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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
『拿捕』 3/6
しおりを挟む「……ねぇ春兄さん。さっきから気になってたんだけど、これ、ウチの気のせいじゃないよね? やっぱり、多いよね……?」
山の麓がもう大よそ見渡せる辺りに来たところで突然夜不寝リコが何やら不安そうな声を上げた。見ると彼女は景色としては特に目立った様子など無いはずの周囲の田園風景にちらちらと視線をやっていた。
「うん、気のせいではない……と思う。僕にも《そう》見える。敵意は無いようだけど」
声を掛けられた凍原坂も同じく顔は動かさず目だけできょろきょろと辺りを確認していた。
「どうしたんですか?」
何か見つけたのだろうかと思いひづりも周囲を気にしつつ訊ねると天井花イナリが答えた。
「《猫の妖怪》が居るのじゃ。それもそこら中に」
「《猫》の……ですか……?」
ひづりはもう一度視線を遠くへ伸ばしてみたがしかし三人が言うような《猫の妖怪》なるものは見つけられなかった。《悪魔》としか《契約》していないひづりには、やはり《妖怪》を目で捉える事は叶わないらしい。
「そういえば……」
すると何か思い出したという風に凍原坂がやや声を大きくした。
「以前ここへ来た時、雪乃さんに教えてもらったんです。昔この一帯は蚕の養殖が盛んで、この先にある蚕影神社もそうした関連の神社で……そして蚕を奉る地域では蚕を襲う鼠を駆除してくれる猫も同じくらい神格化して奉る事が多いんだ、って……。ですから、この辺りに多く居る《猫の妖怪》たちは、もしかしたら昔からずっとこの地域で愛されて奉られてきた猫たちが化けたものなのかもしれません」
確かに、養蚕を行う場所では猫が飼育されてきた、という話はひづりも聞いた事があった。そうした理由であるなら豊蚕祈願に建てられた神社の周辺に《猫の妖怪》がたくさん居ても何もおかしくは無さそうだった。
「…………でも、前に来た時、こんなに多かったかな……?」
しかし納得と同時に別の疑問も浮かんだようで、凍原坂は首を傾げながらそんな独り言を零した。
ひづりは凍原坂の背の《フラウ》を見てそこでふと閃いた。
「あ、もしかして、《火庫》さんがその蚕影神社へ向かった理由って、《火庫》さんと《フラウ》さんが《猫》である事に何か関係があるんじゃないでしょうか?」
全員の視線がひづりに集まった。全くの思いつきであったがひづりはそのまま話してみた。
「雪乃さんと《火庫》さんの違いって、人か、《猫の妖怪》か、っていう点じゃないですか。十四年前人間だった雪乃さんには気にならなかった事が、今、《猫の妖怪》になった《火庫》さんには見逃せない何かになった……って事なんじゃないでしょうか」
我ながらこれは良い勘なのではないかとひづりはちょっと得意になった。
しかし。
「猫の身では気になる何か、というのは具体的には何じゃ?」
天井花イナリに訊ねられ、ひづりは「ううん……」と頭を捻った。そこまでは考えていなかった。
「……《猫の妖怪》の……集会……とか……? ……すみません馬鹿な事を言いました忘れて下さい……」
急に恥ずかしくなってひづりは体以上に熱くなった顔を手で覆った。こんな時に猫可愛いの感情だけで物を言うべきではなかった。「本当にバカじゃん」と夜不寝リコが呟いたのが聞こえた。ちくしょう……。
「ふ。じゃが確かに全くの無関係では無いかもしれんな。まぁ後は本人から直接聞けばよかろう。山へ入るぞ。今更ではあるが《千里眼》の調子も戻って来た。やはり《火庫》はまだこの先の蚕影神社に居るようじゃ」
天井花イナリを先頭にひづり達は蚕影神社へと続くその寂れた山道へと駆け込んだ。
麓にあったのが最後かと思いきや、秋を前にやや葉の落ちた木々が目立つ林を抜けた先にはまだ一軒だけ民家があって、その奥に蚕影神社の境内と思しき鳥居は始まっていた。
小さい山に思えたがそれでもやはり入ればそこそこな傾斜となっており、曲がりくねった石段は鳥居を挟みながらひづり達を山腹へと招いた。麓の様子から察していた通り蚕影はあまり人の来ない神社らしく、また平日の午前という時間もあってだろう、筑波山と違って閑古鳥が鳴いていた。
やがて少々開けた広場のような場所に出た。正面には恐らくこれが最奥のものらしい立派な鳥居が在り、それを越えた先には長く高い石段が真っ直ぐ、枝葉に隠れながら頂に佇む蚕影神社の拝殿と思しき建物まで続いているのみだった。
「《火庫》!!」
鳥居の向こうに《火庫》は居た。背を向けた格好で立っていた彼女は凍原坂の声にびくりと肩を震わせるとこちらを振り返った。その目元は赤く腫れていて、頬には少し渇いた涙の痕があった。
「《火庫》、良かった、怪我は無いかい──」
「こ、来ないで下さい!!」
真っ先に駆け寄ろうとした凍原坂に対し、《火庫》はこれまで聞いた事がないくらいの大声で拒絶した。凍原坂の足が止まり、ひづりも、天井花イナリたちも思わずその場で立ち止まった。辺りにしんと静寂が広がった。
《火庫》はハッと我に返ったように瞬きをして顔を上げ凍原坂を見たが、しかしすぐ悲しそうな顔になって視線を逸らした。
「……すみません……わっちを、探しに来て下さったのですよね……皆さま……。リコさんも、ごめんなさい、勝手にはぐれたりして……。ですが、すみませんが……そこからこちらへは、どうか、どうか来ないで下さい……お願い、ですから……」
鳥居を挟んだ向こう側で《火庫》はひづり達の方へ両手を控えめに突き出し、引き続き接近を拒む態度を見せた。
一歩、夜不寝リコが前へ出た。
「ねえ火庫、何があったの? そろそろ話して。今日、どうしてこんな所まで来たいって思ったの? 一体何が火庫にそんなつらそうな顔をさせているの?」
心配そうに問いかける夜不寝リコのその声と横顔は《和菓子屋たぬきつね》でここ数日何度も見た姉妹としてのものだった。
けれど《火庫》は青い顔のまま何かに耐えるようにうつむいてじっと黙り込んでいるだけだった。
今度は天井花イナリが口を開いた。
「《火庫》、話してみよ。お主がそのように心此処に在らずとなる理由なぞ凍原坂以外に無い事くらいわしらにも分かっておる。既に一度、わしはお主らの問題を解決してやったではないか。何を黙り込む理由がある?」
そこへ凍原坂も、そうだよ、と続いた。
「《火庫》、私達に話しておくれ。雪乃さんの《記憶》で何か思い出したのなら、また私達が聞くよ。言ったじゃないか。君が雪乃さんでも、《妖怪》でも、私も《フラウ》も君を独りにしない、って。一緒に背負って生きていこう、って」
優しくゆっくりと、子供に言い聞かせる様に凍原坂は言った。言おうと思っていた事全部先に三人が言ってしまったのでひづりは隣でうんうんそうですよそうですよと頷いて見せるだけになってしまった。
するとふと、こちらに向けられている《火庫》の小さな両手が震えている事に気付いた。
《火庫》が顔を上げた。ひづりはどきりと胸が痛んだ。彼女は酷く苦しげな表情を浮かべ泣いていた。
「違うのです……凍原坂さま、皆様……。違ったのです、全て、初めから……」
ほろ、ほろ、と滴った涙が彼女の顎先から零れ落ち、足元で落ち葉や雑草の中へと消えた。
「違った、って……何がだい?」
凍原坂が問うた。《火庫》はしばらく泣いていたが、やがて涙を拭うと一つばかり震える呼吸をしてから目の前の鳥居を見上げ、ぎゅうと両目を瞑って、それからそっと瞼を開けた。
「どうか、お許しください……。わっちは今日を以って、かつての《火車》へと戻ります……。こちらの蚕影の神様にお願いして、本来あるべき処へ、この身の所属を移して頂くつもりです。……ですから、凍原坂さまの許を去ります。今まで……ありがとうございました……」
……は? と、ひづり含めその場の全員が絶句した。
「何を、言っているんだい、《火庫》……? 私の許を去るって……え……急にどうしたって言うんだい……? 分からないよ、ちゃんと話しておくれ」
「駄目です。お話しは出来ません。すみません……」
追い掛けて来た全員の総意に違いないその凍原坂の問いを、しかし《火庫》は跳ね除けた。そしてひづりと天井花イナリの方を向くと深くお辞儀をした。
「白狐様、ひづりさん。すみません。今まで、本当にありがとうございました。《フラウ》から貰っていた《魔力》は、以降、わっちの方では受け取りません。ですから、《フラウ》はきっとこれまで通り《和菓子屋たぬきつね》さまのお力になれると思います。……リコさん。ありがとう。お車には何より気をつけて。…………。…………凍原坂さま。あなたさまの《猫》は、その《黒猫の王様》だけです……。いずれこの身の《魔性》も《フラウ》にお返しすると思います。……それでは」
それだけ言って踵を返し、彼女は拝殿に続く石段へと向かった。
訳が分からなかった。彼女が取り付く島も無くこちらの、それも凍原坂の言葉さえ聴かず突然居なくなると言い出すなんて、ひづりは想像すらしていなかった。
「火庫!!」
その時、夜不寝リコが麓にまで聞こえそうな程の大声で叫んだ。《火庫》の耳がびくっと動いて、その足が止まった。
夜不寝リコは鳥居をくぐり、駆け足で近づきながら言った。
「どうして!? 春兄さんの家を出て一体どこに行こうって言うの!? そもそもなんでそうなるの!? ……こっちを向いて!!」
《火庫》の隣まで行くと彼女はしゃがみ込み、両肩を掴んで向き直らせた。
「火庫が出て行くなんて、ウチは絶対嫌だから! せっかく……また会えたのに……あんなにお姉さんぶったのに、また急にウチの前から居なくなっちゃうなんて、そんなのずるいよ……。姉さんなら、今度こそずっとウチの姉さんで居てよ……!」
「リコ……さん……」
妹と見つめ合った格好のまま《火庫》は戸惑うように声を震わせた。その心が大きく揺らいでいるようにひづりには見えた。
「《火庫》……!」
凍原坂も《フラウ》を背負い直しながら二人の元へ駆け寄った。
私達も説得に行きましょう、とひづりは天井花イナリを振り返った。彼女はひづりの視線を受け止めて小さく頷いた。
「────む?」
と、彼女は不意にその眼差しを空の方へ向け、それから突然ひづりの腕を掴んだ。
「ひづりッ!!」
「えっ?」
叫び、天井花イナリはそのまま抱き締めるようにひづりの体を引き寄せた。
──ドドドドドドドッ!!
「うわ、わ、わぁ!?」
直後、落雷の様な轟音と共に地面が激しく連続して揺れた。倒れないよう、ひづりは天井花イナリの体に必死でしがみ付いた。
しかし衝撃の規模に対し、音と揺れはほんの数秒で収まった。
雷!? 地震!? まだ頭の中が揺れていたがひづりは周囲をきょろきょろと見回してとにかく何が起きたのか確認しようとした。
「あ、え……?」
数回瞬きをするとブレていた視界は徐々に元に戻ったが、けれど目の前の光景がとても現実とは思えず、ひづりはつい間抜けな声を出してしまった。
「何……これ……?」
キラキラと輝く無数の《真鍮の柱》のような物が、ひづりと天井花イナリを中心に、直径三メートルほどの円を作る形でずらりと並び立っていた。凍原坂たち四人は《柱》を隔てた向こう側で、先ほどの揺れのせいだろう、揃ってぺたんと座り込んでいた。
見上げると高さ五メートル程のところで《柱》は真ん中に向かって湾曲し収束してぴったりと閉じられていた。《柱》同士は十センチメートル程度の等間隔で地面に突き刺さっており、とても人間ではその隙間を通り抜けられそうになかった。
「……ひづり。少し下がっておれ」
そうして混乱していたひづりの頭がこの《柱》の集合体を《巨大な鳥篭の様な形をした檻》であると認識した頃、天井花イナリが徐にそう言いながら右手に《剣》を出現させ、振り被った。ひづりはギョッとして両耳を閉じ、一歩下がった。
──ガァンッ!!
「…………え……?」
《柱》で衝撃音が幾重にも反響する中、ひづりは耳を閉じた格好のまま、また呆気に取られた。
《ゴエティア》でも非常に鋭いと語られているその天井花イナリの《剣》で斜めに斬りつけられたはずの太さ三センチにも満たないその《柱》たちは何故か傷一つ付かず何の変化も無くそこに在り続けていた。それどころか斬りかかった天井花イナリの方が《剣》ごと弾き返され、少しばかりだが体勢を崩していた。
「何じゃ……どういう事じゃ、これは……?」
天井花イナリは訝しげに《柱》に近づき、それからもう一度強く《剣》を振り下ろしたが、やはり結果は同じだった。
「て、天井花さん、ひづりさん……? 大丈夫ですか……? 何なんですか、これ……?」
立てる様になったらしい、《火庫》と《フラウ》と夜不寝リコを庇う様な格好で凍原坂は前に出ながら、この巨大な《檻》を見上げた。
その時だった。
「……呼んだな? 愛情を込めて、《姉さん》、と。……ふふ、くくくくく……」
境内全体に聞き覚えの無い笑い声が響き、そして直後に声は複数に増え、蝉時雨のようになってひづり達に降り注いだ。
一体なんだこれは、何が起こっているんだ。どこから聞こえて来るのか分からないその嘲笑の嵐の中ひづりは《柱》越しに周囲へ視線を伸ばしたが、しかし笑い声の主の姿も、この《檻》を落としてきたと思しき存在も、どこにも見つけられなかった。
すると今度は《白色の魔方陣》がひづり達の足元に広がった。かなり大きかったがそれは《転移魔術》によく似た模様を描いており、境内に居た全員を一度に飲み込む程の強い光を放った。
「う……。…………!?」
白い光が消え、慣れて来た目が捉えたのは、《檻》越しに広がるよく晴れた青空と、靄の様な物が敷き詰められた不自然なほど真っ白な地面。
そして。
「ようこそ、《悪魔の王様》と、《妖怪》と、人間の皆様。わたくし《指揮》と申します。本日は歴史に刻まれるに相応しい好天。この様な日に皆様をお招き出来た事、望外の喜びで御座います」
白い衣。白い翼。頭上に輝く黄色の《光輪》。他の何と言い表す事も出来ないほど明確な姿をしたその存在。
「……さぁ皆様。お話を致しましょう」
《天使》。それが、数えようも無い程の集団となってひづり達を取り囲んでいた。
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