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第一章 忍冬
一 叶わない想い
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「蒼亞も十二歳かぁ、五才の頃が懐かしいなぁ」
抱きしめて頭をなでる彼は兄の嫁、そして、初恋の相手。五つの時、彼への想いに気づいたと同時に、兄によって痛い失恋となった。女子に興味はあるが、彼は今でも特別なのだ。本当の弟の様に愛してくれている。蒼亞はそれで十分だと、思っていた……。
─ 七年前 ─
神家合同講習会十四日前、蒼亞は彼に会いに兄の殿へ向かう。何処にもいなく探し回っていた時、龍水室から出てくる二人を見つけた。彼は長風呂でのぼせたのか、頬を赤らめ兄に運ばれていた。
蒼亞は純粋に問う。
「何故兄上と志ぃ兄ちゃんは一緒に入るのですか?」
兄は「夫婦だからだ」と答えた。
その時点で蒼亞は、まだ彼に想いを寄せてはいなかった。蒼亞が母愛藍や父蒼凰と入ることはあっても、両親が共に入っているのは見たことがない。それから数回兄の殿に行くも、彼はいつも兄に運ばれていた。不思議に思っていたある日、兄達が自室にいないと分かると、直ぐに龍水室へ向かう。扉の隙間を覗いても、湯煙で何も見えず耳を当ててみた。「パチャ… パチャ…」水の弾く音、水遊びをしているのであれば誘ってくれたらよいものを、何故毎日二人だけで遊んでいるのか? 蒼亞は口を尖らせる。
「そっ蒼万、んっ……はあっ、いい…っ、気持ちいい……」
…はて?
どうやら水遊びではないようだが、何をしているのか、蒼亞には全く分からない。
「蒼万…ちゅ、んっ……もっと、胸も吸って、ああ…っ、いいっ…あっ、いっいくっ…」
「ふっ、お前はここが好きだな…」
「もうだめっ、はあ…っ、きっ気持ちいい、いっちゃう……あっ、ああーっ………あっ、ちゅ……」
「お前のここはまだ欲しがっているぞ…」
「あん…っ、蒼万…好き、蒼万のも……中に出して、んっ……はあっ…!」
(……?)
兄が彼の胸を吸っているのか? 彼は胸を吸われるのが好きなのか? 蒼亞は首を傾げ、扉の前で兄達が出てくるのを待つことにした。暫くして、侍女の沙羅に声をかけられ庭園で茶菓子をもらい、日を改めるよう促され、蒼亞は両親と共に住む緑龍殿へと帰った。
その後も彼には会えず、講習会前日に彼の神獣辰瑞に跨り、中央宮へ向かう。兄は彼を長らく抱きしめ、飛び立った後も見上げていた。背中にあたる彼の胸は、女子にしては母のように膨らみがなく、蒼亞は試しに触ってみたくなった。辰瑞に掴まり、少し前に屈む彼の衿元に目を向けると、赤い点々が見え、指を入れ「痒い?」と触れる。
「すっ少し痒いかなぁアハハハ」
彼は慌てて衿元をきつく寄せて正し、蒼亞は気に留める事はなかった。
中央宮の門前に到着し、彼から講習会での掟を告げられ、明日から三ヶ月間、他神家の子供達と宿舎に泊まると知り、彼と過ごせると思っていた蒼亞は涙ぐむ。彼は「一緒に頑張ろう」と言って、抱き上げて頬に泣き止む〝おまじない〟をした。迎えに現れた黄虎を彼は弟だと紹介するが、それよりも重大なのは彼を伯父と呼び、足下にしがみつき抱っこをねだる黄虎の双子の息子と娘だ。同じ顔で眉を寄せ〝お前は誰だ?〟と言わんばかりに蒼亞を見上げた。
「志ぃ兄ちゃんは私のだ!」
馴れ馴れしい奴等、蒼亞は見下ろしてむっと睨みつける。これが壱黄、黄花との最初の出会いだ。だが、彼が「俺は蒼万のだ。それに壱黄と黄花は俺の大切な家族だ」と、双子と仲良くできないのであれば兄の元へ帰ると叱った。三ヶ月も彼と会えないのは耐えられない、彼の家族であれば受け入れるしかない。一先ず条件を呑み、蒼亞は双子を見張ることにした。五人で黄怜殿に行き、彼から飴を貰い壱黄、黄花と庭園で蝗や蚓を捕まえて遊ぶ。壱黄は泣き虫で優しく、黄花は気が強く狡賢い。壱黄よりも黄花の方が危ういと、蒼亞は即座に判断した。その夜、蒼亞は彼と初めて寝床で眠りについた。
「…、…万」
蒼亞はぱちっと目覚める。
「行かないで、蒼万…」
彼は蒼亞を抱きしめ、寂しそうな声を上げていた。
「…志ぃ兄ちゃん?」
「蒼万…」
彼は寝言でも兄が恋しいのか、ならばと蒼亞は考えた。胸を吸えば兄を思い出し、寂しくなくなるのではないか、自分も母の胸で眠るのは気持ちよい。きっと、風呂での事はそういう意味なのだ。蒼亞は幼子ながらに、そう捉えた。彼の寝衣の衿元に手を入れると、胸は膨らみが全くなく突起も小さい。こんな女子もいるのかと思いながら、突起を指先で転がすと、こりっと硬く尖りだした。
「ん…蒼万…」
彼の寂しそうな声が変わってきた。蒼亞は彼の上衣を胸まで捲り上げ、目を見開いて驚く。暗闇に慣れた目に映ったのは、無数の歯型や赤い点々だった。彼は兄に咬まれているのか? しかも胸の間には、不思議な模様の痣までもある。
「蒼万…ん…」
「うっ…」
彼が胸にぐっと抱き寄せ、温かい素肌に頬擦りし、気持ち良さからそのまま眠りそうになる。はっと目的を思い出し、蒼亞は目の前の胸を優しくなでた。小さな突起を口に含み、赤子の様に「ちゅ、ちゅ…」と吸いつく。
「あん…っ、蒼万…気持ちいい、蒼万……」
彼の甘い声に、心臓がどくどくと不思議な鼓動を打ち始める。蒼亞は夢中で吸いつき、舌で突起を転がす。彼の手の熱が背中を這い、指先が衣を通して皮膚に伝わる。とその時、下半身の物がずきずきと痛みだし、硬く張り出した。訳が分からず、意識が自分の物へと集中してしまう。「あッ…」彼がひくつき、口から胸が離れた。よく見ると、いつの間にか突起ではなく横の皮膚に吸いつき、そこには鬱血痕があった……蒼亞はその瞬間知る。彼の体中の跡は、虫刺されではない。上衣を元に戻し、よく分からない感情を抱いたまま、彼を抱きしめ眠りについた。
翌朝、彼が寝床から起きると同時に目が覚める。少し寝不足でもあり、彼が起こしに来るのを待っていると「あ…」甘い声が聞こえ、蒼亞は瞼を開ける。寝床からゆっくりずれて下り、奥の部屋でせかせかと着替える彼を覗いた。
がしかし…。
(な…何だあの傷痕は⁉︎)
初めて見る彼の右腕に驚愕する。思えば、暑い時でも袖を捲らず、水遊びをしても衣を脱ぐことはなかった。恐らく傷痕を見て怖がらせないよう、今まで隠していたのだ。胸の痣に、右腕の傷、彼に一体何があったのか? あの微笑みからは想像すらつかない。蒼亞は動揺を悟られないよう、寝起きのふりして彼に声をかけた。彼の慌てた様子に傷を見た事は伏せ、寝言で呼ぶほど兄がいなくて寂しいのか問うと、彼は愛し合っているから仕方ない、蒼亞の両親と同じだと答えた。愛していることで名を呼んでいるのなら、自分の名も呼んでほしい。首を傾げて尋ねる。
「私を愛してる?」
彼は兄への愛とは違うが、愛していると言ってくれた。蒼亞はいない兄の代わりに、彼を守ろうと決意した。
だが、座学での講師朱翔は彼の頭をなで、肩を組み、顔を近づけたり、実に危うい。彼は友だと説明するが、見透かした様なあの微笑み……気に入らない。しかし驚くことに、彼は女子ではなく男子だと知る。だから胸がなかったのか……では兄とは男同士の夫婦なのか? 聞いた事はないが、彼は兄と愛し合っていると告げた。ならば、二人の関係が何ら変わる訳ではないと蒼亞は安堵した。だが、またしても衝撃の事実が判明する。なんと、彼はまだ兄と婚姻していなかったのだ。訳が分からない事続きで蒼亞は混乱する。しかし、婚約しているが順番待ちなのだと、朱翔から説明を受けた。
そんな時、最年長の女子達の話が耳に入る。
「男子実技講習の師匠、誰か聞いた? 磨虎様と柊虎様ですって!」
「私も聞いたわ、お二人共素敵よね!」
黄色い声できゃっきゃっとはしゃぐ女子達は、自慢の兄を見ればもっと騒ぐはずだ。「ふっ」蒼亞は鼻で笑う。
「磨虎様は婚約されているけど、柊虎様はまだらしいわ。後九年で私も十八になるから、それまで待っていてくれるかしら?」
「ハハハ何言ってるの? その前に柊虎様なら婚姻されているわよ」
一人の女子が声を静めて言う。
「でも、女子の師匠葵様と過去に婚約されていたみたいだけど、解消したらしいわ」
「それはどういう事だ?」
「蒼亞⁉︎」
女子達はしまったと口元に手をあて、気まずい顔をする。
「姉上と柊虎師匠が婚約していたって、本当か?」
「えっええ…蒼亞、悪気はなかったの… あなたの前で話して、ごめんなさい…」
女子達は蒼亞の険しい表情にしゅんとなる。
「姉上は今幸せだからいいんだ。それより婚約は解消できるって、本当か?」
女子達は疑問に思いながらも、姉の方から婚約を解消したと告げる。そして、解消は例え男子の方に理由があっても〝男に捨てられた女〟と噂が立たないよう、女子の方から解消する決まりとなっていると。
「皆、教えてくれてありがとう」
蒼亞が微笑むと、女子達はぽっと頬を赤らめた。
蒼亞の中で、一つの欲望が角を出した。兄とまだ夫婦でないのなら、彼を自分のものにできるのでは? あんなに咬まれて、兄の強さや威圧感に逆らえず本当は嫌だと言えないだけで、兄は彼を苛めて楽しんでいるのだ。自分なら身体に傷などつけず、優しく抱きしめて……はて、この感情は一体? 兄を尊敬している蒼亞は戸惑う。兄に対して、否定的な感情を抱いたことはない。だが、日毎に彼への気持ちは露わになり、会いたくて、触れたくて、抱きしめたい。彼が兄ではなく、自分を選んでくれるなら。直接触れた彼の肌が、胸の突起や声が、蒼亞は忘れられなかった。
そして、再び衝撃な事件が起こる。こいつが柊虎か! しかも同じ顔が二人! 彼とはどういう関係なのか? 兄以外の者が彼を抱えている姿に、蒼亞の欲望の角は鋭く飛び出た。魅力的な彼の周りには、小さいのから大きいのまで、狙う男女が溢れ過ぎている。どうにかしなければ! 蒼亞は自覚のない恋心に支配されていく。
それから数日後の昼餉時、お喋り好きの女子達が、またもやこそこそと話しだす。
「私ね、姉上が口づけするの見てしまったの!」
「きゃー本当⁉︎」
「どうだった?」
「口と口を合わせて、ちゅってしていたわ!」
相変わらずきゃっきゃっと楽しそうだ。
「口づけって唇だけではないのよ、知ってる?」
(何だって?)
蒼亞は耳を研ぎ澄ます。
「えっ、他には何をするの?」
「舌も使うのよ」
(舌だって?)
「どう使うの?」
女子達と一緒に、背後で蒼亞も聴き入る。
「姉上達は互いの舌を絡ませたり、吸ったりしていたわ」
「───‼︎」
女子達は顔を赤らめ、声を殺して叫ぶ。
蒼亞は彼の舌を想像し、下半身を膨らませた。あの晩以来、彼を思い出すとこの反応は起こる。暫くすると収まるが、それまでが不便なだけだ。四つ上の女子達は、色々な知識を持っている。だが、それ以上に知識を持っていたのは、意外にも壱黄だった。
風呂の時、体を洗いながら問う。
「壱黄はここ大きくなったりするか?」
「うん、時々なるよ。病と思って父上に聞いたら男は皆そうなるって教えてくれたよ。好きな人や愛する人に反応するんだって。体と一緒にここも大きくなった時に色々教えるから、今はあまり弄っちゃ駄目だよって言われたよ」
そう言って、壱黄は当然のように微笑む。
「そ、そうか…」
(知らなかった…)
蒼亞は東宮へ帰ったら、直ぐに父に教わろうと焦った。
黄花は既に、不意打ちで彼と一度口づけしている、自分も早く先手を打たなければ、彼と兄はきっと舌も使っているはずだ。ならばと、機会を見計らっていた。だがある日、朱翔が彼の頬に口づけし、にやついた顔に煽られ思わずしてしまう。彼の唇は柔らかく、開いた口にすかさず舌を入れ、彼の舌に触れた。
(志ぃ兄ちゃん、温かい…)
口内で逃げ惑う彼の舌を、追いかけて舌を絡ませた。
「んん…! んっ……やめ、あ…っ、はっ…」
急に抱えていた彼の腕の力が弱まり、落ちないよう蒼亞はしがみつく。
(志ぃ兄ちゃんどうしたの? もっとしたい…)
朱翔が柊虎を呼び、駆け付けた柊虎に掴まれ、彼から無理矢理引き剥がされてしまう。朱翔に背負われ連れて行かれる彼の姿に、とても悲しく、心が張り裂けそうになった。この時に、彼に対しての感情が恋だと蒼亞は自覚する。兄に挑むには、今までにない覚悟が必要だ。東宮へ帰るまでにどうにかしなければと思うも、現実は蒼亞に時間など与えず、兄が彼を迎えに来た。
そして、失恋事件、第一回目が起こる。
彼の方から兄に口づけする姿に、胸が抉られる程苦しかった。大声で泣いて叫んでも、彼は振り向きもしない。兄は勝ち誇ったように、微笑んで彼を見つめた。今回は、気持ちに気づいてからの準備が足りなかったのだ。まだ努力すればきっと手が届く。だがこの恋は、更に蒼亞を苦しめる。講習会終了後、東宮に戻るなり、父から彼と兄の婚儀が執り行われると告げられたのだ。
「し…志ぃ兄ちゃん、磨虎様の後じゃないの…?」
「ごめんな蒼亞、あの時は誤魔化したんだ。本当はな…」
男同士での婚姻が本来認められていないこと、子供が作れないこと。そして、兄を深く愛していると…彼は告げた。自分への愛と、何がどう違うのかは分からない。もう、手段など考えている余裕などない。蒼亞は毎日彼に会いに行き「愛してる」と、気持ちを伝えるしかなかった。
再び、失恋事件、第二回目が起こる。
彼に会いに兄の殿に行くと、兄の自室に彼と呼ばれる。椅子に腰掛けていた兄は、向かいの椅子を差し「蒼亞はそこに座れ」低く言い、彼に「お前はここだ」自身の太腿に視線を流した。
「な…何で?」
彼は言葉を詰まらせる。
蒼亞は兄が話があるのだと気にせず椅子に座るが、彼は立ったままその場が沈黙する。暫くして、彼はぎこちなく兄の片足の太腿にちょこんと座る。すると、兄が彼のお腹に腕を回しぐっと引き寄せ、いきなり彼の頸に口づけして甘噛みし、衿元にもう片方の手を入れ触りだした。
「なっ何するんだ蒼万! やめろ…っ、あっ… 蒼亞がいるだろ! あう…っ、やめ……そっ蒼亞、見るな…!」
彼は兄の腕で拘束され、もがきながら涙目で訴える。
(兄上酷いっ、やっぱり志ぃ兄ちゃんは苛められているんだ!)
無力な蒼亞には、腕を震わせ見ていることしかできない。兄は暴れる彼の衿元を引き裂き、胸に新たな跡をつけた。そこはまさに、昼寝をしている彼に蒼亞がつけた跡だった…。自分がつけた跡を塗り潰すように〝私のものだ〟と兄は吸いつく。気づかれていたと知り、兄の鋭い双眸に身体を強張らせた。抵抗しながらも彼の声は甘く、蒼亞は自分の物を膨らませ、奥歯を食いしばる。だが、兄が彼に熱く口づけし舌を絡めだすと、彼の様子があの日のように一変しだす。
「んんーっ、ちゅっ……あ… 蒼万、はぁ…はぁ… 蒼万、もっとキスして……あんっ、もっと強く咬んで、ああ…ッ、きっ気持ちいいッ、ちゅ…… 蒼万愛してる… して……」
彼の方から兄の股間に手を伸ばし、淫らに指を動かし形に沿って摩る。彼の股間は、衣の皺を突っ張らせ膨らんでいた。
(志ぃ兄ちゃん…何で? 嫌じゃないの?)
今度は彼の方から兄の衿元を引っ張って崩し、腰をくねらせ肌に吸いつきだした。「はぁ、はぁ…」頬を赤らめ、自らの帯を外し衣を脱ごうとする彼を「待て」兄は阻んで抱きしめる。
「蒼亞、これ以上は見せられない。私は志瑞也を愛している」
「わ…わかりました…」
蒼亞は震える足で席を立ち兄の自室を出た。
「蒼万…セックスしたい、早く脱いで…」
「ふっ志瑞也、可愛い奴よ」
戸の向こうから聞こえる二人の声を後に、蒼亞はとぼとぼと緑龍殿へ向かう。切なくて、悲しくて……悔しい。兄よりも先に生まれたかった。彼に出逢いたかった。しかし、兄が呼ぶ彼の名はとても優しく、大切に想い、全身全霊で愛している。どう立ち向かっても……敵わない。ほろ苦い、小さな恋の涙が頬をつたう。蒼亞にとって忘れられない、とても淋しい帰り道となった。
「ぐすっ、は…母上…」
「蒼亞っどうしたの?」
母は驚き蒼亞に駆け寄る。
「ううっ…母上っ、うあぁん…」
「蒼亞⁉︎」
母に抱きつき宥められながら、落ち着いた頃に事情を話した。
「……そう、だったのね」
母は眉尻をぴくぴくさせながら微笑む。
「志瑞也さんも蒼万も深く愛し合っているわ。でもね蒼亞、家族愛と夫婦愛は違うのよ」
蒼亞は眉を寄せ首を傾げる。
「どう違うのですか?」
「夫婦になる者達は、互いが望んでここに口づけするのよ」
そう言って、母は指で蒼亞の唇にちょんと触れて微笑む。
「無理矢理や、どちらか一方でも我慢しているのは愛ではないわ」
「父上と母上もですか?」
「ふふふ、そうよ。だから蒼亞が生まれたのよ。そして今ここにもう一人いるわ」
母は蒼亞の頭をなでながら、もう一方の手で大きなお腹をなでた。
「兄上達は愛し合っても子はできませんよ?」
「そうよ、だから二人は蒼亞をとても大切にしているわ。蒼万は弟として、志瑞也さんは弟だけど、我が子のようにも蒼亞を思っているわ。ふふふ」
愛の違いはまだはっきりわからないが、彼に家族として愛されているのは間違いない。それが理解できただけでも、蒼亞は幸せだった。
「ありがとうございます母上。へへへ」
蒼亞がいつもの笑顔に戻り、母は安堵する。だが、母がその後、蒼万殿に鬼の形相で訪れたのは、言うまでもない。
それから、彼は兄のために着飾り、龍女の姿で兄と婚姻した。目を奪われる程、とても、とても……美しかった。母は暫くして、無事に妹翠を出産した。彼は妹の様に、そして娘の様に、溺愛した。
月日は流れ蒼亞は十二になり、祖父蒼明が祝いに自殿を建て移り住む。彼は蒼万殿を離れたくないと言っていたが、第三宗主である兄の立場もあり紫龍殿に移った。今年、中央宮では黄龍家の嫡子壱黄が十二になり、五神家の安泰を示す 天命懇神義が開かれる。七年の間に背丈は彼の肩を超え、彼の頭を超える日も、そう遠くはないだろう。そして、誰もが口を閉ざしている彼の謎について、知る日も近い。
彼は定期的に中央宮、南宮、西宮や北宮へ行き、友と友の家族と会う。朱翔の子七つの朱濂と四つの朱囉は、好奇心旺盛で悪戯好き、まるで朱翔が三人いるようだ。残念なことに、誰も嫁の玄葉には似ていない。磨虎の子五つの朱虎は、礼儀正しくとても賢い。父親に似なくて良かったと、誰もが安堵した。しかし、昨年生まれた禪虎は、書物を齧り涎塗れにする……嫁の朱里は懸念を抱いているようだ。屈託のない素直な妹は朱濂とよく喧嘩をするが、集まって遊ぶ時は皆仲が良く、むしろ手に負えないほど賑やかだ。姉夫婦は五つの十玄を連れ月に一度は東宮に来ていたが、姉は現在懐妊中。代わりに、兄夫婦が月にニ度北宮へ通っている。責務の量は兄の方が多いため、友の所へは彼と蒼亞がほぼ共に通っていた。穏やかな日常が流れる中で、彼への想いは複雑なものへと移り変わっていった。
─ 現在 ─
「蒼亞も蒼万みたいに身長高くなるんだろうな。今でも十分かっこいいから、講習会に行ったら女の子が沢山寄ってくるぞアハハハ」
蒼亞は彼の腰に腕を回す。
「どうせ寄ってくるなら、今女はいいよ」
「何だそれ? モテるからってこいつアハハ」
頭をわしゃわしゃなでる彼は、時折不思議な言葉を使う。合わせたり言い直したりするが、彼は半衿に金色を着けている。黄龍家第二宗主黄虎を弟と言い、現宗主黄理を叔父と呼び、亡き黄理の兄黄一を父、その嫁玄華を母と呼ぶ。元は黄龍本家直系の者なのだろう。ならば嫡子のはずだが、名に〝黄〟の字もついていない上に、髪も神族らしからず常に短髪。そして、中央宮では黄怜殿を所有している。成長と共に彼の素性に疑問を抱き、蒼亞は考えるようになっていた。
「志ぃ兄ちゃん、おまじないして」
彼は泣いていなくても、上目遣いで甘えてねだればしてくれる。
「蒼亞は可愛いな、ちゅっ」
「へへ」
彼は照れる蒼亞の頭をなでる。
「志瑞也、何をしている」
「あ、蒼万おかえり。蒼亞がさ、今から中央宮にお義父さんと行くから挨拶に来てたんだ」
彼と抱き合っている姿に兄は一瞬眉を寄せるも、頷いて部屋に入り椅子に腰掛けた。弟という位置を、蒼亞は最大限に活用している。それも、成長と共に身につけた技だ。
「蒼亞、気をつけて行くのだ」
「はい、兄上」兄弟は頷き合う。
彼は兄に近づき言う。
「蒼万、明後日俺が連れ行ってもいいか? そしたら別に今日出発しなくてもいいし、ゆっくりできるだろ?」
「お前はそのまま帰って来れるのか? また壱黄と黄花に掴まるのでは?」
言いながら、兄は彼の腰に手を回して引き寄せ、彼は兄の肩に腕を回し太腿に横に座る。成長して一番理解したこと。彼が自分を見る眼差しと、兄へ向ける眼差しとの違い。
「そうだよなぁー でも、今回は七日間だけだよ?」
甘えるように言う彼は、きっと行きたいのだろう。
「…ふっ、わかった。あいつらは? 外にいなかったが」
「へへへ、実はもうお母さんに預けてきた」
兄は呆れ笑って言う。
「ならそれまでは、分かっているな?」
「うん、ありがとう蒼万」
彼は微笑んで兄に抱きつく。
「蒼亞、明後日志瑞也と共に出立するのだ。歩いて行くより早い、それまではゆっくり自殿で休め」
「わかりました。志ぃ兄ちゃんありがとう」
「蒼亞、明後日な」
「うん」
蒼亞は部屋を出て戸を閉めた。
「蒼万、俺蒼亞に身長抜かれちゃうかもな」
「ふっ、そうだな…」
「…んっ、ちゅっ、責務は?」
「今日はもう終わらせた」
「終わらせた? ってことは、こうなるの分かってたんだな? なら言えよアハハ あんっ、は…っ、蒼万……」
「お前が考えそうなことだ。既に父上にはお前が連れて行くと言ってある」
「ふふっ、流石だな蒼万… ちゅ…んっ… あ……」
蒼亞は下腹部を疼かせて、戸の前から立ち去り自殿へと戻った。
「う…っ、はぁ、はぁ…うっ、志ぃ兄ちゃん…っ、あ…っ、う…っ…… はぁ、はぁ…」
もう何度、こうして自慰で果てたことか。ここが性器と知っても、反応する対象が彼であることに変わりはない。手の白濁を見つめ、蒼亞は苦痛に顔を歪める。このまま成長して、彼を襲ってしまうのではないか、そんなことはしたくない。だからといって、どうすれば……行き場のない感情に、蒼亞は悩まされていた。
二日後、蒼亞は中央宮へ彼と出立する。兄や妹、両親達は五日後だ。辰瑞に跨り、彼が後ろからお腹に手を回して支える。背中から伝わる熱に、鼓動が速まるのを抑えた。宙の景色は遮るものが何もなく、向かい風が肌を通り抜ける感覚は、まるで心が洗われているようだ。
「志ぃ兄ちゃん」
「ん、どうした蒼亞?」
「また兄上に沢山跡つけられた?」
「なっ…」
彼は言葉を詰まらせる。
「ハハハ私はもう五つじゃないよ。色々知っているから隠さなくてもいいんだよ」
「蒼亞…」
彼はぎゅっと抱きしめ、背中でしくしく鼻を啜る。
「志ぃ兄ちゃん…泣いてるの?」
「蒼亞…大きくなったな。ぐすっ…こんな変な兄ちゃんで、ごめんな…」
「志ぃ兄ちゃんは変じゃないよ、泣き虫なだけだよハハハ」
「ぐすっ…蒼亞、大好きだよアハハ」
「私も……志ぃ兄ちゃん、大好きだよ……」
お腹に回された彼の腕はとても心地よく、自然と笑みが溢れる。彼の眩しい笑顔は兄なくしては得られない。そんな彼に惹かれたのだから、この想いが複雑なのだ。だからこそ、今回の講習会講師名簿を見て、蒼亞はある覚悟を決めたのだった。
抱きしめて頭をなでる彼は兄の嫁、そして、初恋の相手。五つの時、彼への想いに気づいたと同時に、兄によって痛い失恋となった。女子に興味はあるが、彼は今でも特別なのだ。本当の弟の様に愛してくれている。蒼亞はそれで十分だと、思っていた……。
─ 七年前 ─
神家合同講習会十四日前、蒼亞は彼に会いに兄の殿へ向かう。何処にもいなく探し回っていた時、龍水室から出てくる二人を見つけた。彼は長風呂でのぼせたのか、頬を赤らめ兄に運ばれていた。
蒼亞は純粋に問う。
「何故兄上と志ぃ兄ちゃんは一緒に入るのですか?」
兄は「夫婦だからだ」と答えた。
その時点で蒼亞は、まだ彼に想いを寄せてはいなかった。蒼亞が母愛藍や父蒼凰と入ることはあっても、両親が共に入っているのは見たことがない。それから数回兄の殿に行くも、彼はいつも兄に運ばれていた。不思議に思っていたある日、兄達が自室にいないと分かると、直ぐに龍水室へ向かう。扉の隙間を覗いても、湯煙で何も見えず耳を当ててみた。「パチャ… パチャ…」水の弾く音、水遊びをしているのであれば誘ってくれたらよいものを、何故毎日二人だけで遊んでいるのか? 蒼亞は口を尖らせる。
「そっ蒼万、んっ……はあっ、いい…っ、気持ちいい……」
…はて?
どうやら水遊びではないようだが、何をしているのか、蒼亞には全く分からない。
「蒼万…ちゅ、んっ……もっと、胸も吸って、ああ…っ、いいっ…あっ、いっいくっ…」
「ふっ、お前はここが好きだな…」
「もうだめっ、はあ…っ、きっ気持ちいい、いっちゃう……あっ、ああーっ………あっ、ちゅ……」
「お前のここはまだ欲しがっているぞ…」
「あん…っ、蒼万…好き、蒼万のも……中に出して、んっ……はあっ…!」
(……?)
兄が彼の胸を吸っているのか? 彼は胸を吸われるのが好きなのか? 蒼亞は首を傾げ、扉の前で兄達が出てくるのを待つことにした。暫くして、侍女の沙羅に声をかけられ庭園で茶菓子をもらい、日を改めるよう促され、蒼亞は両親と共に住む緑龍殿へと帰った。
その後も彼には会えず、講習会前日に彼の神獣辰瑞に跨り、中央宮へ向かう。兄は彼を長らく抱きしめ、飛び立った後も見上げていた。背中にあたる彼の胸は、女子にしては母のように膨らみがなく、蒼亞は試しに触ってみたくなった。辰瑞に掴まり、少し前に屈む彼の衿元に目を向けると、赤い点々が見え、指を入れ「痒い?」と触れる。
「すっ少し痒いかなぁアハハハ」
彼は慌てて衿元をきつく寄せて正し、蒼亞は気に留める事はなかった。
中央宮の門前に到着し、彼から講習会での掟を告げられ、明日から三ヶ月間、他神家の子供達と宿舎に泊まると知り、彼と過ごせると思っていた蒼亞は涙ぐむ。彼は「一緒に頑張ろう」と言って、抱き上げて頬に泣き止む〝おまじない〟をした。迎えに現れた黄虎を彼は弟だと紹介するが、それよりも重大なのは彼を伯父と呼び、足下にしがみつき抱っこをねだる黄虎の双子の息子と娘だ。同じ顔で眉を寄せ〝お前は誰だ?〟と言わんばかりに蒼亞を見上げた。
「志ぃ兄ちゃんは私のだ!」
馴れ馴れしい奴等、蒼亞は見下ろしてむっと睨みつける。これが壱黄、黄花との最初の出会いだ。だが、彼が「俺は蒼万のだ。それに壱黄と黄花は俺の大切な家族だ」と、双子と仲良くできないのであれば兄の元へ帰ると叱った。三ヶ月も彼と会えないのは耐えられない、彼の家族であれば受け入れるしかない。一先ず条件を呑み、蒼亞は双子を見張ることにした。五人で黄怜殿に行き、彼から飴を貰い壱黄、黄花と庭園で蝗や蚓を捕まえて遊ぶ。壱黄は泣き虫で優しく、黄花は気が強く狡賢い。壱黄よりも黄花の方が危ういと、蒼亞は即座に判断した。その夜、蒼亞は彼と初めて寝床で眠りについた。
「…、…万」
蒼亞はぱちっと目覚める。
「行かないで、蒼万…」
彼は蒼亞を抱きしめ、寂しそうな声を上げていた。
「…志ぃ兄ちゃん?」
「蒼万…」
彼は寝言でも兄が恋しいのか、ならばと蒼亞は考えた。胸を吸えば兄を思い出し、寂しくなくなるのではないか、自分も母の胸で眠るのは気持ちよい。きっと、風呂での事はそういう意味なのだ。蒼亞は幼子ながらに、そう捉えた。彼の寝衣の衿元に手を入れると、胸は膨らみが全くなく突起も小さい。こんな女子もいるのかと思いながら、突起を指先で転がすと、こりっと硬く尖りだした。
「ん…蒼万…」
彼の寂しそうな声が変わってきた。蒼亞は彼の上衣を胸まで捲り上げ、目を見開いて驚く。暗闇に慣れた目に映ったのは、無数の歯型や赤い点々だった。彼は兄に咬まれているのか? しかも胸の間には、不思議な模様の痣までもある。
「蒼万…ん…」
「うっ…」
彼が胸にぐっと抱き寄せ、温かい素肌に頬擦りし、気持ち良さからそのまま眠りそうになる。はっと目的を思い出し、蒼亞は目の前の胸を優しくなでた。小さな突起を口に含み、赤子の様に「ちゅ、ちゅ…」と吸いつく。
「あん…っ、蒼万…気持ちいい、蒼万……」
彼の甘い声に、心臓がどくどくと不思議な鼓動を打ち始める。蒼亞は夢中で吸いつき、舌で突起を転がす。彼の手の熱が背中を這い、指先が衣を通して皮膚に伝わる。とその時、下半身の物がずきずきと痛みだし、硬く張り出した。訳が分からず、意識が自分の物へと集中してしまう。「あッ…」彼がひくつき、口から胸が離れた。よく見ると、いつの間にか突起ではなく横の皮膚に吸いつき、そこには鬱血痕があった……蒼亞はその瞬間知る。彼の体中の跡は、虫刺されではない。上衣を元に戻し、よく分からない感情を抱いたまま、彼を抱きしめ眠りについた。
翌朝、彼が寝床から起きると同時に目が覚める。少し寝不足でもあり、彼が起こしに来るのを待っていると「あ…」甘い声が聞こえ、蒼亞は瞼を開ける。寝床からゆっくりずれて下り、奥の部屋でせかせかと着替える彼を覗いた。
がしかし…。
(な…何だあの傷痕は⁉︎)
初めて見る彼の右腕に驚愕する。思えば、暑い時でも袖を捲らず、水遊びをしても衣を脱ぐことはなかった。恐らく傷痕を見て怖がらせないよう、今まで隠していたのだ。胸の痣に、右腕の傷、彼に一体何があったのか? あの微笑みからは想像すらつかない。蒼亞は動揺を悟られないよう、寝起きのふりして彼に声をかけた。彼の慌てた様子に傷を見た事は伏せ、寝言で呼ぶほど兄がいなくて寂しいのか問うと、彼は愛し合っているから仕方ない、蒼亞の両親と同じだと答えた。愛していることで名を呼んでいるのなら、自分の名も呼んでほしい。首を傾げて尋ねる。
「私を愛してる?」
彼は兄への愛とは違うが、愛していると言ってくれた。蒼亞はいない兄の代わりに、彼を守ろうと決意した。
だが、座学での講師朱翔は彼の頭をなで、肩を組み、顔を近づけたり、実に危うい。彼は友だと説明するが、見透かした様なあの微笑み……気に入らない。しかし驚くことに、彼は女子ではなく男子だと知る。だから胸がなかったのか……では兄とは男同士の夫婦なのか? 聞いた事はないが、彼は兄と愛し合っていると告げた。ならば、二人の関係が何ら変わる訳ではないと蒼亞は安堵した。だが、またしても衝撃の事実が判明する。なんと、彼はまだ兄と婚姻していなかったのだ。訳が分からない事続きで蒼亞は混乱する。しかし、婚約しているが順番待ちなのだと、朱翔から説明を受けた。
そんな時、最年長の女子達の話が耳に入る。
「男子実技講習の師匠、誰か聞いた? 磨虎様と柊虎様ですって!」
「私も聞いたわ、お二人共素敵よね!」
黄色い声できゃっきゃっとはしゃぐ女子達は、自慢の兄を見ればもっと騒ぐはずだ。「ふっ」蒼亞は鼻で笑う。
「磨虎様は婚約されているけど、柊虎様はまだらしいわ。後九年で私も十八になるから、それまで待っていてくれるかしら?」
「ハハハ何言ってるの? その前に柊虎様なら婚姻されているわよ」
一人の女子が声を静めて言う。
「でも、女子の師匠葵様と過去に婚約されていたみたいだけど、解消したらしいわ」
「それはどういう事だ?」
「蒼亞⁉︎」
女子達はしまったと口元に手をあて、気まずい顔をする。
「姉上と柊虎師匠が婚約していたって、本当か?」
「えっええ…蒼亞、悪気はなかったの… あなたの前で話して、ごめんなさい…」
女子達は蒼亞の険しい表情にしゅんとなる。
「姉上は今幸せだからいいんだ。それより婚約は解消できるって、本当か?」
女子達は疑問に思いながらも、姉の方から婚約を解消したと告げる。そして、解消は例え男子の方に理由があっても〝男に捨てられた女〟と噂が立たないよう、女子の方から解消する決まりとなっていると。
「皆、教えてくれてありがとう」
蒼亞が微笑むと、女子達はぽっと頬を赤らめた。
蒼亞の中で、一つの欲望が角を出した。兄とまだ夫婦でないのなら、彼を自分のものにできるのでは? あんなに咬まれて、兄の強さや威圧感に逆らえず本当は嫌だと言えないだけで、兄は彼を苛めて楽しんでいるのだ。自分なら身体に傷などつけず、優しく抱きしめて……はて、この感情は一体? 兄を尊敬している蒼亞は戸惑う。兄に対して、否定的な感情を抱いたことはない。だが、日毎に彼への気持ちは露わになり、会いたくて、触れたくて、抱きしめたい。彼が兄ではなく、自分を選んでくれるなら。直接触れた彼の肌が、胸の突起や声が、蒼亞は忘れられなかった。
そして、再び衝撃な事件が起こる。こいつが柊虎か! しかも同じ顔が二人! 彼とはどういう関係なのか? 兄以外の者が彼を抱えている姿に、蒼亞の欲望の角は鋭く飛び出た。魅力的な彼の周りには、小さいのから大きいのまで、狙う男女が溢れ過ぎている。どうにかしなければ! 蒼亞は自覚のない恋心に支配されていく。
それから数日後の昼餉時、お喋り好きの女子達が、またもやこそこそと話しだす。
「私ね、姉上が口づけするの見てしまったの!」
「きゃー本当⁉︎」
「どうだった?」
「口と口を合わせて、ちゅってしていたわ!」
相変わらずきゃっきゃっと楽しそうだ。
「口づけって唇だけではないのよ、知ってる?」
(何だって?)
蒼亞は耳を研ぎ澄ます。
「えっ、他には何をするの?」
「舌も使うのよ」
(舌だって?)
「どう使うの?」
女子達と一緒に、背後で蒼亞も聴き入る。
「姉上達は互いの舌を絡ませたり、吸ったりしていたわ」
「───‼︎」
女子達は顔を赤らめ、声を殺して叫ぶ。
蒼亞は彼の舌を想像し、下半身を膨らませた。あの晩以来、彼を思い出すとこの反応は起こる。暫くすると収まるが、それまでが不便なだけだ。四つ上の女子達は、色々な知識を持っている。だが、それ以上に知識を持っていたのは、意外にも壱黄だった。
風呂の時、体を洗いながら問う。
「壱黄はここ大きくなったりするか?」
「うん、時々なるよ。病と思って父上に聞いたら男は皆そうなるって教えてくれたよ。好きな人や愛する人に反応するんだって。体と一緒にここも大きくなった時に色々教えるから、今はあまり弄っちゃ駄目だよって言われたよ」
そう言って、壱黄は当然のように微笑む。
「そ、そうか…」
(知らなかった…)
蒼亞は東宮へ帰ったら、直ぐに父に教わろうと焦った。
黄花は既に、不意打ちで彼と一度口づけしている、自分も早く先手を打たなければ、彼と兄はきっと舌も使っているはずだ。ならばと、機会を見計らっていた。だがある日、朱翔が彼の頬に口づけし、にやついた顔に煽られ思わずしてしまう。彼の唇は柔らかく、開いた口にすかさず舌を入れ、彼の舌に触れた。
(志ぃ兄ちゃん、温かい…)
口内で逃げ惑う彼の舌を、追いかけて舌を絡ませた。
「んん…! んっ……やめ、あ…っ、はっ…」
急に抱えていた彼の腕の力が弱まり、落ちないよう蒼亞はしがみつく。
(志ぃ兄ちゃんどうしたの? もっとしたい…)
朱翔が柊虎を呼び、駆け付けた柊虎に掴まれ、彼から無理矢理引き剥がされてしまう。朱翔に背負われ連れて行かれる彼の姿に、とても悲しく、心が張り裂けそうになった。この時に、彼に対しての感情が恋だと蒼亞は自覚する。兄に挑むには、今までにない覚悟が必要だ。東宮へ帰るまでにどうにかしなければと思うも、現実は蒼亞に時間など与えず、兄が彼を迎えに来た。
そして、失恋事件、第一回目が起こる。
彼の方から兄に口づけする姿に、胸が抉られる程苦しかった。大声で泣いて叫んでも、彼は振り向きもしない。兄は勝ち誇ったように、微笑んで彼を見つめた。今回は、気持ちに気づいてからの準備が足りなかったのだ。まだ努力すればきっと手が届く。だがこの恋は、更に蒼亞を苦しめる。講習会終了後、東宮に戻るなり、父から彼と兄の婚儀が執り行われると告げられたのだ。
「し…志ぃ兄ちゃん、磨虎様の後じゃないの…?」
「ごめんな蒼亞、あの時は誤魔化したんだ。本当はな…」
男同士での婚姻が本来認められていないこと、子供が作れないこと。そして、兄を深く愛していると…彼は告げた。自分への愛と、何がどう違うのかは分からない。もう、手段など考えている余裕などない。蒼亞は毎日彼に会いに行き「愛してる」と、気持ちを伝えるしかなかった。
再び、失恋事件、第二回目が起こる。
彼に会いに兄の殿に行くと、兄の自室に彼と呼ばれる。椅子に腰掛けていた兄は、向かいの椅子を差し「蒼亞はそこに座れ」低く言い、彼に「お前はここだ」自身の太腿に視線を流した。
「な…何で?」
彼は言葉を詰まらせる。
蒼亞は兄が話があるのだと気にせず椅子に座るが、彼は立ったままその場が沈黙する。暫くして、彼はぎこちなく兄の片足の太腿にちょこんと座る。すると、兄が彼のお腹に腕を回しぐっと引き寄せ、いきなり彼の頸に口づけして甘噛みし、衿元にもう片方の手を入れ触りだした。
「なっ何するんだ蒼万! やめろ…っ、あっ… 蒼亞がいるだろ! あう…っ、やめ……そっ蒼亞、見るな…!」
彼は兄の腕で拘束され、もがきながら涙目で訴える。
(兄上酷いっ、やっぱり志ぃ兄ちゃんは苛められているんだ!)
無力な蒼亞には、腕を震わせ見ていることしかできない。兄は暴れる彼の衿元を引き裂き、胸に新たな跡をつけた。そこはまさに、昼寝をしている彼に蒼亞がつけた跡だった…。自分がつけた跡を塗り潰すように〝私のものだ〟と兄は吸いつく。気づかれていたと知り、兄の鋭い双眸に身体を強張らせた。抵抗しながらも彼の声は甘く、蒼亞は自分の物を膨らませ、奥歯を食いしばる。だが、兄が彼に熱く口づけし舌を絡めだすと、彼の様子があの日のように一変しだす。
「んんーっ、ちゅっ……あ… 蒼万、はぁ…はぁ… 蒼万、もっとキスして……あんっ、もっと強く咬んで、ああ…ッ、きっ気持ちいいッ、ちゅ…… 蒼万愛してる… して……」
彼の方から兄の股間に手を伸ばし、淫らに指を動かし形に沿って摩る。彼の股間は、衣の皺を突っ張らせ膨らんでいた。
(志ぃ兄ちゃん…何で? 嫌じゃないの?)
今度は彼の方から兄の衿元を引っ張って崩し、腰をくねらせ肌に吸いつきだした。「はぁ、はぁ…」頬を赤らめ、自らの帯を外し衣を脱ごうとする彼を「待て」兄は阻んで抱きしめる。
「蒼亞、これ以上は見せられない。私は志瑞也を愛している」
「わ…わかりました…」
蒼亞は震える足で席を立ち兄の自室を出た。
「蒼万…セックスしたい、早く脱いで…」
「ふっ志瑞也、可愛い奴よ」
戸の向こうから聞こえる二人の声を後に、蒼亞はとぼとぼと緑龍殿へ向かう。切なくて、悲しくて……悔しい。兄よりも先に生まれたかった。彼に出逢いたかった。しかし、兄が呼ぶ彼の名はとても優しく、大切に想い、全身全霊で愛している。どう立ち向かっても……敵わない。ほろ苦い、小さな恋の涙が頬をつたう。蒼亞にとって忘れられない、とても淋しい帰り道となった。
「ぐすっ、は…母上…」
「蒼亞っどうしたの?」
母は驚き蒼亞に駆け寄る。
「ううっ…母上っ、うあぁん…」
「蒼亞⁉︎」
母に抱きつき宥められながら、落ち着いた頃に事情を話した。
「……そう、だったのね」
母は眉尻をぴくぴくさせながら微笑む。
「志瑞也さんも蒼万も深く愛し合っているわ。でもね蒼亞、家族愛と夫婦愛は違うのよ」
蒼亞は眉を寄せ首を傾げる。
「どう違うのですか?」
「夫婦になる者達は、互いが望んでここに口づけするのよ」
そう言って、母は指で蒼亞の唇にちょんと触れて微笑む。
「無理矢理や、どちらか一方でも我慢しているのは愛ではないわ」
「父上と母上もですか?」
「ふふふ、そうよ。だから蒼亞が生まれたのよ。そして今ここにもう一人いるわ」
母は蒼亞の頭をなでながら、もう一方の手で大きなお腹をなでた。
「兄上達は愛し合っても子はできませんよ?」
「そうよ、だから二人は蒼亞をとても大切にしているわ。蒼万は弟として、志瑞也さんは弟だけど、我が子のようにも蒼亞を思っているわ。ふふふ」
愛の違いはまだはっきりわからないが、彼に家族として愛されているのは間違いない。それが理解できただけでも、蒼亞は幸せだった。
「ありがとうございます母上。へへへ」
蒼亞がいつもの笑顔に戻り、母は安堵する。だが、母がその後、蒼万殿に鬼の形相で訪れたのは、言うまでもない。
それから、彼は兄のために着飾り、龍女の姿で兄と婚姻した。目を奪われる程、とても、とても……美しかった。母は暫くして、無事に妹翠を出産した。彼は妹の様に、そして娘の様に、溺愛した。
月日は流れ蒼亞は十二になり、祖父蒼明が祝いに自殿を建て移り住む。彼は蒼万殿を離れたくないと言っていたが、第三宗主である兄の立場もあり紫龍殿に移った。今年、中央宮では黄龍家の嫡子壱黄が十二になり、五神家の安泰を示す 天命懇神義が開かれる。七年の間に背丈は彼の肩を超え、彼の頭を超える日も、そう遠くはないだろう。そして、誰もが口を閉ざしている彼の謎について、知る日も近い。
彼は定期的に中央宮、南宮、西宮や北宮へ行き、友と友の家族と会う。朱翔の子七つの朱濂と四つの朱囉は、好奇心旺盛で悪戯好き、まるで朱翔が三人いるようだ。残念なことに、誰も嫁の玄葉には似ていない。磨虎の子五つの朱虎は、礼儀正しくとても賢い。父親に似なくて良かったと、誰もが安堵した。しかし、昨年生まれた禪虎は、書物を齧り涎塗れにする……嫁の朱里は懸念を抱いているようだ。屈託のない素直な妹は朱濂とよく喧嘩をするが、集まって遊ぶ時は皆仲が良く、むしろ手に負えないほど賑やかだ。姉夫婦は五つの十玄を連れ月に一度は東宮に来ていたが、姉は現在懐妊中。代わりに、兄夫婦が月にニ度北宮へ通っている。責務の量は兄の方が多いため、友の所へは彼と蒼亞がほぼ共に通っていた。穏やかな日常が流れる中で、彼への想いは複雑なものへと移り変わっていった。
─ 現在 ─
「蒼亞も蒼万みたいに身長高くなるんだろうな。今でも十分かっこいいから、講習会に行ったら女の子が沢山寄ってくるぞアハハハ」
蒼亞は彼の腰に腕を回す。
「どうせ寄ってくるなら、今女はいいよ」
「何だそれ? モテるからってこいつアハハ」
頭をわしゃわしゃなでる彼は、時折不思議な言葉を使う。合わせたり言い直したりするが、彼は半衿に金色を着けている。黄龍家第二宗主黄虎を弟と言い、現宗主黄理を叔父と呼び、亡き黄理の兄黄一を父、その嫁玄華を母と呼ぶ。元は黄龍本家直系の者なのだろう。ならば嫡子のはずだが、名に〝黄〟の字もついていない上に、髪も神族らしからず常に短髪。そして、中央宮では黄怜殿を所有している。成長と共に彼の素性に疑問を抱き、蒼亞は考えるようになっていた。
「志ぃ兄ちゃん、おまじないして」
彼は泣いていなくても、上目遣いで甘えてねだればしてくれる。
「蒼亞は可愛いな、ちゅっ」
「へへ」
彼は照れる蒼亞の頭をなでる。
「志瑞也、何をしている」
「あ、蒼万おかえり。蒼亞がさ、今から中央宮にお義父さんと行くから挨拶に来てたんだ」
彼と抱き合っている姿に兄は一瞬眉を寄せるも、頷いて部屋に入り椅子に腰掛けた。弟という位置を、蒼亞は最大限に活用している。それも、成長と共に身につけた技だ。
「蒼亞、気をつけて行くのだ」
「はい、兄上」兄弟は頷き合う。
彼は兄に近づき言う。
「蒼万、明後日俺が連れ行ってもいいか? そしたら別に今日出発しなくてもいいし、ゆっくりできるだろ?」
「お前はそのまま帰って来れるのか? また壱黄と黄花に掴まるのでは?」
言いながら、兄は彼の腰に手を回して引き寄せ、彼は兄の肩に腕を回し太腿に横に座る。成長して一番理解したこと。彼が自分を見る眼差しと、兄へ向ける眼差しとの違い。
「そうだよなぁー でも、今回は七日間だけだよ?」
甘えるように言う彼は、きっと行きたいのだろう。
「…ふっ、わかった。あいつらは? 外にいなかったが」
「へへへ、実はもうお母さんに預けてきた」
兄は呆れ笑って言う。
「ならそれまでは、分かっているな?」
「うん、ありがとう蒼万」
彼は微笑んで兄に抱きつく。
「蒼亞、明後日志瑞也と共に出立するのだ。歩いて行くより早い、それまではゆっくり自殿で休め」
「わかりました。志ぃ兄ちゃんありがとう」
「蒼亞、明後日な」
「うん」
蒼亞は部屋を出て戸を閉めた。
「蒼万、俺蒼亞に身長抜かれちゃうかもな」
「ふっ、そうだな…」
「…んっ、ちゅっ、責務は?」
「今日はもう終わらせた」
「終わらせた? ってことは、こうなるの分かってたんだな? なら言えよアハハ あんっ、は…っ、蒼万……」
「お前が考えそうなことだ。既に父上にはお前が連れて行くと言ってある」
「ふふっ、流石だな蒼万… ちゅ…んっ… あ……」
蒼亞は下腹部を疼かせて、戸の前から立ち去り自殿へと戻った。
「う…っ、はぁ、はぁ…うっ、志ぃ兄ちゃん…っ、あ…っ、う…っ…… はぁ、はぁ…」
もう何度、こうして自慰で果てたことか。ここが性器と知っても、反応する対象が彼であることに変わりはない。手の白濁を見つめ、蒼亞は苦痛に顔を歪める。このまま成長して、彼を襲ってしまうのではないか、そんなことはしたくない。だからといって、どうすれば……行き場のない感情に、蒼亞は悩まされていた。
二日後、蒼亞は中央宮へ彼と出立する。兄や妹、両親達は五日後だ。辰瑞に跨り、彼が後ろからお腹に手を回して支える。背中から伝わる熱に、鼓動が速まるのを抑えた。宙の景色は遮るものが何もなく、向かい風が肌を通り抜ける感覚は、まるで心が洗われているようだ。
「志ぃ兄ちゃん」
「ん、どうした蒼亞?」
「また兄上に沢山跡つけられた?」
「なっ…」
彼は言葉を詰まらせる。
「ハハハ私はもう五つじゃないよ。色々知っているから隠さなくてもいいんだよ」
「蒼亞…」
彼はぎゅっと抱きしめ、背中でしくしく鼻を啜る。
「志ぃ兄ちゃん…泣いてるの?」
「蒼亞…大きくなったな。ぐすっ…こんな変な兄ちゃんで、ごめんな…」
「志ぃ兄ちゃんは変じゃないよ、泣き虫なだけだよハハハ」
「ぐすっ…蒼亞、大好きだよアハハ」
「私も……志ぃ兄ちゃん、大好きだよ……」
お腹に回された彼の腕はとても心地よく、自然と笑みが溢れる。彼の眩しい笑顔は兄なくしては得られない。そんな彼に惹かれたのだから、この想いが複雑なのだ。だからこそ、今回の講習会講師名簿を見て、蒼亞はある覚悟を決めたのだった。
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