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第六章 寒芍薬

戦う者達

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「どうしたんだ蒼万?」
 志瑞也が尋ねるも、蒼万は黙って険しい顔で瞳を左右に動かす。その様子に何かあると、柊虎も黙って神経を張らせた。志瑞也は黙り込む二人を交互に見る。すると空気が一変、洞内への日差しが薄れ、むわっと漂う異臭に三人は何事かと立ち上がる。息を呑んで耳を澄ますと、複数の獣の唸り声が、六箇所の洞口から聞こえてきた。
 志瑞也は顔を引き攣らせる。
「よっ妖魔? 何でっ? 俺は血を流してないっ」
 柊虎が目を見開く。
「蒼万っ、外すだけでも見つかるのかっ?」
「おかしい…」
「何がだっ」
「ここは結界の強い玄武洞だ…」
「何が起こっているのだっ?」
 ニ人は志瑞也を間に挟み辺りを警戒する。志瑞也は訳の分からない事態に、守ってもらうだけで情けない、戦える力が有ればと、悔しさを込み上げた。
 蒼万は腕輪を外し瞳を金色に光らせ、龍鞭〔龍の髭の形をした神力の鞭〕を出し、柊虎も瞳を銅色に光らせ、両手に鉤爪の形をした神力の剣を出した。志瑞也が知る妖魔との戦いは、夢で千玄が戦ったものだけだ。しかし、明らかに状況が全く違う。初めて見る二人の戦闘態勢に、これから起きる事への想像すらできなかった。一箇所の洞口から黒く尖った爪が「ガツ」と縁を掴みヌッと妖魔が顔を覗かせた。目に映る恐怖から眼球が軋みだし、志瑞也は鳥肌を立てた。

「ぎゃっぎゃっ…ここだ…ここだ…見つけたぁぁぁぁぁぁ!」

 志瑞也を見て目を大きくしニヤリと笑う。

「ぐふっぐふっ…血をくれ…お前の血が喰べたい…ぐふっ…」

 妖魔が洞内に続々と押し寄せ、三人を取り囲みじりじりと詰め寄る。見渡すだけでも大小様々な妖魔が数十、いや数百匹。興奮した熱気が洞内の温度を上げ、蒸し暑くて息苦しく、鼻から吸うのも躊躇う程に、空気に吐き気を催す。余程飢えているのか、一匹の餌に涎を垂らして群がる姿は、まるで鬣犬はいえなのようだ。志瑞也は襲われた時の記憶が蘇るも、比にならないぐらいの恐怖に陥っていた。強張った手で蒼万の背中にしがみつくが、いつになく蒼万の額にも汗が滲み出ていた。

 誰も一言も話さず、妖魔と睨み合う。

 一匹の妖魔が跳躍して飛び掛かり、すかさず蒼万が鞭を斜めに振り翳し「バチン!」一撃で暗紅色の雨を降らせた。弾く音は内臓にまで響き、鞭の重さが伝わってくる。柊虎は両手の鉤爪で「ザシュッ」八本の剣放光を交差して放つ。斬られた妖魔は何が起きたのかもわからず、一瞬固まり眼をギロつかせ微動でばらばらに崩れ落ちた。痛覚さえ奪う剣捌きは、実に見事だ。料理の具材を微塵切りしているかのように、二人は尻込むことなく戦闘を繰り広げる。具材達は「ボトボト」と積み重なり、どれが元の具材か分からない。

 ゴロゴロゴロゴロ…

 志瑞也の近くに飛んで来た頭部が「ゔへっ」嬉しそうに微笑み地面に歯を立て、顔の筋肉でふがふが芋虫のように蠢く。
(なっ何で頭だけで生きてるんだよっ)
 脳内では今すぐ蹴り上げようと思っていても、足が竦んで全く動かない。
 パーンッ!
(うわっ…)
 突然、高音を響かせ生首が破裂する。
 四方八方から同じ音が連続して聞こえ、牡丹の血飛沫が飛び散る。蒼万が上から飛び掛かって来る妖魔の頭部を、四指から針の神力を飛ばし狙い撃ちしていた。しかも、同時に隙のない鞭捌きで、遠くの妖魔も弾き飛ばしていた。
(蒼万、凄いっ… 俺も怖がってる場合じゃないっ!)
 転がってくる頭部や、這いつくばって向かって来る片腕を蹴り付けるが、嫌でも肌に伝わる感触に指先を冷たくさせた。柊虎は初めて観る蒼万の戦いぶりに、神獣無しにこの凄さかと、別の汗を垂らし、戦いながらもつい目を向ける。
「蒼万っ、これでは切りがないっ 洞外で志寅達を出した方が得策ではないのかっ?」
「もう遅いっ!」
 一匹の巨大な妖魔が「ドスッドスッドスッ」地面を縦に揺らし襲い掛かる。響き渡る呻き声は鼓膜を刺激し、平衡感覚までも狂わす。志瑞也は思わず体勢を崩し「あっ!」袖から小物袋を落とした。
「取るなっ!」
 伸ばした手をさっと引っ込めたと同時に、巨大な妖魔の舌が袖を掠める。間一髪で危機を躱すも、小物袋は妖魔に取られ呑み込まれた。蒼万が止めなければ、今頃腕はあの口の中だ。袖に付いた紫色の唾液が、青色の衣を黒く染めた。柊虎の白虎模様の衣は返り血でまだらに染まり、二人の顔や衣が汚れていくのを、志瑞也はただ見ることしかできなかった。

「ぎぎぎぎぃぃぃ…ぐぎぎぃぃ…ぎゃゃぁぁ」

 刺々しい悲鳴が響き渡り、何事かと目を向ける。先程の巨大な妖魔が、膨れた腹を抱え苦しんでいるではないか。蒼万と柊虎は戦闘を続けながら、異様な様子に警戒し神経を研ぎ澄ます。
 仲間の見分けもつかないのか、腕をぶんぶん振って走り回り、他の妖魔を爪で引っ掻いて飛ばし、無惨にも壁に叩き付けている。喉元がボコッと膨らみ、残骸を下敷きに「ドシャ」仰向けで倒れた。腹の膨張は更に進み、両方の目玉が飛び出し四肢が短くなっていくその姿は、血を吸ってぱんぱんに膨れ上がった壁蝨だにのようだ。妖魔の顔には二つの黒い穴が空き、目玉が地面をコロコロ転がる。「プチン」他の妖魔が踏み潰し、志瑞也は目を瞑り胃から込み上げて来る物を抑えた。

「うぐっ… ぐふっ、うぐっ… ぐっ…」

 蒼万は柊虎と見合わせて頷き、志瑞也を掴まえ石台の下に身を隠した瞬間「ボーンッ!」爆発音と共に洞内全体が「ゴゴゴゴー」揺れ動く。志瑞也は咄嗟に頭を抱えて蹲り、蒼万が守るように包み込んだ。爆風は六箇所の洞口へと、雪崩の如く吹き出す。刻んだ具材が混ぜこぜに飛び交い、壁に物体が当たる鈍い音、引き裂かれる悲鳴、一時洞内は騒然とした空気に包まれる。
 爆風がやみ、三人は悪臭で鼻を押さえた。

 バキッボリボリッ

 固い物を砕く音が鳴り響く。
 ……今度は何が起きているのか、三人は石台から顔を覗かせ、自爆した妖魔がいた所に目を凝らす。巨大な二つの塊が、四本の足で妖魔を捻り潰しながら、首を伸ばして喰い散らかしているではないか。その咀嚼音を聞いても、とても美味い物を喰べているとは思えない。胴体に巻き付いている大蛇は、牙から毒を辺りに撒き散らし、妖魔を泡のように溶かしていた。
 玄武!
「蒼万っ、何故二匹も急に現れたのだっ? しかもっこれ程の神獣っ…」
「……」
 蒼万は黙って顔を横に振る。
 神獣の活躍で形勢は逆転したと言いたいが、その光景はあまりにも見るに堪えない。神獣の荒々しい食餌に、ただ遭遇しただけのようだった。

「志瑞也様ーっ!」

 三人は洞口に振り向く。

「志瑞也様っ!」

 声の主に、志瑞也は目を見開く。
「ばっ…ばぁちゃん? ばっばぁちゃんっ、ばぁちゃんっ!」

「待て志瑞也っ!」
 まさか自ら離れるとは思わず、蒼万は駆け出した志瑞也を掴み損ねてしまう。そこへ、間を空けずに妖魔が襲ってきた。
「くそっ、失せろっ!」
 蒼万と柊虎は妖魔を弾き飛ばし、志瑞也の後を追いかける。

 志瑞也は一枝かずえにしがみつく。
「ばっばぁちゃん…ううっ…なっ何でっ、何でここに…うううっ…ばぁちゃんっ…」
「志瑞也、様… 説明は後か、はっ!」
(ばぁ…ちゃん…?)
 後ろから襲い掛かる妖魔を一枝が剣で切り刻み、志瑞也は目の前の事に理解ができず、混乱してただ茫然と一枝を見た。
「蒼万様っ、志瑞也様をお願いいたしますっ」
 志瑞也の周りを三人が囲い、残りの妖魔と戦闘を続けた。

 その状態がどのぐらい経ったのか、最後の一匹を倒す頃には、辺りはぶくぶくとした細切れの肉片と悪臭だけが漂い、四人の顔や衣は血の雨に濡れ散々な姿になっていた。
 柊虎が辺りを見渡しながら口を開く。
「はぁ、はぁ、おっ終わったのか…」
「恐らく…」
 蒼万も肩で息をしていた。
「志瑞也様っ、ご無事ですかっ?」
 一枝が志瑞也に駆け寄る。
「ばっばぁちゃん… ばぁちゃんっ… あ…会いたかったよ… うううっ…こっこれは… ひっく…どっ、どういう…なっ何でっ、ここに…」
 汚れているのも気にせず、志瑞也は一枝にしがみつく。二度と会えないと思っていた一枝に会えたことが嬉しくて、周りの悲惨な状況ですら気にならなかった。
 蒼万が口を開く。
「説明してもらおうか」
「私は玄枝様付き侍女、玄一と申します。お二人共志瑞也様を御守りいただき、ありがとうございます」
 そう言って、玄一は二人に頭を下げる。
 蒼万と柊虎は見合わせて、予想していたように頷いた。
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