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愛の囁き
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横たわったままの王子の視界から、マーカスはまだ見えない。しかし気づくのは時間の問題である。
もうお終いだと、膝から崩れ落ちた。宮廷魔術師になるどころではない。犯罪者として国に、敵わない相手に手を掛けた卑怯者として、自身に裁かれるのだ。
王子は、まだ夢の中にいるような口調でオーベリウスに語りかけた。
「オーベリウス・・・マーカスの、初恋のひと」
王子は悪戯っぽく笑い、チェストに目をやった。
そして、再び微睡みの中に戻っていった。
オーベリウスの時間は、王子の発言を耳にした瞬間から止まっていた。そして王子の視線に導かれるように、チェストの引き出しを開ける。そこに入っていたのは文箱であった。
中身はすべて、マーカスからの手紙だ。書いてあることと言えば、オーベリウスのことばかり。
魔術のことなど一言も書いていない。日常生活を疎かにしがちで放っておけないだの、そのくせ正装した姿が凛々しくて見惚れてしまうだの、好きだと言っていた茶を淹れてやったら微笑みを見せてくれただの、本当に些細な、自身が切り捨ててきたものを丁寧に拾い集めたような思いの束が、オーベリウスの手の中にあった。
先生、と屈託なく笑うマーカスの顔や、視界に入るちょこまかと動く姿が脳裏に蘇る。
まだ封の切られていないものが一枚だけあり、オーベリウスは当然のように開け貪り読んだ。
最後の課題を出されたという内容であった。
そして、その続きには、オーベリウスが長年求めていた答えが書いてあった。
オーベリウスは何度も何度も読み返して、それから放心した。マーカスの本質を見抜く才能と魔術のセンスに圧倒されていた。それ以上に、長年の謎が解けたカタルシスに脳が痺れた。
何もかも理解した。
"魔法の言葉"が文献に載っていなかった訳も
長年の研究で解き明かせなかった理由も
なぜ母親を救えなかったのかも。
それらは、オーベリウスの力不足のせいではなかった。
それを理解した途端、オーベリウスの呪いは解けた。黒い感情は舞い込んだ真実に吹き飛ばされて霧散し、煩わしかった囁き声はみるみるうちに消え去った。
空の真上に来た太陽が、部屋の天窓からオーベリウスを照らす。光に包まれたオーベリウスは、新しく産まれ直したかのように涙を流していた。
オーベリウスはマーカスの傍に立ち全身を見下ろした。顔は蒼白で失禁した跡もない。
まだ、間に合うかもしれない。
手紙の内容を思い浮かべる。
"まず、"魔法の言葉"は魔術じゃない"
その一文を読んだときは、ひっくり返りそうになった。
はやる心を抑えながら膝をつき、騎士のように跪く。
"あれは、先生の母親が作った"魔法"なんだ"
精霊や妖精の力を借りて行う魔法を使える者は、もうこの世界には数えるほどしかいない。
自分の母親がそれを使えると誰が思おうか。
"念を込めて、繰り返し唱えて、少しずつ言葉に力が宿っていったんだ。多分、自分の生命力を対価にして"
母親は年々病気がちになっていった。いくら薬を処方しても、治療を施しても、本人の生命力がなければどうにもならない。削った命は元には戻らない。
"それから、これも推測でしかないけれど、その条件はーーー"
マーカスの手を取り、息を吸う。
そして、その"魔法の言葉"を唱えた。
「"大丈夫、私はあなたのそばにいる。
夢の中でも離れない
私はあなたを愛している"・・・」
"その条件は、相手がもっとも愛する人が唱えることーーー"
この条件が真実なら、これは駆けだ。マーカスがオーベリウスを愛していなければ、何の効果もない。
沈黙に耐えかね、オーベリウスからマーカスの名が零れ落ちる。
その瞬間、オーベリウスは賭けに勝った。
重ねた手から眩い光が放たれ、瞬く間にマーカスの全身を覆った。流れ星のように光が流れて消え去り、マーカスの瞼から紫色が覗く。
ただ、罪を忘れるなとばかりに首には痛々しく跡が残っていた。
「先生・・・ぼく、」
「何も言うな、私が悪かった」
「・・・宮廷魔術師になったら、一人前になったら先生に言いたいことがあったんです」
マーカスは起き上がり、オーベリウスを真っ直ぐに見つめる。
「先生が好きです」
「知っている」
「えっ」
それは先程、マーカスと魔法の言葉が体現した通りだ。マーカスはただただ狼狽え、「やっぱりなんでもお見通しなんですね」と照れ臭そうに呟く。
「でも、先生は・・・」
マーカスは泣きそうになりながら首に手をやる。
「ああ、私は君が嫌いだ」
オーベリウスはふっと笑みを漏らし、マーカスを抱擁した。
「だが、少しは好きになれそうだよ」
マーカスも、そして自分自身も。
それから数ヶ月後。
マーカスは宮廷魔術師として城に勤めていた。王子も親友が傍にいることで公務に力を発揮できているという。
オーベリウスは、街の片隅で今でも薬を作ったり診察を行ったりするかたわら研究に明け暮れている。
ラインハルト家は後継に恵まれず四苦八苦しているらしいが、オーベリウスにとってもはやあまり関心がないことだ。
「ただいま先生!」
とマーカスは月に一度か二度は必ずオーベリウスの家に訪れる。マーカスと魔術について語らうと、感心させられもするが妬みや劣等感も顔を出す。だがもうそれに囚われることはない。
夜は一緒のベッドで横になる。マーカスが成人するまでの一年がお互いもどかしい。
オーベリウスのもとにもう悪夢はやってこない。
彼が深く眠るまでの時間は、愛の囁きに満ちている。
終
もうお終いだと、膝から崩れ落ちた。宮廷魔術師になるどころではない。犯罪者として国に、敵わない相手に手を掛けた卑怯者として、自身に裁かれるのだ。
王子は、まだ夢の中にいるような口調でオーベリウスに語りかけた。
「オーベリウス・・・マーカスの、初恋のひと」
王子は悪戯っぽく笑い、チェストに目をやった。
そして、再び微睡みの中に戻っていった。
オーベリウスの時間は、王子の発言を耳にした瞬間から止まっていた。そして王子の視線に導かれるように、チェストの引き出しを開ける。そこに入っていたのは文箱であった。
中身はすべて、マーカスからの手紙だ。書いてあることと言えば、オーベリウスのことばかり。
魔術のことなど一言も書いていない。日常生活を疎かにしがちで放っておけないだの、そのくせ正装した姿が凛々しくて見惚れてしまうだの、好きだと言っていた茶を淹れてやったら微笑みを見せてくれただの、本当に些細な、自身が切り捨ててきたものを丁寧に拾い集めたような思いの束が、オーベリウスの手の中にあった。
先生、と屈託なく笑うマーカスの顔や、視界に入るちょこまかと動く姿が脳裏に蘇る。
まだ封の切られていないものが一枚だけあり、オーベリウスは当然のように開け貪り読んだ。
最後の課題を出されたという内容であった。
そして、その続きには、オーベリウスが長年求めていた答えが書いてあった。
オーベリウスは何度も何度も読み返して、それから放心した。マーカスの本質を見抜く才能と魔術のセンスに圧倒されていた。それ以上に、長年の謎が解けたカタルシスに脳が痺れた。
何もかも理解した。
"魔法の言葉"が文献に載っていなかった訳も
長年の研究で解き明かせなかった理由も
なぜ母親を救えなかったのかも。
それらは、オーベリウスの力不足のせいではなかった。
それを理解した途端、オーベリウスの呪いは解けた。黒い感情は舞い込んだ真実に吹き飛ばされて霧散し、煩わしかった囁き声はみるみるうちに消え去った。
空の真上に来た太陽が、部屋の天窓からオーベリウスを照らす。光に包まれたオーベリウスは、新しく産まれ直したかのように涙を流していた。
オーベリウスはマーカスの傍に立ち全身を見下ろした。顔は蒼白で失禁した跡もない。
まだ、間に合うかもしれない。
手紙の内容を思い浮かべる。
"まず、"魔法の言葉"は魔術じゃない"
その一文を読んだときは、ひっくり返りそうになった。
はやる心を抑えながら膝をつき、騎士のように跪く。
"あれは、先生の母親が作った"魔法"なんだ"
精霊や妖精の力を借りて行う魔法を使える者は、もうこの世界には数えるほどしかいない。
自分の母親がそれを使えると誰が思おうか。
"念を込めて、繰り返し唱えて、少しずつ言葉に力が宿っていったんだ。多分、自分の生命力を対価にして"
母親は年々病気がちになっていった。いくら薬を処方しても、治療を施しても、本人の生命力がなければどうにもならない。削った命は元には戻らない。
"それから、これも推測でしかないけれど、その条件はーーー"
マーカスの手を取り、息を吸う。
そして、その"魔法の言葉"を唱えた。
「"大丈夫、私はあなたのそばにいる。
夢の中でも離れない
私はあなたを愛している"・・・」
"その条件は、相手がもっとも愛する人が唱えることーーー"
この条件が真実なら、これは駆けだ。マーカスがオーベリウスを愛していなければ、何の効果もない。
沈黙に耐えかね、オーベリウスからマーカスの名が零れ落ちる。
その瞬間、オーベリウスは賭けに勝った。
重ねた手から眩い光が放たれ、瞬く間にマーカスの全身を覆った。流れ星のように光が流れて消え去り、マーカスの瞼から紫色が覗く。
ただ、罪を忘れるなとばかりに首には痛々しく跡が残っていた。
「先生・・・ぼく、」
「何も言うな、私が悪かった」
「・・・宮廷魔術師になったら、一人前になったら先生に言いたいことがあったんです」
マーカスは起き上がり、オーベリウスを真っ直ぐに見つめる。
「先生が好きです」
「知っている」
「えっ」
それは先程、マーカスと魔法の言葉が体現した通りだ。マーカスはただただ狼狽え、「やっぱりなんでもお見通しなんですね」と照れ臭そうに呟く。
「でも、先生は・・・」
マーカスは泣きそうになりながら首に手をやる。
「ああ、私は君が嫌いだ」
オーベリウスはふっと笑みを漏らし、マーカスを抱擁した。
「だが、少しは好きになれそうだよ」
マーカスも、そして自分自身も。
それから数ヶ月後。
マーカスは宮廷魔術師として城に勤めていた。王子も親友が傍にいることで公務に力を発揮できているという。
オーベリウスは、街の片隅で今でも薬を作ったり診察を行ったりするかたわら研究に明け暮れている。
ラインハルト家は後継に恵まれず四苦八苦しているらしいが、オーベリウスにとってもはやあまり関心がないことだ。
「ただいま先生!」
とマーカスは月に一度か二度は必ずオーベリウスの家に訪れる。マーカスと魔術について語らうと、感心させられもするが妬みや劣等感も顔を出す。だがもうそれに囚われることはない。
夜は一緒のベッドで横になる。マーカスが成人するまでの一年がお互いもどかしい。
オーベリウスのもとにもう悪夢はやってこない。
彼が深く眠るまでの時間は、愛の囁きに満ちている。
終
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