精霊国の至純

ハナラビ

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ノルニ村

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 朝目覚めると、僕が寝ている隣の母さんのベッドに、ゾッとするほど綺麗な男性の寝顔があった。寝ぼけた頭ではわけが分からず、思わず息を止めてしまったけど、その人物の魔力を視てようやく状況を思い出す。

 そういえばエドワード様の服を洗濯したいと思っていたんだった。どうやっているのかは分からないけれど、綺麗に洗いさえすれば、あとはエドワード様自身が乾かしてくれるだろうし。
 
 僕はエドワード様を起こさないよう細心の注意を払ったつもりだったが、そこは国一番の武人、僕が体を起こして床に足をつける頃には、目を覚まして伸びをしていた。
 
「おはよう、フィル」
 
「お、はようございます、え、エディ。起こしてしまいましたか?」
 
「いや、まあ……戦場の近くで仮眠を取る野営をしたこともあるから、身体がもう誰かが起きたら目が覚めるようになってるんだ。フィルのせいじゃないよ」
 
 そうだ、名前もこうして呼び合わなくてはいけないんだった。油断するとすぐに熱が集まりそうな頬に焦りつつ、僕は自分の着替えを取り出す。

「あの……そういえば、エディの服を洗濯しようと思っているんです。なのでエディの着替えは後からでもいいですか?」
 
「ああ、構わない……ありがとう。俺からも洗濯は頼もうと思っていたんだ。じゃあ俺はその間に朝食を作ろう」

「エディが……!?」
 
「何を驚く。言っただろう?こういうのは分担なんだ。しばらくここで過ごすのだから、フィルも俺に仕事を振ってくれて構わない。もちろん俺も頼むところは頼む。せっかくの共同生活なんだ。二人で協力することに慣れよう。これも練習だよ、フィル」
 
 そう言われてしまうと、頷くしかない。
 
 僕は台所に置いてある道具の説明をし、エドワード様の洗濯物を預かる。洗濯用の魔道具はあるが、エドワード様の軍服は流石に手洗いのほうが良いだろう。明らかに良いと分かるこの生地を傷めてしまったらと思うと、とても魔道具には頼れない。
 
「フィル、包丁なんだが……どれくらい使ってないんだ?」
 
「母が臥せってからは、ずっと使ってないので……五年は経っていますね。やっぱりなにか問題ありました……?」
 
「いや、少々切れ味が悪かったものでな。問題ない。俺のナイフを使おう」
 
 そう言ってエドワード様は荷物の中からナイフが入っていると思われる包みを取り出し、鼻歌を歌いながら台所に戻っていった。
 野営のために、手軽にいろんな用途に使えるナイフを携帯しているようだ。エドワード様なら毎度ナイフを自分で作り出すことも可能だろうが、いくら精霊国民とはいえど道具で補える部分は補う。四六時中魔法に頼って生活するわけにはいかないからだ。それは膨大な魔力を持つエドワード様も同じらしい。
 ちらりと手元を覗きに行ってみると、僕の遠目では実際の手元が何をしているのかまではよく見えないが、よどみなく素早い動きをしているのは、なんとなくわかる……分担して慣れているというのは本当らしい。
 これは……エドワード様がここにおられる間は、料理を任せたほうが良いのかもしれない。僕の悲惨なスープだけの食卓よりは、遥かに賑やかになりそうだ。
 とはいえ、今日は僕の料理で使えそうな保存のきく野菜や干し肉しか保冷庫にないはずなので、後でパウロさんの店に行ったほうがいいだろう。
 
 僕はといえば、大きめの桶を取り出してぬるま湯を張った。凝った刺繍をした生地もよく洗うため、手洗い用の桶も家にちゃんとあるのだ。それを使い、丁寧にエドワード様の服を洗う。さすがというか、なんというか……目立つ汚れはあまり無い。エドワード様は服を乾かせるみたいだし、きっと野営になっても見かけた水場で洗っているのだろう。
 反対に道中使っていたと思われる手ぬぐいや布手袋など、汚れが染み付いていそうなものもあった。それは洗剤を溶かした水に浸け、食事の間はそのままにしておくことにする。
 それが終わる頃に、エドワード様が脱衣室に顔を出した。
 
「フィル。食事ができたぞ」
 
「え、もう……?早いですね。分かりました、今行きます」
 
 僕が手を洗って食卓へつくと、そこにはこの家で随分と久しぶりに見る豪華な食事があった。干し肉を湯で戻して野菜と炒めたものが、焼き色のついたパンに挟まっている。スープも、僕が作るより遥かに美味しそうな匂いがする。
 
「わ、すごい……!」
 
「いや、そこまで大したものでは……」
 
「ううん、とっても美味しそうです」  
 
 ここ数年ずっと自分が作るものが味気なく、何日かに一度のカーラさんの手料理を楽しみに生きる生活をしていたので、僕はすっかり浮かれてしまった。やっぱり、人が作る料理はいいなぁ……しばらく一緒に過ごすのだから、一度くらいエドワード様の手元を見てみたいものだ。
 それを正直に伝えると、エドワード様は笑って頷く。
 
「もちろん。俺も、フィルが刺繍をするところを見てみたいと思っていた」
 
 そう、優しく微笑まれると、内在魔力の揺らぎも含め、あまりにも美しかったので、思わず見惚れた。それが自分に向けられているのは、本当に物凄い奇跡のようなことだな……
 
「フィル……料理が冷めてしまうよ」
 
「は、はい!すみません。いただきます」
 
「どうぞ召し上がれ。口に合うといいのだが」
 
 僕はまず、ホットサンドイッチを手に取ってかぶりついた。甘辛く炒められた肉と野菜から、じゅわりと美味しいソースが滴って……すごい!美味しいぞ、これは……!
 続いて野菜スープも一口飲んでみて、目を見開く。カーラさんの家で何度か食べたシチューからミルクを抜いたなら、こんな味になるんじゃないだろうか。これは一体どういうことなんだろう。この家に大した調味料は無いはずなのに……
 
「すごくおいしいです。あの、でも、どうしてこんなに味がついてるんですか……?」
 
「それは……俺がある程度の調味料や固形のスープを持ち歩いているからだ。それを使った」
 
「固形の、スープ……?」
 
「肉や野菜を煮込んだスープを煮詰めて煮詰めて……固めたものだよ。これを入れるとすぐに味がついて、なんでも美味いスープになる。王都では出回っているが、流石にここまでは浸透していないのかもしれんな」
 
 エドワード様はそう言いながら、小指の腹程の大きさの固形スープを見せてくれ、ナイフで少し削ったものを手に乗せてくれた。促されるまま舐めてみると、確かに先程飲んだスープを煮詰めたような味がする。
 
「エディ、料理が上手なんですね!」
 
「……聞いていたか?俺は持っていた物を使っただけで……いや、そうか……フィルにとっては、そう見えるか」
 
 エドワード様の呟きは、料理に夢中の僕には聞こえていなかった。
 

 
 食後、二人で皿を洗い、浸け置きしていた洗濯物を濯いで、予定通りエドワード様に乾かしてもらうことにした。洗濯桶に濡れたままの衣類を入れて外に出ると、少し離れているように言われる。僕が距離を取ると、エドワード様が手にした桶からぶわっと水蒸気が上がって、空気中に霧散した。
 
「終わったよ」
 
「え、もう乾いたんですか!?」
 
「ああ。気になるなら触ってみるといい」
 
 触ってみると洗濯桶まですっかりカラカラになっていて、中の服は少し温かい。
 
「すごいですね。本当に、乾いちゃってる……あ、すみません……せっかく洗ったのに、ベタベタと触ってしまって……さ、早速着替えますか?僕は服以外の物を片付けておきますね」
 
「大丈夫、気にしていないよ。着替えはこれとこれ……うん。ではあとは残った小物を、荷物に入れておいてくれるか?」
 
「は、はい!」
 
 部屋に戻り、エドワード様が着替えている間に、手拭いや布手袋を荷物に戻しておく。
 僕は赤味の強い濃紫の軍服を着たエドワード様から、寝間着を受け取る。昨日着てもらって思ったが、襟ぐりをもう少し綺麗にしたい。それに、全体的な縫い目も速さを優先した分弱いので、もう何度か着てもらうのなら、糸を足しておきたかった。それは後でやることにしよう。
 寝間着を見ながら直しを考えていると、エドワード様はその間に長い襟足を紐で結んでいた。そのスタイルもひどく画になっている。何を着せても似合うし、そこでなんとなく、昨日聞いた「ご婦人方には可愛いと言われる」が腑に落ちたような気がした。
 また思考がぼんやりとあらぬ方向に行ってしまい、僕はしばらくぼーっとエドワード様の仕草を眺めていたが、ハッと我に返って慌てていった。
 
「あっあの、エディ。このあと、パウロさんのお店に買い物に行きませんか?二人分の食材と、入り用の日用品を買い足しましょう」
 
 納品の度いつも何かと多めに持たせてもらえるので、歯ブラシなどの細かいものは僕の予備があったが、何日か暮らしていくのならば、下着などエドワード様用のサイズが必要なものもある。
 
「出掛けるのなら、馬屋にも寄りたい。昨日愛馬のアルアを預けたんだが、急だったしな。様子を見たい」
 
「分かりました。馬屋というと、セトペリさんのところですね」
 
「俺は村長のラウェ殿に馬屋に送ってもらうよう頼んできただけなので、馬屋の場所自体は分からないんだ。手を引くから、道を教えてほしい」
 
 差し出された手に、戸惑ってしまった。パウロさんやカーラさんに手を引かれるのとはわけが違う。
 と、思った。自分のその気持ちを詳しく分析することは、そのときにはしなかった。
 ……王子様だからだろうと思っていた。
 でも、どんな理由の戸惑いがあろうと、半身を装う共犯者になるのなら、ここで手を取らない選択肢なんてない。
 
「……分かりました、エディ」
 
 僕は震える手を、そっとエドワード様の手に重ねた。
 
 
 
 火の魔力を持つというエドワード様の愛馬アルアは、赤い鬣がよく映える薄灰色の体をしていた。エドワード様は僕より頭一つ分ほど背が高いので覚悟していたが、それを乗せて走るアルアはかなり大きな馬だ。エドワード様に連れられて、コートのフードを外しながら恐る恐るアルアに近付く。
 
「フィル、アルアは賢い馬だから大丈夫だ。おいで」
 
「う……はい。怯えるほうが、アルアに失礼ですね」
 
 長いまつげに縁取られた黒い瞳が僕を映す。アルアの魔力もちゃんと見えたので、僕は安心してアルアに触れた。
 エドワード様への強い信頼と、僕への興味。
 
「アルア……初めまして。僕はフィシェル。これからよろしくね」
 
 優しく撫でると、アルアは小さく嘶いた。
 
「そうか……君なら、エディと共に戦場を駆けても、熱くないんだね。長く走ってきた上に、ここは慣れない環境だろうに……すごいなぁ。もうエディを乗せて走りたくて、たまらないんだね……」 
 
 もちろんしっかり言語として理解しているわけではないだろうが、ちゃんと僕が言った言葉のニュアンスが分かってるんだ。意味を認識してくれているのだと、魔力の揺らぎを見れば分かる。
 
「アルアは本当に賢いですね……エディ。エディ?どうしたんですか?」
 
 エディがこちらを見て固まっていたので驚く。
 
「いや……少し驚いていた。そうか、動物も……視えるのか」
 
「うーん、あんまり試したことはないので分からないですけど……アルアが火に愛されているので、魔力がよく視えて分かりました。ちゃんと僕の言葉を分かってくれていることも」
 
「確かに、本当に会話しているのだと思ったよ。これからアルアの機嫌を損ねたときには、フィルに相談することにしよう」
 
 大真面目な顔でエドワード様が言うので、僕は可笑しくなって笑ってしまった。
 
 フードを被って外に出ると、僕たちの様子を伺っていたセトペリさんがちょっと挙動不審気味に声をかけてきた。そりゃそうだ、ひと目見て多重霊格の精霊の愛し子だと分かる、この国の王子様がいるんだから……
 一晩経って随分とマシになったけれど、僕だってまだまだ緊張は解けない。
 
「あ、あの、殿下。なにか不手際はなかったでしょうか。田舎ですのでなんでもとは叶いませんが、ご要望があれば仰って下さい。善処致します」
 
「ああ、大丈夫だ。ありがとう。昨夜は急なことで、すまなかったな。アルアは気性も荒くはないし、随分とリラックスできているようだった。貴殿は腕が良いな。迎えが来るまでもうしばらく滞在するので、その間の世話を引き続き頼む。たまに走らせに連れ出すかもしれん。何かあれば私はフィシェル殿の家にいるので、そちらまで連絡して欲しい」
 
 僕の家に、の辺りでセトペリさんはギョッとして僕を見たが、僕はフードに顔がほとんど隠れている。こちらは一方的に魔力の動きを視て、本当に緊張して動揺もしているとわかるのだが、どうすることもできなかった。
 が、セトペリさんにお金を渡して振り返ったエドワード様は、ここでとんでもない手段を取る。
 
「では行こうか、フィル」
 
 そう言って、女の子なら誰もが見惚れるような笑顔で僕に手を差し出したのだ。それを目撃したセトペリさんの魔力は、可哀想なほど動揺にのたうち回っている。
 僕はフードの下でキョロキョロ視線を彷徨わせながら、しかしやっぱりどうすることもできないので、大人しく手を取ったのだった。
 
 
 
 パウロさんのお店では、ひと騒動あった。店内の一部がめちゃくちゃになっていたのだ。
 驚いて事情を聞くと、何と朝ルドラがきて店を荒らしていったのだという。カーラさんと二人で朝からずっと片付けていたのだろう。二人とも随分と疲れた顔をしていた。昨日あんなことがあったのに、二人を更に追い詰めるようなことをするなんて……
 僕のところにはエドワード様がいるので手が出せず、腹いせにここを襲ったようだ。幸いにも、荒らされたのは日用品の一角だけだった。村唯一の商店なので、完全に潰してしまうと自分も困ると分かっていたんだろう。
 
 パウロさんは最初、王子様の手を煩わせるなんてと言っていたが、壊れた棚を瞬く間に魔法で直して、他の場所の補強もされてしまうと、後は感謝を述べるばかりになった。
 僕は僕で、できることをしようと思った。迎えがいつ来るのか分からないという問題はあったが、できる限り新しい下着や手拭いの納品をしようと申し出る。
 
「いや、いいんだよ、フィン。君のところには今殿下もおられるんだ。そんな作業をさせるわけにはいかないよ」
 
「大丈夫ですよ。僕は日中頻繁に出掛けたりするわけでもないし、エディは優しいのできっと……」
 
「ああ、もちろん構わない。寧ろ俺からもフィルに言おうかと思っていた。俺の分の替えの下着も用意してもらうことになるだろうし……それに、フィルの仕事ぶりを見る良い機会だ。俺のことを気にする必要はない」
 
 そう言ってエドワード様は僕の肩に手を置いた。その様子を見て、夫婦は顔を見合わせる。
 
「……ずいぶん……仲良く、なったのね」
 
 カーラさんが思わずといった風に呟いたので、僕は今のやり取りを思い出してあっと口に手を当てた。
 欠片も動揺のないエドワード様が笑う。

「どうかな?半身っぽく見えるか?実は昨日、あれからちょっと練習をして……お二人の前で試してみることにしたんだ。フィシェル殿、中々上手くできていたようだぞ」
 
「あ、ぅ、そ、それならよかったです。よかった。うん……そう……練習したんです……」

 僕は何度も頷きながら冷や汗をダラダラかいていた。フードがあって本当によかった。商店の中は明るくなるように日光を取り入れる設計なので、僕は日中の店内ではフードを取ることができないのだ。それが今とても幸いしている。
 
「まあ、そうでしたか……それはもう、驚くほど親密に見えました。ね、あなた」
 
「ああ……一晩で何があったのかと思ったよ」
 
「もう!あなた!殿下に何を言っているの!」
 
「いや、俺はフィンに……」
 
「この場合は、同じことじゃない!?」
 
 僕が目を丸くしていると、二人のやり取りを見ていたエドワード様は笑い声を上げて、僕の肩をぽんぽんと叩いた。
 
「はは、フィシェル殿。大変参考になるな」
 
「え、ぁ、た、たしかに!」
 
「し、失礼いたしました!」
 
 慌てて頭を下げる二人の身体を押し戻しつつ、僕たちは二人分の色んな食材を買い、家に戻った。 
 
 
 
 帰る道すがら、僕はエドワード様に手を引かれながら、先程の機転を褒めた。
 
「エディは、すごいですね。僕は咄嗟にあんなことは言えないと思います」
 
「あんなこと?……ああ、先程の話か。まあ王城も色んな思惑が渦巻くところなので……フィルも、きっと嘘が上手くなるよ。本当のことを少し混ぜるのがコツだ」
 
 言われてみて思い返すと、確かにエドワード様は体内魔力の揺らぎもなく、特殊な目の僕から視ても、本当に自然に思えた。
 でも、それってつまり、エドワード様に嘘をつかれても分からないってことじゃ……?
 
「フィル」
 
「あっ?はい。なんですか?」
 
 絶妙なタイミングで話しかけられて、見事に思考が中断する。続いて放たれたセリフに、考えていたことは吹き飛んだ。
 
「フィルは……嘘が上手くなっても、俺には素直なフィルのままでいてくれ」
 
「う、あ……」
 
 不意打ちだ。そんな優しい瞳で、ぎゅっと手を握るなんて。僕は必死に呼吸を落ち着かせながら、なんとか返事をした。

「……まず、僕に嘘が上手くなれるとは思えませんけど、はい。わかりました……」
 
 エドワード様も、とは言えなかった。僕なんかにここまで心を砕いてくれた王子様に、これ以上何を求められるだろう。
 それに、先程あまりにも上手な嘘をついてみせた人だ。嘘をつかれたとしても、それがエドワード様に必要なら構わない気さえした。
 僕は不思議と力の入らない手で、弱々しくエドワード様の手を握り返した。
 
 家に帰って食材を保冷庫にしまう。そのあと「王子様に食べていただくなんて大丈夫かしら……」と不安そうにしながらも、カーラさんが作って渡してくれた温かいお弁当をお昼ご飯に食べた。
 
「しかし……夫妻も大変そうだったな。ルドラは昔からああなのか?」
 
 食後にお茶を飲みながら、エドワード様が心配そうに呟く。
 
「う、んと……僕、ルドラは小さいときから……見てるだけでしたけど。昔から元気というか……やんちゃではありました。でも、こんなことをする人ではないと思ってました」
 
「では、ここ最近だけ?」
 
 僕は思わず、入り口近くに掛けてある自分のコートを眺めた。ルドラがおかしくなったのはきっと、僕のせいだ。
 
「僕の……せいなんだと思います。この村では……至純という言葉も知らなくて。だから、透明で身体の弱い僕を、村長はルドラにちょうど良いと、思ったんだと……」
 
「それでルドラは、フィルと一緒に暮らすような話を持ち出していたんだな」
 
「はい。ルドラは……最初は、僕のことをほとんど認識していなかったんですが……その、ずっとフードを被っていたので。でも、一度フードを取って見せてから、おかしくなってしまって……」
 
 話しながら恥ずかしくなってきた。後半は俯きながらボソボソと喋る。なんだか物凄く間抜けなことを言ってないか?
 これではまるで、ルドラが僕に…… 

「一目惚れか」
 
「う、えと、わ……分からないです」
 
「俺にはわかる」
 
「えっ?」
 
 思わず顔を上げて、向かいに座るエドワード様を見る。エドワード様はじっと僕の目を見ていたが、やがてふっと表情を崩した。
 
「一目惚れをした人間の行動は、分かりやすいんだ」
 
「ああ……エディはきっと、一目惚れされるのにも慣れていますよね」
 
「……まあ……そうだな」
 
「そうか……だからルドラは、僕が断ってあんなに怒っていたのかな」
 
 ルドラの気持ちに見当がついても、僕は他人事のようにそう呟いていた。知らなかったとはいえ、悪いことをした。
 ルドラを傷付けたせいで、パウロさんたちにまで迷惑がかかってしまった。とはいえ、気持ちを知っていたところで、やっぱり僕はルドラを受け入れられなかっただろうな、と思う。
 
「怒ってるルドラ、怖かった……あれはやっぱり、僕の言葉で傷付けてしまったんですね……」
 
 僕がしみじみと言うと、エドワード様が困ったような顔をしていた。
 
「エディ?」
 
「……いや、確認だが……俺のことは、怖くはないか?」
 
「エディは怖くないです。最初は怖かったけど……って、これ、何度も聞いていませんか?……エディはたぶん、慣れてきたんだと思います。僕なんかに心を砕いて、優しくしてくれて……」
 
「……その、ほら。俺はフィルに触ることもあるだろうから。ルドラは嫌だったんだろう?俺のことは嫌じゃないのかと……」
 
「嫌なわけないですよ。僕たちが共犯者になるためって、言ってくれたじゃないですか。その練習もしているし、僕の体質を考えると嫌がれる立場でも……エディ?……どうしたんですか?眉間に凄く皺が……あ、まさか、僕、何か失礼を……!?」
 
 咄嗟に立ち上がりかけると、エドワード様は眉間を揉みながら反対の手で僕を制した。大人しく椅子に再び腰を下ろす。
 
「すまない、そう……共犯者だからな。うん……一目惚れは良い設定だと思ったんだ。俺はフィルの、その美しい容姿に一目惚れして、骨抜きなったと……そういう事にしておこう」
 
 今度は僕が眉間に皺を寄せる番だった。流石にそれは信憑性に欠けるのではないか。
 
「エディ……流石にそれはどうかと思います。そんなの信じる人はいないですよ」
 
「そこは俺の振る舞い次第……というかちょっと待ってくれ。フィルは……自分の容姿についてどう思っているんだ?」
 
 自分の生気のない色味はコンプレックスだったし、目の前にいるのが派手な色味の美丈夫だ。話すのは些かどころではないほど苦痛だったが、僕はこれも必要なことだと自分に言い聞かせて口を開いた。
 
「母さんはいつも褒めてくれましたけど、僕は……母さんには申し訳ないけれど、人形というか、お面というか……生気がなくて、下手くそな作り物みたいで、醜いと……気持ちが悪いと自分で思っています。だって、皆と、あんまりにもちがう……」
 
「フラトワ殿は、美人と言っていたな」
 
「はい、母さんは……息子の贔屓目かもしれないけれど、美人だと思います」
 
「フィルも、似ているのでは……」
 
「息子なので全く似ていないということは……ないのかもしれません。周りは似ていると言っていましたが、僕はそもそも、こんな色味ですよ……」
 
 僕が俯くと、エドワード様も押し黙った。ちらりとエドワード様の体内魔力を覗うと、強い葛藤が垣間見える。きっと僕の話を聞いて今後の振る舞いを考えているんだろうな。お手を煩わせるばかりで本当に申し訳ないと思った。
 しかしその葛藤の揺らぎが、すっと平常に戻っていく。
 
「俺は……そう、演技力には、自信がある。考えてみたがやはり、俺が一目惚れしたことにする方が、フィルにとっても都合が良いと思う」
 
「僕にとっても……?」
 
「俺が一目惚れして連れてきたのだと周りに言えば、フィルが触れ合いに慣れなくて戸惑う姿も……逆に、説得力があるだろう?そうすれば、フィルも無理に……っ……親しげに……できなくとも、周りから急かされることも……無いだろうし」
 
「エディ、なんだか苦しそうです。一息に喋らなくても……お茶を飲んで、ゆっくりで大丈夫ですよ」
 
「ああ……すまない。ちょっと気合を入れすぎていた」
 
 一体何に?そう思ってエドワード様の魔力を視たが、そこからは何も読み取れなかった。いや、決意……小さな決意のようなものは伝わった。
 この人はなんて凄い人なんだろう。自分にも利がある共犯関係とはいえ、僕のような容姿の人間に一目惚れした風を、王城で装ってみせると言っているのだ。決意が見えたのはきっとその事だ。僕も改めて気が引き締まる思いがした。
 
「エディは……すごい。本当に、立派な……方、ですね。すみません、あまり言葉を知らなくて……僕はやっぱり、触られたりしたら戸惑ってしまう方が多いと思うので……正直、有り難いです。本当にお気遣いありがとうございます。こんな僕ですが、殿下のお気持ちに頑張って報いたいと思います」
 
 頭を下げる僕を見ながら、エドワード様はお茶を一口飲んで、一息ついた。
 
「……フィル。エディと呼んでくれ」
 
「あっごめんなさい。エディ。がんばります」
 
 ……早速間違えてしまった。落ち込みかけたが、頭を振ってマイナスな気持ちを追い出した。僕もエドワード様のように、もっと気合いを入れて頑張らなくては。


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