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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
『繋ぐ勇気は今日も誰かの心の中で』 5/5
しおりを挟む翌日の放課後。ひづりは特別教室棟と裏の花壇の間にある長い日陰の犬走りを一人で歩いていた。十月に入り校内全体で文化祭に向けた打ち合わせ等が始まったからか、特別教室棟周辺は人気も無く静かだった。
「悪かったね、急に呼び出して」
犬走りの末端、校庭に続く曲がり角の壁に夜不寝リコはもたれ掛かってひづりを待っていた。
「いいよ。少し話すくらいの時間はあるし」
言いながら数歩離れた所で立ち止まり、ひづりは二の腕の辺りを摩った。花々の香りは心地よかったがしかし校舎裏に吹く風は思いのほか冷たく、カーディガンを羽織っていてもやや体の冷えを感じていた。
夜不寝リコは俄かに目を丸くして背筋を伸ばした。
「腕の傷、やっぱりまだ痛むの……?」
「え?」
彼女の声にはこちらを気遣う色があり、急に学校で呼び出しとはまた何か文句でも言われるのだろうか、ひょっとして昨日一恵さんにチェキを一緒に撮るよう焚きつけたのがバレて根に持たれてるんだろうか、などと内心身構えていたひづりは虚を衝かれたようだった。
摩っていた二の腕から手を離し、ひづりは両手をひらひらと動かして見せた。
「いや、風がちょっと寒いだけ。痛いとかではないよ、うん、大丈夫。夜不寝さんこそどう、足の具合は?」
「寒い……? ……まぁ、そうかも……? いや、ウチも全然平気だけど……」
夜不寝リコは訝しげな顔をした後、何やら気まずそうに目を逸らした。
それからしばらく無言が漂った。
「……あのさ」
一分ほど経った頃、普段なかなか聞かない小さな声で夜不寝リコは言った。
「この間……官舎さんとお姉さんのこと、ウチ、結構ひどいこと言っちゃったでしょ。あれ、ごめん。言い過ぎたって、思ってる……」
ひづりはまた肩透かしを食らったようだった。
「なんだ、そんな事? 急に呼び出されたから何かと思った。まぁ、言われた時はよく分からなかったし、驚きもしたけど……別に気にしてないよ」
ひづりが軽い調子で返すと夜不寝リコは意外そうに瞬きをした。
「そう……そっか」
彼女はちょっとうつむいて口元や髪を触り、それから自嘲気味に小さく笑った。
「官舎さんって、すごかったんだね。例の……ベリアル……だっけ? 旅行先で《悪魔》とやり合ったって時も、両手からあの花束みたいな《魔法陣》出して戦ったの?」
……何だと。珍しく夜不寝さんに褒められている……? ひづりは妙な気持ちになって肩を竦めた。
「いや、《ベリアル》の時は私まだ《魔術》使えなかったし……この間のアレも何ていうか、たまたまやり方を思いついて、それが偶然うまくいっただけって言うか……。だから全然すごくはないよ、本当に」
ひづりは気まずくて傍らの花壇に視線を投げた。名前の分からない小さな花が等間隔で植えられていた。そういえば、美化委員の彼女がこれらの花の世話をするのも残り十日ばかりなのか、とひづりはふとそんな事を思った。
夜不寝リコも花壇を見た。
「だとしても、ウチは二度とあんな目には遭いたくないって思ったよ。天井花さんは初めて会った時から軍人さんみたいな雰囲気があったから不思議でも無かったけど、でも春兄さんや官舎さんみたいな普通の人があんな怖い場所であんな風に勇気を出せるの、ウチ、本当にすごいって思った」
それから彼女は徐に顔を上げ、ひづりに視線を固定した。
「ただ、天井花さんが強くて、官舎さんもすごい魔法が使えるんだとしても……それでもやっぱりウチは春兄さんたちがこれからもあんな危険な目に遭うの、嫌だよ」
それは二週間前に喚きながら《和菓子屋たぬきつね》へ押し入って来たあの日と同じ確固たる意志を湛えた瞳だった。
ひづりも彼女の眼差しを正面から受け止め、背筋を伸ばし、答えた。
「あの妙な《鳥篭》が天井花さんを閉じ込めてしまえるって分かった《天界》は、きっと今後あれを常套手段として使って来ると思う。だから、私と天井花さんはこれからもしばらく《フラウ》さんの炎に頼らざるを得なくて……この間みたいに凍原坂さんと《火庫》さんを危ない事に巻き込んでしまうのも、きっと避けられない。凄く強いっていう《ナベリウス王》を見つけて手を組めたら、それが一番良いんだけど、それまではどうしても──」
「分かってる」
夜不寝リコはひづりの言葉に被せた。
それから静かに、ふっ、と笑った。
「フラウも、春兄さんも火庫も、これからも全然そのつもりみたいだし。遠くに行くウチには、もう口出しは出来ないし。だから後は信じるよ。官舎さんの周りの色んな事、全部うまくいくように」
ひづりは思わず数秒息が止まった。夜不寝リコのその声と表情は驚くほど爽やかで、まさか彼女にこんな態度を向けられる日が来るなどとは思いもしなかったから。
「……っ! 官舎さん、ちょっとこっち来て。寒いって言ってたでしょ。そこの日向あったかいよ、たぶん」
「あ、え? あっ、うん……?」
ありがとう、と言おうとしたところでまた言葉を被せられ、更に気遣うようにそっと手を引かれた。突然の提案に何が何だか分からなかったが、確かに曲がり角の向こうの日向は魅力的だったので、ひづりはそのままそっちへ移動した。
「……あれ?」
そこで気づいた。立ち位置が入れ替わった夜不寝リコの向こう、先ほど自分が歩いてきた犬走りの先に、一人の男子生徒の姿があった。
百合川臨だった。
「百合川だ? 何やってるんだあいつ?」
「ウチが呼んだの」
「え?」
百合川の方を向いた夜不寝リコの横顔は何かにひどく緊張している様に見えた。
彼女は言った。
「ウチさ、あの後火庫に訊いてみたんだ。姉さんは、見てるだけで良いって思ってたのに、なんで春兄さんの恋人になろうって思ったの、って。そしたら火庫、『たぶん自分一人の力じゃ無かったからです』って……。二人は二十年前、本当に偶然、雨の降るバス停で再会したんだ。姉さんはそこに運命を感じて……だから勇気が出せたんだ、って」
彼女の顔が瞬く間に秋葉の如く紅潮していった。
「何もせずに……何も言わずに出て行って、他の人にとられたくないから……。応援してくれるんでしょ、官舎さんは? ……ありがと」
ひづりを振り返り、一目で虚勢と分かるいっぱいいっぱいな笑みを浮かべると、彼女はぎこちない足取りで百合川の元へと歩いて行った。
…………。
「…………えっ」
数秒掛かってひづりはようやく事態を飲み込み、慌てて建物の陰に隠れた。
日光で温められた校舎の壁にぴったりと背中をつけ、こそこそ覗きながら耳を澄ました。
「────。────?」
「──。……──。────……?」
距離があり会話はよく聞こえなかったがそれでも二人がどんな話をしているのかはさすがにひづりにも分かり、暖かいどころではないその日向でしばらく動けずにいた。
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