和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐

   『母方の祖父』     2/8

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 通常であれば官舎家のお彼岸は官舎本家のみで行うべきで、そしてここ数年は甘夏がその立場にあったのだが、しかし彼女は今仕事で海外に出ているらしく、先日幸辰に『お墓の掃除をしておいて』と電話があったのだ。
 それを聞いてひづりは「これは良い機会ではないか」と思った。母の誕生日は九月二十四日、お彼岸の翌日である。喪中なのでお祝いなどは出来ないが、それでも生前の家族の記念日の近くであれば、お彼岸と併せて両家が一緒にテーブルを囲んで食事をする口実にはなる。
 父と相談した後、ひづりは花札家へ電話を掛けた。次のお彼岸、一緒に母さんのお墓掃除をしませんか、と。
 八月のお盆の時は、ひづりも官舎家と花札家の間にある繊細な事情を前に何も出来なかったが、しかし今は、あの夜にラウラが少々強引ではあったが両家の背を押してくれた結果がある。『私は以降、ひづりちゃんとちよこちゃんの祖父として、その果たすべき責任を果たす』と市郎が約束してくれた、あの幸いな結果がだ。
 幸辰と市郎の間に存在するわだかまりがあの一件で丸ごと消えて無くなったはずはないだろうが、それでも今回父に「今年のお彼岸と母さんの誕生日に、千登勢さんと市郎おじいちゃんを誘ってみたらどうかな」と訊ねると、彼は少し考え込むも肯定的な口ぶりで「きっと良い考えだと思うよ」と言ってくれた。市郎も、電話を掛ければやはり戸惑い気味ではあったがそれでも「行かせてもらうよ」と、あの時とは違ってひづりの提案を拒絶することなく受け入れてくれた。
 あの日ラウラ・グラーシャが遺してくれたものが、ゆっくりと、しかし確実に一歩一歩良い方向へ自分達の世界を動かしてくれているのをひづりは実感していた。先日の紅葉の提案然り、今日のお彼岸を受け入れてくれた花札家然り……。次に会った時、私はラウラになんてお礼を言えばいいのだろう、とひづりは困ってしまうようだった。
「ああ、千登勢は一緒じゃないんだ。昼前になって、急な仕事の電話が入ってしまってね」
 挨拶を終えて店内に招きいれようとしたところで傍らにその次女の姿が見えない事にひづりが気付くと、市郎は申し訳なさそうに言った。
「そう、だったんですか……。残念です……」
 ひづりは思わず気持ちがそのまま顔と声に出てしまった。数週間ぶりであるからひづりも千登勢の顔が見たかったし、何より最愛の姉の墓掃除に来られるはずだったのに急な仕事で駄目になってしまった千登勢の事を思うと、やはりひどく悲しい気持ちになった。
「すまないね。きっとひづりちゃんも千登勢に店へ来て欲しかったろう。以前だったら、今日の様な日には私が代わっていたんだけど、千登勢も今は社長の立場があるからね」
 千登勢が前にちょっとお店で暴れた時の席がたまたま空いていたのでそこへ案内すると、市郎は改めてひづりに謝った。
 離婚後に市郎が立ち上げた食品加工会社では現在千登勢がその社長の任に就いている、という話は、以前岩国旅行の折にひづりも聞いていた。スーツ姿が似合う佇まいは本当に本物の社長であったからだったのだ。
「けれど日が暮れる前にはこっちへ来ると思う。千登勢はあれでなかなか社員たちに好かれているようだからね。今日の事は会社の皆も知っているから、きっと用事が済んだらすぐ千登勢をこちらへ寄越すと思う」
「あ、そ、そうなんですね。よかったです」
 今日はもうまるきり千登勢に会えなくなってしまったのかと思っていたので、ひづりはまた思わず気持ちのまま表情をほころばせてしまった。そんなひづりの様子に安堵したのか、市郎も嬉しそうに笑った。
 ひづりは改めて今日の市郎の格好を頭の先からつま先まで眺めた。汚れやほつれの無い綺麗なグレーのスーツを着て、頭には同じ色の帽子を被っていた。美容院へも行ったのか、眉毛や髭は七月や八月に見た時と違ってずいぶんきっちりと剃り整えられ、七十過ぎの男性には過ぎるくらいの清潔感がそこにはっきりと表れていた。彼の今日という日に対する姿勢がもう眼に見えるようで、ひづりは己の緊張が一人きりの空振りでない事に少し安堵した。
 ただそこでひづりはハッとして、自分も彼に謝らなければならない事があったのを思い出した。
「ごめんなさい。実は今日姉さん出掛けていて……大事な日だよって伝えてはいたんですが、また勝手にふらりとどこかへ行ってしまって……」
 店内改装の日に続いて、ちよこはまた今朝から行方知れずになっていた。再びあのメイド喫茶の経営者のところへ行っているのやもしれず、もうこれはいつもの事と思うしかない、とひづりは諦念気味でいた。
 すると市郎はふふふと笑った。
「ちよこちゃんは怪我の事で心配していたんだが、そうか、もうすっかり良いんだね」
「……困った姉です」
 市郎は気にした様子もなかったが、ひづりは頭が痛むようだった。複雑な家庭の事情で距離のあった母方の祖父がこうしてせっかく来店してくれたというのに、どうしてあれは平然と店を留守に出来るのだろう。
「慌しくてごめんなさい。注文が決まったら、私か天井花さんか……あ、今出て来ましたね、あのメイド服の子に声掛けてください」
 ひづりはメニューを市郎の前に置いて、それから丁度店内に戻って来た《火庫》を指差し、テーブルを離れた。
 一旦休憩室に戻って、ひづりは胸に手を当てて深呼吸した。思った以上にうろたえている自分に驚いていた。亡くなった父方の祖父母に対して今まで一度もこんな風にならなかったのは、幼い頃からよく顔を合わせていたからだったのだろう。
 幼い頃から接していなかった祖父と話をするのって、意外と大変なのだな。姉さんも同じ様に緊張すればよかったのに、とひづりは今頃どこで何をしているのやら、姉の事を思った。


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