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《第4期》 ‐鏡面の花、水面の月、どうか、どうか、いつまでも。‐
『狼男の遠吠え』 3/5
しおりを挟む「ごめんください。皆さんお忙しいところすみません。袴田くんの教室はこちらで合ってますか?」
「あれ、ラミラミさん? はい、袴田はうちのクラスですけど……どうしたんです、もう開演の準備始まってるんじゃないんですか?」
三年A組の教室に顔を出すとクラスの出し物の片づけをしていたらしい数名の生徒らから視線を浴びた。
現在時刻は十三時五十五分。確かに他のキャストは皆もう全員舞台裏に集合していたし、あたしもさっきまで舞台裏に居たのだが、これにはちょっとした事情があった。
「実は袴田くんが教室に小道具を忘れてしまったらしくて。あたしの出番はまだ少し先なので、代わりに取りに来たんです」
《ロミオとジュリエット》の冒頭はいがみ合う両家の人々が町の広場で大乱闘を起こすシーンから始まるため、どの舞台でも必然的に人数が必要になり、例に漏れず綾里高の演劇部でも部員総出で行われる予定となっていた。ただ、あたしが演じる《パリス》はそのシーンでは登場しないので、先ほど袴田が忘れ物に気づいた時、教室に取りに行くこの役目に立候補させてもらったのだ。良い舞台のためには上も下もゲストも関係なくこうして協力し合うものである。それに昨日遅れて来た写真部や天文部の出し物の展示作業──しかも力仕事だった──を無理矢理手伝わされた事を思えば、こんなのは全く軽いお使いであった。
「なるほどそうでしたか。えーとじゃあ三代、こっちは大丈夫だからラミラミさんを手伝ってあげてくれ」
「おっけ。ラミラミさんこっちです。袴田くんのロッカーは……備品……あ、これかな? ラミラミさんこれですか?」
三代は袴田のロッカーらしい棚をのぞき込み、彼が言っていた物と思しき紺色の下げ袋を取り出して見せてくれた。中を確認すると思った通り小道具の鞘付きナイフが入れてあった。
「あぁこれです! ありがとうございます、助かりました」
「いえいえ、良かったです!」
「見つかりました? じゃあ気を付けて戻ってください。俺らも片づけ終わったらすぐ観に行きますんで!」
「はい、待ってますね! ありがとうございます。お邪魔しました!」
下げ袋片手にA組の彼らに礼を言い、あたしはすぐに教室を後にした。
とはいえ時間的にはまだ全然余裕だった。ライブステージのトリであったアサカや官舎ひづりの友人のものだというバンドで何かトラブルがあったらしく、そのバンドだけ急遽一曲のみの演奏で終了したため、その分演劇用ステージへの準備も早めに始められ、あたしたち演劇チームは時間的な余裕が生まれていた。加えて、綾里校文化祭の目玉である演劇部のステージが間もなく始まるからだろう、現在生徒も客もほとんどが体育館に集まっており、校内の廊下はどこも一時的に人気が無くなって移動しやすくなっていた。A組の子達に言われた通り、あたしはうっかり片づけ中の出し物の看板なんかに躓いて転んで怪我などしないよう気を付けながら体育館へと向かった。
「おい」
「わぁ!?」
階段を一階まで降りて中央棟に入る角を曲がったところ、急に目の前に《ボティス王》が現れ、思わず尻餅をつきそうになった。
「ど、どうしたんですかこんなところで……」
どきどきしている胸を押さえながら訊ねた。彼女は今日ずっと体育館で《ラミラミフォーチュン》用の撮影係をしてくれているはずだった。
「急いで体育館を出ていくお主が見えたのでな。何か問題でも起きたのか?」
「あ、あぁ、それは……」
あたしは握りしめていた下げ袋を見せ、袴田の忘れ物について説明した。
「なるほどのう。解決したなら良い。四半刻後には開演か。ひづり達に良いものを見せると息巻いたのじゃ。しっかりやれよ」
すると《ボティス王》は納得した様に瞼を伏せた後、そうまるで応援するかのように言った。その信じられない物言いにあたしは一瞬頭が止まったが、あんまりじっと彼女の顔を見て怒りを買うのも御免なので、すぐ「はい! 役者として気は抜きません!」と返事をした。
『調子に乗るなよ豚女……。《我らの王》は貴様に果たすべき義務を果たせと命じておられるだけだ。貴様に期待している訳ではない。殺すぞ……』
間髪を容れず脳内で《ジュール》の怨嗟のこもった声が響き、あたしはすぐ、分かってるわよ、と内心毒づいた。
「ではあたしはこれで……」
「……む? 待て。お主、今何か言ったか?」
「え?」
あたしが頭を下げ体育館へ戻ろうとすると、不意に《ボティス王》がそんな事を言いながら引き留めた。
「ええと、役者として気は……」
「いやそれではない。その後じゃ。何かうっすらした声で……。むう、遠くの声が響いて聞こえたのか……?」
彼女はその大きな狐耳をぴこぴこ動かしながら中庭や体育館の方を見た。
最初何を言ってるのか分からなかった。しかし理解した途端、一気に心臓が凍てついた。
『お、おお、《王》!? ついに私の声がお聴こえになったのですか!? 《王》!! 《我らの王》!! 私です!! あなたの臣下です!!』
あたしと全く同じ考えに至ったらしい、《ジュール》が随分久しぶりにけたたましい大声で叫び始めた。
まずい、まずい……! 聞こえるようになった? 《ジュール》の声が、《ボティス王》に……!?
ダメだ。このまま《ジュール》の言うがままを《ボティス王》に聴かれるのだけは絶対にまずい。あたしが《ジュール》と会話出来るのを秘密にしていた事なんかが全部バレてしまう……! とにかく今はこの状況を阻止しないと……ッ!!
「あ、あははー!! そうかもしれませんね! これからいよいよお芝居が始まるんですから、告知の放送が始まったのかもー!!」
どれだけ効果があるか分からないが、あたしは必死に声を張り、《ジュール》の声が《ボティス王》に届かないよう妨害した。
「……それもそうか。ではさっさと行け」
まだ腑に落ちない様子ではあったが、《ボティス王》は一歩下がり、顎で体育館の方を指した。
「失礼します!!」
あたしはこの機を逃さず足早にその場を離れた。
『貴様この豚肉!! 止まれ!! 貴様がこれまで《我らの王》に陰口を叩いていた事を《我らの王》にお伝えするのだ!! 止まれ!! 首を刎ねられて死ね!!』
そのまま《ジュール》の声を無視してすたすた歩き続け、角を曲がり、特別教室棟へと入った。これでひとまず《ボティス王》の視界からは逃れられた。あたしは胸を押さえて肺いっぱいの空気を吐き出した。
しかしどうしよう……。本当にまずいことになってしまった。聞こえ方は朧げだったようだが、もし今後このまま《ジュール》の声がだんだん《ボティス王》にはっきり聞こえるようになっていって、やがて会話が出来るほどにまでなってしまったら、これまで確保されてきたあたしの身の安全が前提から崩されてしまう。
《ジュール》からあたしについてある事ない事聴けば、《ボティス王》はきっと今一度あたしを殺す方針を提案するだろう。今日の舞台の出来がどうだったかなんてきっともう判断材料にもされない。
官舎ひづりは? 果たしてあたしの味方で居てくれるだろうか? 官舎ひづりは最初から《ボティス王》だけでなく和鼓たぬこや《ヒガンバナ》といった《悪魔》の味方をしている。あたしは《ジュール》の《魔界》での関係性を知らない。もし《ジュール》が和鼓たぬこや《ヒガンバナ》と仲良しだったら……? もはやあたしに希望は無い。
「どうしよう、どうしよう……!」
どうにかしないと。どうにかしないと。どうすれば、どうすれ──。
「────!?」
その時だった。足を動かしながら必死に頭を回転させていたあたしの視界に、一人の女子生徒の姿が映った。場所は体育館の目の前、特別教室棟と体育館を繋ぐ渡り廊下だった。中庭から妙な視線を感じて無意識にそちらを見ただけだったが──。
「あいつ……!」
そう。あの時、「味醂座アサカを知らないか」と言って校門前で話しかけて来た、危うい雰囲気を纏ったどこかの高校の女子生徒。すっかり忘れていた。でも見間違いじゃない。あの時と同じ制服、同じ表情。間違いなくあいつだ。
「────」
あたしと目が合うと女子生徒は踵を返して人の群れの中に消えた。それきり姿が見えなくなってしまった。
「文化祭に来て一体何する気なんだ……!?」
いや、そんなのは決まっている。あいつはきっと今もアサカを探してるのだ。目的は変わっていないはず。ちくしょう、何でこんな大事な日に、あたしがこんな切羽詰まってる時に……!
どうする、そうだ、一旦戻って《ボティス王》に知らせるか。彼女なら今持ち場を少しのあいだ離れても大丈夫だし、ああいう手合いの対処もきっと得意──。
どんっ。
「ぐっ」
来た道を戻ろうと振り向いた瞬間、突然強い衝撃に突き飛ばされ、あたしは渡り廊下に転がされた。
と同時に、揺れる視界の中、何かが飛んだ。胸元から。
「うわ、すみません、大丈夫ですか?」
痛みに呻きながら顔を上げると、一人の男性がこちらに手を差し伸べていた。その脇をぞろぞろと客らしい人々が体育館へ向かって歩いていく。
「あ、え、ええ、こちらこそすみません、大丈夫です……」
どうやらあたしはトイレ休憩から戻ってきた客の一団にぶつかってしまい、そのまま突き飛ばされたようだった。考えで頭がいっぱいで注意力が散漫になっていたらしい。男性の手を借り、立ち上がった。
一団も、ぶつかった男性も体育館へ戻っていった。……あの女子生徒の姿も無い。
ええと何をしようとしたのだったか……そうだ、アサカを狙ってるらしきあの怪しい女子生徒について《ボティス王》に知らせようと思ったんだ。
「メル、お願い、《ボティス王》の所に行って来て欲しいの」
伝言を頼むべく胸元に手を入れようとして、そこでふと違和感に気づいた。
「……あれ?」
抱えていた袴田の下げ袋。見ると、その中にはちゃんと鞘に収まった小道具のナイフが入っていた。さっき男性に突き飛ばされた際に何か飛んで行ったのはてっきりこれだと思っていた。
だが。
「あれ」
違う。
「あれ……?」
事態を飲み込んだ頭が、すぐにそれを拒否しようとした。体中が凄まじい速度で冷え始めた。
「……メル……?」
居ない。胸の間にも、髪の毛の中にも、どこにも。
「……嘘。嘘嘘嘘……っ!」
もう一度ポケットや袖の中を捜し、それからぐるりと周囲も見回す。が、やはりどこにも居ない。
「ぁ、あぁ……!」
呼吸がめちゃくちゃに乱れる。止まらない。
──つまり、さっき男性にぶつかった際に胸元から飛んで行ったのは。
通り過ぎていく大勢の客の足元へ飛ばされて行ったのは──。
「メル!?」
口から絶叫に近い悲鳴が飛び出し、あたしは地面に這いつくばって一心不乱にメルを捜した。
そこからはもう何を考えてどう行動したのか、何一つ憶えていなかった。
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