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Trac02 She is Always a Woman/ビリー・ジョエル 前編
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『ーーー僕にとってはたった1人の女性なんだ』
She is Always a Woman/ビリー・ジョエル
ダニエルとは時間の30分前までベッドで過ごした。
ヤツは雄臭いセックスをした後とは思えないほど爽やかな笑顔で帰っていった。
俺も帰るとするか。
イヤホンを耳に入れる。Tracを変えた。
ビリー・ジョエルの澄んだ歌声とピアノの音が体の中を洗い流していくような心地だ。
終電の電車に揺られ、5駅離れた場所に着く。
マンションの3階にあるその部屋の鍵を、なるべく音を立てずに開けた。
「おかえり」
ダイニングキッチンの明かりは付いていた。ダイニングテーブルの椅子に、スポーツTシャツとジャージを纏った人物が腰掛けスマートフォンをいじっている。年齢は三十代前半で、少し茶色がかった髪、それより色素の薄い虹彩、硬質なラインでできた輪郭には鼻筋が通っている。
「ユウジ起きてたんだ」
ジャケットを脱ぎながら言うと、ユウジは俺を睨みつける。
「待っていたんだ」
「別にいいって。カホは?」
「とっくに寝てるに決まってんだろ」
寝室を覗くと、姪っ子は布団やら枕やらをあちこちに散らしながら寝ていた。子どもってみんな寝相あんなんなの?
「お前さあ、ホントクズだな」
ユウジは俺を睨みつけたままだ。
「俺が帰ってきた時、ギャン泣きしてたんだぞ」
「そいつは悪いことしたな」
「普通さあ、子ども1人残して男漁りに行くか!?」
ユウジは派手に音を立てて立ち上がった。
「そのクズに大事な娘を預けてんのは何処のどいつだよ。
ちゃんと寝かしつけてから行ったよ」
言いながらコップに水道水を注いで一気に煽った。喉が渇いて仕方がない。
「俺が帰って来るまで待てよ!カホにまでなにかあったらどうすんだよ!」
「わかった。今度からそうする。悪かったよ」
「今度からって、お前さあ・・・まだそんな事続けるつもりかよ」
俺のスマホの電子音がメッセージを運んできた。今度の相手はユウジより少し年上みたいだ。
返信の文章を打ってたら、ユウジは頭を掻き毟った。
「いい加減にしろよ!カホはな、ハジメちゃんは?どこ?ってずっと言ってたんだぞ!泣きながら、ずっと!」
「悪かった。カホにも謝っとくよ」
相手にメッセージを返信する。
ユウジの顔を見ると、めちゃくちゃ怒ってた。でも泣きそうにもなっていた。
「もう、お前にカホは預けてたまるか」
「その台詞何回目?」
返事の代わりにユウジはため息を吐く。
夜間の保育所も託児サービスも満員でどうにもならないらしい。で、お互い親もいないし、3歳の娘をソッコーで預けられるのは俺みてえなクズしかいないらしい。
「約束する。もうこんな事しない。俺だってカホが可愛くないわけじゃない」
カホは俺みてえなクズにもニコニコ笑いながらハジメちゃん、ハジメちゃんと纏わりついてくる。
カホの母親の、姉ちゃんと同じように。姉ちゃんしか呼ばない呼び名で。俺みたいなセックス狂いになんであんな懐いてくるんだろ。
「・・・頼むよホント。お前しかいないんだよ・・・」
ユウジは頭を抱えて机に突っ伏した。
その台詞に優越感を覚えて体が疼く俺はマジ終わってると思う。
それからユウジはスマホを充電器に繋いで、写真と喉の骨だけになっちまった姉ちゃんの前で手を合わせた。
そんで俺を見てため息を吐くと、自分も寝室に入っていく。
骨壺の周りには、沢山の家族写真がその周りを囲んでいた。勝気な表情の女が、額の中からこちらにピースサインを向けている。ユウジとバンドを組んでいた時の写真には、キーボードの前に座る俺とギターを弾くユウジが写っている。
あんな女のどこが良かったんだ。
姉ちゃんはビリー・ジョエルの曲に出てくるような、"気まぐれに親切にしたり束縛したり突き放したりする"ような身勝手な女だった。
それでもビリー・ジョエルが"She is always woman to me"と歌うように、ユウジにとっては唯一無二の女だったらしい。
バリキャリだった姉ちゃんは、ヨーロッパのどっかに出張に行って、事故に巻き込まれて死んじまった。
そんな絵空事のような事を聞かされ途方に暮れるユウジのケツを叩いて、何とか此処までやってきた。
ちょうど高3の時だったから受験や就職どころじゃなくなって、でも特にやりたいことなんてなかったから今でもバイトだけ続けている。
ユウジはこんなクズに大きな借りを作っちまったわけだ。
そして、今は姉ちゃんではなく俺に振り回されまくっている。でも、やっぱり、ユウジは今でも他の女に見向きもしない。姉ちゃんと、カホしか見ちゃいないのだ。
俺なんか、当然論外だ。
翌朝、カホはめちゃくちゃ笑顔で俺を起こしにかかった。
背中にのしかかって、いや、飛びかかってきた。昨日挿入しなくてよかったマジで。
「ハジメちゃんいた!」
カホは満面の笑みで俺の顔を覗き込む。
布団の中でスマートフォンの時計を確認すればまだ6時前だった。勘弁してくれ。
「ねえパパ、ハジメちゃんいた!」
背中が軽くなり、足音がキッチンに向かっていった。パンの焼ける匂いが漂ってくる。ユウジはもう起きて朝飯を作っているらしい。
「ハジメちゃん起きてー起きてよー」
カホはあっという間にこっちに戻ってきて、布団の上から力の限り揺すってくる。追い討ちをかけるように「ハジメ、朝飯出来たぞ」とユウジも寝室に顔を出す。カホはパン食べる!とダイニングキッチンに駆けていった。
「後でいい・・・」
もぞもぞと再び布団に潜る。
「バイトは?」
「休み」
じゃなきゃ昨日出かけていない。まあ今日も行くんだけど。
だからほっとけ、と手をひらひら振る。
「じゃあハジメちゃんお家にいるの?!」
カホがパン屑だらけの顔で目をキラキラさせる。
「カホが寝るまでな」
この日もアプリで見つけた相手と会う予定だった。
そんなこととは知らないカホはなんで?と首を傾げる。
「ちょっとオトモダチと遊んでくる」
「カホも行く!」
ユウジがすげー顔でこっちを見た。連れてくわけねえだろアホか。
ああそうだ、忘れてた。
俺は布団から這い出して、椅子に座るカホの前にしゃがんだ。目線を合わせると、綺麗なもんだけ寄せ集めたような目が眩しかった。
「カホ、昨日は居なくなったりしてゴメンな」
カホはキョトンとした顔で、いいよ、と言った後、黙々とパンを齧り続けた。それから段々と顔がくしゃくしゃになってきて、パンが口から溢れるのも構わず、うわぁんと泣き始めた。
俺はそれを見て初めて、ああ悪いことしたなと思った。
これからは気をつけるよ、お前はユウジにとって"たった1人の女"だからな。
She is Always a Woman/ビリー・ジョエル
ダニエルとは時間の30分前までベッドで過ごした。
ヤツは雄臭いセックスをした後とは思えないほど爽やかな笑顔で帰っていった。
俺も帰るとするか。
イヤホンを耳に入れる。Tracを変えた。
ビリー・ジョエルの澄んだ歌声とピアノの音が体の中を洗い流していくような心地だ。
終電の電車に揺られ、5駅離れた場所に着く。
マンションの3階にあるその部屋の鍵を、なるべく音を立てずに開けた。
「おかえり」
ダイニングキッチンの明かりは付いていた。ダイニングテーブルの椅子に、スポーツTシャツとジャージを纏った人物が腰掛けスマートフォンをいじっている。年齢は三十代前半で、少し茶色がかった髪、それより色素の薄い虹彩、硬質なラインでできた輪郭には鼻筋が通っている。
「ユウジ起きてたんだ」
ジャケットを脱ぎながら言うと、ユウジは俺を睨みつける。
「待っていたんだ」
「別にいいって。カホは?」
「とっくに寝てるに決まってんだろ」
寝室を覗くと、姪っ子は布団やら枕やらをあちこちに散らしながら寝ていた。子どもってみんな寝相あんなんなの?
「お前さあ、ホントクズだな」
ユウジは俺を睨みつけたままだ。
「俺が帰ってきた時、ギャン泣きしてたんだぞ」
「そいつは悪いことしたな」
「普通さあ、子ども1人残して男漁りに行くか!?」
ユウジは派手に音を立てて立ち上がった。
「そのクズに大事な娘を預けてんのは何処のどいつだよ。
ちゃんと寝かしつけてから行ったよ」
言いながらコップに水道水を注いで一気に煽った。喉が渇いて仕方がない。
「俺が帰って来るまで待てよ!カホにまでなにかあったらどうすんだよ!」
「わかった。今度からそうする。悪かったよ」
「今度からって、お前さあ・・・まだそんな事続けるつもりかよ」
俺のスマホの電子音がメッセージを運んできた。今度の相手はユウジより少し年上みたいだ。
返信の文章を打ってたら、ユウジは頭を掻き毟った。
「いい加減にしろよ!カホはな、ハジメちゃんは?どこ?ってずっと言ってたんだぞ!泣きながら、ずっと!」
「悪かった。カホにも謝っとくよ」
相手にメッセージを返信する。
ユウジの顔を見ると、めちゃくちゃ怒ってた。でも泣きそうにもなっていた。
「もう、お前にカホは預けてたまるか」
「その台詞何回目?」
返事の代わりにユウジはため息を吐く。
夜間の保育所も託児サービスも満員でどうにもならないらしい。で、お互い親もいないし、3歳の娘をソッコーで預けられるのは俺みてえなクズしかいないらしい。
「約束する。もうこんな事しない。俺だってカホが可愛くないわけじゃない」
カホは俺みてえなクズにもニコニコ笑いながらハジメちゃん、ハジメちゃんと纏わりついてくる。
カホの母親の、姉ちゃんと同じように。姉ちゃんしか呼ばない呼び名で。俺みたいなセックス狂いになんであんな懐いてくるんだろ。
「・・・頼むよホント。お前しかいないんだよ・・・」
ユウジは頭を抱えて机に突っ伏した。
その台詞に優越感を覚えて体が疼く俺はマジ終わってると思う。
それからユウジはスマホを充電器に繋いで、写真と喉の骨だけになっちまった姉ちゃんの前で手を合わせた。
そんで俺を見てため息を吐くと、自分も寝室に入っていく。
骨壺の周りには、沢山の家族写真がその周りを囲んでいた。勝気な表情の女が、額の中からこちらにピースサインを向けている。ユウジとバンドを組んでいた時の写真には、キーボードの前に座る俺とギターを弾くユウジが写っている。
あんな女のどこが良かったんだ。
姉ちゃんはビリー・ジョエルの曲に出てくるような、"気まぐれに親切にしたり束縛したり突き放したりする"ような身勝手な女だった。
それでもビリー・ジョエルが"She is always woman to me"と歌うように、ユウジにとっては唯一無二の女だったらしい。
バリキャリだった姉ちゃんは、ヨーロッパのどっかに出張に行って、事故に巻き込まれて死んじまった。
そんな絵空事のような事を聞かされ途方に暮れるユウジのケツを叩いて、何とか此処までやってきた。
ちょうど高3の時だったから受験や就職どころじゃなくなって、でも特にやりたいことなんてなかったから今でもバイトだけ続けている。
ユウジはこんなクズに大きな借りを作っちまったわけだ。
そして、今は姉ちゃんではなく俺に振り回されまくっている。でも、やっぱり、ユウジは今でも他の女に見向きもしない。姉ちゃんと、カホしか見ちゃいないのだ。
俺なんか、当然論外だ。
翌朝、カホはめちゃくちゃ笑顔で俺を起こしにかかった。
背中にのしかかって、いや、飛びかかってきた。昨日挿入しなくてよかったマジで。
「ハジメちゃんいた!」
カホは満面の笑みで俺の顔を覗き込む。
布団の中でスマートフォンの時計を確認すればまだ6時前だった。勘弁してくれ。
「ねえパパ、ハジメちゃんいた!」
背中が軽くなり、足音がキッチンに向かっていった。パンの焼ける匂いが漂ってくる。ユウジはもう起きて朝飯を作っているらしい。
「ハジメちゃん起きてー起きてよー」
カホはあっという間にこっちに戻ってきて、布団の上から力の限り揺すってくる。追い討ちをかけるように「ハジメ、朝飯出来たぞ」とユウジも寝室に顔を出す。カホはパン食べる!とダイニングキッチンに駆けていった。
「後でいい・・・」
もぞもぞと再び布団に潜る。
「バイトは?」
「休み」
じゃなきゃ昨日出かけていない。まあ今日も行くんだけど。
だからほっとけ、と手をひらひら振る。
「じゃあハジメちゃんお家にいるの?!」
カホがパン屑だらけの顔で目をキラキラさせる。
「カホが寝るまでな」
この日もアプリで見つけた相手と会う予定だった。
そんなこととは知らないカホはなんで?と首を傾げる。
「ちょっとオトモダチと遊んでくる」
「カホも行く!」
ユウジがすげー顔でこっちを見た。連れてくわけねえだろアホか。
ああそうだ、忘れてた。
俺は布団から這い出して、椅子に座るカホの前にしゃがんだ。目線を合わせると、綺麗なもんだけ寄せ集めたような目が眩しかった。
「カホ、昨日は居なくなったりしてゴメンな」
カホはキョトンとした顔で、いいよ、と言った後、黙々とパンを齧り続けた。それから段々と顔がくしゃくしゃになってきて、パンが口から溢れるのも構わず、うわぁんと泣き始めた。
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