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13.雨夜の品定め
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「部活、くるだろ」
との石蕗からの言葉で豊高はうなづくと、もう放課後は部室に足を運ぶ他なかった。
部室に入ると、たくさんの人間がいるというのに、誰一人として顔を上げようとしない。ただペンをカリカリと紙に這わせる。
何時ものことながらそれが不気味だった。
しかし、石蕗が「おーっす」と部室に入って来ると、澱んだ空気は一掃された。
よく見れば、部員たちの中には一瞬石蕗を見て会釈する者もいる。
豊高は最近になって、暇を持て余し、テキストをぼんやり眺め少しずつ勉強を始めていた。すると、石蕗のしていることが朧げに分かって来た。
そこに面白さを感じ、他の部員と同じようにルーズリーフとテキストを机に並べるようになった。
「偉いじゃん」と石蕗が評価してくれるのも嬉しかった。
豊高はいまや、立派なコンピュータ部の部員だった。
あと30分程で下校時間になるという時、中肉中背の、中年の男性教師が部室にやってきた。人混みに紛れればあっという間に区別がつかなくなるような、これといった特徴のない平坦な面相だった。
「石蕗、これ配ってくれ」
これまた特徴のない、高くも低くもない声でいった。
石蕗はへーい、と面倒臭そうに返事をし、男性教師に渡されたプリントを配った。手渡されたプリントを見れば、情報処理検定の申込用紙だった。
「希望者は今週中に出してください。書き方は俺か先輩に」
それだけ言うと、男性教師は部室を出て行った。豊高はじっと申込用紙を見つめる。
「書き方わかる?」
石蕗の声がし、顔を上げる。精悍な顔に黒縁の眼鏡がミスマッチだった。
「似合わねぇー・・・」
「コラ」
石蕗は笑いながら豊高の頭を軽くはたく。
「書き方分かりますよ。書き方のプリント付いてるし」
豊高はプリントをひらひらさせる。
石蕗は、「お、おう・・・そうか」と目を見開き、驚いた表情だった。豊高は眉をひそめ、
「・・・わかりますよ、これくらい」
と不機嫌そうな表情を作った。石蕗はハッとし、ニヤリと笑う。
「いやぁ、よく笑うようになったなって思ってさ」
「え?」
「いやいやホントに。不機嫌そうな顔がマイルドになってきたっつーか」
「すいませんわかりません」
冷ややかな目でバッサリ切り捨てる。
「まあ、前よりは全然よくなった。近づきやすくなった感じ」
「へえ・・・・・」
豊高はいまいちイメージが掴めず曖昧に返事した。しかし何と無く褒められていることは分かり、少し嬉しかった。
石蕗は机の上に置かれたプリントをトントンと叩く。
「ま、3級なら楽勝だよ。用語覚えてりゃオッケー」
「ふーん」
「がんばれよ」
豊高が頷くと、満足そうに石蕗は笑った。
そして、別の生徒に呼ばれ前の方の席に移動した。プリントを指差しながら何やら話している。
本当に、誰にでも平等に接しているように感じた。不思議で、とても惹かれた。姿を見るだけで暖かくなり、自然と顔が綻ぶ。
「・・・・・ニヤニヤしてる」
誰かの囁きが、耳に突き刺さった。豊高は思わず後ろを振り返る。周りに視線を送るも、皆机に突っ伏すような姿勢だったため誰が誰やらわからない。
「ホント気持ち悪い・・・・・」
また、どこからか聞こえてきた。
周りを見回しても、誰が言っているのか分からなかった。所詮陰口だ、と思い申込書に目を通すが、どうにも頭に入ってこない。石蕗が冷やかしにあった時のことを思い出す。この日は申込書を急いで書き上げると、すぐに部室を出た。
学校を出た後、いつものように徒歩で自宅に向かう。
学校周辺は住宅や個人商店が並び、申し訳程度に遊具が設置された小さな公園が点在していた。
携帯電話のゲームに熱中して歩いているうち、手元が暗くなり液晶画面の明かりに照らされていることに気づく。
ふと顔をあげると藍色の空に電柱に付けられた白熱灯が灯っていた。毎日のことなので、その度に暗くなるのが早くなったなと感じるのだったが、
「それ、面白い?」
吉野踊子の出現で、そんな感想は吹き飛んだ。
いつの間にか手元を覗き込む少女に、驚きのあまり声を上げそうになった。夕闇に突如少女が現れるというシチュエーションは怪奇じみており、少女の美しさが余計に不気味さを引き立てていた。
「な、なんスか?」
豊高は少し身を引いた姿勢のまま固まった。吉野は顔に何の感情も乗せていなかったが、くるりとした瞳をぱちくりさせる。
「ゲーム・・・・・まあいいや」
吉野は正面を向き並んで歩く。
豊高は吉野の意図が読めずただ混乱していた。携帯電話の画面には”ゲームオーバー”の字が光る。
その画面のまま携帯電話を折り畳みポケットにしまう。吉野は見れば見るほど整った顔で、整いすぎて人形のように冷たい印象を抱かせる。
高校周辺の住宅地を抜けると、駅前の大通りが賑わいを見せていた。
ファーストフード店や本屋、コンビニエンスストアのネオンが光り、他校生たちの姿もちらほら見える。すっかり葉を落とした街路樹は黒いシルエットとなり、まとわり付く電飾がチカチカと点滅していた。
コンクリートとアスファルトで固められた歩道に足を踏み入れ、豊高と吉野も学生たちに紛れた。
まるでカップルのようだと豊高は気恥ずかしくなり、罪悪感も感じていた。
「あのさ、」
「うおっ」
突如話始めた吉野に奇声がでる。吉野は少し眉をひそめた。
「いや、すいません。その、ビックリして・・・」
「うん。突然無表情で喋るからビックリするってよく言われる」
ハハ、と豊高は乾いた笑いを漏らす。
「あの、石蕗先輩は」
「部活かバイト」
「いや、俺と・・・」
ああ、と吉野は呟き、
「立花くんだから大丈夫」
と一人納得したように頷く。
それは豊高の恋愛対象が異性でないからなのか、根拠ない信頼からなのかわからなかったが。
「いつもね、立花くんの話するの」
「え?」
「卓くんが」
「タクくんて?」
吉野はしまった、と言う表情をしながら、
「・・・彼氏?」
と答えた。
豊高は吹き出した。一見恋愛において冷めていそうな吉野が、恋人をあだ名で呼ぶことが意外だった。日本人形のような古風な美少女なだけによけい可笑しさがじわじわとこみ上げる。口角が上がりそうになるのを必死で耐えた。
「タ、タクくんて呼んでんスか?石蕗先輩を?」
肩と声を震わせながらも、腹筋に力を入れ平静を装う。
「あいつが、そう呼べって・・・」
頬を赤らめピタリと歩みを止めた。正面を見れば、横断歩道の信号が赤に変わっていた。
真っ赤な顔で俯く吉野は、年相応の可愛らしさといじらしさを醸し出していた。
「かわいいな・・・」
「えっ」
吉野がパッと豊高の方を見た。思わず発した言葉に豊高は戸惑う。異性に対してそのような感情は抱いたことなどなかったというのに。
「いやっ、仲良いですね、石蕗先輩と」
「仲良いよ。・・・多分」
吉野は頬を緩めた。
「いや、絶対石蕗先輩、吉野先輩のことめっちゃ好きです」
「でも、付き合ってるって、言い切れないから」
「・・・・・え?」
豊高の頭は疑問符に埋め尽くされる。
吉野は、柔らかくなってきた表情が凝り固まっている。豊高はパニックになりそうだった。吉野は、今にも泣きそうに見えたのだ。
「でも、卓・・・あいつのこと、取っちゃダメだよ」
吉野はふっと力を抜き、悪戯っぽく目を細めた。
「立花くんと話すの楽しかった。バイバイ」
呆気に取られる豊高に、涼やかな匂いのする黒髪を翻す。背丈の小さな吉野は疲れ切った会社員や学生の背中に紛れるが、彼女の凛とした後ろ姿が浮き彫りになる。豊高はあっけに取られ、ただそれを目で追う。
ようやく一歩を踏み出すと、目の前を車が過ぎった。
信号機は再び赤くなり、それ以上進むことはできなかった。
ーーー付き合ってるって、言い切れないから
信号を待つ間、吉野の言葉が浮かび、ふつふつと熱い感情が湧き上がってきた。
「付き合って、いない・・・?」
だとしたら、石蕗は。
吉野のことをあれほど真剣に思っている石蕗は。
吉野が豊高をかわいいと言って嫉妬を覗かせた石蕗は。
吉野の話題になると、嬉しそうにしていた石蕗は。
豊高を本気で思いやり、助けてくれる、石蕗は。
「・・・なんだよ、それ」
石蕗の想いも、自分の想いも、踏み躙られた気がした。胸が苦しくなる。
それでも、石蕗はきっと、豊高より吉野を選ぶのだろう。
大通りを少し離れれば、たちまち人の気配がなくなった。暗闇に囲まれ数メートル感覚で立つ街灯が円錐形に光を落とす。
空には星がいくつか白く輝いていた。豊高の知識ではオリオン座ぐらいしかわからなかった。冬の星座が冷たく光る。
豊高は空へ手を伸ばす。が、滑稽な気がしてやめた。
引きちぎれそうなほど腕を伸ばしても、決して届かないだろう。光の速さで走っても何百年かかるのか。途方もない孤独が押し寄せる。誰かに会いたくなったが、独りでいたい気もした。
それを満たしてくれる誰かや場所は、豊高には一つしか思い当たらなかった。
ーーー「ただいま」
豊高が訪れたのは、楓の家だった。
いつものように楓は椅子に座り、文庫本を開いていた。肩にはウールのカーディガンがかけられている。未だ頬を覆うガーゼが痛々しいが、豊高の声に反応し笑顔を見せる。
しかし、豊高を見た途端、微笑みを引きつらせて僅かに動揺した。楓の視線に頬の青痣が疼く。
豊高は少し考え、養護教諭に使った話し方が使えないだろうかと、あえてふざけた調子でぺらぺらと喋った。
「いや、昨日帰りが遅いって親にぶん殴られてさ、いつの時代だよっ・・・て・・・」
軽薄な口調に重みがかかっていき、ついには言葉が押しつぶされた。
楓の様子が、おかしい。
空気が重くなり、豊高はゆっくりとしか息ができなかった。
楓の表情は一見普段と変わりないように見えた。いつものように静かに黒く佇ずむ瞳。整然と並んだ顔のパーツ。
しかし、その背後で激しい嵐が起こっているような威圧感だった。
楓と親交が薄い人間ならば、楓はただ無表情に黙っているようにしか見えなかっただろう。
豊高には楓の目元と薄い瞼が強張っていること、唇が拳を握るようにぐっと結ばれていることが分かった。
しかし、それを表す感情が何なのか読み取れずにいた。
激しく怒っているようにも、深く悲しんでいるようにも見えた。
いずれにしても、楓がこんなに激しい感情を内包していることに、驚きを禁じ得なかった。
「楓、その、大丈夫・・・?」
それは自分の台詞だ、とばかりに楓は視線に力を込めた。
「ん・・・大丈夫」
楓は安心したように椅子に背中を預けた。そして、威圧感は消えた。穏やかな空気を纏った楓に胸を撫で下ろす。
「ユタカ」
「ん?」
「見苦しい所を見せたな」
やはりいつもと違う態度を表していたらしい。
「いいよ」
豊高は目を伏せた。どんな表情をすればよいのか、分からなかったのだ。
「・・・その、今日は帰る」
妙な気分だった。今日は何もかもしっくりこない。
豊高はコートに袖を通し、楓に背を向ける。と、つんと裾を引っ張られた。僅かに眉を寄せ唇を開き、楓の表情から心配の色がうかがえる。
それとは裏腹に、袖口から覗く手首は細く、包帯がバラバラの手足を辛うじて繋ぎとめているようで、とても脆く見えた。突き飛ばそうものなら崩れ落ちてしまいそうだった。
豊高は僅かな衝撃すら与えぬよう、自然と動きがゆっくりになる。そっと、そっと。
楓の身体が壊れてしまわないように、豊高は楓を抱きしめたのかもしれない。
座ったままの楓を包み込むように抱き締めていた豊高は、思わずとった行動に赤面した。楓がどんな表情をしているのか考えようものなら顔から火が噴き出しそうで、そのまま顔を楓の薄い肩に埋めているしかなかった。
豊高の腕の中で、楓の手が動くのを感じた。慌てて豊高が離れようとすると、身体を楓の腕に絡め取られる。折れそうなほど華奢に見えて、硬い繊維で編まれたようにしなやかで丈夫だった。
「ユタカ」
楓は熱を帯びた、いつもより低い声で囁く。
そして豊高の顔を両手で包み込み、ゆっくり離した。静謐な美しい顔が間近にあり、豊高は息を呑む。
「俺は、酷い嘘つきだ」
次の瞬間、豊高は重なる唇の感触に意識を奪われた。
との石蕗からの言葉で豊高はうなづくと、もう放課後は部室に足を運ぶ他なかった。
部室に入ると、たくさんの人間がいるというのに、誰一人として顔を上げようとしない。ただペンをカリカリと紙に這わせる。
何時ものことながらそれが不気味だった。
しかし、石蕗が「おーっす」と部室に入って来ると、澱んだ空気は一掃された。
よく見れば、部員たちの中には一瞬石蕗を見て会釈する者もいる。
豊高は最近になって、暇を持て余し、テキストをぼんやり眺め少しずつ勉強を始めていた。すると、石蕗のしていることが朧げに分かって来た。
そこに面白さを感じ、他の部員と同じようにルーズリーフとテキストを机に並べるようになった。
「偉いじゃん」と石蕗が評価してくれるのも嬉しかった。
豊高はいまや、立派なコンピュータ部の部員だった。
あと30分程で下校時間になるという時、中肉中背の、中年の男性教師が部室にやってきた。人混みに紛れればあっという間に区別がつかなくなるような、これといった特徴のない平坦な面相だった。
「石蕗、これ配ってくれ」
これまた特徴のない、高くも低くもない声でいった。
石蕗はへーい、と面倒臭そうに返事をし、男性教師に渡されたプリントを配った。手渡されたプリントを見れば、情報処理検定の申込用紙だった。
「希望者は今週中に出してください。書き方は俺か先輩に」
それだけ言うと、男性教師は部室を出て行った。豊高はじっと申込用紙を見つめる。
「書き方わかる?」
石蕗の声がし、顔を上げる。精悍な顔に黒縁の眼鏡がミスマッチだった。
「似合わねぇー・・・」
「コラ」
石蕗は笑いながら豊高の頭を軽くはたく。
「書き方分かりますよ。書き方のプリント付いてるし」
豊高はプリントをひらひらさせる。
石蕗は、「お、おう・・・そうか」と目を見開き、驚いた表情だった。豊高は眉をひそめ、
「・・・わかりますよ、これくらい」
と不機嫌そうな表情を作った。石蕗はハッとし、ニヤリと笑う。
「いやぁ、よく笑うようになったなって思ってさ」
「え?」
「いやいやホントに。不機嫌そうな顔がマイルドになってきたっつーか」
「すいませんわかりません」
冷ややかな目でバッサリ切り捨てる。
「まあ、前よりは全然よくなった。近づきやすくなった感じ」
「へえ・・・・・」
豊高はいまいちイメージが掴めず曖昧に返事した。しかし何と無く褒められていることは分かり、少し嬉しかった。
石蕗は机の上に置かれたプリントをトントンと叩く。
「ま、3級なら楽勝だよ。用語覚えてりゃオッケー」
「ふーん」
「がんばれよ」
豊高が頷くと、満足そうに石蕗は笑った。
そして、別の生徒に呼ばれ前の方の席に移動した。プリントを指差しながら何やら話している。
本当に、誰にでも平等に接しているように感じた。不思議で、とても惹かれた。姿を見るだけで暖かくなり、自然と顔が綻ぶ。
「・・・・・ニヤニヤしてる」
誰かの囁きが、耳に突き刺さった。豊高は思わず後ろを振り返る。周りに視線を送るも、皆机に突っ伏すような姿勢だったため誰が誰やらわからない。
「ホント気持ち悪い・・・・・」
また、どこからか聞こえてきた。
周りを見回しても、誰が言っているのか分からなかった。所詮陰口だ、と思い申込書に目を通すが、どうにも頭に入ってこない。石蕗が冷やかしにあった時のことを思い出す。この日は申込書を急いで書き上げると、すぐに部室を出た。
学校を出た後、いつものように徒歩で自宅に向かう。
学校周辺は住宅や個人商店が並び、申し訳程度に遊具が設置された小さな公園が点在していた。
携帯電話のゲームに熱中して歩いているうち、手元が暗くなり液晶画面の明かりに照らされていることに気づく。
ふと顔をあげると藍色の空に電柱に付けられた白熱灯が灯っていた。毎日のことなので、その度に暗くなるのが早くなったなと感じるのだったが、
「それ、面白い?」
吉野踊子の出現で、そんな感想は吹き飛んだ。
いつの間にか手元を覗き込む少女に、驚きのあまり声を上げそうになった。夕闇に突如少女が現れるというシチュエーションは怪奇じみており、少女の美しさが余計に不気味さを引き立てていた。
「な、なんスか?」
豊高は少し身を引いた姿勢のまま固まった。吉野は顔に何の感情も乗せていなかったが、くるりとした瞳をぱちくりさせる。
「ゲーム・・・・・まあいいや」
吉野は正面を向き並んで歩く。
豊高は吉野の意図が読めずただ混乱していた。携帯電話の画面には”ゲームオーバー”の字が光る。
その画面のまま携帯電話を折り畳みポケットにしまう。吉野は見れば見るほど整った顔で、整いすぎて人形のように冷たい印象を抱かせる。
高校周辺の住宅地を抜けると、駅前の大通りが賑わいを見せていた。
ファーストフード店や本屋、コンビニエンスストアのネオンが光り、他校生たちの姿もちらほら見える。すっかり葉を落とした街路樹は黒いシルエットとなり、まとわり付く電飾がチカチカと点滅していた。
コンクリートとアスファルトで固められた歩道に足を踏み入れ、豊高と吉野も学生たちに紛れた。
まるでカップルのようだと豊高は気恥ずかしくなり、罪悪感も感じていた。
「あのさ、」
「うおっ」
突如話始めた吉野に奇声がでる。吉野は少し眉をひそめた。
「いや、すいません。その、ビックリして・・・」
「うん。突然無表情で喋るからビックリするってよく言われる」
ハハ、と豊高は乾いた笑いを漏らす。
「あの、石蕗先輩は」
「部活かバイト」
「いや、俺と・・・」
ああ、と吉野は呟き、
「立花くんだから大丈夫」
と一人納得したように頷く。
それは豊高の恋愛対象が異性でないからなのか、根拠ない信頼からなのかわからなかったが。
「いつもね、立花くんの話するの」
「え?」
「卓くんが」
「タクくんて?」
吉野はしまった、と言う表情をしながら、
「・・・彼氏?」
と答えた。
豊高は吹き出した。一見恋愛において冷めていそうな吉野が、恋人をあだ名で呼ぶことが意外だった。日本人形のような古風な美少女なだけによけい可笑しさがじわじわとこみ上げる。口角が上がりそうになるのを必死で耐えた。
「タ、タクくんて呼んでんスか?石蕗先輩を?」
肩と声を震わせながらも、腹筋に力を入れ平静を装う。
「あいつが、そう呼べって・・・」
頬を赤らめピタリと歩みを止めた。正面を見れば、横断歩道の信号が赤に変わっていた。
真っ赤な顔で俯く吉野は、年相応の可愛らしさといじらしさを醸し出していた。
「かわいいな・・・」
「えっ」
吉野がパッと豊高の方を見た。思わず発した言葉に豊高は戸惑う。異性に対してそのような感情は抱いたことなどなかったというのに。
「いやっ、仲良いですね、石蕗先輩と」
「仲良いよ。・・・多分」
吉野は頬を緩めた。
「いや、絶対石蕗先輩、吉野先輩のことめっちゃ好きです」
「でも、付き合ってるって、言い切れないから」
「・・・・・え?」
豊高の頭は疑問符に埋め尽くされる。
吉野は、柔らかくなってきた表情が凝り固まっている。豊高はパニックになりそうだった。吉野は、今にも泣きそうに見えたのだ。
「でも、卓・・・あいつのこと、取っちゃダメだよ」
吉野はふっと力を抜き、悪戯っぽく目を細めた。
「立花くんと話すの楽しかった。バイバイ」
呆気に取られる豊高に、涼やかな匂いのする黒髪を翻す。背丈の小さな吉野は疲れ切った会社員や学生の背中に紛れるが、彼女の凛とした後ろ姿が浮き彫りになる。豊高はあっけに取られ、ただそれを目で追う。
ようやく一歩を踏み出すと、目の前を車が過ぎった。
信号機は再び赤くなり、それ以上進むことはできなかった。
ーーー付き合ってるって、言い切れないから
信号を待つ間、吉野の言葉が浮かび、ふつふつと熱い感情が湧き上がってきた。
「付き合って、いない・・・?」
だとしたら、石蕗は。
吉野のことをあれほど真剣に思っている石蕗は。
吉野が豊高をかわいいと言って嫉妬を覗かせた石蕗は。
吉野の話題になると、嬉しそうにしていた石蕗は。
豊高を本気で思いやり、助けてくれる、石蕗は。
「・・・なんだよ、それ」
石蕗の想いも、自分の想いも、踏み躙られた気がした。胸が苦しくなる。
それでも、石蕗はきっと、豊高より吉野を選ぶのだろう。
大通りを少し離れれば、たちまち人の気配がなくなった。暗闇に囲まれ数メートル感覚で立つ街灯が円錐形に光を落とす。
空には星がいくつか白く輝いていた。豊高の知識ではオリオン座ぐらいしかわからなかった。冬の星座が冷たく光る。
豊高は空へ手を伸ばす。が、滑稽な気がしてやめた。
引きちぎれそうなほど腕を伸ばしても、決して届かないだろう。光の速さで走っても何百年かかるのか。途方もない孤独が押し寄せる。誰かに会いたくなったが、独りでいたい気もした。
それを満たしてくれる誰かや場所は、豊高には一つしか思い当たらなかった。
ーーー「ただいま」
豊高が訪れたのは、楓の家だった。
いつものように楓は椅子に座り、文庫本を開いていた。肩にはウールのカーディガンがかけられている。未だ頬を覆うガーゼが痛々しいが、豊高の声に反応し笑顔を見せる。
しかし、豊高を見た途端、微笑みを引きつらせて僅かに動揺した。楓の視線に頬の青痣が疼く。
豊高は少し考え、養護教諭に使った話し方が使えないだろうかと、あえてふざけた調子でぺらぺらと喋った。
「いや、昨日帰りが遅いって親にぶん殴られてさ、いつの時代だよっ・・・て・・・」
軽薄な口調に重みがかかっていき、ついには言葉が押しつぶされた。
楓の様子が、おかしい。
空気が重くなり、豊高はゆっくりとしか息ができなかった。
楓の表情は一見普段と変わりないように見えた。いつものように静かに黒く佇ずむ瞳。整然と並んだ顔のパーツ。
しかし、その背後で激しい嵐が起こっているような威圧感だった。
楓と親交が薄い人間ならば、楓はただ無表情に黙っているようにしか見えなかっただろう。
豊高には楓の目元と薄い瞼が強張っていること、唇が拳を握るようにぐっと結ばれていることが分かった。
しかし、それを表す感情が何なのか読み取れずにいた。
激しく怒っているようにも、深く悲しんでいるようにも見えた。
いずれにしても、楓がこんなに激しい感情を内包していることに、驚きを禁じ得なかった。
「楓、その、大丈夫・・・?」
それは自分の台詞だ、とばかりに楓は視線に力を込めた。
「ん・・・大丈夫」
楓は安心したように椅子に背中を預けた。そして、威圧感は消えた。穏やかな空気を纏った楓に胸を撫で下ろす。
「ユタカ」
「ん?」
「見苦しい所を見せたな」
やはりいつもと違う態度を表していたらしい。
「いいよ」
豊高は目を伏せた。どんな表情をすればよいのか、分からなかったのだ。
「・・・その、今日は帰る」
妙な気分だった。今日は何もかもしっくりこない。
豊高はコートに袖を通し、楓に背を向ける。と、つんと裾を引っ張られた。僅かに眉を寄せ唇を開き、楓の表情から心配の色がうかがえる。
それとは裏腹に、袖口から覗く手首は細く、包帯がバラバラの手足を辛うじて繋ぎとめているようで、とても脆く見えた。突き飛ばそうものなら崩れ落ちてしまいそうだった。
豊高は僅かな衝撃すら与えぬよう、自然と動きがゆっくりになる。そっと、そっと。
楓の身体が壊れてしまわないように、豊高は楓を抱きしめたのかもしれない。
座ったままの楓を包み込むように抱き締めていた豊高は、思わずとった行動に赤面した。楓がどんな表情をしているのか考えようものなら顔から火が噴き出しそうで、そのまま顔を楓の薄い肩に埋めているしかなかった。
豊高の腕の中で、楓の手が動くのを感じた。慌てて豊高が離れようとすると、身体を楓の腕に絡め取られる。折れそうなほど華奢に見えて、硬い繊維で編まれたようにしなやかで丈夫だった。
「ユタカ」
楓は熱を帯びた、いつもより低い声で囁く。
そして豊高の顔を両手で包み込み、ゆっくり離した。静謐な美しい顔が間近にあり、豊高は息を呑む。
「俺は、酷い嘘つきだ」
次の瞬間、豊高は重なる唇の感触に意識を奪われた。
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ノイル(男)
キイチとタカラの幼なじみ。幼なじみ、男女7人組の年長者として2人を落ち着いた目で見守っている。キイチの働くカフェのオーナーでもあり、良き助言者でもあり、ノイルの行動により2人に大きな変化が訪れるキッカケとなる。
ミズキ(男)
幼なじみ7人組の1人でもありタカラの親友でもある。タカラと同じ職場に勤めていて会社ではタカラの執事くんと呼ばれるほどタカラに甘いが、恋人であるヒノハが1番大切なのでここぞと言う時は恋人を優先する。
ユウリ(女)
幼なじみ7人組の1人。ノイルの経営するカフェで一緒に働いていてノイルの彼女。
ヒノハ(女)
幼なじみ7人組の1人。ミズキの彼女。ミズキのことが大好きで冗談半分でタカラにライバル心を抱いてるというネタで場を和ませる。
リヒト(男)
幼なじみ7人組の1人。冷静な目で幼なじみ達が恋人になっていく様子を見守ってきた。
謎の男性
街でキイチが見かけた毎日夢に出てくる後ろ姿にそっくりな男。
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