和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第4期》 ‐鏡面の花、水面の月、どうか、どうか、いつまでも。‐

   『一握りの慈悲』           4/4

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「えっと、確か校内の案内はもう午前中に先生たちからされているんでしたよね……? とすると……どうしましょう、ここから私に出来ること……あと五分くらいでお昼休み終わっちゃうし……」
 挨拶を終え、忙しそうな生徒会長を見送り、そうしてあたしと生徒会室を出て二人きりになったところで、味醂座アサカは頭を抱えながら唸った。
 ……綾里高校の二年生、味醂座アサカ。《ボティス王》の今の《契約者》である官舎ひづりの幼稚園からの幼馴染。頭は良くないが、代わりに運動神経はかなりのもので、学校では休み時間などによく運動部の助っ人などしているとか。
 一時間ほど前、あたしの世話係に生徒を一人宛がうという話をされたが、まさかこの子とは。《ボティス王》や官舎ひづりからは何も言われていないし、この子が勝手に立候補したのだろうか。見た目よりずっと行動的なタイプなのかもしれない。まぁ何にせよ《ラミラミフォーチュン》のこと何にも知らないやる気も何も無いような奴を押し付けられるよりはずっとマシだ。
 ただ官舎ひづりからはもし校内でこの子と会う事があっても《魔術》関連の事は何も話さないでくれと言われていたから、そこは気を付けなくてはいけない。あたしとしても《和菓子屋たぬきつね》には協力的な姿勢を貫きたいし、それにあたしもファンの子を危険な目には遭わせたくない。……そういえば今朝校門前で会った危なそうな奴のこと、この子はもう知ってるんだろうか……? いずれそれとなく話題にするべきだろうか。
「アサカさんは、既に一年半ここで過ごしてらっしゃるんでしたよね? でしたら、アサカさんのおすすめのスポットを今いくつか教えてもらえますか? この後あたし一人でそこを巡ってみますので。アサカさんの午後の授業が終わって放課後になったら、またここで合流する、という形でどうでしょう」
 このままだと埒が明かなさそうだったのであたしの方から提案してみた。
「私のおすすめ、ですか?」
「ええ。職員の方に校内の大体の場所は案内して頂きましたが、学生さんの視点から見えているこの綾里高校も知っておきたいんです。魅力って、様々な人の眼から見つかるものですから」
「な、なるほど、さすがです……! でしたら……。あっ。そうです。ラミラミさん、猫の話は聞きましたか?」
「猫?」
「はい、うちの学校、猫を飼ってるんです。私は家に犬がいるからかあまり近寄らせてくれないんですけど、ひぃちゃん……私の幼馴染が、猫と仲良くなるのとっても上手で。普段校舎のどこで日向ぼっこしてるのか、とか、前に教えてもらったんです。パンフレットお持ちですよね? 確か地図載ってたと思うので、場所、お教えします!」
「ふむ、猫か……」
 ちら、と胸元に視線を落とす。実を言うとメルが猫苦手なのだ。《フラウロス王》と《火庫》が《和菓子屋たぬきつね》に常駐するようになってからは店に行くたびずっと震えていた。いや、あたしも内心震えてはいたんだけども。
 でも悪くない。配信でもサムネにメルを載せると動画の伸びが良かったりするし、動物系は大体受けが良いのだ。良い情報ではある。教えてもらおう。
「えっと、まずここの渡り廊下のところと、校舎裏の花壇の隙間と、中庭の──」
「あれ、アサカと、ラミラミさん?」
 アサカに綾里高のパンフレットの書き込みをしてもらっていると、後ろから声を掛けられた。
 心臓が強めに跳ねた。よく知ってる奴の声だった。
「あっ、ひ、ひぃちゃん!? ど、どうしたの!?」
「いや、いつも通り図書室の鍵返して来たところだけど……。ラミラミさんも、こんにちは? アサカに何か教えてもらってるんですか?」
 表情は柔らかかったがほんのりと圧を感じる物言いで官舎ひづりはあたし達のすぐそばまで近づいて来た。どうやら、余計なことを喋ってないだろうな、と確認しに来たようだった。
「こ、こんにちはぁひづりさん、はは……。今、アサカさんに校内のおすすめスポットを教えて貰ってたところだったんですよぉ~……」
「あぁそうだったんですね」
「え、え? ちょっと待って、待ってください、ふた、二人は知り合いなんですか!?」
 アサカが間に割って入った。やはり彼女にとって一番気になる事だったらしい。一瞬、官舎ひづりと目が合う。
「ごめんアサカ、実はそうなんだよ。ラミラミさん、少し前からうちのお店に来てくれてる常連さんなんだ。アサカが来てた時にもラミラミさん居たんだよ、気づいてなかったでしょ。でもお客さんの個人情報だから、あたしも姉さんもアサカやハナには言えなかったんだ」
「そ、そうだったんだ……」
 アサカは官舎ひづりの顔を見たりあたしの顔を見たり、それからこれまでの《和菓子屋たぬきつね》の店内での事でも思い出しているのか、少し先の天井の辺りを見つめたりしていた。
 そう。これも先週の金曜日に決めていたことだった。
 あたしに掛けられていた《アウナス王》の《認識阻害》は《イオフィエル》によってすでに消失しているので、そんなあたしが今後も《和菓子屋たぬきつね》の店内に居たらファンである味醂座アサカは間違いなくあたしに気づく。彼女にどう説明するか、官舎ひづりもあたしもその時になって慌てないよう、こうした嘘の設定を予め話し合って用意しておいたのだ。まぁ校内でこんな形で話す事になるとは思わなかったが。
「あぁ、テトが居る場所、教えてあげてるんだ? 良いね」
 官舎ひづりはアサカが握りしめていたあたしの学校案内パンプレットを覗き込みながら言った。テト。どうやら綾里高で飼ってるというその猫の名前らしい。官舎ひづりは楽しそうにそのテトが居そうだという場所をアサカに教えて追記させ始めた。こうして見ていると官舎ひづりもごく普通の日本の女学生という感じがする。既に二度も《悪魔》や《天使》に殺されかけた奴には思えない。……こいつにあたしの命は握られてるんだよな。嫌な感じだ。
 しかし話しかけてくるかね、こんなタイミングで。幼馴染が心配だっていうのは、気持ち、分からないでもないけどさ。
 まぁいいや。今日は朝からやばい感じの女学生に話し掛けられたり、一見穏やかそうだけど明らかに曲者感出まくりの生徒会長になんか勝手にあれこれ話決められたり、世話係がこの味醂座アサカだったり、官舎ひづりに校内で話し掛けられたり、予想外の出来事の連続だったけど、さすがにもうこれ以上は──。


 ──がららら。


 眼の前で職員室の扉が開き、やけに白っぽい人影が出てきた。
「…………」
「…………」
 そいつと目が合い、体が固まった。
「ぼっ……!」
 ぼぼぼぼぼ、《ボティス王》!? なんでここに!?


『《我らの王》!! おぉこのような場所でお会い出来るとは!!』


 頭の中で《ジュール》のでかい声が響き、思わず「黙れ」と言いそうになって咄嗟に口元を押えた。
「あれ、天井花さん!?」
 官舎ひづりとアサカの方も彼女に気づいた。やばい。これは完全に話し込む空気になるやつだ。
「何、こやつの仕事の件での。のうラミラミ」
 《ボティス王》は来客用のスリッパをぺたぺた鳴らしながら近づいて来ると何故かあたしの腕にぴったりとくっつき、細めた眼であたしを見上げた。
 し、仕事の件? どういうこと? 確かに《ボティス王》には当日配信画面に映ってもらうって話に決まったけど、まだその口実については話し合ってない──。
「天井花さん、うちの文化祭で何かされるんですか?」
 あたしが訊きたかった事を、立場は違えど同じく事情が分かっていないらしいアサカが代わりに訊ねてくれた。《ボティス王》はわざとらしい笑みをその顔に浮かべた。
「ああ。わしとこやつは故郷が同じでの、古い友人なのじゃ。此度、こやつはわしに会うために日本に来ておったのじゃが、この間近く行われるひづりの学校の文化祭の話をしたら、何か手伝えることは無いかと言い出しての。それでお主らももう聞いておろう《ラミラミフォーチュン》と文化祭の提携の話となったのじゃ。わしは当日、こやつの撮影の手伝いをするつもりでおる。今日来たのはその挨拶という訳よ」
「そ、そうだったんですね。本当にびっくりです、意外です、ラミラミさんと天井花さんがそんな関係だったなんて」
「あ、あはははぁ~……そう、あたしと天井花さんは、ね、実はね、そうなんですよぉ……」
 あたしが一番びっくりだよ!! クソボケ!! 言えよ!! 事前に!! そういう設定でいくって決めたなら今朝とかにでも電話なりなんなりしてさ!! ふざけやがって!! 官舎ひづりも知ってたならさっき言う時間十分にあっただろうがよ!! ガキが!! 舐めやがって!!
 ……と、あたしが顔に出さず内心ブチギレていると、五時間目の授業の始まりを告げる予鈴が廊下に響いた。
「あ、予鈴! すみませんラミラミさん、私たち教室に戻ります! 天井花さんもまだしばらくいらっしゃるんでしたら、ラミラミさんとゆっくりしていってくださいね! では!」
 アサカはそう言うと官舎ひづりと一緒に手を振りながら教室棟の方へ足早に歩いて行ってしまった。あぁ、いかないで、いかないでくれアサカ、あたしをこのやばい《悪魔》と二人っきりにしないでくれ……。どんどん廊下から人が居なくなり、反比例してあたしの中に孤独と絶望が一挙に押し寄せて来た。
「……さて、わしも用事は済んだからの、もう店へ戻るが……ふむ、そうか、お主の世話役を、あのアサカがな……。なるほど」
 予鈴が鳴り終わりすっかり静まり返った職員室前の廊下で《ボティス王》はさっきまでアサカに向けていた愛想はなんだったのだろうというくらい冷たい声と表情をあたしに向けた。
「は、はい、そういう話になりまして……」
「よし。《魔女》。お主に一つ追加の頼みが出来た。……む。何じゃその不満げな顔は?」
「いいいいえ!! 不満なんてないですハイ!!」
 『頼み』じゃなくて『命令』の間違いだろ、とか思ってません!!
 《ボティス王》はあたしから離れて廊下の壁に寄り掛かると鼻を鳴らした。
「まぁ良い。お主、確か人の恋路を占うのであったな? それもなかなかに人気であると」
「は、はい、やらせて頂いておりま」
「ひづりとアサカの仲を取り持て。この文化祭を使っての」
 …………。
「はい?」
 何を言われたのか分からず思わず素で聞き返してしまった。
「ど、どうして、ですか?」
 なんであたしが? とまで言ったら殴られそうなのでそこは飲み込んだ。
 すると《ボティス王》は如何にも困った風に溜息を吐いた。
「店であれらを見て来たのであればお主も気づいておろう。あやつら、放っておいたら腰が曲がるまで互いの気持ちに気づくまい。とても見ておれん。お主、この手の催しは得手なのであろう? ならもう一つ子供の恋路に力添えする程度わけはあるまい」
「あの二人のことは確かにそうかもしれませんが……でもあたしのは占いで相性が良いか悪いか見るくらいのものですし……ハロー・ドーリーの真似事なんてあたしには無理ですよ」
「出来るかどうかなぞ聞いておらん。ひづりとアサカの仲を進展させられず、文化祭の終わりから……そうじゃな、一週間以内に《ナベリウス》から反応が無ければ、お主には死んでもらうほか無い」
「は!?」
 今度こそ大声が出た。
「な、何でですか!? あなたを文化祭の撮影に出せば命だけは助けてくれるって、この間……!!」
 詰め寄ったあたしに《ボティス王》は一際冷たい眼を向けた。
「何を寝惚けた事を言うておる。わしは最初から、お主の中からわしの臣下を取り出した方がよほど役に立つ、と言うて来たであろう。文化祭を終え、お主の動画が《ナベリウス》に対して何の行動にもなっておらんかったとなれば、当然そこでまたお主の処遇を考え直す話し合いをするに決まっておろう。いくらひづりと言えど、能無しの役立たずにいつまでもチャンスは与えまいよ。それに、そうでなくともお主ら《魔女》は何代にも亘ってわしらの家臣の尊厳を踏みつけにしてきたのじゃ。お主に利用価値がある限り《アウナス》どもとの一件に片が付くまでは生かしておいてやるが、それ以降の約束なぞしておらん。は。まさか仕事一つで全てが許されるなどとお主がそこまでわしらを舐めておったとはな」
「で、でも、ひづりさんだってこの間、《ナベリウス王》が見つかるかどうかは運次第だから、って、そうおっしゃっていたじゃないですか! そ、そんなのあんまりですよ!」
「じゃから今お主が助かる条件をわしがもう一つ出してやると言うておるのではないか。所在も立場も分からぬ今の《ナベリウス》がお主の動画に反応するかどうかは確かに期待出来たものではない。しかしお主がひづりとアサカの仲を進展させられたとなれば、たとえ文化祭を終えて《ナベリウス》からの反応が無かったとしても、わしも少しはお主の味方をしてやろうという気にはなる。首の皮一枚繋ぐ機会を与えてやっておるのじゃ。少しは喜んだらどうじゃ」
「…………」
 どうする。いや、きっとどうする事も出来ない。
 出来ます。そう答えるしか助かる道は無い。たとえ恋愛なんて一度もしたことが無くて、当然女子高生の恋路の引率なんて出来る訳が無いとしても。それでも。
「……やります」
 そう答えるしかない。
 返答を聞くと《ボティス王》は満足そうな顔をし、階段の方へ歩き出した。
「励めよ《魔女》。これより先は、己の命の尊さを知る日々じゃぞ」
 《ボティス王》の白い頭が階段の向こうに消えていくのを見送った後、あたしは自分の胸に手を当てた。死にたくない、と心臓はまだまるで落ち着く様子もなく激しく脈打っていた。
 それからふと、《ジュール》が何か小さな声でしゃべっている事に気づいた。


『……《我らの王》から、直々に二度も命を賜るだと……我など今まで一度として王より命を受けたことはないというのに……』


 ……嫌な予感がした。


『絶対に許さんぞ豚女……!! 決めたぞ!! 全てが終わった時、我は必ず貴様を殺す!! たとえ《我らの王》が許そうと我が許さん!! 憶えていろ!! 我がお前の体から抜け出す事に成功した時、人の身で味わえる苦痛の総てを貴様に味わわせてやる!!』


 ……おばあちゃん、お母さん、《魔女》には神様は居ないんでしょうか……。再びアサカたちと合流する放課後まで《ジュール》はずっとそんな感じで叫び続けていた。
 









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