和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第4期》 ‐鏡面の花、水面の月、どうか、どうか、いつまでも。‐

   『毒を食らわば剣まで』 3/4

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 放課後。生徒会長に言われた通りあたしは綾里高の体育館へと足を運んでいた。アサカにも来校の連絡はしていたが、「体育館の案内は先週してもらったから大丈夫ですよ」と伝えると、彼女も「じゃあ演劇部の人やラミラミさんのお邪魔になってはいけないので……」と官舎ひづりと一緒に文化祭の準備をする方に向かってくれた。
「暗幕もうちょっと張って! そうそこ!」
「ねえーばみり誰が持ってる?」
「ううん、椅子の配置やっぱりこれ気に入らないなぁ」
 綾里高校の体育館はよく声が通る。授業が終わってすぐだからだろう、部活の準備にせわしなく動き回る演劇部の子たちの様々な音で館内は満ちていた。


『これが舞台というものか』


 《ジュール》が興味深そうに言った。こいつがあたしの眼を通して世界を見られるようになったのは七月に喋れるようになったのと同じくらいの頃かららしく、あたしが日本に来る前によくやっていた舞台への出演や観劇などは知らないようだった。
 昼に明那須桜から舞台出演の話を持ち掛けられた後、《ジュール》は『ロミオとジュリエットとはなんだ。我らの名前に似ているが』としつこく訊ねて来た。「有名な昔の脚本で、各々家の立場を顧みず愛し合った男女の悲恋の話だよ」と説明し、それから名前については「《悪魔》との縁が結ばれて《魔女化》が上手くいくように、っていうゲン担ぎで《魔女》は昔から自分と《悪魔》の名前にこうした神話や演劇に登場する男女の名前をつける傾向があるんだ」とも教えた。《ジュール》は『反吐が出る』と言ったので「あたしも同じだよ」と返してやった。あたしだってこいつがこんな口の悪いクソ悪魔だと知っていたら、ロミジュリモチーフの名前なんて嫌だ、と名前をつけた祖母に抗議していただろう。
「学生にしては本格的だね。校風で演劇に力を入れてるって聞いてたけど、嘘じゃないみたいだ」
 あっという間に準備を終えると部員らは各自発声練習をしたり相手を呼んで演技の相談などを始めた。文化祭の舞台は三年生と一年生で構成されているという話だったが、いま体育館に立ち込めている空気は立派な劇団のそれであり、あたしには綾里高演劇部員の誰もが既にプロで通用するレベルの素養を獲得しているように思えた。もしかするとあの生徒会長兼演劇部部長の独特なカリスマ性が彼らを引っ張っているのかもしれないが。
「ラミラミさん、もういらっしゃっていたんですね。お待たせしてすみません」
 ドキッと心臓が跳ねた。振り返ると、たった今頭に浮かべたばかりの顔がすぐそこに立っていた。
 明那須桜生徒会長。他の部員と同じく綾里高指定のジャージ姿だったが、その整い過ぎている顔と体形のせいだろう、まるで野暮ったい感じがしなかった。ただ走って来たのだろうか、昼と同じく頬が少し赤かった。
「いえあたしもたった今到着したばかりです。皆さん、学生の部活動とは思えない気迫がありますね。さすが生徒会長さんの部の方々です」
 あたしが体育館ステージの方を見ながら言うと桜は隣へ来て首を横に振った。
「今の綾里高演劇部があるのは、所属されていた全ての部員と、そして当校に関わって下さった方々のおかげです。私は前の部長からそれらを引き継いだに過ぎません。私は部の皆にいつも支えられてばかりです」
 真っ直ぐな声だった。考えの読みにくい人だったが、今の言葉は偽りない本心であるように感じられた。部員らの顔も皆一様に生気があり、良い劇団なのだろうな、と思った。
「そういえばなんですけど、あたし、《ロミジュリ》の何の役をやるんでしょう?」
 昼に訊きそびれていた件について触れると、桜はハッとしてすぐに頭を下げた。
「すみません! それをお話しし損ねていた事、ついさっき気づきまして……!」
「いえ良いんです、訊きそびれたあたしも悪いですし。それで──」
「あ! ラミラミさん! と部長!」
 そのとき近くで声が上がった。あたしと桜が振り返ると同時に体育館に居た部員らの全ての視線がこちらへ向けられ、そのまま皆、ざざざざざっと集まって来た。
「おはようございます!!」
 わずか十秒程度であたし達の前にきちんと並んで集合した演劇部員たちはいっせいに声を張った。
 桜と目が合い、あたし達も「おはようございます」と挨拶を返した。
「私が号令したかったんですけど……良いでしょう良いでしょう。おほん。皆さんお昼に連絡した通り、なんとあのラミラミさんが我らの部の舞台に出演して下さる事になりました。今日から練習にも参加して下さいます。ではラミラミさん、お願いします」
 桜に丁寧に促され、あたしは一つ息を吸ってから前に出た。
「既に何度かお話しした方もいらっしゃいますが、改めて。先週からお邪魔させて頂いています、《ラミラミフォーチュン》のラミラミです。今部長さんからあった通り、今日からあたしも皆さんの舞台の練習に参加させて頂く事になりました。急な話でご迷惑をお掛けする事もあるかと思いますが、皆さんと良い舞台が作れるよう、精一杯頑張ります」
 日本の作法に倣いお辞儀で締めると、わっと拍手と歓声が上がった。
「では、今日は予定どおり通しでやっていきます。皆さん準備に戻って下さい」
 桜の号令で部員達はまた各々てきぱきと動き出した。
 すると飛び抜けて背の高い男子生徒が一人あたしと桜のもとへやって来た。
「部長、今回の通しは俺がやったら良いんですよね?」
「はい加原くん、お願いします」
 加原と呼ばれた彼は次にあたしを見るとぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございますラミラミさん。これで俺も《テイボルト》に専念できます」
「ごめんね、今日まで《パリス》の代打ありがとう。加原くんも準備に戻って下さい」
「わっかりました!」
 そうして加原を見送った直後、あたしは桜に訊ねた。
「もしかしてあたしの役って《パリス》ですか?」
「はい、男の中の男、貴族の《パリス》です。ちなみに《ロミオ》役は私ですので、物語の最後は私との一騎打ちですよ。……ご不満でしたか?」
 あたしの様子に感づいたらしく、彼女は首を傾げた。
「いえその、《パリス》と言ったらやっぱり加原くんみたいな背の高い男の子がやったほうがいいんじゃないかな~……なんて……」
 正直言うと、冗談ではない。《パリス》と言えば物語の終盤、墓所で《ロミオ》と一騎打ちをして殺される役だ。ただでさえ八方塞がりで明日生きてるかどうかも分からないこんな真っ暗闇の状況の中、わざわざ殺される役を演じるなんて、自ら良くない運を招き入れるようなものだ。


『ははははは!! 運命的だなポルケッタ! 《ロミオ》と同じ名を持つ貴様は《ロミオ》と同じくそのどっちつかずの振る舞いが墓穴を掘り、最終的に《ロミオ自分自身》に殺される! 間違いないなこれはそういう未来を示唆しているのだ! ははははは!!』


 頭の中で《ジュール》も爆笑していやがるし。くそ……。
「恐れながら、配役に身長や性別は関係ありません。観た人の心を奪う素敵な演技に加え、ラミラミさんのその端正なお顔立ちや宝石の様な青と金の瞳を前にすれば、きっと観客の誰もがラミラミさんに《パリス》の威容を見ることでしょう。それに──」
 すっ、と桜は微かに目を細めた。
「《パリス》は元々、顧問の下地先生にお願いしていたのですけど、今月の頭、文化祭の打ち合わせの最中急に外部との提携が決まり……そのため文化祭役員に人手が足らなくなり、下地先生も事務仕事を押し付けられ、舞台に出られなくなってしまったんです」
「う……」
 その責める様な眼差しに思わず目を逸らしてしまった。
「ラミラミさんが引き受けて下さらないのでしたら、それはそれで、こちらでどうにか致しますが……」
 興味を失った、利用価値を失った、とでも言うように、桜の眼差しがゆっくりとあたしから外された。その仕草に思わず背筋が鋭く冷えた。
「い、いえ!! 《パリス》、やらせて頂きます!!」
 気づけばあたしはそうはっきり大きな声で承諾していた。
 見た目はちょっと顔とスタイルの良いただの年下の女子高生だが、しかし実際は学校内で常軌を逸した権限を持っている底知れない女なのだ。恐らく今回のタイアップに関して最も機嫌を損ねる訳にはいかない最悪の相手。この際もう不吉だとか縁起が悪いだとか言っていられない。
 すると桜は再びあたしの顔を見て花の様な笑顔になった。
「ありがとうございます! では私も準備に取り掛かります! あ、台本今お渡ししておきますね! 当日を想定した観客席を用意していますので、どうぞお好きな所へ掛けてご覧になって下さい! それでは後ほど!」
 彼女は嬉しそうにそう言いながらステージの方へ駆けて行った。
「……はぁ~……」
 桜がステージ裏に消えたところであたしは独り大きなため息を吐いた。


『貴様、やけにあの娘を怖がるのだな。あれは貴様を好いているようだが』


 日本は平和な国だと聞いていたのになんであたしばかりこんな目に……と思っていると、《ジュール》が急にそんな変な事を言い出した。
「はぁ? いきなり何言ってんのあんた? 馬鹿なの? 文化祭とのタイアップは学校側が歓迎してくれたから運良く決まったけど、あの演劇部の生徒会長にとっちゃあたしなんて文化祭の準備が始まったタイミングでいきなり首突っ込んできた部外者なのよ。今もすごい圧だったし……。訳分かんない事言わないで」
 あたしが観客席の一つに腰掛けながら言うと、《ジュール》は変わらず自信満々に鼻で笑った。


『貴様に番が居らん理由が分かった。まあ何でもいい。《ロミオ》らしく死ぬなら、ちゃんと《我らの王》が下した命だけは果たしてから死ね。それが小さな頭の貴様の義務だ』


 体育館内に響いていた演劇部員たちの声や足音が静かになり、照明が一つ一つ落とされ始めた。
 しばらく声は出せないと思い、響かないようあたしはより小さく声を潜めて最後に短く言い返した。
「言われなくたって死ぬ気なんて無いしやらなきゃいけない事はやるわよ」
 そのために今日はここへ来たのだから。
 あの生徒会長が舞台上であたしに何を求めているのか、何を企んでいるのかは分からないが、何であれ逆にこっちの演技で圧倒してすべて呑み込んでしまえばいい。そうして文化祭の舞台を成功させて、アサカと官舎ひづりもくっつけて、諸々ぜーんぶ上手く片付けて、この四面楚歌の状況から必ず抜け出してやる。
 綾里高校文化祭まであと十日。暗闇の中、厳かな音楽と共にゆっくりとステージの幕が上がっていった。










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