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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
『同じ穴の狢』
しおりを挟む「いかにも大学来るの初めてです、みたいな顔、しないでくれる?」
ひづりがその周囲のビルより一際大きな洗朱色の建物を見上げていると、夜不寝リコは不機嫌そうな顔で呟いた。
聞いていた通り、神保町駅から明治大学へは歩いてすぐだった。大学はいくつかの大きな棟に分かれていて、明大通りに面したこのとても背の高い洗朱色の建物──リバティタワーもその一つという話だった。開け放たれたガラス張りの出入り口の向こうに見えたエントランスは校舎というよりは良いとこのホテルのような煌びやかさがあって、中学高校とはまるで別物なのだなと思い知らされた。
「いや、感動もするよ。疑っていた訳じゃないけど、凍原坂さん、本当にすごいところで働いているんだね」
目的地はこのリバティタワーの背後にある研究棟で、ひづりはそこで凍原坂と落ち合う手筈になっていた。
夜不寝リコは歩調を少し緩めてひづりを振り返った。あまり不機嫌そうではなかった。
「あったり前じゃん」
彼女はまたずんずん大学の敷地を進んで行った。
途中、正面から来た二十歳くらいの男性二人組が夜不寝リコを一瞬ばかり珍しそうな眼で見たが、けれどそれだけで、やはり特に何もなくすれ違って行った。構内を歩く人々も様々な年齢や格好だし、やはり服装などそう気にするものではなかったろうか、とひづりはわざわざ家に一旦戻って着替えて出て来た我が身を思い、また落ち着かない気持ちになった。
リバティタワーと研究棟は東西にあるため、間の通路は今の時間だともうすっかり日陰になっており、またビル風もあって少々肌寒さを感じた。
研究棟は華やかなリバティタワーとは一転して、実に『研究棟』という雰囲気の厳かな建物だった。今は太陽を背にしているのもあって、どこか冷たい雰囲気さえあった。
「あらっ、リコちゃんじゃない! 久しぶりねぇ!」
出入り口をくぐると、受付に居た四十代前半くらいの女性がこちらに気づいて声を掛けて来た。
「こんにちは春日さん、お久しぶりです! 髪、染められたんですね!」
「そうなの~! どう、似合ってるかしら!」
「めちゃくちゃ似合ってますよ~! 前言ってたあそこの美容院ですか?」
仲良しなのだろう、きゃっきゃと二人は俄に花が咲いたように話し始めた。ひづりと《火庫》は傍らでぽつんと立ち尽くした。
「あら? 火庫ちゃん? それとこちらは……?」
春日という女性はひづりの方を見て眼を丸くした。
「ウチのクラスメイトです。進路の事で、春兄さんに相談があるとかで」
「初めまして、官舎ひづりです」
「あらあらそうなのね。ここの事務員の春日です。リコちゃんが学校のお友達を連れて来たの、初めてじゃないかしら。仲良しなのね。……でも、あら? 凍原坂さんにご用事? 変ねぇ」
春日はおもむろに手元の帳簿を開き、あるページで手を止めると、そこにじっと視線を走らせてから眉根を寄せて首を傾げた。それから顔を上げて《火庫》を見た。
「火庫ちゃん、凍原坂さんのお客さんの迎えに、さっき出ていたのよね? 今戻って来たの?」
「はい」
こくんと頷いた《火庫》に、春日はますます不思議そうな顔をした。
「おかしいわねぇ。ついさっき、おしゃれな格好をした男の人が訪ねて来られたのよ。凍原坂さんと会う約束をしていたんだ、って言って……。私てっきりその人が火庫ちゃんとフラウちゃんの迎えに行ったお客さんで、すれ違っちゃったんだとばかり……」
ひづりは夜不寝リコと顔を見合わせた。
どういう事だろう? 事前にひづりが交わしていた約束の時間は、本当にもうこの後すぐだった。急に人と会う用事が出来てしまったのだろうか? しかしそれならそれで携帯に連絡くらいありそうなものだが……。
「……とりあえず春兄さんの事務室に行ってみます。ありがとうございました」
「そう? じゃあねリコちゃん、官舎さん、火庫ちゃん、フラウちゃ……んは寝ているのね」
春日にお礼を言って三人は廊下を歩き出した。
「火庫、春兄さんから何か聞いてる?」
自分達より先に来たというそのおしゃれな男について夜不寝リコは訊ねたが、《火庫》は首を横に振った。
「ひづりさんがいらっしゃるので、もしかしたら、部屋の片付けに誰か人を呼んだのかもしれませんが……」
研究棟は静かで、ひづりたちの足音が少々申し訳なくなるくらいによく響いた。角を曲がってトイレや給湯室の札が掲げられた通路を進み、建物の背中側らしい日差しのよく入る廊下に出ると、左手に個室程度の間隔で扉が五つ並んでいるのが見えた。扉の横にはそれぞれ人の名前が書かれていて、どうやらここが所属する学者の個室らしいと分かった。
このどれかが凍原坂の部屋なのだな、とひづりはまた背筋を伸ばして身嗜みを気にした。
その時だった。
「────っ!!」
どたんばたん、と人の足音やら物が落ちるような音やらがその個室の方から聞こえて来て、それから扉の一つが勢い良く開き、男二人がレスリングの取っ組み合いのような格好でひづりたちの目の前に飛び出して来た。
何事かと思い見ると、それは凍原坂と、明るい髪をした知らない男性だった。
「本当にっ、今日だけは、ぐっ……大事なお客さんが、来るんだよ……! 今日でさえなければいい! ぜぇ、うおお、明日! 明日来い……!」
盛大に息を切らしながら凍原坂が言う。
「なんで、だよ……! ふぅ、ぬおおっ、いつ来ても良いって言ったのは、はぁ、そっちだろうが……っ!」
明るい髪の男が、非難するように声を絞り出す。
「いつ来ても良いって、そりゃ言ったけど……! ああっ、アポくらい取れって、言ってんだ! ばかやろう! はぁ、ぐうおお……」
「は、ははっ、ははっはははっ! 筋力ぅ、落ちたんじゃないか、凍原坂ぁ! ぜぇ、お互いもう、おっさんだもんなぁ! ふっははは! しかしどうだ、はぁ、俺の方が、俺の方が優勢なんじゃないかっ! 俺は週二でジムに通っているからな! 今日折れるのはどうやら、へぇ、お前の方だぞ凍原坂ぁっ! ふふははははっ、げほん、おえっ」
……何やってるんだろう、あれ。隣を見ると、夜不寝リコも二人を見つめたまま訳が分からないという顔で立ち尽くしていた。
「……渡瀬(わたらせ)さん……?」
すると、《火庫》がその凍原坂と組み合っている男を見ながらぽつりと呟いた。
「《火庫》さん、あの人、お知り合いなんですか?」
どうもまだひづりたちに気づいていないらしい、依然唸りながら頭と頭を突き合わせて力比べをしているその男二人の片方を指差して訊ねると、《火庫》は頷いた。
「ええ、ずいぶんと前に……数年ぶりでしょうか、お会いした記憶があります。確か、民俗学の学者様で……」
「……お、おお……? 研究棟になぜか、女子高生が居るぞ……? ぜぇ、はぁ、幻覚か? なぁ凍原坂、俺、昂り過ぎて幻覚見てる……?」
渡瀬という男が、ようやくひづりたちに気づいた。同時に凍原坂も顔を上げてこちらを見た。あ、という顔をした。
「おい……凍原坂、ふぅ、ふぅ、お前まさか、客ってのはつまりそういう客か。お前……俺にいつでも来て良いって言っておきながら、研究棟で女子高生と楽しい事するために、俺を追い出そうって言うのか……。数年会わない間に変わっちまったな。はぁ、はぁ。がっかりしたぜ。でもそれはそれとして、そういうことなら俺も混ぜてくれよ。金は出すから」
「ふざけんな大馬鹿野郎!」
上背のある凍原坂がそのまま渡瀬をぐいと壁際まで追い込んで、押しつぶすように尻餅をつかせた。
どうやらそこで決着になったようで、凍原坂は一旦渡瀬から離れると両膝に手をついてまたぜぇぜぇと肩で息をした。《火庫》が慌ててそばに駆け寄って、お体も良くないのにいけません、とその身を案じた。
「へ……? 凍原坂、何か具合悪いのか? はぁ、くっそ~そうかよ何か今日の俺いい感じだと思ったのに……そうかよ~……」
渡瀬は座り込んだまま後頭部を壁にごつんと当て、ぶつくさと零した。明るいアッシュのクセ毛が、浮かんだ汗でべったりと額に貼り付いていた。
「はぁ、大丈夫だよ、《火庫》……。ぜぇ、はぁ、あぁー……。ひづりさん、すみません見苦しいところを。本当に見苦しいところを……ぜぇ……」
凍原坂は荒げた息を整えながら真っ赤になったままの顔をぺこりとひづりに下げた。
「ええと……何やってたんです……?」
他に訊ねようもないので単刀直入に問うと、凍原坂は困ったという顔で脇の渡瀬を見下ろした。
「こいつ……渡瀬と言って、古い知り合いでして……近日中にちょっと会おうという話になっていたんですが、今日、いきなり来たもので……」
「はい、それはさっき話していたのを聞いていたので分かったんですけど……」
なんで二人でレスリングしてたんですか。
「出て行けって事はないだろうー! 数年ぶりに会うの、俺は楽しみにしていたんだぜ! それを女子高生と仲良しするために追い出すなんて、あんまりじゃないか!!」
渡瀬は急に泣きそうな顔になって凍原坂を非難した。髪色の明るさや男性向けファッション誌に出てくるモデルのような細いシルエットなどからぱっと見は三十代前半くらいにも思えたが、しかし肌や手をよく見るとどうやら凍原坂と同い年くらいらしいと分かった。体力面も互角のようであったし。
「だから、そういうんじゃないって言ってるだろう! こちらは僕の恩人の娘さんで、こっちは……っ。…………あれ? そういえばなんでリコちゃんが居るんだい?」
義妹が居る事にここへ来てようやく違和感を持ったらしく、凍原坂は我に返った様に首を傾げた。よほど渡瀬との試合に白熱していたらしい。
「ちょっと用事があってこっちに来たら……たまたま駅前で官舎さんに会って……」
あからさまに渡瀬へ警戒心を向けたまま夜不寝リコは答えた。
すると渡瀬も何か気づいたという風に背筋を伸ばし、夜不寝リコを見た。
「リコ……? おや? もしかして雪乃ちゃんの妹のリコちゃんかい? へええ、大きくなったじゃないか~! 凍原坂が女子高生を部屋に連れ込もうとしてるから何事かと思ったが、なんだそうか。つまらないな」
渡瀬はすっと立ち上がり、妙に馴れ馴れしい感じで近寄ると夜不寝リコを頭の先からつま先までじろじろと眺めた。
しかし納得した様子で頷く渡瀬と違い、夜不寝リコはますます訳が分からないという顔をした。
「確かに雪乃さんの妹さんだけど、大きくなったねって、お前、リコちゃんとは会ったことないだろ。混乱させるような事言うなよ」
呆れた顔で言う凍原坂に、渡瀬はひょっとこみたいに唇を尖らせた。
「子供を困らせるのが大人の甲斐性ってもんだろうが。でもワイン開けてもないのに酔っ払ってると思われたら嫌だな。よし、自己紹介するか」
屈めていた体を水飲み鳥のように起こすと、渡瀬は如何にも気障に前髪をかき上げ、細い金の丸フレーム眼鏡を掛け直し、そのアイシャドウの入った目元に胡散臭い笑みを浮かべた。
「渡瀬奉文(わたらせほうぶん)だ。いわゆる民俗学ってやつの学者で、色んな所に行って調査、研究をしてる。アジアの妖怪のことなら何でも聞いてくれよ、女子高生ちゃんたち」
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