和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第4期》 ‐鏡面の花、水面の月、どうか、どうか、いつまでも。‐

4話 『棚から桜餅』     1/4

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 4話 『棚から桜餅』



 あれから二日経って、月曜日。中野駅南口を出て裏手に回った所にある日向のコインパーキングの柵に腰掛けてあたしはコンビニで買ったオムライスおむすびを昼食にしていた。
「ふーむ……」
 関東の観光ガイドを睨みつけながら。
 土曜日、味醂座家の犬の散歩を終えてホテルに戻った後、あたしはすぐさま関東周辺の人気デートスポットや観光地のリストアップと厳選に取り掛かった。
 『東京住まいの高校生二人がお小遣い的に無理なく行けて、十分楽しめて、ロマンティックな雰囲気にもなれる場所』と、実際に来日するまであまり日本に詳しくなかったあたしの知識量ではかなり厳しい調べものだったが、それでもどうにか時計の針が十二時を回る頃には八か所程度にまで候補の絞り込みに成功していた。
 その中でも特に良さそうだったのが、浅草と、その近くにあるスカイツリー周辺だった。あたしでも浅草は聞いた事がある地名だったし、スカイツリーは五年前に出来た建物で若者人気も高く定番のデートスポットであるとの記事が複数見つかったので、それらを理由に最有力候補として挙げたのだった。
 ……しかし。翌朝悲鳴を漏らす程の筋肉痛に呻きながら下見に出掛けたところ、あたしはこの予想が大いに外れていた事を知った。
 まず浅草。確かに観光地としての華やかさはあったし、食べ物の良い匂いが通り中にずっと漂っていたので、是非自由の身になった暁には改めて足を運んでみたい、といった感想は抱いたが、けれど若者人気があるかというと些か微妙なところで、行き交う日本人の年齢層は高く、少なくとも今回デートスポットとして求めている雰囲気とは大きく異なっていた。
 そしてスカイツリー。こちらは割と期待通りの場所ではあったのだが、しかし逆に新しい人気スポット過ぎてか、ツリーのその足元にある水族館や付近の施設は信じられないほど大量の人で溢れ返っていて、一人で歩くのも困難なほどだった。こんな場所ではムードも何もあったものではない。
 そうした訳で、コンビニでオムライスおむすびと一緒に買った総武線沿いの観光ガイドなど見ながら、改めて次の候補地選出にあたしは頭を悩ませていた。
 初めて訪れる国や土地ではなかなか思った通りにいかないのが常だが、なにぶん今回は切迫している。《ボティス王》が明示した期日までもう時間が無い。それに二人をデートに行かせられる回数も無限ではない。むしろ最小限にしなくてはならない。あたしとしては、出来ればちょっとでも良さそうなデートスポットにはもう二人で全部行って来てくれ、って感じだが、しかしあんまりアサカに「占いによれば今週もひづりさんは親しい人と出掛けると運気が上がるみたいですよ」と毎週末デートに行くようけしかけ続けていたら、きっと早い段階で官舎ひづりはあたしの介在に感づくだろう。「なんで急に毎週デートに誘ってくるようになったの」と官舎ひづりに強めに訊ねられたら、官舎ひづりにお願いされれば銀行のカードの暗証番号だって言ってしまいそうなアサカだ、間違いなくあたしの事を白状するだろう。そうして官舎ひづりはあたしに「余計な事をするな」と怒り、官舎ひづりの中のあたしの好感度が急降下し、次回の「魔女ロミアを生かすか殺すかどうしましょう会議」であたしの生存は絶望的なものになる。《ボティス王》に命令されて仕方なかったんです、と正直に話したら、そっちはそっちで「誰がひづりに話して良いと言った」って《ボティス王》を怒らせて直ちに首を刎ねられるルートに行くだろうし……。
 なので、アサカと官舎ひづりをデートに行かせられるのは多くても二回まで……なのだが、逆にあんまりデート先を決めあぐねてタイムオーバーになってしまった、では泣くに泣けない。
 せめて日本に詳しい知り合いの一人でも居ればよかったのだが……。アサカのような日本のファンは大勢居るには居るが、大人っぽくてミステリアスな美女で売ってるラミラミが配信で「誰か日本の素敵なデートスポットを教えてください」なんて訊く訳にもいかないし……。
「はぁ……」
 観光ガイドの漢字をスマホで調べながら溜息を吐く。『魔女だとバレたら隣の国まで全力で逃げろ』という教えから《魔女》は大体いろんな国の言葉を早くから習得していて、あたしが日本語をしゃべれるのもそれが理由なのだが、実を言うと漢字はあまり強くないし、カタカナも苦手だった。日本国内には英語の観光雑誌が少なく、日本語で書かれた物には振り仮名が無い物ばかりで、それもデートスポット選出難航の一因になっていた。
 アサカと官舎ひづりをくっつけるためにやる気を出したは良いが、こんな調子で全然事は上手く運んでくれない。筋肉痛はまだギシギシ痛むし、《ジュール》はいちいちうるさいし……。無意識に背中が丸まり、気が滅入ってしまうようだった。
「──もし、そこの美しい巻き毛のお嬢さん。何かお困りではないですか。僕で良ければお手伝いさせてくれませんか」
 …………。
「……お嬢さん?」
「だぁー! うるっさいなぁ! こっちは今忙しいんだよ! ナンパなら余所でやんな!!」
 腰掛けていたコインパーキングの柵に観光ガイドをばんと強く叩きつけながら顔を上げ、ナンパ野郎に怒鳴りつけてやった。
「…………」
「…………え」
 ナンパ野郎と目が合い、お互いに硬直した。
 そして血の気が引いた。
「せ、生徒会長さんっ!?」
 傍に居たのは綾里高校の生徒会長、明那須桜だった。周囲を見渡してみても彼女以外近くに人は居なかった。
 ということは、今の『ナンパの男性声』は、彼女が……? そういえば彼女は演劇部の部長も兼任しているという話だった。男役の声を初めて聞いたが、声だけではまったく彼女だと分からなかった。
「あ、はは……。申し訳ありません。ご不快な思いをさせるつもりはなかったのですが……」
 明那須桜はそう言いながら肩を竦めて見せた。
 ま、まずい、生徒会長の機嫌を損ねて文化祭とのタイアップが滞ったり白紙になったりでもしたらあたしの首が物理的に飛ぶ……!
「いえいえそんな! あたしこそ気づかなかったとはいえ怒鳴りつけるなんて、すみません! え、えと、それよりどうされたんです、なんでこんなところに……?」
 今は月曜日の十二時過ぎである。不良ならともかく、生徒会長の立場にある彼女がこんな時間にこんな場所を制服姿でうろついているのは一体どうしたことだろう。
 すると彼女は恥ずかしそうに目を逸らして眉尻を下げた。
「実は、今日の練習で使う舞台の小道具を家に忘れてしまったのを思い出して、お昼も食べず慌てて出て来たんです。私の家、すぐそこなんです」
「あぁ、なるほど、そういうことでしたか……」
 よく見ると彼女の頬は少し赤らんでいた。ついさっきまで走っていたのだろう。しかしさすがに役者とあって体力があるのか息が上がっている様子は無かった。
「お隣、良いですか?」
 彼女は徐にあたしが掛けていた柵を指差した。
「え? 時間、大丈夫なんですか? お昼もまだって……」
「はい、大丈夫なんです。それに、実は今日ラミラミさんにご相談したい事がありまして。学校でお話ししようと思っていたんですが、アサカさんから今日ラミラミさんは来校されないと聞き……。ですから、今こうして偶然お会い出来たのはとても幸運でした」
 隣にそっと腰掛け、彼女は微笑んだ。
「ラミラミさん、やはりとてもよく通る張りのある声をしていらっしゃいますね。以前出演されていた歌劇の動画も拝見致しました。アドリブの多い舞台でありながら堂々とした素晴らしい演技で……いち役者として、大変勉強になりました」
「あ、そ、そうなんですか……? ありがとうございま……す……?」
 ……って待て待て。あたしが過去に出演した歌劇の動画? あれ確か二年くらい前のライブ動画だぞ。ヘビーなチャンネルファンだって観てるかどうか怪しい、長尺で再生回数も少なかったやつだ。何でそんな動画観てるんだ……?
 もしかしてこの生徒会長、急に綾里高文化祭とのタイアップを申し出たあたしを怪しんで、素行調査のために《ラミラミフォーチュン》に投稿済みの動画全部観たのか……? 嘘だろ? あたしの動画いくつあると思ってるんだ。
 人の考えを何もかも見透かしているかの様な異様な眼差しに最初会った時から吉備ちよこと同種の苦手さを感じていたが……何なんだこの女……怖い……。
「それで本題の相談なのですが……。ええ、思い切ってお訊きします。ラミラミさん、文化祭で、私達の舞台に出演しては頂けないでしょうか?」
「え……し、出演? あたしが、ですか?」
「文化祭二日目に私達がやる《ロミオとジュリエット》、実は欠員が出ていまして。ですが文化祭ですので学外の人に任せられるものではありませんし、また物語のとても肝要な役ですから既に役作りをしている子達に今からそんな一人二役をやらせる訳にもいかず……。ラミラミさんは今回当校と正式にタイアップして下さっている方ですので学外の方ではありませんし、何より演劇部の子達の一生のお手本になるに違いない豊富な現場経験と繊細な演技力をお持ちです。どうでしょうラミラミさん。お願い出来るのはラミラミさん以外に居ないのです。どうか我が部を助けて下さいませんか」
 彼女はずいと身を乗り出し、そのたぶんあたしと同じくらい綺麗な青い瞳であたしの眼をじっと見つめ、懇願した。
 ……あたしが、綾里高文化祭の舞台に出演する。想像もしていなかった事なので戸惑ったが、しかしいざ考えてみると案外悪い手ではない気がしてきた。
 チャンネル主であるあたしが演目に参加するとなれば、当日撮影する文化祭の動画の価値も幾らか上がり、リスナーも文化祭タイアップに関してよりネット上で話題にしてくれるようになるかもしれない。動画の再生数が増えれば増えるだけ《ナベリウス王》や《その契約者》の眼に入る確率も上がる。
 それに、アサカと官舎ひづりは普段あまり一緒に映画を観に行ったりしないらしいが、アサカにとってあたしは推しの占い師だし、官舎ひづりにとっても一応あたしはそこそこ良い印象の人間のはずなのだから、文化祭の舞台に出ることになりました、と言えばよほどのことが無い限り二人で劇を観に来てくれるはずだ。そこで恋物語の《ロミオとジュリエット》を観せれば、多少はお互いを意識するのに繋がるかもしれない。
 そうだ、これは本当に良い案かもしれない。文化祭は好意を寄せてる者同士の距離が近くなりやすいイベントとも聞くし、前後するかもしれないが今後セッティングするデートとの相乗効果も期待出来る。やる価値はある。
 しかし一つだけ問題点がある。
「でもあたし、二日目のその舞台は自前のカメラを使って追加のアングルからの撮影係兼生放送係としてお手伝いする、って形で、先週もう教員の方や実行委員の方達と話を決めてしまったんですが……」
 そう。《ラミラミフォーチュン》の文化祭のスケジュールは先週の打ち合わせでほぼ全部決定してしまっていたのだ。
「大丈夫です。今から変更しても間に合いますから。既に先生達や部の者にも話は通してあります。舞台の動画も後日お渡しします。それはラミラミさんのチャンネルでご自由に使ってくださって結構ですので」
 ……ほんとに? 生徒会長ってそんな、色々勝手に決められるほど権限強いの? 君、職員全員の弱み握ってたりしない……?
 でも、そういう事なら。
「分かりました。微力ながら演劇部のお手伝い、させて頂きます」
 背筋を伸ばし、出演を承諾した。
 すると明那須桜はその形の整った顔をぱっと明るくし、胸の前で手を合わせた。
「ありがとうございます! では放課後、当校の体育館へいらして下さい! 部員一同、ラミラミさんをお待ちしていますので!!」
 そう言い終わるなり彼女は立ち上がって深く深く頭を下げ、それからとても綺麗なジョギングフォームで綾里高の方角へ駆けて行った。
「……メル。あたしたち、意外と運が回って来たかもしれないよ」
「チュ!」
 胸元から出て来たメルと指先でハイタッチした。
「チュ……チュチュ、チュチュチュチュ?」
「え?」
 『でも、ロミジュリの何の役をやるの?』って? ……そういえばそうだ。あたし、何の役をやるんだろう? うっかり聞きそびれてしまった。
 でもまぁ大丈夫だろう。大事な役とは言っても、まさか主役の《ロミオ》や《ジュリエット》をやらされる訳はない。そういうのは大体人気の若手とかにやらせるものだ。あたしに振られるのは《ジュリエットの母親》とか、きっとそんな感じのセリフも少ない役のはず。タイアップの仕事やデートスポット探しの支障にはならないだろう。
 柵から降りて一つ伸びをし、ホテルに置いている屋内用シューズを取りに戻るべく駅へと向かった。








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