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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐

   『契約印と未来について』      5/6

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 人と《悪魔》の《契約》には、現在六つの要項が定められている。


 ・一項。契約締結時、人は悪魔のため、悪魔が魔界から正常に魔力を受け取れるよう、人間界と魔界を繋ぐ龍脈を拓き、契約印にその術式を書き込む。

 ・二項。人は作成した契約印を、自身の生命に関わる重要な臓器、または動脈を貫通させる位置などに定着させる。悪魔はそれを見届ける。

 ・三項。契約締結以降、悪魔と人は互いの魔術血管を共有する。ただし魔力の与奪権利は全て悪魔側に移譲される。

 ・四項。契約締結以降で、契約完遂前に人が絶命、あるいは契約印が破壊された場合、契約印は即座に悪魔と繋がっている龍脈を破棄、また悪魔と人の魔術血管共有も停止、更に悪魔がその時点で保有している魔力を全て消滅させる。

 ・五項。契約完遂後、契約印はその効力を失う。龍脈は破棄され、魔術血管の共有は終了する。以降、人が死亡したり契約印が破壊されても、悪魔が保有する魔力は消滅しない。

 ・六項。契約完遂後、悪魔は自身の望む時、望む場所で、人の魂を回収する。


 これらは紀元前千年の《隔絶の門》登場以降、人間の《魔術師》たちによって定められたものである。
 《隔絶の門》は《悪魔》を《魔界》から出さない障壁であると同時に、《人間界》に於いて《悪魔》の魔力獲得を阻害する効果も持っていた。《隔絶の門》のそうした制約をくぐり抜けて《悪魔》との《契約》を成立させる手段を模索した人間たちは、これら六項が示す通り、改良した《召喚魔術の契約印》によって人間と《悪魔》との相対的な立場を──《契約中》に際してのみであるが──ほぼ対等にする仕組みの構築に成功した。
 これによって人と《悪魔》は互いに《契約》の完遂をより真剣に取り組める様になり、結果的に《隔絶の門》の建築前と建築後では、後者の方が圧倒的に《契約》の完遂率が高くなった。


 以下は、《悪魔》側の視点で見た《契約》である。
 ①《契約を交わす前》、②《契約締結後》、③《契約完遂後》で、《悪魔》の状態が大きく異なる事が示されている。

 ①《契約を交わす前》。
 《悪魔》は召喚された時点ではまだ《召喚者》と何の繋がりも無い。なのでそのまま何もしなければ《悪魔》は呼び出された時点で体内に保有していた《魔力》を徐々に消費していき、やがて《魔力》が尽きた時点で《人間界》を自動的に退去させられる。活動できる時間は《下級悪魔》で五分から十分程度。《上級悪魔》で三十分から一時間程度である。

 ②《契約締結後》
 一項により《召喚魔術師》が作成した《契約印》の効果で《悪魔》は龍脈を獲得し、《魔界》から正常に《魔力》を受け取る事が可能になる。
 三項により、《契約印》の効果で《悪魔》は《契約者》と《魔術血管》が共有され、そして《悪魔》は《契約者》の《魔力》を自由に扱えるようになる。これは大抵、《悪魔》が《人間界》にその体を維持するための最低限の《魔力》として徴収される。また《契約完遂》の直前に《契約者》から《魔力》を全て徴収しておけば、《契約完遂》の直後に《悪魔》が《契約者》から攻撃を受けて殺害され《契約》が失効される、といった事態を防ぐ事が出来る。
 逆に、《契約締結後》に《悪魔》と《契約者》の間で諍いが起こり、その結果、《悪魔》による攻撃など何らかの理由で《契約者》が死亡、もしくは《契約印》が破壊された場合、四項が適用される。《悪魔》は《龍脈》、《契約者の魔術血管》、そして体内にその時点で保有していた《魔力》、これら全てを剥奪され、即座に《人間界》から退去させられる。これは《契約期間中》に気が変わった《悪魔》が《契約者》を裏切らないための抑止力である。しかし《契約締結》まで話が進んでいるなら、上質な魂を得たい《悪魔》が《契約者》を無意味に殺害するケースは稀である。

 ③《契約完遂後》
 五項により《契約印》はその効力を失い、《龍脈》と《契約者との魔術血管共有》は破棄され、以降は《契約者》を殺したり《契約印》を破壊しても《悪魔》の体内の《魔力》は消滅しない。後は《契約者》の魂を回収し、《魔界》へ戻るのみ。


 そして《契約印》の譲渡について。
 《印影譲渡魔術》という、人間固有の古い《魔術》を用いる。
 《契約印》を譲渡するには、譲渡される側も同じく《魔術師》である必要がある。譲渡された《契約印》が《召喚魔術の契約印》であるなら、譲渡した者と同じく譲渡された者もまた《召喚魔術師》でなくてはならず、そうでない場合、《契約印》はその効力を発揮しない。




「……以上が、三千年前に確立して以降、不変のまま語り継がれておる《召喚魔術》の概要である」
 ブラックボード上の可愛らしいデフォルメキャラクターを用いた説明を一旦そこで終えると、天井花イナリはチョークを握ったままひづり達の方を向いた。
「では質問を聞こうかのぅ」
 凍原坂は一緒に天井花イナリの講義を受けていた隣のひづりを遠慮がちに振り返った。ひづりは、どうぞ、という意味の頷きを返した。今天井花イナリが語ったのはおおよそ《レメゲトン》にも書いてあった内容であったし、それに今回は凍原坂が訊ねて始まった話であるから、最初から質問は彼にさせてあげるつもりだった。それに今日たまたま午前中は大学の講義が無いからと訪問してくれた凍原坂と違って、ひづりなら天井花イナリへの質問なんてそれこそいつだって出来るのだから。
 喉を整えてから凍原坂は訊ねた。
「で、では……。ええと、つまりその四項の通りなら……私が死んだり、私のこの右肩にある《契約印》が破壊された場合、《火庫》も、《フラウ》も、この《人間界》から居なくなってしまうという事なんですか……?」
「いや、《魔界》へ戻るのは《フラウロス》だけじゃ。《火庫》は元は《妖怪》であろう? 《契約》が破棄され《フラウロス》との融合が解かれれば、《火庫》はそのまま元の《妖怪》の姿……《火車》へと戻る。《妖怪》は《人間界》の生き物じゃからの、《人間界》から居なくなる事はない」
「確かに……なるほど……」
 凍原坂は口元に手を当て、考え込むようにした。それからまたすぐに顔を上げて質問を続けた。
「では、そうならないためには、私は《召喚魔術師》の知人を得て……その人に《契約印》の譲渡手続きをしておかなくてはいけない……のですね?」
「それが《印影譲渡》の常套手段ではあるが……そうじゃな、先ほどは省いたが、ひづりの例を思い出してみよ」
 天井花イナリと凍原坂の視線がひづりに向けられた。
「あの七月の《ベリアル》との戦いの時、ひづりはまだ《魔術師》ではなかった。しかしちよこの体にあった《契約印》は破壊された後、無事ひづりの右肩へと移り、わしもこうして再召喚が果たされた。ひづりには以前話したが、あれは《縁》を元にした特殊な召喚方法だったのじゃ」
「縁……ですか?」
 首を傾げた凍原坂に、天井花イナリは以前ひづりにしたのと同じ説明をした。
「……という事は……《魔術師》でなくても、《フラウ》と《火庫》に《縁》のある誰かになら、私の《契約印》は譲渡出来る可能性がある……という事ですか?」
「そうなるな。となればまぁ現状、お主の身内で考えるなら、あのリコが最も適任であろうな」
「……リコちゃんに……ですか」
「なんじゃ、不服か? リコなら《火庫》とは全くの他人という訳でもない。あやつもお主の頼みとあらば聞き入れそうなものじゃが」
「いえ……確かにリコちゃんなら、《火庫》たちのこと、大事にしてくれるかもしれません。ですが……。《火庫》も《フラウ》も、幼い娘です。それを、生前の《火庫》と姉妹だったからと言って、リコちゃんに全て押し付けていいものなのだろうか、と……」
 そう言って凍原坂はうつむき、表情を暗くした。
 天井花イナリはチョークをブラックボードの端に乗せるとぱっぱと手を払ってから座布団の山の中に戻った。
「そこは好きにせよ。お主も言うた通り、あと三十年ほどは猶予もあろう話じゃ。今すぐ決めねばならん事でもない。また、あのちよこでさえ扱えたように、《印影譲渡魔術》の習得自体は難しくないが、しかし《天界》から狙われておる現状、少なくともひづりに優先的に覚えさせるつもりはない。事態が落ち着いて、ひづりが《印影譲渡魔術》のような実用性の低い《魔術》さえも学ぶような余裕が出来たなら、その折にまたこの話をせよ。それまでせいぜいそのバカ猫を連れ歩き、人脈を増やしておくことじゃな」
 天井花イナリは眠りこけている《フラウ》を見て悪態をつく様に言った。ひづりは彼女のその発言を聞いて「なるほど、引き続き私は凍原坂家に恩を売り続けておくべきなのだな」と思い出して緊張から背筋を伸ばした。
 それから天井花イナリは今度はひづりの方をじろりと睨んだ。
「それとひづり。お主、間違ってもその任を負おうなどとは考えるなよ」
「えっ?」
「え、ではない。《フラウロス》と《火庫》の《契約印》を引き受ける人選の話じゃ」
「あ、あー……。はい……」
 咄嗟の事だったためつい返事の声音に本心の残念さが出てしまい、ひづりはすぐに「あぁしまった」と思って口元を手で覆った。
「……ひづり。お主が顕著に猫好きなのは承知しておるが、ものを冷静に考えられねば人生は苦労ばかりが付き纏うと戒めるべきじゃぞ。想像力を働かせて考えよ。《フラウロス》じゃぞ。今は《火庫》に《魔力》を譲っておるが故に静かにしておるが、それでも夜行性故に夜中になったら騒ぎ出すのじゃぞ。しかもこやつ、家族と見做した者には所構わずグルーミングをし始める癖がある。《火庫》がこやつに髪をべたべたにされる姿はお主も既に見ておろう」
「《フラウ》さんに髪をもぐもぐされるのは、正直ちょっと興味を覚えてますが……」
 ひづりが続けて本音を漏らすと、天井花イナリはその顔に今まで見た事がないくらいはっきりとした嫌悪感を滲ませた。
「ならん。わしは絶対に許さんぞ。もし《契約》の関係になってみよ、こやつ、間違いなくわしの髪も食べ始めるぞ。哺乳類共の唾液まみれの毛づくろいにわしを巻き込むでない。絶対に許さんぞ」
 そう言いながら彼女は自身の長い白髪を両手で抱え、ひづりや寝ている《フラウ》から遠ざけるようにした。……髪舐められるの、そんなに嫌なんだ……。
「とにかく、凍原坂! お主はひづり以外の者を後任にせよ! 良いな!」
「は、はい……!」
 珍しく乱暴に吐き捨てて話を締めた天井花イナリに、ひづりと同じくちょっと微笑ましい気持ちでいたらしい凍原坂は俄にビシッと背筋を伸ばして答えた。
 それきり皆黙ってしまい、ギスギスしているという程ではないが少々宜しくない空気になってしまったため、ひづりは「自分が何か話題を提供しないと……」と頭を働かせた。
 そこでハッと思い出した。
「あの、凍原坂さん!」
「は、はい、なんでしょう」
「言いそびれててすみません。相談に乗って頂いていた進路のこと、私決めたんです。このまま日本で、図書館司書になるための勉強をしようと思います。イギリスの魔術大学へは行かない事にしました」
 彼は目を丸くした。
「あ、そっ、そうなのですか?」
「うむ、そうなのじゃ」
 すると天井花イナリが俄に口を挟んだ。
「ひづりは万里子やちよこと違い、人の心を持っておるからな。姉と父親が死んだばかりの千登勢を一人残してイギリスへは行けぬ、と言うたのじゃ。出来た娘であろう。故に、ひづりの《魔術》の教鞭は引き続きこのわしが執る事となった」
「そう……でしたか」
 機嫌が直ったのか誇らしげに語る天井花イナリに対し、凍原坂は萎縮した顔をしていた。「この場合、悩んでいた進路が定まった事を祝うべきなのか、どうなのか」と迷っている風だった。
「ありがとうございます。凍原坂さんが大学で相談に乗って下さったおかげです」
 ひづりは居住まいを正し、ぺこりと頭を下げた。
 すると凍原坂も同じ様にしゃんとひづりの方に膝を向けて、それから静かに言った。
「……お役に立てたなら」
 そして丁寧な仕草でお辞儀をした。
 ひづりはもう一度、さっきより深く頭を下げた。




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