神崎くんは床上手

ハナラビ

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山下2

山下2-6

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 座っているのはまだすこし辛かったが、察した神崎さんが横になっていていいと言うので、おれは大人しくベッドに寝転んで神崎さんの話を聞いていた。
 
「この後飯食って……いい感じの時間になったら、今回からお前が世話になる監督のところへ連れて行く」
「はい」
「そこで詳しく企画を説明されるとは思うけど……俺からも一度言っておく。多分あの人に限ってそんなことはしねえとは思うけど、この内容から著しくかけ離れたものをやらされそうになったら言え」
「分かりました」
 
 神崎さんによると、おれが今回出演するのは大勢が乱交するタイプのゲイビデオだそうだ。
 
「お前は誰でも抱けるように仕込んであるけど、まずは抱かれに行ってもらう。それもできるだけ体格のいいヤツにな」
「はい……あの、何でなのか聞いてもいいですか?」
「……まあそうだな……説明してやってもいいけど、完成したゲイビ見たら納得すると思うぞ」
「じゃあ黙って言うこと聞きます」
「よし。落ち着いたら出るか」
 
 差し出された水のペットボトルを受け取り、体を起こした。それをひと息に飲み干して、服を着る。
 何でも好きなものを食べさせてやるというので……おれはすこし悩んで、レビューサイトで見て気になっていたイタリアンレストランの名前を言った。神崎さんはちょっとだけ驚いていた。最近、食に興味が出てきたと言うと……おれの気の所為かもしれないが、神崎さんが嬉しそうに見えた……と、思う。この人の考えていることは、おれには相変わらずよく分からない。
 
「はじめまして、山下修平と言います」
「アタシは黒崎よ。よろしくね、山ちゃん♡」
「…………よろしくお願いします」
 
 小さなビルの一室でおれと監督が対面すると、神崎さんはちょっと用事があると言って、スマホを片手に部屋を出ていってしまった。ここは見たところ小規模な事務所のようだが、それにしても物が少なく変に殺風景で、人も黒崎監督しかいない。なんの仕事をどうやっているのか、とても検討がつかなかった。
 
「アナタが、あの神ちゃんが手ずから仕込んだっていうコね。なかなかキレイな顔してるじゃないの」
「はぁ……そうですか。ありがとうございます」
 
 このひと月、神崎さんに連れ回されるままあらゆる人と会って挨拶をして、その度に何故か顔を褒められるけど、自分じゃ未だにピンとこない。
 
「…………ふぅん。どんなコなのかと思ったけど、ずいぶん覇気がないのねぇ」
「それは……すみません。撮影は頑張るので……」
 
 監督にできるだけ丁寧に頭を下げた。顔を上げると、監督が品定めをするようにじっとおれを眺め、それからスマホを取り出してしばらくその画面に目をやっていた。やがて同情の視線が寄越されたので、なんだろう、神崎さんが送ったおれの経歴でも読んだのだろうか。
 
「ねぇ山ちゃん。AVのこと、どう思う? 出演者の性別に関係なく、AV全般のことね。見たことくらいあるでしょ」
 
 見たことはあると頷きつつも、困惑を隠せず思わず目を伏せてしまう。
 
「うーん……どう、と言われても……」
「……ま、そうね。ちょっと漠然とした問いだったわ。質問内容を変えましょう。山ちゃんが自分で選んでオカズにしたことのあるAVのこと、教えて頂戴。どんなプレイだったの?」
 
 おれは黙って考えた。一番最近見たのは……神崎さんが持ってきたやつから適当に選んで、それを見て一人でしてみせた時のものだが、必死だったので内容はさっぱり覚えてない。それ以前となると……あまりに遠い昔なので、答えようがない。
 
「……すみません、あまり、見たこと……なくて……」
「そう……そうね。じゃあ、好みのシチュエーション、何かあるかしら?」
「シチュエーションですか」
「そうよ。学生服とか、痴漢モノが興奮するとか……あとはプレイ内容でもいいわ。キスが好きとか、フェラが好きとか、あるでしょ」
「うーん……」
 
 おれの脳裏に、神崎さんによって与えられたあらゆるセックスの内容が浮かんで、消えていった。一番奥底にあるのは彼女との記憶だが、触れると砕けそうなそれをまるごと掬い上げてくるのは、なんだか躊躇われる……
 
「き、気持ちが……通ってそうなもの……でしょうか……」
「アラ♡ 可愛いわね。言い方からして、好き合ってるラブラブなものがいいってことかしら!」
「ラブラブ……かは分からないですけど……ただヤッてるよりは、そこにいたる過程とかの方が、大事かなって……お、思います……」
 
 これではただヤるだけのAVを否定しているんじゃないかと途中で気付いて、尻すぼみな回答になってしまう。何故問われているのかと考えれば、これはつまり面接のようなものであって……こんな答えで良いはずがないのではないか。おれは冷や汗が出るのを感じながら、ちらりと監督を見上げた。
 すらりと背が高い監督は、前髪を作らない黒髪のロングストレートで、大きな眼鏡をかける耳にはたくさんのピアス、それから鼻の下と顎に髭があった。この人がいわゆるオネェ口調で話しているのもなんだか不思議な感じがする。
 
「良い答えね。気に入ったわ」
「えっ?」
「えって……何驚いてるのよ」
 
 おれは戸惑いながらも、先程尻すぼみになった理由を話した。すると監督は笑いながら立ち上がり、事務所の壁際に置かれた書類棚の方へ向かう。狭い事務所の小さな棚の中には、大量の本やファイルのようなものが入っていて……監督がそれを取り出し、おれに渡してくれたところでようやく、それが台本なのだと気付いた。
 
「見てみなさい」
「は、はい。失礼します」
 
 本のように見えたものは、実際にはコピー用紙をホッチキスで留めたような簡素な冊子だった。企画内容と出演者への簡単な指示、大まかな流れだけが書いてある。セリフの指定があるものもあるが、どれも数ページで終わる導入がほとんどで、細かい指定は無いに等しい。
 
「AVの台本なんて、こんなもんなのよ」
「……そうなんですね」
「……アタシね、結構ちゃんとした映像科のある大学出てるの」

 おれは台本に落としていた視線を上げて監督を見た。立ち上がっていると余計に思うが、すらり……いやひょろりとしていて、本当に背が高い。
 
「……大学の仲間だった人達は、みんなそれぞれ名のある仕事をしているか、別の分野へ行ったわ。でも、み~んなAV監督の同級生なんて一切関わりたくないらしいのよね。もう誰とも連絡つかないの。笑っちゃうわ」
「………………」
 
 おれも、こちらに多額の借金があると知った途端に離れていった人達を知っている。似たような味の感覚を食べたことがある気がして、勝手に共感して聞いていた。
 
「AVだって、立派な映像作品よ。少なくともアタシは芸術だと思ってる。いいえ、実際にそうなのよ!!」

 おれはごくりと息を呑んで監督の強い視線を浴びていた。新人のささやかな共感を蹴飛ばし、監督の語気は勢いを増していく。

「多額の借金を抱えていてもいなくても、セックスが好きでも嫌いでも……そんなの関係なしに、出演が決まった人間はみんなアタシのカメラの前で服を脱ぐのよ。そしたら文字通り丸裸ね。その人間がどんなふうに感じて喘いでイっちゃうのか、全部カメラの中に収まっちゃうわ。人間だから誰しもあらゆる事情を抱えているけれど、セックスしている間はそんなの関係ないわ!」
 
 おれにはただ黙って監督を見つめることしかできない……

「おんなじ映画やドラマを何度も繰り返し観る人って、一体どれくらいいるかしら? 好きなら何十回と観る人もいるかもしれないわね。でも、いくら気に入ったとしても、大抵の人は二、三回観たらしばらくは見ないんじゃないかしら。好みでも一回観たら満足ってことも多いと思う。だけどアダルト作品は違うわ。探して出会った好みのオカズは何度だって繰り返し観る。そしてその度に同じだけ興奮する。これってすごいことだと思わない!? そんな映像はAVくらいよ。これが芸術じゃなくて、なんだっていうの!?」
「た、たしかに……そうなんですかね……」
 
 妙な説得力に感心していると、監督がおれに向かってビシッと指差した。
 
「あなたは芸術作品になるのよ。神ちゃんとアタシの手によってね」
「………………」
「今回アタシたちが山ちゃんに用意した企画はこれよ。もう聞いてるかしら?」
 
 おれが手に持っていた過去の台本を取り上げると、監督は新しい紙を手渡してきた。企画用紙はなんと一枚しかない。
 
「新人にはよくあることだけど、これがデビュー作っていう人間だけで乱交するタイプのゲイビデオね。シチュエーションもセリフもなにもない、ただ複数の人とヤるだけの内容よ」
 
 用紙に書かれているプレイ内容も特別な指定はなく、本当にひたすら大勢の絡みを撮るらしい。
 
「がっかりした?」
「いえ……神崎さんの指示なら、おれは従うだけです」
「またすごい忠誠心のコが来たわね。でも分かるわ。神ちゃんって、妙に人を惹き付ける何かを持ってるから……かく言うアタシも、それに魅せられた一人なんでしょうね……ハァ……」

 監督はため息をついてしばらくぼんやりとしていたが、おれの視線に気付いて、驚いたように何度か瞬きをした。
 
「アラやだ、ちょっと自分の世界に入っちゃったけど、企画の話の途中だったわ! ……これは、実はあなたが目立つ為の神ちゃんの仕掛けのひとつなの」
「え……?」
 
 有名な出張ホスト店がプロデュースする、新人を集めた乱交物のゲイビデオは、それなりに幅広いゲイたちに見てもらえるらしい。新人発掘をする層であったり、自分のビデオに使いたい業界人だったり……店と提携しているなら、そのうち店にキャストとして登録される可能性もあるので、そういう意味でチェックしている人たちもいるそうだ。
 
「山ちゃんはカラダがまだ全然仕上がってないって聞いたわ」
「はい。全然まだまだで……その、ひと月前まで栄養失調気味だったので、ようやくまともになったくらいです」
「そう。でも、そのビデオに出た人間の中で……山ちゃんが一番人気になると思うわ」
「どうしてですか……?」
「それはもちろん、あの神崎誠一郎が直々に仕込んだ人間だからよ。今はまだピンと来てないかもしれないけど、撮影始まったら嫌でも分かるわよ」
 
 おれは首を傾げて監督を見つめたが、明確な答えは貰えず仕舞いだった。監督は何故あんなに自信満々なのだろう。

「……今日も神ちゃんに抱かれて来たんでしょう」
「え……」
「分かるわよ。香水とタバコの混じった匂い。どっちも神ちゃんのだわ」
 
 監督が目を伏せて笑うのを、おれは何も言えずに眺めていた。魅せられた……ということは、この人は神崎さんのことが好き……なんだろうか。分からない。もしかすると、そんな単純なひと言で表すことができる感情じゃないのかもしれない。尋ねてみようかと思ったが、間の悪いことにそこでおれのスマホが鳴った。おれに連絡してくるなんて、今は神崎さんくらいしかいない。話が終わったならそろそろ降りてこいという。おれは監督に頭を下げて、事務所を後にした。

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