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《第4期》 ‐鏡面の花、水面の月、どうか、どうか、いつまでも。‐
1話 『味醂座アサカは歩き出す』 1/6
しおりを挟む1話 『味醂座アサカは歩き出す』
十月九日。各クラスや部活動での文化祭の出し物が先週末に決まり、その準備に綾里高校全体がいよいよ動き始める月曜日の朝。二年C組の教室も他のクラスに漏れず文化祭の話題で持ち切りであった。
そんな中、味醂座アサカの胸の内はまったく別の事でいっぱいだった。
ちらり、と彼女の目が窓際の席の方を見た。
──官舎ひづり。アサカの幼稚園からの幼馴染。今日もかっこよくて可愛い、アサカの想い人。もうじきホームルームが始まるから、と彼女は先ほど自分の席に戻っていった。
アサカは目を閉じ、額を押さえながら机に突っ伏した。
今朝、ひづりの下駄箱にラブレターが入っていた。今日は愛犬アインの体調がずいぶん良く、朝の散歩が早めに終わり、そのおかげか久しぶりにひづりと綾里高校最寄り駅で合流出来てかなり上機嫌だっただけに、アサカは下駄箱でその一通の封筒を見て言葉を失った。
『……わぁ。これアレだ、ラブレターってやつだ。初めて貰った。放課後、特別教室棟の裏に来て欲しい、って』
手紙を素早く鞄にしまい、そそくさと廊下の端の方へ移動して開封したひづりは、信じられない、という顔でアサカにそう言った。
『あれ、でも差出人が書いてないな。いたずらだったら嫌だなぁ。……え? あー……まぁ、こんなちゃんとした手紙寄越して来た訳だし、とりあえず話は聞きに行くけど……無理だよ、私、今勉強とかでいっぱいいっぱいでそれどころじゃないし、それにほら、文化祭もあるし。断るよ』
再び手紙を鞄にしまいながらひづりはアサカから目を逸らした。アサカはそこから教室までの道中、幼馴染となんと言葉を交わしたか記憶が朧げだった。
このところアサカには二つの懸念があった。一つはこれだった。いつかこんな日が来るのでは、と思っていた。確かにここ数か月でひづりは急に大人っぽくなった。官舎先輩かっこいい、王子さま系だよね、といった後輩らの会話を耳にした事もあった。
間違いなくひづりは急速にモテ始めていた。本人に自覚が無いのがアサカは余計に恐ろしかった。馴れ馴れしく近づいてきたラウラ・グラーシャや夜不寝リコに続き、今度はラブレターを送り付けるほどの思い上がり野郎が現れた。文字はタイプしたのを印刷した物だったので筆跡は分からなかったがシンプルな白封筒に白い便箋だったのでほぼ確実に野郎だ。
そして二つ目の懸念は、そうして周囲から近づいて来る人間関係がひづりの周りに不幸を運んでいるのではないか、というものだった。
新学期が始まり二年C組での新たな人間関係が始まってから一か月後、海外で暮らしていたひづりの母親が若くして心臓発作で亡くなった。
七月の暮れには留学生ラウラ・グラーシャが綾里高校へ転校して来たのとほぼ同じタイミングでひづりの姉である吉備ちよこが旅先で大怪我をした。
先月は夜不寝リコが《和菓子屋たぬきつね》で働き始めた途端ひづりの母方の祖父が急死し、そして先週はついにひづりが貧血で倒れた。
気のせいだよ、と周りは言う。考えすぎだ、と。けれどアサカにとってひづりに関する物事は全て人生の最優先事項であったし、ひぃちゃんを不幸に巻き込もうとする何かが近づいて来るのなら将来結婚する運命にある自分が彼女を護らなければならない、というのが幼い頃からの人生の指針であったため、気のせいや考えすぎではとても済ませられないのであった。
とはいえ、では今の状況でどうやってひづりを護ればいいのか、アサカにはそれが分からなかった。ラウラ・グラーシャは確かにいきなり現れた奇妙な奴ではあったが、直接ひづりに危害を加えた訳ではなかった。夜不寝リコにしてもそうだ。すでに店を辞め、今月にはどこだったかに転校するという話だった。ひづりの周りに起きた不幸と直接つながっていない。その証拠がない。ひづりも何かを思い詰めているような様子もない。本当に自分が気にし過ぎなだけで、五月から続くひづりの身内の不幸は本当にただただ偶然が続いただけなのかもしれない。
だがそれでもアサカはやっぱり不安だった。ひづりがこのままある日突然そうした増えていく人間関係の中でいきなり何の脈絡も無く命を落としてしまうのではないか、自分の前から消えてしまうのではないか、という漠然とした不安が、少しずつ、しかし日々確実に募っていた。
どうしたら良いのだろう。幼馴染であり将来の伴侶である自分は、ひぃちゃんのために何が出来るのか。机に伏したままアサカは頭を動かし、遠くの席に座るひづりの横顔をまたじっと眺めた。
「おはようございます。わぁ、今日も私が来る前にちゃんと席についていて、皆さん偉いですね。とても偉いですね。時間通りの私も偉いですね」
教室の扉が開き、担任の須賀野がいつものややうざいテンションで現れた。こっちはそれどころじゃないんだ、とアサカは目を閉じた。
「さて、今朝は皆さんにとっても嬉しいニュースがあります。何だと思いますか? なんと文化祭に関わる事ですよ」
朝の挨拶が終わったところで須賀野は俄かに声を高めた。何だ何だ、そういうの良いから先生早く言ってよ、とクラスメイトらが騒いだ。アサカも、面倒くさいなぁ、早くホームルーム終わらないかな、ひぃちゃんと話がしたい、と思った。
「しょうがないですねぇ。じゃあ言いますよ。なんとなんと先週末、ネット配信者の《ラミラミフォーチュン》さんから申し出がありまして、当校の文化祭とタイアップする事が決まったんですよ~! わぁーぱちぱち」
囃した須賀野の言葉に「誰それ?」とか「あ、その配信者さん私知ってる!」とか、さまざま声が上がる中。
「ラ、《ラミラミフォーチュン》ッ!?」
と、アサカは思わず目を見開いて立ち上がり、教室一の大声まで発していた。
「おや、味醂座さん、《ラミラミフォーチュン》さんのファンだったのですか? 皆さんの中にも知ってる方が多いようですし、やはり若い方に人気のインフルエンサーさんとの提携は正解だったみたいですねぇ」
嬉しそうに頷く須賀野の笑顔とクラスメイトらの視線が集まる中、アサカは体温が一気に上昇していくのを感じていた。羞恥からではない。高揚からの熱だった。
《ラミラミフォーチュン》。大手動画サイトで近年開設された個人チャンネルではあるが、運営主であるラミラミが持つその謎めいた雰囲気と妖しげな美貌から開設当初より世界中で若い女性層の絶大な人気を集めており、今や占い配信のジャンルでは知らぬ者は居ないと言われるほどの有名チャンネルとなっていた。
そしてアサカもその《ラミラミフォーチュン》のリスナーの一人だった。配信があると動画はすぐに有志のリスナーによって各国の言語で翻訳字幕がつけられるため、英語がちょっと苦手なアサカでも日々配信を追う事ができ、ここ数か月の幼馴染に対して抱く不安をどうにか乗り越えて来られたのもこの《ラミラミフォーチュン》の占いがあってこそだった。
しかし。学び舎と《ラミラミフォーチュン》のタイアップと聞いてアサカが大声を上げてしまったのは、単純にファンとしてラミラミに会えるかもしれないという気持ちだけではなく、それが今自分が最も懸念している物事への解決策になるかもしれないと思ったからだった。
そう。《ラミラミフォーチュン》の占いは兎に角よく当たるという評判だった。当たり過ぎてサクラを疑う声が多く上がるくらいにはバシバシ当たっていると。
だからアサカは思った。
これはチャンスかもしれない! と。
「という訳ですので、先週文化祭役員等について色々決めましたが、この《ラミラミフォーチュン》さんとのコラボのためにもう少し文化祭役員を増やしたいという話になりまして、なので一日目と二日目、どちらかでもよいので、役員出来ますよという方は立候補してもらえると……おや味醂座さん、まだ立ってましたか。そろそろ座っていいですよ。それとも文化祭役員、して頂けるんですか?」
「はい!! やります!!」
須賀野の茶化しにアサカは即座に大声で返答した。笑い声が上がり掛けた教室が俄かに、しん、となった。
文化祭実行委員になればラミラミさんとお近づきになって、ひぃちゃんの事を占ってもらえるかもしれない。そうすればひぃちゃんの周りで起き続けている良くない出来事の解決策も見つかるかもしれない……!! 文化祭実行委員など生まれて初めてだったが、そう閃いてしまったこの時のアサカはもうあとの事など何も考えていなかったし、教室の一角でこちらを見つめる幼馴染の目が大きく見開かれていた事にもしばらくの間気づかなかった。
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