後の祭りの後で

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後編

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「勝也・・・」
「お前は何も見ていない。帰れ」
「これお前なのか?」
 だいぶ歳はいっているが、大きな目や鼻の形、口の端の黒子に面影が重なる。
「もう俺に関わるな」
 勝也は諦めたように呟いた。
 膝から崩れ落ちそうになる。全身に汗が滲むのに脚が震えた。
「じゃあ、なんで、のこのこ俺んとこに姿を現したんだ。もっと、もっと早く言えば・・・」
 助けてくれって一言でもあれば、ここに誰か連れてこれば、勝也は助かったかもしれないのに。
「なに呑気に屋台で飲み食いしてんだ。馬鹿なのか?」
「俺がそうしたかったからに決まってんだろ。ああこれは死ぬなって思った時にな、お前のこと思い出したんだ」
 思わず勝也の顔を見る。
「ここによく来てただろ。なーんにも考えずにアホみてえに遊んでさ。親父は俺を殴らなかったし、ばあちゃんが毎日美味いメシ食わせてくれた。お前といた時が、一番楽しかった」
 勝也がべらべら喋るものだから、俺が口を挟む隙はなかった。それに、勝也はなんでーー
「あの頃に戻れたらって思ったら、焼きそばの屋台の前にいたんだ」
 なんで、勝也は笑ってやがんだ。そんな満足そうに。なんの未練もなさそうな顔しやがって。ふざけんな。ちくしょう、ちくしょう!
「おい!起きろ!勝也!」
 倒れているオッさんの胸ぐらを掴み揺さぶった。
「また黙って俺の前からいなくなる気かよ!ふざけんな!」
 勝也のジャケットが肩からずり落ち、立派な彫り物がタンクトップから覗いてハッとする。勝也がこんな目にあった理由が朧げながらに予想できた。
 俺に、関わるなと何度も言った理由も、死んだということにされている理由も。
「勝・・・」
 勝也の方に振り返るも、もう小学生の勝也の姿はなかった。蝉の声と暗がりだけが残っている。
「何してるんですか?」
 代わりにやってきたのは、チョコバナナの屋台にいた若い男だった。手にビニール袋を下げている。
「中々戻ってこないから探したんですけど・・・その人・・・えっ・・・」
 俺は自分の状況に気づいた。倒れた男の胸ぐらを掴み、片方の手には血がついている。
 男は息を吸い込み、叫びながら階段に向かって走る。
「誰か・・・!救急車、いや、警察・・・!」
「待ってくれ!」
 すぐさま追いかけ、男の腕を引く。ビニール袋が落ち、中身が飛び出した。それは、布に包まれた果物ナイフだった。刃はピカピカだが、布には血糊がべっとり付いている。
 それが何に使われたのか、想像が湧き出て背中に鳥肌が立つ。
 腹に拳が飛んできて、避ける間も無くめり込んだ。その場にうずくまると、ケバブの匂いが胃からせり上がる。
 すかさず顎を蹴り上げられて脳が揺れた。動けずにいると、手にナイフを握らされる。
「これでオレは正当防衛ですよね」
   男はニヤリと嗤い、両手を合わせて組んで振りかぶる。
 冗談じゃねえ。俺が勝也を刺すわけねえだろ。目の前のコイツをぶん殴ってやりたいところだが、情け無いことにまだ指一本動かねえ。
 男の手が、ピントが合わないくらい顔に迫る。くらったら意識が持つかどうかもわからない。
 だが、それが俺に届くことはなかった。目の前に誰かが立ちはだかり、男をぶん殴る。
「おまっ・・・まだ生きてーーーーうわああぁぁぁ!」
 後ずさった男は、階段を踏み外し派手な音や叫び声をあげて転がり落ちていった。本部のあたりがざわつき始める。
 俺の前に立ちはだかっていたヤツも地面に倒れる。その男は、まぎれもなく
「勝也!」
 俺は這いつくばりながら勝也に近づく。思うように手足が動かなくて苛ついた。
「馬鹿野郎!本当に死ぬぞ・・・!」
 やっと顔を見せたかと思えばカッコつけやがって。昔っから俺の前でイキってたのは知ってんだぞ。
「・・・死ねるかよ・・・」
 掠れてざらついた声が、勝也から這い出てきた。
「惚れたヤツも、守れねえんじゃ・・・」
 勝也はそれきり黙りやがった。なんだよそれ。今言うことかよ。もっと早くに言っとけ。遅いだろうが、なにもかも。
 俺は死にものぐるいで階段の上から呼びかけ手を振る。階段の下に本部の爺さんたちが集まってきていたからすぐ気づかれた。
 あの男も勝也も救急車で運ばれていった。俺はタクシーで病院に向かったが、打撲だけで済んだようだ。応急処置が終わると警察がやって来て、勝也を見つけた時の状況やら勝也との関係やらを聞かれたが、後ろに手が回ることはなくホッとした。
 後で分かったが、あのアルバイトの男は神農組合のバックにいたヤクザが送り込んだらしい。勝也の組はその組と縄張り争いで揉めていたそうだが、それ以上の情報は耳に入ってこなかった。これも噂程度のもんだからどこまで本当かはわからねえが。
 ちなみに勝也とは、あの夏祭りの日から一度も会っていない。

 夏が終わると、俺は仕事に復帰した。人手が足りないと何度も職場から連絡があり根負けしちまった。出勤の日を減らし、他の日は工場でライン作業や工業部品の組み立てのアルバイトをするというサイクルに落ちついている。
 そうやって数年をやりすごし、久しぶりに夏に長い有休を入れた。
 カラッと晴れたクソ暑い日だと言うのに、俺は電車である場所に向かう。
 地元から三つ離れた駅には競艇場があり、ここで降りるのはほとんどオッさんだ。だがたまに、改札口に思い詰めたような顔をした若い女や、ベンチから動こうとしない爺さん、子どもを連れた母親なんかがうろついている。
 親からはこの駅に降りるなと言われていて、ガキの頃は競艇場があるからだと思っていた。しかし大人になってから、この駅が刑務所の最寄駅だと知った。刑務所から出てくる人間は、必ずこの駅にやってきて、故郷や見知らぬ街に運ばれていく。
 俺は今日、初めてこの駅に降り立った。
 切符を改札に通し、構内のベンチに座る。壁に取り付けられた扇風機は熱風を吐き出すばかりで、座っているだけで汗が滲む。なんで朝っぱらからこんなに暑いんだ。
 じっとしていられず、立ち上がって自販機でスポーツ飲料を買ったり意味もなく時刻表を眺めたりしていた。
 すると、髪を短く刈り込んだ、どっかで見たような背格好の男が歩いて来た。随分白髪が増えているが、口の端にある黒子の位置は変わらない。
 勝也だ。
「よぉ」
 俺が声を掛ければ、垂れた瞼が持ち上げられ、本来の大きさの目が現れる。
「道雄・・・。お前なんでここに」
「お前の母ちゃんに出てくる日を聞いた」
「俺に関わるなっつったろ」
 苦虫を噛み潰したような顔を向けられる。
「ケバブとラムネ」
 勝也は今度は怪訝に眉を寄せる。
「お前、後で払うっつったじゃねえか」
 俺が手を差し出せば、勝也はポカンとする。やがて喉を鳴らして肩を上下させ、仕舞いには声を上げて笑っていた。
「ハハッ、ハッ、お前、ヤクザから金取り立てようってのかよ」
「関係ねえだろ。さっさと返せよ」
「一文無しなんでな。そのうちな」
 そんなことは知っている。ただ、口実を作りたかっただけだ。
「しょうがねえなあ、待ってやるか」
「やけに大人しく引き下がるじゃねえか」
 そんなもん決まってんだろ。今度は逃してたまるかよ。
 俺はなんでもないようなツラして、勝也にこう言ってやった。

「そりゃあな、惚れた弱みってヤツだよ」


ーーーー終ーーーー
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