくりと二人に近付いて来た。
「言ったでしょう。此処では走ったりしたら、注意を受けると」
「少しくらい、走ったって平気じゃないか」
ヴェルディラは不貞腐れたように、呟く。
確かに少し走ったくらいではどうということはないのだが、何せ、アレンはジゼルの息子で、妻はあのシオンだ。
大人しくしていることがない二人のせいか、はたまた一族の特性なのか、妊婦に対して過剰に反応してしまうのは仕方がないのだ。
「《婚礼の儀》は一ヶ月後なのに、どうしたのかと思っていたが、それなら納得だ」
アレンは腕を組み、息を吐き出した。
「三人も居なくなってしまうと、寂しくはないのですか」
ファジュラは疑問を口に出した。アレンはその言葉に、肩を竦める。確かに嫁に出すのだが、どうも、その感覚が薄いのだ。
アレンにしてみれば、三人娘の花婿達は自分の子供である感覚が強い。それは、幼い時をこの館で過ごしていたからだ。
「嫁に出すって言うより、収まるところに収まった感じだな。それに、娘ならもう一人居るしな」
アレンにしてみれば、行かず後家よりマシだと言うのだ。何故なら、上手くいかなければ、三人ともこの館で過ごし、最終的には《永遠の眠り》だったのだから。
「そんなに深刻なことになっていたのですか」
「深刻って言うか、必要なことだったんだよ。それより、家族はきてくれると言っていたか」
ファジュラは頷く。
《婚礼の儀》は約一ヵ月後の満月だ。アレンはどうしても、ファジュラの家族、特に弟のギアに来てもらいたかったのだ。その言葉に、二人は首を傾げた。
「どうして、ギィなんですか」
「どうしてだろうな」
アレンは曖昧に微笑んだ。その仕草にヴェルディラは眉を顰める。
「何か視えたみたいに感じるのは気のせいか」
ヴェルディラは腕を組み、アレンを睨み付けた。
「それはどうだろうな」
アレンは更に喰えない笑みを浮かべる。どうやら何かを企んでいそうだ。
†††
「やっぱり、女の子は良いわね」
うっとりと、そんなことを言ったのは、レイチェルだった。目の前に居るのは、腕にシンシアを抱いたジゼルだ。
ごたごたはあったが、何とか収まるところに収まった三組の《婚礼の儀》の当日である。
「そうでしょう。でも、男の子も可愛いと思うわ」
ジゼルは溜め息と共に、そんな言葉を吐き出した。確かに女の子は可愛いのだが、孫がほぼ女児であるジゼルにしてみれば、男の子の孫も欲しいと思うのだ。そんなジゼルの様子に、レイチェルは呆れたように息を吐き出した。
「贅沢ばかり言っていると、罰が当たりますわよ」
レイチェルにしてみれば、女の子の孫は羨ましいのだ。
「それにルーが男の子を生んでくれるんじゃないんですの」
レイチェルのその言葉に、ジゼルは満面の笑みを浮かべた。二人はまだ、赤ちゃんは授かっていないが、そのうち、玉のような子を授かるだろう。
「それに、三人の用意を手伝わなくって良いんですの」
「その言葉はそっくり返すわ」
「あら。だって、カイファスが手を出すなと言ったんですもの」
レイチェルは不貞腐れたように、唇を尖らせた。ジゼルはと言えば、三人のドレスを作ることを条件に、シンシアの面倒を見ることを約束したのだ。
「それに、アレンが面白いものが見れるから、シンシーの側に居た方がいいと言っていたわ」
ジゼルの言葉に、レイチェルは首を傾げた。
「面白いものって、何ですの」
レイチェルは首を傾げる。
「判る筈がないじゃない。アレンは本当のことを殆ど教えてはくれないのよ」
ジゼルはあからさまに溜め息を吐いて見せた。
「そんなところもお母様と同じなのね」
「アリス様は今は」
ジゼルの質問に、レイチェルは架空に視線を向けた。能力を封印してから、アリスは変わった。黒の長と、時間を見つけては出掛けているらしい。あくまでらしい、としか言えないのだが。
「まあ、アレンが面白がるんだから、本当に面白いのよ」
ジゼルは変に納得したように、頷いて見せた。
二人でそんな話に花を咲かせているときに、今日の主役である三人娘が入ってきた。華やかなドレスに身を包み、髪も綺麗に結い上げ、薔薇で飾られている。
本来なら、黄薔薇であるシオンの娘なのだから、髪を飾る薔薇は黄薔薇なのだが、今回は、それぞれの相手の色の薔薇を使っている。ドレスもそれに合うように作られていた。
一番幼い容姿のアンジュはふんわりとしたドレスなのだが、相手がセルジュで、母親は紅薔薇。そのため、アンジュのドレスは黄色と赤色で作られており、髪を飾る薔薇は赤い薔薇だ。
双子の姉であるアーダは、三人の中では一番落ち着いたデザインのドレスを身に纏っている。白薔薇を母親の持つファーダが花婿であるため、ドレスは黄色と白を基調としている。当然、髪を飾るのは白薔薇だ。
セイラは三人の中では比較的、シンプルなデザインのドレスだ。黄色と黒を基調とした色合いのドレスは、ある意味、かなり目立っていた。しかも、セイラの髪は金髪で、更に強い印象を与える。髪を飾る薔薇は当然、黒薔薇。
そんな三人は迷うことなく、シンシアを目指していた。
「お母さん達が、シンシーを祝福して来なさいって」
アンジュの言葉に、ジゼルとレイチェルは顔を見合わせた。確かに、花嫁の祝福は貴重なものだ。シンシアに三人は祝福のキスを贈り、室内に響いたのは幼い笑い声。シンシアは姉達の祝福に、笑い声で応えた。
そんな中、ゆっくり扉が開き、一人の女性と、男性が入って来た。その姿に、笑みを見せたのはジゼルとレイチェル。
「久しぶりね」
「本当に。ご無沙汰しています」
ジゼルの声に、そう返したのは、ティファレト。
「あら。アーネストはどうしたんですの」
レイチェルの言葉に、アーネストはファジールの元に残ったのだという。では、一緒に来た男性は誰なのか。
「ギィも大きくなったのね。最後に会ったのは成人前ですものね」
ジゼルはしみじみと言った。
ティファレトとアーネストの息子で、ファジュラの弟のギアは、軽く頭を下げた。
「ねえ。シンシーの様子がおかしいと思わない」
アーダが姉妹二人の耳元でそう囁いた。アンジュとセイラはその言葉に、妹であるシンシアに視線を向けた。
シンシアは沢山の大人達に囲まれて生活しているために、大人しい性格で、しかも、人見知りを全くしない。つまり、何時も注目を自然と集めるために、言い方は悪いが、誰かに固執する傾向は薄いのだ。
そのシンシアが、ある一点に視線を向けている。視線の先を三人が辿ると、行き着く先はティファレト……、の後ろだった。
「どう言うことかしら」
アンジュが首を捻る。そう言えば、アレンが楽しそうにしてはいなかっただろうか。普通なら、娘が誰かの元に行くのを父親なら、多かれ少なかれ、嫌がるものなのだが、アレンにその傾向はない。
理由は簡単で、娘ばかりが子供で、そんなことをしていては身が持たないのだと、肩を竦めて言っているのを聞いたことがある。
「あれよね。私達は覚えてないけど、幼い時に、相手を決めてたって、お母さんが言っていたから、もしかして……」
セイラの言葉に、二人は頷いた。ジゼルとレイチェルは、ティファレトと談笑していて、全く気が付いてはいない。ティファレトの後ろに居るギアは、居心地が悪そうだ。
「どうして、この場所に来たの」
アーダが何の前触れもなく、そう、ギアに話し掛けた。驚いたのは話していたジゼルとレイチェル、ティファレトだ。
腕を組んだ花嫁の姿は、かなり異様だ。
「アレンに行くように言われたのよ」
ティファレトが疑問を顔に貼り付けたまま、そう言った。三人は顔を見合わせる。アレンは、やたらとギアが来ることに拘っていた。ファジュラとヴェルディラに何度も訊いていたのは知っている。
つまり、アレンは何かを視たのだ。それも三人のことだけではなく、シンシアのことについても。面白がっていたのは、主にギアの反応なのだろう。
セイラがおもむろにシンシアを抱き上げた。驚いたのはジゼルだ。セイラに抱き上げられても、シンシアの視線は変わらない。
ゆっくりと歩いて行き、シンシアをギアの目の前に連れて行った。そして、固まったのはギアだ。どうして、固まったのか。その理由は至極簡単だった。
「やっぱり」
そう言いながら、セイラは手を離す。それでも、シンシアが床に落下しないのは、ギアの首にしがみ付いているからだ。
「ギィ、ちゃんと抱き上げなさいっ」
ティファレトは慌てて、ギアを窘めた。ギアは反射的にシンシアを抱き上げはしたが、表情は完全に固まったままだ。
「お父さんが面白がることなんて、決まってるわ」
セイラが呆れたように言った。しかも、アレンの性質の悪いところは、正確な情報を誰にも与えないということだ。
自分自身が判っていて、他の者達が首を捻るのを、面白おかしく眺めいている。しつこく訊いても、絶対に教えてはくれない。それは、口に出すことで、本来の流れが切断される恐れがあるとかないとか、都合のいいように言い包めてしまう。
「まあ、貴女達と一緒ね」
ジゼルはのほほんと、軽い口調で言葉を口にした。ティファレトはただただ、驚くばかりだ。レイチェルはといえば、ジゼルが言っていた、面白いことの答えを知り、微笑んでいる。
「もう、相手を決めてしまったのね。困ったわ。もう少し、楽しみたかったのに、楽師の元に嫁ぐのなら、それなりの教育をしなくてはいけないじゃない」
ジゼルは小さく溜め息を吐いた。確かに、早くに相手を決めるのは、教育上、都合がいいのだが、シンシアはまだ、生まれてそれほど経ってはいない。
「待ってくださいっ」
「何ですの」
レイチェルは慌てたように言葉を発したティファレトに、首を傾げる。
「本人が決めたと決め付けるのはっ」
「あら、此処に決定的な現実が居るじゃないの」
ジゼルはそう言うと、今回の主役達に視線を向けた。
「ティファも見ていて、知っているでしょう」
ティファレトは固まった。三人の花嫁に視線を走らせ、今から二百年程前の《婚礼の儀》を思い出していた。確かに、今回の《婚礼の儀》の相手は、あの時、互いに手を握り合っていた者同士だ。
否定したくとも、否定出来ない事実をティファレトは目撃している。
「シンシーが成人するまでに、長い時間が必要だよ。だから、その間に、ギィが相手を見付けたら、シンシーの思いは水の泡だね」
ギアの後ろから、そんな声が聞こえてきた。振り返った先にいたのは、独特の金の巻き髪。琥珀の瞳。
「お久しぶりです」
ティファレトの声に、視線を向ける。ギアの後ろにいたのは、今回の主役達と、シンシアの母親のシオン。
「久しぶりだね。一年位前だもんね」
シオンは微笑みながら、そう口を開いた。
「本当にアレンは、僕にも教えてくれなかったんだよ。大切なことなのに」
シオンは膨れっ面で、溜め息を吐いた。
「そんなことより、時間だよ。長様達を待たせるわけにもいかないし」
シオンはそこまで言うと、三人娘を急かした。
「ギィはシンシーをお願い。離したら絶対泣くから」
シオンはそう言うと、三人娘を引き連れて、さっさとその場を離れた。ギアは当然、固まった。シオンの言葉に我に返ったときには、その姿はなく、母親とジゼル、レイチェルに助けを求める視線を向けたが、ただ、微笑が返ってくるだけだった。
「今泣かれたら、大変なのよ」
ジゼルはあからさまに溜め息を吐く。
「そうですわね。泣いているところを、見たことはありませんけど、一度泣き出したら、泣きやまなそうですものね」
レイチェルの留めの言葉に、ギアは項垂れた。
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