和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐

   『一つきりの頭と天界の違和感』 3/7

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『──以上が、この三ヶ月、わしとひづりの周囲で起き、現在も続いておる出来事の大まかな概要じゃ』

 出発から三十分が経過していた。深大寺五差路を越え、折り返し地点である神代植物公園に入った所で《交信》による《ボティス》のその長い近況報告は一旦終わった。
 ふむ、と俺はしばらくぶりに返事をした。

『《天界》が仕掛けて来ていると思しき、謎の《願望召喚》か……。なるほど。お前とひづりの状況は大体分かった。何も訊かずいきなり自分の事ばかり話し始めるなんてお前らしくないなと思ったが、なかなか切迫している、という事なのだな。俺としても気になっていた事柄が大体解決したから、今の話はとても有り難かったが』

 ごく微かではあるが、初めて会った時から官舎ひづりの体には《グラシャ・ラボラス》の匂いがついていた。七月には《ボティス》や《フラウロス》の匂いまで混ざり合うようになり、そして先月の散歩で会った時にはついにその右肩に《契約印》が刻まれているのを発見した。官舎ひづりは《召喚魔術師》になったのだろうか、まさか三柱もの《悪魔の王》を統べているのか、俺の事には気づいていないのだろうか……などなど、これまでずっと把握しようも無くただそこに並べられていたばかりだった疑問の答えが一気に得られ、俺の方からしようと思っていた質問は七割ほどが不要なものとなってしまっていた。
 なので残りを訊ねる事にした。

『しかし《ボティス》、お前、よくアインの中に俺が居ると気付いたな。いや、それよりなぜ《俺》だと信じられた? 《交信》に応えたからといって俺が《ナベリウス》である証拠など何処にも無いし、どう見ても今の俺はお前の知る《俺》には見えないはずだが』

 本来の《ナベリウス》としての俺の体と、アインの体。共通点など、犬である事以外には無いはずだった。
 すると《ボティス》は予め返答を用意していたのだろう、即答した。

『今のなりのお主が《ナベリウス》であるかどうか確かにいくつか疑問を抱かんではないが、しかしそれはお主の方も同じであろう。それに今の話を聞いて予想はついておろうがこれからわしはお主に頼み事をする。お主が《ナベリウス》であるかどうかの確認なら、その時の受け答えで見極めれば良いだけじゃ』

 その自分本位な効率的行動と配慮が混ぜこぜになった物言いに俺はつい笑ってしまった。

『ふふふ。お前はそういう奴だな、昔から』

 和鼓たぬこという配下の《サキュバス》を背負って走りながら《ボティス》は横目でちらりとこちらを見た。

『……ところで、先ほどアサカの家の玄関でもそうであったが、お主、やけに機嫌が良いではないか。先代の《ボティス》はお主とそこまで親しかった風でもなさそうであったし、わしの代でもお主とは一度会ったきりじゃと思うておったが、わしの記憶違いか?』

 《ボティス》の怪訝そうなその調子に、俺は真面目ぶって見せた。

『いや、記憶違いではない。だが……そうだな、これは追々話すとしよう。ひとまずは、そう、お前の第一の憂いであろう、今の俺の立ち位置が何処であるか、についてだ。喜んでくれ。俺は相変わらず《冥界の門番》だ。少なくとも《天界》に与したりお前の敵になる予定は無いよ。……だが、察しの通りこの体だ。《ナベリウス》本来の《魔性》は今、《この俺》には無い。歯がゆいよ。お前が期待してくれている戦力にはなれそうにないんだ』

 今の俺の力量については最初から隠す必要などないと考えていた。それに変に見栄を張れば将来的にこちらの損にも成りかねない。
 《ボティス》は少しだけ考え込むような間を置いてから答えた。

『……やはりその体は、アインは、お主そのものではないのじゃな?』

 思っていた通りこの代でも《ボティス》は聡いらしい。確認するようなその問いに俺は肯定した。

『その通りだ。今も俺の本体は変わらず《冥界》で門番を務めている。今お前と話をしているこの俺は、その本体からごく少量の《魔性》を切り離し、この《人間界》の犬、味醂座アインの頭蓋骨の中に勝手に住まわせて貰っているだけの、体の支配権さえ持たない脆弱な自我に過ぎない。大型犬の頭蓋骨一つ分の《魔性》しかないから、出来る事も《下級悪魔》以下だ』

 アサカ達が徐に立ち止まった。場所はドッグランの隣、自販機などが置かれた休憩所の手前だった。若い頃はそのままドッグランに突入していたアインだったが、老犬となった現在ではアサカ達と一緒にここで体を休めるのが習慣となっていた。宿主の肉体の老化には思うところもあるが、けれど言葉を交わせる程度の高精度な《交信》を行うには互いに十メートル程度は接近している必要があるから、今アインが大人しくアサカや《ボティス》のそばに居てくれるのはとてもありがたかった。

『しばらく見ておったが、お主は自身の事を、アサカやその親族には明かしておらぬのか?』

 アサカと官舎ひづりの休憩に併せて《ボティス》も背負っていた《サキュバス》を下ろしてベンチに座らせた。記憶よりこじんまりとした体にはなっていたが《ボティス》は息切れの一つも起こしてはいなかった。その頭の耳や《角》、また人間の子供ほどの小さな体で働いている事などは全て《認識阻害》で誤魔化して生活しているらしい。今のアインとして暮らす境遇に不満がある訳ではないが、それはそれとして俺は少しばかり彼女の事が羨ましいと思った。

『伝えてはいない。そもそも伝える手段が無い。体の支配権は無くても数分程度ならアインの体をいくらか操る事は出来るようだが、しかし犬の口では人の言葉は話せないし、《交信》も人間相手では使えない。それに伝える必要も無い。今の俺は充分に満たされているからな。だから、お前が俺に《交信》で話し掛けてくれたのは助かった。出来れば、アサカのアインを見る眼はこの先も変わって欲しくないんだ』

 アインは息を整えるアサカと官舎ひづりの間に座り込み、忙しない様子で二人の顔を見上げていた。久々の官舎ひづりとの散歩でアインも高揚してるようだったが、しかしこの調子だと帰り道がつらいのではないだろうか。

『ひづりやアサカに気づかれぬようお主に《交信》で声を掛けたのはあくまでもわしの都合じゃが……まぁそういう事にしておこう。では話を戻すが、お主先ほど自身の《魔性》を切り離したと言うたな。いつからその様な器用な真似が出来たのか?』

 《ボティス》は意外そうに訊ねたが、その彼女の態度こそ俺には少し意外だった。

『あぁ……そうか。《ソロモン王》は、お前にも言ってはいなかったのか』

『何の話じゃ?』

『……いや、些細な事だ。これも後にしよう。俺に《魔性の分裂》が出来たのは昔からだ。単に、誰かに言う必要も、そういう機会も無かっただけなんだ。驚いただろうが、これは異常じゃない。だが俺の《魔性》が勝手に分裂して《人間界》に召喚され、こうして犬の体に定着しているのは、これは間違いなく異常だ。お前がさっき語った《願望召喚》と無関係ではないと思う』

 俺はこの数十年疑問に思っていた『分裂した俺が人間界へと呼び出されている理由』について、先ほど《ボティス》が語ってくれた情報を元に改めて考えをまとめ、それを伝えた。

『如何にも。お前と《グラシャ・ラボラス》が考えた通りなら、俺もその《願望召喚》でこの《人間界》へと召喚されている事になる。俺はこれまでに三度、全く同じ状況で《人間界》へと呼び出されている。呼び出された際、俺は必ず《人間界》の犬の頭蓋骨と同化していて、近くに俺を呼び出したと思しき《魔術師》は居らず、俺との《契約印》を持つ者もまるで《魔術》とは関係無い人間であり、そして俺に《契約》について語りかけて来る事も無かった。でありながら三度とも必ず犬の飼い主が《契約印》を持っていた。今の俺の《契約印》はアサカの母、撫子が持っているが、彼女もやはり《俺》の事は知らないようだ。……俺は昨日まで、この現象の原因として《隔絶の門》が完全ではなくなっている可能性について考えていた。しかし今日お前の話を聞いて新たな推測が出来たと同時に、俺自身の……その《願望》とも呼ぶべきものをはっきりと自覚した』

 《願望》、という言葉に《ボティス》はまた視線だけこちらへ向けた。

『俺は、人間との生活に憧れを抱いていたんだ。これは恐らく、俺が《三つの首を持つ犬の悪魔》となった時からだ。《記憶》を引き継げないお前達にはあまりに遠い過去故に実感は湧かないかもしれないが、しかし先代から話くらいは聞いているだろう。《人間界》で生物が生まれたばかりだった頃、かつて俺たち《悪魔》には名も個性も無く、ただ役職しか無かった。けれど《人間界》の生物たちが環境への適応を見せ、進化し、各々獲得していくその様々な肉体の個性の有用性にやがて《魔界》は眼をつけ、次第に俺たち《悪魔》にも《人間界》の生物の遺伝子を組み込むようになった。羽や尻尾から始まり、今では《俺》のようにまるきり犬の姿となった《悪魔》も居る。そうして俺たちは肉体の個性を得て、その後は内面も大いに変化した。《フラウロス》などは特に分かりやすいだろう。かつては炎を操るだけだったあいつは、猫の遺伝子を得た事で、今は家族を護るための《勇猛》を重要視する《悪魔》となった。種類や程度は異なるだろうが、《グラシャ・ラボラス》も、お前も、今はそうした《人間界の動物的な個性》を当然のように持っているだろう? 俺もそうだ。《冥界の門番》……《生命の死後》に関わるばかりの《悪魔》だった俺は、番犬としての機能を求められ犬の遺伝子を与えられた後、いつしか人間たちと暮らす《生の日常》に想いを馳せるようになっていった。だから《願望召喚》というものが存在するなら、それが俺を《人間界》へと導いたのは必然だと思う』

 十七年前、味醂座撫子は生まれてくる娘を護り共に成長してくれる忠犬の像を子犬だったアインに求めていた。俺は人間に寄り添い、飼い犬として生きる事を願っていた。《願望召喚》がそうした人間と《悪魔》の願いを引き合わせているというのなら、俺がこれまで三度も《人間界》にこうした状態で呼び出されているのにも納得がいく。

『そしてそうした事実を踏まえれば、現状、一つ見えて来るものがある。この《願望召喚》というやつは恐らく《天界》が主導でこそあるが、しかしどの《悪魔》を対象とするのか、どの人間を《契約者》とするのか……それらを《天界》は制御しきれていない上に、把握も出来てはいない、という事だ』

 《ボティス》が《願望召喚》の話を始めた時から疑問だったのだ。他でもない、《俺》がその対象になっている事が、だ。
 《天界》は遥かな昔から俺を殺す事に心血を注いできた。《魔界》へ侵攻するためには《冥界》も同時に陥落させる必要があり、そしてそのためには必ず《冥界の門番》であった俺を最初に殺さなければならなかった。手を替え品を替え奴らは挑んで来たが、しかし結局不死身の身体を持つ俺を完全に消滅させる事は叶わず、そうして準備が不完全なまま時機が迫り行われた三千年前の大戦では《天界》は惨敗を喫し、それを機に奴らは《魔界》と《冥界》の侵略を諦めた。そんな《天界》が、他の《悪魔》やかつて《天界》の所属であった《堕天使》を唆して利用しようとするならいざ知らず、排除不能で《冥界》とも直接の繋がりを持つ《俺》を三千年経った今になって作戦に絡めるとは考え難い。
 加えて、《願望召喚》によってこうして《人間界》に呼び出された俺に対し、《天界》はこれまで一度として接触して来なかった。仮に《天界》が俺を利用出来ると思い上がって今はまだそのタイミングを見計らっているだけなのだとしても、しかし《ボティス》を殺すために差し向けられたと思しき《ベリアル》や《グラシャ・ラボラス》の話を聞けば、こんな弱体した俺では《ボティス》に傷一つ付ける事は叶わないとバカでも分かる。
 その上、《天界》はそんな状況にある俺を何故か殺しにも来ない。何らかのミスで俺を《願望召喚》してしまったのであれば、計画を《冥界》に知られたくない《天界》の立場ならすぐにでも俺を排除すべく襲撃を仕掛けるべきであろうに、《俺》の《願望召喚》が始まって二十数年、未だその気配すら無い。そして今日に至っては目下の攻略対象であるはずの《ボティス》と《俺》の接触さえ妨害するでもなくこうして不干渉を貫いている。
 現在観測出来る事実として、《天界》は《願望召喚》を《人間界》と《魔界》とを繋ぐ新たな手段として確立している。それは恐らく奴らにとって都合の良い《何らかの目的》のためだろう。しかし先ほど聞かせてもらった《ボティス》の周囲で起きている出来事や、《俺》に対する《天界》の不自然なこの状況を判断材料として並べると、これはもう「こちらが把握出来ない複雑な計画が動いている」という印象より、むしろ逆の、「計画そのものが最初から運頼みで進行しており、また活動のための手が圧倒的に足りていないが故に方々で綻びが生じている」という、組織としての《雑さ》を感じ取ってしまう。
 だから俺は結論を《ボティス》に伝えた。この《願望召喚》なるものは《天界》の総意によって始められたものではなく、また不確定要素の中で繰り返されている自動的な召喚儀式なのではないだろうか、と。

『今も昔も、《天界》全体としては《人間界》から得られる信仰をこれ以上損ないたくはないはずなんだ。《願望召喚》の不確定さはそこに矛盾している。《グラシャ・ラボラス》はその百合川という少年を気に入ったから殺さなかったらしいが、しかし《ベリアル》のように憎しみや破壊の感情を持った《悪魔》と同じ様な思想を持った《願望契約者》とが引き合わされた場合、そこでは確実に破滅が生じるはずなんだ。そうでなくても、《願望契約者》に選ばれる人物が《召喚魔術師》でない可能性が高い以上、《願望召喚》では何も知らない一般人と《悪魔》が引き合わされる危険が常に伴う。《願望契約》の成功率は普通の《契約》より遥かに低いだろうし、そうして《悪魔》によって出る《人間界》への被害も決して軽いものでは済まない。《天使》は大戦以降、《人間界》にはほとんど姿を見せていないと聞く。《隔絶の門》の建設で以ってもはや《人間界》は自分達のものだと安心しきっているからだろう。そんな中で、わざわざ自分達主導で《人間界》に被害を出しながら既に一度敗北した《魔界》相手にまたやり合おうなんて、そんな挑戦的な思想を《天界》が抱くだろうか? 《願望召喚》によって一体一体呼び出した《悪魔》を《人間界》で暴れさせ、それから《天使》の力でその《悪魔》を排除し《天界》の力を見せつければ、確かにその場に居合わせた人間たちは《天界》に対し強い信仰心を抱くだろう。しかしそれは三千年前までの話だ。今となっては「この三千年の平穏は他でもない《天界》によるものだ」という揺らぎない実績による現在の信仰形態こそを《天界》は重要視しているはずなんだ。それがこの先も強固に維持され続ければ、「かつて人間と《悪魔》は共存していた」なんていう《天界》にとって不都合な歴史もいつかは時の中へと消し去られていくだろうからな。何をリソースに使っているのか知らないが、この《願望召喚》から繋がる様々な事象はいずれも《天界》にとって不都合が多いように思える。そこから窺える意志のようなものを言葉にするなら、それは今の《天界》に対する反逆思想だ。《ボティス》。お前を狙っているのは《天界》全体ではなく、《一部の天使たち》が進めているだけの小規模な作戦なのかもしれない』

 並べ終えた俺の推論に《ボティス》は少し考え込んで、それから言った。

『確かに、奴らが《願望召喚》された《ベリアル》を抱き込みながら、一方で同じく《願望召喚》で呼び出され十七年間この味醂座家に居るお主に一切の関心を示しておらんとなれば、わしも他に理由が思いつかぬ。まだ《隔絶の門》が無かった頃、《天界》は《人間界》に潜伏する《悪魔》を見つけ出して排除するために、《魔性を探知する装置》なるものを作り各地で用いておったと聞く。《願望召喚》が自動で行われており、《天界》がその発動地点を観測出来ておらずとも、《願望召喚》が《人間界》の人間と《魔界》の《悪魔》の願いを重ねて行われるという特性がある以上、此度の《ベリアル》や《グラシャ・ラボラス》のように、わしの周囲に呼び出されるのはやはりにわしに因縁のある《悪魔》が優先され、そして《天界》の狙いがわしであるなら、その《装置》の索敵範囲はこの日本の関東だけで済む。いずれわしとの接触を願う《悪魔》がこの地に《願望召喚》されたら、そこで《天界》はその《悪魔》と接触し、そそのかし、わしに仕向ける、といった流れなのであろう。ただそれ故に奴らは高い《魔性》を持つ《ベリアル》は発見出来たが、《下級悪魔》ほどの《魔性》も無い今のお主は見つけられんかった……。十分に考えられる。また奴らは《グラシャ・ラボラス》には接触して来んかったようじゃが、それは先代まであやつと《ボティス》が親しかった事を知っておった故であろう。恐らく《グラシャ・ラボラス》がどう動くか、《天界》は機をうかがっておったのではないか。……思えば、ひづりの親族を集めて話し合いを行う場所として《グラシャ・ラボラス》があの起伏と木々の多い山中を選んだのも、そうした理由からだったのであろうな。あやつはあやつでこの《願望召喚》についてはかなり早い段階で《天界》の関与に気付いておったようじゃ。最悪の場合、あやつはわしを殺すつもりだったのであろう。《ソロモン》から押し付けられた《あれ》をわしが持ち、《和菓子屋たぬきつね》に居る以上、今後も間違いなくひづりの身には危険が及ぶであろうからのう。しかし《魔性》が同程度であるわしとあやつがやり合えば戦いは長引き、当然互いに疲弊する。《天界》がこちらの動きを見張っておるなら、わしと《グラシャ・ラボラス》が戦う流れになり、やがて互いの《魔力》が底を突いた瞬間、奴らは間違いなく《あれ》を奪うべく姿を現したであろう。じゃがそれがあの入り組んだ山の中となれば話は変わる。あの地形では《グラシャ・ラボラス》が圧倒的に優位じゃ。《天界》が漁夫の利を狙う事も、そもそもわしがあやつに勝つことも難しい。そうならずに済んだのは、わしはまだ期待に値する、と、何を見てそう思ったのか知らぬが、あやつがそう判断したからなのであろう。…………。こちらを狙っておる《天界》の規模は予想より小さいかもしれん、とした説も可能性は高いとわしも思う。そもそも《天界》が本気でわしを殺すつもりなら、《魔界》からの増援が望めぬ今、ただ《天使》が総動員で《人間界》へ降りて来て大量に槍を投げればよいだけじゃ。それだけのはずのことを、奴らは《願望召喚》などと回りくどい手を使っておる。《魔界》に閉じ込められておったわしらの知らぬ間にこの三千年で《天界》では何か大きな動きがあり、此度のわしへの襲撃は後に控える《次なる大戦》の戦端なのではないか、と警戒しておったが……しかしその不気味さの正体は、何という事は無い、《一部の天使》による不完全な計画故であった、と言われてみれば、どうもそちらの方がよほど今の状況を説明するのに違和感がない』

 考えを纏めるように言葉にしつつ、《ボティス》はおおよそ同意の様子を見せた。
 ただその後、『しかし一つ腑に落ちぬ』とも言った。

『《天界》と《願望召喚》の状況がお主の推測通りであるとしたら、わしらの巡り合せには少々疑問が残る。ひづりとアサカはただの幼馴染じゃ。幼少の頃にこやつら自身で友人となった。でありながら、ひづりの許にはわしが、アサカの許にはお主が召喚されておった。わしとしてはお主と再会出来たのは都合が良いが、しかしこの広い地球の中でわしとお主が同じ国のほぼ同じ地点に召喚されるなど、偶然にしては出来すぎておらぬか? 《天界》であるかどうかは分からぬが、少なからずわしらの今の状況には何らかの意思が介入しておるように思うが……』

 それはもっともな疑問だったが、その答えも俺は既に見出していた。

『偶然ではないさ。俺はお前に会いたかったからな』

 《ボティス》は数秒、ぽかん、とした様に何も言わなかった。

『……どういう事じゃ? お主がアインの体に住み付いたのは十七年前であろう? 此度わしがこちらへ来たのは二年前であるぞ』

 《ボティス》は本当に分からないという声音だった。
 俺は少し得意げに返した。

『当時の俺には当然知る由も無かったが、ひづりの母親はひづりを産む以前からすでにお前を《天井花イナリにする候補の悪魔の一柱》として眼をつけていたんだろう? 《願望召喚》の発動条件が人や《悪魔》の願いを加味してくれているというのなら、《友人》が将来召喚されるであろう場所の近くに自分も召喚されないものだろうかと願うこの俺の気持ちも、そこにはいくらか介在するんじゃないか』

 しばらく間があって、それから《ボティス》は少しばかり苛立った様子で言った。

『先ほども言うたが、お主、いつからその様にわしを好いておる? 今のお主としては、ここに居るのがわしでなければならん理由は無いはずじゃ。そろそろ本当のところを話せ』

 もう少しからかっていたかったがしかしこれはもういよいよ駄目かと諦めて俺は正直に打ち明ける事にした。途端に胸の中に懐かしさがこみ上げて来た。

『以前、俺が《ソロモン王》に召喚されたのはお前も知っているだろう。《レメゲトン》とやらにも、俺は一度だけ《ソロモン王》に召喚された、と記されているそうだな。だが事実は違う。俺は《ソロモン王》に召喚された後すぐに《冥界》へと帰らせてもらったが、しかし《王》同士の会合だ、無下にするのも悪いと思ってな、その夜、今と似たような具合に《魔性》を切り離して人間の子供の姿を作り、《ソロモン王》が一人きりの瞬間を見計らって改めて挨拶に行ったのだ』

 他の者に見られないようにしたのは、その時俺が《ソロモン王》に信じてもらうため三分の一程度の《魔性》を分身に割り振っていたからだ。会合はほんの二時間程度のものではあったが、それでもその時の俺の状態が《人間界》の誰かに知られ、『冥界の門を護っているナベリウスの力は現在三分の二程度にまで弱体化している』なんて《天界》の耳にでも入ったら、きっとまた奴らが《冥界》に攻め込んでくる、と思ったからだった。

『とにかくそういう経緯があったから、俺と《ソロモン王》は実は結構話をしていたし、その会合以降も度々会いに行ってはお前の話を聞いたりしていたんだよ。俺がお前に……《ボティス》に愛着があるのは、《ソロモン王》からお前の話を頻繁に聞いていたからなんだ。さっき、《ソロモン王》はお前に話していなかったのか、と言ったのもそれなんだ。《ソロモン王》とお前は仲が良いようだったから、てっきり俺の《魔性の分裂》の事も話しているんじゃないか、と、そう思っていたんだよ』

 散歩の出発前から俺と《交信》している事をアサカ達には気づかれないよう振る舞っていた《ボティス》だったが、この時ばかりはぴくりとその眉根に皺を寄せた。

『……《ソロモン》もお主も、揃いも揃って寒気がするほど気色が悪い』

 休憩は終わりらしい、アサカ達はベンチから腰を上げてさきほど来たばかりの道を振り返った。《ボティス》も臣下の《サキュバス》を背負って歩き出した。
 時は経ち、代は変わり、姿もずいぶんと変わってしまっていたが、しかし《ボティス》は《ソロモン王》が予想した通りの反応を見せてくれた。俺は彼女の罵声をしっかりと受け止めながら、三千年前の月夜に語った友人との会話を思い出し、とても恵まれた気持ちになった。



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