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Trac04 Hungry Spyder/槇原敬之 前編
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『ーーー愛だけを食べてあの子を逃すと誓おう』
Hungry Spyder/槇原敬之
木村カエラのButterflyが、パイプオルガンの響きによってチャペルの中に満ちていた。
ヴァージンロードを歩く学生服の俺の隣にはウエディングドレスを着た姉ちゃんがいて、迷い込んだ白い蝶がゆっくり歩く俺たちをひらひらと追い抜かしていった。
白い蝶を目で追っていくと、祭壇の向こうには白いタキシード姿のユウジがいた。
ユウジはとても優しい目でこちらを見ている。それが俺に向けられているものではないと分かっているはずなのに、心臓がバクバクした。
高い天井から差し込む太陽の光の中に立つユウジの周りでは、舞い散る塵が鱗粉の様にキラキラと光を反射している。
それは今でも、俺が見た中で一番綺麗な風景だ。
リビングには、そんな結婚式の写真が姉ちゃんの骨壷と一緒に飾ってある。
無理矢理余興でダンシングクイーンを弾かされた俺は無茶苦茶不機嫌な顔をしていて、姉ちゃんはそんな俺と幸せそうな顔をしたユウジを両手で抱き抱えていた。
ユウジと俺と姉ちゃんが一緒に写っている写真はこれだけだ。
俺はもっぱらカメラマンの役に回っていたから、ほとんど写真に映っていない。
カホと姉ちゃんとユウジの写真が姉ちゃんの骨壷の周りを囲む中、結婚式の写真はひっそりとその中に埋もれていた。
携帯を触るのにも飽きて、姉ちゃんたちの写真をぼーっと眺め、たまには筋トレでもしようかと電子ピアノの前に座った。黒い指用のウエイトを付けていく。セレブが付けているような、デカくて四角い宝石の付いた指輪に似た形だ。
十本の指全部につけると中々重い。
この重さで指が鍵盤に沈んで、深い音を出すトレーニングになる。曲は何にしよ。
「I was born to love youで」
ユウジが寝室から出てきて言った。カホはもう寝たみたいだ。
「またそれ?」
「好きなんだよ」
今日はいくらか優しい顔つきだ。音楽の話をする時だけはこんな顔をする。おかげで俺はピアノを手放せない。
こいつを捕まえておくには音楽しかないのだ。
俺は鍵盤に指を置いた。
音のボリュームを微かに聞こえるくらいに落として、Queenの情熱的な愛の歌を弾く。耳コピだから音程とか適当で、フレディ・マーキュリーが聞いたら多分ブチ切れる。
聴きながらスマホをいじるユウジの口からは時々フレーズが流れていた。
「お前、やっぱピアノだけは上手いな」
ったく、誰の為に練習してると思ってんだ。
「ユウジはもうギターやんねえの?」
「・・・気が向いたらな」
いつもの答えだ。
そう言って、カホが産まれてからずーっと触ってない気がする。まだ聞いても騒がしいだけだとかなんとか言って。
せっかくだからユウジが好きなQueenの曲をいくつか弾いてやった。
「俺そろそろ行くわ」
壁に掛かった時計はもうすぐ9時を指す。
こんな時間に出かける用事といえば決まっている。ユウジはいつもみたいなしかめっ面になった。
「お前、いつまでそんなことやってんだよ」
「さあな」
「お前がゲイやってんのもそういうことやってんのもお前の勝手だけど、俺らを巻き込むんじゃねえぞ」
相変わらずイラッとする言い方だなオイ。
セックスの何が悪いんだ。お前の大事な娘はどうやって生まれてきたのか忘れちまったのか?
ユウジはそっぽを向いて、お前ならその気になればまともな生活ができるのに、とかぶつくさ言ってた。
まあ他にも色々ツッコミたいことはあったけど、全部ぶちまけてたら待ち合わせに遅れそうだった。
それに、理解してもらえるなんて思っちゃいない。
わかったよ、とだけ言って家を出た。
今日は地下鉄で移動した。
夜の地下街はもう人がまばらで、シャッターが閉まっている店もポツポツある。イヤホンから流れる槇原敬之のハイトーンボイスがその寂しさを増幅させる。
地下街の3番出口から地上に上がると、すぐ目的の人物に会った。ヒョロリとした体型で、年齢は三十代後半くらい。丸い目がギョロリとこちらを向く。
「こんばんは、南雲です」
ヤツは薄い唇を歪めて言った。
すぐホテルに向かったはいいものの
「帰ろっかなあ」
ヤツが風呂場に行っている間、そう呟いた。
なぁんか経験上ヤバイ気がしてきた。
いや、部屋に入った瞬間変だとは思ったんだよ。壁紙が所々緑とかピンクとか変な色に染まってるし、変な臭い残ってるし。アイツはアイツでホテル代は自分が持つとか言い出すし。自分から全部金を出すと言ってくるやつは大抵ヤバい。後から無茶な要求をしてくる。
よし、バックレよう。
ポケットに手を当てて、持ち物を確認しながら入り口に向かう。鍵、財布、ウォークマン、イヤホン、あ、携帯忘れた。
戻って机の上に置き忘れた携帯を手に取ると、
「どうしたの」
ヤツが体も拭かず全裸で洗面所から出てきた。
やっぱ今日はハズレだ。
目がイッてる。ガラス玉のような目の視点が部屋中をさまよっている。中でなんかキメてきたな。
「俺、クスリはやらねえから」
そんなことしたらユウジに殺されるに決まってる。
俺は携帯を握りしめながら、目を逸らさずゆっくり後ずさっていく。危険な動物から逃げるための鉄則だ。
「こっちは?」
ヤツはカバンから黄色いラベルの瓶を取り出した。ラッシュだ。催淫と、筋肉弛緩だっけ。挿れる側の負担が減るらしいけど副作用がキツいらしい。
「やらない。帰る」
玄関にダッシュした。
それでも逃げ切るには距離が短すぎて、蜘蛛のような長い手足に捕まった。
羽交い締めにされ、口の中にティッシュが突っ込まれる。
舌がひりついて接着剤のような匂いを鼻の奥で捉えた。
その瞬間、かあっと身体中が熱くなって、物凄い速さで血が巡り始める。全身が心臓になったみたいに脈打っている。
足に力が入らなくなって、なのに心臓は痛いくらいバクバクしてて、堪らず膝から崩れ落ちた。
それから薬の効果が切れるまでの数分間、俺はヤツの獲物だった。
Hungry Spyder/槇原敬之
木村カエラのButterflyが、パイプオルガンの響きによってチャペルの中に満ちていた。
ヴァージンロードを歩く学生服の俺の隣にはウエディングドレスを着た姉ちゃんがいて、迷い込んだ白い蝶がゆっくり歩く俺たちをひらひらと追い抜かしていった。
白い蝶を目で追っていくと、祭壇の向こうには白いタキシード姿のユウジがいた。
ユウジはとても優しい目でこちらを見ている。それが俺に向けられているものではないと分かっているはずなのに、心臓がバクバクした。
高い天井から差し込む太陽の光の中に立つユウジの周りでは、舞い散る塵が鱗粉の様にキラキラと光を反射している。
それは今でも、俺が見た中で一番綺麗な風景だ。
リビングには、そんな結婚式の写真が姉ちゃんの骨壷と一緒に飾ってある。
無理矢理余興でダンシングクイーンを弾かされた俺は無茶苦茶不機嫌な顔をしていて、姉ちゃんはそんな俺と幸せそうな顔をしたユウジを両手で抱き抱えていた。
ユウジと俺と姉ちゃんが一緒に写っている写真はこれだけだ。
俺はもっぱらカメラマンの役に回っていたから、ほとんど写真に映っていない。
カホと姉ちゃんとユウジの写真が姉ちゃんの骨壷の周りを囲む中、結婚式の写真はひっそりとその中に埋もれていた。
携帯を触るのにも飽きて、姉ちゃんたちの写真をぼーっと眺め、たまには筋トレでもしようかと電子ピアノの前に座った。黒い指用のウエイトを付けていく。セレブが付けているような、デカくて四角い宝石の付いた指輪に似た形だ。
十本の指全部につけると中々重い。
この重さで指が鍵盤に沈んで、深い音を出すトレーニングになる。曲は何にしよ。
「I was born to love youで」
ユウジが寝室から出てきて言った。カホはもう寝たみたいだ。
「またそれ?」
「好きなんだよ」
今日はいくらか優しい顔つきだ。音楽の話をする時だけはこんな顔をする。おかげで俺はピアノを手放せない。
こいつを捕まえておくには音楽しかないのだ。
俺は鍵盤に指を置いた。
音のボリュームを微かに聞こえるくらいに落として、Queenの情熱的な愛の歌を弾く。耳コピだから音程とか適当で、フレディ・マーキュリーが聞いたら多分ブチ切れる。
聴きながらスマホをいじるユウジの口からは時々フレーズが流れていた。
「お前、やっぱピアノだけは上手いな」
ったく、誰の為に練習してると思ってんだ。
「ユウジはもうギターやんねえの?」
「・・・気が向いたらな」
いつもの答えだ。
そう言って、カホが産まれてからずーっと触ってない気がする。まだ聞いても騒がしいだけだとかなんとか言って。
せっかくだからユウジが好きなQueenの曲をいくつか弾いてやった。
「俺そろそろ行くわ」
壁に掛かった時計はもうすぐ9時を指す。
こんな時間に出かける用事といえば決まっている。ユウジはいつもみたいなしかめっ面になった。
「お前、いつまでそんなことやってんだよ」
「さあな」
「お前がゲイやってんのもそういうことやってんのもお前の勝手だけど、俺らを巻き込むんじゃねえぞ」
相変わらずイラッとする言い方だなオイ。
セックスの何が悪いんだ。お前の大事な娘はどうやって生まれてきたのか忘れちまったのか?
ユウジはそっぽを向いて、お前ならその気になればまともな生活ができるのに、とかぶつくさ言ってた。
まあ他にも色々ツッコミたいことはあったけど、全部ぶちまけてたら待ち合わせに遅れそうだった。
それに、理解してもらえるなんて思っちゃいない。
わかったよ、とだけ言って家を出た。
今日は地下鉄で移動した。
夜の地下街はもう人がまばらで、シャッターが閉まっている店もポツポツある。イヤホンから流れる槇原敬之のハイトーンボイスがその寂しさを増幅させる。
地下街の3番出口から地上に上がると、すぐ目的の人物に会った。ヒョロリとした体型で、年齢は三十代後半くらい。丸い目がギョロリとこちらを向く。
「こんばんは、南雲です」
ヤツは薄い唇を歪めて言った。
すぐホテルに向かったはいいものの
「帰ろっかなあ」
ヤツが風呂場に行っている間、そう呟いた。
なぁんか経験上ヤバイ気がしてきた。
いや、部屋に入った瞬間変だとは思ったんだよ。壁紙が所々緑とかピンクとか変な色に染まってるし、変な臭い残ってるし。アイツはアイツでホテル代は自分が持つとか言い出すし。自分から全部金を出すと言ってくるやつは大抵ヤバい。後から無茶な要求をしてくる。
よし、バックレよう。
ポケットに手を当てて、持ち物を確認しながら入り口に向かう。鍵、財布、ウォークマン、イヤホン、あ、携帯忘れた。
戻って机の上に置き忘れた携帯を手に取ると、
「どうしたの」
ヤツが体も拭かず全裸で洗面所から出てきた。
やっぱ今日はハズレだ。
目がイッてる。ガラス玉のような目の視点が部屋中をさまよっている。中でなんかキメてきたな。
「俺、クスリはやらねえから」
そんなことしたらユウジに殺されるに決まってる。
俺は携帯を握りしめながら、目を逸らさずゆっくり後ずさっていく。危険な動物から逃げるための鉄則だ。
「こっちは?」
ヤツはカバンから黄色いラベルの瓶を取り出した。ラッシュだ。催淫と、筋肉弛緩だっけ。挿れる側の負担が減るらしいけど副作用がキツいらしい。
「やらない。帰る」
玄関にダッシュした。
それでも逃げ切るには距離が短すぎて、蜘蛛のような長い手足に捕まった。
羽交い締めにされ、口の中にティッシュが突っ込まれる。
舌がひりついて接着剤のような匂いを鼻の奥で捉えた。
その瞬間、かあっと身体中が熱くなって、物凄い速さで血が巡り始める。全身が心臓になったみたいに脈打っている。
足に力が入らなくなって、なのに心臓は痛いくらいバクバクしてて、堪らず膝から崩れ落ちた。
それから薬の効果が切れるまでの数分間、俺はヤツの獲物だった。
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