神崎くんは床上手

ハナラビ

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山下1

山下1-1

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 父親が怒鳴って、母親を殴る。怒りの感情は特にクソだと思う。一体何の為に存在しているのかさっぱり分からない。感情剥き出しの罵声と暴力……家の中で覚えがある光景はほとんどこればかりだ。だからそいつが借金を遺したとはいえ、ぽっくり死んだときには清々したものだ。借金はおれが頑張ってコツコツ返せばいい。当時はそう思っていた。
 高校をなんとか卒業して、そこから仕事を転々としながら六、七年ほど働いたけど……利息分を返すのでほぼ手一杯。おれは未来への希望なんてなにもない、地を這うような人生を送っていた。
 
「もっと稼げる職業ねえ。女ならもうちょいやりようもあんだけどな」
「…………すみません、先週母が逃げたときに……こ……今後の支払い分に回す予定の金を、持っていってしまって……」
「……ま、オマエまあまあ整った顔してるから、ソッチ方面に詳しいやつ紹介してやるよ」
 
 借金の取立人である飯塚にそう言われ、紹介されたのが……この神崎さんだった。おれより三つも若いのに、やり手の風俗スカウトらしい。
 
「神崎。よろしく」
「山下修平です。そ、その……今回はよろしくお願いします」
 
 おれが名乗るとその人は軽く頷いて、煙草に火を点けた。
 
「飯塚サンに聞いたけど……お前、父親の遺した借金あんだって? で、母親は蒸発したと。男であの人からコッチ紹介されるなんて、よっぽどだな」
「……かなり、デカい金額なんで……」
 
 おずおずと差し出した借用書の控えを見て、神崎さんは元々濃かった眉間の皺を更に濃くした。整えられた眉がぎゅっと寄るところは、同じ男からみてもかなりかっこいい。やり手なのも納得だ。こんなかっこいい男にスカウトされたら、たとえ行先が風俗店だろうとも女は喜んで付いていくんだろう。
 
「フーン……こんなに、よく借りれたもんだな」
「…………」
「ま、いいや。お前にソッチの才能があるか見てやるよ」
 
 そう言いながら神崎さんは、男女を一人ずつホテルに呼び出し、まずはおれに女を抱かせた。その次に、男を抱かせてきた。神崎さんが気を利かせてくれたのか、女みたいな……ともすれば女よりもかわいい男だった。だからペニスが付いていても、そんなに違和感はなかった。
 
「へえ、なかなかいいモン持ってんじゃねーか」
「はぁ……そうですか?」
「お前らはもう帰っていいぞ。またよろしくな」
 
 そう言いながら男女を帰した神崎さんに……今度はおれが抱かれてしまった。もうめちゃくちゃだ。今日は腹を括ってきたつもりだったけど、ここまでの覚悟ができていたかと言われると自信がない。とはいえ……文句も泣き言も、なんにも漏らさないおれに、神崎さんは不思議な生き物を見るような目をしていた。
 男同士のやり方のレクチャーも兼ねた一通りの行為が終わると、神崎さんがおれにちゃんと稼げるようにしてやると言ってくれて、その日はホテルで別れた。どうやら合格だったらしい。
 神崎さんによって見た目を整えられた後……おれは、今の住居からほど近い場所にあるジムに通わされ始めた。身体を鍛えとけ。そう言われた。その方がウケがいいからって。
 ただそうやって生活するだけの期間が一ヶ月半くらいあった。驚くべきことに、神崎さんはその間おれの借金や家賃など、諸々の金額を全て立て替えてくれた。どうしてここまでしてくれるのか聞こうと思ったけど……神崎さんくらい有能な人なら、おれにそれなりのリターンを見てるからなんだろう。
 体がジムで運動することに慣れてすこしは体力がついてきた頃、おれはとうとう神崎さんに言われるままAVに何本か出た。台本に忠実に女も男抱いて、抱かれもした。相手からの評判も良かったし、特におれが抱かれたAVはそれなりに好評のようで……顔が売れてくると、シュウという名前でウリ専の店……男性向けの出張ホスト店にも登録してもらうことになった。空いている時間はできるだけ店に待機して、お客さんにいっぱい奉仕して、評判を上げていく。全部神崎さんに教わったことだ。
 
「客の反応よく見ろよ、山下」
「ん……ッふぁい」
「舌押し当てて、吸って……あー、そう……上手いじゃん」
 
 神崎さんはおれのことを、「感情を出さないから使いやすい」と言う。言われてみて初めて、ああ、たしかにそうかもしれないと思った。わかりやすくキレたり号泣したりと、人生で心を強く動かされた記憶はあまりない。
 
「その割に演技力もあるし……お前は店の外で客食うことも、女優や男優とプライベートで寝ることもないだろ。楽でいーわ……」
 
 フェラの指導を受けたあとに、神崎さんは疲れた様子でそう言った。この人も色々と苦労があるらしい。
 
「お前の育った環境には同情するけど、あの借金じゃしばらくその調子でいた方がいいな。無趣味なのもどうかと思うから映画でも本でも見ていい。でも下手に感動系の作品見て、感情揺さぶられたりはすんなよ」
「……神崎さんは……誰かに感情揺さぶられたり、しないんですか?」
 
 おれがそう聞くと、神崎さんはいよいよ可哀想なものを見る目でおれをしばらく眺めて、やがて笑った。
 
「俺だって、そんな人間できたら……もう仕事にならねえだろうな」
「そう……ですよね」
 
 そう言いつつも、神崎さんは表情がおれよりずっと豊かに見える。仮に似た部分があったとしても、この人はおれよりずっと器用で、だからこそスカウトとしてやっていけてるんだろう。
 おれの仕事の金は、何%か中抜きされて、神崎さんの懐に入っているはずだった。でも神崎さんは、時々それをおれに直接くれた。借金を返してる生活の中にも、時折潤いがあったほうがいいと言って……うまい飯でも食えと。
 ……おれは神崎さんに、返しきれないほどの恩がある。
 
 でもだからといって、これはできない。
 あれから一年近く経ち、おれはAV男優兼人気のウリ専として、安定した金額を手に入れられるようになっていた。借金もずいぶん減った。神崎さんに教わったことを守っていれば、ちゃんと使ってもらえる。セックスのテクニックももちろん大事なことではあるけど、面倒事がないというのが一番有り難いと、よく使ってくれる監督に言われた。この業界に来るような人間は、いくら顔が良くても問題を抱えている人物が多いらしく……おれみたいに淡々とした男は重宝されるようだ。
 
「……できません、こんなの」
「山下ァ、お前いつから俺より偉くなったんだ?」
「おれが神崎さんより上になることはないです」
「だったら言うこと聞け」
「すみません……でもこれは……だって、犯罪ですよ」
「この業界に一年いて、まだそんなこと言ってんのか」

 おれは恩もあるからつい失念しがちだけど、神崎さんは別に善人じゃない。そうだ、善か悪かで言ったら……確実に悪側の人間だ。おれはたまたま使える人間だったから、大事にしてもらっていただけ。
 
「あーっ神ちゃんだぁ!」
 
 廊下の奥から、今回の仕掛け人の一人であるAV女優が駆けてくる。ちょい役でギャラも少ないだろうに、もうすっかり神崎さんの言いなりという感じの女。
 
「お~ココネ、元気か? 今日は無理言って悪いな」
「げんき! 神ちゃんの企画なら、いつでもなんでも出るよぉ。ウンチ食べるヤツ以外はねっ」
 
 ここで神崎さんがちらりとおれを見た。その女みたいに従順じゃないことを咎める目だ。
 
「でも~ココネは元気だけどぉ……新人クンは、元気ないみたいだよ」
「へえ、話したのか?」
「ん~……ココネが座ってたらトコトコ歩いて来て、『今日は本当にすみません、できるだけ痛くしないようにしますね』って。その後なんかしょんぼりして、落ち込んでるみたいだった~」
「ふっ……くく……あいつ、本気で馬鹿だな……」 
 
 神崎さんは心底面白くて堪らないという様子で小さく吹き出した。おれはこの時点で、すっかり気持ちが萎えていた。明らかに善の人間だ、そいつは。おれみたいに心が死んでるわけでもないし、ココネみたいに頭が死んでることもなければ、神崎さんのように倫理観が死んだりもしてない、普通の人間。
 
「はぁ……ちょっと様子見に行くか。山下、お前も来い。話合わせろよ」
「……はい」
「神ちゃん~、またココネともエッチしてね♡」
「おー……いーけどお前、今は俺よりプロの人とヤれてんだろうが」
「神ちゃんのエッチが一番気持ちいんだもん」
 
 それだけはおれも、同感……
 ココネを残し、神崎さんとおれは新人がいる控室用の教室に入った。今日はスタジオとして、廃校後に撮影場所として貸し出している、とある校舎を使って撮ることになっている。それもまたなんだか大掛かりで変な話だ。この企画はそこそこ金がかかっていて、余程大型の新人じゃないと黒字にはならないんじゃないだろうか。
 
「ちーば」
「あっ先輩!」
「どうした? 元気ないって聞いたぞ」
「う……その……オレ……やっぱ、可哀想なやつって……自信なくて……」
 
 千葉と呼ばれたその青年は、確かに顔は整っているし、若くて体付きも良く、ゲイ受けしそうだった。けれどどこかぽやんとしていて、内面の善良さというか、無邪気さのようなものが全身から滲み出ている。言葉を選ばずに言うなら、アホっぽいというか、バカっぽいというか……
 ……果たしておれはコイツを抱けるんだろうか。この生活を始めて、今が一番自信がないかもしれない。タチもウケも、もう結構色んなプレイができると思ってたんだけど……
 
「大丈夫だって。向こうはプロだし、ちょっとMっ気ある子だからさ」
「うぅ……」
 
 今日千葉くんに渡されている偽の台本は、次のようなストーリーになっている。
 ――先輩に唆され、調子に乗った野球部のエースが、マネージャーを部室でレイプする。
 AVとしてはかなり在り来たりというか……偽企画でももうちょっと作り込むのではないかと思ったけど、千葉くんの様子を見るにこれくらいシンプルな方がいい気もした。演技とかできないだろうしなぁ。
 パイプ椅子に座ってしょぼくれる千葉くんの前に神崎さんが座って、俯く下からそっと頬に手を添えてあげていた。
 
「せ、先輩……あの人は……?」
「ああ、あいつはただのスタッフだよ。千葉が元気ないって言うから、一緒に様子見に来てくれたんだ」
「そうなんだ……あ……あの、ありがとうございます……」
 
 おれは薄く笑みを浮かべ、黙って一礼した。それを確認した神崎さんが、千葉くんの視線を自分に引き戻す。かなり至近距離で見つめてる。
 
「せ、せんぱい……」
「……千葉、口開け」
「あっ!? ん……ッん、ン!」
 
 神崎さんは強引に千葉くんと唇を重ねた。ちょっと驚いたけど、へえ、と思った。神崎さんが連れてきた女優でも、こんなことまでしてるなんていうのは、見たことも聞いたこともない。そんなに手間をかけてやってるのか。千葉くんには。
 
「ンンッ」
 
 目を見開いた千葉くんが、チラッとおれを見て、恥ずかしそうにぎゅっと目を瞑った。
 
「待ッ……ぁ、ん……ッん」
 
 神崎さんの分厚くて柔らかい唇が、はむはむと何度も千葉くんの形のいい唇を挟む。強張っていた千葉くんの身体が弛緩して、頬を撫でる神崎さんの手にすら感じているように見えた。その気持ち良さはよく知っている。目を逸らせないおれの背筋を、悪寒に似た疼きが伝っていく。
 
「千葉……」
「あ……ッだめ、先輩……ッひ、ひとが見て」
「馬鹿お前、これからもっと色んな人に見られんだから……これくらいで恥ずかしがってんじゃねえよ」
「う……ッでも、やっぱり、恥ずかしいです……」

 千葉くんの変貌ぶりに、おれはすっかり放心してその姿を眺めていた。赤く上気した頬、すっかり蕩けてしまって潤む瞳。おまけに……
 
「神崎先輩……」
 
 ああ、この子、本気で神崎さんのことが好きなんだ。だから……こんなところまで、ノコノコ付いてきちゃったのか。
 それが分かって、妙に興奮した。我ながらさすがに自嘲する。
 ……全員イカれてる。神崎さんに恋してAV出演を了承してしまった千葉くんも、自分に恋してる男に金と手間をかけ、ゲイビに出演させようとする神崎さんも、その一連の流れに興奮しているおれも……
 
「あ……ッ♡ま、待って……耳、耳は……ッだめっす……っ」
「千葉が頑張ったら、ちゃんとご褒美やるから」
「え……ごほーび……?」
「そう。俺にできる範囲のことなら、何でも好きなことしてやるよ」
「な、なんでも……っすか……」
 
 千葉くんはごくりと喉を鳴らし、体をすこし離して、ジッと神崎さんを見つめた。すると神崎さんは笑って、またキスをくれてやってる。
 ……よくやるよ、本当に。
 
 やがて控室から出て振り返る神崎さんに、おれは力強く頷いてみせた。
 
「……やれます」
「よし」

 おれは千葉くんにかなり興味が湧いていた。あのぽやんとした青年が、キス一つであんなになるなんて。
 
「いくつか注意しておくことがある」
 
 神崎さんはそう言うと、おれに千葉くんがどんなプレイが好きなのかを語り、最終的にめちゃめちゃ早漏だという情報を伝えてきた。
 
「だから前はできるだけ触るな。他の奴らにも言っとけ」
「分かりました。じゃあ、おれも着替えてきます」
「おう」
 
 ……おれに渡された本当の台本はこうなっている。マネージャーをレイプしようとした生意気なエースピッチャーを、逆に部員三人がかりでレイプするという内容だ。当然こんな内容は一般向けのAVではなく、ゲイビデオである。
 つまり神崎さんは、騙し討ちで千葉くんをゲイビに出演させようとしているのだ。しかも強姦モノ。おれが最初に渋っていたのはこれが原因だ。
 でも今はもう、どうでも良くなっていた。メインで絡むおれが訴えられる可能性はあったけど、でも多分、神崎さんに恋してる千葉くんには通報できないだろう。いや、その恋もここで冷めるのだろうか。そうなっても面白い気がした。久しぶりにわくわくしてると言ってもいい。
 確かに神崎さんは魅力的だ。でも果たして、千葉くんはこんなことをされてもなお神崎さんのことを好きだと言えるんだろうか?
 用意された野球部のユニフォームを着て、キャップを被る。おれは今から、エースの千葉くんを唆し、逆に強姦をする二番手のピッチャーだ。野球は体育の授業以外でやったことはないけど、基本的なルールくらいは頭に入っている。それらしいことは言える気がした。


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