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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
9話 『さぁ、転がり落ちてゆけ』 1/5
しおりを挟む9話 『さぁ、転がり落ちてゆけ』
十月一日。《和菓子屋たぬきつね》が店主の意向によってメイド喫茶風に模様替えされてから二度目の日曜日。普通の和菓子屋であった以前の《和菓子屋たぬきつね》と違い、今月半ばに行われた店舗改装以降に増えた客層のほとんどはフロアの担当をするメイド服姿の従業員と会うのが目的の様であったから、今日も今日とて店主の吉備ちよこが姿をくらましていてもそれで店の売上が落ち込んでいるという風な話は聞かなかったが、けれど以前から店に来てくれていた比較的高齢な常連客達にとってはいつも話し相手になってくれる吉備ちよこのこの連日の不在は退屈なのではないか、とひづりも近頃そうした事が気になり始めていた。
ただこの日ばかりはそうした店の行く末よりもずっと気がかりな事がひづりにはあって、朝からそれでもう頭がいっぱいだった。
「……あの子、何だか前みたいと言うか……今日はやけに元気がないね?」
「おうふ……。この一週間で彼女の身に何があったと言うのか……。拙者たちはもうあの太陽の様だった火庫ちゃんの笑顔を見る事は叶わないのでござろうか……」
近くのテーブルからまたそうした客の話し声が聞こえ、ひづりはそっと顔を上げて《火庫》の方を見た。
「お待たせいたしました……。ええと……。あ……申し訳ございません、違うテーブルでした……」
《火庫》は客らに頭を下げ、並べ掛けた品物を全て盆に戻してから、また迷子の様に店内をきょろきょろ見渡しながら歩き始めた。
今日、《火庫》はずっとこんな調子だった。今朝凍原坂に連れられて出勤して来た時からひどく体調が悪そうで、仕事着のメイド服に着替えてフロアに出てからも度々些細なミスばかりしていた。でありながら、彼女は凍原坂や天井花イナリに「今日は休んだ方がいいんじゃないか」と言われても何故か「いいえ、大丈夫です。働けます」と返すばかりで、周囲の言葉をまるで聞き入れようとしなかった。《火庫》がこんな風に頑ななのは《和菓子屋たぬきつね》で働くと言い出した時以来であったから皆彼女の事が心配だった。凍原坂も今日は渡瀬と用があったらしいがそちらをキャンセルして店に残ってくれた。
「何ていうか……見てて痛々しいな。他の客もメイド喫茶楽しむどころじゃないっていうか」
テーブルへ注文を取りに行くと百合川がこそりとひづりに言った。ひづりも少し屈んで顔を近づけた。
「うん……。夜不寝さんが言うには、昨日仕事終わって帰ったところまでは元気だったらしいんだけど、夕方に凍原坂さんが家に戻ったらもう今みたいな感じだったらしくて……。休んでもらうのが駄目なら今日は早めに上がってもらおうか、って考えてるんだけど……あの様子だとそれも聞き入れてくれるかどうか……」
ふうむ、と百合川は低い吐息を漏らした。
「俺はあの子が明るかったっていう時に店に来てないから知らないけど、でも前に見た時はそれでも今よりは明るかったって記憶してるぜ。具合が悪いなら休めばいいだろうに……別にお金に困ってるんでもないんだろ? どうしたんだろうな。心配だな」
「本当にね……。……それはそれとして、百合川はなんで今日店に来たの? なんか訳ありみたいな顔で入って来たからとりあえず通したけど、そろそろ理由話してよ」
一番人気の席に一人で腰掛けて腕を組んで店内を眺めながらまるで店の関係者の様な振る舞いをしていた百合川にひづりはいよいよ訊ねた。
すると百合川は、きょとん、と目を丸くした。
「え……? 俺、来ちゃいけないのか……?」
「いや、だってそもそも私百合川に来店の許可出した覚えないし。夜不寝さんもさっきめっちゃ驚いてたじゃん。今日は……というか最近姉さん居ないから、まぁ別に良いんだけどさ……」
ひづりが言うと百合川は両目を閉じて、すう、と深く息を吸った。
「……冷たい。冷たいな~相棒。どうせ一回来てるんだし、たまにくらい顔を覗かせたって良いじゃないかよ。この店の改装も一応俺一枚噛んでるんだし、あれからどうなったかとか気になるじゃん。同級生のメイド服姿も見たいしさ」
ひづりは呆れた。最後のが一番の本音じゃないのか。
「あんまりそういうことしてると夜不寝さんに嫌われるよ」
「だから二週間くらい店に来るの我慢してたんだろ~? っていうか何だよ。こっちには文句があるぜ。他の店員さんは皆着てるのに、何で官舎だけメイド服着てないんだよ? そろそろ着てるだろうと思ってひやかしに来たのによ! 何のためにアポとらずに入店したと思ってるんだよ! 何やってんだよ!」
胸の前で、ぐっ、と右手を握り締めて百合川は理不尽な抗議を始めた。
「何でお前にそんな文句言われなきゃいけないのか。っていうか、確かに今でも私だけ制服違う事たまにお客さんから言われるけどさ、絶対誰も本気で着て欲しいとか思ってないだろ。あんな可愛い服を私が着て一体誰が喜ぶんだよ」
「味醂座とか奈三野とか?」
……否定は出来ない。
「とにかく私は今後もメイドさんの格好する予定はないよ。姉さんからも押し付けられてないし、残念だったね」
そう言ってはっきり突き放すと百合川はつらそうに目を伏せた。
「そうか……。でもまぁ確かに官舎のメイド服姿は……なんというか……ちょっとニッチな種類の話になりそうだしな」
「言うじゃねぇかニッチな趣味で死に掛けた男がよ。じゃあ私は仕事に戻るから、注文決まるまで話しかけないでくれよ」
阿呆な同級生に踵を返し、ひづりは盆を抱えて厨房へと向かった。
「…………楽しそうじゃん」
まったく、《火庫》ちゃんの体調が悪い時にひやかしに来るなんてタイミングの悪い奴だ、とひづりが内心毒づいていると、暖簾をくぐったところですれ違った夜不寝リコが小さな声でぽつりとそう言って、そのままフロアに出て行った。
「……はい?」
ひづりは立ち止まって振り返ったが、夜不寝リコはすぐ接客モードに入って客の相手に戻っていた。
何なんだ今度は……。突然で訳が分からなかったがしかし気にしてもしょうがないのでひづりも《火庫》の負担が少しでも減るよう仕事に専念することにした。
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