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嫁ぎ先の諸事情

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 私は玄関の前でペタンと座り込みました。
 侍女や執事達が何やら必至に話しかけてきましたが、彼らの言葉は全く私の耳には入ってきませんでした。


 そして玄関が開いて城から帰って来た夫が屋敷に足を踏み入れた瞬間、私は夫の脇をすり抜けて外へ飛び出した。

 私は夢中で広い庭の中を走り回った。この屋敷を出て行く前に、どうしてもカミラ様の花壇というものを見ておきたかった。春先にはまだ何も生えていなかったので。

 数分間走り回って、私はようやく豪奢な噴水の側にある立派な花壇を見つけた。


 しかし、その花壇を見た瞬間、頭がクラッとした。そして私はようやくその場の環境の異常さに気が付いた。


 暑い、暑い、暑い・・・

 いや、暑いなんてものじゃない!

 まるでサウナの中のようだ…

 熱した布団にぐるぐる巻きにされているみたいで息苦しい、喉が焼けるようだ…

 両手で頭を抱えると、黒髪のせいか、熱せられ熱すぎて、私は慌てて手を離した。

 額から汗がダラダラと流れてきて、いくら手で拭っても垂れてきて、それが目に入って凄く痛い……


「アリスティ・・・」


 私の名を呼ぶ夫の声がしたので振り返ったが、汗で目が霞んで何も見えなかった。


 何故夫が自分を外へ出さなかったのかがわかった。
 それを教えてくれなかった理由はわからないけど……

 何で花束をくれなかったのかもわかった。
 それを教えてくれなかった理由はわからないけれど……


 どうか、私の事など忘れて新しい奥様を見つけて下さい。私のように言い付けを破る事のない従順な方をお選び下さいませ……

 嫉妬のあまりにコロッと騙される女ではなく……



 激しい頭痛と気持ち悪さに加えて目眩を起こした私は、その場に倒れてしまった。

 焼けたように熱い石畳に接し、両腕に焼けるような痛みを覚えた。

 ああ、私はここで死ぬのだなと思った。

 そして真っ白な視界に入ったのは、金色に輝く髪に緑色の瞳をした、美しい夫の悲しい顔だった・・・



 ❋ ❋ ❋ ❋ ❋ ❋ ❋



 氷風呂の中で私が目を覚ました時、夫が私の手を握って泣いていた。そして夫のスーツはびしょ濡れだった。


 私は熱中症だった。

 ずっと快適な屋敷や地下街にいたのに、いきなり四十度を越す外へ出たので、体の機能がその強烈な暑さに対応出来なかったのだという。

 私が感じたように、一歩間違っていたら私は本当に死んでいたらしい。

 それを医師から聞いた夫は更に大泣きした。


「アリスティ、アリスティ、ごめんね。みんな僕が悪いんだ。

 君に嫌われたくなくて、君に捨てられたくなくて、君に出て行かれたくなくて、本当の事が言えなかったんだ。

 君が助かって本当に良かった・・・

 君が死んだら僕は生きて行けない・・・」


 
 この国は大陸の中央部にあり、大きなすり鉢状の底のような場所にある。
 それ故に元々冬は寒気が、夏は熱気が籠もる地形だった。


 それが百年ほど前から、地下資源の採掘と共に鉱業や工業が盛んになって、沢山の高い煙筒から黒い煙が上がるようになると、更に気温が上がっていった。

 そして三十年くらい前からは地上では猛烈な暑さのために、草花が育たなくなった。

 国で一番美しいと有名だったボルドール公爵家の花壇、通称『カミラの花壇』にも、花は一切咲かなくなってしまった。

 因みに『カミラ』とは先々代のボルドール公爵夫人の名前で、花をこよなく愛し、見事な花を咲かせる事で有名だった女性だ。


「私はご先祖の元公爵夫人に焼きもちを焼いていたのね。恥ずかしい」


 その話を聞いたアリスティは真っ赤になって、暫く枕に顔を埋めていた。


 この暑さを凌ぐ為に、様々なものが開発されていったが、その中でも一番画期的だったのは、外気温を建物の中に入れない断熱材だった。

 この建築資材によって、人々は建物の中にさえいれば快適に暮らせるようになったのだ。


 しかし、外へ出るのは段々と厳しくなってきた。

 そこで元々は雪の多い冬場に利用していた地下街を、次第に夏の間も利用するようになったのだ。


「ああ、この暑さで植物は育たないから花束をもらえなかったのね。
 それにあのプリザーブドフラワーは当然輸入品だろうから、相当お高かった事でしょう。

 それなのにそれを頂いて文句を言っていた私は、なんて強欲な人間なのでしょう。
 きっと夫や周りの人達に贅沢で我儘な女だと思われていた事でしょうね」


 アリスティはかなり落ち込んだ。


 そして彼女が一番知りたかった、何故夫のブルーノがこの事を隠していたのかというと……


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