浅い夜 蝶編

善奈美

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Ⅱ 銀月蝶

二章

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 《婚礼の儀》を手伝うという理由で、早めに銀狼族の元を離れたシアンだったが、実際は何もさせては貰えなかった。幼いときに、母親のシオンが妊娠していた時期を覚えているから、こうなるだろうという予想はしていた。
 
 物を持ち上げたり、走ったり、飛んで移動をしようものなら、父親のアレンと、祖父のファジールがみっちり、小言を浴びせてくる。
 
 しかも、アレンが連絡をしたのか、ゼインの両親も現れ、更に凄いことになった。ゼインの父親のゼロスは前々からシアンの様子を知っていたので、理解してくれているようだった。

 だが、母親であるカイファスは違った。いくらゼロスから聞いていたとは言っても、実際に目にしたシアンの姿は眉間に皺を寄せるに十分な変わりようだった。
 
 銀狼であるシアンが、吸血族並みに青白い肌をしている。それは、血色が悪いと言うことだ。戻ってきた理由も、理解出来た。
 
「彼奴は大切な存在をぞんざいに扱いすぎだ」
 
 カイファスは憤ったように、叫んだ。だが、シアンは否定する。何故なら、ゼロスがゼインに知らせようとしたのを止めたのは、シアン本人だからだ。

「はっきり言った方が、立場も変わるだろう」
 
 カイファスは納得出来ない表情だ。
 
「もし、ゼインが私と同じように、族長の血筋じゃなかったら、言っていたと思う」
 
 シアンの言葉に、カイファスは怪訝な顔だ。立場、と言うものがある。シアンは黒薔薇の主治医の家系だ。身分は関係なくなったと言われる吸血族だが、当然、血筋が尊重される。更に、薔薇の血筋ともなれば、別の柵も出てくる。
 
 ルーチェンとベンジャミンがいい例だ。そう考えれば、銀狼族長の一族で、黒薔薇の部族長の一族でもあり、黒薔薇の息子でもあるゼインは特別な存在となる。

「ずっと、考えていて、でも、ゼインが首を縦に振らないことも判っていたから」
 
 シアンは架空に視線を向けた。黙っていなくなることは、したくなかったのだ。出て行くなら、何かしらの言い訳が必要だった。
 
「辛くはないのか」
 
 カイファスは尚も言い募る。辛くないかと問われれば、辛いだろう。それでも、選択したのはシアンなのだ。自分自身で選び、実行したからには、責任はとらなくてはならない。
 
「でも、帰ってきて驚いちゃった。みんな、相変わらずなんだもの」
 
 シアンはくすくす笑い出す。

 シアンが銀狼族に赴いたときそのままに、誰一人、変わってしまった者は居なかった。ルーチェンと三人娘は成長していたが、それは、楽しみな変化だ。
 
「変わりようがないだろう」
「そうだね。でも、嬉しかったから」
 
 何も変わらないということの大変さ。おそらく、シアンは変わってしまった。我慢をし、嘘を吐き、何でもない振りをすることに慣れてしまった。
 
「……本当に変わってなくて」
 
 シアンは憂いを帯びた表情を見せた。変わらずにいることの難しさ。

「どうして、気持ちだけでは駄目なんだろうなって」
 
 好きだから一緒にいたい。若いときなら、気持ちのままに側にいたとしても許される。でも、結婚し、立場が出てくると、何かが変わってしまう。特にゼインは、銀狼達に期待を寄せられていた。それは、ありとあらゆる事に。
 
「何を難しいこと、考えてるの」
 
 準備を手伝っている筈のシオンが、仁王立ちしていた。シアンとカイファスは居間に居たのだが、いつの間にか、シオンだけでなく、ジゼルの姿もあった。

「後はゼインがどう考えるかでしょ。このまま別れるも、よりを戻すも、シアンは決断したんだから」
 
 シオンの言っていることは尤もな事だが、当の本人は満月を過ぎなければ、事実が知らされないのだ。
 
「それに、こんなに痩せちゃってるのに、気がつかない方がおかしいの」
「それは私がっ」
 
 シオンはきっ、とシアンを睨み付けた。
 
「少なくともゼロスなら、見逃さないよ」
 
 シアンは口を噤んだ。確かに、ゼロスは見抜いたのだ。誤魔化そうとしたシアンの仕草に。

「まあ、シアンは僕の娘だし、相当、勘が良くなければ判らないようにしてたんだろうけどさ」
「そこなのか」
 
 シオンの言い草に、カイファスは疑問を投げ掛けた。
 
「僕は意地っ張りだし。シアンも何気に似なくていいところばっかり似ちゃった感じだし」
 
 カイファスとジゼルは脱力した。
 
「ルーは」
 
 シアンは居たたまれなくなり、話題を変えた。それを察したのか、シオンは顎に人差し指を持って行き、首を傾げた。シオンの何時もの癖だ。

「まだ、頑張ってるよ。絶対に嫌だって」
 
 いくら嫌だと言ったところで、結局は周りに押し切られるに決まっている。
 
「そんなに凄いのか」
 
 カイファスは婚礼衣装を見ていないので、何故、そこまで嫌がるのかが判らない。
 
「凄いって言うか、可愛いんだよ」
 
 シオンはジゼルに同意を求める。
 
「ふんわりしているんだけど、レースとか、フリルが沢山使われていて、アクセントに小さなリボンが付いているのよ」
 
 可愛い物が大好きなジゼルは両手を胸の前で組み、何処かに旅立ったような恍惚な表情を見せた。

 シアンとカイファスは顔を見合わせた。ジゼルが恍惚になるほどの衣装。ルーチェンは確かに成人した女性の姿だったが、かなり、小柄だった。もし、幼い姿をイメージして作ったとしたら、かなりなんて物ではないのではないだろうか。
 
「ただね、黒かったらまだ、可愛さも半減なんだけど、赤いしね」
 
 シアンもそれは聞いている。知らなかったのはカイファスだ。
 
「どうして、赤なんだ」
「ルビィが紅薔薇だから」
 
 理由は何とも単純なものだ。だが、黒薔薇の部族の者は、鮮やかな色彩の衣装を身に着けることは少ない。

「僕も今では慣れちゃったけどさ、最初は違和感強いわ、居心地悪いわ」
 
 シオンは息を吐き出す。しかも、用意していた黒の婚礼衣装ではなく、ジゼルの赤の婚礼衣装を身に着けたときの違和感は半端なかった。
 
「今のうちから、あの子達のドレスは鮮やかな色の物にした方が良さそうね」
 
 ジゼルもルーチェンのように、三人娘が拒絶するのは目に見えるようだった。落ち着いた色合いではなく、華やかな色に慣らしておかなくてはと、溜め息を吐く。

 《婚礼の儀》に向けて、着々と準備が整えられていく。シアンはただ、それを眺めているしかなかった。
 
 そんなとき、ゼロスが一人でシアンの元へやってきた。離れの近くの四阿で夜明けを待っているときだった。
 
「ゼインには、本当に黙っているんだな」
 
 暫く、シアンを見下ろしていたゼロスが、沈黙を破った一言目だった。シアンは悲しげに微笑む。この子は銀狼の特長のみ、宿していてほしい。それが、シアンの切なる願いだ。
 
「……知らせないで」
 
 シアンは静かに告げた。

「どうしてもか」
 
 シアンは頷く。
 
「知れば、どうして、離れたのかを訊かれるし、絶対に、私の元に来ようとするから」
 
 ゼロスは眉間に皺を寄せた。
 
「知っているから。銀狼はゼインを大切に思っているのを」
 
 シアンは架空に視線を走らせた。レイの色を写し取った存在。当然、ゼロス同様に特別視し、中には神格化までしている者もいる。
 
 その存在が選んだのが、たとえ、薔薇の血筋とは言え、毛色の違うシアンだ。銀狼の血族関係は複雑で、血の繋がった親子は族長一族だけだ。

「幼いときの私のままなら、我が儘も言ったと思う。でも、少し大人になって判ったこともある」
 
 子供の時のように、我は通せない。責任は自分自身でとるのが普通だ。もし、シアンが妊娠し、銀狼族を離れた理由が銀狼達にあると知れば、ゼインはどういう状態になるのだろうか。
 
 ゼロスの気性に近い感覚を持っていることは知っている。幼いときから、想いを向けられていることも知っていたし、はっきり、口にもしてくれていた。だからこそ、離れた。シアンは銀狼達から、ゼインを奪うつもりはなかったのだ。

「……どうして、私達は吸血族の中で育ったの」
 
 シアンはゼロスから視線を反らせたまま、疑問を口にのせた。今まで、訊けなかったことだ。
 
「長の奥方の言葉だ」
「お……」
 
 シアンは小さく首を振った。
 
「……ゼロスさんなら、気が付いてるんじゃないの」
 
 ゼロスはシアンが言い直したことに、気が付いた。今までなら、躊躇うことなく、お義父さんと言っていた。ゼインから離れたことで、躊躇わせたのだろう。
 
「今までと同じように呼べ」
 
 シアンはゼロスを振り返り、大きく目を見開いた。

「何を考えているかぐらい判る。全く、似なくても良いとこばかり似るもんだ」
 
 ゼロスは呆れたように溜め息を吐いた。シアンは視線を反らせると、強く両手を握り締める。
 
「さっきの質問だが、簡単だ。お前達は銀狼の特徴を備えず生まれた。彼奴はたまたま、レイと同じ色だったから、今は受け入れられているが、当時、もし、銀狼族に預けていたら、大変な目にあっただろうな」
 
 ゼロスは銀狼族の特殊性は理解していても、感覚は理解出来なかった。普通なら、親や血族と同じような色で生まれてくるのが普通だ。

「生まれてすぐ、親元から離されて育ち、逃げ場を奪われたら、精神的にまいるだろう。はっきりとは言われなかったが、直ぐに判ったからな」
 
 銀狼族は家族を持たない。基本的に親の種族毎に、仮の家族を構成している。族長一族の血筋を取り込みたいが故に、娘達を婚約者にし、お情けをもらおうとしているのだ。だが、ゼロスの兄弟は、現族長のバルドだけだ。
 
 薔薇の血筋は血を残そうとする筈だが、何故か、一人ないし、二人のみしか生まれなかった。ゼロスの父親は兄弟すらいない。

「銀狼族はお前を失った。それは、自分達の責任でお前のせいじゃない。でもな、一つ、言わせてもらう」
 
 ゼロスはシアンを凝視した。
 
「最初から、ゼインに言っていれば、もしかしたら、こうはならなかったかもしれない。まあ、気が付かない、彼奴にも責任はあるが、弱さを見せなかったお前にも責任はある。何時から、偽ることを覚えた」
 
 シアンは眉間に皺を寄せた。
 
「どうしたら良かったのっ。銀狼達に紹介されて、ゼインが離れた途端、私は罵声を浴びせられたわっ」
 
 今でもはっきり覚えている。

「銀狼じゃないって。そんな色の銀狼は、種族そのものが違うって。偽りの存在が、始祖の色を継いだゼインの妻なのは罪だって。私はどうすれば良かったの。その言葉をゼインに伝えろと言うの。言える筈はないわ」
 
 女性達に取り囲まれ、ゼインはシアンの他に妻を持つのが義務だと言われた。ゼロスに五人の婚約者が居たことは知っていたので、何時かは言われると覚悟はしていた。
 
 その言葉を、初日に投げつけられたのだ。動揺しなかったと言えば嘘になる。そればかりか、女性達は仕事すら、シアンに教えようとはしなかった。

「最初から、居場所は用意されていなかったの……。それでも、留まったのは、ゼインが居たから」
 
 だが、時が流れていくにつれ、シアンは嘘をつくことを覚えてしまった。ゼインが銀狼達を敵視しないように、気を使うようになってしまった。そうなれば、心から笑うなど無理だった。
 
 ゼインの前で偽り続けるために、明るい場所で姿を見せないように努力した。眠る時は、最初こそ、疑問を口にしたゼインだったが、上手く言い逃れた。嘘を嘘で塗り固め、限界が来ることなど、目に見えていた。

「そんなとき、この子が居ることが判ったの」
 
 一日一回の食事と、不健康なまでにテントに引きこもる生活。生理は不順だったが、余りに間隔が開きすぎていた。そして、気が付いたのは、自分以外の魔力だったのだ。
 
 ゼインと前族長、現族長以外、シアンに会いに来るのはゼロスぐらいだ。その魔力はあまりにシアンに寄り添っていたために、見落としていた。そっと触れた腹部から感じる、もう一つの命の波動。それを知ったとき、シアンは直ぐに決断したのだが、離れる理由が思い付かなかった。

「父からベンジャミンの《婚礼の儀》の知らせが来たとき、理由が出来たことに安堵したのは確かよ。でも、好きで離れるんじゃないわ」
 
 自分一人なら、耐えていこうと思った。だが、宿った命まで道連れにすることなど、出来よう筈はない。
 
「間違ってるって言われても、それ以外に方法なんて思い付かなかった」
 
 ゼインに知らせ、銀狼達に知れ渡るのが怖かった。だから、前族長に話したとき帰りしな、知らせてほしくないとお願いをしたのだ。生まれる子は銀狼で在ると言い切れる。

 シアンもゼインも薔薇の血族なのだ。銀狼として誕生した以上、シアンの体内から生まれるのは銀狼と運命られている。
 
 シアンの頭上から、盛大な溜め息が漏れる。
 
「勘違いするな。責めているんじゃない」
「……間違えているって、判っているの」
 
 最初から言っていれば、言葉を呑み込まなければ、きっと、言えた筈だ。呑み込んだ言葉の数だけ、臆病になった。切欠すら失ってしまったのだ。誤魔化すことに必死で、何が大切であったのか、忘れてしまったのだ。

 自分で自分を追い込んでしまったのだ。気が付いても、どうすることも出来なかった。
 
 ゼロスは両手で顔を覆ったシアンの頭を、ぽんぽん、と軽く叩いた。小さな子供をあやすように。
 
「自分を追い込むな。特に今は不安定なんだ。親に甘えたらいい」
 
 ゼロスの優しい言葉に涙が溢れた。
 
「今は何も考えるな。ただ、安らかな気持ちになるように努力しろ」
 
 シアンは小さく頷いた。行動を起こしてしまった以上、流れを止めることは出来ない。二度とゼインに会えないとしても、それが、シアンが選び取った道なのだ。

 ゼロスは離れに視線を向けた。此方を見詰めている視線に気が付いたからだ。居間として使われている部屋のベランダから、アレンが二人を見詰めていた。ゼロスの視線に、目を細めると、すっと、姿を消した。
 
「……お願いがあるの」
 
 小さく呟くように言ったシアンに、ゼロスは視線を戻す。
 
「それは、今すぐ必要なことか」
 
 シアンは小さく首を横へ振った。
 
「必要になったら言え」
 
 シアンは頷くと、ゼロスに抱き付いた。決断したこととは言え、やはり辛い。

「本当はずっと、側にいたかったの」
 
 シアンはくぐもった声で本音を漏らした。生まれたときから、ずっと、側にいた。吸血族の中に居た頃から、唯一無二の存在だった。それを手放したのは、他でもないシアンだ。
 
 新たに妻を娶るように前族長に言いはしたが、本心ではなかった。偽善だとは判っている。それでも、言わないわけにはいかなかった。
 
 シアンのみを妻にする、と言ったゼインの言葉は素直に嬉しかったが、それが、女性達の冷たい態度に、拍車がかかったのは事実だったのだ。

 
 
      †††
 
 
 満月の次の日、ゼインは祖父と叔父に呼び出された。嫌な予感が纏わりつく。
 
 祖父のテントに入ると、二人はゼインが来るのを待っていた。そして、言われた一言に固まった。
 
「意味が判らない」
 
 呆然と呟いた。
 
「意味など、考える必要もないだろう」
 
 祖父の言葉に、考えなくとも、言葉の意味は理解出来る。理解出来ないのは、どうして、そうなったかだ。
 
「シアンは戻ってこない。銀狼族の、特に族長一族の特殊性は判っているな」
 
 改めて訊かれなくとも判っている。

 一言で言うなら、薔薇の血筋だ。黒薔薇の部族長一族と祖を同じくする血筋。種族を確定した、特殊な一族だ。
 
「俺はシアン以外っ」
「判っているが、シアンが出て行くときに、そう伝えるように俺に言った。どうしてそうなったかは、女達に訊け」
 
 ゼインは更に言われたことに混乱した。
 
「もし、お前が出した結論が、俺達の意に叶っていなかったとしても、文句は言わない。言える筈もない」
 
 祖父の言葉に含まれている深い意味に、ゼインは考えないようにしていた事に意味があるのだと漠然と理解した。

 シアンが必死に何かを隠していることには気が付いていた。判らないほど、鈍感ではない。隠したがっていたから、あえて、訊かなかったのだ。
 
「シアンは」
「銀狼族のコロニーにも近付かないと、言ったようだな」
 
 叔父は淡々と事実を告げた。
 
 女達に訊かなくても、ゼインには判っていた。シアンが実家に帰った後も、ゼインは生活に不便は感じなかった。その違和感。
 
 つまり、ゼインの身の回りの世話を、シアンはしていなかった。否、させてはもらえなかったのではないだろうか。

 ちりっと、頭の何かが切れた。ゼインを見詰めていた二人は、驚きに目を見張る。
 
 黒髪が銀色に染まる。青の瞳が、薄い銀を纏ったような水色に変化した。だが、それは一瞬で、直ぐに元の色に戻る。
 
「女達に訊けば、正確に判るんだな」
 
 ゼインは唸るように、強い口調で訊いてきた。
 
「女達だけじゃなく、男達にも訊いてみろ」
 
 ゼインは叔父を見据えた。つまり、ゼインが知らなかっただけで、銀狼達はシアンを爪弾きにしていたという事だろうか。

「爺さんと叔父貴は知っていたのか」
 
 ゼインの問いに二人は顔を見合わせた。知っていたのかと問われれば、知っていたのだ。二人の態度に、聞かずとも答えは得られた。シアンはゼインにのみ、知られないように注意していたのだ。
 
 それは、銀狼達にも言えた。ゼインにのみ、隠し通そうとしていたのだ。父親は勘が鋭い。だから、訊く必要はない。誰よりも先に気が付いたに違いない。
 
「俺だけかよ」
「お前は本当に気付いていなかったのか」
 
 叔父のバルドが疑問を投げかけた。

 薄々は気が付いていた。シアンが不自然に光から遠ざかろうとしていたのも、触れた体が細くなったことにも。最初は環境が変わったせいかとも思っていた。だが、それでは説明出来ない。シアンとは物心ついた頃には側にいて、ある意味、両親以上に側にいた存在だ。
 
 隠そうとしていたことは判っていたし、無理に訊けば頑なになることも判っていた。何より、変わった環境にゼイン自身が付いていくだけで一杯一杯だったのは事実だ。
 
 ゼインの憂いを帯びた表情に、二人は口を噤んだ。

 二人はゼロスにある問い掛けをしたことがある。どうして、誕生と同時に預けてくれなかったのかと。
 
 ゼロスは響くように答えたのだ。異質なモノを受け入れる資質を、今の銀狼達は失っている。そんな中に、全く容姿の違う二人を投げ込むことは出来ない。
 
 ゼインはゼロスの息子なので、あからさまに拒絶はされないだろうが、シアンは違う。幼子が負う傷は大人が思うよりも深いものだ。
 
 月読みであるアリスの助言だったが、二人が誕生した姿を見たとき、その言葉に納得したのだと。

 実際、シアンは銀狼の中で浮いた存在になった。両親に愛情をもって育てられたのだろう。曲がったところがなく、だが、決して甘えたではなかった。普通なら、耐えられずに、早々に逃げ出していただろう。
 
「ゼイン」
 
 テントを出て行こうとしたゼインを、祖父は呼び止めた。ゼインは動きを止めると、振り返る。
 
「どうするかは、お前に任せる。ただ、種族の特性も理解してもらいたい」
 
 ゼインは一瞬、目を細めたが、何も応えず出て行ってしまった。シアンは判っていたのかもしれない。

 ゼインは銀狼族の元に行くべきだと。自分の存在が妨げになるのは、許せなかったのではないだろうか。だから、どんな仕打ちを受けようと、ゼインには何も告げなかった。
 
 それは、全て、においてだ。
 
 シアンの体は見た目には全く変化はなかった。本人に告げられて、初めて判ったくらいだ。微かな命の鼓動は、余程、詳しいか慣れている者でなくては判らない。
 
 バルドは深い溜め息を吐いた父親を、見詰めた。
 
「我々は大切な存在を失うことになるな」
 
 バルドは眉間に皺を刻む。

「皆を窘めることは簡単だった。だが、波風が立ち、俺達の預かり知らないところでシアンが仕打ちを受けることになるのを危惧した結果がこれか」
 
 バルドは架空を睨み付ける。
 
 シアンは決して助けを求めなかった。心の強い女性だ。吸血族から離れ、遠い地で生きていくことを前提に育てられた。それは、ゼロスから聞いている。
 
 幼いときから、ゼロスに連れられ、夜ではなく、日中に行動する訓練も受けていた。二人の肌は白かったので、肌を守るために、極力長袖を着用するように助言したのはゼロスのようだった。

 肌の色素が薄いと言うことは、紫外線に弱い。ましてや、幼いときから、夜が行動する時間だった。そうなれば、太陽に対する耐性は更に低い。
 
「見たか」
 
 バルドは父親の呟きに、小さく頷いた。まさか、ゼインの容姿が、感情の揺らめきで変わることを知らなかった。ゼロスからも聞いていない。
 
「父親は狼に変化し、その息子は色を変える。銀狼達が知れば大騒ぎだ」
 
 二人は大きな溜め息を吐いた。特殊と言うことは、ある意味、厄介だという事だ。本人を置き去りにして、周りばかりが先走る。

「今の事は内密に」
 
 バルドは疲れたように呟いた。
 
「判っている。知られた後の事は考えたくもない」
 
 父親はげんなりしていた。自分達も薔薇の血筋だが、ゼインのそれは次元が違う。分かれた筈の血筋が一つになり、更に母親は黒薔薇で、父親は銀狼の申し子。
 
 まさに、特殊、特別の大安売り状態だ。本人が望む望まぬに関わらず、周りを巻き込んでしまう。また、ゼインの容姿は銀狼の始祖を写し取っている。それが、銀狼達が特別視することに拍車をかけていたのだ。
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