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もう一つの嫉妬
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歯の根が合わぬほど身体が震える。なぜだ、と叫び出したくなるのを必死にこらえた。
「それから、宮廷魔術師になったら先生にお伝えしたいことが」
オーベリウスは、マーカスの両肩を掴んだ。首を絞めてくびり殺さず済んだ自分を褒めてやりたかった。
マーカスは、幼さの残る精悍な顔を真っ赤にして戸惑っている。
「おめでとう、マーカス」
師としての仮面をつけたまま、血を吐くような思いでそう言えば、マーカスは満面の笑みでオーベリウスに抱きついた。
オーベリウスは強い力で抱き寄せた。嫉妬に歪んだ顔を隠す為に。
マーカスの細い身体からは歓喜に満ちた鼓動が伝わってくる。
死ね、死ね、ここで今すぐ。死んでしまえ。
頭の中に呪詛が響く。マーカスに唱えているのか、自身に唱えているのか分からない。
「先生のおかげです」
オーベリウスは猛省した。なぜマーカスに魔術を教えたのか、なぜ弟子になんかしたのか。
なぜ自分の障害となる壁を自分で作り上げてしまったのか。
オーベリウスはマーカスにも壁を与えることにした。これまでどうしても解き明かせなかったことを。
しかし、マーカスなら瞬く間に解き明かしてしまいそうで怖かった。自身が費やして来た全てが虚無に帰すような気がした。マーカスが自分より上だと認めざるを得なくなってしまう。
それでも、この愚考以外今は思いつかなかった。
「試験はいつかな」
「一週間後です」
「では、君に最後の課題を与えよう」
オーベリウスは紙にある言葉を書いた。そしてマーカスに渡す。
マーカスは「えっこれは・・・」と再び赤面する。
「"魔法の言葉"だよ」
紙に書いたのは、かつて母親を助け、ラインハルト家に迎えらるきっかけとなった、あの"魔法の言葉"であった。
「これは、かつて私の母の病を治したんだ。
けれども、どの文献にも載っていない。同業者や高名な魔術師にも聞いてみた。でも誰も知らないし、どんな仕組みかもわからなかった」
そう、オーベリウス自身も。これを解き明かせば、誰も知らない治癒の呪文を紐解けば、きっと宮廷魔術師への道が開けると長年研究してきた。
「この言葉の謎が解けなければ、試験を受けることは許さない」
「そんな!なんで!?先生が分からなかったことがぼくに出来るはずが・・・一週間でなんて・・・!」
「出来ているだろう、私は君にすべてを教えた。・・・教えてしまった。
君に出来ないことはもう何もないよ」
「いえ、あります、教えてください。発音の仕方や、その時の条件や環境や、どんな変化が起こったのか」
オーベリウスを紫の目が射抜く。この難題に挑もうというのか。自身の持てる全てを手に入れなお求めるのか。
オーベリウスはこと細かに教えてやった。幼き日の暖かい思い出と、母親が亡くなった厳しい寒さの日のことを。
ここまでしても分からぬのなら、マーカスも自分と同じなのだと安堵できる。
マーカスはこれまでにないほど真剣な顔をして、オーベリウスの家を後にした。
オーベリウスの心に少しだけ安らぎが訪れる。
あの若き魔術師には才がある。いつかは解き明かしてしまうだろう。
だが今回は時間が味方した。さすがに一週間は短すぎる。謎は解き明かされず、あの素直な若者は無力感に苛まれるだろう。オーベリウスと同じように。
だが、その予想な見事に裏切られた。
目に隈をこしらえ少しやつれたマーカスがオーベリウスの元に現れたのは、試験当日のことであった。
「謎は解けました」
オーベリウスはその言葉に頭を殴られた。
「一緒に来てください。先生がいないとダメなんです」
オーベリウスはそれからどうやって宮殿まで参じたのか覚えていない。
マーカスが、王族に会うのに普段着ではダメだだの、パン一切れだけでも食べていけだの何やら世話を焼いていた気がする。
気づいたら、大勢の従者や白衣の医療従事者や王族が寝台を取り囲む豪奢な部屋に通されていた。
柔らかそうな寝台には、一人の少年が寝かされていた。死神から逃れ走っているかのように呼吸は短く荒い。
マーカスは少年の手を取る。
「リーフェルト・・・」
慈しみのこもった声であった。オーベリウスは、自分以外にその柔らかな声音を向けられるのを始めて聞いた。ちりりと焼けつくような痛みが微かに胸の内を掻いた。
それに、リーフェルトはこの国の王子の名だ。いつの間に、王子と懇意になっていたのか。そもそも宮廷魔術師の試験を受けることだって、贔屓があったのではないか。
ふつふつと黒い感情が湧き上がってくる。
マーカスは、"魔法の言葉"を唱えた。繋いだ手から淡い光が王子の全身に広がる。激しく上下していた胸の動きは穏やかになり、呼吸音が静かになり、やがて沈黙が訪れる。
永遠に続くかと思われた静寂と緊張感は、王子が目を開きマーカスの名を呼んだことで、割れんばかりの歓声に変わった。誰もが泣きながら王子を抱きしめてキスを降らせた。
そのなにもかもがオーベリウスから遠ざかっていった。喜びの声は聞こえず、歓喜に沸く人々の姿は霞んでいく。
「・・・ルト。オーベリウス・ラインハルト殿!」
間近で自分を呼ぶ声に引き戻された。オーベリウスの横にいたのは、長いローブを着た顎髭の長い老人であった。その瞳と、刺繍の入ったローブの色が目に突き刺さる。
紫色の目と五色のローブは、宮廷魔術師の証であった。
「貴殿は素晴らしい魔術師をお育てになった!私は安心して退くことが出来る」
オーベリウスは理解した。これが、宮廷魔術師になるための試験だったのだと。
またしても下手を打った。
自分が与えた課題によって、その座を明け渡してしまったのだと。
王子を休ませる為、惜しみながら皆部屋を後にした。マーカスは、少しだけ話す時間が欲しいと微睡む王子のそばについていた。オーベリウスもマーカスの希望で残された。
「それから、宮廷魔術師になったら先生にお伝えしたいことが」
オーベリウスは、マーカスの両肩を掴んだ。首を絞めてくびり殺さず済んだ自分を褒めてやりたかった。
マーカスは、幼さの残る精悍な顔を真っ赤にして戸惑っている。
「おめでとう、マーカス」
師としての仮面をつけたまま、血を吐くような思いでそう言えば、マーカスは満面の笑みでオーベリウスに抱きついた。
オーベリウスは強い力で抱き寄せた。嫉妬に歪んだ顔を隠す為に。
マーカスの細い身体からは歓喜に満ちた鼓動が伝わってくる。
死ね、死ね、ここで今すぐ。死んでしまえ。
頭の中に呪詛が響く。マーカスに唱えているのか、自身に唱えているのか分からない。
「先生のおかげです」
オーベリウスは猛省した。なぜマーカスに魔術を教えたのか、なぜ弟子になんかしたのか。
なぜ自分の障害となる壁を自分で作り上げてしまったのか。
オーベリウスはマーカスにも壁を与えることにした。これまでどうしても解き明かせなかったことを。
しかし、マーカスなら瞬く間に解き明かしてしまいそうで怖かった。自身が費やして来た全てが虚無に帰すような気がした。マーカスが自分より上だと認めざるを得なくなってしまう。
それでも、この愚考以外今は思いつかなかった。
「試験はいつかな」
「一週間後です」
「では、君に最後の課題を与えよう」
オーベリウスは紙にある言葉を書いた。そしてマーカスに渡す。
マーカスは「えっこれは・・・」と再び赤面する。
「"魔法の言葉"だよ」
紙に書いたのは、かつて母親を助け、ラインハルト家に迎えらるきっかけとなった、あの"魔法の言葉"であった。
「これは、かつて私の母の病を治したんだ。
けれども、どの文献にも載っていない。同業者や高名な魔術師にも聞いてみた。でも誰も知らないし、どんな仕組みかもわからなかった」
そう、オーベリウス自身も。これを解き明かせば、誰も知らない治癒の呪文を紐解けば、きっと宮廷魔術師への道が開けると長年研究してきた。
「この言葉の謎が解けなければ、試験を受けることは許さない」
「そんな!なんで!?先生が分からなかったことがぼくに出来るはずが・・・一週間でなんて・・・!」
「出来ているだろう、私は君にすべてを教えた。・・・教えてしまった。
君に出来ないことはもう何もないよ」
「いえ、あります、教えてください。発音の仕方や、その時の条件や環境や、どんな変化が起こったのか」
オーベリウスを紫の目が射抜く。この難題に挑もうというのか。自身の持てる全てを手に入れなお求めるのか。
オーベリウスはこと細かに教えてやった。幼き日の暖かい思い出と、母親が亡くなった厳しい寒さの日のことを。
ここまでしても分からぬのなら、マーカスも自分と同じなのだと安堵できる。
マーカスはこれまでにないほど真剣な顔をして、オーベリウスの家を後にした。
オーベリウスの心に少しだけ安らぎが訪れる。
あの若き魔術師には才がある。いつかは解き明かしてしまうだろう。
だが今回は時間が味方した。さすがに一週間は短すぎる。謎は解き明かされず、あの素直な若者は無力感に苛まれるだろう。オーベリウスと同じように。
だが、その予想な見事に裏切られた。
目に隈をこしらえ少しやつれたマーカスがオーベリウスの元に現れたのは、試験当日のことであった。
「謎は解けました」
オーベリウスはその言葉に頭を殴られた。
「一緒に来てください。先生がいないとダメなんです」
オーベリウスはそれからどうやって宮殿まで参じたのか覚えていない。
マーカスが、王族に会うのに普段着ではダメだだの、パン一切れだけでも食べていけだの何やら世話を焼いていた気がする。
気づいたら、大勢の従者や白衣の医療従事者や王族が寝台を取り囲む豪奢な部屋に通されていた。
柔らかそうな寝台には、一人の少年が寝かされていた。死神から逃れ走っているかのように呼吸は短く荒い。
マーカスは少年の手を取る。
「リーフェルト・・・」
慈しみのこもった声であった。オーベリウスは、自分以外にその柔らかな声音を向けられるのを始めて聞いた。ちりりと焼けつくような痛みが微かに胸の内を掻いた。
それに、リーフェルトはこの国の王子の名だ。いつの間に、王子と懇意になっていたのか。そもそも宮廷魔術師の試験を受けることだって、贔屓があったのではないか。
ふつふつと黒い感情が湧き上がってくる。
マーカスは、"魔法の言葉"を唱えた。繋いだ手から淡い光が王子の全身に広がる。激しく上下していた胸の動きは穏やかになり、呼吸音が静かになり、やがて沈黙が訪れる。
永遠に続くかと思われた静寂と緊張感は、王子が目を開きマーカスの名を呼んだことで、割れんばかりの歓声に変わった。誰もが泣きながら王子を抱きしめてキスを降らせた。
そのなにもかもがオーベリウスから遠ざかっていった。喜びの声は聞こえず、歓喜に沸く人々の姿は霞んでいく。
「・・・ルト。オーベリウス・ラインハルト殿!」
間近で自分を呼ぶ声に引き戻された。オーベリウスの横にいたのは、長いローブを着た顎髭の長い老人であった。その瞳と、刺繍の入ったローブの色が目に突き刺さる。
紫色の目と五色のローブは、宮廷魔術師の証であった。
「貴殿は素晴らしい魔術師をお育てになった!私は安心して退くことが出来る」
オーベリウスは理解した。これが、宮廷魔術師になるための試験だったのだと。
またしても下手を打った。
自分が与えた課題によって、その座を明け渡してしまったのだと。
王子を休ませる為、惜しみながら皆部屋を後にした。マーカスは、少しだけ話す時間が欲しいと微睡む王子のそばについていた。オーベリウスもマーカスの希望で残された。
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