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第一章 忍冬
四 舞台の中心で…
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四日目、実技女子の部、黄花は龍神の如く美しく跳び回り、皆が力強い舞に圧倒された。目を奪われた男子達が「黄花、凄く綺麗だったよ」「今日の自由時間、一緒に庭園を散策しないか?」「いいや黄花、私と散策しよう」と群がり、積極的に誘いだす。褒められて喜ばない女子はいない。だが、その中にお目当ての男子の姿がなく、黄花は肩を落とした。
その日の講習終了後、黄花は曇った顔をして、今にも泣き出しそうだった。上位選抜者となったが祝いの言葉をかけれず、蒼亞と壱黄は夕日を眺める黄花の側に付き添った。そんな時、観にきていた彼が駆け寄ると、黄花はすかさず抱きつく。
「伯父上…釵黄には私の気持ち…ぐすっ、伝わってないのかしら…」
蒼亞と壱黄も、黄花の想いがここまで深いとは知らなかった。
彼は抱きしめて頭をなでながら言う。
「黄花はとても魅力的だよ。釵黄が今は気づかなくても、いつかきっと分かる時が来るよ。だから悲しまないで、俺は黄花の笑顔が好きだよ。黄花の笑顔はある人を思い出すんだ」
「ある人…?」
黄花は彼を見て首を傾げ、壱黄も首を傾げる。
「うん、とても透き通る笑顔で誰もが彼女を守りたくなるんだ。明るくて弟思いでさ、とても心が強いんだ。黄花そっくりだよ」
「女子…なのですか? 伯父上はっその方がすっ好きなのですか⁉︎」
彼は頷いて優しく言う。
「彼女がいないと俺は生きられないよ。彼女のことはとても大切で、大好きだよ」
黄花も壱黄も、兄以外の存在に驚く。
「そっ、その方は今は?」
彼は胸に手をあて儚げに微笑む。
「ここに……ずっとここに俺といるよ」
困惑する黄花と壱黄の手を取り、彼は自身の胸に手を重ね合わせる。
「二人共感じるだろ? これが彼女、黄怜なんだ。そして、お前達の伯母さんだよ」
彼は微笑み目で頷いた。
夕餉の後、蒼亞達は夜の庭園で散策することにした。蒼亞は前方を、壱黄と黄花は後方をとぼとぼと歩く。
壱黄が尋ねる。
「蒼亞、お前知っていたのか?」
「いいや、知らなかったよ。私も初日の夜初めて知ったんだ…」
「そうか…」
二日目の蒼亞の様子に納得し、壱黄は言葉を詰まらせる。
二人にとっても告げられた話は衝撃的で、傷痕を見て涙を流す二人を前にしても、彼は一粒も涙を溢さなかった。彼は涙脆いが、決して芯は弱くない。
「黄花」
「…何?」
「黄怜様に似ているか、今度黄虎様に聞いてみろよ。驚くぞハハハ」
「蒼亞…」
黄花も言葉を詰まらせる。
蒼亞は立ち止まり体ごと振り返って言う。
「私達が生まれる前に色んな事があったけど、今は三人共志ぃ兄ちゃんの家族だ。私は志ぃ兄ちゃんの幸せを守れる家族になるよハハハ」
壱黄は胸を熱くさせる。
「蒼亞っ、私も一緒になるよ!」
「壱黄、私とお前だけか? はぁー 後一人足りないなー」
そう言って、蒼亞は横目でじろっと見る。
「何よ蒼亞っ、そんなの当たり前じゃないのっ 伯父上はずっと私の伯父上よ! ふんっ」
黄花は腕を組みつんと澄まし顔をする。
「黄花、伯父上は私のでもあるのだぞ…ぷっハハハ」
蒼亞は片眉を上げて言う。
「黄花、元気になったみたいだな。釵黄はいいのか?」
「今は釵黄よりも伯父上よ! ハハハハ」
蒼亞は壱黄の肩に手を置く。
「ふっ、さすがお前の妹だなハハハ」
「敵わないよハハハ」
壱黄は腕を組んで顔を横に振る。
そして、三人は彼のために誓い合った。
五日目、男子実技の部、楽器では音に長けた朱雀家を中心に、馬術、剣術では白虎家を中心に選抜者が決まった。武術は、基本編の型と応用編の勝ち抜き戦で選抜者を決める。特に応用編では、武神を生む白虎家と蒼龍家が毎度上位を占める。そこで、平等に民に他の神家も披露できるよう、今回から基本編選抜者は、応用編選抜者を省いた上位四人が選ばれることになった。午前に行われた基本編試験の結果、一位は十五になる玄武家の玄史、二位は十六になる玄武家の玄銘、三位は十五になる白虎家の海虎、四位は蒼亞、五位は十七になる朱雀家の朱鷹、六位は壱黄、七位は十四になる黄龍家の黄仭、八位は十七になる蒼龍家の蒼汰、残念ながら釵黄は二十位だった。
昼餉後、応用編試験のため庭園には舞台が準備された。七年前の事もあり、磨虎は「壱黄、今回は初戦『参りました』は駄目だぞハハハ」柊虎は「お前は実力は十分あるのだから、せめて三回戦までは頑張るのだハハハ」甥である壱黄を明るく励ます。しかし、壱黄は「いいえっ、私は蒼亞を目標にします!」鋭く眼光を放った。「そっそうか…」柊虎は驚き「あいつ…どうしたのだ?」磨虎も訝しむ。彼は兄と観に来ていて「二人共頑張るんだぞ」微笑んで頭をなでた。蒼亞は兄と目で頷き合い、壱黄と「やるぞ!」と気合いを入れる。
一回戦、二回戦と順調に試合が行われ、壱黄は宣言通り実力を発揮し、見事に準々決勝を勝ち抜く。だが、準決勝対戦相手の海虎に鋭い一発を撃ち込まれ、崩れるように膝を突き動けなくなってしまう。海虎は体格も大きく逞しく、次期白虎家の護衛候補だ。現護衛指揮官力虎の孫といえば、誰もが相手が悪かったと口を揃える。しかし、前回海虎は蒼亞に負けているのだ。「勝負有り!」続行不可能と判断し、磨虎が声を上げた。拳に打倒蒼亞を掲げ、決勝への意気込みは凄まじい。
蒼亞は舞台に上がり、壱黄に駆け寄り体を支える。
「大丈夫か?」
「痛てッ ふぅ…蒼亞、大丈夫だよ。ありがとう」
壱黄はお腹を押さえながら立ち上がる。
「流石海虎だ。全試合一発で相手を倒しているのも、きっとお前との決戦のため体力を温存しているのさ。気を抜くなよ」
「わかった」
二人は強く頷き合う。
「壱黄大丈夫か⁉︎」
彼が駆け寄って来た。
壱黄は舞台を下り、お腹を摩りながら言う。
「伯父上、負けてしまいました。痛ッ…」
「が…頑張ったな、凄いぞ…強くなったな、ううっ…」
泣き虫な彼は声を震わせた。
「志瑞也泣くな‼︎」
「わ…わかってるよっ、ぐすっ…」
おや?
いつも笑顔の朱翔が、珍しく彼を怒鳴った。彼は深呼吸を繰り返し、涙を堪えている。彼が泣くのはいつものこと、何故止めるのだろう?
「蒼万っ、志瑞也の側にいとけっ」
兄は頷き彼を胸に抱き寄せ「壱黄は大丈夫だ」言いながら頭をなでる。壱黄は目で「私は何ともないよ?」と首を傾げ蒼亞を見る。蒼亞も首を傾げ「知ってる」と頷く。
磨虎が険しい顔で言う。
「朱翔、決勝は志瑞也には観せない方がよいのではないか?」
「志瑞也、無理はするな」
柊虎も険しい顔で彼の背中を摩る。
「お、俺は蒼亞が頑張ってるとこ観たいんだ! お願い、がっ頑張るから…」
…はて、彼は何を頑張るのだ?
何やら集まって不思議な緊張感が漂う中、朱翔が顎に手をあて考えだす。その間、誰も一言も話さず、眉を寄せ朱翔を見ていた。
朱翔は鼻息をつき落ち着いた声で言う。
「朱夏、琴を用意しろ」
朱夏は顔を曇らせる。
「…よいのですか?」
「案ずるな。私が吹き始めたら合わせるんだ、いいか?」
「わかりました」
兄妹は頷き合う。
「朱夏ちゃんありがとう」
「いいえ、ふふふ」
朱夏は彼に微笑み、琴を取りに客室のある宿舎へと向かった。琴に笛までと、演奏会でも開くのだろうか。決勝舞台を黄龍殿門前広場に移し、子供達全員を殿内に入れ、突き出し窓と扉を開けた。
「壱黄、蒼亞、どうしたの?」
黄花が駆けつけるも、二人にも訳がわからない。
「壱黄と黄花も殿内に入っていろ」
「何故ですか? ここで蒼亞を応援させて下さい!」
「私もここにいるわ!」
「なら柊虎と磨虎の側から離れるなっ、いいな!」
朱翔の鋭い眼差しに二人はただ頷き、即座に双子の伯父の元へ駆けていく。
蒼亞と海虎は舞台に立ち向かい合うも、この状況に今一つ集中できずにいた。更に舞台に上がってきたのは、磨虎でも、柊虎でもなく、朱翔だった。
朱翔が二人の間に立ち低く言う。
「いいかお前達、何が起きても動じるな」
「……」
「……」
二人とも首を傾げる。
「返事ぐらいしろ‼︎」
「はっはい!」
二人は別の緊張で額に汗を滲ませた。
「用意はいいか?」
二人は構えて頷く。
「初め!」
前回海虎は八つ、蒼亞が五つの時だ。銅色に瞳を光らせ白の熱風を巻き起こし、まさに白虎さながらの唸り声が聞こえてくる。正直、壱黄が準決勝まで昇るとは思わなかった。昨夜の決意が、壱黄の心を奮い立たせたのだ。ならばと、友の思いに蒼亞は応えるべく、軽やかに攻撃を右に躱し、青の打撃を海虎の左脇腹に打ち込む。
(よしっ、入った!)
海虎がぴたっと動きを止め蒼亞を見下ろし、きらんと八重歯を光らせたと同時に「ゔッ…」右拳から放たれた打撃が蒼亞の左脇腹にめり込む。以前とは比にならない破壊力、蒼亞よりも威力は数倍も上だ。「ふっ、少し手を抜いたのだ。まだやれるだろ?」余程蒼亞に負けたのが悔しかったのか、一発では足りないようだ。「お前性格最悪だな!」振り落とされる足を両腕で受け流すも、躊躇いのない衝撃が痺れるように腕に伝わる。すかさず身軽さを活かした回し蹴りで、弧を描き海虎の顎を掠めた。「痛ッ…くそっ、やるな」海虎は擦り切れた顎の血を拭い、四肢での連続技を繰り広げる。
(くそっ、はっ速い…)
蒼亞は必死に受け止めながら右に左にと躱すも、徐々に舞台端へと追い詰められてしまう。
「蒼亞っ、打ち返してこい! このままだと場外へ落ちるぞ! ハハハ」
海虎は煽りながらも隙は与えない。
(今だ!)
打撃の間の呼吸を読み取り、蒼亞は高く跳躍し前転しながら海虎の背後に「ストン」と着地する。だが、動きを読んでいた海虎は体を翻し待ち構え、蒼亞の首を背後から腕でがしっと絞めた。蒼亞は瞬時に隙間に手を入れ阻むも、海虎は力づくで持ち上げる。「かはッ、くッ、くそっ…」蒼亞は足をばたつかせながらもがく。
「蒼亞っ…」
彼は涙目で唇を震わせた。
(しっ、志ぃ…兄ちゃんっ、こっ…この馬鹿力めっ…)
海虎の力は弱まる気配はない、恐らく「参った」と言わせたいのだろう。踵で脛や膝を突くも、びくともしない。
ピーヒョロー…
チャン、チャラララン…
ふと、軽やかな笛と琴の音が聴こえてきた。「あ…」一瞬弱まった海虎の腕を、蒼亞は即座に振り解き拘束から逃れる。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
蒼亞は呼吸を整えながら構えた。
「あれは何だ⁉︎」
海虎が空を見上げ固まる。
「ん? なっ…」
蒼亞も見上げて固まる。
淀んだ空気が押し寄せ、雨雲が渦を巻いているではないか。空を覆い尽くす巨大さに、二人は呆気に取られた。
「お前達何やってるんだ! 早く続けろ‼︎」
朱翔は怒鳴った後、直ぐにまた笛を吹きだす。子供達は扉や窓から顔を出し、壱黄と黄花も空を見上げる。その場が唖然とする中、兄は涙を堪える彼を抱きしめた。
…このまま続けろと?
彼は酸っぱい物でも食べたかのように、渋い顔で口を尖らせている……とても不思議な顔だ。頼れる弟になるのだ! 蒼亞は気を取り直し意識を集中させ、同時に海虎も切り替え再び睨み合う。力量で勝てないのであれば技で挑むしかない、海虎は一定の間で攻撃を繰り返し、動きも鋭く無駄がない。躱しながら隙を探し、更に仕掛けるとなると、こっちが断然不利だ。長期戦を視野に入れ、誘きだす戦法しかない。できるだけ最小限の動きで攻撃を躱し海虎の体力を消耗させ、読まれないよう時折わざと打撃を受けた。それは、蒼亞にとっても危険な賭けだ。まともに受けてないにしろ、海虎の拳は重く内臓に響く。気の抜けない接戦が続き、互いの呼吸も次第に荒くなってきた。
──そして、時は来たり!
海虎が右手でがしっと蒼亞の左肩を掴んだ。掴みにかかるということは、確実に技を打ち込み試合を終わらせるつもりなのだ。渾身の一撃を残している相手に、一瞬の隙も与えてはいけない。刹那、親指を掴み反対に捻り手を解いた。「なっ」海虎は関節の連動で、腕が真っ直ぐに伸ばされ体勢をわずかに崩す。間一空けず、蒼亞は親指を両手で掴み、身体全体で真下に体重をかけてしゃがんだ。「うあぁ!」肩を突き出すように引っ張られた海虎は、前のめりに転びそうになる。蒼亞は流れるように親指を返し、手首を捻りながら背後を取り両膝裏を素早く蹴る。膝を突く海虎の背中に腕を回し、手首を肩甲骨まで捻り上げ、自然に腹這いとなった仙骨にごつっと膝を突きあてた!
「ゔああぁッ‼︎」
海虎は痛みで絶叫する。
「後はお前が言うまでこのままだ!」
「ゔああーッ」
それでも海虎は、額に血管を浮き立たせ歯を食いしばる。
「海虎言え!」
「くッ くそっ…」
もう、海虎に跳ね返す体力など残っていない、だが、それは蒼亞も同じだ。力強くで拘束を解かれては、この後の戦いに勝ち目などない、海虎はそれぐらい強い相手なのだ。
「強情な奴だなっ、言うんだ!」
蒼亞は更に膝を突き立て、手の捻りを強めた。
「ゔああッ‼︎ まっ、参ったッ」
「勝負有り!」
舞台端から磨虎が言い、蒼亞は拘束をすっと解き、片膝を突いてしゃがむ。
「大丈夫か?」
「くそっ… お前っ何だこの技はッ⁉︎」
「ハハハ今度教えるよ。ほら立てよ」
蒼亞は海虎の腕を掴み立ち上がらせる。
海虎は突かれたお尻を摩り、痛みを緩和させるように手首と肩をぐるぐる回す。
「お前いつから考えていた?」
蒼亞は両眉を上げ得意げに言う。
「お前打撃に一定の間があるって、知っていたか? ハハハ」
「なっ…始めからではないか! ふっ、お前とは長い付き合いになりそうだな」
「お前の性格次第だなハハハ」
子供達も殿内から出て来て舞台を取り囲み、大満足の二人の戦いに拍手喝采を送る。
海虎が不思議そうに言う。
「そういえば、あの空は何だったのだ?」
「今は晴れてるな…」
二人は空を見上げた。
「蒼亞ーっ、海虎ーっ、大丈夫か⁉︎」
彼と朱翔が駆け寄ってきた。
「志ぃ兄ちゃん大丈夫だよ、へへへ」
「よかったぁ… 海虎、顎は?」
彼は蒼亞の頭をなでた後、海虎の顎を触り傷を確認する。
「これぐらい大丈夫ですハハハ」
「そっか、二人共かっこよかったよ。蒼亞、優勝おめでとう。海虎も準優勝おめでとう」
彼は少し涙目のまま微笑んだ。
「志ぃ兄ちゃんありがとう」
「ありがとうございます」
蒼亞は自慢げに言う。
「海虎、あの技は志ぃ兄ちゃんに教えてもらったんだ」
「えっ、志瑞也さんが⁉︎」
「でも今じゃ蒼亞の方が上手だよアハハハ」
海虎が彼の手を取って握る。
「志瑞也さんっ、是非私にご指導を!」
「アハハ 俺でよければ、へへ」
彼は嬉しそうに照れ笑う。
「海虎、そろそろ手を離さないと…怒られるぞ」
そう言って、蒼亞はちらっと兄を見た。
「あっ、わかった…? ふっ、ハハハハ」
海虎は慌てて彼の手を離す。
壱黄と黄花も舞台に上がってきた。
「蒼亞おめでとう、やったな!」
「ありがとう壱黄」
二人は肩を組み合う。
「海虎も二位おめでとう」
「壱黄も選抜者おめでとう、腹は大丈夫か?」
「いい拳だったぞハハハ」
壱黄はお腹を摩り、二人は笑って握手する。
「三人共おめでとう」
黄花も交えて喜びを分かち合い、彼は朱翔に肩を組まれ、微笑ましく眺めていた。
朱翔が「パン!」と手を叩き前に立ち言う。
「よし皆、後は片付けて明日の準備だ! 選抜者は余興の練習だ!」
「はい!」
全員が元気に返事する。
「あの!」
誰だ誰だと、子供達が顔を振り向かせ騒つく中を、一人の男子が堂々と舞台に上がってきた。
「あっ…朱翔師匠!」
「どうしたんだ釵黄?」
「けっ決闘させて下さい!」
何と? 全員の目が点になる。
朱翔は腕を組んで言う。
「釵黄、お前は初戦で負けただろ? 蒼亞に敵うわけないだろ?」
そうだそうだと、全員が頷く。
「ちっ違います! そっ蒼亞では、ありません…」
おや?
何事にもきちんと発言する釵黄が、珍しく言葉を吃らせた。
「なら壱黄か?」
「ちっ違います…」
「…まさかっ、海虎⁉︎」
いやいや、いくら何でも体格の差がありすぎる。釵黄が顔をぶんぶん横に振り、一先ず全員が安堵する。
朱翔は鼻息をついて問う。
「じゃあ誰なんだ?」
いよいよか!
全員が固唾を呑む中、釵黄は視線を向けて答える。
「志瑞也さんです!」
……。
「ええーっ⁉︎」
全員の張り上げる声が門前に響き、指名を受けた彼は、当然誰よりも驚き大声を出した。騒つく子供達を手振りで鎮め、朱翔は優しく尋ねる。
「釵黄、何で志瑞也と決闘したいんだ?」
「おっ黄花は『伯父上でも、愛があればお嫁さんになれる』と言っておりました。流石に志瑞也さん相手では、私は敵わないと思い身を引きました。しかし志瑞也さんは、婚姻しているとお伺いしました。それなのに一昨日、お…黄花の頬に、くっ…口づけしておりました!」
何と⁉︎
疑惑の視線が一斉に彼へと向かい、彼はたじたじになる。
「それでは黄花が可哀想です!」
そうだそうだ!
釵黄は群衆を味方につけ、挑戦状を叩き突ける。
「男として勝負して私が勝てば、もう黄花に口づけしないでほしいのです‼︎」
「きゃぁー!」
「うおぉー!」
「ピューピュー」
黄色い歓声に雄叫び、指笛までと、会場は再び興奮状態へと幕を開けた。
「釵黄…」
黄花の頬がぽっと赤くなる。
…はてさて、これはどうしたものか?
案の定、彼は瞳をきらきらと輝かせ感激し、今直ぐにでも釵黄に抱きつきそうだ。もはや、彼の脳内は決闘のニ文字すら、きらきらで掻き消されているのだろう。可愛い姪の恋の行方を応援する側なのだから仕方ない。真剣な眼差しで意を決して舞台に上がった釵黄、皆の前で黄花に想いを告白したようなものだ。しかも、隠れて黄花の行動をずっと見ていたのか、発言の内容から、彼の振舞いがふしだらだと訴えている。そんな釵黄を嬉しそうに見つめる黄花、恋の決戦が始まるのかと期待に胸を膨らませる群衆。そして、舞台場外端で顔を引き攣らせている師匠三人と、真顔の兄。絶妙な温度差のある雰囲気に、蒼亞と壱黄は自然と顔がにやけてくる。
「釵黄! 釵黄!」
「釵黄! 釵黄!」
拳を挙げた群衆からの熱い声援が飛び交い、まるで前夜祭かのような、ここ一番の盛り上がりを見せた。
「お前達静かにしろ‼︎」
朱翔が両手を上げ、会場はしんと鎮まる。
朱翔は苦い顔をしながら人差し指で頭を掻く。
「あー えっとー つまりだな、釵黄は七年前から黄花が好きなのか?」
この場を収められるのは…そう、もうこの男しかいない。
釵黄はこくんと一回頷く。
朱翔はにっこりと目で訴えながら言う。
「黄花、後はお前次第なんじゃないのか? そうだろ?」
そして、打開策を提案する。
「お前から釵黄に〝おまじない〟の説明をしてあげれば、釵黄も志瑞也も大怪我しなくて済む。な?」
意味のない戦いになるのは……間違いない。当然のことながら、生身の護身術しか知らない彼では、神力を使える釵黄が必ず勝つ。だが、あまりにも見応えのない戦いにわざと彼が負けたのかと疑われ、釵黄が恥をかく可能性がある。実に、配慮に長けた上手い言い回しだ。知らない周りからすれば、恋のため成人に戦いを挑んだ勇士、男気、負傷する覚悟を称賛されるだろう。
黄花が釵黄にゆっくり近づく。
「釵黄はずっと私を見てくれていたの?」
「きっ…君は素敵過ぎるのだ。私なんか…勉学以外なんの取り柄もないよ。それに、君の周りはいつも男らしい者ばかりだ…」
うつむいて言う釵黄の手を黄花は取る。
「そんなことないわ。私は釵黄が書物を読んでいる姿が好きなの。ふふふ」
「え?」
釵黄が顔を上げる。
「君は…私が、す…好きなのか?」
「そうよ。知らなかった? ずっと目で言っていたけど、あなた全然気づかないんだもの」
口を尖らす黄花の手を釵黄は握り返す。
「君に見つめられと、書物の内容が頭に入ってこないのだよ。すまない…」
「いいのよ。伯父上が頬にする口づけは〝おまじない〟といって、私が泣いていたり悲しんでいる時に、元気が出るようにしてもらっていただけよ。ふふふ」
「ならっ、次からは…わっ私が君にしてあげるよ」
「釵黄…」
二人は恥ずかしそうに見つめ合う。
……。
「コホン。あーお前達、話はまとまったか?」
朱翔が二人の世界を止めてくれた。
「はっはいっ、けっ」
「決闘して釵黄が大怪我したら、私嫌だわ…」
やはり、黄花は賢い、瞬時に、朱翔の言葉の意図を読んでいた。しかも、都合の悪い内容は伏せ、釵黄から〝おまじない〟の権利までも貰い受けた。
黄花流奥義! 悲しげに、上目遣いで見つめる。
釵黄は顔を真っ赤に染めた。
「わっ私は君を守れるなら怪我ぐらい平気だけど、君がそう言うのなら……やめるよ」
如何なる秀才でも、恋は盲目とはこのことだ。いずれ、黄花の本性を知る時がくる。だがその時は、釵黄に逃げ道などない。その後、子供達の間で〝恋のおまじない〟が流行ったのは、言うまでもない。無事に彼への疑惑の視線も解けたが、蒼亞と壱黄には、黄花の猛々しい勝利の笑い声が……聞こえた。
その日の講習終了後、黄花は曇った顔をして、今にも泣き出しそうだった。上位選抜者となったが祝いの言葉をかけれず、蒼亞と壱黄は夕日を眺める黄花の側に付き添った。そんな時、観にきていた彼が駆け寄ると、黄花はすかさず抱きつく。
「伯父上…釵黄には私の気持ち…ぐすっ、伝わってないのかしら…」
蒼亞と壱黄も、黄花の想いがここまで深いとは知らなかった。
彼は抱きしめて頭をなでながら言う。
「黄花はとても魅力的だよ。釵黄が今は気づかなくても、いつかきっと分かる時が来るよ。だから悲しまないで、俺は黄花の笑顔が好きだよ。黄花の笑顔はある人を思い出すんだ」
「ある人…?」
黄花は彼を見て首を傾げ、壱黄も首を傾げる。
「うん、とても透き通る笑顔で誰もが彼女を守りたくなるんだ。明るくて弟思いでさ、とても心が強いんだ。黄花そっくりだよ」
「女子…なのですか? 伯父上はっその方がすっ好きなのですか⁉︎」
彼は頷いて優しく言う。
「彼女がいないと俺は生きられないよ。彼女のことはとても大切で、大好きだよ」
黄花も壱黄も、兄以外の存在に驚く。
「そっ、その方は今は?」
彼は胸に手をあて儚げに微笑む。
「ここに……ずっとここに俺といるよ」
困惑する黄花と壱黄の手を取り、彼は自身の胸に手を重ね合わせる。
「二人共感じるだろ? これが彼女、黄怜なんだ。そして、お前達の伯母さんだよ」
彼は微笑み目で頷いた。
夕餉の後、蒼亞達は夜の庭園で散策することにした。蒼亞は前方を、壱黄と黄花は後方をとぼとぼと歩く。
壱黄が尋ねる。
「蒼亞、お前知っていたのか?」
「いいや、知らなかったよ。私も初日の夜初めて知ったんだ…」
「そうか…」
二日目の蒼亞の様子に納得し、壱黄は言葉を詰まらせる。
二人にとっても告げられた話は衝撃的で、傷痕を見て涙を流す二人を前にしても、彼は一粒も涙を溢さなかった。彼は涙脆いが、決して芯は弱くない。
「黄花」
「…何?」
「黄怜様に似ているか、今度黄虎様に聞いてみろよ。驚くぞハハハ」
「蒼亞…」
黄花も言葉を詰まらせる。
蒼亞は立ち止まり体ごと振り返って言う。
「私達が生まれる前に色んな事があったけど、今は三人共志ぃ兄ちゃんの家族だ。私は志ぃ兄ちゃんの幸せを守れる家族になるよハハハ」
壱黄は胸を熱くさせる。
「蒼亞っ、私も一緒になるよ!」
「壱黄、私とお前だけか? はぁー 後一人足りないなー」
そう言って、蒼亞は横目でじろっと見る。
「何よ蒼亞っ、そんなの当たり前じゃないのっ 伯父上はずっと私の伯父上よ! ふんっ」
黄花は腕を組みつんと澄まし顔をする。
「黄花、伯父上は私のでもあるのだぞ…ぷっハハハ」
蒼亞は片眉を上げて言う。
「黄花、元気になったみたいだな。釵黄はいいのか?」
「今は釵黄よりも伯父上よ! ハハハハ」
蒼亞は壱黄の肩に手を置く。
「ふっ、さすがお前の妹だなハハハ」
「敵わないよハハハ」
壱黄は腕を組んで顔を横に振る。
そして、三人は彼のために誓い合った。
五日目、男子実技の部、楽器では音に長けた朱雀家を中心に、馬術、剣術では白虎家を中心に選抜者が決まった。武術は、基本編の型と応用編の勝ち抜き戦で選抜者を決める。特に応用編では、武神を生む白虎家と蒼龍家が毎度上位を占める。そこで、平等に民に他の神家も披露できるよう、今回から基本編選抜者は、応用編選抜者を省いた上位四人が選ばれることになった。午前に行われた基本編試験の結果、一位は十五になる玄武家の玄史、二位は十六になる玄武家の玄銘、三位は十五になる白虎家の海虎、四位は蒼亞、五位は十七になる朱雀家の朱鷹、六位は壱黄、七位は十四になる黄龍家の黄仭、八位は十七になる蒼龍家の蒼汰、残念ながら釵黄は二十位だった。
昼餉後、応用編試験のため庭園には舞台が準備された。七年前の事もあり、磨虎は「壱黄、今回は初戦『参りました』は駄目だぞハハハ」柊虎は「お前は実力は十分あるのだから、せめて三回戦までは頑張るのだハハハ」甥である壱黄を明るく励ます。しかし、壱黄は「いいえっ、私は蒼亞を目標にします!」鋭く眼光を放った。「そっそうか…」柊虎は驚き「あいつ…どうしたのだ?」磨虎も訝しむ。彼は兄と観に来ていて「二人共頑張るんだぞ」微笑んで頭をなでた。蒼亞は兄と目で頷き合い、壱黄と「やるぞ!」と気合いを入れる。
一回戦、二回戦と順調に試合が行われ、壱黄は宣言通り実力を発揮し、見事に準々決勝を勝ち抜く。だが、準決勝対戦相手の海虎に鋭い一発を撃ち込まれ、崩れるように膝を突き動けなくなってしまう。海虎は体格も大きく逞しく、次期白虎家の護衛候補だ。現護衛指揮官力虎の孫といえば、誰もが相手が悪かったと口を揃える。しかし、前回海虎は蒼亞に負けているのだ。「勝負有り!」続行不可能と判断し、磨虎が声を上げた。拳に打倒蒼亞を掲げ、決勝への意気込みは凄まじい。
蒼亞は舞台に上がり、壱黄に駆け寄り体を支える。
「大丈夫か?」
「痛てッ ふぅ…蒼亞、大丈夫だよ。ありがとう」
壱黄はお腹を押さえながら立ち上がる。
「流石海虎だ。全試合一発で相手を倒しているのも、きっとお前との決戦のため体力を温存しているのさ。気を抜くなよ」
「わかった」
二人は強く頷き合う。
「壱黄大丈夫か⁉︎」
彼が駆け寄って来た。
壱黄は舞台を下り、お腹を摩りながら言う。
「伯父上、負けてしまいました。痛ッ…」
「が…頑張ったな、凄いぞ…強くなったな、ううっ…」
泣き虫な彼は声を震わせた。
「志瑞也泣くな‼︎」
「わ…わかってるよっ、ぐすっ…」
おや?
いつも笑顔の朱翔が、珍しく彼を怒鳴った。彼は深呼吸を繰り返し、涙を堪えている。彼が泣くのはいつものこと、何故止めるのだろう?
「蒼万っ、志瑞也の側にいとけっ」
兄は頷き彼を胸に抱き寄せ「壱黄は大丈夫だ」言いながら頭をなでる。壱黄は目で「私は何ともないよ?」と首を傾げ蒼亞を見る。蒼亞も首を傾げ「知ってる」と頷く。
磨虎が険しい顔で言う。
「朱翔、決勝は志瑞也には観せない方がよいのではないか?」
「志瑞也、無理はするな」
柊虎も険しい顔で彼の背中を摩る。
「お、俺は蒼亞が頑張ってるとこ観たいんだ! お願い、がっ頑張るから…」
…はて、彼は何を頑張るのだ?
何やら集まって不思議な緊張感が漂う中、朱翔が顎に手をあて考えだす。その間、誰も一言も話さず、眉を寄せ朱翔を見ていた。
朱翔は鼻息をつき落ち着いた声で言う。
「朱夏、琴を用意しろ」
朱夏は顔を曇らせる。
「…よいのですか?」
「案ずるな。私が吹き始めたら合わせるんだ、いいか?」
「わかりました」
兄妹は頷き合う。
「朱夏ちゃんありがとう」
「いいえ、ふふふ」
朱夏は彼に微笑み、琴を取りに客室のある宿舎へと向かった。琴に笛までと、演奏会でも開くのだろうか。決勝舞台を黄龍殿門前広場に移し、子供達全員を殿内に入れ、突き出し窓と扉を開けた。
「壱黄、蒼亞、どうしたの?」
黄花が駆けつけるも、二人にも訳がわからない。
「壱黄と黄花も殿内に入っていろ」
「何故ですか? ここで蒼亞を応援させて下さい!」
「私もここにいるわ!」
「なら柊虎と磨虎の側から離れるなっ、いいな!」
朱翔の鋭い眼差しに二人はただ頷き、即座に双子の伯父の元へ駆けていく。
蒼亞と海虎は舞台に立ち向かい合うも、この状況に今一つ集中できずにいた。更に舞台に上がってきたのは、磨虎でも、柊虎でもなく、朱翔だった。
朱翔が二人の間に立ち低く言う。
「いいかお前達、何が起きても動じるな」
「……」
「……」
二人とも首を傾げる。
「返事ぐらいしろ‼︎」
「はっはい!」
二人は別の緊張で額に汗を滲ませた。
「用意はいいか?」
二人は構えて頷く。
「初め!」
前回海虎は八つ、蒼亞が五つの時だ。銅色に瞳を光らせ白の熱風を巻き起こし、まさに白虎さながらの唸り声が聞こえてくる。正直、壱黄が準決勝まで昇るとは思わなかった。昨夜の決意が、壱黄の心を奮い立たせたのだ。ならばと、友の思いに蒼亞は応えるべく、軽やかに攻撃を右に躱し、青の打撃を海虎の左脇腹に打ち込む。
(よしっ、入った!)
海虎がぴたっと動きを止め蒼亞を見下ろし、きらんと八重歯を光らせたと同時に「ゔッ…」右拳から放たれた打撃が蒼亞の左脇腹にめり込む。以前とは比にならない破壊力、蒼亞よりも威力は数倍も上だ。「ふっ、少し手を抜いたのだ。まだやれるだろ?」余程蒼亞に負けたのが悔しかったのか、一発では足りないようだ。「お前性格最悪だな!」振り落とされる足を両腕で受け流すも、躊躇いのない衝撃が痺れるように腕に伝わる。すかさず身軽さを活かした回し蹴りで、弧を描き海虎の顎を掠めた。「痛ッ…くそっ、やるな」海虎は擦り切れた顎の血を拭い、四肢での連続技を繰り広げる。
(くそっ、はっ速い…)
蒼亞は必死に受け止めながら右に左にと躱すも、徐々に舞台端へと追い詰められてしまう。
「蒼亞っ、打ち返してこい! このままだと場外へ落ちるぞ! ハハハ」
海虎は煽りながらも隙は与えない。
(今だ!)
打撃の間の呼吸を読み取り、蒼亞は高く跳躍し前転しながら海虎の背後に「ストン」と着地する。だが、動きを読んでいた海虎は体を翻し待ち構え、蒼亞の首を背後から腕でがしっと絞めた。蒼亞は瞬時に隙間に手を入れ阻むも、海虎は力づくで持ち上げる。「かはッ、くッ、くそっ…」蒼亞は足をばたつかせながらもがく。
「蒼亞っ…」
彼は涙目で唇を震わせた。
(しっ、志ぃ…兄ちゃんっ、こっ…この馬鹿力めっ…)
海虎の力は弱まる気配はない、恐らく「参った」と言わせたいのだろう。踵で脛や膝を突くも、びくともしない。
ピーヒョロー…
チャン、チャラララン…
ふと、軽やかな笛と琴の音が聴こえてきた。「あ…」一瞬弱まった海虎の腕を、蒼亞は即座に振り解き拘束から逃れる。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
蒼亞は呼吸を整えながら構えた。
「あれは何だ⁉︎」
海虎が空を見上げ固まる。
「ん? なっ…」
蒼亞も見上げて固まる。
淀んだ空気が押し寄せ、雨雲が渦を巻いているではないか。空を覆い尽くす巨大さに、二人は呆気に取られた。
「お前達何やってるんだ! 早く続けろ‼︎」
朱翔は怒鳴った後、直ぐにまた笛を吹きだす。子供達は扉や窓から顔を出し、壱黄と黄花も空を見上げる。その場が唖然とする中、兄は涙を堪える彼を抱きしめた。
…このまま続けろと?
彼は酸っぱい物でも食べたかのように、渋い顔で口を尖らせている……とても不思議な顔だ。頼れる弟になるのだ! 蒼亞は気を取り直し意識を集中させ、同時に海虎も切り替え再び睨み合う。力量で勝てないのであれば技で挑むしかない、海虎は一定の間で攻撃を繰り返し、動きも鋭く無駄がない。躱しながら隙を探し、更に仕掛けるとなると、こっちが断然不利だ。長期戦を視野に入れ、誘きだす戦法しかない。できるだけ最小限の動きで攻撃を躱し海虎の体力を消耗させ、読まれないよう時折わざと打撃を受けた。それは、蒼亞にとっても危険な賭けだ。まともに受けてないにしろ、海虎の拳は重く内臓に響く。気の抜けない接戦が続き、互いの呼吸も次第に荒くなってきた。
──そして、時は来たり!
海虎が右手でがしっと蒼亞の左肩を掴んだ。掴みにかかるということは、確実に技を打ち込み試合を終わらせるつもりなのだ。渾身の一撃を残している相手に、一瞬の隙も与えてはいけない。刹那、親指を掴み反対に捻り手を解いた。「なっ」海虎は関節の連動で、腕が真っ直ぐに伸ばされ体勢をわずかに崩す。間一空けず、蒼亞は親指を両手で掴み、身体全体で真下に体重をかけてしゃがんだ。「うあぁ!」肩を突き出すように引っ張られた海虎は、前のめりに転びそうになる。蒼亞は流れるように親指を返し、手首を捻りながら背後を取り両膝裏を素早く蹴る。膝を突く海虎の背中に腕を回し、手首を肩甲骨まで捻り上げ、自然に腹這いとなった仙骨にごつっと膝を突きあてた!
「ゔああぁッ‼︎」
海虎は痛みで絶叫する。
「後はお前が言うまでこのままだ!」
「ゔああーッ」
それでも海虎は、額に血管を浮き立たせ歯を食いしばる。
「海虎言え!」
「くッ くそっ…」
もう、海虎に跳ね返す体力など残っていない、だが、それは蒼亞も同じだ。力強くで拘束を解かれては、この後の戦いに勝ち目などない、海虎はそれぐらい強い相手なのだ。
「強情な奴だなっ、言うんだ!」
蒼亞は更に膝を突き立て、手の捻りを強めた。
「ゔああッ‼︎ まっ、参ったッ」
「勝負有り!」
舞台端から磨虎が言い、蒼亞は拘束をすっと解き、片膝を突いてしゃがむ。
「大丈夫か?」
「くそっ… お前っ何だこの技はッ⁉︎」
「ハハハ今度教えるよ。ほら立てよ」
蒼亞は海虎の腕を掴み立ち上がらせる。
海虎は突かれたお尻を摩り、痛みを緩和させるように手首と肩をぐるぐる回す。
「お前いつから考えていた?」
蒼亞は両眉を上げ得意げに言う。
「お前打撃に一定の間があるって、知っていたか? ハハハ」
「なっ…始めからではないか! ふっ、お前とは長い付き合いになりそうだな」
「お前の性格次第だなハハハ」
子供達も殿内から出て来て舞台を取り囲み、大満足の二人の戦いに拍手喝采を送る。
海虎が不思議そうに言う。
「そういえば、あの空は何だったのだ?」
「今は晴れてるな…」
二人は空を見上げた。
「蒼亞ーっ、海虎ーっ、大丈夫か⁉︎」
彼と朱翔が駆け寄ってきた。
「志ぃ兄ちゃん大丈夫だよ、へへへ」
「よかったぁ… 海虎、顎は?」
彼は蒼亞の頭をなでた後、海虎の顎を触り傷を確認する。
「これぐらい大丈夫ですハハハ」
「そっか、二人共かっこよかったよ。蒼亞、優勝おめでとう。海虎も準優勝おめでとう」
彼は少し涙目のまま微笑んだ。
「志ぃ兄ちゃんありがとう」
「ありがとうございます」
蒼亞は自慢げに言う。
「海虎、あの技は志ぃ兄ちゃんに教えてもらったんだ」
「えっ、志瑞也さんが⁉︎」
「でも今じゃ蒼亞の方が上手だよアハハハ」
海虎が彼の手を取って握る。
「志瑞也さんっ、是非私にご指導を!」
「アハハ 俺でよければ、へへ」
彼は嬉しそうに照れ笑う。
「海虎、そろそろ手を離さないと…怒られるぞ」
そう言って、蒼亞はちらっと兄を見た。
「あっ、わかった…? ふっ、ハハハハ」
海虎は慌てて彼の手を離す。
壱黄と黄花も舞台に上がってきた。
「蒼亞おめでとう、やったな!」
「ありがとう壱黄」
二人は肩を組み合う。
「海虎も二位おめでとう」
「壱黄も選抜者おめでとう、腹は大丈夫か?」
「いい拳だったぞハハハ」
壱黄はお腹を摩り、二人は笑って握手する。
「三人共おめでとう」
黄花も交えて喜びを分かち合い、彼は朱翔に肩を組まれ、微笑ましく眺めていた。
朱翔が「パン!」と手を叩き前に立ち言う。
「よし皆、後は片付けて明日の準備だ! 選抜者は余興の練習だ!」
「はい!」
全員が元気に返事する。
「あの!」
誰だ誰だと、子供達が顔を振り向かせ騒つく中を、一人の男子が堂々と舞台に上がってきた。
「あっ…朱翔師匠!」
「どうしたんだ釵黄?」
「けっ決闘させて下さい!」
何と? 全員の目が点になる。
朱翔は腕を組んで言う。
「釵黄、お前は初戦で負けただろ? 蒼亞に敵うわけないだろ?」
そうだそうだと、全員が頷く。
「ちっ違います! そっ蒼亞では、ありません…」
おや?
何事にもきちんと発言する釵黄が、珍しく言葉を吃らせた。
「なら壱黄か?」
「ちっ違います…」
「…まさかっ、海虎⁉︎」
いやいや、いくら何でも体格の差がありすぎる。釵黄が顔をぶんぶん横に振り、一先ず全員が安堵する。
朱翔は鼻息をついて問う。
「じゃあ誰なんだ?」
いよいよか!
全員が固唾を呑む中、釵黄は視線を向けて答える。
「志瑞也さんです!」
……。
「ええーっ⁉︎」
全員の張り上げる声が門前に響き、指名を受けた彼は、当然誰よりも驚き大声を出した。騒つく子供達を手振りで鎮め、朱翔は優しく尋ねる。
「釵黄、何で志瑞也と決闘したいんだ?」
「おっ黄花は『伯父上でも、愛があればお嫁さんになれる』と言っておりました。流石に志瑞也さん相手では、私は敵わないと思い身を引きました。しかし志瑞也さんは、婚姻しているとお伺いしました。それなのに一昨日、お…黄花の頬に、くっ…口づけしておりました!」
何と⁉︎
疑惑の視線が一斉に彼へと向かい、彼はたじたじになる。
「それでは黄花が可哀想です!」
そうだそうだ!
釵黄は群衆を味方につけ、挑戦状を叩き突ける。
「男として勝負して私が勝てば、もう黄花に口づけしないでほしいのです‼︎」
「きゃぁー!」
「うおぉー!」
「ピューピュー」
黄色い歓声に雄叫び、指笛までと、会場は再び興奮状態へと幕を開けた。
「釵黄…」
黄花の頬がぽっと赤くなる。
…はてさて、これはどうしたものか?
案の定、彼は瞳をきらきらと輝かせ感激し、今直ぐにでも釵黄に抱きつきそうだ。もはや、彼の脳内は決闘のニ文字すら、きらきらで掻き消されているのだろう。可愛い姪の恋の行方を応援する側なのだから仕方ない。真剣な眼差しで意を決して舞台に上がった釵黄、皆の前で黄花に想いを告白したようなものだ。しかも、隠れて黄花の行動をずっと見ていたのか、発言の内容から、彼の振舞いがふしだらだと訴えている。そんな釵黄を嬉しそうに見つめる黄花、恋の決戦が始まるのかと期待に胸を膨らませる群衆。そして、舞台場外端で顔を引き攣らせている師匠三人と、真顔の兄。絶妙な温度差のある雰囲気に、蒼亞と壱黄は自然と顔がにやけてくる。
「釵黄! 釵黄!」
「釵黄! 釵黄!」
拳を挙げた群衆からの熱い声援が飛び交い、まるで前夜祭かのような、ここ一番の盛り上がりを見せた。
「お前達静かにしろ‼︎」
朱翔が両手を上げ、会場はしんと鎮まる。
朱翔は苦い顔をしながら人差し指で頭を掻く。
「あー えっとー つまりだな、釵黄は七年前から黄花が好きなのか?」
この場を収められるのは…そう、もうこの男しかいない。
釵黄はこくんと一回頷く。
朱翔はにっこりと目で訴えながら言う。
「黄花、後はお前次第なんじゃないのか? そうだろ?」
そして、打開策を提案する。
「お前から釵黄に〝おまじない〟の説明をしてあげれば、釵黄も志瑞也も大怪我しなくて済む。な?」
意味のない戦いになるのは……間違いない。当然のことながら、生身の護身術しか知らない彼では、神力を使える釵黄が必ず勝つ。だが、あまりにも見応えのない戦いにわざと彼が負けたのかと疑われ、釵黄が恥をかく可能性がある。実に、配慮に長けた上手い言い回しだ。知らない周りからすれば、恋のため成人に戦いを挑んだ勇士、男気、負傷する覚悟を称賛されるだろう。
黄花が釵黄にゆっくり近づく。
「釵黄はずっと私を見てくれていたの?」
「きっ…君は素敵過ぎるのだ。私なんか…勉学以外なんの取り柄もないよ。それに、君の周りはいつも男らしい者ばかりだ…」
うつむいて言う釵黄の手を黄花は取る。
「そんなことないわ。私は釵黄が書物を読んでいる姿が好きなの。ふふふ」
「え?」
釵黄が顔を上げる。
「君は…私が、す…好きなのか?」
「そうよ。知らなかった? ずっと目で言っていたけど、あなた全然気づかないんだもの」
口を尖らす黄花の手を釵黄は握り返す。
「君に見つめられと、書物の内容が頭に入ってこないのだよ。すまない…」
「いいのよ。伯父上が頬にする口づけは〝おまじない〟といって、私が泣いていたり悲しんでいる時に、元気が出るようにしてもらっていただけよ。ふふふ」
「ならっ、次からは…わっ私が君にしてあげるよ」
「釵黄…」
二人は恥ずかしそうに見つめ合う。
……。
「コホン。あーお前達、話はまとまったか?」
朱翔が二人の世界を止めてくれた。
「はっはいっ、けっ」
「決闘して釵黄が大怪我したら、私嫌だわ…」
やはり、黄花は賢い、瞬時に、朱翔の言葉の意図を読んでいた。しかも、都合の悪い内容は伏せ、釵黄から〝おまじない〟の権利までも貰い受けた。
黄花流奥義! 悲しげに、上目遣いで見つめる。
釵黄は顔を真っ赤に染めた。
「わっ私は君を守れるなら怪我ぐらい平気だけど、君がそう言うのなら……やめるよ」
如何なる秀才でも、恋は盲目とはこのことだ。いずれ、黄花の本性を知る時がくる。だがその時は、釵黄に逃げ道などない。その後、子供達の間で〝恋のおまじない〟が流行ったのは、言うまでもない。無事に彼への疑惑の視線も解けたが、蒼亞と壱黄には、黄花の猛々しい勝利の笑い声が……聞こえた。
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