和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第4期》 ‐鏡面の花、水面の月、どうか、どうか、いつまでも。‐

   『貴女の恋路が上手くいきますように』 3/4

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 綾里高校には熱心な《ラミラミフォーチュン》ファンがアサカの他にもう一人居た。名は明那須(あかなす)桜。綾里高校の生徒会を纏めながら同時に演劇部の部長も務める才女で、彼女のスラリとした美しい肢体が魅せる優雅な仕草や北欧の血の混じる整った顔立ちから発せられる玉の様な美声は日常舞台上問わず多くの人々の心を奪い、その様子は時に「まるで催眠術のようだ」とさえ評されていた。
 部活にも委員会にも所属していなかったアサカがそんな桜と知り合いになったのは、去年の丁度今ぐらいの時期であった。
 アサカが放課後いつものように運動部の友人らの助っ人をしていると、それまで接点などまるで無かった演劇部の生徒が急に声を掛けて来た。聞けば、演劇部は文化祭でかなりアクロバティックな劇の案を出したが、しかし学生が用意出来る美術では一番の見せ場であるシーンが納得のいくものに出来そうになく、そのためスタントを任せられるくらい運動神経の良い生徒を探している、との事だった。
 生徒会も兼任する者が多い綾里高校の演劇部はこれまで文化祭のみならず近隣の劇場などでも定期的に演目を行い地域を盛り上げてきた実績がある、とアサカも入学前の案内で聞いた事があった。そのため綾里高校では、裁縫部には衣装を、吹奏楽部には演奏を、文芸部には脚本を、といった具合に、各部に演劇のための協力を依頼する事が通例となっており、アサカのような部活動に所属していない生徒であってもこうして協力を仰ぐことがよくあるのだという。
 演技などした事もなかったが、本当にただただ顔を隠してスタントをするだけ、という条件だったのと、運動部の友人らやひづりの勧めもあり、アサカは出演を承諾した。
 そしてそのスタントマンにアサカを指名したのが、当時はまだ生徒会長でも演劇部部長でも無かった桜だった。顔合わせが行われ、舞台の準備中に話をするうち、二人は互いに《ラミラミフォーチュン》のファンであると知り、それからというもの文化祭の後も二人は時折校内で顔を合わせればどちらからともなく声を掛け《ラミラミフォーチュン》の話題に花を咲かせるようになっていた。
 桜とは学力もその肩に背負う責任もあまりに大きな差があり、アサカは本来なら自分など言葉を交わす事さえなかった相手であろうと思っていたが、しかし校内で桜と話をしていると周囲の生徒や教師らはよく「お二人はどちらもとても綺麗な髪をしていますし、スタイルもよくて、まるで仲の良い姉妹の様ですね」といった感じの言葉を放ってくる事があり、更に当の桜もそれを気にするどころか「アサカさんが嫌でないなら、そうした評価は私にとって嬉しいものですよ。私一人っ子ですしね」などと嬉しそうにするため、ただの一生徒でしかないアサカはあまりに恐れ多く、いつも「へへへ、どうも……」と照れ笑いするしか出来なかった。とはいえ、それはそれとして《ラミラミフォーチュン》を愛す数少ない友人である桜にそんな風に言われるのは本当に全く嫌な気持ちではなかった。
 ただ、そうした間柄であるが故に、今回の文化祭実行委員への立候補に際してアサカは桜に対し大きな引け目を感じていた。
 例年通りであるなら、今年も文化祭実行委員は生徒会の二年生が主体となって動き、目玉となる演劇は三年生と一年生が担当する事となる。この後受験を控える三年生の桜にとっては言葉通りの最後の大舞台だ。そんな失敗の許されない状況で自分は「ラミラミさんならひぃちゃんの良い未来を占いで見つけてくれるかもしれない」などという、確証も無い、自分本位な考えだけで委員会に立候補した。文化祭実行委員も、生徒会も、一度だって経験した事が無いのに。
 しかしそれでもアサカにはもう他に手が無かった。失望されてしまうかもしれないが、桜にはすべてが終わった後でこの件に関する全てを話し、謝罪をしよう、と胸に誓っていた。
 ……はずだったのだが──。
「文化祭実行委員に立候補したそうですねアサカさん。それは、私の勘違いでなければ、最近身の回りで不幸が続いている官舎さんの事をラミラミさんに占ってもらうため……ではありませんか?」
 昼休み。呼び出された生徒会室でアサカがドキドキしながら向かい合わせのソファに腰掛けたところ、桜は真っ先にそんな事を言った。
「…………そう……です」
 一切何を言う間もなく全てバレていたと知り、淹れてもらったばかりのお茶のカップを手に持った格好のままアサカはか細い声でそう白状した。
 けれど実のところこれは全くの予想外ではなく、あらかじめちょっと「そうかも」と思っていた事だったため、お茶を零すほどは動揺しなかった。
 そうなのである。桜は外見や言動の美しさだけでなく、観察眼や予知力も遥かに常人のそれを逸していた。一年程度付き合いのあるアサカであっても、彼女の両目に備えたその色素の薄い瞳は他者の皮膚や骨を貫いて脳の中まで見えているのじゃないか、とか、本当は未来から来た人なんじゃないのか、とか、そんな風に思ってしまう事があるほどだった。
 しかしそれを理由にアサカが彼女を苦手に思った事はこれまで一度も無かった。そうした彼女の鋭さをやり難く感じる者は多いらしく、校内では「生徒会長は本当は怖い人なのではないか?」といった噂を耳にする事もあったが、けれどアサカは一年の時に出演した舞台をきっかけに彼女の人柄をそれなりに近くで見聞きするようになっていたし、そのような根も葉もない噂に対して彼女が落ち込んでいる姿を見た事もあったので、むしろ可愛い人だなと思ったりもしていた。
 とはいえ。こと今回に関してはアサカも正直それなりに応えていた。「そうかも」とは一応思いつつ、それでも朝にホームルームで立候補したばかりでそんな明確にこちらの考えを読むなんてさすがの桜会長でも無理だろう、と思っていたからだった。カップを持った手が震えていた。
 すると桜はアサカの様子に気づいたらしく慌てて付け加えた。
「あっ、あぁ!! 違うのですよ? 私はアサカさんのそうした動機を咎めるつもりはありません。今回立候補して下さった他の方々も、当生徒会の者たちも、文化祭に臨む気持ちなど人それぞれでしょうし、むしろ、大切な幼馴染さんを想ってのアサカさんのその行動は、生徒会長としても、アサカさんの友人としても、私はとても誇らしいと思っています」
 そう言って彼女はアサカの手を包むようにして支えた。
「そ、そうなんですか……? ……いえ、でも私、やっぱり謝らせてください。会長にとっては最後の文化祭で、学校での最後の舞台なのに、こんな自分勝手に首を突っ込んでしまったのは良くない事ですから。ごめんなさい」
 アサカがそう伝えると桜は静かにソファに戻り、それから低い声で訊ねた。
「……ですが、アサカさんはやるのでしょう? 誰が何と言おうと、官舎さんのために」
 アサカは顔を上げ、桜の眼を見た。
「はい、やります」
 迷わず、淀まず、アサカは真っ直ぐに答えた。それだけは最初から何があってもブレるつもりがなかったから。
 桜は、ふふ、と笑った。
「だと思っていました。ですから、構わない、と私は言うのですよ。アサカさんが官舎さんの事でいい加減な気持ちで挑む事なんて一つだって無いとちゃんと分かっていますから」
「……会長……」
 本当に全部自分という人間の芯の部分まで承知の上で彼女は受け入れてくれているのだと知り、アサカはたまらない気持ちになった。
「ではやはり、文化祭の準備から当日に掛けての校内の撮影係と、併せてラミラミさんに校内や付近の施設の案内をしたり当日の撮影のお手伝いをする係、この二つの業務をアサカさんが担当出来るよう、先ほど文化祭実行委員の皆に推薦しておいたのは正解でしたね」
 桜は自分の分のカップを手に取り、上品に口を付けた。
「え……? 推薦? 撮影係と……ラミラミさんのお世話係を? 私がですか!? も、もうそういう話になってるんですか!?」
 アサカは改めてカップを落としそうになった。
「あら、不都合でしたか?」
「い、いえ、不都合とかは……」
「では大丈夫ですね。あ、ラミラミさんのお手伝いについてですが、平日は放課後から十八時頃まで、土日は各々の都合で話し合って行って頂く、という形で今朝ラミラミさんにはお話ししてありますので、変更点などあれば後ほど挨拶の際に改めて話し合って下さいね」
 そう言って桜はにっこりと笑った。アサカは苦笑いしたまま口が閉じられなかった。
 現在アサカが部活動に入っていないのは、朝練があると朝のアインの散歩が出来なくなってしまうのと、放課後に固定の部活に入るとつい熱中して体力を使い果たし夕食後に凄まじい眠気が襲って来て自主学習の時間が確保出来なくなってしまう、といった理由からだった。なので文化祭実行委員の業務も出来るだけそれらを圧迫しないものを振ってもらえると良いな、とアサカは思っていたのだが、しかし校内の撮影係であれば授業の合間や昼休みにも可能であるし、またラミラミ氏の手伝いにしても放課後の数時間と休日のみで良いなら自宅学習の時間も侵されない。しかもお世話係に就ければ当然ラミラミ氏との会話の機会は保障され、占いについてのお願いもきっとしやすくなる。不都合どころかとんでもない好条件だった。
 会長、本当に人の考えを覗いたり出来る超能力とか持ってませんか……? という馬鹿な問いを飲み込み、アサカはしないといけない方の質問をした。
「で、でも本当に良いんですか? 私がラミラミさんの担当で……。いえ、ラミラミさんとお話出来る機会が頂けるのは本当に、本当にありがたいですけど……。あと、写真ですけど、写真部の方々にお任せするべきなんじゃ……?」
「どちらも問題ありませんよ。《ラミラミフォーチュン》さんとのタイアップは急に決まった話なので今なら諸々の割り振りは可能ですし、写真部にしても、どうやら今は野外活動部や天文部と一緒になって文化祭で発表する超大作の撮影のために全部員が放課後出払う事になっているみたいなんです。加えて部長の黒部くんはちょっと気難しい方で……この間文化祭のパンフレット等の写真の撮影をお願いしたんですが、『どうせあのダサいホームページに載せる写真でしょう? 誰が撮ったって同じですよ』、なんて冷たくされてしまいました。一台、良いカメラを貸してはくれたんですけどね。確かここに……あぁ、ありました。これです」
 桜は立ち上がると執務机の横にある戸棚からそのカメラが収められているらしい四角い鞄を取り出してアサカの前に持って来た。
「アサカさん、以前修学旅行の折に写真係を担当されていたでしょう? 黒部くん、あの張り出されていた写真を見て唸っていたんです。私はこれを巡り合わせだと思いました。今年の文化祭撮影係、そしてラミラミさんのお世話係は、きっとアサカさんが適任なのですよ」
 嬉しそうにニコニコと微笑む桜に、アサカは深く頭を下げた。
「分かりました。撮影係とラミラミさんのお世話係、ありがたく引き受けさせていただきます!」
「はい、よろしくお願いしますね。それと、私は今年舞台に掛かり切りになると思うので、文化祭実行委員の方にはあまり参加出来ないと思いますが、それでももし可能な状況になれば、私の方からもラミラミさんに官舎さんの事を占って貰えないかお願いしてみますね」
「うおお……ありがとうございます! でも会長、ただでさえお忙しいんですからあまり無理しないで下さい! それに会長は今年が最後の文化祭なんです。もっとご自分のことも大事にして欲しいです!」
 感極まったのと心配なのとでアサカはちょっと泣いてしまった。
「ふふっ、大丈夫ですよ。素晴らしい後輩であり、大切な友人であるアサカさんのためですもの。文化祭の舞台も、ラミラミさんへのお願いも、生徒会長はやってみせますよ」
 桜は両手を握り拳にして、ぐっ、と可愛いマッスルポーズをして見せた。
「──あっ! そうですっ。もう一つ、アサカさんには大事なお話があったんでした! いけません、伝え忘れるところでした」
 すると桜は俄かに何か思い出した様子で真面目な表情になり、それから内緒話をするように声を潜めた。
「アサカさんの耳にももう入っているかもしれませんが、先週の暮れぐらいから、どうもアサカさんを捜しているという怪しい学生がうちの学校の周囲に何度か出没しているらしいんです」
「私を……ですか? いえ、初耳です」
 机越しにアサカも桜の方へ顔を寄せた。
「聞く限りこの辺りではあまり見ない制服のようで、出会った方達も何処の生徒かまでは分からなかったらしいんですが……兎に角その学生、何やらピリピリした危なげな様子だったそうなんです。文化祭の前ですし、先生達もあまり不安を煽りたくないから噂にはしないようにと言っていましたが、たとえ未成年だとしても不審者は不審者です。情報を集めて、出来る限りの対策をしておきたいと思っています。それで、どうでしょうアサカさん、何かその生徒の心当たりはありますか?」
「…………」
 有るか無いかで言われたら、実のところかなり有った。アサカは二年前の事を思い出していた。
「確かに、中学の時、当時の同級生とちょっと大きめの衝突がありました。でも、卒業してからは連絡すらとっていませんし、もう二年も前の事ですし……今更という気がします」
「よければ何があったのか訊いても良いですか?」
「ひぃちゃんに怪我をさせようとした奴らを全員骨折させました」
 ぱちり、と桜は瞬きした後、そっと瞼を伏せた。
「……二年では忘れていないかもしれませんね。とにかく明日、その生徒たちの顔写真が載っている卒業アルバムか何か持って来て詳細を教えて頂けますか? 私たちの方でも対応はしますが、アサカさんも十分に気を付けて下さい。アサカさんの運動神経を疑ってはいませんが、それはそれです。向こうがもしずっとこちらを監視するほど暇で執着しているのなら、きっとアサカさんが一番油断している瞬間を狙って来るでしょうから」
「はい、分かりました──」
 その時、コンコン、と扉を叩く音が生徒会室に響いた。
「……《ラミラミフォーチュン》のラミラミです。入ってよろしいですか」
 どきり、とアサカの心臓が跳ねあがった。よく知っている声。配信でいつも聴いている声。アサカは頭の中が真っ白になって、たった今考えていた事も全部飛んでしまった。この扉一枚隔てたすぐ向こうに、あのラミラミが──。
 ふと向かいの桜と目が合った。彼女も少し緊張している様子だったが、その表情はすぐに笑みへと変わり、「……丁度良いタイミングでしたね」と言った。
 桜は立ち上がり、「はい、どうぞお入りください」と入室を促した。アサカも勢いよく立ち上がってついに覚悟を決めた。








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