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風花 弐
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花也は一人の女性の前に座っていた。女性は難しい顔で花也を見詰めていた。
女性の名は栞。
花也の母親だった。この尼寺で母娘は隠れるように過ごしていた。花也同様、栞もまた、隠された存在だった。世間では、栞は死人だった。
花也と双子の兄である馨を出産後、体調の悪化を理由に館を離れ、古くから縁のあるこの尼寺に身を寄せた。
馨は年に何回か尼寺を訪れ、栞と面会していたが、花也の存在を知らない。ましてや、全くの他人が花也と接触することはあってはならないことだった。
「花也、とんでもない事を」
栞は溜め息を吐く。有り得ない事態に、頭が痛くなっていた。
「判っているのですか。大変な事になったのですよ」
花也は体を小さく丸め、うなだれた。
「それにしても、何故、こんな奥まで入り込めたのかしら」
栞は花也の落ち度でない事は判っていた。彼の者は怪我を負い、花也は助けたに過ぎない。問題は花也の存在そのものだった。
普通の生まれであったなら問題はなかった。ただ、若い娘が若者を助けそれで終わりであろう。しかし、花也は違う。世間から隔絶し、誰にも存在を知られてはいない。
花也は涙が溢れてきていた。自分では注意しているつもりであった。だが、人との接触を避け生活するという不自然さが、花也から警戒心というものを奪い去っていた。
「母様、ご免なさい」
消え入るような声で許しを請う。
栞は軽く頭を振った。今更、起こってしまったことを覆す事は出来ない。後は彼の者が花也を記憶に留めていない事を祈るしかなかった。
しかし、栞には気になることがあった。花也が助けた人物に見覚えがあるような気がしていた。おそらく、面識があったのは彼の者が幼子の時だ。記憶は定かではないが、確実に見知っている。
何処で会ったのだろうか。
栞の父親は今は亡き帝だ。末娘であった栞は溺愛されたが、甘やかされたりはしなかった。
会っているとしたなら、内裏だ。
誰かがそう囁きかける声を栞は聞いたような気がした。だが、内裏だとするとどうなるだろう。考えたくない事だが、考えざる得ない状況が起こった。
慌ただしい足音は尼寺では有り得ない事だった。心穏やかに祈りを捧げる場所である尼寺に喧騒は似合わない。
慌ただしく襖が開かれ飛び込んできたのは、尼だった。栞は嫌な予感がした。
「馨様がお見えです」
栞は眉を顰めた。
馨は今、帝の側近くに控え、覚えもめでたいと聞く。つまり、嫌な予感は的中してしまう確率が高い。
「兄様が」
花也は立ち上がろうと腰を上げた。まだ、女童の花也を栞は見詰めた。何時までも、このままではいられない。
「待ちなさい」
栞は穏やかな声音で花也を呼び止めた。知らせる時がきたのだ。
「母様」
花也は怪訝な表情をした。今までなら、退出するように言われていたからだ。
「お座りなさい」
穏やかに催促され、従うしかなかった。
「お通ししても良いと」
尼の言葉に栞は頷いた。
「通して下さい」
はっきりとした声音で栞は促した。何時までも、隠し通すことは無理なのだ。何時かは知られてしまう事になる。
たとえ、非難を受けようと、栞は毅然としているつもりでいた。花也の存在は馨の存在そのものを危ういものにさせる。
この国にとって双子は災厄の象徴だ。それは、遠い昔から語り継がれた言葉だからだった。おそらく、二人は生きてはいなかったであろう。あの時、栞が花也の存在を隠していなかったら。間違っていたとは思っていない。
「花也」
栞に名を呼ばれ、花也は息を飲んだ。何時もと違う栞に、不安を覚えた。
「覚悟を決めていなさい」
花也は目を見開き、背後から気配が近付いてきていた。
女性の名は栞。
花也の母親だった。この尼寺で母娘は隠れるように過ごしていた。花也同様、栞もまた、隠された存在だった。世間では、栞は死人だった。
花也と双子の兄である馨を出産後、体調の悪化を理由に館を離れ、古くから縁のあるこの尼寺に身を寄せた。
馨は年に何回か尼寺を訪れ、栞と面会していたが、花也の存在を知らない。ましてや、全くの他人が花也と接触することはあってはならないことだった。
「花也、とんでもない事を」
栞は溜め息を吐く。有り得ない事態に、頭が痛くなっていた。
「判っているのですか。大変な事になったのですよ」
花也は体を小さく丸め、うなだれた。
「それにしても、何故、こんな奥まで入り込めたのかしら」
栞は花也の落ち度でない事は判っていた。彼の者は怪我を負い、花也は助けたに過ぎない。問題は花也の存在そのものだった。
普通の生まれであったなら問題はなかった。ただ、若い娘が若者を助けそれで終わりであろう。しかし、花也は違う。世間から隔絶し、誰にも存在を知られてはいない。
花也は涙が溢れてきていた。自分では注意しているつもりであった。だが、人との接触を避け生活するという不自然さが、花也から警戒心というものを奪い去っていた。
「母様、ご免なさい」
消え入るような声で許しを請う。
栞は軽く頭を振った。今更、起こってしまったことを覆す事は出来ない。後は彼の者が花也を記憶に留めていない事を祈るしかなかった。
しかし、栞には気になることがあった。花也が助けた人物に見覚えがあるような気がしていた。おそらく、面識があったのは彼の者が幼子の時だ。記憶は定かではないが、確実に見知っている。
何処で会ったのだろうか。
栞の父親は今は亡き帝だ。末娘であった栞は溺愛されたが、甘やかされたりはしなかった。
会っているとしたなら、内裏だ。
誰かがそう囁きかける声を栞は聞いたような気がした。だが、内裏だとするとどうなるだろう。考えたくない事だが、考えざる得ない状況が起こった。
慌ただしい足音は尼寺では有り得ない事だった。心穏やかに祈りを捧げる場所である尼寺に喧騒は似合わない。
慌ただしく襖が開かれ飛び込んできたのは、尼だった。栞は嫌な予感がした。
「馨様がお見えです」
栞は眉を顰めた。
馨は今、帝の側近くに控え、覚えもめでたいと聞く。つまり、嫌な予感は的中してしまう確率が高い。
「兄様が」
花也は立ち上がろうと腰を上げた。まだ、女童の花也を栞は見詰めた。何時までも、このままではいられない。
「待ちなさい」
栞は穏やかな声音で花也を呼び止めた。知らせる時がきたのだ。
「母様」
花也は怪訝な表情をした。今までなら、退出するように言われていたからだ。
「お座りなさい」
穏やかに催促され、従うしかなかった。
「お通ししても良いと」
尼の言葉に栞は頷いた。
「通して下さい」
はっきりとした声音で栞は促した。何時までも、隠し通すことは無理なのだ。何時かは知られてしまう事になる。
たとえ、非難を受けようと、栞は毅然としているつもりでいた。花也の存在は馨の存在そのものを危ういものにさせる。
この国にとって双子は災厄の象徴だ。それは、遠い昔から語り継がれた言葉だからだった。おそらく、二人は生きてはいなかったであろう。あの時、栞が花也の存在を隠していなかったら。間違っていたとは思っていない。
「花也」
栞に名を呼ばれ、花也は息を飲んだ。何時もと違う栞に、不安を覚えた。
「覚悟を決めていなさい」
花也は目を見開き、背後から気配が近付いてきていた。
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