SF

文字の大きさ
上 下
22 / 23

22.紅雨

しおりを挟む
家に帰ると、当然のようにマンションの前に楓が待ち構えていた。豊高の全身をじっと眺める。

「・・・・・家に、帰ったんだな」

表情の濃淡が淡いのはいつものことだが、瞳の奥でチリッと小さく火花が散った。

「・・・・・ごめん、でも、何もなかったから」

楓は益々表情を強張らせる。

「ごめん・・・なさい」
「・・・・・」

楓はつかつかと歩き豊高の目の前まで来ると、豊高の顎を掴んで正面を向かせた。

「・・・怪我は?」
「なかった」

言い終わらないうちに、楓に抱き締められ豊高は狼狽える。誰かに見られていないか、瞬時に神経を張り巡らせた。

「ごめん、ここ外だから」

楓は名残惜しそうに離れる。

「あのさ、今日は帰って。楓ん家には行けない」

豊高は握った手に爪を立てる。

「・・・・・ちょっと今、余裕ない」

昨夜、家に帰っていたら
楓の家に行かなかったら
楓が、連れて行かなかったら
そう思わずにいられなかった。
感情のままに喚き、楓を責め立ててしまいそうだった。

「・・・帰れよっ!」

怒りや憤りが吹き出し、豊高は焦り始める。抑えきれなくなりそうだった。

「なにがあった?」

あくまで静かな楓の声に、脳が沸騰する思いだった。

「・・・・・っ」

脳の神経が、焼き切れそうになる。頭痛がひどい。

「母さんが、入院してる」

楓は目を見開いた。

「・・・・・父さ、あの男に・・・」

唇が、肩が震えていた。怒りと悔しさで視界が熱く滲む。楓は察したらしく、

「わかった・・・」

と言葉を重々しく断ち切った。

「俺が、悪かった」

豊高はどこまでも冷静な楓に、発作的に拳を肩まで振り上げた。父親の顔がよぎったが、制止できず楓の顔に目掛けて振り抜いた。倒れこそしなかったが、楓の頬がみるみるうちに腫れあがる。豊高は拳を凝視しながら、ゆっくりと指を解き愕然とした。
怒りは爆散したが、嫌悪感が広がっていく。骨や肉を捉えた感触が、音が、何度も再生される。あの男と同じ血が流れているのだと思うと眩暈がした。

「・・・・・大丈夫だ」

楓の手が豊高の手をそっととる。腫れていく頬を押さえることもなく、豊高を見つめる。

「お前は、父親とは違う」

楓は、目に涙を溜めた豊高の頭を優しく撫でた。

豊高は楓を家に上げ、頬の手当てをした。保冷剤をタオルに包み楓に渡す。

「・・・・・ごめん」

豊高はようやく謝罪することができた。

「いい」

楓はタオルを受け取り頬に当てる。保冷剤の冷気に、微かに吐息が白く曇った。気怠げに頬杖を付き、しなやかな指が纏わりつく。楓は何をしても色香が付きまとっていた。
豊高は、艶かしいが見てはいけないものを見てしまったような、妙な居心地の悪さを覚えて目を逸らした。ティーパックで淹れた紅茶を差し出す。

「こんなんしかないけど」
「ああ」

楓は少し口角を上げた。柔らかな表情が見られほっとする。
と、豊高の携帯電話が震えた。三村、という名前が表示されていた。心臓がひやりとする。楓に断って席を立つと、恐る恐る耳に当てる。

『もしもし、無事だった?』
「はい、ありがとうございます」
『さっき、一緒に入っていった人がカエデさん?』

エに濁点がついた様な音が喉から漏れた。抱きつかれた所や殴ってしまった所を見られたと思うと、顔から火が出そうだった。

『ごめん、君一人で帰す訳には行かなかったし・・・。ところで、あの人、カエデさんでよかったんだよね』

豊高の頭に疑問符が浮かぶ。

『・・・名前が違うんじゃ人違いかな・・・』

三村の呟きに、息が止まりそうになった。
まさか、そんな、と楓の方を見る。
楓は豊高と目が合うと、何のことかわからないという風に瞬きした。あり得ないとは言い切れないのが不安を掻き立てる。信じたくないが、彼は嘘や隠し事が多すぎる。

「何かあったのか」

楓は極力小さな声で聞いた。

「あ、えっと・・・」
『ああそうだ、お母さん思ったより早く退院出来るみたいだよ』
「あ、わかりました。ありがとうございます」
『もうしばらく下に居るから、何かあったら連絡して』

豊高は礼を言うと、通話を切った。

「母さん、すぐ退院できるって」
「よかったな」

楓は目元を緩める。いつもと同じ笑みなのに、急に得体の知れない存在に見えてくる。

「三村さん。
って人が教えてくれた。心療内科医の」

楓の視線が左に流れた。何かを思い出す時のように。豊高は楓の反応を待つ。楓はそうか、とだけ短く答えた。次の質問をすることにした。

「楓は、親父と知り合いなの?」
「・・・・・座ったらどうだ?」
「誤魔化すなって」

豊高が睨み付けると、楓は観念したように、重々しく口を開く。

「・・・ああ」

と簡潔に肯定した。

「いつから?」
「・・・・・」
「楓なんで殴られたの?」

楓は黙ったままだった。豊高が納得するような答えを探しているようだった。豊高は容赦なく質問を矢継ぎ早に浴びせた。

「どういう知り合いだった?母さんは知ってた?いつ知り合ったの?
ーーーーー殺されるって、どういうことだよ」

楓はなおも言い淀んでいる。豊高の不安が膨らんでいく。

「どういうことだよっ・・・・!」

豊高は必死だった。

「アイツがクソ野郎だってことはとっくに分かってるよ!何言われてもショック受けるとかないから」

楓の顔に苦々しさが広がる。

「立花康平は、お前を愛している」

豊高は混乱した。暴力を振るう父親が、なぜ自分を愛していると言えるのか。

「そんなわけないだろ!」

豊高には父親の拳に乗せられた感情がそれとは思えなかった。思い通りにならない怒り。それしか、感じられなかった。

「あいつは、全部自分の思い通りにしたいだけだ!最低なヤツなんだ!」

それを皮切りに、豊高の口から弾丸のように罵詈雑言が飛び出す。しかし表情は銃弾を浴びたかのように苦痛に満ちていた。
楓は、ただ悲しげな顔をするのみだった。
やがて豊高は脳からも喉からも力を使い果たし、口をきかなくなった。

「気は済んだか?」

楓は尋ねる。

「・・・ムカつく」

豊高は俯いた。感情のままわめき散らし、自分が幼稚な人間に思えたのだ。

「なぜ、立花康平がお前に手を挙げるようになったか、考えたことはあるか?」
「そんなの・・・・・」

なぜか、幸せな家族の情景が目に浮かんだ。あの、夢で見た親子3人の姿が。

ーーーー昔から、豊高には甘かったものね

そう、昔は、厳しかったが今ほどではなかった。
小学校、中学校に上がるにつれ、言い換えれば、成績が意味を持つようになるにつれ、厳しくなっていった。反抗期もあり、父親とぶつかる事がしばしばあった。
父親と対立する決定的な引き金になったのが、あの中学生最後の年の事件だった。父親は豊高のすべてを拒絶し、豊高は父親のすべてを諦めた。その癖、気に入らないことがあると暴力を振るう。
そうだ、ここからだ。父親が暴力を振るうようになったのは。覚えている範囲では、男性社員と揉めたり、帰りが遅くなったり、石蕗を家に上げたりした時だ。

ふと、何かが頭をかすめた気がした。

正直、豊高はそのよぎった考えを認めたくなかった。

「・・・楓」
「なんだ」
「やっぱり、俺は、認めない」
「何を」
「あいつが俺を、」
「気付いてるはずだ」
「本当に、俺の・・・・・ため・・・?」

あのような事件が起きないよう、所謂悪い虫がつかないよう、怒っていたのではないか。

「てか、俺の、せい?」

あんな父親にしたのは、自分だったというのか。

「ユタカのせいではない」

楓はきっぱりと言った。

「道を踏み外したのは、あちらの方だ。それに、」

楓は一度言葉を切る。豊高は待ったが、楓はそれきり黙ってしまった。長い沈黙のあと、ようやく重い口を開く。

「・・・・・離れるしか、術はないだろう」

豊高は眉をひそめる。黙っている間、楓の目は一度左右に彷徨い、何か考えている気がした。

「・・・・・嘘だ」

ここまできて、隠し立てをすることに苛ついた。捲し立てようとすると、楓が牽制する。

「ユタカ」
「なんだよ」
「言ってはいけないと思っていたことがある」

楓は思いつめたように眉根を寄せ、口元を硬ばらせている。

「だからなんだよ」

楓は豊高を真っ直ぐ見据えた。

「好きだ」

ストレートな言葉に胸を射抜かれ、瞬く間に赤面する。楓の目は真剣そのものだった。

「な、なんだよいきなり」
「ユタカは?」
「え・・・」
「お前はどうなんだと聞いている」

豊高は先程から狼狽えてばかりいる。いや、その、あの、と顔を真っ赤にしながら口の中で言葉を転がす。誤魔化しは楓の真っ直ぐな目が許さなかった。
豊高は今にもべそをかきそうな顔で

「・・・・・・嫌いだ、お前なんか」

そう言って、ふいと顔を背けた。耳まで赤く染まっている。
楓は、フッと息を漏らし、寂しげに微笑んだ。豊高はそんな楓をキッと睨んだかと思えば、きつく目を瞑り、身を乗り出し、噛み付くようにキスをした。
楓が目を見開き驚いた表情を見せると、やってやったとばかりに鼻を鳴らした。楓はどこか満足そうに、それで充分だ、と零した。
不意に、どこからか携帯電話の着信音が鳴る。楓はポケットから携帯電話を取り出すと、もう行かなければ、と告げた。

「待てよ、どこ行くんだよ」

楓は答えない。立ち上がり、椅子を整えると黙ってキッチンを出た。

「携帯持ってんなら連絡先教えろよ」

楓は豊高に背を向けたまま、黒いスニーカーに踵を押し込んでいる。

「いい加減にしろよ、俺の質問に一つも答えてないだろ」

豊高は、一度唇をひき結んで、意を決して聞いた。

「"楓"っていう名前だって、嘘なんじゃないのか」

楓は靴を履き終えると、振り向いて

「同じだ」

と豊高を指差した。

「え?」
「カシワギユタカ」

今度は楓が自身を指差す。

「マジかよお前・・・」

豊高は頭を抱え、ため息を吐く。

「何から何まで嘘かよ、ふざけんな」
「もう一つ、教えてやる」

彼は豊高の耳元で囁いた。思わず声を上げて驚愕する豊高に、続いて耳打ちする。

「なんだよ、それ」
「よく調べておけ・・・じゃあな」

豊高の頭をくしゃりと撫で、彼は去って行った。

豊高は暫く呆然としていた。楓の告白、本当の名前、そしてーーー
しかし、思い返せば納得する部分もあった。
あの、中性的な雰囲気に細い身体、小さな手、顔の輪郭を隠す長い髪。また、あんな事件があったにもかかわらず、簡単に心を許してしまった理由。

未だに頭に渦巻いて、混乱している。
楓は何を言いたかったのか、何を伝えたかったのか、何をしに来たのか。

ーーーーーーじゃあな

最後の声が頭に響く。別れを言いにきたのだと、直感した。

途端、豊高の携帯電話が鳴った。

『豊高くん、三村だ』
「あ、三村さん、さっき」
『ごめん、俺は行かなきゃ。豊高君は家にいてくれ』
「三村さん、楓は、」
『さっき車に乗っていった。まずいぞ、彼は、1人で立花康平に会う気だ』

豊高の顔がサッと青くなった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした

月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。 人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。 高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。 一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。 はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。 次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。 ――僕は、敦貴が好きなんだ。 自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。 エブリスタ様にも掲載しています(完結済) エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位 ◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。 応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。 ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。 『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――

天海みつき
BL
 族の総長と副総長の恋の話。  アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。  その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。 「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」  学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。  族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。  何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

視線の先

茉莉花 香乃
BL
放課後、僕はあいつに声をかけられた。 「セーラー服着た写真撮らせて?」 ……からかわれてるんだ…そう思ったけど…あいつは本気だった ハッピーエンド 他サイトにも公開しています

【BL】記憶のカケラ

樺純
BL
あらすじ とある事故により記憶の一部を失ってしまったキイチ。キイチはその事故以来、海辺である男性の後ろ姿を追いかける夢を毎日見るようになり、その男性の顔が見えそうになるといつもその夢から覚めるため、その相手が誰なのか気になりはじめる。 そんなキイチはいつからか惹かれている幼なじみのタカラの家に転がり込み、居候生活を送っているがタカラと幼なじみという関係を壊すのが怖くて告白出来ずにいた。そんな時、毎日見る夢に出てくるあの後ろ姿を街中で見つける。キイチはその人と会えば何故、あの夢を毎日見るのかその理由が分かるかもしれないとその後ろ姿に夢中になるが、結果としてそのキイチのその行動がタカラの心を締め付け過去の傷痕を抉る事となる。 キイチが忘れてしまった記憶とは? タカラの抱える過去の傷痕とは? 散らばった記憶のカケラが1つになった時…真実が明かされる。 キイチ(男) 中二の時に事故に遭い記憶の一部を失う。幼なじみであり片想いの相手であるタカラの家に居候している。同じ男であることや幼なじみという関係を壊すのが怖く、タカラに告白出来ずにいるがタカラには過保護で尽くしている。 タカラ(男) 過去の出来事が忘れられないままキイチを自分の家に居候させている。タカラの心には過去の出来事により出来てしまった傷痕があり、その傷痕を癒すことができないまま自分の想いに蓋をしキイチと暮らしている。 ノイル(男) キイチとタカラの幼なじみ。幼なじみ、男女7人組の年長者として2人を落ち着いた目で見守っている。キイチの働くカフェのオーナーでもあり、良き助言者でもあり、ノイルの行動により2人に大きな変化が訪れるキッカケとなる。 ミズキ(男) 幼なじみ7人組の1人でもありタカラの親友でもある。タカラと同じ職場に勤めていて会社ではタカラの執事くんと呼ばれるほどタカラに甘いが、恋人であるヒノハが1番大切なのでここぞと言う時は恋人を優先する。 ユウリ(女) 幼なじみ7人組の1人。ノイルの経営するカフェで一緒に働いていてノイルの彼女。 ヒノハ(女) 幼なじみ7人組の1人。ミズキの彼女。ミズキのことが大好きで冗談半分でタカラにライバル心を抱いてるというネタで場を和ませる。 リヒト(男) 幼なじみ7人組の1人。冷静な目で幼なじみ達が恋人になっていく様子を見守ってきた。 謎の男性 街でキイチが見かけた毎日夢に出てくる後ろ姿にそっくりな男。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

処理中です...