神崎くんは床上手

ハナラビ

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千葉1

千葉1-1

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 夢みたいで幸せだと思うのに、もう何回「やめたほうがいいのか」と悩んだかな……
 この家で一人のときには、無性に寂しくなって結構泣いたりもしてる。一人暮らしをしてたときよりずっと寂しいなんて、どう考えてもおかしいよな。でも、今日みたいな寒い日は……とくに寂しい。
 ようやく忘れられるかもしれないと思った頃に連絡がきて、優しくされて気持ちを思い出し、また騙された。そうしてオレは同じことを繰り返している。
 ――捨てないでください。
 ――まだ、一緒にいてもいいですか。
 そう言って、神崎先輩に何度だって縋り付いてしまう。
 
「先輩、遅いな……」
 
 神崎先輩は、あんまり連絡をくれない。夕飯は一応作っておいて、食べてもらえなかったときはオレが酒のつまみにするか、次の日の朝ごはんにしてる。
 もうすぐ日付も変わりそうだ。遅い日でも、いつもならもうそろそろ帰ってくると思うんだけど。あんまり遅くなるようなら、風呂はあとで沸かし直したほうがいいかもしれない。
 せっかく明日はバイトが休みだからと思って、ワンチャンにかけて……いつもより念入りに準備をしてしまったけど、この分だと無駄になるだろうな……
 忘れもしない高校時代、神崎先輩に初めてレイプされたときには怖くて痛かった記憶が強いけど、捨てられる頃にはもうオレはすっかり先輩に依存しかけていた。たぶん先輩は、オレのそういうところに気が付いていて、だからこそ捨てたんだろうと……今なら何となくわかる。それもあって、面倒臭がられたり、機嫌を損ねたりっていうのはできるだけ避けたい。
 先輩にその気がないなら、何度この虚しい作業が無駄になったっていい。ただ、時折ある奇跡の為にオレは食事を抜く事さえあった。この辺は黙ってれば多分バレないと思う。でもきっと、先輩はオレのこういうところが嫌なんだろうな。
 
 ガタン、と玄関から音がして、慌てて廊下に出た。おかえりなさい、とオレが言うと、先輩は玄関でゴツいブーツを脱ぎながら、風呂、とそれだけ返してきた。
 
「ちょうどお湯張ってあります。タオル持っていきますね」
 
 神崎先輩は無言でジャケットを脱ぎ捨て、玄関横の脱衣室入ってしまった。疲れたようなため息が聞こえてくる。
 ……今日は機嫌、悪いみたいだ。
 
「先輩……」
 
 思わず呟いちゃったけど、聞こえてたらまずい。オレは慌ててジャケットを拾うと、寝室にあるおっきなウォークインクローゼットにそれを仕舞った。ハンガーのかけ方も、先輩が教えてくれた。変な跡がついたりしたらもう大変だ。最初の頃は怒られてばかりだった。先輩、普通に平手で叩いてくるし。
 ……すんすん。うう~……今日も知らない香水の匂いがする。オレは顔を顰めながら、無香料のファブリーズを吹きかけた。こういうキッツい香水つけてる女、オレは苦手だな~……
 ため息をつきつつ、先輩の着替えとバスタオルを持って脱衣室へと戻る。
 
「先輩、置いときますね!」
 
 返事はなかった。代わりに湯船に浸かっているときのちゃぷんという音が聞こえてきて、オレはそれを聞いて黙ってリビングへと戻った。
 ソファへ座ろうと向かう途中で、食卓に用意しておいた夕飯が目に入る。
 
「あ……そうだ。あの感じだと、食べないよな……」
 
 軽くかけていただけのラップをきっちり整え、冷蔵庫へ仕舞う。今日はオムライスに挑戦した。卵をどうやって巻いたらいいのか分かんなくて、オレの分はケチャップチャーハンって感じになった。先輩の分も、ちょっと焦げた下手くそなオムレツが乗っかってるだけになっちゃった。味自体はケチャップのおかげで結構美味しくできたんだけど、でも、たしかにちょっとべちゃっとしているし、見た目も悪かったから……別にいいんだ。それに、たとえ半熟の美味しそうな感じにできたとしても……あっためなおしたら、固まっちゃうだろうし……
 先輩には、もっと上手くなってから、可能ならできたてを食べてもらえたらいい。やっぱりこれはオレの明日の朝ごはんだな。
 
 ソファに座って、ひと息つこうとしたけど……すぐに落ち着かなくなる。さっき綺麗にするときにちょっとだけ触って、でもワンチャンにかけて我慢したから……すげームラムラする。はぁ。先輩、今日は絶対してくれないよなぁ。
 湯船に浸かってたし、先輩が上がってくるまでもうすこしかかるはず。
 悲しいけどオレはどうやらかなり早漏らしいから、たぶん今ならすこしでも触ればイけちゃう。ティッシュを用意して、スウェットの下に手を入れた。

「……ッ」
 
 掠めただけで声が出そうになって、思わず下唇を噛み締める。ほんと、なんでオレの息子はこんなに敏感なんだろう。
 下着ごとずり下げて露出させ、優しく擦る。
 はぁ……女の子とするより、神崎先輩にケツ掘ってもらう方が気持ちいいのって……やっぱりオレが早漏だからなのかな……
 
「……ッうう」
 
 慌ててティッシュを先端に当てて吐き出す。
 ……やば。さっき焦らした所為で、もうイっちゃった……
 神崎先輩の顔をぼんやり思い浮かべるくらいで終わってしまった。さ、流石にオレも、いつもはもうちょっと我慢できる。これは自己最速に近い。神崎先輩に触られたら、その瞬間イってたかもしんない。
 オレはティッシュを片付けて、手を洗うべく洗面台へと向かった。脱衣室にあるそこで丁寧に手を洗い、ついでに歯も磨く。さっき準備のついでに磨いたんだけど……よく考えたらその後ジュース飲んじゃったから、もっかい磨いとこう。
 ……べ、べ、別に、あわよくば風呂上がりの神崎先輩が見れるかも、なんて……思ったわけじゃないし……でもエッチできないならせめて……とか、あるじゃん。

「……ふー……」
 
 バコッと風呂場のドアが開いて、神崎先輩が上がってきた。やった! タイミングばっちりだ! 
 鏡越しにチラッと見てみると、先輩はオレが用意したバスタオルに手を伸ばし、体を拭き始める。
 うう……なんであんなにカッコいいんだろう。ただ風呂から出ただけだっていうのに。
 いつもはきっちり上げている前髪から、ぽたぽたと水が滴っている。これも、初めて見た日は腰が砕けるかと思うほどセクシーだったな……
 先輩が頭をタオルでガシガシと撫ぜる。その下、ジムに通って鍛えている体は、オレから見てもものすごく綺麗に引き締まっていて……
 
「アッ」
「……なにやってんの」
「ぉおひひゃいぁひた」
「は?」
 
 チラッとのつもりだったのに、いつの間にかぼけ~っと鏡の中先輩を眺めていて、口の端から歯磨き粉が溢れてしまった。咄嗟に手で受け止めたから、服につかなくてよかった。慌てて俯き、誤魔化すように口とその周りを濯ぐ。
 
「こ、こぼしちゃいました。すいません、すぐあけますね」
「…………」
 
 先輩もここを使いたいだろう。オレはさっさと歯ブラシを洗って口元を拭くと、素早く脱衣室から出た。
 ……諦めて抜いた所為か、めちゃくちゃ眠い。今日は早番だったしなぁ。先輩、今夜は構ってくれなさそうだし、もう寝ちゃおうかな。
 ソファに横になって、毛布にくるまって目を閉じる。
 明日には先輩の機嫌が治るといいな。オレ……今日はたぶん何もしでかしてないとは思うけど、でも、いつも自信がない。先輩の機嫌を損ねたくないのに、どうしたらいいかはずっと分かんないままだ。
 自分の気持ちと、目的ははっきりしてる。神崎先輩と一緒に生活できている今の時間を、できるだけ長く引き延ばしたい。たぶんこの変テコな関係は、神崎先輩がオレをまた捨てて、いつか唐突に終わるんだと思う。これは先輩の気まぐれに過ぎない関係だってことを、オレは良く分かっているつもりだ。
 ……だから、あんまり期待しちゃ、いけないんだ。
 でも、先輩の気まぐれが終わる瞬間が、ずっとずっと後になればいいと思う。先輩が、オレのゲイビは中々好評だって言っていた。っていうことは、オレにはたぶん……まだ利用価値があるはずだ。それがあるうちは、きっと大丈夫。
 
 捨てられた日のことを、オレは今でも夢に見る。なんつーか、トラウマになったことばっか夢に見るんだよな、オレ。やり直せもしないってのに。
 眼の前で、神崎先輩がオレを睨む。何枚も保存してあった、オレを脅迫するための写真たちを削除して……もう関わることはないと告げる。
 オレはそれに泣いて懇願して縋り付く。なんでもいい、写真でどれだけ脅してもいい、どうか捨てないでください。そう言うオレを神崎先輩はゴミを見るような目で見下ろして、黙って部屋を出ていく。
 いつの間にか連絡手段も全て切られていて……それを確認した瞬間、全身から冷たい汗が吹き出した。心臓はズキズキと痛みながらうるさく鳴っているのに、血の気が手足の先からどんどん引いていき、冷えて痺れて、全部の感覚が遠くなっていく。
 いやだ、いやだ。捨てないで先輩。まだ一緒にいさせてください。
 他になんにもいらない。先輩さえいれば。
 先輩がこれから学校を辞め、暗い場所を歩くって言うなら……オレもそれについていきたい。どうか連れていってほしい。辛く当たられたって、何されたっていい……先輩の横顔を黙って見ていられる場所に、オレを置いてほしい……
 
「おい……おい千葉ッ! 起きろ!」
「うぅ……?」

 先輩に揺さぶられて意識が浮上する。あれ、オレもう寝ちゃってたのか。
 
「……はぁ……お前、すげえ魘されてたぞ」
「あ……すいません……うるさかったっすよね……」
「…………いや……まあ……そうだな」
 
 先輩は珍しく歯切れが悪かった。ソファの前にしゃがんで、オレのすぐそばでため息をつく。
 
「……どんな夢見てた?」
「お……覚えてないっす」
「…………そうか」
 
 オレがはぐらかすと、先輩は何かを言いかけて……でもやめて、ベランダへ出て行ってしまった。ちょっと体を捻ってそっちを見る。今日はかなり寒いのに、先輩はそこでタバコを吸ってるみたいだった。
 オレがどんくらい寝てたかは分かんないけど、先輩は風呂上がりだ。いくら先輩好みの熱めのお湯を張ってあったとはいえ、このままでは湯冷めをしてしまう。
 オレはそわそわと神崎先輩の後ろ姿を窺いつつも、でもそのガラス越しの背中になんの声もかけられなくて……毛布の中で、せめて神崎先輩が戻るまで眠らないように、必死に目を開けていた。
 
「……はー……さみ」
「先輩……風邪引いちゃいますよ」
「引かねーよ」
「でも、あったかくしないと、だめっす」

 オレが食い下がると、神崎先輩はオレを小馬鹿にするように笑った。いつもこうされるんだけど、それが嫌いじゃないのって、ほんとどうかしてるよな……
 
「……なに、お前があっためてくれんの」
「あ……っはい! どうぞ、先輩」
「………………」
 
 体を起こして笑顔で毛布を持ち上げて見ると、神崎先輩が近付いてくる。隣へ腰掛ける先輩にそっと毛布をかけた。……体がずいぶん冷えている。
 先輩の今日の部屋着は、仕舞ってある組み合わせの中からオレがそのまま持ってきたやつで、たぶんそんなにあったかいものじゃない。オレは裏起毛のめちゃめちゃあったかいスウェットを着てるけど、先輩って家でもほんとオシャレ優先だし……寝るときなんてほとんど下着のみで、たまに全裸のときさえある。
 あったかいオレが抱き締めても良かったけど、神崎先輩がどこまで許してくれているのか分からない。悩んだ末、恐る恐る先輩の手に自分の手を乗せた。
 
「先輩、手も冷たい……だめっすよ、こんな……せっかく風呂入ったのに」
「千葉……」
 
 先輩の手がオレを捕まえて、指が絡む。ドキドキした。風呂上がりだからか、いつもはめられてる厳つい指輪たちもいなくなっていた。
 
「……子供みたいな体温だな」
「寝ちゃってたんで……」
 
 オレがヘラっと笑うと、神崎先輩がちらりとこっちの顔を見てきて……でも、すぐに視線を逸らされた。
 オレは先輩がこうしてソファに残ってくれていることが嬉しくて仕方がない。できるだけあたたまるように、手を握る箇所を変えてみると……また優しく握り返された。たったそれだけで心臓がきゅう、と苦しくなって、泣きたくなってしまう。好きだと思った。あれから他の誰と付き合っても、こんなふうになったことなんてない。
 あの日捨てられた自分に教えてやりたかった。大丈夫だから、三年間だけ我慢しろと。そうすれば、日によってはこうやって手を握っていても許されるようになるから……
 
「先輩……あったかくなってきたっすか……?」
「ん……」
「よかった……」
「…………千葉、来い」
「え、あ……」
 
 神崎先輩が手を引くまま立ち上がる。ふたりの温もりが残る毛布を置き去りに、寝室へと向かう。一体……どうしたんだろう。
 
「あ、あの……今日は、一緒に寝てもいいんすか?」
「……寒いからな」
「そうっすね……! へへ……」
 
 ベッドは冷たかったけど、先輩がオレをぎゅっと抱き締めて、足先も絡めてきた。先輩、足も冷たくなっちゃってる……でも大丈夫。オレ、あったかいっすよ!

「……千葉?」
「んん……なんすか……?」
「眠いか?」
「や……まだ……だいじょうぶです」
 
 元々眠かったから、すぐにうとうとしてしまう。でも、せっかく先輩がベッドを許してくれたのに……すぐ寝ちゃったら、もったいない。せめて何か、話をして、もうすこし起きていたい。先輩があったまるのを、ちゃんと確かめてから眠りたい。
 
「眠いなら寝とけ」
「……ほんとは……」
「ん……?」
「……先輩が、してくれたらいいなって、思って……準備、してたんす……」

 先輩はちょっと身動ぎをして、オレの顔を見て、また抱き締めてきた。
 
「もう瞼開いてねえじゃねえか」
「オレ……あした、やすみなんすよ……」
「知ってる」
「先輩は……あしたは……ごはん……一緒に……」
「…………いいから、もう寝ろ」
「せんぱい……」
「………………」
 
 うう……なんで寝ちゃったんだろう。せっかく先輩が、優しくしてくれてたっていうのに……



 ◆◇◆
 

 
 千葉がすやすやと寝息を立て始めたところで、神崎はため息をついて、今度こそその体温を離した。
 
「馬鹿だな、本当……」
 
 先程魘されていた千葉を思い出す。千葉が魘されているのは今までにも時折あったのだが、今日のようにはっきりした寝言を聞いたのは初めてだった。記憶力のいい神崎は当然あの日のことを覚えていた。忘れるはずもない。
 千葉は、あの日の懇願を一言一句繰り返していた。
 薄ら寒い思いがした。自分がしたことに、未だに千葉は苛まれているのだ。それを突き付けられた。
 
 それなのに千葉は、健気に尻尾を振って、自分にトラウマを残した男の事がまだ好きだと宣う。そして神崎がその気持ちを利用するのさえ、嬉しがる。
 神崎はそっとベッドを抜け出すと、スマートフォンで明日の予定を確認した。どうしてもずらせないものは、特にない。今落とそうとしている女とのデートだって、別に一度くらいドタキャンしても……
 
「はぁ……」
 
 神崎は深くため息をついて、スマートフォンをベッドのサイドテーブルへと戻した。必要な連絡を入れて、電源も落としてしまった。
 振り返って千葉を見る。先程とは打って変わって、安らかで、穏やかで、阿呆っぽい寝顔だった。見ているとホッとして……すぐに、うんざりした気分になる。
 たぶん、自分のような男からは解放してやるべきなのだろう。
 でもそれは同時に、千葉を一番傷付けることにもなるのだ。
 別にこんな……大して何もできない後輩は、どうなったっていいはずなのに。
 ……しかし……千葉を出演させたゲイビデオはかなり好評と言っていいし、続編を出すために絶対に逃すなと監督に言われてもいる。あの監督が「いつになってもいいから絶対にまたアタシに撮らせてちょうだい」なんて言ってくるのは、神崎にも初めてのことだった。だから、千葉のことは、まだ切れない。そうだ。切れないなら、仕方がないだろう。
 もう一度布団に潜り込む。すると、寝惚けた千葉が神崎に擦り寄ってきた。

「……しぇんぱい……だいすきれす……」
「…………はぁ」
 
 もう何度目か分からないため息が出る。今日の仕事で香水がキツすぎる女にべったりと纏わり付かれ、散々苛ついたことも、とっくにどうでもよくなっていた。
 千葉は、一体どれだけこちらの夢を見れば気が済むというのか。
 それでも今度は、登場人物が同じでも、穏やかな夢を見ているらしい。それでまた安堵する自分がいる。……最悪だ。
 最悪ついでに、千葉のために明日の予定を空けもした。一体馬鹿はどっちだ。千葉なんて、どれだけ魘されていてもほっとけばよかったはず。さっきだってうるさかったから起こした。それだけが理由だ。
 ……ここで神崎は深く考えるのをやめ、目を閉じた。
 早く明日の朝になればいい。そうしたら、もうやめてくれというまで、千葉の望み通りにしてやるのに。
 
 
 ◆◇◆
 
 
 
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