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第二章

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太陽が沈み始めてから、私はあの小屋のある森に向かった。
外からは見えない場所まで立ち入り、焚き木を集め、野営の準備をする。
もちろん、エルフに会うために。
折角雨風を凌げるところを与えられたのに、今日は野宿をすることになりそうだ。

まだ季節は夏だが、日が落ちれば震える寒さだ。毛布に包まり、土に木の枝で陣を描く。土が盛り上がりドーム型の炉ができた。
"隣人達"は見えなくなってしまったが、魔術は少しだけ使える。とは言っても、火をつけたり水から一欠片氷を作り出す程度だ。それだったら文明の利器に頼った方が早い。火をつけるために数十の魔術式を描くより、マッチを擦った方が効率が良い。
マッチに灯した火を小さな松毬に移した。油を含んだ実はあっという間に焚き木を巻き込み燃えあがる。

ああ、胸の高鳴りが抑えられない。
"取り替え子"は本当に存在したのだ。それもエルフ。
白い髪が僅かな陽光を虹色に照り返し、光輝くようで、神々しいまでに美しかった。
彼、いや、彼女だろうか。どちらでもいい。
早く姿を見たい。会いたい。

気を鎮めようと、炉の上で茶を沸かしちびちびと啜る。思考する時の癖だ。
子ども達の言っていた森を彷徨う怪物は、恐らくトラフィー家が取り替え子の存在を隠す為に流した噂だと推測している。だとすれば、エルフは夜の森に現れるのではないだろうか。憶測に過ぎないが、エルフの手掛かりもまたこの森にしかない。

暖かいものを腹に入れ、焚き火に身体が暖まって眠気が襲ってくる。
睡魔は私を夢の中へと誘う。
必死に抵抗した。しかし私の頭の中は断続的に夢に支配される。
子どもの頃の私に冷たく当たる両親の姿、一人で泣いている時に寄り添ってくれた、二足歩行の蜥蜴や蝶の翅を生やした"隣人達"、成長するに連れ減っていく"隣人達"の姿が、夢に入り込むたびに幻灯機のように映し出される。
見えなくなっていくと寂しさが募り、本の中にその姿を求めた。彼らに近づく為魔術式の勉強もした。それが高じて研究職に就くまでに至った。
しかしいつだって心の中にあるのは、"隣人達"に会いたいという想いだった。変人扱いされようとも、両親に勘当されようとも。
微睡の中で、自然と彼らと子どもの頃に歌った唄が唇から奏でられていた。


ーーーーSolas道の灯よ bothair
Tog meann私をそこに連れて行け

Maga蘭の花irliniが咲きfaoi bhlath
Craiceann 竜が唄う an dragon
Go dti その場所へ an ait sin

Whisper 星が囁き an star
Codlaionn 精霊が睡る an spiorad
Go dti an その場所へ ait sin

Solas,灯せ、treoir導け、,solas 道の灯よ bothair

Athraigh 標を麦の an|『marc ar穂の色にdhath na cruithneachta』


唄声が、澄んだテノールと重なった。
私は目が覚めた。
左側から影が伸びている。恐る恐るそちらに目を動かすと、白い横顔があった。緑色の目は焚き火に照らされ、夕焼けに燃える森のように美しい。
それが私に向けられると、顔が沸騰するかのように熱くなってきた。
白い顔の口元は弧を描き

『          』

どこから来たのか、と私の国の旧い言葉を紡いだ。
これはケルト語だろうか。
私の母国の名前を告げると、知らないと答えた。この村から出たことはなく、教育らしい教育も受けていないらしかった。しかし、私の母国語は理解出来たらしく、どんな人間か興味を持ったそうだ。

『私は、"かの国"から来たのだよ』

私の生まれた国と育った国は異なる。
私は外套を脱いだ。下に着ていた厚手のベスト、木綿のシャツのボタンを外し、はだける。外気に触れ肌が粟立った。構わず下着の襟刳をぐいと下に引っ張って、その下の素肌を見せた。いや、肌ではない。
ーーーー枯れ葉色の大ぶりな鱗だ。

『私も"取り替え子"だ』

そう、この鱗のせいで、私は忌み嫌われてきた。両親からさえ。子どもの頃は全身を覆っていた鱗も成長するにつれ剥がれ落ち、今では胸と背中の一部に残るのみだ。
都会に飛び出してきた私を取り替え子だったと知る者はいないし、人間として生活するのには不自由していない。 
しかし、この姿になっても、両親との絆が戻ることは無かった。また架空生物の研究なんて怪しげなものをやっている為、両親から縁を切られたと話しても不審に思う者はいなかった。
私は成長して身体は大人に、身体も人間に近づいたが、心は"隣人達"といた辛くも優しい子ども時代に置き去りにされたままだった。

エルフは子どものように目を丸くしながら、私の胸に、鱗に触れた。その白魚のようなか細い指が触れただけで痺れるようだった。
エルフは感触を確かめるように指で鱗をなぞりながら目を細める。嫌悪を向けられなくてほっとすると同時に、今まで感じたことのない甘い疼きにたじろぎ、パッと身体を背けてしまった。
肌が見えなくなるまでボタンを閉じると、エルフに向き直る。

『君の名前は?』

『          』

名は無いが、皆から色々な名で呼ばれると言う。私は愕然とした。
学やまともな住まいはおろか名すら与えられていないとは。しかし、それとは相反して清潔な身なりをしていて、立ち振る舞いは優雅だ。その矛盾に胸が騒めいた。
私はエルフをソラスと呼んでもいいかと尋ねた。私の母国の言葉で光という意味だ。
エルフは頷いた。

『私と来る気はないか』

ソラスは首を傾げる。

『私と還る気はないか。"かの国"へ』

私やソラスはそこからやってきた。この世界へ。"隣人達"の住う楽園から。

『君は、彼らが見えるかい。彼らがどこからやって来たかわかるか』

ソラスは頷く。私は有頂天だった。遂に、"隣人達"に会える。夢にまで見た大切な友人、家族たち。
私は火をランプに移して焚き火を消した。ランプに布をかけ極力灯りが見えないようにする。しかし、ソラスはその必要は無いと言う。
口の中だけで何やら呪文を唱えると、景色が擦りガラスの向こうにあるように霞んだ。
姿をくらます魔法らしい。
私の前から姿を消した時もこの魔法を使ったそうだ。
驚いた。魔法なんぞ初めて見たし、純粋な魔法使いは今や絶滅危惧種だからだ。
魔法と魔術は違う。魔法は自然の力や"隣人達"の手を借りて行うもので、魔術はすべて使い手の力を使ってするものだ。
例えるなら船に帆を張り風や潮流の力を使って進むのが魔法で、人力でパドルを回したり櫂を漕いだりして船を進ませるのが魔術といったところか。
ソラスが言うには物心が付く頃には使えたそうだ。草食動物が産まれてすぐ立ち上がるように、植物がひとりでに花を咲かせるように、誰も教えていないのに生まれつきやり方を識っていたのだという。

その事実も興味深いが、ひとまずは後回しだ。私はソラスに付いて、夜の森を歩いた。
奥へ、奥へと誘われる。
月明かりさえ届かずランプの灯りさえ飲み込まれそうだ。すると、急に視界が開けた。
草はらが広がり、月明かりが舞台の照明のようにたっぷりと清水をたたえた泉に差している。その奥にはまた森の木たちが佇んでいた。
ソラスは首を振り周りを見渡す。入り口の現れる時間も場所も、ある程度決まってはいるが常にそこに現れるとは限らないそうだ。
今日、入り口は草はらの向こうの森の中にある、と指差す。微かに光が漏れているそうだが、私にはただ鬱蒼と木が生い茂っているようにしか見えない。近づいても、ソラスに案内されて直近に立っても。
ソラスのいう光の溢れる場所など見えず、苔むした岩が転がっているだけだった。
悔しいような、悲しいような、なんとも言えない虚しさが襲ってきた。
ソラスはきっとその奥に行けるはずだ。しかし、きっと、私だけは立ち入る事が出来ない。

『        』

もう帰ろうとソラスは袖を掴んだ。私は疑問をぶつける。何故還ろうとしないのか。
いつでも"かの国"への扉は開かれているというのに。
ソラスは答えず、美しく微笑むのみだった。

落胆し肩を落としながら歩く私の横で、ソラスは泉に目をやりしゃがみ込む。
ソラスは水の中に手を差込み、やがて微笑んだ。慈しむように指先を微かに屈伸させている。
まさか

『いるのか、そこに』

私は飛び込まん勢いで泉を覗き込んだ。しかし、ソラスの手の周りに波紋が立つばかりだ。
私には、何も見えない。聞こえない。そこにいるのに。地面についた両手が土を抉る。
ソラスは、そんな私の手を取った。そして、手を掴んだまま泉に浸す。指先になにやらつるりとして弾力のある物が触れてきた。これは、紛れもなく生き物だ。
私はソラスの顔を見た。優しげに微笑んでいる。

『            』

彼らはずっと傍にいる、と教えてくれた。
私はみるみるうちに目頭が熱くなり、嗚咽が漏れそうになるのを必死に堪えた。
そうか、私の友や家族達は、いつでも傍らに在ったのか。私が彼らの姿が見えなくなっても、ずっと。
陳謝の言葉をいくら並べても足りないのに、ソラスの手を握りしめ、ありがとう、と絞り出すのが精一杯だった。

また会おうとソラスは言った。
この森で、私とソラスは会う約束をした。
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