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22.紅雨
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家に帰ると、当然のようにマンションの前に楓が待ち構えていた。豊高の全身をじっと眺める。
「・・・・・家に、帰ったんだな」
表情の濃淡が淡いのはいつものことだが、瞳の奥でチリッと小さく火花が散った。
「・・・・・ごめん、でも、何もなかったから」
楓は益々表情を強張らせる。
「ごめん・・・なさい」
「・・・・・」
楓はつかつかと歩き豊高の目の前まで来ると、豊高の顎を掴んで正面を向かせた。
「・・・怪我は?」
「なかった」
言い終わらないうちに、楓に抱き締められ豊高は狼狽える。誰かに見られていないか、瞬時に神経を張り巡らせた。
「ごめん、ここ外だから」
楓は名残惜しそうに離れる。
「あのさ、今日は帰って。楓ん家には行けない」
豊高は握った手に爪を立てる。
「・・・・・ちょっと今、余裕ない」
昨夜、家に帰っていたら
楓の家に行かなかったら
楓が、連れて行かなかったら
そう思わずにいられなかった。
感情のままに喚き、楓を責め立ててしまいそうだった。
「・・・帰れよっ!」
怒りや憤りが吹き出し、豊高は焦り始める。抑えきれなくなりそうだった。
「なにがあった?」
あくまで静かな楓の声に、脳が沸騰する思いだった。
「・・・・・っ」
脳の神経が、焼き切れそうになる。頭痛がひどい。
「母さんが、入院してる」
楓は目を見開いた。
「・・・・・父さ、あの男に・・・」
唇が、肩が震えていた。怒りと悔しさで視界が熱く滲む。楓は察したらしく、
「わかった・・・」
と言葉を重々しく断ち切った。
「俺が、悪かった」
豊高はどこまでも冷静な楓に、発作的に拳を肩まで振り上げた。父親の顔がよぎったが、制止できず楓の顔に目掛けて振り抜いた。倒れこそしなかったが、楓の頬がみるみるうちに腫れあがる。豊高は拳を凝視しながら、ゆっくりと指を解き愕然とした。
怒りは爆散したが、嫌悪感が広がっていく。骨や肉を捉えた感触が、音が、何度も再生される。あの男と同じ血が流れているのだと思うと眩暈がした。
「・・・・・大丈夫だ」
楓の手が豊高の手をそっととる。腫れていく頬を押さえることもなく、豊高を見つめる。
「お前は、父親とは違う」
楓は、目に涙を溜めた豊高の頭を優しく撫でた。
豊高は楓を家に上げ、頬の手当てをした。保冷剤をタオルに包み楓に渡す。
「・・・・・ごめん」
豊高はようやく謝罪することができた。
「いい」
楓はタオルを受け取り頬に当てる。保冷剤の冷気に、微かに吐息が白く曇った。気怠げに頬杖を付き、しなやかな指が纏わりつく。楓は何をしても色香が付きまとっていた。
豊高は、艶かしいが見てはいけないものを見てしまったような、妙な居心地の悪さを覚えて目を逸らした。ティーパックで淹れた紅茶を差し出す。
「こんなんしかないけど」
「ああ」
楓は少し口角を上げた。柔らかな表情が見られほっとする。
と、豊高の携帯電話が震えた。三村、という名前が表示されていた。心臓がひやりとする。楓に断って席を立つと、恐る恐る耳に当てる。
『もしもし、無事だった?』
「はい、ありがとうございます」
『さっき、一緒に入っていった人がカエデさん?』
エに濁点がついた様な音が喉から漏れた。抱きつかれた所や殴ってしまった所を見られたと思うと、顔から火が出そうだった。
『ごめん、君一人で帰す訳には行かなかったし・・・。ところで、あの人、カエデさんでよかったんだよね』
豊高の頭に疑問符が浮かぶ。
『・・・名前が違うんじゃ人違いかな・・・』
三村の呟きに、息が止まりそうになった。
まさか、そんな、と楓の方を見る。
楓は豊高と目が合うと、何のことかわからないという風に瞬きした。あり得ないとは言い切れないのが不安を掻き立てる。信じたくないが、彼は嘘や隠し事が多すぎる。
「何かあったのか」
楓は極力小さな声で聞いた。
「あ、えっと・・・」
『ああそうだ、お母さん思ったより早く退院出来るみたいだよ』
「あ、わかりました。ありがとうございます」
『もうしばらく下に居るから、何かあったら連絡して』
豊高は礼を言うと、通話を切った。
「母さん、すぐ退院できるって」
「よかったな」
楓は目元を緩める。いつもと同じ笑みなのに、急に得体の知れない存在に見えてくる。
「三村さん。
って人が教えてくれた。心療内科医の」
楓の視線が左に流れた。何かを思い出す時のように。豊高は楓の反応を待つ。楓はそうか、とだけ短く答えた。次の質問をすることにした。
「楓は、親父と知り合いなの?」
「・・・・・座ったらどうだ?」
「誤魔化すなって」
豊高が睨み付けると、楓は観念したように、重々しく口を開く。
「・・・ああ」
と簡潔に肯定した。
「いつから?」
「・・・・・」
「楓なんで殴られたの?」
楓は黙ったままだった。豊高が納得するような答えを探しているようだった。豊高は容赦なく質問を矢継ぎ早に浴びせた。
「どういう知り合いだった?母さんは知ってた?いつ知り合ったの?
ーーーーー殺されるって、どういうことだよ」
楓はなおも言い淀んでいる。豊高の不安が膨らんでいく。
「どういうことだよっ・・・・!」
豊高は必死だった。
「アイツがクソ野郎だってことはとっくに分かってるよ!何言われてもショック受けるとかないから」
楓の顔に苦々しさが広がる。
「立花康平は、お前を愛している」
豊高は混乱した。暴力を振るう父親が、なぜ自分を愛していると言えるのか。
「そんなわけないだろ!」
豊高には父親の拳に乗せられた感情がそれとは思えなかった。思い通りにならない怒り。それしか、感じられなかった。
「あいつは、全部自分の思い通りにしたいだけだ!最低なヤツなんだ!」
それを皮切りに、豊高の口から弾丸のように罵詈雑言が飛び出す。しかし表情は銃弾を浴びたかのように苦痛に満ちていた。
楓は、ただ悲しげな顔をするのみだった。
やがて豊高は脳からも喉からも力を使い果たし、口をきかなくなった。
「気は済んだか?」
楓は尋ねる。
「・・・ムカつく」
豊高は俯いた。感情のままわめき散らし、自分が幼稚な人間に思えたのだ。
「なぜ、立花康平がお前に手を挙げるようになったか、考えたことはあるか?」
「そんなの・・・・・」
なぜか、幸せな家族の情景が目に浮かんだ。あの、夢で見た親子3人の姿が。
ーーーー昔から、豊高には甘かったものね
そう、昔は、厳しかったが今ほどではなかった。
小学校、中学校に上がるにつれ、言い換えれば、成績が意味を持つようになるにつれ、厳しくなっていった。反抗期もあり、父親とぶつかる事がしばしばあった。
父親と対立する決定的な引き金になったのが、あの中学生最後の年の事件だった。父親は豊高のすべてを拒絶し、豊高は父親のすべてを諦めた。その癖、気に入らないことがあると暴力を振るう。
そうだ、ここからだ。父親が暴力を振るうようになったのは。覚えている範囲では、男性社員と揉めたり、帰りが遅くなったり、石蕗を家に上げたりした時だ。
ふと、何かが頭をかすめた気がした。
正直、豊高はそのよぎった考えを認めたくなかった。
「・・・楓」
「なんだ」
「やっぱり、俺は、認めない」
「何を」
「あいつが俺を、」
「気付いてるはずだ」
「本当に、俺の・・・・・ため・・・?」
あのような事件が起きないよう、所謂悪い虫がつかないよう、怒っていたのではないか。
「てか、俺の、せい?」
あんな父親にしたのは、自分だったというのか。
「ユタカのせいではない」
楓はきっぱりと言った。
「道を踏み外したのは、あちらの方だ。それに、」
楓は一度言葉を切る。豊高は待ったが、楓はそれきり黙ってしまった。長い沈黙のあと、ようやく重い口を開く。
「・・・・・離れるしか、術はないだろう」
豊高は眉をひそめる。黙っている間、楓の目は一度左右に彷徨い、何か考えている気がした。
「・・・・・嘘だ」
ここまできて、隠し立てをすることに苛ついた。捲し立てようとすると、楓が牽制する。
「ユタカ」
「なんだよ」
「言ってはいけないと思っていたことがある」
楓は思いつめたように眉根を寄せ、口元を硬ばらせている。
「だからなんだよ」
楓は豊高を真っ直ぐ見据えた。
「好きだ」
ストレートな言葉に胸を射抜かれ、瞬く間に赤面する。楓の目は真剣そのものだった。
「な、なんだよいきなり」
「ユタカは?」
「え・・・」
「お前はどうなんだと聞いている」
豊高は先程から狼狽えてばかりいる。いや、その、あの、と顔を真っ赤にしながら口の中で言葉を転がす。誤魔化しは楓の真っ直ぐな目が許さなかった。
豊高は今にもべそをかきそうな顔で
「・・・・・・嫌いだ、お前なんか」
そう言って、ふいと顔を背けた。耳まで赤く染まっている。
楓は、フッと息を漏らし、寂しげに微笑んだ。豊高はそんな楓をキッと睨んだかと思えば、きつく目を瞑り、身を乗り出し、噛み付くようにキスをした。
楓が目を見開き驚いた表情を見せると、やってやったとばかりに鼻を鳴らした。楓はどこか満足そうに、それで充分だ、と零した。
不意に、どこからか携帯電話の着信音が鳴る。楓はポケットから携帯電話を取り出すと、もう行かなければ、と告げた。
「待てよ、どこ行くんだよ」
楓は答えない。立ち上がり、椅子を整えると黙ってキッチンを出た。
「携帯持ってんなら連絡先教えろよ」
楓は豊高に背を向けたまま、黒いスニーカーに踵を押し込んでいる。
「いい加減にしろよ、俺の質問に一つも答えてないだろ」
豊高は、一度唇をひき結んで、意を決して聞いた。
「"楓"っていう名前だって、嘘なんじゃないのか」
楓は靴を履き終えると、振り向いて
「同じだ」
と豊高を指差した。
「え?」
「カシワギユタカ」
今度は楓が自身を指差す。
「マジかよお前・・・」
豊高は頭を抱え、ため息を吐く。
「何から何まで嘘かよ、ふざけんな」
「もう一つ、教えてやる」
彼は豊高の耳元で囁いた。思わず声を上げて驚愕する豊高に、続いて耳打ちする。
「なんだよ、それ」
「よく調べておけ・・・じゃあな」
豊高の頭をくしゃりと撫で、彼は去って行った。
豊高は暫く呆然としていた。楓の告白、本当の名前、そしてーーー
しかし、思い返せば納得する部分もあった。
あの、中性的な雰囲気に細い身体、小さな手、顔の輪郭を隠す長い髪。また、あんな事件があったにもかかわらず、簡単に心を許してしまった理由。
未だに頭に渦巻いて、混乱している。
楓は何を言いたかったのか、何を伝えたかったのか、何をしに来たのか。
ーーーーーーじゃあな
最後の声が頭に響く。別れを言いにきたのだと、直感した。
途端、豊高の携帯電話が鳴った。
『豊高くん、三村だ』
「あ、三村さん、さっき」
『ごめん、俺は行かなきゃ。豊高君は家にいてくれ』
「三村さん、楓は、」
『さっき車に乗っていった。まずいぞ、彼は、1人で立花康平に会う気だ』
豊高の顔がサッと青くなった。
「・・・・・家に、帰ったんだな」
表情の濃淡が淡いのはいつものことだが、瞳の奥でチリッと小さく火花が散った。
「・・・・・ごめん、でも、何もなかったから」
楓は益々表情を強張らせる。
「ごめん・・・なさい」
「・・・・・」
楓はつかつかと歩き豊高の目の前まで来ると、豊高の顎を掴んで正面を向かせた。
「・・・怪我は?」
「なかった」
言い終わらないうちに、楓に抱き締められ豊高は狼狽える。誰かに見られていないか、瞬時に神経を張り巡らせた。
「ごめん、ここ外だから」
楓は名残惜しそうに離れる。
「あのさ、今日は帰って。楓ん家には行けない」
豊高は握った手に爪を立てる。
「・・・・・ちょっと今、余裕ない」
昨夜、家に帰っていたら
楓の家に行かなかったら
楓が、連れて行かなかったら
そう思わずにいられなかった。
感情のままに喚き、楓を責め立ててしまいそうだった。
「・・・帰れよっ!」
怒りや憤りが吹き出し、豊高は焦り始める。抑えきれなくなりそうだった。
「なにがあった?」
あくまで静かな楓の声に、脳が沸騰する思いだった。
「・・・・・っ」
脳の神経が、焼き切れそうになる。頭痛がひどい。
「母さんが、入院してる」
楓は目を見開いた。
「・・・・・父さ、あの男に・・・」
唇が、肩が震えていた。怒りと悔しさで視界が熱く滲む。楓は察したらしく、
「わかった・・・」
と言葉を重々しく断ち切った。
「俺が、悪かった」
豊高はどこまでも冷静な楓に、発作的に拳を肩まで振り上げた。父親の顔がよぎったが、制止できず楓の顔に目掛けて振り抜いた。倒れこそしなかったが、楓の頬がみるみるうちに腫れあがる。豊高は拳を凝視しながら、ゆっくりと指を解き愕然とした。
怒りは爆散したが、嫌悪感が広がっていく。骨や肉を捉えた感触が、音が、何度も再生される。あの男と同じ血が流れているのだと思うと眩暈がした。
「・・・・・大丈夫だ」
楓の手が豊高の手をそっととる。腫れていく頬を押さえることもなく、豊高を見つめる。
「お前は、父親とは違う」
楓は、目に涙を溜めた豊高の頭を優しく撫でた。
豊高は楓を家に上げ、頬の手当てをした。保冷剤をタオルに包み楓に渡す。
「・・・・・ごめん」
豊高はようやく謝罪することができた。
「いい」
楓はタオルを受け取り頬に当てる。保冷剤の冷気に、微かに吐息が白く曇った。気怠げに頬杖を付き、しなやかな指が纏わりつく。楓は何をしても色香が付きまとっていた。
豊高は、艶かしいが見てはいけないものを見てしまったような、妙な居心地の悪さを覚えて目を逸らした。ティーパックで淹れた紅茶を差し出す。
「こんなんしかないけど」
「ああ」
楓は少し口角を上げた。柔らかな表情が見られほっとする。
と、豊高の携帯電話が震えた。三村、という名前が表示されていた。心臓がひやりとする。楓に断って席を立つと、恐る恐る耳に当てる。
『もしもし、無事だった?』
「はい、ありがとうございます」
『さっき、一緒に入っていった人がカエデさん?』
エに濁点がついた様な音が喉から漏れた。抱きつかれた所や殴ってしまった所を見られたと思うと、顔から火が出そうだった。
『ごめん、君一人で帰す訳には行かなかったし・・・。ところで、あの人、カエデさんでよかったんだよね』
豊高の頭に疑問符が浮かぶ。
『・・・名前が違うんじゃ人違いかな・・・』
三村の呟きに、息が止まりそうになった。
まさか、そんな、と楓の方を見る。
楓は豊高と目が合うと、何のことかわからないという風に瞬きした。あり得ないとは言い切れないのが不安を掻き立てる。信じたくないが、彼は嘘や隠し事が多すぎる。
「何かあったのか」
楓は極力小さな声で聞いた。
「あ、えっと・・・」
『ああそうだ、お母さん思ったより早く退院出来るみたいだよ』
「あ、わかりました。ありがとうございます」
『もうしばらく下に居るから、何かあったら連絡して』
豊高は礼を言うと、通話を切った。
「母さん、すぐ退院できるって」
「よかったな」
楓は目元を緩める。いつもと同じ笑みなのに、急に得体の知れない存在に見えてくる。
「三村さん。
って人が教えてくれた。心療内科医の」
楓の視線が左に流れた。何かを思い出す時のように。豊高は楓の反応を待つ。楓はそうか、とだけ短く答えた。次の質問をすることにした。
「楓は、親父と知り合いなの?」
「・・・・・座ったらどうだ?」
「誤魔化すなって」
豊高が睨み付けると、楓は観念したように、重々しく口を開く。
「・・・ああ」
と簡潔に肯定した。
「いつから?」
「・・・・・」
「楓なんで殴られたの?」
楓は黙ったままだった。豊高が納得するような答えを探しているようだった。豊高は容赦なく質問を矢継ぎ早に浴びせた。
「どういう知り合いだった?母さんは知ってた?いつ知り合ったの?
ーーーーー殺されるって、どういうことだよ」
楓はなおも言い淀んでいる。豊高の不安が膨らんでいく。
「どういうことだよっ・・・・!」
豊高は必死だった。
「アイツがクソ野郎だってことはとっくに分かってるよ!何言われてもショック受けるとかないから」
楓の顔に苦々しさが広がる。
「立花康平は、お前を愛している」
豊高は混乱した。暴力を振るう父親が、なぜ自分を愛していると言えるのか。
「そんなわけないだろ!」
豊高には父親の拳に乗せられた感情がそれとは思えなかった。思い通りにならない怒り。それしか、感じられなかった。
「あいつは、全部自分の思い通りにしたいだけだ!最低なヤツなんだ!」
それを皮切りに、豊高の口から弾丸のように罵詈雑言が飛び出す。しかし表情は銃弾を浴びたかのように苦痛に満ちていた。
楓は、ただ悲しげな顔をするのみだった。
やがて豊高は脳からも喉からも力を使い果たし、口をきかなくなった。
「気は済んだか?」
楓は尋ねる。
「・・・ムカつく」
豊高は俯いた。感情のままわめき散らし、自分が幼稚な人間に思えたのだ。
「なぜ、立花康平がお前に手を挙げるようになったか、考えたことはあるか?」
「そんなの・・・・・」
なぜか、幸せな家族の情景が目に浮かんだ。あの、夢で見た親子3人の姿が。
ーーーー昔から、豊高には甘かったものね
そう、昔は、厳しかったが今ほどではなかった。
小学校、中学校に上がるにつれ、言い換えれば、成績が意味を持つようになるにつれ、厳しくなっていった。反抗期もあり、父親とぶつかる事がしばしばあった。
父親と対立する決定的な引き金になったのが、あの中学生最後の年の事件だった。父親は豊高のすべてを拒絶し、豊高は父親のすべてを諦めた。その癖、気に入らないことがあると暴力を振るう。
そうだ、ここからだ。父親が暴力を振るうようになったのは。覚えている範囲では、男性社員と揉めたり、帰りが遅くなったり、石蕗を家に上げたりした時だ。
ふと、何かが頭をかすめた気がした。
正直、豊高はそのよぎった考えを認めたくなかった。
「・・・楓」
「なんだ」
「やっぱり、俺は、認めない」
「何を」
「あいつが俺を、」
「気付いてるはずだ」
「本当に、俺の・・・・・ため・・・?」
あのような事件が起きないよう、所謂悪い虫がつかないよう、怒っていたのではないか。
「てか、俺の、せい?」
あんな父親にしたのは、自分だったというのか。
「ユタカのせいではない」
楓はきっぱりと言った。
「道を踏み外したのは、あちらの方だ。それに、」
楓は一度言葉を切る。豊高は待ったが、楓はそれきり黙ってしまった。長い沈黙のあと、ようやく重い口を開く。
「・・・・・離れるしか、術はないだろう」
豊高は眉をひそめる。黙っている間、楓の目は一度左右に彷徨い、何か考えている気がした。
「・・・・・嘘だ」
ここまできて、隠し立てをすることに苛ついた。捲し立てようとすると、楓が牽制する。
「ユタカ」
「なんだよ」
「言ってはいけないと思っていたことがある」
楓は思いつめたように眉根を寄せ、口元を硬ばらせている。
「だからなんだよ」
楓は豊高を真っ直ぐ見据えた。
「好きだ」
ストレートな言葉に胸を射抜かれ、瞬く間に赤面する。楓の目は真剣そのものだった。
「な、なんだよいきなり」
「ユタカは?」
「え・・・」
「お前はどうなんだと聞いている」
豊高は先程から狼狽えてばかりいる。いや、その、あの、と顔を真っ赤にしながら口の中で言葉を転がす。誤魔化しは楓の真っ直ぐな目が許さなかった。
豊高は今にもべそをかきそうな顔で
「・・・・・・嫌いだ、お前なんか」
そう言って、ふいと顔を背けた。耳まで赤く染まっている。
楓は、フッと息を漏らし、寂しげに微笑んだ。豊高はそんな楓をキッと睨んだかと思えば、きつく目を瞑り、身を乗り出し、噛み付くようにキスをした。
楓が目を見開き驚いた表情を見せると、やってやったとばかりに鼻を鳴らした。楓はどこか満足そうに、それで充分だ、と零した。
不意に、どこからか携帯電話の着信音が鳴る。楓はポケットから携帯電話を取り出すと、もう行かなければ、と告げた。
「待てよ、どこ行くんだよ」
楓は答えない。立ち上がり、椅子を整えると黙ってキッチンを出た。
「携帯持ってんなら連絡先教えろよ」
楓は豊高に背を向けたまま、黒いスニーカーに踵を押し込んでいる。
「いい加減にしろよ、俺の質問に一つも答えてないだろ」
豊高は、一度唇をひき結んで、意を決して聞いた。
「"楓"っていう名前だって、嘘なんじゃないのか」
楓は靴を履き終えると、振り向いて
「同じだ」
と豊高を指差した。
「え?」
「カシワギユタカ」
今度は楓が自身を指差す。
「マジかよお前・・・」
豊高は頭を抱え、ため息を吐く。
「何から何まで嘘かよ、ふざけんな」
「もう一つ、教えてやる」
彼は豊高の耳元で囁いた。思わず声を上げて驚愕する豊高に、続いて耳打ちする。
「なんだよ、それ」
「よく調べておけ・・・じゃあな」
豊高の頭をくしゃりと撫で、彼は去って行った。
豊高は暫く呆然としていた。楓の告白、本当の名前、そしてーーー
しかし、思い返せば納得する部分もあった。
あの、中性的な雰囲気に細い身体、小さな手、顔の輪郭を隠す長い髪。また、あんな事件があったにもかかわらず、簡単に心を許してしまった理由。
未だに頭に渦巻いて、混乱している。
楓は何を言いたかったのか、何を伝えたかったのか、何をしに来たのか。
ーーーーーーじゃあな
最後の声が頭に響く。別れを言いにきたのだと、直感した。
途端、豊高の携帯電話が鳴った。
『豊高くん、三村だ』
「あ、三村さん、さっき」
『ごめん、俺は行かなきゃ。豊高君は家にいてくれ』
「三村さん、楓は、」
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