和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐

   『両家集合』      6/8

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 三週間ほど前。ラウラ・グラーシャがひづりの身内を集めて話し合いを行ったあの夜から数日経った夕刻頃、花札家の二人もこの南新宿の官舎家へと顔を出していた。他でもない、あの日話した事を改めて今後どうしていくか、という話し合いのためだった。
 だが千登勢と親子揃って初めて官舎家を訪れた市郎はリビングへと通されるなり、突然両手両膝をついて幸辰に平伏した。そしてあの日の続きであるという風に、『私に、ちよこちゃんとひづりちゃんの祖父として生きる事を許して下さい』と申し出た。
 早速紅茶と菓子を出そうと思って台所へ向かい掛けたひづりは市郎のその行動に驚いて戸惑ってしまったが、幸辰の方はいくらか予見していたのか落ち着いた様子で彼のそばに正座をすると一つ静かに息を吸ってから言った。

『……まず、私には、市郎さんに少しばかり聞いて頂きたい話があります。顔を上げて、どうか聞いてください』

 市郎が弱々しく頭を上げると、幸辰は続けて淡々と語り始めた。

『幼い万里子さんを手放したあなたの事を、私はずっと許せませんでした。千登勢ちゃんを守るためにやむを得なかった……それを理屈として理解出来ても、感情で受け入れる事だけはずっと出来ませんでした。十七年前、私はあなたと同じく、二人の娘を持つ父となりました。それからは尚更、あなたに対する軽蔑の感情が増しました。……万里子さんは最期まで私に、あなたの事を許せ、とも、仲良くしてほしい、とも、あるいは憎んでくれ、とも、何も言いませんでした。だから私も、花札のお二人との関係が変わる日は、この先もきっと無いのだろうと思っていました。妻が望まないのなら、私としても何かを言ったり、行動する理由はありませんでした。…………ですが』

 幸辰はおもむろにひづりを振り返って、そっと手招きをした。促されるままひづりも父の隣に座り込んだ。

『先月の事です。お盆を終えて、あきる野の本家からこちらへ戻ろうという時になって、ひづりが私に言ったんです。花札家の二人は、過去の出来事が理由でお盆に母さんの墓参りに来られない。私はそれは嫌だ、と。二人がお盆の墓参りも迎え火も送り火も一緒に過ごせる様に、どうにかしてあげたい、と……』

 泣きそうな顔で微笑みながら、父はひづりの頭を優しく撫でた。

『……ひづりと千登勢ちゃんはこれまで顔を合わせた事が無く、万里子さんの葬儀の際に一度会ったばかりだったのに、いつの間にか……七月には一緒に旅行へ行くほど、とても仲良しになっていました。……市郎さん。私はその時、時間はもう充分過ぎるほどに流れていた事をはっきりと実感しました』

 市郎に向き直り、幸辰はしゃんと背筋を伸ばして少しだけ声を大きくした。

『ひづりがお二人と仲良くしたいと言うのなら、私があなたへ向け続けた卑小な感情など何の価値も無いものです。あなたがそうであるように、私も最初から、娘たちの幸いのためなら何もかもどうだってよいのです』

 幸辰は両手を床につき、先ほどの市郎と同じ様に頭を下げた。

『私の両親は既に他界しています。市郎さん、ちよことひづりの祖父は、もうあなただけです。二人の事をどうぞ宜しくお願い致します』






「父さん。今日のこと、認めてくれてありがとう」
 自室で部屋着に着替え、父と市郎の待つリビングへ戻ったひづりは、台所で夕飯の準備を続けていた父にこそりと耳打ちした。それは今日の事だけでなく、今月の初めに市郎を許してくれた事も併せての改めたお礼だった。
 幸辰は照れながら笑って、それからひづりと同じ様に小声で返した。
「ひづりが喜んでくれるなら、パパは何だってするのさ。それに、花札の二人と仲良く出来るなら、それはパパだって今まで望まなかった事じゃないんだ。ひづりはラウラさんのおかげだって言うけど、姉さんや紅葉、花札の二人、そしてパパが《これからの事》を大きく変えられたのは、間違いなくひづりのおかげなんだよ」
 優しく穏やかな声でそう締めくくって父はひづりの頭を撫でた。
 果たして自分にどれだけの事が出来たのかは分からなかったが、けれどこれまで花札市郎と上手く付き合えなかった父が今日という日をこんな風に笑顔で迎えられるようになった事はひづりにとって何より嬉しく思えた。
「じゃ、じゃあ私、お皿とお箸持っていくね」
 父に褒められるのは好きだがリビングのソファで休んでいた市郎がこちらを見ている事に気付いてひづりは急に恥ずかしくなり、父の手をやんわり退けるとシンク横に用意されていた食器を抱えて市郎の元へ逃げた。食器を届けると市郎はニコニコとしていて、ひづりはなんとも顔が熱くなるようだった。
「……あれ……? 父さん、なんかお皿と箸、多くない?」
 運んで来た食器を市郎と一緒にリビングテーブルへ並べ始めたところでひづりはふと気づき、父を振り返って訊ねた。箸も皿も、六人分あった。この後千登勢が遅れて来るであろう事を考えても、二人分多い。
 もしかして天井花さん達がくるのだろうか、と考えたところで、父が言った。
「ああ、ちよことサトオくんの分だよ。お寿司を買って来てくれるらしい」
 ひづりはぱちくりと瞬きをした。
「姉さん、連絡ついたの?」
 朝方に店を飛び出してからちよこはまた電話が通じなくなっており「まったく前回と同じか」とひづりは諦めてもうそちらに気を配っていなかったので、連絡があったというのは素直に驚いた。
「うん。三時頃だったかな。築地まで行っていたらしいよ。そろそろ戻って来るんじゃないかな」
「……そう、なんだ……」
 今日の会食に於ける夕飯の調達は姉に一任していた。それを今朝になっていきなりどこかへ行って連絡もつかなくなるものだから、ひづりは昼頃に電話で父に「代わりに何か出前を注文しておいて」と伝えていたのだが……あの姉は本当に人の予定というものを考えないのだ。
「たっだいまー!」
 ひづりが内心悪態をついていると当の本人の声が玄関の方から聞こえて来た。それは如何にも元気な声で、本当に機嫌が良さそうで、ひづりは思わずかちんと来た。
「私が出迎える」
 ひづりは低い声で言うと立ち上がって廊下へ向かった。これは一言叱ってやらねばならない、と決意を胸にずんずんと進んだ。
 しかしひづりが廊下へ出て見ると、玄関には買って来たらしい寿司の包みを持った姉夫婦だけでなく、何やら青い顔をした千登勢の姿もあった。
「あれ、千登勢さん? 姉さんたちと一緒に来たんですか……?」
 マンションまでの道中でばったり合流したのだろうか、とひづりが首を傾げると、面白そうにちよこが笑った。
「それがねひづり、聞いて聞いて! サトオくんとお寿司を買って家へ向かっていたら、何だかマンションの入り口のところで怪しい女がうろうろしていたものだから、まぁ嫌だわ不審者かしら、と思って大きな声で驚かしたら、なんと千登勢さんだったのよ~! おかしな叔母さんね、堂々としてたらいいのに~! うふふ!」
 そんな風に言いながらちよこは千登勢の肩をぱちんと叩いた。千登勢はもう小動物のように震えていた。
 数秒、ひづりは呆れてものが言えなかった。この女、今日の会食の趣旨を理解していないのか……? 何のために花札家の二人を招いたと思っているんだ。
「あ! 市郎おじいちゃーん! いらっしゃい! お墓掃除疲れたでしょ~! 見て見て、お寿司買って来たのよお寿司!! おじいちゃん好きだって聞いてたから、サトオくんと築地まで行って買って来たのよ! 私お腹すいちゃったわ! さぁさぁ皆でリビングに行きましょう!!」
 ひづりがいよいよ叱ろうと口を開け掛けたところ、ちよこは靴をぽいと脱いでひづりの脇を抜けた。振り返ると、様子を見に来たらしい市郎がリビングから顔を覗かせていて、ちよこは彼にお寿司をこれ見よがしに押し付けていた。
「お邪魔しまーす……」
 ちよこに続いてサトオがこそこそとひづりの横を通り抜けた。
「…………ひづりちゃん、こんばんはー……?」
 この姉夫婦は、この姉夫婦ってやつは、とひづりが内心ぐらぐら怒りの火を燃やしていると、背後の千登勢が控えめな声で挨拶した。ハッとなって振り返ったひづりは彼女がまだ三和土の所に立っていた事に気付いた。ひづりたち官舎家の人間の許可が無ければ、彼女は未だ靴を脱ぐ事さえ躊躇ってしまうようだった。また彼女は市郎と同じくきっちりした上品な装いに身を包んでいたが、直前まで仕事があったはずである。疲れている中、急いで着替えてこの南新宿の官舎宅まで走り、その上ちよこに虐められたのだ。
 ひづりはもう申し訳なくてたまらなくなり、慌てて千登勢のそばに屈んだ。
「すみません! こんばんは、いらっしゃい、千登勢さん。姉さんがすみません、本当に……。お仕事お疲れさまでした。どうぞ、どうぞあがってください。あっ、鞄、持ちます」
 家にあげられた千登勢はまだ緊張を隠せない様子だったが、それでもひづりの顔をじっと見つめるといくらか柔らかい表情になってくれた。
「お邪魔します、ひづりちゃん。今日は父をありがとうございました。後でお話、聞かせてくださいね」
 ひづりもひとまず胸を撫で下ろし、母方の叔母の手を引いてリビングへと戻った。
 ただ、もしかして父と市郎より、どちらかと言うと姉と千登勢の方を気にした方が良いのか……? とひづりは今更ながらにそちらの問題の大きさを身を以って感じ、頭を痛めた。



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