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《第4期》 ‐鏡面の花、水面の月、どうか、どうか、いつまでも。‐
『彼らの未来のために』 4/6
しおりを挟む『それからしばらくして僕は《ソロモン王が紛失したという指輪》の行方を追う任に就いた。扱える人間なんて限られているし、扱えたとしても一つきりの《指輪》では大した事も出来ないが、それでも貴重な《神性権限》だからね、《人間界》でやることがないなら捜して来い、と中央会議で役目を押し付けられちゃった訳さ。とは言え、最初に分かっていただけでも少なくとも万単位の《転移魔術》で隠された《指輪》の行き先なんてそれこそ砂漠から一粒のダイヤモンドを見つけるに等しいから、《天界》としても期待はしてない様子だったし、僕もあまりやる気はなかったんだが、でもあれから三千年だよ、捜索を日常の些細なルーティンの一つにしていたら、半世紀ほど前、ついに見つかったんだ。君と《ソロモン王》が真夜中に《転移魔術の蔵》の中へ入るところを。場所は地中海の見える丘の上、現在のイスラエルとレバノンの国境近く。合っているだろう、《ボティス王》?』
《イオフィエル》は確かめる様に天井花イナリに問うた。ひづりも彼女の横顔を見つめた。
「ああ。その通りじゃ」
天井花イナリは意外にもすんなりとそう答えた。
ひづりとしては、《天使》が実は宇宙人だった、とか、人間が実は《天使》と《魔界》から遺伝子を注がれて出来たものだ、とかは、これまで《レメゲトン》で読んだり天井花イナリから聞いてきた話を思えば特段驚きはしなかったし、彼女が自分に対し《指輪》の正体を隠していた理由もこの《イオフィエル》の話を聞く限りなんとなく分かるようだったが、しかしやはり「ソロモン王がボティス王に指輪を渡した」というその根本的な部分には幾つか引っかかる部分があった。
どうして《ソロモン王》は《指輪》を手放そうと思ったのだろう。今の《イオフィエル》の話の通りなら《ソロモン王》だって《天使》にとって《指輪》がどれだけ大切な物かは分かっていたはず。意図的に失くした事もすぐに《天界》にバレたという話であったし、自分の身や大戦の結果だって想像出来なかったはずがない。
何が彼にそうさせたのだろう? そして《指輪》を託す相手が《ボティス王》でなくてはならない理由があったのなら、それは一体……?
『《千里眼》では《転移魔術の蔵》の中までは覗き見る事が出来ないから、《蔵》の中で君と《ソロモン王》の間に何があったのかも、《ソロモン王》がどうして《指輪》を故意に紛失して失脚しようと思ったのかも僕には知りようがない。だが、当時エルサレム宮殿に流れていた噂を元にした憶測からなのか、それとももしや《人間界》のシンパ達にこの三千年間ずっと捜させてついに僕と同じ事実に辿り着いたからなのか、それは分からないが、何にせよ《指輪》を持っている君を《アウナス》が狙っている以上、《人間界》の治安を守る役目にある僕としては動かない訳にはいかない』
「つまるところお主の要件とは、あの《指輪》をよこせ、と、そういう事なのであろう?」
俄かに空気が重く張り詰めるのを感じ、ひづりはハッとした。
そう。《天界》が大戦で敗北するに至った要因の一つ。元々は《天使》の持ち物だった貴重な《神性権限》……。《イオフィエル》の喋り方や物腰そのものは柔らかいがその目的は明白なのだ。ひづりは改めて店内に伸ばしたままにしていた《魔術血管》に意識を向け、いつでも発動出来るよう脳内に繰り返し《防衛魔法陣術式》を描いた。
すると《イオフィエル》は宥める様に言った。
『誤解だよ。何度でも言うが、僕は今日話し合いに来ただけであって、決して《指輪》を奪いに来た訳でも、君達と刃を交えに来た訳でもないんだ。……そうだね。この際もう言ってしまおう。僕は将来的に君達と協力関係を結びたいと思っている。君たち《和菓子屋たぬきつね》陣営とだ』
ひづりは眉をひそめ、天井花イナリと顔を見合わせた。彼女も同じく怪訝そうな顔をしていた。
「ちょっと何を言ってるのか分かりません。あなたは、私も天井花さんも面識のない《イオフィエル》なんて《天使》の名前を出しただけで、顔も見せていませんし……それにあなたはさっき天井花さんが《指輪》を持ってる事や《アウナス》が天井花さんを狙ってるのを事前に知ってたって言いましたけど、《ベリアル》や《主天使》に私たちが襲われているとき何もしませんでしたよね? というか、そもそも《アウナス》たちが危ない存在だって分かってるなら、どうしてあなた達は《アウナス》を《人間界》から追い出さないんですか? 名前も本物か分からない、顔も見せない、私達が襲われてても黙って見ていただけ、《アウナス》に対して何もしない、そんなあなたの言う協力関係なんて言葉、どうして私達が真に受けると思うんですか」
あんまりに荒唐無稽な言い分だったためひづりも思わず喧嘩腰の返しをしてしまった。
しかしそれに対し《イオフィエル》は意外にも「うぅん……」と困ったような声を出した。
『手厳しいね。そう言われると僕としては返す言葉も無い。だけど、君達と手を取り合いたいという部分に嘘は無いんだ。さっきはだいぶ端折ってしまったからね、改めて今の《天界》についての話をさせて欲しい。信じて貰えるかは分からないが、君達に助け舟を出せなかった理由の説明にはなるはずだから』
そう言うなり《イオフィエル》は一つこほんと咳ばらいをした。
『前提として、僕たちは《侵略型惑星》の生命体であって、《箱庭型惑星》に対し侵略以外の感情なんて無いんだ。現在の《天界》に於いて《保守派》と《侵略派》の比率は大体九対一程度だけど、それは、イコール、侵略を諦めた者が九割、という訳ではないんだよ』
「どういう事ですか……?」
言っている意味が分からずひづりは首を傾げた。
『三千年前、《侵略派》はそれまでの活動で《冥界》の《ナベリウス王》を刺激してもはや突破不可能なまでに強化させ、《指輪》の件では《ソロモン王》の謀反を読めず《悪魔》の結束を強めてしまうなど、幾つもの失態を重ねて来た。膨大な量の《神性権限》を浪費してね。初期には派閥と呼ぶのもおこがましい数だったがそれでもそうした失敗の積み重ねで《保守派》の思想を抱く《天使》は徐々に増えていき、そして大戦の風向きが明らかになった事でついに「隔絶の門を用いて人間界だけでも自分たちの物にして、魔界は諦めよう」という意見が多数となって可決された。ただ、これはあくまでも《格好》でしかない。実際、《隔絶の門》を可決した《保守派組織》のほとんどが「神性権限はもっと適切なタイミングで使うべきだ。そのためにも他の組織や派閥の連中がこれ以上勝手に使うような状況にならないよう、来るべき時まで今後人間界での諍いは極力不干渉でいよう」という考えを抱き、今日に至るまで互いに牽制し合って来た。この三千年間、《人間界》で《悪魔》と《天使》のドンパチが片手で数える程しか発生していないのも、僕が《人間界》に居る《アウナス一派》を放逐出来ないのも、それが理由なんだ』
ひづりは少々頭がこんがらがるようだった。
「《天界》の誰一人として《魔界》を侵略するのを諦めてはいないけど、《保守派》は自分たち以外の《保守派》や《侵略派》が抜け駆けして残り少ない《神性権限》を使うのが嫌だから、《人間界》で《神性権限》が必要になるような《悪魔》との戦いはこれまで徹底して避けて来た……ってことですか……?」
『若い娘と聞いていたけど、さすがは《ボティス王》の《契約者》。十分な知性と教養はあるようだね。嬉しいよ』
嫌味のようでも、純粋に褒められたようでもあり、ひづりは反応に困った。
「その話が本当なら尚更訳が分かりません。あなたは自身を《人間界》で動かせる《天使の軍隊》のリーダーだと言いましたけど、他の《保守派》の意向の前ではやっぱり《アウナス一派》に対して今後も変わらず何も出来ない、って事じゃないですか」
「それが変わったから今日ここへ来た、と言いたいのであろう」
ひづりの問いに、俄かに天井花イナリがそう被せた。
「変わった……?」
再びどういう事かと首を傾げたひづりを脇に、通信端末から感嘆の声が聞こえた。
『その通りだよ《ボティス王》。僕はこれまで何度も《アウナス一派》と君の事を《天界中央議会》で議題に挙げて来たが、やはり《アウナス一派》を放逐するために《人間界》で多くの《天使》の兵を動員する案は却下されて来た。馬鹿な奴は「戦力の少ないボティス王の方を倒して指輪を奪えばいい話じゃないか」なんて言い出すし、参ったよ。君達も既に察しがついている通り、現在の《アウナス》が《人間界》で動かせる《悪魔》の数はかなり小規模でね、臣下の《上級》が四体に《下級》が数十体程度と、どう考えたって《ボティス王》を狙うより《アウナス一派》を崩す方が使う戦力は圧倒的に少なくて済む。それに今の《和菓子屋たぬきつね》には《フラウロス王》だって居るんだ。ありえないだろう? そんな風に現場も何も分からない連中ばっかりが《天界中央議会》の決定権を持ってるって訳さ。でも、先日の《主天使》の一件で事がだいぶ動いた』
俄かに真面目な口調になって《イオフィエル》は言った。
『《主天使》が君達を攫うのに使ったあの《神のてのひら》、あれにはどうやら《千里眼》を妨害する術式が混ぜてあったようでね、あの日あの時あの《結界》の内部で起きた出来事はもう生き残った君達しか知らないし、僕達はあの時攫われた君たちの行き先を見つけることが出来ず《主天使》と《アウナス一派》との明確な繋がりを示す証拠も手に入らなかったんだが……しかし戦闘の開始直前に《ボティス王》を行動不能にしたあの《封聖の鳥篭》、あれは《神のてのひら》の妨害術式が作用する前に発動していたから、僕達も《過去視》でしっかりと確認が出来たんだ』
ロミアが両手で支えていた通信端末の画面が切り替わり、見覚えのある巨大な《鳥篭》が映し出された。
『《指揮》から説明されたそうだね。そう、あれは《天界》の意向に背いた《天使》を捕らえ処罰するために用いられて来た古い《神器》の一つだ。本来なら議決され許可を得た《上級天使》によってのみ用いられる代物で、間違っても《下級天使》である《主天使》だけで扱える訳はないし、当然そんな許可も下りてない。《神のてのひら》が完成した際に僕たちが聞かされていたその設計思想は「疑似的に小さな天界を再現し、中に居る天使の力を強化する」という、ただそれだけのものだった。「神のてのひらの上でなら下級天使であっても封聖の鳥篭が扱える」なんて、そんな項目はどこにも無かったはずなんだ。そんな《封聖の鳥篭》が、《主天使》や《アウナス一派》と思しき連中の元で稼働していたと判明した。それでようやく可能になったという訳さ。《天界》には裏切り者が居る、という旨の議題の提出がね』
《イオフィエル》の声が一際冷たいものへと変わった。
『《神器開発研究所》。創世記から存在している分規模が大きく《天界》内部でもそれなりの発言力があるが、一方で類似派閥に台頭させるのを嫌ってか発明品のデータを度々隠蔽、改竄するなど活動に不明瞭な点が多く、表向きは《保守派》で構成されているものの《侵略派》との繋がりが前々から噂されていた組織だ。上に提出した以上の性能を《神のてのひら》に加えていたのも、それを《侵略派》の《主天使》や《アウナス一派》に横流ししたのも、間違いなく奴らだろう。先日議案は承認され、今僕は《天界総括調査局》と共にこの《研究所》の活動履歴の調査を行っている。正直何か証拠が出るとは期待していないが、それでもその間は《研究所》の動きを見張り、制限する事は可能になる。だから少なくとも《アウナス》と君達の件が解決するまでは、今後新たに《研究所》から《対神性兵器》が《アウナス一派》の手に渡る事は無いと思って良い。もっとも、すでに《アウナス》たちの手元に流れた物に関してはどうしようも無いけどね』
通信端末の画面が再び「通話中」の画面に切り替わった。
「……それが、私達に対する、あなた達の協力体制、って事ですか」
ひづりは口元に手を当て、考え込んだ。
《イオフィエル》の口から語られたその《天界》の内情というものが果たしてどれだけ信じられるものなのかは現時点では分からない。しかし、先日の《主天使》の襲撃に於いて《神性》を持つ今の天井花イナリにとって有効であると証明され今後も脅威になると思われていたあの《封聖の鳥篭》という兵器が、以降も必ず起こるであろう襲撃でもし《アウナス》側の手段として一切用いられなかった場合、《イオフィエル》がその《神器開発研究所》を抑え込んでいる、と語ったその点だけは確かに信じられる……かもしれない。
だが。
「恩着せがましいな。仮に今後わしらの《敵》があの《檻》を使って来んかったとして、それでお主らに感謝せよと? それを以って仲間と思えと? 馬鹿馬鹿しい。そもそも《保守派》であるお主らにとっては《人間界》で勝手に暴れ《神性権限》を使うような事態を引き起こそうとしておる《侵略派》や《アウナス》は全員敵なのであろう? お主らの内輪揉めでたまたまこちらの利になる結果が出たからそれが土産になる、とは、ずいぶんめでたい頭ではないか」
天井花イナリがもっともな返しをした。
すると《イオフィエル》は『こちらから差し出せるものはまだあるよ』と言った。
『《アウナス》は恐らく君から《指輪》を奪うのに成功したらイスラエルに在る《隔絶の門》と合わせて《十の智慧の指輪》を再構築するつもりだろう。そうして《隔絶の門》が抜かれてしまえば、《人間界》には再び《魔界》から《悪魔》が大挙し、《十の智慧の指輪》が持つ《神性権限》を手に入れた《アウナス一派》も押し寄せ、僕たち《天使》は《神性権限》が残り少ないままかつての大戦の続きを強いられる事になる。《天界》の座に返り咲きたい、あるいは《天界》を滅ぼしてしまいたい《アウナス》にとってはそれが一番の狙いのはずだ。だが、そもそも《アウナス》は《悪魔》だ。さっきも言った様に《十の智慧の指輪》の行使には条件があるし、《悪魔》の身では《隔絶の門》を引き抜く事さえ叶わない。だから《アウナス》にはすべての条件が揃ったとき《隔絶の門》を引き抜く役目を担う《上級天使》の仲間がいるはずなんだ。君達では見つけようがない、今も《天界》のどこかに居るその《上級天使》……仮に《天界の裏切り者》としようか。そいつを僕が見つけ出し、捕らえる。君達は君達の力で《アウナス》を打倒する。そうすれば議会のあほ共も「イオフィエルは言う事を聞かないし、ボティス王を倒して指輪を奪うのも無理そうだ」と諦めるだろう。その時、僕は改めて君達にお願いをする。君達が《指輪》を守り続けるために、議会のあほ共に手出しさせないために、今後はもっと直接的なサポートが出来るよう協力関係を結ばせて欲しい、と。だから、答えは《今》じゃなく、あくまでも《その時》で構わないんだよ』
《イオフィエル》はそこで一旦話を終えた。
「…………」
どう受け止めるべきなのだろう、とひづりは悩んだ。
《イオフィエル》の言葉を額面通り受け止めるなら、襲撃を繰り返す《アウナス》に対し、《天使》の側からしか出来ないアプローチで抑止力になってくれる、しかもこちらからの見返りは無しで、という事だった。
しかし同時に《イオフィエル》の言葉の多くが嘘である可能性も十分にある。こちらは《天界》の内情を知らない。知りようがない。天井花イナリも恐らくそうだ。彼女が最初に言った通り、今聞かされた話のほとんどは流言飛語でありこちらを惑わし判断を間違えさせるためのものであると考えた方が良い。
故に、今この場での回答は慎重に選ばなくてはならない。
「……あの、《イオフィエル》さん? 《願望召喚》についての説明がまだじゃないかしら? 私はさっき途中までしてもらいましたけど」
すると俄かにちよこが口を挟んだ。そこでひづりもふと思い出した。《イオフィエル》は《願望召喚》についても説明する、と先ほど言っていたのだ。
《イオフィエル》は少し声を高くした。
『あぁそうだった! すまない、吉備ちよこにもここまで同じ話をしたばかりだったから、少々記憶が朧げになってしまっていた。歳を取るとこういう事が多くてね、許して欲しい。それで《願望召喚》についてだね。そう、あれは君たちや《グラシャ・ラボラス》が推測したように、同じ願望を持つ人間と《悪魔》が《人間界》で引き合わされる、かなり特殊な《召喚魔術》だ。けど、実は僕らもまだその確かな発生条件や発生地点等については何も分かっていなくてね。そもそも《天界》でも《人間界》でもそんな《魔術》が編み出されたなんて記録は無かったし、また僕の知己の物知りな《悪魔》も知らないと言っていたから、《魔界》産の《魔術》でもなさそうなんだ。だから僕は、あれを開発したのはさっきも挙げた《神器開発研究所》が噛んでいるんじゃないか、と考えている。従来の《召喚魔術》とはまるで違うあんな方法で《上級悪魔》を呼び出せる《召喚魔術》の開発なんて、僕の知る限り《十の智慧の指輪》を創った《神器開発研究所》以外に考えられないからね』
「ええ、ええ、それは良いんです、それは!」
本当に知らないのだろうか……? と引き続きひづりが《イオフィエル》の声音の変化などから何か分からないだろうかと疑っていると、ちよこが今度はずいと身を乗り出して叫ぶように言った。
「それより、《願望召喚》の発端がその……《研究所》? というところにある、という事は、当然その責任もそちら……《天界》にある、っていう事ですよね? 《イオフィエル》さん、正直私達はとても困っているんです。今後ももしまた《願望召喚》のせいでうちの従業員に何かあったらと思うと、私は夜も眠れず、胸が張り裂けそうになるんです」
ひづりは俄かに嫌な予感がして眉根を寄せた。……おい、まさか姉さん……。
「これからもあの恐ろしい《ベリアル》のような《悪魔》がうちに襲い掛かって来るのでしたら、ねぇ、やっぱり《願望召喚》の発端である《天界》側から、その都度、補填を何か一つでも頂けないと、こちらとしても今おっしゃったような将来的な協力関係というのもやっぱり難しくなってくるように思うのですけれど……」
ひづりは呆れた。思った通りだった。姉は《イオフィエル》に対しても平常通りたかるつもりなのだ。
「姉さん、今大事な話してるんだからさ……」
「お金の話こそ大事な話だわ! ひづりったら《ベリアル》のせいで八月中ずっとお店を開けられなくなった分の損失がどれくらいか分かっていないの? イナリちゃんもイナリちゃんで、《グラシャ・ラボラス》さんから貰った母さんの遺産ほんとに一円もくれないし……。それにね、お姉ちゃんはこのお店の店主なのよ。どうしてひづりとイナリちゃんだけで今後の話し合いを決めてしまえると思ったの?」
「ぐ……」
そう言われるとひづりは何も言えなかった。
「そういう訳なので、《イオフィエル》さん? つきましては《ベリアル》の分で五千万、《主天使》の分で五千万、とりあえずお支払い頂きたく思います。そして今後の襲撃もそうした基準で──」
ひづりは思わず目を剥いた。
「ちょ、ちょっと姉さん、なんて桁ふっかけてるの!?」
『問題ないよ』
「問題ないんですか!?」
『驚くことでもないんじゃないかい? 《天界》では《人間界》の通貨はあまり価値がないし……それに、もし君たちと協力関係が結べず、議会が僕に《ボティス王》を倒して来いなんて意見を押し付けるだけの正当性を得てしまった場合、僕の部下は間違いなく大勢死ぬ事になる。それを思えばずっと安い経費さ。責任としては《研究所》の奴らに払わせたいところだけど、まぁ今はまだ証拠も弱いし、しらばっくれるだろう。だから当面の支払いは僕がする。インゴットでいいかい?』
「まぁまぁ良いんですか大丈夫ですようちには大きな金庫もありますからね」
ちよこは《イオフィエル》が今日来てからどうやらもっとも重要視していたらしいその目的を果たせたからか、それはもう嬉しそうにニコニコと笑った。
『さて、これでもう伝え忘れはないと思う。今日僕が話したほとんどはまだ君たちにとっては確認しようのないものばかりだったろうから、さっきも言ったように今すぐ協力関係の構築が叶うとは思っていない。けど今後、《天界》の事情に幾らかでも詳しい《堕天使》が、たとえばこの間の《グラシャ・ラボラス》のように、君たちの味方として《願望召喚》されるだとか、あるいはどうやら君たちの近くに居るらしい腐れ縁だろうけど太古から《天使》との交流のあった《ナベリウス王》との接触なんかが果たされれば、少しは僕の話の裏付けは取れるだろう。……と、あぁすまない、そろそろ時間のようだ。こちらから押し掛けておいて勝手ですまないが、今回の通信はこれでおしまいにしよう。今後しばらく《和菓子屋たぬきつね》周辺の監視は部下に代わりをやらせるつもりだけど、今言った通り僕たちは多忙でね、本当にただ言葉通り君達周辺の出来事を記録させるだけのつもりだから戦力として期待はしないで欲しいし、接触も出来ないものと思っておくれ。その代わり、お詫びになるかはわからないけど、最後に君たちへ《とっても役に立つ物》をプレゼントしようと思う。彼女、ロミア・ラサルハグェだ。実は彼女にはこのおつかいのためだけに《和菓子屋たぬきつね》へ行ってもらった訳じゃなくてね。後の話は直接彼女から聞いて欲しい。それじゃあ僕は先に失礼するよ』
「え!? 《イオフィエル様》!? ちょっ、待っ──」
ロミアが俄かに慌てた様子で叫んだが、通信端末はそのまま『通話終了』の表示になってしまった。
「…………」
「…………」
《和菓子屋たぬきつね》のフロアにしばし静寂が残った。
「え、ええーと……へへ……ま、《魔女》のロミア・ラサルハグェです~……」
改めて自己紹介しながらロミアは、にへ、とちょっと気持ち悪い顔で笑った。
「……やはり殺しておくか」
癇に障ったらしく天井花イナリはまた《剣》を振り被ってロミアの方へ歩き出した。ひづりは慌てて彼女にしがみついてそれを止めた。
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