SF

文字の大きさ
上 下
7 / 23

7.遣らずの雨

しおりを挟む
豊高は身構えドアから飛び出そうとするが、足がもつれドアにぶつかりそうになる。
屋敷の主はゆっくりとダイニングテーブル下の椅子を引き、目線で座るよう促した。そして、旧式のコンロにヤカンをかけたまま飾り窓の付いたドアを開け、部屋から出て行ってしまった。
つまり、ぽつんと一人残されたのだった。
豊高は予想外の行動にどうしてよいか分からなくなり、立ち尽くすばかりだった。
部屋の中をよく見れば、この間案内された応接室より簡素なしつらえになっており、使用人が使うキッチンのような印象だった。
柔らかなオレンジ色の電球がこじんまりした室内を暖かく照らす。
先ほどは勝手口から入ってきたらしい。コンクリートの土間に立てかけた傘から滴った水が斑点模様を作っている。
豊高はあがりこむ気力も逃げる体力もなく、土間と床の段差に腰掛けたままだった。
体調の悪さが戻ってきてぼうっとしていると、背後から足音が聞こえ、頭から背中にかけバスタオルが降ってきた。
豊高はゆっくり振りむき様子を伺う。
彼は木で出来た棚から紅茶葉の缶を取り出した。次に様々な色や形のグラスが収まっている食器棚からぽってりしたポットとティーカップを二つテーブルの上に置く。
そして、沸騰した湯をヤカンからポットとティーカップに注ぎ温める。コンロにヤカンを戻すと豊高の肩に手を伸ばした。
猛烈な勢いで振り払われる。
黒いTシャツを豊高の脇にそっと置くと、使われていない黒い傘に気づいた。

「礼を言う」

豊高の頭に手を乗せると、鞭のようにしなる豊高の腕をするりとかわし紅茶を入れる作業を続けた。
茶葉が程よく蒸らされ、柑橘系の果物のような香りが立ち昇る。
豊高は座り込んだままだった。
屋敷の主は豊高の肩を叩く。
反応はない。
しかし一呼吸置いて

「・・・・・・帰る」

ふらりと立ち上がった。
彼は黙って黒いTシャツと傘を差し出した。

「まだ降っている」
「知ってるよ」

豊高が動くと、バスタオルがずり落ち、赤くなり始めた背中や腰が露わになった。
彼は少し目を見開く。

「どうした?」
「あんたには関係ない、ってか、関わるな」

ドアが開く。雨が少し降りこんだ。
土砂降りの雨の中に身を投じようとする豊高の手を、彼が掴んだ。

「離せよ!!」

振り払った手が顔面に当たる。歯切れ良い音がしたが、その整った顔のパーツの位置を一つも乱さなかった。

「・・・カエデ」
「あ?」

豊高は屋敷の主を睨む。

「俺は楓だ」

殺気立つほど激しい豊高の目を、楓は、静かに佇む黒い瞳で真っ直ぐ見据えていた。

「・・・苗字?名前?」

いくらか感情が静まってきたのか、素っ頓狂な質問が転がり落ちた。

「楓と呼べばいい」

豊高は楓と名乗った人物をじっと見つめる。
穏やかな目だ。
あの暴漢のような卑しい光や、父親のような蔑みの色を宿さない、漆黒の瞳。
しかしあまりにも深すぎて思考を読み取れず、信頼していいものか、と立ち尽くしていた。
楓は豊高の考えを察したのかのように、手を差し出した。

「手は出さない」

豊高はその手を見て

「・・・出してんじゃん」
「む」

楓は手を一度引っ込め掌を見つめる。
そのどこか抜けた様子に、少し警戒心が緩んだ。
楓は握手を求めるようにもう一度手を差し出した。

「何もしない」

その意外にも小さな手に、豊高はそっと手を伸ばす。そしてぴしゃりとはたき落とした。

「余計なお世話だ」

豊高は部屋に上がり込み、黒いTシャツに袖を通す。
楓はふっと微笑んだ。そして薄い磁器のティーカップを豊高の目の前に置く。
深い臙脂色の紅茶から白く柔らかい湯気が立ち上っていた。芳しい香りにつられ、何も入れずに口に運ぶ。
変わっている、と楓は呟き砂糖は入れずにミルクだけ紅茶に入れて飲む。
あんたもな、と豊高は頭の中で悪態をつき、少しずつ紅茶を口に含む。

お互いなんの会話も詮索もない。
豊高は妙に落ち着いた気分だった。
だが警戒心を絶やさず、心の一部をピンと張り詰めていた。
心地よい沈黙が破られたのは、楓が椅子を引き立ち上がったときだった。
豊高と目が合うと「夕食は?」と尋ねた。さも当然食べていくだろうと言った口ぶりだった。

「は?」

豊高はようやく紅茶を飲み干しティーカップをテーブルに置いたところだった。
帰るよ、と言いかけて口をつぐんだ。
父親を殴り飛ばしてきたのだ。帰りづらかった。恐れもあるが、屈辱と怒りでどうにかなってしまいそうだった。豊高の背中が熱くなる。

「今日は帰らない」

きっぱりそう告げると、楓は少し目を見開き驚いた様子だった。
豊高は自分の言った言葉の意味を理解すると顔が熱くなった。

「いやっ、そういう意味じゃっ、なんつぅか、帰りづらいっつぅかっ、あーもうめんどくせぇ・・・」

豊高は机に突っ伏して顔を隠す。楓は赤くなった豊高の耳を見て口角をほんの少し吊り上げながら

「ん」

と短く答えた。
楓はコンロの横の小さな冷蔵庫から鍋を取り出し火にかける。更に腕を捲り野菜をリズミカルに刻んでいく。
豊高は手慣れた手つきに驚いていた。
あっという間に夕食が出来上がる。
テーブルにトマトのサラダ、ソーセージと野菜がたっぷり入ったコンソメスープが並んだ。

「米は?」

豊高が何の気なしに聞くと

「切らしている」

と簡素な答えと斜めに切られたバケットが出された。
豊高はこのやり取りの中で思い当たる節があった。
彼と、話したことがなかったか、と。
ふと思い浮かんだ答えは

「食べな」

という楓のひと言に消された。
手を合わせ、楓はスープを一口啜る。途端、彼は真顔になった。
豊高は楓の顔とスープを代わる代わる見て何事かと考えを巡らせる。やがて楓は言った。

「・・・・・・美味い」
「自分で言うかっ!」

豊高は思わず吹き出した。

「何?て・・・天然?」 

肩を震わせる豊高を見て、楓はふっと微笑んだ。

「笑った」
「・・・え?」

笑っていたのか、と豊高は思った。
すると、親に蔑まれて殴られ雨の中を飛び出したこと、体調も気分も最悪だったこと、なのに、自分がこうして笑っていることが妙に可笑しくなり、豊高は声を上げて笑った。
その途端、ギュウウ、と腹の虫が鳴き、ますます笑いがこみ上げてきた。
しかし静かに食事を続ける楓を見て急に気恥ずかしくなり、自分も手を合わせ楓の料理に手をつけた。
味は素晴らしくよかった。豊高は久しく満腹になるまで食べた。
夕食が済むと、座っていていい、とだけ言い残し、楓は部屋を出て行った。

気がつけば、掛け時計は22時を回っていた。
豊高はそんなはずないと飛び起きる。
跳ね起きたことで、豊高はいつの間にか眠ってしまっていたことに気づいた。
体を起こすとふかふかの毛布が背中でずり落ちる。
テーブルにはメモが残され、風呂場の場所と、好きな部屋を使っていいとの旨が記されていた。
流れるような書体に、文字まで整っているのか、とぼんやり思い、毛布を再び羽織ると、豊高はテーブルの上で寝入ってしまった。
朝になると、このキッチンには朝日が差し込むらしい。強い光がちらつき目が覚めた。

「おはよう」

顔を上げると楓が微笑んだ。

「・・・首痛てぇ」

豊高は顔をしかめてうなじをさすった。焼けたパンの匂いがする。そして紅茶の香りも。

「食えるか?」
「・・・・・・」

半分寝ぼけた豊高の代わりに腹の虫が答えた。
楓は分厚いトースト、目玉焼き、ベーコン、レモンとオレンジの蜂蜜漬けの乗ったプレートを豊高の前に置く。豊高は黙々と食べ始めた。

「・・・・・・美味い」

食べながら豊高はぽつりと漏らす。
トーストも目玉焼きも温かい。胃袋だけでなく胸の中にも温かいものが溜まっていく気がしていた。
誰かと食事をして、誰かと過ごして温かい気持ちになったことがあっただろうか、と考えた時、豊高はなぜか酷く胸が痛んだ。その気持ちに蓋をするように、豊高はがむしゃらに朝食を詰め込んだ。
満たされた感覚の中でぼうっとしていると、妙にくつろいでいる自分に気づいた。
そうだ、と豊高は思う。
今更ながらこの間の出来事、家に連れ込み襲われかけた事を思い出す。またふつふつと猜疑心が湧いてくる。楓は豊高に背を向け、食器をふきんで拭いていた。

「俺、帰る」

楓は振り向いた。

「メシ、うまかった。あと、色々世話になって・・・」

豊高は立ち上がる。
楓は手を拭きながら豊高に近づく。豊高は何かされるのでは、と身構えた。
しかし、楓は豊高の横をすり抜け、ドアノブにかかった傘を持ちドアを開けた。
豊高はそそくさと靴を履き、外に出ようとする。
と、唐突に、楓に黒い傘を渡された。

「今日晴れてるじゃん」

草の上で露が輝く、とびきりの晴天。
しかし豊高は少し考えた後、

「いや、・・・・・・借りるよ」

と傘を受け取った。そしてくるりと背を向けて歩き始める。

「ちゃんと、返すから」

去り際の小さな声でも楓に届いたらしく、いつでもいいと口角を少し吊り上げた。
豊高は掌をひらひらさせて応えた。

どんな人間か見極めたい
借りをつくりたくない
まだ信用できない
けれども、だからこそ
ーーーーーー楓のことが、知りたい。

そんな複雑な感情を抱えながら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした

月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。 人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。 高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。 一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。 はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。 次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。 ――僕は、敦貴が好きなんだ。 自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。 エブリスタ様にも掲載しています(完結済) エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位 ◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。 応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。 ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。 『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

金色の恋と愛とが降ってくる

鳩かなこ
BL
もう18歳になるオメガなのに、鶯原あゆたはまだ発情期の来ていない。 引き取られた富豪のアルファ家系の梅渓家で オメガらしくないあゆたは厄介者扱いされている。 二学期の初めのある日、委員長を務める美化委員会に 転校生だというアルファの一年生・八月一日宮が参加してくれることに。 初のアルファの後輩は初日に遅刻。 やっと顔を出した八月一日宮と出会い頭にぶつかって、あゆたは足に怪我をしてしまう。 転校してきた訳アリ? 一年生のアルファ×幸薄い自覚のない未成熟のオメガのマイペース初恋物語。 オメガバースの世界観ですが、オメガへの差別が社会からなくなりつつある現代が舞台です。 途中主人公がちょっと不憫です。 性描写のあるお話にはタイトルに「*」がついてます。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【BL】記憶のカケラ

樺純
BL
あらすじ とある事故により記憶の一部を失ってしまったキイチ。キイチはその事故以来、海辺である男性の後ろ姿を追いかける夢を毎日見るようになり、その男性の顔が見えそうになるといつもその夢から覚めるため、その相手が誰なのか気になりはじめる。 そんなキイチはいつからか惹かれている幼なじみのタカラの家に転がり込み、居候生活を送っているがタカラと幼なじみという関係を壊すのが怖くて告白出来ずにいた。そんな時、毎日見る夢に出てくるあの後ろ姿を街中で見つける。キイチはその人と会えば何故、あの夢を毎日見るのかその理由が分かるかもしれないとその後ろ姿に夢中になるが、結果としてそのキイチのその行動がタカラの心を締め付け過去の傷痕を抉る事となる。 キイチが忘れてしまった記憶とは? タカラの抱える過去の傷痕とは? 散らばった記憶のカケラが1つになった時…真実が明かされる。 キイチ(男) 中二の時に事故に遭い記憶の一部を失う。幼なじみであり片想いの相手であるタカラの家に居候している。同じ男であることや幼なじみという関係を壊すのが怖く、タカラに告白出来ずにいるがタカラには過保護で尽くしている。 タカラ(男) 過去の出来事が忘れられないままキイチを自分の家に居候させている。タカラの心には過去の出来事により出来てしまった傷痕があり、その傷痕を癒すことができないまま自分の想いに蓋をしキイチと暮らしている。 ノイル(男) キイチとタカラの幼なじみ。幼なじみ、男女7人組の年長者として2人を落ち着いた目で見守っている。キイチの働くカフェのオーナーでもあり、良き助言者でもあり、ノイルの行動により2人に大きな変化が訪れるキッカケとなる。 ミズキ(男) 幼なじみ7人組の1人でもありタカラの親友でもある。タカラと同じ職場に勤めていて会社ではタカラの執事くんと呼ばれるほどタカラに甘いが、恋人であるヒノハが1番大切なのでここぞと言う時は恋人を優先する。 ユウリ(女) 幼なじみ7人組の1人。ノイルの経営するカフェで一緒に働いていてノイルの彼女。 ヒノハ(女) 幼なじみ7人組の1人。ミズキの彼女。ミズキのことが大好きで冗談半分でタカラにライバル心を抱いてるというネタで場を和ませる。 リヒト(男) 幼なじみ7人組の1人。冷静な目で幼なじみ達が恋人になっていく様子を見守ってきた。 謎の男性 街でキイチが見かけた毎日夢に出てくる後ろ姿にそっくりな男。

Endless Summer Night ~終わらない夏~

樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった” 長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、 ひと夏の契約でリゾートにやってきた。 最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、 気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。 そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。 ***前作品とは完全に切り離したお話ですが、 世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

処理中です...