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17.風雨

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「なあ、お前、昨日どうした?」

朝一番で、自転車置き場を通り過ぎた際、石蕗に会った。石蕗は眉を下げ、心配そうな表情を作っていた。

「・・・・・いえ、別に」

咎められることはしていないにもかかわらず、咄嗟に目を逸らしてしまった。

「赤松もそう言ってた」

石蕗は溜息をつく。

「赤松?」
「昨日話してただろ?」

豊高はあの男子生徒のことだとようやくわかった。

「ああ・・・・・」
「ケンカ?」
「ほっといてくださいよ。子どもじゃないんだし」
「気になっただけだよ。お前が怒るの珍しいなって」

石蕗は優しい眼差しを送る。豊高はそれに負け、唇を尖らせながらも素直に答える。

「ジロジロ見るから、イライラして・・・・・」
「チンピラかお前は」

石蕗は呆れたように笑う。

「ま、仲良くしてやれよ、そんな悪いヤツじゃないから」
「それは・・・・・」

豊高は口ごもる。
今までの豊高なら、好奇の視線や白い目で見られることなどしょっちゅうで、気に留めることでも無くなっていた。
だが、あの男子生徒ーーー赤松の絡みつくような視線は、何処か違う気がしていた。
油の膜のかかったようなギラギラした目がなんとも言えず不気味だった。それを上手く言葉に表せず、豊高は黙るしかなかった。
石蕗は二カッと笑い、じゃあな、と玄関に走って行ってしまった。
やけに早足だと玄関に目をやれば、小柄な背中に黒髪がさらさらと流れる後ろ姿ーーー吉野の姿があり納得した。
靴を脱ぎかけた吉野に後ろから抱きつこうとするが、丁度吉野が上体を起こし顎に頭突きを食らっていた。
吉野と話す機会を持ったからか、以前のような嫉妬心は湧かなかった。頭と顎を押さえ悶える二人に、豊高は自然と笑みを浮かべていた。
豊高の”敵”は、確実に1人減っていた。
教室に入ると、嫌でも赤松の存在が目についた。
教室の一番前の、左端の席に背中を丸めて座り、冬の乾いた日差しを受けていた。光合成する観葉植物のように静かで、風景に溶け込んでいた。
豊高は、目立たないわけだ、と感じながら教室の一番真ん中の、自分の席に向かう。
よく他の生徒がグループで話すのに陣取っており、豊高は登校する度溜息をつくことになる。今朝も女子生徒たちが小鳥のように口をぱくぱくさせ高い声で話に花を咲かせている。
豊高が近づくと、途端に猛禽のような鋭い目付きになり、自分の縄張りを取られたと言わんばかりに別の席に移動する。

「・・・・・ごめん」

豊高は自然とつぶやいていた。女子生徒たちは目を丸くし、

「あ、ううん、なんかごめんね」

と愛想笑いを浮かべた。その後顔を付き合わせ

「喋った!?」
「喋ったよね!」
「初めてじゃない!?」

と興奮気味にひそひそ話す。
しっかり聞こえていた豊高は失礼な、と不愉快になる。

「意外と普通なんだね・・・・・」

そう誰かがつぶやいたことに、まだ誰も気付かなかった。

ーーーー検定は冬休み前の週末にあった。
土曜日の学校に、分厚いコートやマフラー姿の学生らがちらほら集まる。
貴重な休日に集められたためか、この後用事が控えているためか、一夜漬けしたためか、一様にどんよりとした表情であり、それは教師も例外でなかった。
コンピュータ部の部長を除いて。

「おっす!」

快活な声が耳に届いた。
ポケットに手を入れ、白い息を吐きながら駆けていく。紺と白の細かい縞の入ったマフラーの端がぱたぱた跳ねていた。

「元気だなぁ・・・・・」

豊高は寒さに肩を竦めながら、マフラーで口元を隠し言った。眼鏡が薄く曇る。

「あ、そうだ、立花」
「うおぅ!」

下駄箱から上履きを取り出した瞬間声を掛けられ、奇声が上がった。

「え、なんスか?」

豊高は瞬きする。

「検定昼までだからさ、遊びにいかね?」
「え・・・・・・?」

石蕗はニコニコしたまま返事を待っている。豊高は特に何も考えず、いや、考えられず、頷いた。

「よし、じゃあまたな!」

パタパタと廊下を走る石蕗の背中が小さくなっていく。豊高は上履きを手にぶら下げたまま立ち尽くしていた。石蕗の言葉をゆっくり反芻する。体の芯から熱くなる。マフラーを口元までぐっと引き上げた。
検定の間も、緩む口元を引き締めるのに必死だった。

試験が終わり玄関に向かうと、石蕗を始めコンピュータ部の男子生徒が集まっていた。
豊高は嫌な予感がした。

「あ、立花、一年終わったか?」

石蕗は笑いかけるが、周りの男子生徒は眉をひそめ誰だかうかがっている。

「終わりましたよ」
「おつかれ」
「あの、何人で・・・・」
「ん?俺と、お前と、あっ」

石蕗は目を輝かせた。振り返ると吉野踊子が長い髪をゆらゆらさせながら歩いてきた。

「じゃーな!行くぞ立花」

男子生徒たちに別れを告げ、石蕗は吉野の元に駆けていく。豊高はゆっくり歩きなるべく近づかないようにした。男子生徒たちの方を見ると、すでに喋り始めていた。
豊高は冷や汗をかきはじめていた。
まさか、と思ったが、恐る恐る口にする。

「あの、遊ぶメンバーって、」
「ん?俺と、ヨウコと、お前」

目眩がした。

「帰ります」

豊高が踵を返そうとしたが、吉野の腕が引き止める。拗ねた子どものような表情だった。

「だめ?」

恋人同士の間に入り過ごすことなど、苦痛でしかない。豊高は

「お二人の邪魔になるんで」

と答えておいた。

「じゃ、もう一人呼ぶか。あ、・・・・・おう、赤松!」
「行きましょう」

豊高は即答した。
「ずっとお前と遊びたいなって思っててさ。そしたら、踊子もって」

石蕗は繁華街を歩きながらにこやかに言う。
赤や緑、白に銀と言ったクリスマスカラーに彩られた街は高揚感を煽っている。
しかし、吉野は無表情で豊高は罰の悪そうな表情だ。高身長の石蕗が頭一つ分背の低い男子と更に頭一つ分低い女子を引き連れ歩く様は、不機嫌で小さなきょうだいの面倒をみている兄のように見えた。

「センパイは、あ、石蕗先輩は、いいんですか、そういうの」
「超嫉妬する」

一瞬真顔になりどきりとしたが、すぐ笑顔に戻る。豊高は赤面しそうになり、マフラーを引き上げる。しかし、横から吉野の大きな瞳が覗き込んだ。

「・・・・・かわいい」

逃げ場はない。豊高は帰りたくなった。

「あー腹減った。何食べる?」
「なんでも・・・・・」
「私も」
「じゃああそこで」

石蕗はチェーン店のファミレスを指差す。
店内に入るとむわりと暖房の熱がまとわりつき、食べ物の匂いが鼻腔を通って空腹感を刺激する。
豊高はドリアを単品で注文し、少食だな、と石蕗を驚かせ、そんな石蕗は吉野に

「・・・・・卓、貴方が食べ過ぎなの」

と呆れられた。

「普通だって」

所狭しと置かれたチキンとフライドポテト、さらにドリアに豊高も若干胸焼けした。吉野はペスカトーレスパゲティにフォークをくるくる巻きつける。 

「絶対おかしい。運動しないのになんで太らないの?」
「はあ?運動ならお前ぐふっ」

机の下で何やら鈍い音がしガタンと机が揺れた。

「下品」

吉野は顔を真っ赤にさせていた。
豊高はホワイトソースとミートソースを絡めたドリアを口に運びながら、やることはやっているのだなと石蕗をちらりと見る。
腹を押さえながら悶絶する石蕗と冷たい視線を送る吉野を、どこかテレビを視聴する気分眺めていた。
すると、吉野と目が合った。吉野は目を伏せごめんね、と呟く。

「え?」
「私たちだけ喋っちゃって」
「いえ、見ていて面白いですよ」

吉野は照れ臭そうに、もう、とむくれる。豊高は可愛らしさを感じ頬を緩めた。石蕗は目を細めながら2人の様子を見ていた。そしてそっと呟く。

「なんか、お前らの方が」

吉野と豊高は同時にえっ、と石蕗の方を見る。
きょとんとしたあどけない表情に石蕗は吹き出し、

「何でもねえよ」

とポテトをつまんだ。
ファミレスを出ると、すかさず冷たい風が顔を撫でる料理と暖房で熱を孕んだ身体には心地よかった。

「で、どこ行くんスか」
「ゲーセン」

豊高は吉野をちらりと見た。吉野の物静かな雰囲気とは不釣り合いな場所に思えた。

「大丈夫。よく行くから」

吉野は淡々と答えながら、目を爛々とさせていた。豊高はたじろく。

「意外と負けず嫌いだぞー」

石蕗は愉快そうに言った。
石蕗の言った通り、吉野はアイスホッケーやシューティングゲームでやりこんだ手捌きを見せた。澄ました表情をしながら、手指は猛烈な勢いで高いスコアを弾き出していく。石蕗が勝てば睨みつけ、自分が勝てばどこかスッキリした表情を見せた。豊高はゲームセンターに出入りした経験はほとんど無く、結果は惨敗に終わった。
UFOキャッチャーをじっと見つめる吉野に、「やらないんですか」と尋ねるが、「取れるまでやっちゃうから」と悔しそうな表情が返ってきた。
豊高は何気無く、だらけたクマのぬいぐるみを取るべくコインを投入する。すると、たまたまタグにアームが引っかかり、ぽとりと取り出し口に落ちてきた。
吉野は目をキラキラさせ、すごい!すごい!と豊高を褒めちぎった。
いや、たまたまで・・・と、豊高はたじろきオロオロしている。石蕗は微笑ましそうに眺めていた。

吉野を送り届けた後、石蕗は驚くことを言い放った。

「お前ん家、行っていい?」

豊高は、数度瞬きをしてもう一度その言葉を頭の中で再生する。

「え?」

石蕗の言っていることがようやく届いた。

「金無いしさあ、どんな家か気になるし」
「いい、ですけど・・・・・親、いるかも」
「気にしないって。まあ来て欲しく無いってならいいけど」

豊高は慌てて

「いいです」

と答えた。親に見つかり気まずくなることより、石蕗と一緒にいたいという気持ちが勝った。

「じゃヨロシク」

石蕗が自分の部屋に来るというイメージがまったく湧かず、あれこれ想像していたため道中石蕗と会話したが内容はまったく覚えていなかった。
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