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2.花散らしの雨

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時は豊高が中学三年生のときに遡る。

どさり、と学生鞄が教室の床に落ちた。
響く笑い声、好奇の目。
豊高は目を見開き、“死ね”“ホモ”“キモイ”といった言葉が大量に書かれた、あるいは彫られた机を凝視していた。
なぜだ
という疑問が頭の中を駆け巡る。
ーーーなぜだ
豊高は胸の辺りを掴んだ。
ーーーなんでバレたんだ、あのことが
豊高はふらり、と椅子に座り、抜け殻になったように俯いていた。


「……ねえ、あの人、男の人とシたってホント?」
クラスメイトの女子生徒が顔を寄せ合いひそひそ話す。

「マジマジ!なんかさ、出会い系で会った人らしいよ」
「うそ!男同士で!?」
「みたいだよ。だから……さ」

ちらりと豊高に目をやる。相変わらず、死人のように腕をだらりと下げ俯いていた。

「キモい~」

くすくす笑いながらお互いの顔を見合わせる。

「ていうかさ、立花君て暗いじゃん?逆にすごいよね、車ん中でエッチしたとか・・・・・・」

その時、机と椅子が倒れるのに構わず豊高が立ち上がった。その凄まじい音が教室の中の時を止めたかのように、クラスメイトたちは固まっていた。

「何も、知らねえくせに・・・!」

豊高は強く拳を握り締めていた。震えている。ギリ、と奥歯を噛み締める。

「テメエらが死ねよ!」

豊高は女子生徒たちに向かって学生鞄を投げつけた。女子生徒たちは悲鳴を上げながらそれを避ける。豊高は教室を飛び出した。
豊高の向かった先はトイレだった。一目散に個室に入り、白い便器に向き合う。
内臓がひっくり返るような嘔吐感と吐瀉物が押し寄せ堪らず吐き出す。
酸っぱい臭いが鼻をつく。それによってまた気持ちが悪くなり、また吐いた。
吐くものが無くなっても。すべてを、あの記憶をも吐き出すように。

――――君が豊高君か。悪くないな。

甘い、声がする。
吐きそうなほどに、甘いーーー

――――ん?ちょっとドライブ。

「やめろ・・・・・・」

――――何?キスくらいでその態度。俺が好きなんじゃなかったの?

「思い出すな思い出すな思い出すな・・・っ!」

――――優しくしてやるって言ってんだろ?!

「くそったれ・・・・・・!」

豊高は肩を上下させながら呟いた。
そのときだった。

「こいつだよ、こいつ」

いきなり腕を捕まれ、体を反転させられた。眼鏡を持ち上げれば、がたいのいい男子生徒が自分を見下ろしているのがわかった。
嘲るようににやついている。
それも一人だけではなかった。入口を塞ぐように三人ほど立っている。座り込む豊高から見れば、そびえ立つ、というふうに見えた。
それからのことは嫌になるほど鮮明に覚えている。
散々罵られ、便器に顔を押し付けられ顔が吐瀉物にまみれた。
抵抗は、した。
だが暴力をエスカレートさせるだけだと悟った後は、ただ理不尽に飛んでくる拳や脚を防ぐことに徹した。
男子生徒たちが立ち去ったのは、豊高が体中に痣を作り、ぐったりとして動かなくなった後だった。
豊高の手が、ぴくりと動く。
そして床をはい回り、眼鏡に行き着くとそれを掴んだ。そしてふらふらと洗面台へ向かう。何度も何度も顔を洗った。顔が赤く擦りむけるほどに。

「ぐ、うぅ・・・・・・」

豊高は水を出しっぱなしにして床にしゃがみ込んだ。目をきつくつむると涙が染み出した。

屈辱。
その二文字が憎しみと憤りと悔しさを生んだ。

なぜ俺だけがこんな目に遇うんだ。
なぜあんなことしたんだ。
なぜ俺は普通に女が好きになれないんだ。
わからない。
男が好きかどうかさえ。
いったい俺はどうしちまったんだ。
どうしたらいいんだ。


わからない。



幼少の頃からそんな悩みを持つ豊高が見つけたのが、同性愛者同士のチャットの場だった。自分と同じような悩みを持つ者がたくさんいた。それだけで、自分だけではないのだ、と安心できた。
しかし、そこでも自分はどうすればよいか、という答えには出会えなかった。
学校ではジレンマに押し潰されそうだった。男子生徒にときめく自分を否定し、それを隠して過ごしてきたためだ。家庭は世間体を気にしてばかりで封建的。
故にはけ口を見つけた豊高はどんどんチャットにはまっていく。そして、仲良くなった男性と実際に会うことになった。そのとき豊高は中学三年生に進級したばかりだった。
その日は豊高の地元から離れた町でデート、とは言ってもほんのまね事をして過ごしていた。
豊高もあまり覚えていない。だが、やたらとべたべた触ってきたり、時折キスをしようとする動作に軽い不信感を持っていた。
豊高の不安は的中する。
家に送ってやると言いながら、男は人気のない所へ車を走らせ、豊高を車内に閉じ込めて弄んだ。
力の限り抵抗したが、体躯の細い、筋肉もまだつききっていない中学生が大の大人の力に敵うはずがなかった。
無理矢理口内に侵入してくる舌。痛いほど吸い付かれた肌。下腹部を襲う痛み。
豊高はそれを思い出すだけで吐き気を催す。

豊高は青ざめた顔で口を覆い、保健室へと足を運んだ。頭を殴られたせいかくらくらする。
倒れ込むように保健室に入った時、女性の養護教諭が目を丸くしてヒステリックに豊高の名を叫んだ。豊高と同じ顔色になっていく。
あ、名前覚えてたんだ
と思いつつ、豊高は意識を手放した。
目が覚めると、豊高は温かさと不思議な安心感に包まれていた。
周囲を見渡すと見覚えのある白い天井、壁、カーテンが視界に入り、消毒液の匂いが鼻につく。
保健室のベッドにいるとわかった。
カーテン越しに何やら大人たちの話し合う声が聞こえる。
「・・・・・こんなことは我が校にとっても・・・・」
「・・・学校に責任・・・・・・主人や世間様になんて言われるか!・・・」
「・・・・・・立花さん、先生、豊高君の気持ちも・・・」
――ああ、俺のことでなんか言ってんな。俺、やっぱり普通じゃねえのかな。
つか黙れよ。うるせえ。なんも考えたくないんだよ。
眠いんだ・・・・・・

豊高はゆっくりと目を閉じていき、再びまどろみの中に落ちていった。
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