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Trac05 Desperade/イーグルス 前編
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『ーーーーー誰かに愛してもらうんだ
まだ間に合うからさ』
Desperade/イーグルス
ーーーーーーーーー
起きたらユウジもカホもいなくて、部屋の中には籠った空気が澱んでいた。体は汗ばんでいて怠かったけど、頭の中はスッキリしている。
決めたことが、一つある。
スマホの時間を見れば、バイトに行く時間が迫っていた。朝飯を食う時間もなくて、汗まみれのTシャツと下着だけ替えて家を飛び出し、遅刻ギリギリでタイムカードを押した。
店長は何も言ってこなかったけど、アリサにはソッコーで何かあったってバレた。
「背中に黒いオーラ背負ってる」って。
確かに、あれからユウジとは表面上は普通に生活いるけど、よそよそしい雰囲気が漂っていた。一緒に演奏することも、なくなった。
「多分店長にもバレてるよ。アンタわかりやすいもん」
アリサの言葉に頭を掻き毟りたくなる。
「落ち込んでてもいいけど身体は動かしてよね」
アリサの言うことを聞くのはシャクだったけど、取り敢えず無心で機材を運んだり弦の張り替えなんかをしていた。そういや今日は対して接客してない。あんまり表に出ない仕事を回してくれたんだろうな、と気づいたのはバイトが終わった後だった。
「アリサ、ありがとな」
帰り際にそう声を掛けたら、すげえビックリしてた。
「い、いいからカホちゃん迎えに行ってあげなさいよ」
目をあっちこっちに泳がせながら、ちょっと顔が赤くなってた。
「え、もしかして照れてんの?」
「うるさい!早く行けば?!女の子を待たせたら承知しないんだから!」
あんなやつだったっけ、と首を傾げていると帰り際に
「アリサは前からあんな風だったぞ」
って店長が言ってた。俺は、実は、結構周りの人間に恵まれていたのかもしれない。ゲイだってみんな知っているし、カホを迎えに行っても嫌な顔しないし。
「あのさ、俺、正社員やるよ」
なんか知らないけど、するっとそんな言葉が出てきた。どっちみちやりたいことはなかったし、忙しい方が余計なこと考えずに済む気がする。何より、やっぱり俺は音楽から離れられそうになかった。店長は待ってましたとばかりに「おう」とニヤリとする。
「ユウジが引っ越してからでもいい?」
「ああ、もちろん。これでやっと隠居できるな」
店長はまだニヤニヤしている。
「俺の仕事も教えてやるから覚悟しとけよ」
「はあ?俺に店長の仕事押し付ける気かよ?!」
「まあお前が育つまでは面倒見てやるよ。早く仕事覚えて俺に思う存分ドラム叩かせろ」
「ふざけんなよオッサン」
「やるだろ?」
「やる、けど・・・」
ちょっとしたコンプレックスが顔を出した。
「俺、高卒だし、ずっと、バイトしかしてなかったし」
「お前がやるっつったらそれで十分だよ」
店長を見上げれば、腕を組んでどっしりと構えていた。
「お前は、やるって言ったら絶対やるし、やらねえって言ったことは2度とやらねえ。
バンドやってた時からそうだっただろ。俺は、お前のそういう男らしいとこ買ってんだよ」
なんかもやもやする。いや、嬉しいは嬉しい。
けど、なんで店長にこんなに信用されてんだろ。なのに、なんでユウジは俺の言うこと全部疑ってかかるんだろ。
「お前が中学ん時からの付き合いだろ。保護者みたいなもんなんじゃねえのか?心配してんだよ」
そう店長は言ってたけど、それじゃ納得いかなかい。やっぱり、俺はーーー
店を出て、歩きながらスマホを開く。それから電話をかけた。正社員やるって言ったのはまあ半分勢いだけど、一つだけ決めていたことがあったから。呼び出し音が何回も鳴らない内に、相手はすぐに出た。
待ち合わせ場所は、ターミナル駅の前だった。同じようなスーツ姿の人間たちが回遊魚のように群れをなしている。その中でも背が高くて整った顔立ちはよく目立っていた。いや、ユウジと同じ顔をしているからかもしれない。
春野は仕事終わりみたいでビジネスバッグを手に紺のスーツを着ていた。量販店のやつだろうけどスタイルがいいからサマになっている。
少し離れたところから近づいていくと、すぐ俺に笑顔を向けた。
「どうしたの?」
柔らかな笑みには嫌味も卑しさもない。
ただ、会って話がしたいと連絡した。その日のうちに会えるとは思ってなかったから正直ビックリしたけど。
春野は少し妖しさを漂わせながら、どこかに入る?と目を細める。
「別に。すぐ終わるし」
俺は少し息を吸って、一言だけ告げる。
「もう、アンタとは会わない」
春野は大きく目を見開いて、それからそっか、と寂しげに微笑んだ。
「残念だな。できれば恋人になりたいなって思ってたんだけど」
「マジで?」
「そうだよ、好きな人がいてもいいから、付き合ってくれる?」
「無理」
「じゃあ今まで通りの」
「セックスもしない。もう決めたから」
試しにって付き合って、痛い目を見るのにはもう懲りている。
春野はまた、そっか、と笑う。
「はっきり言ってくれてスッキリしたよ。あと、わざわざ会ってくれてありがとう」
春野は俺の頭を撫でて、名残惜しそうに俺の目を覗き込む。ユウジが俺を求めているような感じがして心が揺れそうになるけど、ただ強く見つめ返した。春野は小さく溜息をついて、少しだけ微笑んで、黙って背を向けた。肩を落とし歩く後ろ姿が寂しげで、悪いことしたかなと思った。でも、ダラダラと関係を引き伸ばすよりは良かったに違いない。
それに、春野はやっぱりユウジに似てなんかいない。ユウジはあんなに俺に優しくないし、間違っても俺に好きだなんて言わない。
セックスして初めて気づくとかアホだな。
でもセックスできなくてもユウジのがいいってのは、やっぱり春野とシないと分からなかったんだろう。
そろそろ俺も帰るかな。
確かに、なんでわざわざ会おうなんて思ったんだろう。でも、そうしないといけない気がしたんだ。
ユウジは、まだ起きてんのかな。
ユウジは普通に俺に接している。でも、どっかよそよそしくて、目が合うと弾くように視線を逸らされる。気まずいったらありゃしない。
それでも顔を見られたら、あわよくばギターの音が聞ければいいなとか思ってる俺は相当重症だ。
マンションの3階にある部屋のドアを開ければ、なんとユウジではなくカホが俺に駆け寄ってきて足にしがみ付いてきた。
「なんだよ、もう寝る時間だろ」
ジーパンにじんわり暖かい液体が染みる。え、もしかして泣いてる?
「どうした?」
スニーカーを脱ぎながら言えば、ユウジが代わりに
「引っ越しのこと言ったらさ、ハジメちゃんは?って言い出してさ・・・」
って疲れきった顔をしていた。
「俺は一緒には行かない。仕事あるし」
「なんで?」
カホは涙声で、叩きつけるように言った。
「ハジメちゃんパパとケンカしてるから?」
ユウジと顔を見合わせた。何かあったこととかユウジとの関係が変わったことは一丁前に感じ取っているらしい。
それに、カホが生まれる前からユウジや姉ちゃんと一緒に住んでたからな。俺がいるのが当たり前になってて、当然俺もついて行くもんだと思っていたんだろう。
「パパのこと嫌いになったの?」
言葉に詰まった。コイツの前で馬鹿正直に言えるか。
「そんなんじゃねえよ、アレだ、大人には色々あんだよ。てか離れろ。歩けねえだろ」
それでもカホは俺の足から離れようとしなくて、でっかい重りをつけたままリビングに向かう羽目になった。
ダイニングテーブルの椅子に座って、「抱っこして」と言われるままに膝に乗せる。
「カホハジメちゃん好きだからぁ・・・」
抱きついたまま、まだグズグズ言ってやがる。
ユウジは「そこまでか・・・」ってちょっとびっくりするやら呆れるやら。
「いいよ、俺がなんとかしとく」
もうどうしようもないから落ち着くまでこのままでいることにした。カホの背中を叩きながらスマホを取り出す。
「オイ、カホの前では」
「やらねえよ」
流石にカホの前でアプリを広げるほど無神経じゃない。手をひらひらしてユウジを寝室に追いやる。案の定、カホは30分も経たないうちに泣き疲れて寝ていた。
「悪いな」
抱き抱えて寝室に連れて行けば、寝転んでスマホをいじってたユウジが起き上がった。
カホを布団に寝かせれば、俺の方を向いて頭をすり寄せてくる。
「・・・しばらくいてやれば?」
ユウジが言わなくてもそうするつもりだった。横になってスマホを開く。
「お前、相当カホに好かれてんだな」
ユウジはこちらに寝返りを打つ。
「ん。なんでだろな」
「・・・ちゃんと可愛がってきたんだな」
「そうか?」
「お前は、セックスと音楽のことばっかだと思ってた」
「そこまで言うか?」
心外だ。スマホをいじる目の端で、ユウジの口元が綻ぶのがチラッと見えた。
「久しぶりに、演るか?」
ユウジが立ち上がって、ギターを手にする。
そんなんやるに決まってんじゃねえか。すぐスマホを閉じて起き上がる。
ユウジはリビングのソファに腰掛け、肇は電子ピアノの前に座る。2人が定位置につき、ユウジが曲のリクエストをする。それがいつもの合図だ。
久しぶりに聞くユウジの音は前と同じように優しくてほっとした。角のない音の粒が弦からこぼれ落ちる。テンポを確かめながら音をぎこちなく重ね合わせていく。だんだんお互いの呼吸を思い出してきて、ハモリが綺麗に重なるようになってきた。曲が進むにつれ、俺とユウジの音が溶け合っていく。穏やかな音色に全身を包まれ、響き合ってできた和音が鼓膜を震わせ、いたるところで甘く響く。それがとても心地良くて、繋がってんだなって感じて嬉しくなる。音楽とセックスは、とてもよく似ていると思う。
そういえば、セックスを覚える前はユウジや店長達と音楽やってんのが1番楽しかった。
「ユウジ、」
伴奏する手を止めると、ユウジはこっちを見た。
「やっぱり、俺はセックスよりユウジと演ってる方が楽しい」
頬が勝手に上がって、にやけるのを止められない。ユウジは「え」とも「へ」ともつかない変な音を喉から出した。それから瞬きが増えて、視線をあちこちに彷徨わせている。
「・・・なんでもない」
笑いを噛み殺しながら寝室に戻れば、カホがうっすらと目を開けた。やべ、起こしちまった。
カホはふにゃふにゃと
「きれいだねぇ・・・」
と笑った。
「きれいな音だねえ」
っていいながら目蓋が落ちていって、また寝息を立て始める。
次の日は、目覚めたカホはぐずらず機嫌よく起きてきて、「おはよう」と声をかけてきたユウジは穏やかな顔つきだった。視線を弾き返すような壁はもう感じない。こうして、ユウジとのいつもの毎日が戻ってきた。
それから、カホは俺とユウジの演奏を度々聴きたがるようになった。俺としてはユウジと2人きりがよかったけど、ユウジが凄く嬉しそうにしていたから好きなようにさせてた。
夏休み中に引っ越す予定だったから、梅雨入りとともにバタバタし始める。演奏する時間もなくなってきて、すぐ引越しの日が来た。
その日は快晴だった。
新幹線で県を一つ跨いで、町並みの向こうにうっすら山が見えるような地方都市に到着する。
前住んでいたとこより階数も部屋の数も小さなマンションだけど、セキュリティがしっかりしていて玄関に各部屋に繋がるモニターが設置してある。
今日は管理人に声を掛けて部屋を開けてもらった。
まだ家具が届いていない部屋はだだっ広くて、フローリングの床が窓から入る日差しを白く照り返していた。そこをカホがパタパタと駆け回る。
音が反響して、今ここでギターやピアノ弾いたらいい音が出そうだ。
あれ?そういえばーーー
引越しの業者から荷物が届いて、それを広げている時確信した。やっぱり、ユウジのアコースティックギターがない。
「ユウジ、ギターは?」
「置いてきた」
「はあ?!」
マジかよコイツ。俺だけじゃなくて音楽まで置き去りにする気かよ。
ユウジはダンボールから食器を出しながら
「ここ、あんまり防音がちゃんとしてないし。それに、向こうに行った時お前と演れるしな」
なんて穏やかな笑みを向けてくる。
「壊すなよ、俺の宝物なんだから」
悪戯っぽく顔をくしゃっとするユウジに、もう何も言えなくなっちまった。
カホとユウジの荷解きが終わったのは夕方で、メシは近所のファミレスで食べて駅まで見送られた。
あっけないもんで、カホはニコニコしながら「ハジメちゃんバイバイ」って手を振ってた。
自分のとこのマンションに戻れば、ひと回り小さくなった冷蔵庫とダイニングテーブルがリビングを広く見せていた。テレビもそこかしこに散らばっていた玩具も無くなって、なのにカホが遊んでいた姿がふっと目に浮かぶ。
寝室には1人分の布団しかなくて、部屋の隅で畳まれている。明日から多分敷きっぱなしになるな、なんて考えながら広げていたら、スタンドに立てられたアコースティックギターが目に入った。
マジで置いていきやがって。
黄色いニスが塗られたボディに指先が引き寄せられた。木の温かみを感じて、少し心が和らぐ気がする。俺の宝物なんだからってユウジの言葉を思い出す。それを、俺に預けていったんだな。
表の板にうっすら俺の影が映って、胸のあたりでサウンドホールがぽっかり穴を開けている。
それを見ていたら、無性にピアノが弾きたくなってきた。ひたすら指を動かして、音を耳に詰め込んで、脳を音楽で満たしていく。
目がだるくなって、眠くなって指が動かなくなるころには空が白み始めていた。まだどこかで音が鳴っているような感じがする。でも、これでいい。
立ち上がると腰も手首も鈍く傷んだ。窓を開ければ冷たく澄んだ空気が入ってくる。一晩中かき鳴らした音たちの残響は、みるみるうちに消えていった。
俺はまた、静かになった部屋に取り残されていた。
まだ間に合うからさ』
Desperade/イーグルス
ーーーーーーーーー
起きたらユウジもカホもいなくて、部屋の中には籠った空気が澱んでいた。体は汗ばんでいて怠かったけど、頭の中はスッキリしている。
決めたことが、一つある。
スマホの時間を見れば、バイトに行く時間が迫っていた。朝飯を食う時間もなくて、汗まみれのTシャツと下着だけ替えて家を飛び出し、遅刻ギリギリでタイムカードを押した。
店長は何も言ってこなかったけど、アリサにはソッコーで何かあったってバレた。
「背中に黒いオーラ背負ってる」って。
確かに、あれからユウジとは表面上は普通に生活いるけど、よそよそしい雰囲気が漂っていた。一緒に演奏することも、なくなった。
「多分店長にもバレてるよ。アンタわかりやすいもん」
アリサの言葉に頭を掻き毟りたくなる。
「落ち込んでてもいいけど身体は動かしてよね」
アリサの言うことを聞くのはシャクだったけど、取り敢えず無心で機材を運んだり弦の張り替えなんかをしていた。そういや今日は対して接客してない。あんまり表に出ない仕事を回してくれたんだろうな、と気づいたのはバイトが終わった後だった。
「アリサ、ありがとな」
帰り際にそう声を掛けたら、すげえビックリしてた。
「い、いいからカホちゃん迎えに行ってあげなさいよ」
目をあっちこっちに泳がせながら、ちょっと顔が赤くなってた。
「え、もしかして照れてんの?」
「うるさい!早く行けば?!女の子を待たせたら承知しないんだから!」
あんなやつだったっけ、と首を傾げていると帰り際に
「アリサは前からあんな風だったぞ」
って店長が言ってた。俺は、実は、結構周りの人間に恵まれていたのかもしれない。ゲイだってみんな知っているし、カホを迎えに行っても嫌な顔しないし。
「あのさ、俺、正社員やるよ」
なんか知らないけど、するっとそんな言葉が出てきた。どっちみちやりたいことはなかったし、忙しい方が余計なこと考えずに済む気がする。何より、やっぱり俺は音楽から離れられそうになかった。店長は待ってましたとばかりに「おう」とニヤリとする。
「ユウジが引っ越してからでもいい?」
「ああ、もちろん。これでやっと隠居できるな」
店長はまだニヤニヤしている。
「俺の仕事も教えてやるから覚悟しとけよ」
「はあ?俺に店長の仕事押し付ける気かよ?!」
「まあお前が育つまでは面倒見てやるよ。早く仕事覚えて俺に思う存分ドラム叩かせろ」
「ふざけんなよオッサン」
「やるだろ?」
「やる、けど・・・」
ちょっとしたコンプレックスが顔を出した。
「俺、高卒だし、ずっと、バイトしかしてなかったし」
「お前がやるっつったらそれで十分だよ」
店長を見上げれば、腕を組んでどっしりと構えていた。
「お前は、やるって言ったら絶対やるし、やらねえって言ったことは2度とやらねえ。
バンドやってた時からそうだっただろ。俺は、お前のそういう男らしいとこ買ってんだよ」
なんかもやもやする。いや、嬉しいは嬉しい。
けど、なんで店長にこんなに信用されてんだろ。なのに、なんでユウジは俺の言うこと全部疑ってかかるんだろ。
「お前が中学ん時からの付き合いだろ。保護者みたいなもんなんじゃねえのか?心配してんだよ」
そう店長は言ってたけど、それじゃ納得いかなかい。やっぱり、俺はーーー
店を出て、歩きながらスマホを開く。それから電話をかけた。正社員やるって言ったのはまあ半分勢いだけど、一つだけ決めていたことがあったから。呼び出し音が何回も鳴らない内に、相手はすぐに出た。
待ち合わせ場所は、ターミナル駅の前だった。同じようなスーツ姿の人間たちが回遊魚のように群れをなしている。その中でも背が高くて整った顔立ちはよく目立っていた。いや、ユウジと同じ顔をしているからかもしれない。
春野は仕事終わりみたいでビジネスバッグを手に紺のスーツを着ていた。量販店のやつだろうけどスタイルがいいからサマになっている。
少し離れたところから近づいていくと、すぐ俺に笑顔を向けた。
「どうしたの?」
柔らかな笑みには嫌味も卑しさもない。
ただ、会って話がしたいと連絡した。その日のうちに会えるとは思ってなかったから正直ビックリしたけど。
春野は少し妖しさを漂わせながら、どこかに入る?と目を細める。
「別に。すぐ終わるし」
俺は少し息を吸って、一言だけ告げる。
「もう、アンタとは会わない」
春野は大きく目を見開いて、それからそっか、と寂しげに微笑んだ。
「残念だな。できれば恋人になりたいなって思ってたんだけど」
「マジで?」
「そうだよ、好きな人がいてもいいから、付き合ってくれる?」
「無理」
「じゃあ今まで通りの」
「セックスもしない。もう決めたから」
試しにって付き合って、痛い目を見るのにはもう懲りている。
春野はまた、そっか、と笑う。
「はっきり言ってくれてスッキリしたよ。あと、わざわざ会ってくれてありがとう」
春野は俺の頭を撫でて、名残惜しそうに俺の目を覗き込む。ユウジが俺を求めているような感じがして心が揺れそうになるけど、ただ強く見つめ返した。春野は小さく溜息をついて、少しだけ微笑んで、黙って背を向けた。肩を落とし歩く後ろ姿が寂しげで、悪いことしたかなと思った。でも、ダラダラと関係を引き伸ばすよりは良かったに違いない。
それに、春野はやっぱりユウジに似てなんかいない。ユウジはあんなに俺に優しくないし、間違っても俺に好きだなんて言わない。
セックスして初めて気づくとかアホだな。
でもセックスできなくてもユウジのがいいってのは、やっぱり春野とシないと分からなかったんだろう。
そろそろ俺も帰るかな。
確かに、なんでわざわざ会おうなんて思ったんだろう。でも、そうしないといけない気がしたんだ。
ユウジは、まだ起きてんのかな。
ユウジは普通に俺に接している。でも、どっかよそよそしくて、目が合うと弾くように視線を逸らされる。気まずいったらありゃしない。
それでも顔を見られたら、あわよくばギターの音が聞ければいいなとか思ってる俺は相当重症だ。
マンションの3階にある部屋のドアを開ければ、なんとユウジではなくカホが俺に駆け寄ってきて足にしがみ付いてきた。
「なんだよ、もう寝る時間だろ」
ジーパンにじんわり暖かい液体が染みる。え、もしかして泣いてる?
「どうした?」
スニーカーを脱ぎながら言えば、ユウジが代わりに
「引っ越しのこと言ったらさ、ハジメちゃんは?って言い出してさ・・・」
って疲れきった顔をしていた。
「俺は一緒には行かない。仕事あるし」
「なんで?」
カホは涙声で、叩きつけるように言った。
「ハジメちゃんパパとケンカしてるから?」
ユウジと顔を見合わせた。何かあったこととかユウジとの関係が変わったことは一丁前に感じ取っているらしい。
それに、カホが生まれる前からユウジや姉ちゃんと一緒に住んでたからな。俺がいるのが当たり前になってて、当然俺もついて行くもんだと思っていたんだろう。
「パパのこと嫌いになったの?」
言葉に詰まった。コイツの前で馬鹿正直に言えるか。
「そんなんじゃねえよ、アレだ、大人には色々あんだよ。てか離れろ。歩けねえだろ」
それでもカホは俺の足から離れようとしなくて、でっかい重りをつけたままリビングに向かう羽目になった。
ダイニングテーブルの椅子に座って、「抱っこして」と言われるままに膝に乗せる。
「カホハジメちゃん好きだからぁ・・・」
抱きついたまま、まだグズグズ言ってやがる。
ユウジは「そこまでか・・・」ってちょっとびっくりするやら呆れるやら。
「いいよ、俺がなんとかしとく」
もうどうしようもないから落ち着くまでこのままでいることにした。カホの背中を叩きながらスマホを取り出す。
「オイ、カホの前では」
「やらねえよ」
流石にカホの前でアプリを広げるほど無神経じゃない。手をひらひらしてユウジを寝室に追いやる。案の定、カホは30分も経たないうちに泣き疲れて寝ていた。
「悪いな」
抱き抱えて寝室に連れて行けば、寝転んでスマホをいじってたユウジが起き上がった。
カホを布団に寝かせれば、俺の方を向いて頭をすり寄せてくる。
「・・・しばらくいてやれば?」
ユウジが言わなくてもそうするつもりだった。横になってスマホを開く。
「お前、相当カホに好かれてんだな」
ユウジはこちらに寝返りを打つ。
「ん。なんでだろな」
「・・・ちゃんと可愛がってきたんだな」
「そうか?」
「お前は、セックスと音楽のことばっかだと思ってた」
「そこまで言うか?」
心外だ。スマホをいじる目の端で、ユウジの口元が綻ぶのがチラッと見えた。
「久しぶりに、演るか?」
ユウジが立ち上がって、ギターを手にする。
そんなんやるに決まってんじゃねえか。すぐスマホを閉じて起き上がる。
ユウジはリビングのソファに腰掛け、肇は電子ピアノの前に座る。2人が定位置につき、ユウジが曲のリクエストをする。それがいつもの合図だ。
久しぶりに聞くユウジの音は前と同じように優しくてほっとした。角のない音の粒が弦からこぼれ落ちる。テンポを確かめながら音をぎこちなく重ね合わせていく。だんだんお互いの呼吸を思い出してきて、ハモリが綺麗に重なるようになってきた。曲が進むにつれ、俺とユウジの音が溶け合っていく。穏やかな音色に全身を包まれ、響き合ってできた和音が鼓膜を震わせ、いたるところで甘く響く。それがとても心地良くて、繋がってんだなって感じて嬉しくなる。音楽とセックスは、とてもよく似ていると思う。
そういえば、セックスを覚える前はユウジや店長達と音楽やってんのが1番楽しかった。
「ユウジ、」
伴奏する手を止めると、ユウジはこっちを見た。
「やっぱり、俺はセックスよりユウジと演ってる方が楽しい」
頬が勝手に上がって、にやけるのを止められない。ユウジは「え」とも「へ」ともつかない変な音を喉から出した。それから瞬きが増えて、視線をあちこちに彷徨わせている。
「・・・なんでもない」
笑いを噛み殺しながら寝室に戻れば、カホがうっすらと目を開けた。やべ、起こしちまった。
カホはふにゃふにゃと
「きれいだねぇ・・・」
と笑った。
「きれいな音だねえ」
っていいながら目蓋が落ちていって、また寝息を立て始める。
次の日は、目覚めたカホはぐずらず機嫌よく起きてきて、「おはよう」と声をかけてきたユウジは穏やかな顔つきだった。視線を弾き返すような壁はもう感じない。こうして、ユウジとのいつもの毎日が戻ってきた。
それから、カホは俺とユウジの演奏を度々聴きたがるようになった。俺としてはユウジと2人きりがよかったけど、ユウジが凄く嬉しそうにしていたから好きなようにさせてた。
夏休み中に引っ越す予定だったから、梅雨入りとともにバタバタし始める。演奏する時間もなくなってきて、すぐ引越しの日が来た。
その日は快晴だった。
新幹線で県を一つ跨いで、町並みの向こうにうっすら山が見えるような地方都市に到着する。
前住んでいたとこより階数も部屋の数も小さなマンションだけど、セキュリティがしっかりしていて玄関に各部屋に繋がるモニターが設置してある。
今日は管理人に声を掛けて部屋を開けてもらった。
まだ家具が届いていない部屋はだだっ広くて、フローリングの床が窓から入る日差しを白く照り返していた。そこをカホがパタパタと駆け回る。
音が反響して、今ここでギターやピアノ弾いたらいい音が出そうだ。
あれ?そういえばーーー
引越しの業者から荷物が届いて、それを広げている時確信した。やっぱり、ユウジのアコースティックギターがない。
「ユウジ、ギターは?」
「置いてきた」
「はあ?!」
マジかよコイツ。俺だけじゃなくて音楽まで置き去りにする気かよ。
ユウジはダンボールから食器を出しながら
「ここ、あんまり防音がちゃんとしてないし。それに、向こうに行った時お前と演れるしな」
なんて穏やかな笑みを向けてくる。
「壊すなよ、俺の宝物なんだから」
悪戯っぽく顔をくしゃっとするユウジに、もう何も言えなくなっちまった。
カホとユウジの荷解きが終わったのは夕方で、メシは近所のファミレスで食べて駅まで見送られた。
あっけないもんで、カホはニコニコしながら「ハジメちゃんバイバイ」って手を振ってた。
自分のとこのマンションに戻れば、ひと回り小さくなった冷蔵庫とダイニングテーブルがリビングを広く見せていた。テレビもそこかしこに散らばっていた玩具も無くなって、なのにカホが遊んでいた姿がふっと目に浮かぶ。
寝室には1人分の布団しかなくて、部屋の隅で畳まれている。明日から多分敷きっぱなしになるな、なんて考えながら広げていたら、スタンドに立てられたアコースティックギターが目に入った。
マジで置いていきやがって。
黄色いニスが塗られたボディに指先が引き寄せられた。木の温かみを感じて、少し心が和らぐ気がする。俺の宝物なんだからってユウジの言葉を思い出す。それを、俺に預けていったんだな。
表の板にうっすら俺の影が映って、胸のあたりでサウンドホールがぽっかり穴を開けている。
それを見ていたら、無性にピアノが弾きたくなってきた。ひたすら指を動かして、音を耳に詰め込んで、脳を音楽で満たしていく。
目がだるくなって、眠くなって指が動かなくなるころには空が白み始めていた。まだどこかで音が鳴っているような感じがする。でも、これでいい。
立ち上がると腰も手首も鈍く傷んだ。窓を開ければ冷たく澄んだ空気が入ってくる。一晩中かき鳴らした音たちの残響は、みるみるうちに消えていった。
俺はまた、静かになった部屋に取り残されていた。
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岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
幼馴染は僕を選ばない。
佳乃
BL
ずっと続くと思っていた〈腐れ縁〉は〈腐った縁〉だった。
僕は好きだったのに、ずっと一緒にいられると思っていたのに。
僕がいた場所は僕じゃ無い誰かの場所となり、繋がっていると思っていた縁は腐り果てて切れてしまった。
好きだった。
好きだった。
好きだった。
離れることで断ち切った縁。
気付いた時に断ち切られていた縁。
辛いのは、苦しいのは彼なのか、僕なのか…。
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