さらば横浜チャイナタウン

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最終話① カーディス・フリンディア

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「やあこんばんは、僕はカーディス・フリンディア。高嶺蓮人くんだね?
わあ、本当に綺麗な子だね。もっと顔をよく見せておくれ」

「アンタ誰だよ」

珍しくスイから外で会おうってメッセージが来て、もう夜に差し掛かるというのにみなとみらいまでわざわざやってきた。
赤レンガ倉庫街は今が花盛りでイベントもやっているらしいが、とっくに暗くなっていてよく見えない。観光客向けの洒落たレストランやカフェを避けて、コーヒーチェーン店でスマホを触りながらブレンドを飲んでたら突然変なヤツに絡まれた。女装はおろかジーンズにロングTシャツという適当な格好なのに。髪もろくに梳かさずポニーテールにまとめてキャップに押し込んでいる。
ちなみにこのナンパ野郎は、日本語を話しているが見た目は金髪碧眼のイケメンだ。北欧系の顔立ちでスイより背が高い。白いパンツを履いた長い足はテーブルの下に収まりきらず少し椅子を引いて腰掛けている。白いテーラージャケットから覗く手首にはブランド物の腕時計がしてあった。
ただの観光客やナンパ野郎じゃない。本名を呼ばれた・・・・・・・のは久しぶりだ。

「あれ、名乗っていなかったかな。僕はカーディ」
「そうじゃない。アンタ何者だよ。俺にワッパかけに来たようには見えないけど」
「やだなあ、警察なんかじゃないよ。"錠前屋"ロック・スミスって聞いたことないかな。界隈ではちょっとばかり名の知れた"ハッカー"さ」

たしかに、錠前屋って名前ならちょっと聞いたことがある。パスワード開けが得意で、世界中どこの端末でも入り込んでしまうらしい。それを活かして情報屋もやっているとか。

「電子ドラッグは実に面白いアイデアだったよ。スイくんと仕事するのは楽しいね」

確かにそんなこともやってたな。聞いてもいないのにカーディスは楽しげに話しかけてくる。ウザい。

「いつからアイツと仕事してんだよ。それに口ばっかで証拠もねえじゃねえか」
「証拠を残しておいたら捕まっちゃうからね。それに、言っちゃあ悪いが君にそれを精査できるのかい?」

言葉に詰まった。俺はその辺は素人だし、さっきのセリフだってハッタリだ。

「アンタは何が目的なんだ」
「僕と遊んでよ。スイくんにずっと君を紹介して欲しいって言ってたのに、全然聞いてくれないから」

だろうな、アイツなら。それにそんなふざけた理由が本当かどうかもわからない。

「断る」

バレたらまた浮気だなんだってうるせえからな。

「うーん、じゃあ僕からの依頼っていうことならどうかな。彼だって他の子のところにいるんでしょ」

考えないようにしていることを引っ張り出されて、不快感に唇をぐっと結んだ。
一瞬揺れたのを見透かしたように、カーディスは続ける。

「君は分別のある子みたいだけど、いい気持ちはしないよね」

当たり前だ、という言葉を飲み込む。何も考えず返答すれば、コイツのペースに巻き込まれるだけだ。
けれどもカーディスは俺を逃すまいと顔を、目を、じっと覗き込んでくる。ヤツの青い目が俺をガラス玉みたいに映して、心の動きを見張っている。

「ふぅん、"そこ"じゃないんだ。君は、自分も利用されてるんじゃないかって」
「うるせえ、さっさと失せろ」

虫唾が走る。なんだコイツ。会ったばっかりのクセに。
ジロリと睨みつけてやるが、カーディスは「健気だねえ」と微笑ましい光景を見るように目を細めた。

「スイくんのことが好きなんだね、彼の役に立ちたくない?」
「他を当たれ。アンタなら遊び相手くらいいくらでも見つかるだろ」
「おや、褒めてくれてありがとう」

ニコニコするカーディスを無視してスマホの画面を見る。いつまで待たせんだよスイは。

「スイくんなら来ないよ」
「ああ?」
「そのメッセージ、送ったのは僕だから」

スマホを落としそうになった。回線を乗っ取られた気持ち悪さと、スイに何かあったんじゃないかってのに背筋が冷たくなる。
だからと言って俺になす術は無く、できるのはカーディスを睨みつけることくらいだ。

「スイくんには何もしてないよ、ちょっと携帯電話を借りただけさ。でも、世の中何が起こるかわからないよね」

カーディスがそう言ってニヤリとした途端、商業施設の明かりという明かりが消えた。真っ暗な中、客や店員の息を飲む声が聞こえた。スマホすら点かない。俺の他にもそれに気づいたヤツがいるみたいで、どよめきが広がっていく。
パニックになる寸前に、元通り照明が点いた。
なんだったんだと周りを見回す群衆に見向きもせず、カーディスは俺を微笑みながら見つめている。

「何やったんだよ今」

カーディスは両手を広げ「魔法を使ったのさ」とおどけてみせる。
あ、コイツヤバい。イカれた言動やテロに近いハッキング技術もそうだけど、こういうそこそこデカいことをするためらいの無さが。

「・・・俺に何をしろって?」
「じゃあ目を瞑って」

カーディスは俺の両目に手をかざしてきて、反射的に目を閉じてしまった。
振り払うが手応えはなく、目を開けた時にはカーディスは煙のように消えていた。
さっきまでヤツが座っていた椅子は空っぽで、最初から使われていなかったかのようにテーブルの下に収まっている。
会って話していたのが白昼夢のようだ。
魔法を使ったのさ、という言葉がリフレインするが、そんなことあるわけない。ふざけた野郎だ。
あ、そうだ。
スイに電話をかければ、すぐに

『どうしたの?』

といつもの穏やかな声が聞こえてきてホッとした。

「今どこ?」
『今着いたとこ。君は?』
「とっくに着いてるよ」
『あ、ごめん。すぐ行くね』

数分後、本当にスイがやってきた。あの嘘つきめ。ハッタリかよ。

「ごめんね待たせて」
「別に。ナンパされたくらい」
「え、誰に?」

スイの目が途端に据わった。予想通りのリアクションだな。

「カーディス・フリンディア。って言ってた」

スイは目をパチクリさせて、溜息を一つ吐いた。

「そっか。あの人ね、もう依頼するのやめようかなあ・・・」
「いつからソイツと仕事してたんだよ」
「え、レンと会う前からたまにね」

組んでたのは俺だけじゃなかったんだな。全然知らなかった。確かにスイ一人でやることには限界があるよな。仕事を外注するのは当然だ。俺みたいなド素人より役に立つだろうよ。 

「なんでも出来るから便利なんだよね、ハッカーとか情報屋っていうより"何でも屋"って感じの人だよ」
「なんでもって?」
「ニセモノ作りでも泥棒でもなりすましでも、なんでもだよ。あ、僕達のパスポート作ってもらったこともあったっけ」

そういうことか。偽の身分証明書とか偽造書類とか、毎回どこから用意してるのかと思ったら。もう少し突っ込んでみるか。

「そこまでデキるヤツならさぞ有名人なんだろうな」
「そうでもないよ。気分屋だし、できないことが一つだけあってーーー」

と、ここでスイはそろそろ行こうか、って時計を見た。
ディナークルーズを予約しているらしく、埠頭まで連れて行かれた。海風が寒くて肩をすくめる。スイが肩に手をかけようとしてきたけど払ってやった。調子に乗るな。
スイはチケットを係に渡す。船に乗り込み中に消える。
俺はそれを、乗り場から見送った。
船はすでに動き出し、スイは甲板から身を乗り出す。

「なんでーーー」

は?そんなの分かり切っている。

「スイが浮気だってうるせえからだよ」

スイの表情が固まる。それから微笑んで、柵に足をかけ、躊躇なく海に跳んだ。遠ざかる船から乗り場まで見事な跳躍を見せたソイツは、顔を上げるともうスイの顔をしていなかった。金髪を靡かせ、青い目を細める。
カーディスは、愉快そうに肩を揺らして笑った。

「すごいね、いつ分かったの?」
「最初からだバーカ。情報屋のくせに下調べがザルすぎるだろ」

とは言っても、半信半疑だったけどな。
スイは俺のことをレンって呼ぶし、2人でいる時は他人の話をするのを嫌がる。カーディスの話を立て続けに振ってたらどっかで遮るはずだ。ああ、だからコイツのことも聞いたことがなかったんだな。

「あの顔ならデートしてくれると思ったんだけどなあ」
「クソだな」
「歯に絹を着せぬタイプだね」

カーディスは苦笑する。

「育ちが悪いもんでね」
「かまわないよ、美しい人の持つ毒は蠱惑的だからね」
「そうかよ、帰る」

踵を返すもヤツはのこのことついてくる。

「送るよ」
「やめろ、ウザい」
「つけられているよ?」

振り返れば物陰に黒い人影が引っ込んだ。
警察とか『帝愛妃』の連中とか、心当たりはいくらでもある。

「走るよ」

カーディスは俺の手を引いた。ヤツの足は早く俺はほとんど引きずられるように走った。
立体駐車場に入り、階段を駆け上がってインテグラに乗り込む。シートベルトをしないうちにカーディスはエンジンをかけ発進させた。その勢いでダッシュボードに頭をぶつけそうになる。
猛スピードで駐車場を脱出し、中華街の方面に車を走らせる。捕まりそうなほどスピードを出しているのに、まるで周りの車や障害物が自ら避けているような見事なハンドル捌きだ。
ここでようやくスイに連絡することを思いついた。

「おっと」

カーディスは俺のスマホを取り上げる。そして流れるような動作で窓の外に捨てた。

「残念だな。もっと君と遊んでいたかったのだけど」

背中に氷を突っ込まれたみたいだった。
バカだろ俺。
コイツも金次第でなんでもやる世界の人間だってことを忘れていた。
着けてきたヤツらもきっとコイツの仲間だ。俺をコイツのペースに巻き込んで、捕らえるための。
車から降ろされた場所は、嫌というほど見覚えがあった。

デッカいビルに、雷紋や唐草模様といった安っぽい中華風のネオンが施され、赤や橙の光を降らせている。
『帝愛妃』と行書体で書かれた看板が、罪人を裁く皇帝のごとく俺を見下ろしていた。
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