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第一章 忍冬

十一 兄は意外と笑い上戸

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─ 現在 ─
「あ…あの時のか?」
「はい父上」
「お前の報告では直ぐに退治できたと… まさか?」
 兄はゆっくり頷いて言う。
「…はい、あまりにも簡単過ぎたのです。青龍の放つ炎や私の術は、妖魔も怨霊も浄化することなく消滅しました…」
 祖父が兄の腕を掴む。
「ならば何故、その事をわしに報告しなかったのじゃ⁉︎」
 兄は伏し目がちに言う。

「…怖かったのです」

「蒼万…」
 祖父は言葉を詰まらせた。
「以前よりも驚異となった私が再び他の者を傷つけるのではないかと、怖くなりました… この際私がいなくなればと思いましたが、それは志瑞也も共に逝くことになります…」
 朱翔は微笑んで尋ねる。
「だから最初に志瑞也に相談したのか?」
「そうだ…」
「蒼万、私は嬉しくて堪らないよ。涙がでそうだ」
 そう言って、朱翔は目元を拭う振りをする。
「何故」
「なら逆に聞くが、お前が志瑞也に相談したのは何故だ?」
「お前が何でも話し合えと」
「ほらそれだよ! 私の忠告がこんなにもお前を成長させるとはなハハハハ」
 朱翔は感激し、腰に手をあて天を見上げ笑う。
 ……。
 晟朱と朱能しゅのうは、朱翔の様子に苦笑いする。
 柊虎が言う。
「朱翔、話を進めろ!」
「あ、すまんハハハ で、志瑞也は何て言ったんだ?」
「私が苦しいのなら共に逝けるから構わない、だがその選択を取る前に二人で向き合ってみないかと」
 彼の思いに、蒼亞と壱黄は目の縁を赤く染める。無敵だと思っていた兄は、自身の変化に追い詰められていた。身に起きている定めに疑問を感じないはずがない。何故こんな目に合うのか、何故平穏に暮らせないのか〝私は前世で何をしたのか〟兄の定めがこれ程理不尽なものとは……制御できない力は、兄にとって苦痛でしかない。全員が神獣達に囲まれ、楽しそうに笑う彼を見た。
 朱翔は優しく微笑む。
「そうか、あいつらしいな。それでお前達は特訓していたんだな」
「そうだ」
「その時に志瑞也の神力は出てきたのか?」
「違う」
 朱翔は片眉を上げる。
「ならどうやったんだ?」
 兄らしからず口元をもごもごしだす。

「…く」

 く?
 全員が口を尖らす。


「くしゃみだ…ふっ」


 ──は?
 全員の目が点になる。

 朱翔は目を窄め渋い顔で尋ねる。
「あー蒼万、私は耳は悪くないがもう一度聞くぞ、今『くしゃみ』って言ったか?」
「ふっ…アハハハハハハハ!」
 兄が腹を抱えて大笑いし、彼が振り向き駆け寄ってきた。
「蒼万、そんなに笑ってどうしたんだ?」
 兄は口を押さえて笑う。
 話せない兄の代わりに、朱翔は彼に代弁を求める。
「志瑞也、お前のあれは神力だよな? いつからだ?」
「ああ、それで蒼万笑ってるのかアハハハハハ」
 二人はげらげら笑いだす。
「笑ってないで言えよ!」
 苛ついた朱翔は「パチン」と彼の後頭部を叩いた。
「痛ッ 直ぐ叩くなよもう!」
 彼は朱翔を睨みながら頭を摩る。
「何処まで聞いたんだ?」
「二人で特訓を始めたんだろ? その後だ!」
 彼はにこにこと説明しだす。
「そう、特訓は夜に青龍湖でしてたんだ。青ちゃん青龍湖見たら喜んで暴れてさ、水飲んだらでっかくなって蒼万のいうこと全然聞かないんだよ。俺が辰瑞出して『めっ、駄目だぞ!』って何度も教えたんだ。青ちゃん辰瑞見ると怖がってさアハハハ」
 ……。
「おいっ、叩かれる前にさっさと言え!」
 朱翔が手を振り上げ、彼はすかさず頭を押さえる。
「何だよ直ぐ怒るなよ、ちゃんと話してるだろ? 邪魔してるのは朱翔じゃないか!」
「わかったから早く言え!」
 朱翔が手を下ろすも、彼は警戒して頭を押さえながら続きを話す。
「ったく…それでさ、龍族って水に長く潜れるだろ? 辰瑞も龍が混じってるから、俺も長く潜れると思って蒼万と特訓したんだ」
 …はて?
 彼の神力を問いたはずだが、兄の力の話から水遊びの話へと移り変わり、だんだん雲行きが怪しくなってきた。案の定、磨虎は眉を寄せ何の話かと首を傾げ、柊虎、黄虎、義兄は彼らしいと苦笑い。朱翔は腕を組み頬を引き攣らせ、かなり苛立っていた。周りの宗主達は有難いことに、温かい目で彼を見てくれている。彼の後ろで、兄は未だに口を押さえ笑いを堪えていた。
「そしたらさ、結構長く潜れて俺びっくりしたんだ! あんなに水の中泳げるって思わなかったよアハハハ あっ、朱翔は龍族じゃないから痛ッ」
 我慢の限界か、予告なしに彼の額を「ペチン」と叩いた。頭と思っていた彼は、予期せぬ不意打ちに目を瞑り額を摩る。この状況で平然と話す彼もだが、宗主達の目の前で躊躇いのない朱翔の手捌きもまた、驚異ではないだろうか。
「お前ふざけているのか⁉︎」
「痛いじゃないかっ、ふざけてないよ! えっと…何だったけ? ほらっ、朱翔のせいで何処まで話したか分かんなくなっちゃったじゃないか!」
 彼はむっとして朱翔を睨みつけ、柊虎と黄虎は瞬時に朱翔の腕を掴み押さえた。握られた拳は本気で殴るつもりなのだろう。蒼亞達四人は、朱翔も観察対象に入れることにした。
「お前の神力だよっ 『くしゃみ』って何だ‼︎」
「あっ、そうそう今話そうとしてたんだよ。ったくせっかちだな、大声出すなよ。短気は損気ってっ」
「早く言え!」
「わかったよもー 二人で風邪こじらせちゃってさ、へへ」

 は?

 彼は目をくりっとさせ恥ずかしそうに言う。
「青龍湖の水だから大丈夫だと思ってたんだけど、風呂と違って冷たかったからかな? 泳ぎ過ぎて・・・身体冷やしてさ、へへ」
 朱翔は真顔で尋ねる。
「本当に泳いだだけか?」
「…………あー、へへへ」
 彼は目を泳がせ笑って誤魔化し、朱翔は呆れて白目を剥く。
「そっその時たまたまくしゃみしたらさ、ぷっ目の前の木が倒れてさ。俺と蒼万も最初はうわって驚いたけど、蒼万がくしゃみしても何も起きないのに、俺がくしゃみする度に木が倒れたり岩が飛んだりしてさ。たまたま青ちゃんまで吹き飛ばしちゃって、クククッ そしたら青ちゃんめっちゃ驚いて大人しくなってさ、ぷっ可笑しくて二人で大笑いしたんだ。な?蒼万…ぷっ」
「アハハハハハハハ!」
 楽しそうに笑う二人に、朱翔は頭を掻きながら問う。
「はぁ…で、その後今度はお前も特訓したのか?」
「うん。辰瑞に聞いて、あ…」
 彼はしまったと目を見開く。
「志瑞也、皆全て知っているんだ」
「えっ、本当か⁉︎」
 彼は驚きながら頷く全員を見渡した。
「蒼万は気づいていたんだろ?」
 兄は頷いて朱翔に言う。
「私の変化にお前が気づいてないはずがない。それにあの時、嵐や金粉が舞ったが呼び出しの一つもなかった。それどころか、その件に誰一人として私に問う者がいなかった。そしてここ数年、お前達の様子で確信した」
「なら何故私達に明かさなかった?」
「私と志瑞也以外で進んでいる内容であれば、私は関与しない方が良いと思った。宗主様達が決めた事であれば、その選択に間違いはない」
 朱翔は呆れるように鼻で笑う。
「ふっ〝黙して語らず〟か」
「お前達が絡んでいるなら尚知る必要はない。それに私と志瑞也に何かあった時、蒼亞には友が必要だ。私にとってお前達のような友がな。相応しい・・・・かは、私よりお前達の方が見る目がある」
「って事は、お前も蒼亞のため・・・・・に〝見極め〟ていたんだな?」
 兄は頷いて言う。
「そうだ。本当は昨夜・・話すつもりだった。すまない」
 事情を知っている者達は磨虎を見て、磨虎は顔の前に手を当て「すまん」と苦笑いで謝った。蒼亞達四人は、知らない素振りに徹した。
 朱翔は兄の肩を組んで言う。
「はぁ…相変わらずお前のそのやり方は気に入らないが、私の忠告を守り続けていたご褒美に今回は大目にみてやるよハハハ」
「お前達には感謝している」
 兄は仲間と微笑んで頷き合った。
「で、志瑞也。辰瑞は何て言ったんだ?」
 全員が、最も重要視する内容に耳を傾けた。
「『お前の神力は言葉では使えない』ってさ」
「どういう意味だ?」
 彼は腕を組んで首を傾げる。
「たぶん人じゃなくて獣なら使えるって事なのかも、俺が言葉で〝消えちゃえーっ〟とか〝わーっ〟て叫んでも駄目なんだ。思うのとも違って結構難しくてさ、さっきは結界に咬み突く感じで吠えたんだ。青ちゃんには威嚇する感じで言うと止まるんだ」
「なら初めて暴走した時は何だったんだ? お前叫んだよな?」
 彼は口を尖らせ困ったように言う。
「うん、あれは完全に無意識で俺も何を言ったかは覚えてないんだ。蒼亞と海虎の試合の時もだけど、突発的に起こる感情の制御はもっと難しいんだ。だからこれかも宜しくな朱翔アハハハ」
「ったくお前は、ふっハハハ」
 朱翔は彼の頭をなでた。
 兄夫婦と仲間達は笑っているが、彼と兄が更なる驚異と化した事に変わりはない。破壊神として兄に自覚があったのは幸いだ。だが、彼が今後力を制御できれば、自らの意志で駆使する場合もある。果たしてそれは、神が与える新たな課題なのだろうか。宗主達は絶句し、事の顛末を量りかねていた。
 黄理が重い空気を察し、彼に近づき手を取って言う。
「志瑞也、皆のためにも私からお願いするよ。その声の力は…必要な時以外は使わないと、約束してくれるか?」
「黄理叔父さん約束します。俺は誰も傷つけたくないんです、だから自分を知ろうと思って特訓したんです。分からなくて怖がるよりはましかなって、へへへ」
 黄理は微笑んで言う。
「くれぐれも風邪は引かないようになハハハ」
「はい、アハハハ」
 一先ず全員安堵する。
「晟朱様、知らせてくれてありがとうございます」
「よいよい。青龍を止められるのはお主しかいないと思うてのう、雀都を直ぐに向かわせたのじゃハハハ」
 晟朱は彼に微笑む。
「晟朱っ、では何故早くそれを申さぬか!」
「盛虎そう怒るな、時に皆で考えるのも良いではないかハハハ」
「お前のそういうところが気に食わぬのだ!」
 盛虎は不満げに腕を組み、ぎろっと晟朱を睨んだ。
「観玄様、清玄様、玄弥、今回も助けていただきありがとうございます」
 顔以外埃まみれの三人に、兄は深々と頭を下げた。
「気にするでないわいフハハハ」
「父上、汚れてしまったので今日はゆっくり風呂に入り、明日発ちましょう」
 清玄が怪しく微笑み、観玄はその思惑を読み取る。
「そうじゃな。蒼万、今日は付き合ってもらうぞフハハハ」
「はい、喜んで」
 兄は微笑む。
「志瑞也もっ」
「祖父上っ、し志瑞也ぁは駄目です」
 義兄が慌てて止めに入る。
「玄弥、少しなら大丈夫だよ。いいだろ蒼万?」
「……」
 兄は沈黙するも、観玄と清玄は微笑んで「断るのか?」と目で訴える。
「…わかった」
 兄の仲間達が背筋を張らせた。
「夜が楽しみじゃわいフハハハ」
「そうですな父上ハハハ」
 蒼亞達四人は兄と彼に近づく。
「あ…兄上、ううっ…」
 蒼亞は初めて兄に抱きついた。やはり兄の体は大きく逞しく、彼のように背中を包むことはできない。だがとても暖かく、彼が兄に包まれる気持ちが理解できた。
「私が兄上や志ぃ兄ちゃんを守ります… だからその時が来るまで…ぐすっ、みっ自らは絶たないで下さい、ううっ…」
「わかった、約束しよう」
 兄は抱き返し優しく頭をなでた。
「海虎、玄史、蒼亞の良き友となってくれ」
「はい蒼万様」
「はい蒼万様」
 二人は目頭を熱くさせ頷く。
「お…伯父上、ううっ…」
「壱黄おいで」
 彼は壱黄を抱きしめた。
「大丈夫だよ壱黄。泣かないでほら、ちゅっ」
「ぐすっ、伯父上…」
 彼は壱黄の涙を拭って微笑む。
 父が眉をひそめ兄の肩に手を置く。
「蒼万、苦しめてすまなかった」
「いいえ父上、私は一人ではありませんでした」
「そうか…」
「はい」
 兄と父は目で頷き合う。
「蒼万、志瑞也、これからも二人で乗り越えるのじゃぞ」
「はい祖父上」
「はい爺ちゃん」
 蒼龍家は微笑み合う。
 黄理が明るい声で言う。
「では皆さん、浄化の儀式を再会しますかな。晟朱様、朱能に朱翔、お願いします」
 三人の神獣朱雀鳥、雀都、すずめ雲雀ひばりが、破壊された金龍殿に飛び回り火を放つ。三本の火柱は徐々に太くなり、やがて一本の巨大な火柱となって天高く燃え上がった。灰となる歴史の中に、各々が感じるものがある。本来、大殿に使用される木材は簡単に朽ち果てたりなどしない。手入れをすれば燃やさずに済んだであろう。黄理は母九虎ひさこが住んでいた九龍殿くりゅうでんを、亡くなって直ぐに取り壊した。自身が十二まで育った思い出も全て……跡形もなく。息子黄虎や孫壱黄に受け継ぎたくない決断を、自らの手で終わらそうとしているのか。全員の顔を真っ朱に染める炎は、心の闇をも焼いているようだった。
 兄の側で、彼は何を思って眺めているのだろう。見上げる横顔は炎のせいか、瞳がゆらゆらと揺れ、泣いている様にも、微笑んでいる様にも見える。兄は横から右肩に手を回して抱き寄せ、肩に凭れる彼の頭をそっとなでた。兄は彼の右腕を摩り、腰に手を回し……お尻を触った。彼はびくっと一瞬目を見開くも、すかさずその手を掴んでお腹へ移し、呆れるように顔を横に振り炎を眺めて微笑む。兄は怪しげに笑い大人しく彼に寄り添った。蒼亞は思わず「ぷっ」と笑い、振り返って兄の仲間達を見ると同様に笑っていた。朱翔が目で「だろ?」と得意げに笑い、蒼亞はにんまりと頷く。顔を戻し兄夫婦を見ると、二人が振り向き微笑みかける。蒼亞の存在は二人とって、弟でもあり〝生きる希望〟だったのだ。
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