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第六章

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罪人のように切り落とされたリスの頭の付け根から血溜まりが出来ていく。
風の魔法か?斬られる刹那、焚き火が揺らいでいた。
それにしても、なぜーーー
恐れと戸惑いに私の手は震えている。なぜこんな事をしたのか、とやっとの思いで聞けば、ソラスは美しい笑みを保ったまま、苦しむ時間を減らしてやったのだと答えた。
私は雷に打たれた。
いや、これは、私の想定不足だ。永く人間社会に身を窶していたせいか、"隣人達"がどのような者達なのかすっかり失念していたのだ。
彼らは子どものように無垢で、親切で、無邪気な残忍さを持つ者達なのだということを。
人間とは価値観がまったく異なる者達だということを。
そして、哀しくなった。
誰も彼に、無闇に命を奪ってはいけないという至極当たり前の事を教えてやらなかったのだ。

『ソラス、おいで』

ソラスは私の隣に座った。そして、私は彼の頬を打った。ソラスは何が起こったか分からないといった風に、顔をゆっくりとこちらに向ける。

『悪戯に命を奪うのはいけないことだよ。
人間の世界で暮らしたいのなら尚のことだ』

目を真っ直ぐに見ながら言う。ソラスは目を見開いたまま、しかし素直に頷いた。
炎の前で膝を抱えるソラスはどこか落ち込んでいるように見える。目の前にはまだリスの死骸が転がっているというのに、胸の奥が甘く疼いた。
ソラスに手を伸ばし、頭を撫でる。

『嫌いになったわけではないよ、私は君の事が』

言い掛けて、私はみるみるうちに赤面していった。
気づいてしまったのだ。ソラスに抱いていた想いに名前がついた瞬間だった。相手は見目麗しいとは言え青年の姿をしているというのに。
ソラスの、澄んだエメラルドの瞳が向けられる。心臓が早鐘のように鳴っている。
喉の奥が熱くなり、言葉はそこで焦げ付いて出てこない。

ソラスは小動物のように顔をパッと森の方に向け、輪郭を揺らめかせる。そして消えた。私もソラスと同じ方向を向くと、がさり、と茂みを揺らし、侍女が現れた。

「どうしたのですか、こんな夜更けに」

私はなるべく平静を装った。侍女は蒼白な顔をして、本当に会ったのか、と聞いてきた。

「ええ、先程までここに」

私はソラスが座っていた処を指す。

『ソラス、出ておいで』

森に向かって話しかけるも、姿が見えないどころか返答すらない。彼女とは面識があるはずなのに。

「こんなところに・・・!」

侍女は歯を剥き出しにし怒りの形相を作った。ソラスのいた方へ向かって足音荒く歩いていく。

「何をしていたの!?早くお行きなさい!
行っておしまい!」

怒鳴りながら地面に落ちている石を手当たり次第拾って方々に投げる。

「やめてください、どうしたというのですか」

侍女の前に立ち肩を掴む。途端に彼女の顔に怯えが広がった。
侍女は、何か言っていたか、と顔を漂白させる。
私は首を振る。
侍女は安堵したように息を吐き、私に背を向けた。

「ソラスを、元来た場所に還すつもりはありませんか」

侍女は振り向く。そんな事が出来るのか、と。

「彼は"かの国"への入り口を知っています。還ろうと思えばいつでも還れたはず」

それをしなかったのは、貴女が彼にとって母のような者だったからではないか、と言えば、侍女は顔を覆い膝から崩れ落ちた。
私は思わず立ち上がり、彼女に近づく。

「私があの"生き物"の世話をしていたのは、ただ哀れだったからよ!!!」

彼女の言葉は私をたじろかせた。

「あれは私の罪そのものなのです。あれは私そのものなのです」

侍女は地面に伏し叩きつけるように叫ぶ。
どういうことなのか聞けば、侍女は堰を切ったように話し始めた。
侍女は若かりし頃、村長に手篭めにされ何度も犯されたという衝撃の一言から始まり、やがて子どもが出来てしまった事、その赤ん坊が男児に恵まれなかった村長に取られそうになった事、取られるくらいならと、その子を井戸に投げ入れた事を吐露した。
震える指先で私の小屋の隣の井戸を指さした時には、さすがに戦慄した。

そして、どうしても気になって翌日見に行くと、3歳くらいの男の子が井戸の辺りにいたそうだ。
それがソラスだった。
罪が具現化されて、自分の元に返ってきたと感じたという。
あの井戸は"かの国"への入り口だった。侍女は図らずとも自分から赤子を"取り替えて"しまったのだ。
そして、人1人を、ましてやあんな目立つ者を隠し通せるはずもなく、まずトラフィー家の亭主に見つかった。トラフィー家の亭主は、ソラスを美しく珍しい生き物程度にしか思っておらず、恐ろしい企てを思いつく。亭主は村の外に材木を卸したかったが、力を失うことを恐れた村長がなかなか首を縦に振らないことに頭を悩ませていた。
亭主は、村長に金とともに美少年に成長したソラスを差し出した。

私は耳を疑った。
侍女に止めはしなかったのかと詰め寄ってしまった。そんなことをすれば、彼女が村に居られなくなるであろう事は容易に想像できたはずなのに。案の定、私が想像した通りの答えが返ってきた。そして告白は続いた。

「あれが村長の家から戻ってきた時、着物は裂かれ蒼白な顔をして、何が起こったかすぐにわかりました。
昔の私そのものでしたから。
そして安堵に包まれたのです。あの美しく崇高な生き物が私と同じところに堕ちてきたのだと。
優しさが心に満ち、あれの身体の清め衣服と食べ物を与えると、驚くほど従順になりました。優越に心が震えました。
私の言う事は何でも聞きました。旦那様の言う事は、鞭で打たれても聞きやしないのに。私は旦那様の言われるままに、村長の家に行けと、あれに命じました」

激しい怒りに身体が灼かれた。
女を殴ってやりたいと思ったのは生まれて初めてのことだった。トラフィー家の亭主や村長は八つ裂きにしてもまだ足りぬくらいだ。
ソラスは重大な秘密であると同時に、村長を傀儡にする為の人身御供だったのだ。

「私があの生き物の世話をしていたのは、贖罪という名の、罪悪感を払拭をするための行為に過ぎません。
いいえ、己の醜い愉悦と優越に浸るためですわ。

決して、あの生き物の為なんかじゃない!」

なのに、どうして、と顔を覆い肩を震わせていた。良心を揺さぶられ地面に落ちる侍女の涙が、私の怒りを鎮火させていった。
ソラスが侍女の言う事を聞いていたのは、恐らく与えられた衣食住に対する"対価"だ。
しかし、"対価"と憐憫だけで、ソラスがそこまでするとは思えなかった。隠された一欠片の真心が、侍女自身が気づかぬ程の小さな優しさが、ソラスには伝わっていたのではないだろうか。
侍女と少年のやり取りを思い出す。
ソラスに名が与えられなかったのは、もしかしたらーーーー

侍女の身体が、ぐらりと傾いた。
その背中には、ボウガンの矢が刺さっていた。私は急いで引き抜いたが、侍女の身体は痙攣しだす。毒が塗ってあったのか。
私はソラスの名を叫んだ。しかし返答はない。私は侍女を背中に負い、村の中心部にある医者の家に走った。途中、侍女はうわ言を繰り返していた。

「・・・て」

喋ってはいけないと言えば、連れて行って、と掠れる声で言った。必ず医者に見せると答えれば、微かに首を振り  

「あの子、を・・・連れて・・・」

言葉も、身体の震えも止まった。振り返れば、侍女はラファエロの筆致で描いたような目をしていて、そこから光が徐々に消えていった。
最期に、あの子と言ったのを、私は聞き逃さなかった。そうでなければ、彼女の遺体を共同墓地に運んだりしなかった。後は墓掘りがなんとかしてくれるだろう。

そして、ソラスを"かの国"へ送り届けることを心に決めた。例え私が人の世に居られなくなろうとも。こんな所に彼の身を置いておきたくない。
何より、彼の母親の頼みなのだからーーーー

急いで小屋に戻ったが、何度呼びかけてもソラスは現れなかった。
嫌に胸が騒めく。
ふと、炎に揺らぐ景色が歪んだ気がした。ブーツの靴紐が何かに突かれた感触を覚える。
周りを見渡しても誰も、何もいない。
もしや、と思った瞬間、強い風が背後から叩きつけられ炎が消えた。暗闇に包まれ恐怖に飲み込まれそうになるが、閃光のようにある言葉が閃いた。
私は、半信半疑で唇を開き、その言葉たちを
唄う。

ーーーーSolas道の灯よ bothair
Tog meann私をそこに連れて行け

Maga蘭の花irliniが咲きfaoi bhlath
Craiceann 竜が唄う an dragon
Go dti その場所へ an ait sin

Whisper 星が囁き an star
Codlaionn 精霊が睡る an spiorad
Go dti an その場所へ ait sin

Solas,灯せ、treoir導け、,solas 道の灯よ bothair

Athraigh 標を麦の an| marc ar穂の色にdhath na cruithneachta


小さな麦穂色の光が、地面に点々と道標のように灯った。私はその道を全力で駆けた。
"隣人達"に、心の中で感謝を述べながら。
光の道標の先にあるのは村長の家だった。ますます嫌な予感がした。家の明かりは消えていたが、うっすらと光に縁取られた窓が一つだけあった。木で出来ており中は見えない。私はなりふり構わず、ソラスの名を叫びながらそこを叩いた。小さく高い声が微かに聞こえた。
私は手帳を取り出し、挟んであった鉛筆で窓に陣を刻む。その指先は、湯に浸したように血の巡りが早く、熱くなっていく。"隣人達"が力を貸してくれているのが分かる。
最後の一文字を書き終えると、木の窓はひび割れて崩れ去った。
部屋の中が露わになる。
粗末な寝台の上で、白い身体に年老いた男性が覆いかぶさっていた。
私は無我夢中で男性を引き剥がし、白い身体を起こして掻き抱いた。と、強い衝撃に頭が揺さぶられた。点滅する視界の中、捉えたのは椅子の脚を持つ村長の姿だった。
いけないと思いつつも、何もかもが遠退いてゆく。
意識も、見開かれた緑色の瞳も、私を呼ぶ声もーーーー





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